なるほど。そういうことだったのか。何かがおかしいと思っていた。みほが優花里のことを手放しの無条件で釈放するとは思えなかったが、まさかこんなカードを手にしていたとは思っていなかった。これで優花里にとって釈放の条件が悪くなることは明らかになった。それと同時にみほは優花里を自由自在に扱えるということも意味している。事態はまさに最悪の様相を呈していた。優花里はみほを睨みつける。まさか、私の両親も西住殿は誘拐してきたというのか?
「西住殿……これは一体どういうことですか?なぜ、西住殿が私の両親を……?」
「ふふふ……そんなに怖い顔しないで。この人たちは私が連れてきた訳じゃないんだよ。向こう側から自らの意思でやってきたの。それを軍事境界線を侵犯した容疑で捕まえてみたら優花里さんのご両親だった。それだけの話だよ。」
みほは悪びれる様子もなくそう言い放つと優花里が座っている椅子のそばにしゃがんで優花里の顔を覗き込みながら彼女の頰を手の甲でねちっこく撫でた。ピクリと小さく身体が震える。それはみほが次に何を要求してくるのかという恐怖と自分の大切な人をこんな目に合わせたことに対しての怒りが混ざったぐちゃぐちゃの感情が表象した証だった。正直、今すぐにでもみほを突き飛ばして頰を引っ叩いてやりたかったが、優花里にそんな勇気はなかった。そんなことをしたら今度は優花里が磔台にかけられることになるだろう。せっかく救われるかもしれない命をここで失うことなど優花里にはできない。優花里は覗き込むみほから視線を逸らす。
「そんなはずは……私の家は軍事境界線から向こう側にあるはずです。なのに……なぜ……?まさか、私のせいで生徒会側で迫害を……?でも、そんなこと会長殿がするはずがないです……」
優花里にはなぜ両親が危険を冒してまでこちら側にやってきたのかさっぱりわからなかった。生徒会側にいれば安全だし、あの生徒会長のことだから敵の両親ということを理由に追放されることもないだろう。例え、他の避難者たちが差別してきても生徒会の責任で保護してくれるはずだ。それなのになぜわざわざ自ら地獄にやってきたのだろうか。優花里は二つの磔台にいる両親に恐る恐る目をやる。よく見ると二人は白い目隠しをされてヘッドホンのようなものをつけさせられている。どうやらまだ、優花里が目の前にいることはわかっていない様子である。優花里はまだ、久しぶりに両親と向き合う心構えができていない。とりあえず、未だに自分が目の前に存在していることを両親に知られていないことにホッとしつつも次にみほが口にする言葉に怯えていた。みほは怯える優花里を小馬鹿にしたように笑う。
「ふふっ、怯えてる優花里さん可愛いなあ……さて優花里さん。優花里さんは、釈放して欲しいんだよね?でもね、流石に無条件で釈放っていうわけにはいかないの。優花里さんは私に反逆したからね。だから優花里さんにはある一定の条件を満たしたら釈放します。」
来た。やはり条件付きである。一体みほは何を要求するつもりであろうか。優花里は慈悲のある条件であることを願わずにはいられなかった。優花里の願いはただ一つ。両親と幸せに暮らしたいだけだ。どうか両親と自分を生きて返してほしい。どうか寛大なるお慈悲を。みほと神それは悪と善、両極にある存在である。この二つの存在に優花里は願っていた。
「どんな条件ですか……?」
「釈放の条件は二つ、一つ目優花里さんの身代わりにご両親を処刑すること。二つ目、準備から処刑執行までのプロセスを全て優花里さんが責任者として行うこと。」
みほは躊躇うことなくはっきりとした口調でそう言った。容赦も慈悲も一切なかった。優花里は頭を何か硬いもので殴られたような感覚が走り、床に倒れ込む。その後、優花里は何かしらの言葉をみほに向かって言ったような気がするが覚えていない。それを含めたしばらくの記憶は欠落してしまっている。どうやらその間残酷な現実を受け入れられずに気絶してしまっていたらしいのだ。ただ、その時感じた言いようのない恐怖と烈火のごとく燃え上がる怒りは記憶は無くとも覚えていた。
優花里は夢を見ていた。これは夢だとはっきりわかった。それは幼かった日の夢である。公園で一緒に遊びに行った後に母親の膝の上で昼寝をした夢だ。懐かしい幸せな日々だ。優花里の母親、好子は優花里の顔を見て微笑んで頭や頬を撫でてくれた。優花里も好子に微笑む。とても優しい愛を感じた美しい日々。優花里はしばらく優しい夢の世界で遊んでいた。現実には戻りたくない。だが、人間の身体はそれを許してはくれない。脳が損傷を受けているわけではないから十分休養したと自らの身体に判断されればいつかは目は覚めてしまう。優花里の身体もまた例外ではないのだ。大抵夢というものは楽しい時に目が覚めてしまうものだ。今回もまた、楽しい時に目が覚めてしまった。目を開けた瞬間、優花里は驚いて思わず声を上げてしまった。目を開けた瞬間みほの顔が大きく目の前にあったからだ。視界にはみほの顔しか見えていない。みほと優花里の顔が触れてしまいそうなくらい近くでみほは優花里の顔を覗き込んでいた。優花里は飛び起きて無意識に手を顔の近くに持っていく。母の膝だと思っていたものはみほの膝であった。不覚である。似ても似つかぬどころか自分の母を傷つけた者をあろうことか母として夢に見てしまうとは。優花里は自分に腹が立っていた。項垂れながら拳を強く握る。みほは立ち上がり優花里を見下ろしクスクスと小馬鹿にしたように笑いながら優花里の表情を眺めている。何がおかしい。何を笑っている。私の大好きなかけがえのない人を傷つけて。優花里はみほを鋭く睨む。
「ふふふ。おはよう。優花里さん。随分長い間気を失っていたね。気分はどうかな?」
「良いように見えますか……?」
優花里は恨めしそうにみほの顔を見た。みほは優花里を見下ろしながら真っ黒な笑顔を見せて手を伸ばすと優花里の柔らかい頰をねちっこく手の甲で撫でる。
「そうだよね。良いわけないよね。ご両親を処刑するか優花里さんが処刑されるかの瀬戸際だもんね。ふふふふふ。」
優花里は恐ろしくて視線を逸らしながら思い切り瞼をぎゅっと瞑って耐えていた。みほの手が身体中を走る。粘着するような手つきだ。まるで変質者に身体をまさぐられるような最悪な気分である。
「に……西住殿……やめてください……そんなのところ触らないでください……」
みほの悪意と下心満載の手つきに思わず声が漏れる。しかし、優花里の弱々しい声を聞いてますます悪い笑顔で優花里の身体をおもちゃにして弄ぶのだ。ほぼ平面であると言える麻子の小さな身体を愛撫するのも楽しいが優花里の柔らかくて意外に豊満な身体を愛撫することもみほにとっては楽しいことであった。みほの手が優花里の服の中に侵入して意外と大きな優花里の胸をまさぐる。なぜ、みほがそこまで少女の身体に執着するのかはその時優花里にはわからなかったが、後にみほに直接尋ねると素直に答えてくれた。彼女曰く、少女の身体に触れた時の反応や怖がったり嫌がったり恥ずかしがったりする姿にぞくぞくとした何とも言いようのない快感が走り、自分が少女を支配しているという事実に愉悦を感じてやめられないという回答を得た。つまりは今までの優花里を始め多くの者があえて積極的にしてきた反応は全て逆効果だったというわけである。その反応はみほを愉悦に浸らせるだけだったのだ。この事実を優花里が知るのはまだ先のことである。さて、みほにおもちゃにされて弄ばれた優花里は顔を赤面させて屈辱に耐えていた。やがて、みほは優花里を弄ぶことに飽きたのか、優花里の身体を触ることをやめると優花里から離れて立ち上がり優花里を見下ろしながら冷たい声で言った。
「優花里さん。1日あげる。今日、1日どうするかよく考えて。今が11時なので明日の11時にどうするか聞きに来ます。それまでに答えを出してください。」
1日……そんなに短い時間でこんなに重大な決断をしろなど無理な話だ。西住みほは愛する者を奪われる気持ちを考えたことがあるのだろうか。
「西住殿…西住殿は愛する家族が奪われる気持ちを考えたことがありますか?お願いですから考え直してください……」
だが、その優花里の訴えは今まで家族にさえ非道な扱いを受けてきたみほには決して響かない言葉である。それどころか何よりもみほが嗜虐の黒い心がくすぐられる言葉であり、壊してしまいたいという破壊衝動にかられる言葉だった。家族という存在がみほにとって恨みの対象であることを優花里は知らなかった。このことは優花里以外の反乱軍幹部を全員知っていることであったがみほがかつて家族から受けたおそるべき仕打ちの話をした時、優花里は既に牢獄に放り込まれていたのでみほが家族というものに対して心を闇に染め上げてしまうほどの憎しみを持っていることなど知らなかった。そんな人間に愛する家族を奪われる気持ちを考えろなどと訴えてもみほがその気持ちを理解するなど土台無理な話だ。みほは優花里から家族を奪われる気持ちを考えろと言われた時、一瞬だけ明らかに表情に変化があった。一瞬だけ表情という表情全てが抜け落ちたのだ。優花里はそれに敏感に気がついたが、結局何を意味しているのかはわからなかった。みほはすぐにいつもの調子に戻ったからである。だが、何かが違っているのは明らかである。みほは瞳の奥を悪意に染め上げながら冷たく言い放った。
「ふふふふ。ダメだよ。優花里さんには選択肢は二つしかない。むしろ選ばせてあげるだけマシだと思うよ。」
取りつく島もない。だが、ここで「はい、わかりました。そうですか。」と引き下がるわけにはいかない。優花里はなんとしてでもみほの口から「全てを許す」という言葉を勝ち取らなくてはならない。例えそれがほぼ絶望的な望みであっても少しでも可能性があるのなら勝ち取る努力をしなくてはならない。優花里はみほの脚にすがりついた。
「お願いです……お願いですから助けてください……」
みほは脚にすがりついてオイオイと泣きわめく鬱陶しいそれを、冷たい目で眺めていた。笑顔を作ることなく全くの無表情。まるで興味がないとでも言うかのような顔をしている。
「お願い……お願いです……西住殿……」
優花里はみほの脚から顔を離してみほの顔を見上げる。みほとちょうど視線が結ばれた時だった。みほはクスリと笑うと思い切り優花里のみぞおちのあたりを靴の裏で蹴った。内臓が破裂したのではないかと思うほどの痛みが優花里の腹部に走った。
「うぐっ!?」
声にならない声が漏れる。優花里は痛みで背中を丸めてみぞおちのあたりを押さえた。横目でみほを見るとみほは優花里の頭に足を置きつま先で床に踏みつける。
「優花里さん。さっきからうるさいですよ。ちょっと黙っててもらえませんか?」
みほはピクピクと陸に上がったエビのように悶える優花里を鼻で笑いながら眺めて地を這うような低い声で言った。
「どう………か……お願い……しま……」
そこまで言いかけるとまたしてもみほの蹴りがみぞおちに炸裂した。それとほぼ同時に冷たい金属のようなものが優花里の頭に突きつけられた。痛みに悶えながらそちらを見るとみほがピストルの銃口が優花里の頭に突きつけられていた。
「まだ言うの?黙れって言ってるんだよ?聞こえないのかな?次言ったら優花里さんもご両親も皆殺しだよ。もっとも苦しい方法でね……それが嫌なら黙って言うことを聞いて?わかった?」
頷くしかなかった。皆殺しにされては元も子もない。みほは満足そうに笑うと優花里の頭をピストルの銃身で軽くポンポンと叩く。バカにされているようで最高に悔しい。唇を噛んで俯く。みほは手に持った銃を優花里の顎に当てるとそのままグイッと顎を上げさせて優花里と視線を合わせる。みほは再び鼻を鳴らして優花里を嘲笑う。
「ふふふふ。私の考えは変わりません。優花里さんにはご両親を処刑するか自らが処刑されるかその二択です。どんなに私に求めても無駄なことだよ。まあ、もっとも私に皆殺しにされて家族仲良くあの世に行きたいなら別だけどね。ふふふふ……あっははははは!」
「そんなの……あんまりですよ……」
みほの言葉に優花里はうなだれた。ああ、ここにナイフか拳銃があれば今すぐにでも西住みほという名の悪魔を殺して父と母と一緒にどこまでも逃げてやるのに。優花里は床に手を置いて拳を強く握りみほを睨んだ。するとみほは鈍感なのかわざとなのかこちらを見て朗らかに笑う。違う。私が求めているのはその反応じゃない。求めているものはたった2文字3音の言葉だ。「許す」その言葉が欲しい。それだけなのにその願いは届かない。 しばらくどうすればいいのかわからなくて呆然としているとみほは突然、優花里の手を取った。優花里はみほの次の動きを警戒した。この手は何を意味するのか優花里はみほの一挙手一投足に怯えていた。みほが少し動作をする度に身体を震わせたり手で顔を覆ってみたり、様々な反応をする。みほは動作をする度に様々な反応を見せる優花里を面白そうにくすくすと笑って眺めていた。このときの優花里の怯えた反応はみほの闇の嗜虐心をくすぐった。優花里が可愛くて仕方ない。もっと優花里をいじめたい。そう思ったのかみほは拳を振り上げて今にも優花里に殴りかかるようなポーズをとった。優花里は怯えて手で顔を守ろうとする。みほはその様子を蕩けた顔で見つめる。
「ふふふふ。優花里さん。そんなに怖がらないで。何もしないから……ね?さあ、行こう。独房に戻ろう?」
今更何を言うのだろうか。バカにするのも大概にしてもらいたいものである。今まで何度裏切ってきたのだろう。もはや数えるのも嫌になる。
「西住殿……私はもう西住殿を信じられませんよ……それに、私はまだ両親と話せていません。少しぐらい話す時間をくれてもいいんじゃないですか……?」
みほは腕を組みながら優花里の要求を受け入れるか否かを考える。しばらくするとみほはニコリと笑って言った。
「大丈夫だよ。もう何もしない。優花里さんがさっきみたいに余計なことを口走らなければね。でも、優花里さんのご両親とお話ししたいっていう話はちょっと無理かな。明日、優花里さんの考えを聞いてから処刑の直前に話させてあげるね。」
「そんな……」
「さあ、独房に行こう。」
みほは、がっくりと肩を落とす優花里の腕を引っ張り上げ独房に連れて行こうとした。優花里はもう少しここにいたくて体に力を入れて抵抗する。しかし、みほは優花里の体を簡単に持ち上げてしまった。嫌がる優花里を無理矢理立たせると優花里を再び独房に連れて行くために腕を引っ張って連れて行こうとする。
「もう少しここにいさせてください。」
優花里はみほに頼むがみほはその要求を拒否した。
「ダメです。これ以上抵抗すると……」
みほは懐に突っ込んである拳銃を優花里に見せる。優花里は小さな悲鳴をあげて抵抗することをやめて素直に従った。
「じゃあ、明日の朝11時に答えを聞きに来るからね。今日一日よく考えて。くれぐれも後悔しないでね。」
独房に到着するとそう言い残してみほは独房の前から去っていった。ようやくみほから解放された。優花里はため息を吐いて独房の中で体育座りのように脚を山のように立てて壁にもたれて座り込むと膝と膝の間に顔を埋めた。
「どうすれば……どうすればいいんですか……私が助かろうとすればお父さんとお母さんは……でも、二人を助けようとすれば私が……嫌だ……!死ぬのは絶対に嫌だ……!でも……その選択だとお父さんとお母さんが……」
どちらを選択しても最悪な結果になるのは変わらない。こんな究極の決断をたった1日で決めることなど到底無理だ。数の論理で考えたら確かに一人の命で二人を救った方が良い。トロッコ問題でも大勢がそう選択する。だが、いざ当事者になるとそう簡単に命など捨てられるはずはない。生への執着は意外に強いものだ。それに優花里はそんなに強い人間ではない。敗戦直後、マッカーサーに「私は絞首刑になってもいいから国民は助けてほしい。」と言った昭和天皇や自分の命と引き換えに切腹した戦国武将清水宗治のようには生きられない。ギリシャの哲学者ソクラテスならば「私は死を知らない。故に死は怖くない。」と言って自らが処刑される方を選ぶだろうが優花里は死が怖い。そんな特殊な生き方は到底無理だ。優花里の頭に二つの究極の答えがグルグルと駆け巡る。やはり決められない。決められるわけがないのだ。そもそも、なぜよりにもよって父と母なのであろうか。全くの他人ならば、血の繋がりのない他人ならば間違いなくそちらを選ぶ。例えそれが友人だとしてもそちらを選ぶだろう。そう、例えば自分の命の引き換えの相手が……
「武部殿なら……処刑できるのに……」
その言葉は躊躇われることもなく優花里の口からこぼれた。優花里は最初自分が何を口走ったのか気がつかなかったくらい、あまりに自然だった。それは、目に光が入って眩しかったので瞼を閉じた。それとほぼ同じくらいの自然さであったと思う。
「うわああああああああ!わ……私はなんてことを……!?」
自分が言った言葉の意味をやっと理解して優花里は半狂乱のように叫ぶ。取り返しのつかない言葉を言ってしまった。優花里は命に価値を付けてしまったのだ。皆、平等に地球より重いはずの命を天秤にかけて優劣をつけてしまった。いつの間にか自分も悪魔になっていたのだ。優花里は自分がしてしまった愚かな言動に愕然とする。自分の心がどれだけ汚れ荒んでいるのか初めて目の当たりにした。優花里は顔面蒼白になって泣きわめく。その後も優花里は答えのない究極の問いを繰り返し思考し続けた。だがやはり、答えは見つからないし導き出せない。世界一難しい問題を前にして優花里の思考は堂々巡りを繰り返す。結局その日は食事も一口も口にせず睡眠も一睡もせずに考えに考えて考え続けた。だが、結局答えが見つからないまま夜が明けて期限当日の朝を迎えてしまった。
「あ………ああああ………夜が……夜が明けてしまいました……」
優花里の心は時間という制約に追い詰められてどんどん弱っていく。もはや考えることも嫌になった。みほが優花里の選択を聞きに来る1時間前にはもう、四肢を投げ出してぐったりとしていた。やがて優花里は壊れた機械のように笑い始めた。優花里の精神は限界に達し壊れ始めていた。とても自分には決められない。もはやみほに決めてもらって命令された方が楽だ。操り人形のようにただ命令されるがままにやるだけ。自分の判断はそこにはない。それが一番楽である。判断はみほに求めよう。そう考えていた時に遠くから足音が聞こえてきて優花里の独房の前でその音が止まり、ガチャリと鍵を開ける音が聞こえた。音が聞こえた方を見るとみほの笑顔がこちらを覗いていた。
「おはよう。優花里さん。答えは決まった?」
優花里は黙って首を横に振る。優花里は焦点の合わない目でみほを呆然と見ていた。みほは俯く優花里を見下ろしてバカにしたように鼻で笑う。
「ふふっ、優花里さんには決断は無理だったかな?まあ、ある程度は予想通りだね。」
「当たり前じゃないですか……そんなの選択なんてできませんよ……もう……好きにしてください……」
優花里の目は虚ろだ。光はない。暗く濁って優花里の心は闇に支配される。胸の奥底に冷たい何かがじわじわと広がっていく。闇が身体を包み込む。そんな感覚だった。今までだって似たような境地に陥ったことはあった。だが、その度に何度も立ち直ってきた。現に今、こんな状態になっているのはみほの支配から逃れようと足掻いた結果だ。だが、今回こそはダメそうだ。「諦めたらおしまい」というのはよく言ったものだ。諦めという感情を芽生えさせた時、優花里の心は崩壊寸前に追い詰められてしまった。もう全てがどうでもいい。優花里は自分という存在の主導権を全てをみほに渡してしまおうと考えていた。みほはしたり顔で優花里を眺めていた。
「ふふふふ。私の狙い通りだったね。順調に壊れてくれた。優花里さんは遊びがいがありそうだしこれから楽しみだなあ。」
全てはみほのシナリオ通りだったということだ。みほは今度こそ優花里が反乱などという考えを起こさないように"考える"という機能を奪おうとしていた。人を支配するには思考力や判断力を奪うことが重要であると考えていたからである。今までそこまで奪い取ることはしなかった。だが、それは失敗だった。無駄な判断力を与えたことで優花里はみほにはむかった。だが、優花里を殺すわけにはいかない。優花里は有能だ。こんな有能な人物はそうそういない。生かさず殺さずという関係は継続されねばならない。ならば今度はどうするか。答えは簡単だ今度は判断力や思考力を奪えばいい。奪うためには優花里には判断できない究極の問いを突きつければ良い。そうすればきっと向こうから考えることを放棄しようとしてくる。みほは自分の言動によって優花里がとるであろう反応や言動を綿密に計算し尽くしていた。みほは優花里の病的でやつれた顔を見てクスリと笑った。あと少しで優花里も操り人形にできる。そう確信したみほは優花里の心にとどめを刺し破壊するために動いた。
「ふふふふ。そうだ。優花里さんをどうするか決めなきゃね。どうしようかなぁ?」
みほは少し首を右に傾けて腕を組みながら優花里の処遇を考えるふりをした。実はもう既にこの時点で優花里の処遇は決まっているが、優花里の反応をもっとたっぷりと眺めて楽しみたいと思ったのか随分と焦らしていた。
しばらくの間、重苦しい沈黙が続く。優花里は処遇が伝えられるまでの間、ずっと俯いて目を瞑っていた。いよいよ、処遇が決まる。優花里の身体に緊張が走る。心臓は勢いよく鼓動を打ち、身体中が熱い。唾をゴクリと飲み込むのとほぼ同時にみほが口を開いた。
「ふふふふ。実はどうするかは最初から決まってたんだけどね。優花里さんに命令します。あなたの両親を処刑してください。」
みほの要求は両親の処刑だった。その言葉を聞いた瞬間、優花里の心は約8割ほど崩壊した。ほとんど全壊だ。家でいえば腐った柱だけで壁のない状態だ。あと少しで完全に崩壊する状態まで追い込まれた。みほの言葉を聞いた時、優花里はしばらく泣きわめいた。だが、ある時ぴったりと泣き止みゆらりと立ち上がると無表情のまま頷く。まだ2割は優花里の自我があるとはいえ、ここまで破壊されたら優花里はみほの所有物となるしかない。優花里の主人はみほになったのだ。みほは満面の笑みで新しい操り人形と化した優花里の誕生を見守った。もう、今までの優しい優花里はどこにもいない。判断力や思考力を奪い取られた優花里はどんな命令でもロボットのように動く。一人の人間をここまで完璧に支配したのはみほでさえ初めてだ。素晴らしい成果だった。
「おいで。優花里さん。」
みほは、両腕を広げて優花里を呼んだ。優花里は素直にみほの腕の中に入っていった。みほは満足そうに目を細めて優花里の頭をよしよしと撫でる。
「いい子だね。さあ、行こうか。」
みほは優花里の手を引っ張って独房から優花里を連れ出し、昨日両親と会った部屋へ向かった。会ったといっても両親は目も耳も塞がれていたので、優花里の姿を見ることはできなかったのだが。その日も優花里の両親は目と耳を塞がれ磔台に磔られていた。一見、昨日と何も変わらないように見えた。しかし、優花里だけは明らかに変化しているのである。優花里はその姿を一瞥すると何もコメントを残すことも表情を変えることもなくそのまま椅子に腰掛けた。優花里は呆然とした表情のまま磔台の上の両親の姿を眺めている。みほは磔台の正面に立つと優花里が座っている方向を向いた。
「ふふふふ。それじゃあ優花里さん。ご両親の目隠しとヘッドホン外すね?」
「はい……」
みほは、優花里の返事を確認すると優花里の父と母の目隠しとヘッドホンを取り去った。
「ふふふふ。またお会いしましたね。」
「に……西住さん!今度は一体何の用なの?」
優花里の父と母は怯えたような顔でみほの顔を見つめた。そうなるのも無理はない。みほの取り調べは過酷を極めた。水責めに鞭打ちありとあらゆる拷問が毎回、取り調べと称して行われていたのだ。恐らく、また拷問を受けると思ったのだろう。みほは怯える優花里の両親の姿を眺めて目を細めた。
「ふふふ。そんなに怯えなくてもいいですよ。今日はお二人の願いを叶えてあげます。」
みほは優花里の両親の前から少し移動した。みほが完全に移動すると目の前に愛おしくて会いたくて目に入れても痛くない一人娘が俯いたまま立っていた。突然何の前触れもなく自らの一人娘が現れたことに両親は驚きを隠せない様子だった。
「優花里……?」
「優花里……優花里なのか……?」
側から見たら感動の再会に見えるかもしれない。自分たちもそう言いたい。だが、優花里にとっては最悪の再会となった。こんな形で会いたくなどなかった。優花里は好子と淳五郎に呼びかけられてもそちらを見ることができずにいた。どんな顔をしていいかわからない。数時間後に自らの手で彼らを処刑せねばならない。改めて両親の姿を見ると、色々な感情が溢れ出てくる。
「優花里……お願い……こっちを向いて……」
好子の悲痛な声にやっと決心がついたのか優花里は顔を上げた。その顔を見た好子は小さく叫び声をあげた。最後に見たあの明るい優花里の顔とは明らかに違っていた。瞳は濁りきり顔はやつれて髪はボサボサ、見るも無残な優花里がそこには立っていた。母の好子は優花里をこんな目に遭わせたであろう人物を睨む。
「貴方ね……?!西住さん!貴方が優花里をこんなにしたのね?!貴方一体優花里に何したの……?」
好子は優花里の姿を見た瞬間に変わった。母親としての本能が現れたのだろう。不当にもこんな姿にされてしまった優花里を守るために好子は恐ろしいみほに対峙する決意をしたようだ。自らも酷い目にあっているのに母は強しとはこういうことなのだろうか。好子はみほへの怒り露わにする。みほは敵意剥き出しの好子を鼻で笑ってあしらうと好子の問いに対する答えを披露した。
「ふふっ……簡単なことですよ。暴力という恐怖を毎日与え続けて、思考力と判断力を奪い取り、優花里さんの心を崩壊させてあげただけです。」
「な……なんて酷いことを……!?」
「貴方、本当に血の通った人間なの?私たちの娘に何の恨みがあって……!」
みほは燃え上がるような怒りを向けながらも何もできずにもどかしい思いをしている好子と淳五郎を蔑みを含んだ笑みを浮かべ首を少しだけかしげる。
「私が人間かどうかですか?さあ?それは貴方たちが評価すればいいことです。ああそうだ。何か誤解があるようですが、私は優花里さんを恨んでなんかいませんよ。優花里さんはとっても有能でいい子です。私が優花里さんを支配するのは手段であって目的ではありません。」
「目的?目的って何なの?貴方は一体何を企んでいるの?」
「ふふふ。それはあなた方が知る必要はありません。」
「あるわよ!その子は私たちの大事な娘なのよ?親なんだから優花里が一体何をさせられているのかそれを知る権利は当然あるわよ!」
「知ってどうするんですか?知ったところで貴方たちにどうすることもできませんよ?」
みほは鼻で笑いながら言った。人をこけにしたような態度と言動は好子と淳五郎の怒りにさらに油を注いだようだ。淳五郎は縄の制約がなければ今にも飛びついてみほを殴ってそうな勢いである。まるで目の前に獲物がいるのに食べることができない飢えたライオンのようだ。身体を捩りあわよくば縄を振りほどこうとしている。好子も力はないにしても言葉という武器でみほに戦いを挑んでいた。
「答えなさい!何が目的なの!?」
うるさく喚く好子をみほは迷惑そうな冷めた目で見つめながら仕方ないなという顔をして深いため息をつく。
「わかりました。そこまで教えて欲しいと言うなら望み通り教えてあげましょう。私の目的はただ一つ全学園艦を手中に収めて支配し、理想の帝国を作り上げることです。」
支配。その言葉に好子と淳五郎は戦慄していた。西住みほという悪魔が今まで何をやってきたかその悪名は学園艦中に轟いていたのだろう。みほの悪事のために大事な一人娘を利用されるわけにはいかない。好子はみほの魔の手から優花里を奪還しようとしていた。
「支配……?優花里をその為の道具に利用しようというの……?やめなさい!私たちの大切な娘をそんな欲望のために使わせないわ!すぐに解放しなさい!」
どうしてここまで……優花里は不思議でたまらなかった。本当は二人とも怖いはずなのに何故私を助けようとしてくれるのか。父も母も勇気がある。あの恐ろしい西住みほに立ち向かうなんて私なら絶対に無理である。あのように惨めな囚われの身にされてまでも優花里を守ろうとしてくれている。これが親の無償の愛か……優花里の目から涙が溢れる。失った当たり前の日常がいかに尊いか今頃気がついた。だが、優花里はもう二度とその幸せな世界を享受することはできない。優花里の手でそれを壊さなければならない。それが優花里が生き延びる唯一絶対の道だ。これが優花里が犯す初めての殺人である。間接的に関与したことはあるが直接的に手を下すのは初めてだ。それがまさか、自分の両親になろうとは思ってもみなかった。刻一刻と迫る非常な現実に優花里は絶望して頽れる。みほは優花里と好子たちの顔を交互に見回すと不敵な笑みを浮かべた。
「ふふふふ。優花里さんを解放?それはできませんね。だって優花里さんはもう私の所有物なんですから。こんな優秀な操り人形手放すわけにはいきませんよ。」
そう言いながらみほは優花里の頭を撫でた。
「やめて!そんな汚れた手で優花里に触らないで!」
半狂乱の様に叫ぶ好子にみほは思いもよらない言葉をかけた。
「娘さん想いのいいお母さんですね。私の母親とはまるで違う……羨ましいです……」
みほは哀しげで優しい笑みを浮かべる。いきなり見せたみほの弱々しく優しい姿に誰もが困惑していた。それが本当のみほの姿なのかもしれないし、ただの芝居を打っていただけかもしれない。だが、優花里にはそれが本心に思えた。みほの笑顔は作った笑顔ではなく心からの笑顔だった。それに、後にみほが改めて話した西住の家の出来事からも優しい母親を羨望するのはある意味で自然かもしれない。だが、そんな優しいみほはすぐに姿を隠してしまった。みほの心の闇はまるでブラックホールの様にみほの心に差し込んだ一筋の光さえも消してしまい、また悪魔が現れた。
「でも、どんなに頼まれても優花里さんを解放するわけにはいきません。この子は私が完全支配した中で一番の完成品です。ほら、この濁りきった瞳……ふふふ……こんなに可愛くて従順な至高の操り人形、手放せるわけないじゃないですか。」
みほは意地悪そうに笑いながら優花里の顎の下から頰を片手で乱暴に掴んで好子の目の前に突き出した。優花里は頰を掴まれた痛みに呻き声をあげるが、抵抗はしなかった。抵抗する気力などとっくに奪われていた。突き出された優花里の瞳には光はなかった。焦点の合わない目で腕をぶらぶらさせている。みほはクスリと笑って優花里を床に捨てるように頰から手を離す。優花里はばたりとその場に倒れこむ。
「やめて!優花里に乱暴しないで!」
好子はみほに憎しみを向けながら喚いた。好子と淳五郎は倒れたまま動かない優花里の名前を必死に呼んだ。こんなに近くにいるのに優花里は息を荒げるだけで反応はない。
「優花里!お願い!こっちを向いて!」
「優花里!頼む!頼むから返事をしてくれ!」
両親の言葉は全てを投げ捨ててしまった優花里にはもう届かない。優花里はもう何もかも疲れてしまっていた。何か反応したくてもその気力さえ残っていないのだ。みほは動けなくなった優花里の頭を高笑いしながら靴のまま思い切り力を込めて踏みつけた。
「あっはははは!だから言ったんですよ!もう、貴方たちの知っている優花里さんではないと!あっははははは!」
優花里はまた苦しそうな声をあげる。それでも抵抗はしない。優花里の心は完全に破壊されている。それをようやく認めた好子は地を這うような低い声でみほに問う。
「なぜ……なぜ優花里にこんなことしたの……」
好子の質問にみほは不思議そうに首をかしげると何かを思い出したような顔をしてその問いに答えた。
「あ、そういえば言っていませんでしたね。ちょうどいい機会ですからこのまま本題に入っちゃいましょうか。好子さんの質問も関係しますから。」
みほは、ふうっと長く息を吐いて好子の目を見つめながら事の経緯を詳しく話し始めた。
「優花里さんは罪を犯しました。せっかく苦心して手に入れた大事な捕虜を逃がそうとしました。つまり、私への反逆を企てたんです。上の者に反逆する行為は軍隊では抗命罪といって死刑にも処される重罪です。ですから、私は優花里さんに死刑を言い渡しました。でも、優花里さんは有能です。だから、できれば処刑したくない。なので、身代わりが欲しいんです。」
「貴方の言いたいこと、よくわかったわ。つまり、優花里の命と引き換えに私たちに死ねと言いたいのね……良いわ。それで優花里が助かるならいくらでも死んであげるわよ!」
好子もまた、みほの恐ろしい言葉に少しも動じずまっすぐみほの瞳を見つめながら言った。覚悟はできているという目をしている。みほは好子たちはもっと絶望するかと思っていたようだ。好子の意外な反応に驚いていた。あまりにも素直に受け入れるので少しつまらなさそうな反応を示したが、これほどすんなりと受け入れるというのは手間が省けるという点では好都合だ。
「ふふふ。意外に素直なんですね。了承していただき、ありがとうございます。」
「その代わり、優花里は絶対に殺さないって約束してくれ!」
みほは淳五郎の要求に首を縦に振った。
「はい。もちろんです。優花里さんは絶対に殺しません。言ったじゃないですか、優花里さんは殺したくないって。それでは、処刑の時刻は12時です。10分だけ時間をあげます。私は退室していますから3人で最期の話をしてください。」
みほは、そう言い残し部屋から出て行った。好子と淳五郎はみほが完全に部屋から出たことを確認すると優しい声で優花里の名前を呼び、最期の言葉を残した。
「優花里、お母さんね、優花里のお母さんになれて幸せな人生だったわ。私たちは普通の子のご両親より早く逝っちゃうけど優花里も幸せになって。お願い。」
「お父さんもだ。お父さんも幸せで充実した人生だった。お父さんもお母さんも優花里のために死ねるなら本望だ。どうか優花里も夢を叶えて幸せな人生を歩んでくれ。」
短い言葉だった。だが、その中に大きすぎるくらいの優花里への愛を感じられた。自分のことなど何も考えていない。彼らはただ自らの娘の多幸を考えていたのだ。なんて美しい無償の愛であろうか。ああ、私はこんなに偉大な人の犠牲の上で生きていくのか。そう思うと罪悪感で押しつぶされそうだ。いや、罪悪感なんていう言葉では言い表せない。死ぬべきは自分だ。操り人形の私よりも両親のような人に生きて欲しい。なぜ、両親が死ななくてはならないのか。
死なないで!死なないで!死なないで!
優花里はほぼ錯乱状態のようになって手を伸ばしながら泣き喚いた。
「うわああああ!!なんで!なんで!お父さんとお母さんが死ななくちゃいけないの!?嫌だよ!死なないで!死ぬなら私が死ぬから!私の身代わりになんかにならなくて良い!お願い!生きて!」
優花里は磔台にすがりつく。好子と淳五郎は久しぶりに会って以来始めて聞かせてくれた優花里の声に優しく微笑む。
「優花里、ありがとう。本当に優花里は優しい子だね。でもね、優花里。私たちはもう50年近く生きたの。だから、これからは優花里たちの時代よ。優花里はこれからの人生があるのよ。私たち老いていく人間が生き残るより若い貴方が生きて欲しいの。私たちは優花里の心の中でいつまでも生き続けるわ。」
「優花里、次の時代を頼んだぞ……」
優花里は磔台の上の好子と淳五郎を抱きしめた。すると、ガチャリと扉が開く音がした。時間のようだ。みほが優花里の背後に近づく。
「優花里さん。時間です。行きましょう。」
優花里は首を縦に振って両親の磔台から離れた。みほは満足そうに頷くと、後ろに控えていた梓と小梅、そして黒森峰の生徒たちに指示して磔台を拠点の広場に運ばせた。広場には多くの人が集まっていた。反逆するとどうなるか見せしめにするために集合させていたのだ。
磔台が運ばれてくると観衆は興味深そうに背伸びしたり体を揺らしたりしながらざわめく。皆、てっきり優花里が処刑されるものだと思っていたのに磔台にかけられているのが中年の男性と女性であったことに混乱していた。さらにその磔台の男性と女性の後から俯きながら優花里が登場しさらに困惑した。みほはざわめく観衆たちを一瞥すると高らかに執行を宣言した。
「只今から公開処刑を始める!死刑囚秋山優花里は捕虜の中でも最重要扱いたる安斎千代美を解放しようと目論んだ。これは、我々に対する重大な反乱だ!よって死刑に処すべきものと判断し、今日ここに執行する。だが、秋山優花里は非常に有能で、稀有な人間だ!そのため、身代わりとして秋山優花里の家族、父の秋山淳五郎と母の秋山好子を処刑する!反逆者の末路はどうなるのか、目に焼き付けろ!」
みほは演台を降りると優花里の手に銃剣を手渡して蔑んだ笑みを浮かべた。
「優花里さん。この銃剣で刺殺して処刑してね。構えて走って突き刺すだけ。簡単でしょ?でも、二人いるからね。効率を良くするために一人は私が処刑してあげる。お父さんとお母さんどちらを優花里さんの手で処刑するかは優花里さんが決めて良いよ?」
みほの声が脳内にガンガン響く。みほの口から言葉が紡ぎ終わった時だった。その瞬間、優花里の心は2割ほど残っていた自我も含めて完全に崩壊した。その時、優花里の心の中にもうひとりの人格が誕生し、優花里の体を乗っ取ってしまった。優花里はあまりのストレスに耐えかねて俗に言う多重人格になっていた。この時、秋山優花里という人格は新しく生まれた優花里の中の別の人格に檻に監禁されて出てこれない状態になっていたと語っている。優花里の中の別の人格は優花里の意思に反することも好き勝手にやり始めた。優花里の中の別の人格はみほを一瞥すると銃剣を手に取り、舐めるように銃剣を見回すと、フッと妖しい笑みを浮かべて淡々と冷たく全く感情のこもっていない声で言った。
「では、母にします。」
みほは頷くと懐から取り出した拳銃で淳五郎の頭と心臓をそれぞれ2発の弾で撃ち抜いた。淳五郎の絶命を確認すると優花里の中の別の人格は鋭い視線で銃剣の先に見える好子を捉えた。好子は真っ直ぐ微笑みながらこちらを見つめている。
「構え!突け!」
みほの号令とともに優花里の中の別の人格は好子に向かって真っ直ぐ走り出し、躊躇いもなく好子の左胸の心臓に突き刺した。好子はその瞬間優花里に何か言おうとしていたが間に合わなかった。好子は断末魔の叫び声をあげて口を血で染めながら名前を呼んだ。
「あが……ゆ……かり……」
優花里の中の別の人格は好子の口から吐き出された血飛沫を浴びると銃剣を抜きながら嬉しそうに笑う。
「あっはははは!人間の身体ってこんなに柔らかいんですね!」
優花里の中の別の人格はどこまでも残虐だった。この毎日続く残虐な世界を生き抜くために生み出された存在だ。そうした環境の中で生まれたのだから残虐でみほに従順な性格の存在が生み出されるのはある意味自然かもしれない。彼女は再び刃を好子の腹に刺突した。優花里の顔は好子の血液で赤黒く染まり手元にも生温い血が流れてきて指先からポタポタと落ちる。彼女は息のない好子の身体に何度も何度も繰り返し狂ったように笑いながら銃剣を突き刺した。その時、竹垣の外にいた見物人たちは狂った優花里の姿を怯えた様子で見ていた。だが、みほだけは違った。みほはこの恐ろしい光景を見た時何を感じ何を考えていたかといえば、狂った優花里をどこでどのように使うかという点である。新たに生まれ変わった優花里は色々使えるところがありそうだ。これならあの部隊の創設も任せることもできるかもしれない。みほはまた凶悪な笑みを浮かべて優花里の身体を奪った人格は相変わらずグサグサと好子の身体を突き刺し続けている優花里を見つめていた。やがて優花里は真っ赤な血に濡れた銃剣を投げ捨てて血で薄汚れた好子に笑顔で別れを告げた。
「あははは。さようなら。お母さん。」
静まり返る広場。その中で優花里の狂った笑い声とみほの悪い笑い声だけが響き渡っていた。その後、この秋山優花里の体を乗っ取った未知なる存在によって日本の海に浮かぶ主要学園艦を含む多くの学園艦は悪夢と地獄を見ることになる。
つづく