「おおー、海かー!」
アミメキリンと別れ、例のオレンジホテルを後にした俺達は──初めて見る光景と出くわしていた。といっても、勿体ぶるまでもなく既に答えは出てしまっているが。
「うみ!? これがですか? っていうかこれなんですか? めっちゃ広いと思いますよ!?」
「あれ、チベスナ知らないのか」
まぁ生で見たことはないと思うけど、映画とかで見たことあるんじゃないかと勝手に思ってた。よく考えたら、コイツ湖がどんなものかもピンときてなかったしな……。湖のイメージもできないのにさらに大きな『海』を知っているはずもないよな。
というわけで、オレンジホテルから歩くこと一時間ほど。俺達は海辺の街道を歩いていた。
このへんはバスが走る為の道らしく、平らに均された幅三メートルほどの土道があり、左手が山の斜面、右手が砂浜になっている。砂浜を三〇メートルほど歩けば海があり、寄せては引いての白波が立っている。
一応俺も海洋国家・日本でヒトとして生きてきた経験があるので海にはそれなりに馴染みもあるのだが、それでもなんというか……『新天地』感があるんだよな、海。ジャパリパークというロケーションとは結び付きづらいというか。多分アニメの印象が無意識に影響を与えてるとかだと思うんだけど。
「知らないと思いますよ」
「まー、見れば分かると思うが……」
で、案の定知らないチベスナに、俺は海を指差しながら説明をしてやる。
「そもそも、この星の七〇%は水に覆われていてな」
「チーター」
「…………」
うーん、この説明の筋ではダメか……。そもそもチベスナに地球が丸いと説明することすら既にめんどくさもとい大変だし……。あと、根本的に今の地球環境が俺の知ってる地球と同じかどうかすら定かじゃないからね……。下手したらジャパリパーク以外沈没とかもありえるし。
「基本的に、どこまでも広がる湖みたいなもんだよ」
「どこまでもですか!? どこまでも……どこまでも……」
あ、無限という概念に初めて接触したことで思考がホワイトアウトしてる。
「つまり、いくらでも水が飲み放題ということですか!」
「あっ馬鹿!」
言うが早いか、チベスナは俺の制止も聞かずに砂浜へ飛び出し、そしてソリを乗り捨てて波打ち際まで駆けていく。
オチが完璧に読めたが、止めるべきか否か……。
高速移動を使えば、俺の今いる土道から一歩でチベスナに追いついて真実を話すというのも可能なのだが…………。
うーん、めんどくさいし別にいっか。
「からーい!!」
というわけでスルーしていると、意気揚々と海辺に口をつけた馬鹿の悲鳴が海辺の空に響き渡った。
俺はそんなチベスナが残した足跡を悠々と辿りながら、
「海の水には塩が含まれてるから、普通の水と違って塩っ辛いんだよ」
「聞いてないと思いますよ!」
「聞く前に突っ走ったしな」
まぁめんどくさいから追わなかったというのもあるんだが。
「なんですかこれ……こんなもん意味ないじゃんと思いますよ……飲み水でもなんでもないと思いますよ……」
と言いつつ、トートバッグに手を突っ込んで水筒を取り出し、ぐびりと水を飲むチベスナ。水を飲んで水分補給するハメになるっていうのも奇妙だよな……気持ちわかるけど。
あと、あんまり飲みすぎると次の水場に着く前に水なくなるから気を付けような。
「にしてもここ……なんだかさばくちほーみたいな足場だと思いますよ?」
気を取り直してあたりを見渡したチベスナは、そんなことを呟いた。
「だなあ」
そんなチベスナの発見に、俺も頷く。
そういえば、言われてみれば砂浜と砂漠って場所は全然違うのに似たような地形だよな。なんでなんだろうか……。水が有り余っているのに水が殆どない地形と似てるって、なんか不思議だ。
うーん……。アレだろうか、チベスナみたいに、水が大量にあっても塩も大量にあるから草木が生えなくて、結果水がなくて草木が生えない砂漠と似たような感じになってる、とか?
いや、そういえば砂漠地方も砂ばかりじゃなくて岩地とかもあったしな……そこを考えると、砂浜にも岩地があるべきだ。
「んー…………」
「チーター、いきなり唸りだしてどうしたと思いますよ? なんか思い出したことでもありましたか? 忘れ物とか」
「いや、ちょっと文明的な疑問を……」
答えの出ない問題に突き当たった俺に首を傾げてきたチベスナに、そう答えておく。いや、本当に答えの出ない問題だった。こういうのは図書館やらで調べるものである。
「熱くないさばくだと思いますよー」
しかし、俺の悩みが忘れ物じゃないと知るや、チベスナはいつもの能天気モードで砂浜を堪能していた。もう少し俺の文明的な疑問に興味示してもいいんじゃない? ねぇ?
「まぁ、夏だと普通に砂浜でも熱いんだけどな……」
とか言いつつ、俺はトートバッグをそのへんに置いて波打ち際の砂を軽く掘る。
今気づいたけど、チーターのフレンズ標準装備のドレスグローブのお蔭で……砂を掘っても、爪に砂粒が入らない! これわりと革命的なんじゃないだろうか。
そんな細かな感動を覚えながら、俺は掘った砂を使って山を作ってみせる。するとやはりというか、ただ『熱くない砂漠』でゴロゴロするのに夢中だったチベスナが反応し、
「な……ち、チーター! 何を作ってるんです!? それは……」
「フッフッフッ……」
そんなチベスナに、俺は不敵な笑みを浮かべながら、
「砂山を作ってるんだよ」
と、普通に答える。
「すなやまですか……これのことですよね」
「おう。ここの真ん中を彫ってトンネルを作ったり、形を整えてへいげんの城みたいな形にしたりもできるぞ」
「なんと!?」
感激したのか、俺がしゃがみこんでいる場所の近くに早速チベスナもしゃがみこみ、砂遊びに興じ始める。しかし……、
「……あれ? でも砂がなかなか固まらないと思いますよ? チーターのはちゃんと固まってるのにチベスナさんのはぼろぼろ……ずるしてると思いますよ!」
「してねぇよ」
俺がずるしてるんじゃなくて、チベスナのやり方が間違ってんだよ。
「砂ってのは押し固めても水分がなきゃ固まらないんだよ。深く掘って湿った土を出すか、もしくは海の水と絡めて柔らかくするかだ」
「なるほど! さすがかんとくだと思いますよ」
「監督じゃないが」
やり方を学んだチベスナは、早速持ち味でもある穴掘りの技術を使って意気揚々と砂を掘る。そして掘る。さらに掘る。またもや掘……、
「いやどこまで掘るんだお前!?」
気づけば、チベスナは二メートルばかりも砂を掘っていた。堀りすぎっていうか、完全に穴の中に隠れてるんだが……。
「あれ? あんまり掘りやすい地面だったから、つい掘りすぎちゃったと思いますよ」
「馬鹿め……。っていうか、危ないからあんまり掘るなよ。ただでさえ柔い地面なんだから、下手に掘りすぎると不安定に……、」
と、俺が言いかけたちょうどその時だった。
ざざーん! とひときわ大きな波が押し寄せて、穴の中へと浸食してきたのだ。
当然中にいるチベスナからすれば、突如水が大量に入り込んできたのと同義なわけで。
「ぎゃわー!? ち、チーター! 中に水を入れるとは卑怯ってわぎゃー!? 周りも崩れてきたと思いますよ!? チーター! じょーだんじゃ済まないと思いますよ!」
「俺じゃねぇよ自然現象だ!」
「し、しかも周りがやわっこくて登ろうにも登れないと思いますよ……!」
…………墓穴を掘るというのは、こんな感じなんだろうかね。
「仕方ないな……ほらチベスナ、手ぇ掴め」
言いながら、俺は穴のふちに手をかけて踏ん張り、チベスナの方へ身を乗り出しながらもう片手を差し伸べる。チベスナはそんな俺の手を掴み、
──ここで俺は一つ、ミスを犯した。
そもそも、砂浜の地面とはちょっと力を入れるくらいに脆いものだ。まして穴の周辺はチベスナが無計画に掘ったせいで強度的にもかなり低下している。
そんな場所で、少女一人分の荷重が無造作にかけられれば、いったいどうなってしまうのか。
「うわっ!?」
「ぎゃわぎゃー!?」
……まぁ、言わなくても分かるだろう。
「今日はよく落ちる日だな……」
「そんなしみじみと言わないでほしいと思いますよ」
なんとかかんとか穴から脱出した俺とチベスナは、大穴を埋め立てて大人しく身の丈にあった砂遊びを再開していた。
再開していたといっても結構既に完成気味であり、波打ち際に建設された砂の城はチベスナ建設による防波堤によって空前の繁栄を見ていた。
要するに、立派な砂のお城が完成したということである。
「ふっふっふ……この砂のお城、チベスナうぉーるの力によって波も防げるので、永久にこの砂浜にくんりんしつづけると思いますよ」
「波で脆くなったチベスナウォールが倒れてきて崩れ去る未来が見えるな……」
っていうか、俺はいったいいい年こいて何をしていたんだろうか。
思わずチベスナと一緒に童心に返って砂遊びに興じてしまっていたが、なんかこう……いいのか、俺。
いや別に大人だからといって砂の城を作ってはいけないという法はないんだし、こうやって芸術点の高い砂の城を作るのもまた旅の醍醐味といえなくもないのかもしれないが、なんというか……我に返ると、恥ずかしさがあるな。うん。
「……じゃ、そろそろ行くか」
そんな恥ずかしさをごまかす意味も込めて、俺はのっそりと立ち上がり、膝に着いた砂をぽんぽんとはたく。
っていうか大穴に転がり込んだせいでけっこう砂っぽいな。さっさと水場で身体を洗いたい。
「えー? もうちょっと遊んでもいいと思いますよ」
が、チベスナの方はまだ遊び足りないらしく、難色を示してきた。まぁ、切り上げたいっていうのも俺が我に返ったからだしな……。でも、我に帰ったら帰ったらで、そろそろいい加減今夜の宿を探すために動かないと日が沈むのではっていう真っ当な危惧とかも出てきちゃったりしたわけなので、旅程的にももう動き出すのは確定なのである。
ただまぁ、
「だめ。写真撮って終わりにするぞ」
思い出くらいは、残そうか。
というわけで俺はトートバッグからカメラを取り出し、チベスナの方に向ける。ちょうど砂の城が一緒に映るような感じだ。
「せっかくだし、チーターも一緒に映るといいと思いますよ」
すると、チベスナは俺の手を引いて一緒に映るように促す。なるほど
カメラ側面のモニタをくるりとこちら側に向け(ハンディカムカメラなのでこういうこともできるのだ)、俺とチベスナ、それから砂の城が入るような構図にする。
「撮るぞ。はいチー」
「チーズと思いますよ!」
それ、最後『よ』の口になってるからな……。
ぱしゃり。
そんな小言を頭の中で呟きつつ、俺はシャッターを切る。
カメラの中では案の定な笑顔のチベスナに苦笑した俺の姿が映っている。肝心の砂の城はけっこう小さ目だが……ま、こんなもんでいいだろ。
カメラをトートバッグにしまった俺は、次なる宿を目指して歩き始める。
と、そこで。
「…………ん?」
「どうしたと思いますよ?」
「いや……あれは……」
本来はここまででアバンタイトルだったのですが、気が付けばこんなに長く……。