大淀パソコンスクール   作:おかぴ1129

19 / 25


「今晩は、姉がお世話になります」

「そんな……お世話も何も、一緒に飯を食いに行くだけですよ?」

「ふふっ……姉はずっと楽しみにしてたみたいですよ? どちらにせよ、よろしくお願いしますね」

 

 帰り間際の神通さんは、最後に俺にそう言い残して帰って行った。その穏やかで柔らかい物言いは、授業中に絶対参照を駆使して世界を救い、仲間の命を救って海域を制覇した人とは思えなかった。

 

「さて……では進捗も記入したし、俺は帰らせていただこうか」

 

 さっきまでパソコンをパチパチと鳴らしていたソラール先輩も席を立ち、目の前のパソコンの電源を落とすと、ガチャコーンとタイムカードを押した。

 

「お疲れ様ですソラールさん」

「ああ。太陽が無くなっては戦えぬからな。ウワッハッハッハ」

 

 そういって、肩を揺らして朗らかに笑うソラール先輩。なんだ今日はえらく元気じゃないか。いつもなら『太陽……俺の太陽よぅ……』ってつぶやきながら、フラッフラで帰っていくのに。

 

「先輩、今日は元気ですね」

「そうか? ……まぁ今日は、神通が絶対参照を習得したので、俺も機嫌がいいのかもしれん。ハッハハハハハハハハッ!」

 

 あの後、世界を救った神通さんは、ソラール先輩が見守る中、プリントをバシバシと作成していって、絶対参照を物にしていった。実は今日の神通さんの課題は、絶対参照ではなく条件付き書式。だが今日の授業では、条件付き書式よりも絶対参照に割いた時間の方が長く、今回神通さんが行った課題プリントも、絶対参照を扱ったプリントがメイン。それだけ絶対参照というものは、Excelを扱う上では、避けては通れない重要な操作なのだ。

 

 セル参照の指定後にファンクションキーを押すという特殊な操作が必要なため、生徒さんの中には、いまいちこの絶対参照を覚えきれない人も多い。そんな中、神通さんはたった一回の授業で絶対参照を身につけた。

 

 これはソラール先輩にとっても、とてもうれしいことだったに違いない。その証拠に、さっきからくぐもった声がウキウキしている。うれしさを隠し切れないみたいに、体中がウズウズしている感じだ。気を抜くと、Y字のポーズを取ってしまう……きっと今の先輩は、そんな状況なのだろう。

 

「ソラールさん、遅れますよ?」

 

 ……ん? 遅れる?

 

「……あ、しまった失敬。では、俺はこれで失礼する」

「はい。お疲れ様でした」

「カシワギも夜の授業、がんばってくれ!!」

「はい。ありがとうございます先輩」

「ではお疲れ様!!」

 

 最後にY字のポーズ……正式名称なんだったっけ……太陽……まぁいいか……を気持ちよさそうに決めると、ドアを開き、どちゃりと前転しながら教室を後にしていった。

 

 ……信じられないのは、今のこの光景を、俺の頭が『普通の光景』だと認識しはじめたことだ。どこのパソコン教室に、全身太陽マークの鎧兜に身を包んだインストラクターなぞいるのだろうか……しかもそのインストラクター、帰るときはもちろん、授業中や事務作業中など、時を選ばず前転して『どちゃりどちゃり』と盛大な音を立てる。どこにそんなインストラクターがいるというのか。

 

「俺も、この教室に染まったのかなぁ……」

 

 ポツリと言葉が漏れる。来た当初は、この教室の異質さに戸惑い、突っ込みを入れる日々だったのに……この非日常に、俺の頭は慣れてしまったというのか……。

 

「いいことなんじゃないですか? 郷に入りては郷に従えといいますし」

「とはいえ、貴重なツッコミ役が……」

「ツッコミ役?」

「あ、いやなんでもないです」

 

 いかんいかん。大淀さんは、この教室の教室長だ。余計なことを言うのはダメだ……。

 

「それはそうとカシワギさん」

「はい?」

「今日は川内さんとご飯食べに行くと伺いましたが……?」

「はい。この前の看病のお礼も兼ねて。仲も悪いわけではないし、たまにはいいだろうと思いましてね」

 

 その発端も、元をたどればあなたなんですけどね。大淀さん。あなたが川内に俺の家の住所を教えるという暴挙を働いたことは、忘れません。それで助かったのは事実ですけれど。

 

「生徒さんも川内さん一人ですし……本人が希望すれば、今日の授業は早めに終わらせていただいて結構ですから」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 という、粋なのかどうかよく分からない計らいを大淀さんは見せてくれた。しかし……うーん……神通さんはまだしも、なぜ大淀さんまでも今回のやせ……川内との飯の話を知っているのか。大淀さんには話してないはずだけど……?

 

「共通の友人に、スキャンダル大好きな芸能レポーターみたいな人が一人、いますから。恐縮です」

「はぁ」

 

 大淀さんは『今晩は二人で食事、楽しんでくださいね』と意味深にほくそ笑み、教室を後にした。その意味深な笑みが何を意味するのか、俺はあえて何も考えないようにする。時刻は午後7時5分前。……そろそろヤツがやってくる頃だが……

 

 入り口のドアノブがカチャリと静かに回った。

 

「……あれ」

 

 時間は問題ないから、きっと川内で間違いないはずなのだが……なんか、拍子抜けするぐらいに静かだ。ドアが静かに開いた。そのドアの向こうにいたのは……

 

「やっ。せんせー。こんばんはー」

 

 やっぱり川内だ。相変わらずの真っ赤なパーカーはよく似合うのだが……今日の川内は、なんだかいつもと違う気がした。

 

「? どうしたの?」

「いや……なんか今日のお前、覇気がないな」

「? そかな?」

「ん」

 

 そう。いつもと比べて、今日の川内は勢いがない。いつもなら、こう……

 

――カシワギせんせー!!! こんばんわぁぁああああ!!!

 

――夜戦いくよ!! せんせー!!! やせんやせんやせぇぇえええん!!!

 

 とこんな具合で、こっちのメンタルと鼓膜に致命的なダメージを与えてくるほど元気で圧力があって、覇気がある川内なのだが……

 

「お前、何かあったか?」

「? いや? 別に……ないけど……」

「そっか。ならいいけど……妙に元気がないからさ」

 

 今日のこいつからは、覇気や圧力はおろか、夜戦への情熱や鼓膜へのプレッシャーといったものは感じられなかった。なんというか……昼間の神通さんが、さらにおしとやかになった感じというか……

 

「ま、今日は授業の後でせんせーとの夜戦が控えてるから、それに向けて、力を貯めこんでるんだよね」

「アホ」

 

 口ではそういう川内なのだが……いつものにじみ出る煩さというものが感じられない。どうした。もっと跳ね返ってこいよ。お前がそんなのだとこっちの調子が狂う。

 

 川内の様子に不満を感じながら、川内をいつもの席へと案内する。パソコンの電源を入れ、OSを選択したら、立ち上がるまでの間、今日習うところの確認を行った。

 

「んじゃ今日やるとこだが……川内、テキストは?」

「……」

「川内?」

 

 ぼんやりとOSが立ち上がる様子を眺めていた川内が、俺の呼びかけにハッと気付いた。

 

「ん? なに?」

「テキストは?」

「あ、ちょっと待ってね……」

 

 慌ててバッグの中に手を伸ばし、中からテキストを取り出す川内の様子を見ていて、俺はある異変に気付いた。こいつの目が妙に眠そうで、トロンとして重そうだ。こいつ、今までにこんな眠そうな目してたことあったか? 今眼の前にいる川内に対する違和感が、大きく強くなってくる。

 

 テキストをペラペラとめくる川内。今日やるところのページを開くと、モニターの方を向いてマウスを握り、Wordを立ち上げる。やはり目がぼんやりしている。どこかおかしい。

 

「せんせ?」

「お、おう……。えと、今日やるのは、写真を貼り付けた活動報告書だ」

「うん。予習しといた」

「おっ。おーけいだっ」

 

 川内の手元のテキストを見る。赤や青のボールペンでいたるところにメモ書きがなされ、蛍光ペンでマーキングされていた。こいつが予習をしていたというのは事実だろう。このメモ書きとマーキングまみれのテキストが、それを物語っている。

 

 だが。

 

「あれ? せんせ?」

「ん?」

「えっと……『余白』ボタンって、どこあるんだっけ?」

「『ページレイアウト』だー」

「ありがと」

 

 いつもなら、『夜戦してよねッ!!?』と俺を追い詰めていく片手間で出来ていたはずの余白設定だが、やはりというか何というか、今日はまったく出来なかった。文字入力を進めていくが、タイプミスも多い。

 

 やはりおかしい。ひょっとしてこいつ、ひどく体調を崩してるんじゃないか? それで体力が限界にきてて、注意力もないし眠そうなんじゃないか?

 

「なぁ川内、今日調子悪いだろ」

「そんなことないよ? ほら、げんきー!!」

 

 そう言っていつぞやの俺のように両手で力こぶを作って、自分の元気さをアピールする川内。だがその声に張りはなく、力こぶを作る両手もくたっとしていて、元気がまったくない。逆に空元気を振り絞っているその姿が、妙に痛々しく見える。

 

「だから次に進もう」

「んー……分かった」

 

 ……んー……本人が大丈夫だと言うのなら、俺が反対してもこいつはきっと聞かないだろう。仕方なく授業を進める。

 

 授業開始から30分後。川内は、いつもより苦戦して文字入力を終わらせた。気になるのは、川内の息が浅いことだ。いつも大声でまくしたてる時みたいに、大きく息を吸ったり、盛大に息を吐いたりとかがない。気をつけて見てないと呼吸に気付かないぐらいの、浅い呼吸だ。

 

「フッ……フッ……」

「大丈夫か?」

「うん。だいじょぶ。だから先に進も?」

「……わかった。これからやるのはf4キーを使った連続操作だ。f4キーは、直前の操作を繰り返すって感じの、特殊な機能がある」

「うん……」

「予習してるなら問題ないだろうから、習うより慣れろでちょっとやってみっか。ここの小見出しに『文字の効果』を設定してみ」

「……わかった」

 

 さっきより輪をかけてぼんやりしてきた川内は、力が入ってないように見える右手でマウスを操り、苦戦しながらも、入力した文章の小見出しの一つを選択した。その中から枠線が青い立体的なやつを選んでいた。文字が立体的に見えるし、無難な効果だから、俺も結構使うやつだ。

 

「ん。やったよーせんせー」

「うーし。んじゃ、今度は次の小見出しを選択して、f4キーを押してみろ〜」

「はーい」

 

 目がトロンとした眠そうな川内は、次の小見出しを選択し……。

 

「……あれ?」

「……」

「せんせー……出来ないけど……」

 

 必死にf4キーではなく、『4』のキーを押していた。それはまぁいい。パソコンによってはf4キーと『4』のキーの位置が近く、f4キーを押したつもりで4のキーを押すことなんて、よくあるからだ。

 

 おれが不可思議に思うのは、川内がキーを押す度に、画面には『う』の文字が出力されているにも関わらず、川内自身はそのことに気づいていないことだ。こいつは異変に敏感というわけではないが、さすがに自分が打った覚えのない文字が表示されれば、それには気付く。にも関わらず、今の川内は、自分が入力した文章に、不必要な『う』の文字が次々と追加されていく事態に、まったく気がついてない。

 

「せんだーい。押すキー間違えてるぞ」

「……へ?」

「今、お前が押してるのは『4』で『う』のキーだ。今回押すのは、f4キーだよ」

「え……あ、ホントだ」

 

 俺に言われて、やっと気付いたのか……やっぱおかしいぞこいつ……時間が立てば経つほど目はトロンとして、なんだか顔が青白くなってきてるような……

 

「しっかりしろよー。f4キーは……」

 

 俺がそう言って川内との距離を縮め、ボールペンでf4キーの場所を指摘しようとしたその時だった。

 

「せんせ……」

「ん?」

「さむい……よ……」

 

 頭をグラグラさせはじめた川内の身体が、唐突に身体を俺に預けてきやがった。……いやそれじゃ語弊がある。話してる最中に突然、グラッと俺の方に倒れこんできた。

 

「え、せ、せんだ……」

 

 慌てて川内を受け止める。勢い余って椅子から崩れそうになるが、それはなんとかこらえた。川内の額が、俺の右肩にもたれかかってきた。

 

「おいおい? どしたせんだ……」

 

 最初はのんきにかまえていた俺だったが、おれは即座に、その考えを改めた。

 

「ハッ……ハッ……」

 

 川内の顔が真っ赤になり始める。息が浅く、小刻みに呼吸を繰り返すその小さな身体は、服の上からでも伝わってくるほどの高熱を帯びていた。

 

「え……ちょっとすまん川内」

 

 慌てて、川内の額に右手で触れた。川内の額は、まるで夏の日のプールサイドの鉄板のように、やたらと熱い。

 

「あっつ!? お前……」

「ハッ……ハッ……」

「熱があったのか……やっぱ、調子悪かったんじゃないか……」

「ごめ……せんせ……さむい……」

 

 俺に額に触られている川内は、身体がガチガチと震えている。口からは歯のカチカチという音が聞こえ、肩は小刻みに震えていた。もはや開いているかどうかよく分からないほどにトロンとした眠そうな瞳は、完全にいつものギラギラした、賑やかな輝きを失っている。

 

 自分の身体にもたれかかった川内の身体を椅子に戻し、上着のジャケットを脱いで川内にかけてやる。男のジャケットだが、ないよりはマシなはずだ。それでも川内は、寒そうに歯を鳴らし続けているが……。

 

「さむ……さむいよ……」

 

 まさかこんなに体調を崩していたとは……それなのに、なんで来たのか……こんなしんどい状態なら、素直に休めばよかっただろうに……

 

「せんせー……さむいよー……ガチガチ……」

「何が寒いだ……そんなに体調悪かったんなら、休めばよかったのに……」

「だって……今日は、せんせーと約束してたし……」

「そんなん次にすりゃいいだろ? だから今日は……」

「やだよ……」

 

 なんでこいつはこう意地を張るんかね……と俺が呆れかけた時、こいつは、トロンとした眼差しをキッと見開き、俺をまっすぐ見つめると、苦しそうにだが、ハッキリと口を開いた。

 

「せんせーと夜戦だよ? ……やっと、せんせーと夜戦出来るんだよ?」

「……」

「ずっと楽しみにしてたのに……やだよそんなの……休みたくないよ」

 

――姉はずっと楽しみにしてたみたいですよ?

 

 このアホ……いくら楽しみだからって、そのためにつらい思いまでして、無理矢理教室きて……

 

「ハッ……ハッ……」

 

 その上、症状を悪化させやがって……普通に座ってるのも辛いんじゃねーか……さっきは椅子にもたれてたのに、今は机の上に突っ伏して、浅い呼吸しか出来ず、寒そうに歯をガチガチ言わせて……。

 

「……わかった。でも今日は帰れ。お前もそんな状態じゃ、晩飯食えないだろ?」

「うん……」

「お前、一人暮らしだっけ?」

「うん」

「誰か看病出来る人はいないのか? 神通さんに連絡は」

「……ダメ」

「なんで?」

「……今日は、ダメ」

 

 神通さんに何か外せない用事でもあるのか……? まぁダメだと言うなら仕方ない。俺はハンガーにかけてあった俺のロングコートを川内に貸した。その途端に川内は寒そうに俺のコートにくるまるが、それでも身体の震えは止まってない。川内の隣の席に座り、様子を伺うが、本人がこんな調子では、一人で帰れるはずがない。とりあえずタクシーを呼んで、家に送ってもらうことにしよう。

 

「……しゃーない。今からタクシー呼ぶぞ」

「そこまでしなくて……いい……よ……」

「んなこと言ってもお前、そんな様子じゃ帰れんだろうが」

 

 タクシーを呼ぶため、事務所に向かおうと俺が立ち上がって振り返った、その時だった。

 

「まって……せんせ、待って」

 

 川内が、俺の左手の袖をつまんだ。いつものこいつなら多分、俺を呼び止める時、こんな風にちょんっとつまむようなことはしない。もっとガシッと手首ごと掴んでくるはずだ。それなのに、今はおれの袖を、ほんのちょっとつまむ程度しかできてない。かなり弱ってるなこいつ……

 

「なんだよ。イヤだっつっても呼ぶぞ」

 

 お前が元気じゃないとな。俺が調子狂うんだよ。

 

「飯なんていつでもいける。だから今日はもう……」

 

 俺が勘違いをやらかして、こいつのワガママを諌めてやろうと大人の威厳を出した時だった。こいつは、俺の予想の斜め上のワガママを言い出し始めた。

 

「……責任取ってよ」

「? 責任?」

「うん……ガチガチ……」

 

 責任? 責任とな?

 

「責任ってなんだよ?」

「だってさせんせー……これ多分……ハッ……ハッ……この前せんせーを看病したときに、せんせーから感染されたやつだよ……?」

「……はい?」

「だから……責任、とって……ちゃんと私を治して」

 

 『何血迷ったこと言ってやがるんだアホ』といいそうになったが、その言葉をグッとこらえた。確かに川内のこの体調不良は、俺のこの前の風邪の症状によく似ている。前触れは止まらないくしゃみと咳。高熱と意識朦朧……確かにこいつは、俺の風邪がこいつに感染ってしまったからかもしれん。

 

 俺の袖をつかむ、川内の握力が強くなった。ギュッと強く、でもいつもより何倍も弱く袖をつかむ川内の手が、俺の袖を離さない。知らない内に、川内は少しだけ顔を上げて、こっちをジッと見つめていた。

 

「……」

「……」

 

 いつもと比べてトロンと重そうな瞼だが、その向こう側にある、輝きを失った目は、俺をジッと見つめていた。

 

「……とりあえず離せ」

「……はい」

 

 川内の左手が俺の袖を名残惜しそうに離し、ダランと垂れた。その手はなんだか、『ワガママを言ってごめんなさい』とでも言いだけな、力のこもってない、ダランとした動きをしていた。

 

「一端事務所に戻る」

「……うん」

 

 さらに元気がなくなってうなだれ、机に突っ伏した川内を残し、俺は事務所に戻った。大急ぎで、大淀さんに今日はもう教室を閉じる旨のメールを送った後、業務基幹ソフトの川内の項目を探し、住所を自分のスマホに送る。そのまま川内の備考欄に『体調不良の為、キャンセル』とだけ書き込んでおき、パソコンの電源を落としてタイムカードをガシャコンと切った。

 

「川内帰るぞ。電源落とせー」

 

 自分の荷物を纏めて、教室に戻り、川内の元に向かう。相変わらず川内は机に突っ伏していた。俺の声を聞いて顔を上げ、眠そうな眼差しで不思議そうにこっちを見つめた。

 

「……へ? 車呼んだんじゃないの?」

「責任取って欲しいんだろ?」

「いいの……?」

「家までは、送り届ける」

「……うん」

 

 うれしいんだか……それとも落胆したのかはよく分からない。川内は一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐにまた元のダルそうな表情に戻った。右手でマウスを必死に探すが、マウスの位置がうまく把握出来ないようで、机の上で右手をうろうろと動かしているだけになってしまっていた。

 

「……あれ」

「……ったく」

 

 見てられない……俺はキーボードを手元までひっぱり、CtrlキーとaltキーとDeleteキーを押して、パソコンをシャットダウンした。

 

「……なにそれ」

「ショートカット」

「私はツーサイドアップ……」

「そのショートカットじゃないっ」

 

 パソコンがシャットダウンするまで、画面をぼーっと見続けた川内は、画面が真っ暗になると力を溜めて立ち上がり……と言ってもフラフラだけど……くるまっていた俺のコートを脱ごうとしたが、それを俺は制止した。

 

「いいから着とけって。寒いだろ?」

「うん。でもそれじゃカシワギせんせーが寒いでしょ?」

「あ、確かに……んじゃ上着だけ返してくれ。コートはお前が羽織ってろ」

「しっかりしてよせんせ……ガチガチ……」

「お前が言うな」

 

 川内に、コートの下のジャケットだけ返してもらい、それを羽織った。川内は相変わらず俺のコートにくるまって、やたらと寒そうな感じだ。しかも足取りがフラフラとして、危なっかしい。普通に立っているのも辛そうで……

 

「う……ごめ……」

「……」

 

 ただ立っているだけだというのに、時々フラッと姿勢を崩して、俺の方に倒れこんできやがる。その度に俺の胸元あたりにこいつの頭がぽすっと飛び込んできて、『こいつってこんなにちっちゃかったっけ?』という疑問が沸き起こる。

 

 ふらふらな川内を支えながら、教室から外に出た。覚悟はしていたが、やはり外は寒い……ただでさえ冬場で気温も低いのに、ちょっと強めで冷たい風が吹いていて、それがまた冷たくて寒い……寒いっつーか痛い。しかし。

 

「せんせ?」

「ん?」

「コート返そうか?」

 

 真っ青な唇のくせに俺の心配をするこの夜戦バカに、そんなことを悟られるわけにはいかん。

 

「心配いらん。病み上がりを甘く見るなっ。余裕だ」

「いいの?」

「お前は帰ることだけ考えてりゃいいの!」

「……」

 

 川内が、再びグラッと姿勢を崩した。俺の方に倒れこんでくる川内をなんとか受け止める。思った以上に軽いことに驚いた。こいつ、いつも俺の200パーセントぐらいのエネルギーがみなぎっているけど、身体はこんなに小さいのか……。

 

「……せんせ。ごめん」

「それはいいけど……歩けるか?」

「むりー……せんせ、おんぶー」

「……」

 

 んー……なんだかこいつのワガママがエスカレートしてきたような……。

 

「……今日だけだぞ」

「うん。ありがと……」

 

 この調子でフラフラと千鳥足で歩かれて、途中でこけたりされても後味悪いしな……川内を背中に乗せ、コート越しに川内の足を支えた。今日俺が着てきたのが、ロングコードでよかったぁ〜……こいつのスカート、割と短いからな……。

 

 俺の背中におぶさった途端、川内はしっかりと俺にしがみついてきた。俺の右の耳元に川内の顔がある。呼吸が浅くて苦しそうだ。

 

 川内をおんぶし、なるべく揺らさないよう……それでいて遅くならないよう、気をつけて歩く。川内は俺の首に両腕を回し、肩をしっかりと掴んでいた。耳元で浅い息遣いをされるのは、正直色々とよろしくない気がしたが、そこはわきまえる。

 

「……せんせ」

「ん?」

「せんせーの、スマホ?」

「ん」

 

 川内に言われて、左胸の内ポケットに入れておいた俺のスマホが、ブーブーと震えているのが分かった。

 

「よく分かったな」

「へへ……」

「お前を支えてて取れん。川内、ちょっと取ってくれ」

「りょーかい」

 

 俺のお願いを受けて川内は、左手で俺の上着に手を突っ込んできた。胸の右側を、内ポケットを探るように必死に弄っているが、そっちには内ポケットはない。

 

「逆」

「あ、そっか。ごめん」

「だからまさぐるやめような?」

「へへ……」

 

 ……だから、耳元でそういう普通っぽい、よろしくない声を上げるのはやめろって……川内は、今度は右手で俺の左胸内ポケットを探りだし、中に手を突っ込んでスマホを取り出した。

 

「画面見てみてくれ」

「……特に何も表示されてないけど……」

「大淀さんからメールかもしれん。いいからロック解除して中を見てくれるか」

「ロック?」

「1192」

「それ誕生日?」

「11月92日が誕生日ってどこの異世界出身だよっ」

 

 俺のスマホは指紋認証での解除も出来るのだが、今日みたいな万が一の場合に備えて、四桁のキーでも解除できるように設定してある。川内は俺のスマホのキーを解除し、俺に画面が見えるように、俺と自分の前にスマホを持ってきた。

 

 青いメーラーのところに、一通の未読メールがあることを知らせる赤いアイコンが表示されている。ひょっとしたら、大淀さんかも。さっきのメールの返事か?

 

「メール開いてくれ」

「? どれ?」

「その青くて赤いポッチがついてるやつあるだろ? それを、とんってつっついてくれ」

「はーい」

 

 俺におんぶされてるから、身体が揺れてタップしづらいのか……『むむむ』と唸りながら川内は、画面をとんっとタップして、メーラーを開いた。未読メールの送信者は……やはり大淀さんか。

 

「川内。その大淀さんの名前のところをもう一回つっついてくれ」

「はーい」

 

 今度は問題なくタップ出来た川内。メールを見る。内容はやはりさっきの俺のメールに対する返信のようで……

 

「カシワギせんせ」

「ん?」

「これはもう、私の看病確定だね」

 

 メールの最後は、『川内さんをよろしくお願いします』と書いてあった。

 

 これは……あれかー……やっぱ俺は今晩、看病をしなきゃいかんのかー……

 

「んー……」

「せんせ?」

「……まぁ、しゃあない。半分は俺の風邪が伝染ったからだし」

「ありがと……」

 

 仕方ない。俺も腹を決めた。今晩はこのアホの看病をする。この前のお礼も兼ねて。

 

「……せんせ」

「んー?」

「ごめんね……夜戦、付き合えなくて」

「言ったろ? 飯なんかいつでもいけるし、夜戦には付き合わん」

「……」

「いいから今は治すことだけ考えてろって。お前が夜戦夜戦ってうるさくないと、なんだか俺も調子が狂う……」

「うん……」 

 




Wordでf4キーを押すと、
直前の動作を繰り返すことが出来ます。

たとえば『太字にする』という操作をした後であれば、
適当な文字列を選択してf4キーを押した場合、
選択した文字列が太字に設定されます。

同じ書式を設定したい場所がかなり離れた位置にあったり、
複数の画像を同じ大きさにしたい場合などでは便利です。

途中で一回でも他の動作を挟むと無効な点にご注意下さいまし。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。