そんなわけで抱きかかえられながら道なき道を進むことになった俺だが……。
「うおおぉぉおおぉぉおおぉおぉぉぉおおお…………」
「チーターが聞いたことない呻き声をあげてると思いますよ」
しょうがねぇだろ……! ガタガタした舗装もされてない道をぴょんぴょんと飛び跳ねてるヤツに抱きかかえられてるんだから! しかも木とかもあるから……枝が! 枝が迫ってくる! これなんでチベスナの顔とかに当たってないんだ!? いや当たられても困るけども!
……というわけで俺達は現在、山の登山道を超えて、登山道の脇にある林の中をけっこうなスピードで走り抜けているのだった。
鬱蒼とした木々の間には枝が縦横無尽に張り巡らされており、葉で光が遮られて暗いのと枝自体が細長いのもあって、俺ですら高速移動時の感覚で目を馴らさないと枝が飛び込んでくるのが分かりづらいくらいだ。……が、暗所でも多少目が効くのと、足場の悪さの影響を受けないチベスナはそんなことは全く意に介さずに進んでいく。
ってか、チベスナの言ってた高原って確か俺達が登ってる山の裏側――東側にあるはずなんだけどコイツそのことを分かってるんだろうか? 俺もうなんかピョンピョンしてる間に方向感覚が完全に狂っちまったんだけれども。
しかし、おそらく俺なら三〇分くらいで音を上げるであろう悪路の連続でも、チベスナはまるで平地でも歩いているみたいにひょいひょいと進んで行ってしまう。これ、普通に斜面だと思うんだがなんで足を踏み外したりしないんだろうか……。
忘れがちだが、チベスナも立派なフレンズということなのだろう。チベットスナギツネの、岩山で過ごしているという生態がこう……なんか……いい感じに反映されてるんだろうな。俺とか、高地になってるから地味に寒いけどチベスナは全然平気そうだし
「チーター、どうですか? チベスナさんもなかなかやるものだと思いますよ」
「まぁ、けっこう見直してはいるよ」
「そうでしょうそうでしょう! ふふふん」
素直に認めてやると、チベスナは一層誇らしげに胸を張っていた。普段ポンコツなチベスナだが、やはり得意な環境では人一倍活躍できるんだなぁ……。……うん、もう少しヤツにも活躍できる場を提供してやるということを考えた方がいいかもしれないな、これからは。
なんてことを思っていると、ちょうど林を抜け、ようやっと目の前が開けてきた。
地図の通りだと、登山道を抜けて山をぐるっと迂回すると、山の東側にチベスナの住んでいた高原があるという話だったが……。
「………………んんん??」
「おかしいですね、これ」
俺達の目の前にあったのは、草花が生い茂る高原ではなく。
「………………不毛の大地」
今俺達がいる山とは別の、草木の生えていない禿山の斜面だった。
しょ、植物が枯れてるとか、そんな些細な違いなんかじゃねぇ……。
「えーと、チベスナ。一応確認しておくが、ここがお前の古巣……」
「なわけないと思いますよ」
……もちろん、チベスナが留守していた間に環境が激変したってことではないだろう。草木が枯れるだけならともかく、高原ってのは平たい地面だ。斜面ってことは地形レベルで変化していることになるからな。
とすると、考えられる可能性は一つ。
俺自身心当たりはあったじゃないか。あの林の中で方向感覚が完全にくるっていたって。それに何より…………。
「チベスナ、お前随分ひょいひょい進んでいたが、そもそもここに来たの何年ぶりだ? 場所は覚えているとしても、道順とか本当にしっかり覚えてるのか?」
「あ」
…………そう。コイツに出会って一日目に、俺は体感していたじゃないか。
チベスナには、ナビゲート能力が皆無だったってことを…………。
「っとにさぁー、お前さぁー、なんつーかさぁー」
「ご、ごめんなさいと思いますよ。だからその唸る感じのをやめた方がいいと思いますよ」
「っとにさぁー!!」
「ひいっ」
ちょっと見直したらすぐこれだよ。しかも迷子って……迷子って。何年いなかったんだか知らないけど、昔住んでた場所で迷子になるか普通……。チベットスナギツネって方向音痴な動物なのか? そんなんじゃないよな? これは完璧にコイツ個人のアレな部分だよな?
「……まぁ迷子になってしまったことは今更言っても仕方ないか……。別に急ぎの旅ってわけじゃないんだし」
ちなみに、一連のごたごたの中で多少体力を回復させた俺はチベスナのお姫様抱っこからは脱却している。ガッツリ歩き回らなければ、スタミナが切れるということもあるまい。……もっとも、この状況ではガッツリ歩き回らなければならなそうな感じではあるんだが。
「そうですよ。タオル全部持つのでいい加減許した方がいいと思いますよ」
「はいはい」
一応チベスナなりに悪いとは思っているようなので、このあたりで詰るのはやめにしておこう、と思いつつ、俺はチベスナにタオルを全部持たせる。……いや、このタオル意外と重……くはないんだが、邪魔なんだよな。体勢が微妙になるから余計に疲れやすくなるし。
「しかしこっからどうするか。下山するにも元のルートに戻るにも、まず現在地が分からないとなぁ……」
言いながら、俺は地図を広げてみる。
一応、山の斜面ということは俺達が登り始めた一番西の山の中でも、ほかの山と隣接している箇所ということなのだと思う。しかし……。
「……ひ、ふ、み……三つも隣接してる山があるなぁ」
流石に、三つも山と隣接されてたら俺達の目の前にある山の斜面がどの山のものかは分からないな。
「とりあえずこの山を登ってみたらどうでしょう? 高いところから見渡せば流石に分かると思いますよ」
「お前はそれでいいかもしれんが」
俺がめっちゃ疲れるのでだめ。
「チベスナさんがチーターも持ってあげると思いますよ」
「俺がやなの!!」
あんな思いはそれこそ緊急回避が必要なときくらいしか御免蒙りたい。
それよりも、こっからなるべく時間的体力的にロスの少ない方法を選び取りたいものだ。せめて、方角がわかるものがあれば…………って、方位磁針があるじゃないか。
「あっぶね……最近方位磁針を使ってないからすっかり忘れてたぞ」
言いながら、俺はトートバッグから方位磁針を取り出す。
いやー我ながらぬるゲーすぎる気がしないでもないが、こういうアイテムであっさり苦難を乗り切るところにこそ文明力ってものがあるんだよな。ビバ・人類文明。先人たちの発明に感謝っと……。
「…………あれ?」
で、その救いの方位磁針はといえば。
「なんだかふわふわしてますね?」
…………思いっきり狂っていた。
「うがああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「わっ!? チーター!?」
そうだったそうだったそうだったそうだったそうだったああああ!! 山じゃん、ここ! 確か方位磁針って近くに磁石だの鉄だのが埋蔵されてたら普通に狂うんだった!! ジャパリパークで鉄の採掘とかやってるとは思えないから山に鉄が埋まっていたとしてもこれっぽっちもおかしくないわけで、山じゃ……方位磁針はあてにならない!?
く…………クソ!! 一番使いたいところで役立たずってどういう了見だおい! おい! しかも方位磁針の直し方とか分からないんだけど! どうやったら正しい方向を指してくれるんだこれ! 山から数十メートルとか離れれば大丈夫なのか!? チベスナを蹴り飛ばすか!?!?
「チーター! 目がぐるぐるし始めてると思いますよ!」
「はっ」
なんか錯乱しかけていた俺は、チベスナの呼びかけによって無事に(?)現実に戻ってくることができた。
「ところでいったい今どういう状況なんだと思いますよ?」
「……えーと、方位磁針が狂って方角が分からない」
「えっ……」
流石に、チベスナもこの状況のヤバさは分かったらしい。流石に表情が固まった。まぁこれまでも俺が何回も方位磁針と地図を引っ張り出して進むべき道を決めてるのを見てきてたしな。
「それは……大変なことだと思いますよ。どうすれば……叩けば直りますか?」
「お前その昭和的発想やめろよ!」
最終的な寿命を縮めてるだけだからな、ほんと。カメラが無事だったのは奇跡だから。
「方位磁針は山を下りてから具合を見るとして……とりあえず今は、方位磁針なしで方角を調べる方法が必要だな」
現在位置は分からないとはいえ、最初に登った山にいることは確実なんだし、方角さえ分かればあとはそっちの方向に行けばいいだけだ。そう考えれば問題もシンプルになるだろう。要するに、方角を調べる方法を見つければいいだけなのだ。
「……まぁ、それが大変なんだけども……」
「うーん、チベスナさんでは思いつきませんね」
「ああ、それは分かってる」
最初からそこは頼りにしてないから。チベスナは基本俺のアシストだからな。こういうときにアイデアをひねり出すのは、俺の役目だ。
とはいえ、俺もそんなにアウトドア知識があるわけじゃないからなぁ……。野外で方位磁針がダメになったときに方角を調べる方法とか、なんともかんとも……。星を見るとか? いやいや夜になっちゃうだろ。日が沈まないうちに下山したいんだよ俺は。
……日?
「そうだ! 太陽!」
「ひゃっ、びっくりしたと思いますよ」
太陽は東から昇って南を通って西に沈む。つまり、どの位置であっても方角を調べる為の道筋にはなるのだ。
えーと、影の方向は……。
「……こっちが北側か」
正確な時刻も分からないので影だけでははっきりとしたことは言えないが、地図や周りの風景と照らし合わせてみる限り――どうやら俺達はぐるーっと回り込みすぎていたらしい。山の東側に行きたかったのに、気付けば北西くらいまで回り込んでしまっていた。
とすると……。
「チベスナの古巣がある高原は、こっちだな」
「おお、流石はチーター。頼りになるかんとくだと思いますよ」
「チベスナも頑張ろうね……」
今回完全にお前がトチったのが原因だからな。まぁ何度も休憩に付き合わせてるので全体的なタイムロス度合ではどっこいどっこいだと思うが。
「ともかく。方角さえ分かればこっちのもんだ。さっさと行こう」
「抱えますか?」
「やめろぉ!」
今度はちゃんと歩いて行こう。そっちのが色々と安全だ。
ちなみに全然安全ではなかった。
山の斜面とかを普通に通っていたチベスナだったので、当然ながら俺が歩く道も山の斜面だったわけで。悪路が得意なチベスナはともかく、そんなことは全然ない俺としては歩くだけでも一苦労なのだった。
お陰でなんとか歩ききった頃には太陽は真南へ、そして俺の身体はズタボロになっていた。何回転んだかもう覚えてない。
「ぜぇ、ぜぇ」
「チーター、大丈夫だと思いますよ?」
「ああ、なんとかな……。それよりチベスナ、お前の古巣がある高原ってのはここで間違いないのか?」
「ええ――」
チベスナは頷きながら、周囲を見渡す。
綺麗なところだった。
広い原っぱには草花が生い茂り、いつかの噴火のサンドスターがまだ残っているのかところどころキラキラと輝いている。
山の隙間から吹く風が激しい運動で火照った頬を撫でるのが気持ちよくて、俺は思わず目を細めた。
「ここも少し変わったと思いますよ! 前より花の種類が増えてますし」
「そうなのか」
気持ちはしゃいで俺の目の前を飛び跳ねるチベスナは、いつもよりのびのびとしているように感じた。……ここがチベスナの故郷か……。
「で、巣はどこにあるんだ?」
「こっち、こっちだと思いますよ。このこーげんの端の方です」
そう言って、チベスナは俺を先導し始める。すっかりガイド気分って感じだなあと微笑ましく思いながら、俺もそれについて行った。
遠目に見た感じでは、山の斜面から転がり落ちてきた岩の塊という感じだ。多分その隙間をうまく整えて、住めるような形にしたのだろう。
まぁ、あの大きさではフレンズ化した後は住めなかったんだろうが……。
「そういえば、この身体になったあとってどうしてたんだ? すぐ違う巣を探しに行ったのか?」
「いえ、しばらくここにいたと思いますよ。同じような巣を作ろうとして岩を持って来たりしてましたね。ほら、そのへんにいっぱい転がってるでしょう?」
言われてあたりを見渡してみると、確かに十数カ所ほど岩が転がっている。自然に転がったと思っていたが、チベスナがやってたのか。
「でも、上手くいかないので……巣作りって大変だから他の人が作ったのを使わせてもらおうと思ったと思いますよ」
「そこは変わらないのな」
ぶれねぇなぁ……と思っていると。
俺の嗅覚が、ある事実を発見した。
俺だけじゃない……この様子だと、多分チベスナも気づいたな。
「これ……」
「はい、間違いないみたいだと思いますよ」
俺達の進行方向――即ちチベスナの古巣から、風に乗って匂いがしてきたのだ。
セルリアン、じゃあない。これは、けものの匂いだ。フレンズではない、普通のけものの匂い。それが意味することは、即ち。
「どうやらチベスナさんの古巣は、もう使用中みたいですね」
あっさりと、チベスナはそう言った。もう、未練はないみたいだった。
……なんか、昔住んでたアパートの部屋に別の誰かが住んでいた、みたいな物悲しさを感じるが……。
「チベスナ、いいのか?」
「何がですか? チベスナさんの縄張りはもうじゃぱりしあたーですし、他の動物が使っているならわざわざお邪魔する理由はないと思いますよ」
そう言って、チベスナは早くも踵を返そうとする。無理しているのかと思って様子を窺ってみたが……本当に気にしてないらしい。
そういうものなんだろうか……。自分の家だった場所がもう違う誰かのモノになっていれば、ちょっとくらい感傷的な気分になるモノだと思うが……こういうところのあっさりっぷりは、本当に凄いよなぁ。
「あ、そうですチーター。せっかくですしこの近くのお勧めスポットを案内してあげると思いますよ! さぁさぁ」
「あーはいはい、分かったから少しゆっくりめで頼む……」
……ま、こんだけ楽しそうにしてるんだ。感傷的になってる暇はないってことなのかね……。
フレンズでも、ヘラジカ組みたいに場所(の思い出)を重視するフレンズもいます。
ただ、チベスナにはそれより重視するものがある……ということなのかもしれませんね。