四六話:飢渇した大河
アルパカと別れたあとは、とくに問題もなくジャングル地方へと足を踏み入れることができた。
高山地帯とジャングル地方の境と思しきゲートを超えると、一気に周囲の気温がむしむしとしだす。……湖畔の近くから砂漠地方へ移動したときも思ったが、この急な環境の変化はいまだに慣れないな。ヒトだった頃ならとっくに寒暖差で風邪ひいてたところだ。
「さてと、無事ジャングル地方に着いたことだし……とりあえずどっか作業できる場所を見繕うか」
あたりを見渡しつつ、俺はチベスナに方針を伝える意味も込めてそう呟く。
周辺はジャングルらしく鬱蒼とした熱帯雨林という感じだが、一応このあたりはまだゲート近くなため、道がきちんと整備されている。ちょうどジャングルの素材で並木道を作りましたという感じの風情だ。
ただ、それでも道は一車線分くらいなので、作業しやすい場所というわけではない。さっき久しぶりに引っ張り出したビーバーの設計書によると、ソリを作るのに必要な木々はだいたい三本、失敗したときのことも考えて多めに見積もって一〇本らしいので、ビーバーの心配性を考慮に入れると、五本くらい原木を並べても問題ないスペースがあれば快適に作業ができるはずだ。
「でもどうやって探すと思いますよ? このへん木が多くてどこを歩けばいいのかさっぱりだと思いますよ……」
と、俺の呟きにチベスナが途方に暮れた感じで反応する。
確かにチベスナの言う通り、俺達が歩いている車道っぽい場所を除けばあたりはだいたい木々に覆われているので、探そうにも森林を分け入らねばならない。当然ながらそうやって探すのはとても手間がかかるし、何より全体的な地形の把握ができないのでちょっと広い場所を探すだけでもだいぶ時間がかかるだろう。だが!
「ふふん。忘れたのかチベスナ。俺達には『あれ』があるだろう」
「あれ……ですか?」
もったいつけて言うと、チベスナは怪訝そうな表情を浮かべて首を傾げてみせる。そう、『あれ』だ。高山の間はちょっと使ってなかったが、これまで何度も旅を助けてきただろう。ほんの数日使ってなかっただけでもう忘れてしまったのか? 『あれ』の存在を。
「地図だよ、地図! これを見ながら広そうな場所を探せば迷ったりなんかしないぞ」
「チーター、ちずってほーいじしんが生きてないとダメなんですよね? 確かあれってめちゃくちゃになってたと思いますよ?」
あ゛っ。
「せ、セーフ……! た、多分だがセーフ! さっき来た高山が地図上での現在地点から北東方向だから…………セーフ!!」
チベスナの思わぬ指摘に非常に焦った俺は、必死に地図と方位磁針を見比べてようやくそう結論した。
高山で方位磁針が狂ってて使い物にならなくなってたの、すっかり忘れてたから焦ったが……どうやら高山から離れたことで、方位磁針の狂いも直っていたらしい。
クッソ……チベスナめ、めちゃくちゃビビらせおって。いやまぁもしも方位磁針が狂ってたらそれはそれでヤベェことになってたので、早めに指摘してくれて助かったのだが。
「そうですか。それは安心だと思いますよ」
「ありがとな、チベスナ。俺方位磁針が狂ってたことすっかり忘れてたわ」
「まったく。チーターはうっかりだと思いますよ」
そう言ってチベスナはそこはかとなく胸を張る。
……くっ。これ以上ないほどに調子に乗ってるが、実際俺がうっかりしていたのは事実なので何も言い返せん。
しかしいったい、あの方位磁針の狂いはいったいなんだったんだろうな? 高山に埋蔵されていた鉄のせいだとは思うんだが、一時的な狂いで本当によかった。
「で、えーと具体的な場所だが……へぇー、このへんロータリーになってんだ」
「チーター」
「道路……つまりここみたいな舗装された道が丸くなってるってこと」
地図を見ながら呟いていたら、チベスナも気になったらしく一緒になって地図を見ながら歩くことに。
今言った通り、ジャングル地方は中心部分を丸い道路が通っていて、そこから何本かの道路が伸びているのが見て取れた。いくつかバス停らしきものもあるので、多分この地方はアトラクションよりも動物の生態を間近で見るサファリ的な売り出し方をしていたのだろう。ちなみに、今俺達がいる高山地帯へ続く道もロータリーに続いていたりする。
今まで行った地方にも道路は(地図上には)あるにはあったのだが、ここまで網羅的に道路が張り巡らされてる地方はなかった。さすがにジャングルなだけはある。ヒトだった頃になんかで見たが、地球上の生物の殆どはジャングルにいるらしいからな。そのほとんどが虫らしいが。
あ、でも一応それっぽい施設もあるみたいだな。これは……水道局みたいな? なるほど、水路も通ってるんだなぁ。意外と管理されてるんだな、ジャパリパーク。
「地図を見る限りだと……ここだな。この施設のあたりはけっこう開けた土地があるっぽい」
で、俺はその水道局と思しき施設を指さす。施設の位置はロータリーを円周にした円の中心近くだ。多分、ここからジャングル地方全体に水を送り込んでいるのだろう。
「じゃあ、そこに出発ですか?」
「ああ。ただ、ロータリーの内側は道がないからなぁ……」
こうも木がいっぱいあると、方位磁針と地図を使ってても真っ直ぐ進めないせいで道に迷うリスクはあるからな。今の俺なら多分木登りもできるから方角確認も容易とはいえ、できることならこまめに方角確認しなくちゃいけない方法よりも一発ですっと目的地まで辿り着ける方法を選びたい。
「じゃあ、どうすればいいと思いますよ?」
俺の呟きに、チベスナは眉根を寄せて首を傾げる。ま、そうなるよな。だが、ここまで提示された情報の中に既に答えは用意されているのだ。
円形に展開された道路。その中心近くにある水道局。そこからジャングル地方中に張り巡らされた水路。
……つまり、水道局から伸びる水路は必ずロータリーと交差し、そしてその水路をたどっていけば水道局に辿り着ける、ということになる。
とはいえそんな理屈をチベスナに説明しても多分ぴんと来ないと思うので、俺は結論だけを簡潔に告げてやることにする。
「とりあえず目印になる川の方まで、ロータリー沿いに歩いていくぞ」
「流石ジャングルだけあって、鬱蒼としてるなぁ……」
そういうわけで、ロータリーへと向かう道すがら。
熱帯雨林の並木道を歩きながら、俺はあたりを見渡して呟く。周囲からはとにかくさまざまな『音』。
木々が擦れる音、獣の足音、遠くからの雄叫び、虫たちの羽音、そして野生の息遣い……。フレンズの聴覚はそれらを鋭敏に感じ取り、俺にジャングルというこの『大自然』の存在感を伝えてくるのだ。
「そうですね。いろんなけものがいっぱいだと思いますよ。これは、色んなフレンズと会うのでは? チベスナさん、そろそろ『えきすとら』というのにチャレンジしてみたいと思いますよ」
「お前そういう映画知識ってどこから収集してるんだ? 文字読めないのに……」
ともあれ、エキストラか。
「エキストラなぁ、どんな話にするか次第、だな。今までは高校生くらいが作ったのかと思うほど自主制作感バリバリなスケールの小ささだったからなあ。俺も脚本のスケール感を練り直さないといけないし」
「おおっ、意外と乗り気。チーターはやっぱり心強いかんとくだと思いますよ」
「………………監督じゃないからな?」
まぁまぁまぁ……やるからには本気でってだけだからね? 中途半端はダメだってだけだから。うん。
「しかし、木もこっから見るだけでかなりしっかりしたのが揃ってるな。スカスカだったらどうしようかと思ってたが、そんなの心配するだけ無駄だったらしい」
話を逸らす意味も込めて、俺は歩きながらそこらにあった木を適当にコンと叩く。スカスカだったら軽い音が聞こえてくるのだが、叩いた俺の手にも伝わってくるくらいの圧倒的質量の音。これは、だいぶみっちりした木らしい。
こんなのがそこらへんに生えまくっているんだから凄いよな。サンドスターは木の生育を助ける作用とかもあるのかもしれない。
というか考えてみればジャパリパークって人工島? みたいな感じだったはずだし(少なくとも動物とかその為の環境は人間によって整備されてたはず)、それで色んな植物が無理なく成長できてるんだからもしかしなくてもサンドスターのお蔭に決まってるよな。サンドスターってすげー。
「木がスカスカだと何か悪いんですか?」
「そりゃそうよ。木がスカスカだと、作ったソリも脆くなるからな」
首を傾げるチベスナに、俺は肩を竦めて答える。そもそも旅に使うものだから、頑丈なのは必須条件だしな。脆いものなど使ってたら、いくら消耗品とはいえ消耗が早すぎる。
「確かに脆いとすぐ壊れちゃうと思いますよ。やっぱり頑丈なのは大事ですね」
「そういうこと」
言いながら、俺はちょっとした小川をジャンプで飛び越える。
まぁ、チベスナの言い方だと非常に簡単そうに聞こえるが……これが結構難しいんだよなぁ。まずもって、俺じゃあ頑丈なつくりのソリなんて設計できない。こればっかりは早い段階でビーバーに設計図を書いてもらっててよかった。これのお蔭でだいぶ楽ができる。
「わっとと……タオル邪魔だと思いますよ」
言いながら、チベスナはジャンプの拍子に崩れかけたタオルを改めて抱えなおす。
「もうちょい頑張れ。ソリができたらだいぶ楽になるからな」
「はーい」
ロータリーまであともうすぐだと思うんだが……なんか、何度か川にぶつかるなぁ。地図の通りならまだ川とはぶつからないはずなんだけども。
「お」
と。
そんな風に内心首を傾げながら歩いていると、前方に何やら錆びたバスの時刻表……に見えるものが見えてきた。あれは……バス停!
ってことは、ようやくロータリーについたってことか。
「……ここまでなんだかんだ休憩せず来れたな」
「あ、ほんとだと思いますよ」
ぼそりと呟くと、チベスナもはっとしたように頷いてきた。
高山ではもう一時間歩けばヘトヘトといった感じの俺だったが、今日はのんびりペースだったとはいえ二時間くらい歩いても全然疲れてないぞ。
これはひょっとすると、高山の厳しい環境下での行軍が俺の体力を向上させた可能性が……? やはり手先の器用さ=ヒトとしての力の成長が、俺の持久力をも育てたのかもしれないな!
「しかし、けっこうありましたね、川」
と、そこでチベスナが何やら感慨深そうに呟いた。
…………そうなんだよなぁ、いっぱいあったんだよなぁ、川。
ここに来るまで何本か川にぶつかったりしたんだが、そもそも地図にはそんな川書いてないんだよな……小さいからと言われればそれまでなんだが、そういえばラッキーもパークのマップを内蔵しておきながら検索中やってたし、もしも水路が土で埋もれてたりしたら……どうしよう。
「うーん、心配だ……」
まぁ、その時は潔く諦めて木登りして方角を確認しつつ歩いていくしかないと思うが。
「チーター、何が心配なんです? あと今のちょっとビーバーみたいだったと思いますよ」
「んにゃ、ちょっと地図と違うところがあってな。まぁどう転んでも大丈夫なようにはしてるんだけど」
「じゃあ別に大丈夫だと思いますよ。今日は一度も休憩してないのでいいペースですし」
……確かに。
というか少なくとも迷子になることはないんだし、もうちょい気楽に構えても良いよな。どうも最適解に固執しすぎるのはよくない癖だ。
「とにかく、水路を探すかぁ。えーと、地図を見る限りこのあたりにあるはずなんだが、っと……」
地図を見ながら歩いていると、俺たちは一本の石造りの橋に出くわした。橋の下には何やら半分地下道みたいな感じの掘り下げられた道のようなものがあるが……中には何もない。
おかしいなあ、ここで水路とロータリーが交差しているんだけどな……。
「ここが目的地、になる」
「……で、この後どうするんだ思いますよ?」
「うう~ん……」
こんな道路も地図にはないなぁ。そもそも地図によればロータリーと交差してるのは水路だけだし。この地図もしかしてバージョン古いのか……、ん? 待てよ?
「何やってんだ俺。ロータリーと交差してるのは水路だけ、なら答えは一つだけじゃないか」
なんでこんな簡単なことに気付かなかったのやら。やっぱり人間、目で見たものにだけ固執していると本質が見えなくなるということなのだろうか。
「あ! チベスナさんも分かったと思いますよ。つまりここにあるのがすいろということですね」
「ご明察」
ふふふん、とそこはかとなく得意げなチベスナはさておき、つまりそういうことだ。
俺の推論は、半分は当たっていた。長い年月でジャパリパークの運営サイドが用意していた『川』は干上がり、代わりに自然にできた河川へと移り変わっていた。しかし一方で、作られた水路もまた、ここでこうして残っていたというわけだ。
そういえば、思い返せばジャングル地方ではラッキーに登録されていたマップが使い物にならないくらい地形……っつか川の変動があった気がする。ナントカ橋のくだりとか。……あ、アンイン橋か。
しかし、たとえ水路が干上がっていたとしても、埋没していないのであれば道しるべとしては使えるし、俺達のやることに変化はない。この水路をたどっていけば、水道局に辿り着けることに変わりはないんだからな。
「この干上がった水路に沿って行けば目的地にたどり着けるってわけだ」
「おお! なんだかんだで何とかなったと思いますよ」
「ほんとな」
結局俺が勝手に心配してただけで、ぶっちゃけここまで何も考えずに道なりに歩いてても普通に此処まで辿り着けてただろうしな……。考え損とまでは言わないが、色々考えすぎるのも考え物だなって感じだ。
「さて、じゃあこの道を歩いていくか」
言いながら、俺は干上がった水路の底へと飛び降りる。
川底(水路底?)には落ち葉がたまっていて、着地したときの感触はもふっとした柔らかないものだった。ついでに、どこか腐葉土のような匂いが香ってくる。
水路の高さは大体俺の身長より数十センチ高いくらい。俺のジャンプ力なら普通に跳び越えられる程度だが、それでも二メートル近くの深さはサイズ感としてはやっぱり圧倒されるなぁ。
「おー、なんか不思議な感じだと思いますよ」
続いて飛び降りてきたチベスナも、飛び降りるなりあたりをきょろきょろしながら一言。干上がった川の底って、なんか変な感じだよな。前にテレビで見た水を抜いたダムの映像も、なんか不思議な感じだったし。
「昔は、ここがいっぱいになるくらい水が流れてたらしいな。今は見る影もないが……」
「ええ? ちょっと想像できないと思いますよ」
「こうして水路の底に立ってるとそうかもな」
川って大体上から見下ろすものだから、こうやって底から見ることは殆どないしな。そういう意味でも、この視点から見るジャングルの景色っていうのも新鮮でいいかもしれない。魚の視点、みたいな。
「お、そうだ。ちょっとカメラ回しておくか」
せっかくの変わったロケーションだしな。
そんなことを考えてカメラを回しつつ、俺とチベスナは水路の底を歩き始めた。
方位磁針は狂ったらなんか色々やって直さないといけないそうなのですが、今回は運よく勝手に直りました。何ででしょうね。