血塗られた戦車道   作:多治見国繁

120 / 150
今日もアンツィオ編です。
よろしくお願いします。
今日もまた大きく物語が動きます。


第113話 アンツィオ編 壊れた翼

とめどなく流れる涙が私の目の前に水たまりをつくる。私はその遺体を再び毛布に置いた。そして、もう一度手を合わせてその遺体に声をかけた。

 

「ごめんね……あなたは私が探している人じゃない気がする……辛かったね……怖かったよね……早く迎えに来てくれるといいね……きっともう直ぐ来てくれるはず……」

 

私はそう言うと毛布に丁寧に包むと隣に置かれている遺体に対面した。識別標を見るとこの遺体は両脚が欠損しており、顔の損傷が激しいと記載されており、その遺体も発見場所は1号棟とあった。私は"顔の損傷が激しい"という文字にその遺体を見るのを躊躇った。しかし、もしかしたらペパロニのものかもしれないと思い、再び込み上げてくる生唾を飲み込みながら包まれた毛布を丁寧に取り外した。すると、そこには見るも無惨な、言葉ではとても形容しがたい遺体が寝かされていた。顔が潰れているなどという言葉では言い表せないほど酷い状態だった。顔以外の特徴や背格好を見たところ、恐らくは私が知らない人だ。しかし、いくら知らない人と雖も心に与えられたショックは相当なものであった。私はぺたりと床に尻をつけて放心状態になった。まるで、臀部と床が張り付き、足が鉛のように重くなってそのまま動けなくなった。私は焦点の合わない目で天井を見つめたまま遺体に囲まれながら夜を明かしたのであった。

翌朝、目を覚ますと見知らぬ天井が飛び込んできた。ぼんやりとした頭で寝たまま辺りを見回すと私はこじんまりとした部屋のソファの上で寝かされていることに気がついた。そのソファの近くには椅子がありその上には風紀委員の少女が座っていた。風紀委員は私が目を覚ましたことに気がつくとホッとしたような表情を見せた。

 

「よかった……目を覚ましてくれて……遺体安置所で倒れていたところを発見した時はびっくりしました……」

 

「すみません……ご迷惑おかけしました……」

 

私は膝に置かれた自らの手に目線を落とし、私のせいで仕事を妨げてしまったという自己嫌悪に駆られた。

 

「いえ、大丈夫ですよ……慣れていますから……」

 

風紀委員は優しげな口調でそういうが私は俯いたまま唇を噛み締めていた。私の手は昨日の凄惨な光景を思い出し微かに震えていた。

 

「私、何も知らなかったんです……あんなに悲惨だったなんて……いえ、もちらん数字の上ではわかっていましたし、報告では酷い状態のご遺体が多いって聞いていました……でもどこかで信じていなかった、いや信じたくなかったんだと思います……楽観視していたんです……きっと何かの間違いだって……だけど、あの夥しい数のご遺体……しかも損傷も激しくて……同じようないや私が見たご遺体よりももっと酷いご遺体があるかもしれないと思うと耐えきれなくて……それで……私は……」

 

私は声を震わせる。すると、その様子を見ていた風紀委員はやおら私を抱きしめると背中をさすってくれた。その手はまるで母のように安心感のある手つきだった。

 

「大丈夫。大丈夫です。もうそれ以上何も言わなくても。」

 

「すみません……」

 

「初めてここに来た人は誰しもがこうなります……誰もこの状況を受け入れられる人なんていないんです……辛かったでしょう……」

 

「辛かったなんて言葉ではとても……私も友人を探している身ですから……」

 

「そうだったんですね……軽率な発言だったかもしれません……すみませんでした……早く見つかると祈っています……」

 

私はコクリと言葉を発せぬまま頷いた。私はしばらくそのまま風紀委員の少女に抱かれたまま声を殺すように泣いていた。だが、いつまでも泣いているわけにはいかない。私は今やこの学園艦の運命を握る存在である。私は大きく深呼吸をして、何とか気持ちを落ち着ける。

 

「もう大丈夫です。大分落ち着きました。ありがとうございます。ご迷惑おかけしました。」

 

「立場上、泣いてはいけないのかもしれませんが、無理だけはしないでください。無理は体に毒です。いつか壊れてしまいます。この非常時においては特に……」

 

「お気遣いありがとうございます。お仕事の邪魔をしてしまってすみません……」

 

「いいえ。大丈夫です。それでは、私は仕事に戻りますね。対策本部には落合さんのことは伝えてありますから、ゆっくり休んでいってください。」

 

風紀委員の少女はそう言って部屋から出て行った。だが、皆が辛い仕事に従事しているなか、まさか本当にゆっくりと休息を貪るわけにはいかない。私は素早く身支度を整えて体育館の外に出ると、急いで対策本部へと向かった。対策本部の扉を開けるとちょうど朝礼が行われていた。

 

「落合さん!?遺体安置所で倒れてたって聞きましたけど大丈夫ですか!?心配しましたよ!?」

 

遺体安置所を管轄する衛生班の石井さんがまずはじめに声をあげた。それに続いて他の皆も私を心配して声をかけてきた。私は皆にもう大丈夫だということと心配をかけたことへの謝罪を伝える。すると、皆私の事情は理解していてくれているようで広い心で許してくれた。その後、朝礼が行われた。朝礼では私が皆を心配させてしまったということに恐縮して代わりに河村さんにやってもらおうと思っていたが、河村さんが"本部長がいるのに私がやる必要はない"と固辞されたため、結局私がやることになった。気持ち的にはみんなを心配させた挙句、偉そうにみんなの前で指示を出すのはとても申し訳ない気持ちでいっぱいになった。とはいえ、今日は重要な伝達事項がたくさんあるので結果的には私が伝えた方が良かったのかもしれない。私は、皆の前に立つと徐に口を開いた。

 

「皆さん。おはようございます。今日はみなさんにご心配とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。さて、時間もないことですし、なるべく手短に伝えようと思います。今日の伝達事項は2つです。まず、一つ目。防空壕と待避所づくりについてです。これは非常に重要です。これが無ければ私たちは敵の戦果を稼ぐためのいい的にされるだけです。ですから、早急に作る必要があります。これは、総務班の土木担当に任せます。二つ目、防災無線についてです。今日より、防災無線で空襲警報が運用されます。空襲警報のサイレンが鳴った際は急いで頑丈な建物か地下に退避してください。運用は広報班に任せます。とりいそぎ、伝達事項は以上です。それでは各位本日の業務に入ってください。」

 

「「はい!」」

 

さて、今日もまた忙しい1日が始まった。まだまだ復旧作業は山積みで、やることは山のようにある。さらに、遺体安置所が開設されたことにより、被災者の心のケアと遺体安置所の体裁を整える必要があることもわかった。心のケアについては臨床心理士やカウンセラーの発掘を行えば何とかなるだろう。第1、この学園艦にも何人かの心理士がいたはずである。あとで、衛生班を通じて要請をすることにした。心のケアについては何とかなりそうだが問題は遺体安置所の体裁についてである。あの時は私も心に余裕がなくとてもじゃないが言えなかったが、今思い返すと床に無造作に遺体が置かれ、無機質で事務的な紙で遺体の特徴が書かれ、更には番号で管理されているという今の遺体安置所の現状は運営する側である私でさえ怒りを感じた。友人や家族を亡くした一般の被災者にとってはもっと怒りの感情が強いだろう。せめて花くらいは用意して弔いの気持ちと敬意を評して尊厳を回復してあげたいものだ。遺体は物ではない。今は魂はなくても一人の人間であったという意識を持って接しなくてはならない。それを今一度職員たちに自覚させる必要がある。では、私は何をするべきか、まずは弔う気持ちを表すために花ぐらいは用意してあげるべきであるだろう。確か、学園艦には花屋もあったはずだ。相談してみることにしようと、椅子から立ち上がり、被災者が生活しているブロックに行こうとしていた時である。突然、空襲警報のサイレンが鳴り響いて、屋上で監視任務に当たっていた広報班の班員が慌てて飛び込んできた。

 

「落合本部長!大変です!来ました!知波単です!零戦と思われます!数は約20、高度約300!真っ直ぐこちらに向かってきています!」

 

「やっぱり来ましたか……今から退避しても目視できる距離ならもう間に合わない……爆弾を積んでいないことを祈りましょう。全員、机の下に潜って伏せてください!」

 

私の声で室内にいた人たちは全員机の下で丸くなって伏せた。しばらくするとエンジンの爆音が上空を通り過ぎ機銃掃射の音が聞こえてきた。私は屋外で防空壕をつくっていた市民と対策本部職員の無事を祈っていた。縦横無尽に飛び回る零戦と見られる機体はアンツィオ学園艦の街に容赦のない機銃掃射を続けていた。そして、この対策本部がある建物も例外ではなく、銃弾は容赦なく撃ち込まれた。飛び交う銃弾がヒュンヒュンと風を切る音が聞こえてきた。銃弾が撃ち込まれるたびにガラスが割れる音と悲鳴が聞こえてきた。私も恐ろしくて机の下でうずくまって震えながら空襲が終わるのを待っていた。30分ほど経った頃だろうか知波単所属の零戦は街で蹂躙の限りを尽くしてようやくエンジン音は遠ざかり、空襲はようやく終わった。私は机の下から這い出すと、ガラスはほぼ全てが割れて、さらに床や壁に銃弾が突き刺さっていた。皆は無事だろうか。安否を確認すると皆、幸いなことに無事で怪我もなかった。私はひとまずはホッとして他の被害状況の確認をするように指示を出していた時だった。解除されたはずの空襲警報のサイレンが再び鳴った。私は慌てて窓の外から様子を見ると一機の零戦が大きく旋回してこちらに戻ってきていた。しかし、何か様子がおかしい。機体がフラフラして何やら黒い煙を上げどんどん高度が下がってきている。知波単来襲を知らせた広報班の班員が双眼鏡を覗き込みながら叫んだ。

 

「危ない!堕ちる!」

 

私は全速力で屋上の監視所に急いで向かった。監視所に設置されている双眼鏡を覗きその零戦を捉えてその行方を追った。零戦は超低空で真っ黒の煙を上げさらにフラフラと揺れを激しくしながら飛んでくる。落ちそうなところを何とか態勢を立て直し、また落ちそうになり立て直してを何度も繰り返しながら対策本部がある建物の上空を通り過ぎて行った。その時、私ははっきりとパイロットの顔を見た。パイロットは必死な苦しそうな顔をして操縦していた。そして、零戦は街のはずれにある戦車道の演習場付近までやってくるとその辺りで更に高度を低くして私の覗く双眼鏡から姿を消した。どうやら、そこに不時着、もしくは墜落したようだ。私は徐に双眼鏡を下ろすとしばらく呆然として零戦が消えた方角を眺めていた。空には先ほど消えた零戦の友軍機と思われる機体が学園艦の上空を旋回していたが、やがてどこかに飛び去っていった。さあ、大変なことになった。市民よりも早く消防団と風紀委員を向かわせてパイロットの身柄を確保しなくてはいけない。もしも、市民に先を越されたらそれこそ目も当てられないことになる。ただでさえ、知波単の人間は市民から恨まれている。しかも、先ほどまで空襲をしていたパイロットだ。生きていたら残虐な方法で殺される可能性がある。死んでいたとしても遺体を略奪される可能性がある。それは決して許されることではない。私は防災無線で消防団と風紀委員の幹部に10分以内に対策本部横の教室に集合するように指示を出した。私は再び全速力で階段を駆け下りて対策本部へと向かった。

 

「零戦、どうなりました!?」

 

広報班の班員が慌てながら大声で言った。いくら、嘘をつかずに全てを正直に話すように言っている私でもこればかりは秘密にするほかない。それをわざわざ大声で喧伝するようなことをする広報班の班員の口を慌てて塞ぎ、辺りを見回して対策本部の人間以外誰もいないことを確認すると周りの人を集めて小さな声で言った。

 

「戦車道の演習場に不時着、もしくは墜落したと思われます……」

 

「それ、まずくないですか……?もし市民が先にそれを見つけたら……」

 

「ええ……リンチされるかもしれません……死んでいたとしても遺体の略奪とか……だから、今から消防団と風紀委員に全力でパイロットの捜索、身柄確保もしくは遺体回収を開始します。このことだけはくれぐれも極秘にお願いします。誰に聞かれても絶対に関係者以外に話してはいけませんよ?わかりましたね?」

「「はい。わかりました。」」

 

私はそれだけを言うと対策本部の隣の部屋に向かった。隣の部屋にはさすが消防団員と規律を重んじる風紀委員だ。すでに全員集合していた。私は再び辺りを確認すると近くに寄るように言って小さな声で言った。

 

「皆さん、突然の招集に驚かれたかと思います。素早い集合ありがとうございます。実は、まずいことが起きました。先ほど空襲があったことは周知の事実だ思います。その空襲の後に再び空襲警報が鳴りましたね?実はあの後、零戦が何らかのトラブルで学園艦に不時着、もしくは墜落したらしいのです。消防団と風紀委員は必要最低限の人員以外は全員活動を中断してパイロットの身柄確保、死亡していた場合は遺体の回収を早急に行ってください。何としても市民よりも先に見つけてください。学園艦の危機です。皆さんの双肩に学園艦の運命がかかっています。どうかおねがいします。では、緊急の捜索作戦を開始します!情報はその都度無線で知らせてください!」

 

「「はい!」」

 

「では、解散!」

 

私の声で風紀委員と消防団は一斉に飛び出していった。この出来事はその後、学園艦に大変な波乱をもたらし、私たちに苦しい決断を強いることになるがそのことを私たちはまだ知らないのであった。

 

つづく

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。