血塗られた戦車道   作:多治見国繁

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物語が動きます。
あの人が……帰ってくる?


第102話 釈放の裏側で

カエサルの症状は残念ながら麻子には治せない。薬を出しておけば治るというものではないからだ。とりあえず、カエサルには気がすむまでストレスを発散できる方法を考えてそれを実践すること、毎日麻子と話をしに来ること、この二つを指示してその日は帰らせた。そして、麻子はカエサルのことをみほに報告するためにみほの執務室へ向かった。執務室の扉を叩くと中から明るく可愛らしい応答の声が聞こえてきた。麻子がみほの執務室の木の扉を開けて入室するとその部屋の主であるみほは、椅子に腰掛けて書類や書籍の山に囲まれて仕事をしていた。麻子が部屋に入った後もみほはしばらくはこちらを見ることなく仕事を続けていた。報告書をパラパラ漫画のように素早くめくっては机の後ろに置きまた別の報告書を手にして同じようにパラパラめくって机に後ろに置くという一連の動きを繰り返している。あのようにパラパラめくるだけでみほは書かれている内容を全て把握しているのだろう。凄まじい仕事ぶりである。あっという間に机の後ろに目を通した書類の山ができあがった。そして、それらを全て読み終わるとまた違う書類を手にしてペンを走らせる。麻子はみほの仕事ぶりを目を見張りながら見ていた。部屋からはペンを動かす音と時計が時を刻む音しか聞こえない。その他の音は一切聞こえなかった。麻子は扉をそっと閉めてみほが声をかけるまで黙って扉のすぐそばに直立不動のまま立っていた。あまりの集中ぶりに近寄るのも憚られるくらいであり、少しでも動いたら殺されるのではないかと思うほどみほは集中していたからである。みほは本当に仕事熱心であった。この熱心さをもっと良い方向に使えば良いのにどこで間違ってしまったのか。本当に悔やまれることである。きっと西住みほという人間は正しい道を進みさえすればこの日本にとっても有用な人材になっていたはずである。麻子はそんな思いを巡らせていた。

 

「麻子さんどうしたの?そんなに遠くにいないでもっと近くにおいでよ。もう報告書ができたの?」

 

みほは、仕事に一区切りついたのか書くのを止めてペンを置くと顔を上げて麻子の方を見た。みほは麻子の顔を見て、いたずらっぽく笑った。みほは冗談のつもりで言っているらしかったがみほの冗談はわかりにくい。みほの言うことは全てが本気に聞こえてくるのだ。今まで、みほは側から見たら冗談だと思えるようなとんでもない計画を本当に現実で実現して来たのだからそう思われても仕方がない。だから今回も麻子はこれを本気に捉えた。いくらなんでもこんなに早くレポートが書き終わるわけないじゃないかとみほに対する反発を覚えながらため息をつきつつ首を横に振った。

 

「いや、違う。別の用件だ。問題が起きたのでその報告だ。」

 

麻子の言葉にみほは興味深げに身を乗り出しつつ腕を組みながら首をかしげる。

 

「ふうん。何が起きたの?」

 

「実は、カエサルさんがうつ状態に近い状態だ。アンツィオ高校に戦車道をやっていた親友がいたらしい。親友が亡くなっていたらどうしようかとかなり精神が参っている。」

 

みほは麻子の報告を聞いて珍しく悲しそうな顔をした。深くため息をつき、困ったような表情をして天井を仰ぐ。やはり、味方の兵士しかも戦車道の隊員たちに何かあるというのは大きな痛手のようである。

 

「なるほどね。わかった。麻子さん。保健衛生の担当官として責任を持って寄り添ってあげて。」

 

みほは麻子に対してしっかり対応をするように指示を出した。麻子はもちろんそのつもりである。カエサルのためならなんでもしてやるつもりだった。

 

「ああ、もちろんだ。できることなら私は彼女のためになんでもしてやるつもりだ。報告は以上だ。私は研究室に戻るぞ。」

 

麻子はみほの執務室から立ち去ろうと回れ右してみほの執務室から退室しようとした。すると、後ろからみほが麻子を呼び止めた。

 

「麻子さん待って。一つ聞いても良いかな?ちなみに、カエサルさんの友達の戦車道の隊員ってどんな人なの?」

 

「さあ、そこまでは知らない。ただ、ひなちゃんとか言っていたな。」

 

「そっか。ひなちゃんね。わかった。」

 

「もういいか?」

 

「うん。もういいよ。ありがとう。」

 

みほは麻子に退室の許可を与えると麻子の顔から視線を外し、机の引き出しから何やら資料を取り出していた。麻子はそれを横目に執務室の扉を開けて部屋から退出した。その時、みほは取り出した資料に目を落としていた。扉が閉まる瞬間、麻子の耳にみほの声が聞こえてきた。全てを聞き取ることはできなかったが一部分だけ聞こえていた。みほはくすくすと怪しく笑いながら何かを「使える」という4文字をはっきりと発言していた。正確に何に何を使うつもりなのかはわからないが今しがたみほに報告したことから推測するに、おそらくカエサルを何かに使う予定でいるのだろう。うつ状態にある人間を自らの野望のために使うなど言語道断だ。麻子はカエサルを絶対にみほの野望のためになど使わせないと決意した。それが保健衛生担当官として麻子が選択した道であった。それが、今麻子ができる唯一の償いであった。

 

次の日、麻子は朝から外の騒ぎで叩き起こされた。何事かと思っていると朝からけたたましく研究室の扉を叩く音が聞こえた。応答してみると梓が立っていた。

 

「冷泉先輩!何やってるんですか!早く着替えてください!今から緊急会議です!」

 

「ん……?梓か……私は眠いんだ……寝かせてくれ……」

 

麻子は目をこすって再び布団に入ろうとした。しかし、梓は麻子が布団に入る前に麻子の襟首を捕まえてそれを阻む。

 

「冷泉先輩ダメですよ。二度寝なんて許しませんからね。早く支度してください。」

 

梓は笑顔で麻子に迫る。その時の梓の顔は笑顔にもかかわらず恐ろしい顔だった。だがそんなことで目が覚めて動くほど麻子の寝ぼけ頭は弱くない。麻子の寝起きの頭は手強かった。頭がぼんやりしてしまって先ほどから言われている意味がよくわからない。特にこの日はそのような状態になっても仕方がない理由があった。実は昨日、麻子は昼寝をたっぷりしてしまったので結局ほとんど夜眠ることができなかったのだ。夜行性の動物は昼は眠って夜に起きる。それと同じように麻子も昼眠ってしまった分、夜眠れずに眠れるようになったのは結局朝方になってからだった。しかし、そんな事情を梓は知る由も無く麻子があまりにもぼんやりとしていることに対してしびれを切らしたのか麻子の寝間着を強制的に脱がせて制服を着せて顔を洗わせあれこれ世話をして麻子を会議室まで引っ張っていった。麻子は相変わらずぼんやりとした意識の中で梓に引きずられるように会議室まで連れていかれ椅子に座らされた。会議室にはすでに知涙単の川島以外のいつもの面々が集まっていた。だが今日はそれだけではなかった。入って来たときは気がつかなかったが部屋にはもう一人珍しい人物が参加していた。

 

「冷泉さん!後輩に連れられて寝ながら会議に参加なんていいご身分ね。」

 

懐かしい声が麻子の耳に届く。そど子だった。麻子とそど子はしばらく会っていない。開戦後はそれこそ一度も会っていなかった。

 

「そど子!」

 

眠気は一気にとはいかないもののある程度吹き飛んだ。麻子は嬉しくて思わず抱きついてしまった。普段、そど子に対して絶対にそんなことしない麻子の思わぬ行動にそど子はびっくりして困惑した表情を浮かべている。

 

「そど子って呼ばないで!私の名前は園みどり子!全く何回言わせるのよ……それで、いつまで抱きついてるつもり?早く離れなさいよ!」

 

そど子に言われて落ち着きを取り戻した麻子はいつもの調子に戻り、のそりとそど子から離れた。

 

「そど子は変わらないな。」

 

麻子はそど子が何も変わらず、ありのままのそど子のままであったことにホッとしていた。麻子はそど子から離れて椅子に腰掛けていると最後にみほが入ってきた。なぜか面白そうにニコニコ笑っている。かなり機嫌がいいのは誰の目から見ても明らかである。みほは椅子に腰掛けると皆を一瞥して口を開いた。

 

「みんな突然ごめんね。本当はもっと後に会議をやろうって思ってたんだけどちょっと緊急の話ができちゃって……優花里さんのことなんだけど実はね私、優花里さんを釈放しようと考えているの。」

 

みほの思いもよらぬ言葉に麻子は一気に目が覚めた。まさかこんなサプライズが待ち受けていようとは思いもしない。麻子は興奮を隠さずにはいられなかった。

 

「秋山さん、ついに釈放されるのか!でも一体どういう風の吹き回しなんだ?」

 

麻子の今まで見たことがないような興奮のしようにみほはくすくすと面白そうに笑うとその判断に至る背景を話し始めた。

 

「ふふふ。麻子さん落ち着いて。もちろん優花里さんをお咎めなしで無罪放免っていうわけにはいかない。優花里さんにはそれ相応の罰は受けてもらうよ。優花里さんは死刑に値する罪を犯したんだから。でもね、優花里さんを死刑にするのは正直勿体無いって思っていたの。優花里さんは優秀だから。でも、優花里さんの死刑という罰を肩代わりするのにふさわしい人物が向こう側からやってきたの。優花里さんにとっても苦痛な思いをする、まさに一石二鳥の人物がね。」

 

「どういうことだ?」

 

麻子は腕を組みながら訝しげな顔をしているとみほはパンと一つ手を鳴らしてそど子の方に顔を向けた。

 

「詳しくは園さんから。それじゃあ園さんよろしくお願いします。」

 

みほから指名されたそど子は立ち上がり一つ咳払いすると事の経緯を話し始める。

 

「私たち風紀委員は今、澤さんたち思想課の出向組と占領地域の治安維持そして、軍事境界線の警備を任務として行っているわ。私は主に軍事境界線の警備を担当しているんだけど、実は今朝方早朝5時頃向こう側、生徒会側の勢力圏からこちら側に軍事境界線を超えて侵犯してくる者がいたの。人数が男女二人だけだったし雰囲気からして兵士というわけでもなさそうだったから警告した上で退去を促してみたけど退去しないから仕方なくその者たちを軍事境界線侵犯の容疑で逮捕したの。そしたら、その人たちが実は秋山さんの両親だってことがわかって。それで即刻西住さんに報告して今に至るというわけね。」

 

そど子はまるで官僚が答弁するかのように淡々と述べた。麻子の頭の中には嫌な予感がよぎり、みほの顔をちらりと見てみると怪しげな笑みを浮かべていた。間違いない。麻子は今までの経験から全てを理解した。

 

「西住さん。何をするつもりだ?今度は何を企んでいる?」

 

麻子の問いにみほは満面の笑みでかつて梓が考えた優花里を最も苦しませるであろうアイデアを披露した。

 

「ふふふ。私が何をするつもりなのか、麻子さんならもうわかっているはずだよ。優花里さんのご両親が向こう側からやってきた。なら選択肢は1つしかないよね。」

 

「ああ。西住さんのやり方はもう知っている。この場合の西住さんなら絶対に処刑を選択するだろうな。」

 

「えへへへ。うん。麻子さん正解。でも、ただ処刑するだけじゃつまらないよね?」

 

「何が言いたい?」

 

「簡単なことだよ。ただ私たちが処刑するだけじゃいつも通りでつまらない。だから、今回はちょっと違う方法を取ってみようかなって思ってるんだ。もちろん、普通に処刑するだけでも優花里さんは苦しんでくれる。でも私ね、もっと優花里さんを甚振りたいの。私ね、今まで優花里さんをたくさん甚振ってきた。鞭打ちをしたり、裸にして辱めたり……その度に優花里さんは可愛い顔してくれる。でも、それだけじゃ満足できないんだ……もっと優花里さんの苦しむ顔が見たいの……そして、優花里さんを私だけの人形にしたいの……」

 

みほは恍惚とした表情を浮かべた。蕩けた笑顔で顔を紅潮させている。みほは自らの欲望のためにさらに優花里を甚振りたいなどとんでもないことを言う。一体今度はみほは何をするつもりなのだろうか。優花里を甚振るためにどんな残虐な手段を取るつもりなのだろうか。麻子の頭の中には今まで見てきた数々の虐殺や残虐行為の全ての光景が蘇る。麻子は震える掌を必死に抑えこんだ。

 

「秋山さんに何をする気だ?」

 

「聞きたい?いいよ。教えてあげる。私が優花里さんを釈放する条件はただ一つ。優花里さんの手で優花里さんのご両親を処分すること。」

 

そういう要求になるだろうということは今までのみほの姿を見てきている分想像に難くはなかった。だが、こんなことが許されていいわけがない。麻子は必死になって反対意見を唱えた。

 

「やはりな……西住さんらしい……だが私は絶対反対だ!西住さんは秋山さんの心を壊すつもりなのか?」

 

麻子はみほの説得を試みたがそれは逆効果であった。心を壊す。この言葉を聞いた途端、みほは先ほどにも増して恍惚として蕩けた笑顔を見せた。両頬に手を当てて紅潮した顔なのは先ほどと同じなのだが、先ほどに増して息まで荒くなっている気がする。まさに性的快感に似た快感を感じているようだ。

 

「ふふふ。いいよ。むしろ壊れてくれた方が私にとっては都合がいいかもしれない。優花里さんを操り人形にできるならそれは願っても無いことだよ。」

 

麻子はカードを失った。もはや、交渉の余地もない。こんなにも優花里を甚振ることに快感を感じているのならば、麻子にできることなど何一つない。あと、麻子にできることといえば感情を殺して命じられるまま粛々と任務を進めるだけである。いつもはそうだった。でも、今日は違う。今日はいつものメンバーの他にそど子がいる。きっと風紀バカのそど子なら、みほの蛮行に対して風紀が乱れると言って反対し自分の意見に味方してくれるはずだ。そう信じていた。麻子はそど子の正義感に期待してそど子を見つめる。だが、その期待はあっさりと裏切られた。そど子は動かなかったのだ。そど子は俯いて何も言わなかった。そど子にもみほを止めることなどできなかったのだ。みほはそど子を意のままに操るため予め風紀委員を解体していた。かつて風紀委員として学園艦警察組織のトップだったそど子はもはや何の権限も力もない少女に成り下がっていたのだ。みほはしたり顔をして笑っている。結局、今回は梓がかつてみほに具申した方法、優花里の両親の処刑を優花里の手で執行させる方法をとることで今回の緊急会議は閉会した。みほは嬉々として部屋から出て行った。梓と小梅も後に続く。部屋には麻子とそど子だけが残された。重苦しい空気だけが二人を包みこんでいた。しばらく音のない沈黙が続く。その沈黙を最初に破ったのは麻子だった。

 

「おい。そど子。本当にこれでいいのか?」

 

そど子は俯いたまま何も答えない。麻子は先ほどよりも低い声でそど子に迫る。

 

「そど子なら私に味方してくれると信じていたが、それは間違っていたようだな。まさか、おまえまで西住さんの味方に回るとは思わなかった。」

 

「私だってこんなことはしたくないわよ……誰が好き好んで……処刑なんて……でも、私にはこうするしかないの!あなたには私のことなんて何もわからないわよ!」

 

そど子は机に思いきり両手を叩きつけると涙流れる目を押さえながら部屋から飛び出して行ってしまった。

 

「おい!そど子!どこに行く?まて!そど子!」

 

麻子もそど子を追いかけて部屋を飛び出す。嫌な予感がした。確信はないが、放っておいたら後悔することになりそうな予感だ。とにかく今はそど子を捕まえるしかない。馬鹿なことを考えないといいが。そんなことを思いながら麻子は廊下をかけて行った。

 

#######

 

暗くジメジメとした独房。そこに一人の少女が収監されていた。秋山優花里だった。優花里はあの時アンチョビを解放し、大洗女子から逃がそうと企図した罪でこの特別室に収監された。特別室に収監されることは即ちその罪は死刑に値するものであるという証拠である。この部屋はみほが命令を下しさえすればすぐにでも毒ガスで処刑することが可能な部屋なのだ。優花里はここで自分の人生は終わるのだろうと思っていた。覚悟していたことであるとはいえ毎日が苦痛の日々だった。鞭打ちを毎日100回受け、さらに裸にされて辱めも受けた。毎日のようにみほから暴行されたのだ。ある時は身体的に、ある時は性的にそしてある時は精神的に拷問を受けた。毎日が拷問と暴行のフルコースである。涙はもはや枯れ果てていた。泣く気力さえ失っていたのだ。ボロボロであちこち皮膚が切れて血が滲む身体を放心状態で壁にもたれかかりながら呻いていた。コツコツと遠くから足音が聞こえてくる。悪魔の足音だ。その悪魔の正体は言うまでもなく西住みほである。みほの足音は特徴的だ。優花里を怖がらせるためにいつも必ず大きく足を鳴らして歩く。みほは優花里を怖がらせ精神的に追い詰めて楽しんでいたのだ。優花里が怯えたような声をあげると高笑いしながら近づいてくる。なんとも悪趣味な女だ。優花里はみほの足音が近づくたびに恐ろしくてガタガタと歯を鳴らす。ついに恐れていた日が来たのだろうか。足音が聞こえるたびに優花里はそんなことを思うのだ。毎日目を思い切り瞑って手をすり合わせながら神に祈る。私はまだ生きたい。死にたくない。生きさせてくださいと。足音は優花里の独房で止まり、鍵を開ける音が聞こえる。さあ、用件は何だろうか。暴行か、それとも刑の執行か。優花里は怯えた目で息を呑みながら扉が開くのを見守る。重たい鉄の扉が開き外に出るように促される。ついに来た。優花里は恐ろしくて尿を漏らし、足をばたつかせた。みほはその様子を面白そうに眺めていた。しかし、みほの口から出た言葉は意外なものだった。

 

「優花里さん。落ち着いて。大丈夫だよ。何もしないから。」

 

今更何を言うのだろうか。そんなの信じられるわけがない。優花里は今まで散々暴行を受けてきたにもかかわらず今更信じろと言うの虫のいい話だ。

 

「そんなの信じられるわけないじゃないですか……西住殿が今まで私に何をして来たのかお忘れではないですよね……?よかったらここで全て列挙しましょうか?西住殿は覚えてなくても私は全てを覚えていますよ?」

 

優花里は怯えた目で後ずさる。言ってしまった。言ってはいけないことを言ってしまった。みほがこちらに近づいてくる。みほの怒りを買ってしまった。殺される。もはやこれまでか。そう思った。しかし、優花里が考えた結末と現実は違ったものになった。みほは悲しそうで寂しそうな顔をして俯く。

 

「そっか……私って信用がないんだね。仕方ないよ……あんなことしちゃったもんね……優花里さん。ごめんなさい。怖がらせちゃって……でも、もう大丈夫だよ。私を信じて。本当に何もしないから。」

 

みほは反省しているように見えた。そして優しげな口調でまるで母親のように優花里の耳元で囁きながら頭を撫でた。こんなに優しくされたのはいつぶりだろうか。久しぶりに優しさを感じた優花里はつい心を許した。

 

「わかりました。西住殿を信じます。」

 

優花里はみほが反省しているのを見てもしかしたら信じられるかもしれないと考えて再びみほを信じるという選択をした。しかし、これこそみほの狙いだったのである。みほは優花里に甘い飴を舐めさせておいて一気に絶望の淵に叩き落とそうとしていたのだ。優花里はそうとも知らずにみほを信じてしまったのである。みほは優花里に気がつかれないように心の中で悪い笑顔でほくそ笑んでいた。

 

「ふふふ。ありがとう。信じてくれて。さあ優花里さん。外に出て。」

 

優花里はその後は素直にみほに従った。みほに促されて独房から出た優花里は独房とは違う部屋に通された。部屋の中には椅子が一つだけぽつんと置かれていてカーテンで向こう側とこちら側で仕切られている。そのカーテンの向こう側に広がる景色は何なのか少し気になっていたがみほに促されて優花里は席に着く。優花里が席に着くとみほは静かに話を始めた。

 

「優花里さん。優花里さんはここから出たい?」

 

「ここから出していただけるんですか!?」

 

優花里はみほの質問に一筋の光を見た。ようやくこの地獄から解放されるかもしれない。この光を掴み損ねたらもう二度と日の目を見ることはないかもしれない。優花里は必死に首を縦に振った。みほは優花里を抱きしめ背中を撫でながら優しく微笑みかける。

 

「そっか、わかった。いいよ。ここから出してあげるよ。」

 

しばらくの間、優花里の頭は機能が停止していた。夢ではないかとも思った。こんなこと起こるはずがない。優花里は漫然とした意識の中で頰に手を持って行き思い切り抓った。痛い。現実である。それを理解した瞬間、優花里は今まで感じたことのない喜びを味わっていた。本当に神様はいるんだと思っていた。自分はこれからも生きることができる。今まで死の淵にいた優花里にとってはこれ以上に嬉しいことはなかった。だが、みほはなぜいきなり死刑囚とほぼ同じ扱いをする重罪人である優花里を釈放する気になったのだろうか。実はぬか喜びをさせておいて絶望の淵へ叩き落とそうという魂胆なのではないだろうかと優花里は怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「本当に……本当ですか?本当に釈放していただけるんですか……?」

優花里の質問にみほは大きく頷く。優花里にはみほの言葉に嘘があるとは思えなかった。確かにみほはこの時点で嘘はついていなかった。

 

「うん。嘘じゃないよ。釈放してあげる。絶対に保証するよ。」

 

みほから釈放という話に嘘がないことの言質を取った優花里は今にも飛び上がりそうだった。優花里はそれだけ生に執着していたのだ。嬉しくて自然に涙が溢れてくる。みほは微笑みながら優花里が泣き止むまで見守っていた。いや、見守っているという表現は少し違うかもしれない。みほは優花里の様子をじっと伺っていたのだ。みほは優花里にどのタイミングで釈放する条件を告げようか最高のタイミングを見計らっていたのだ。みほは優花里が喜びの絶頂に達した時にどん底に叩き落としてやろうと企んでいた。そして、みほは優花里が泣き止み晴れやかで希望に満ち溢れた顔をした今この瞬間を狙っていたのだ。優花里が顔を上げた時、みほはくすりと笑った。ついに優花里を絶望のどん底に叩き落とす時が来たのだ。ようやくお待ちかねの優花里の可愛い顔を眺めることができる。

 

「優花里さん。実は優花里さんに会って欲しい人がいるんだぁ。しっかり目を開けて見ててね。ふふふふふふ……」

 

みほは恍惚とした表情を浮かべながら足早に優花里の椅子の前に広がるカーテンの前に立ってそのカーテンをゆっくりと開いた。優花里の前に信じられない光景が飛び込んできた。目の前に広がる認めたくない現実を見て優花里は断末魔のような叫び声をあげた。その叫び声はみほを喜ばせた。みほにとっては最高の音楽だったようだ。みほの身体にぞくぞくとした快感が電気のように走る。頰を紅潮させ両頬に手を当てて蕩けた笑みを浮かべていた。喜びの絶頂にいる人間を一気に地獄の底、絶望にまで叩き落とすことが一番楽しくて心踊るのだという残酷で真っ黒な心が具現化したかのような笑みだった。優花里の目の前に広がっていた光景。それは狂気そのものだった。そして、優花里が生きている間は絶対に見たくない光景だった。優花里の目の前、カーテンの向こう側にあったのは昔の時代劇か何かで罪人が処刑されるような形で十字型の磔台に十字の横の棒に手、縦の棒に脚を縛られた優花里の両親、父の秋山淳五郎と母の秋山好子の姿だった。

 

つづく




来週の更新は所用でお休みします。
次回の更新は4/15 21:00の予定です
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