血塗られた戦車道   作:多治見国繁

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みほ陣営、特に今回のメインは一応冷泉麻子のつもりです。
みほのとった行動で麻子が何かを感じたようです。


第92話 極秘研究

仕方がない。全ては仕方がないことだ。アンチョビの双肩には仲間たちや数万人もの住民たちの命と学園艦の存亡がかかっている。彼女たちの命と学園艦はみほの手で今この瞬間にでも握りつぶされようとしているのだ。こうなってしまってはもはや選択の余地はない。アンチョビはみほに苦渋を飲まされた。これは守るべき仲間のためだ。自分の本心ではない。アンチョビはそんな表情をしていた。言わずとも顔ににじみ出ている。みほはそんなアンチョビを見るとニヤリと悪い笑顔を浮かべた。そして無線を手に取るとアンチョビをはじめ誰も思いもよらぬ指示を出した。

 

「大洗総司令部から岩本、大西各隊へ。250Kg爆弾搭載の四式重爆撃機5機は現時刻よりそれぞれ目標破壊行動を許可し、作戦行動を命令する。作戦参加機は1番機から5番機で目標は1番機が南市街地、2番機が戦車演習場、3番機がアンツィオ高校校舎、4番機が西市街地、5番機が階段広場前の屋台群だ。また、岩本隊全機は味方の爆撃に留意しながら任意目標に対する機銃掃射を行え。」

 

誰もがみほの言葉に驚いた。アンチョビは今さっきみほに屈服したばかりなのだ。この空襲はアンチョビを追い詰めるための脅しであると確かにみほはそう言っていたから目的が達成された今これ以上、アンチョビを追い詰める道理はない。しかし、みほが選択した次の行動はアンツィオ高校に対する本格的な攻撃だった。みほの行動は極めて不可解であった。しかし、アンチョビ以外はこの状況の意味をすぐに理解できた。間違いない。みほはこの状況を楽しんでいる。つまり、みほはアンチョビの心を蹂躙するため、ただそれだけのためにわざわざ無用な攻撃をしたのだ。みほは人々の涙を楽しんでいるのだ。みほのそばに居るものは、みほが行った行為の意味を経験則から導き出すことができたがアンチョビには当たり前だがそんな経験則などないわけだからそれはできない。アンチョビは怒りに声を震わせる。

 

「おい……ちょっと待て西住みほ……!私は、おまえに従うと言ったんだ!仲間が救われると思ったからおまえの要求を、苦渋を飲んだ!なのにおまえは……アンツィオを……あいつらを攻撃するというのか!?殺すというのか!?」

 

するとみほはきょとんとした顔をして首を傾げながら笑った。

 

「だって、アンチョビさん一度協力を拒否しましたよね?当然の報いです。それに、海軍派の零戦だけ戦果を挙げてばかりだと陸軍派の面目が立たないじゃないですか。最大限配慮して焼夷弾投下を避けたんです。このくらいの犠牲は仕方ないですよ。」

 

みほの発言は火に油を注ぐ形になった。アンチョビは顔を真っ赤にして声を荒げる。

 

「おまえなあ!人の命をなんだと思ってるんだ!"これくらい"だと!?ふざけるな!あまり我々を見くびるなよ!?」

 

みほはそれらの言葉に動じることなくにっこりと笑うと無線をとった。

 

「攻撃開始!」

 

みほはあの可愛らしい口ぶりとは想像もできない口調ではっきりとそう伝えた。その言葉と同時にビデオカメラが搭載された戦果確認機は高く上昇し、アンツィオ学園艦の全体像を捉えた。カメラは縦横無尽に動き回る四式重爆撃機と零戦の姿を捉えた。四式重爆撃機は指定された目標にたどり着くと爆弾槽の扉をあけて爆撃を始める。

 

「ああ!」

 

アンチョビは思わず叫んだ。無理もない。投下された250kg爆弾は容赦なくアンツィオ高校の生徒たちの頭上に降り注ぎ命を奪わんとしているのだ。大きな爆弾の炸裂音と建物が崩れる破壊音のような音が響きわたり、辺り一面土煙と黒煙が上がっている。よく見ると赤い炎が見える。どうやら所々で火災が発生しているようだ。今はお昼時である。昼食の支度をしていた矢先の空襲だ。ガスか何かに引火して炎が上がっても不思議ではない。

 

「ふふふ……どうやら焼夷弾は必要なかったようですね。」

 

みほはタブレットに映し出されたアンツィオ高校上空からの中継映像を見て無線機を手に取りながら笑った。アンチョビは見たくないのだろう。目を背けながら呻く。

 

「お願いだ……もうやめてくれ……あいつらの命の火を消さないでくれ……頼む……」

 

アンチョビは泣きながらみほに懇願した。みほはアンチョビの表情を見ると顔を赤らめて喘ぎながらアンチョビに迫った。みほはアンチョビに顔を近づける。アンチョビは何をされるかもわからず。ぎゅっと強く目を瞑った。みほは愛おしそうにアンチョビを見つめるとアンチョビの頰に流れる涙を小さな舌で舐めとった。

 

「ひやっ!」

 

アンチョビは突然のことに思わず声をあげるとみほは嬉しそうに笑いながら言った。

 

「あはっ!美味しい!アンチョビさんの涙、最高です!あっはははは!アンチョビさん!貴女が私に逆らったせいでみんなこんな目に遭っているんですよ?あっははは!」

 

アンチョビは憎しみの表情をみほに向ける。そして地を這うような低い声でみほに尋ねた。

 

「西住みほ……おまえ……何がおもしろいんだ……?」

 

 

みほは腹を抱えて大笑いしながらアンチョビの問いに答える。

 

「あははは!これを笑わずにいられますか。彼女たちを殺したのは貴女ですよアンチョビさん!実行したのは私たちであるとしても、貴女が決断をためらったために殺されるんです。あっははは!友が友を殺しあう、こんな楽しくておもしろい光景は人間狩りをした後、捕らえた者たちに死のゲームをさせた時くらいでしょうか!あっははは!」

 

みほは狂ったように笑い続けた。アンチョビは呻くように言った。

 

「許せない……」

 

みほはアンチョビの憎しみの声が聞こえていたのか聞こえなかったのかはわからないがさらにアンチョビを逆撫でするような命令を出す。

 

「作戦行動中の大西隊各機に通達する。四式重爆撃機6番機から9番機は以下攻撃目標に対して攻撃を開始しろ。攻撃目標は6番機変電所、7番機ガスタンク群、8番機電話基地局、9番機は艦橋付近だ。」

 

大西隊と岩本隊の隊員たちはみほの命令に忠実に従い、爆弾を落とし機銃の雨を降らせ続けた。みほは戦果確認機から送られてくる爆撃の様子を終始嬉しそうに見物し、爆弾が炸裂するたびにおもしろそうに笑った。やがて満足したのか頷くと戦果確認機のみを残して帰還するように命じる。岩本隊と大西隊は大きく旋回し、もと来た航空路を戻っていった。戦果確認機は高度を取りながらアンツィオ高校の上空を旋回していた。しかし、なかなか真っ黒な煙が晴れない。戦果確認機の乗員からこれ以上長居すると燃料がなくなり帰れなくなるという連絡があった。別に戦果確認は今日中にしなければならないというわけでもないし爆撃を受けた直後にすぐにアンツィオ高校の学園艦が航行を開始するとは考えにくい。必ず点検や被害状況の確認などが行われるはずである。したがってアンツィオの学園艦が遠くに移動してしまうということはまずないと判断し、みほは帰還を許可した。みほは「ありがとう。お疲れ様。気をつけて帰って来てね。」と言うと無線を切ってアンチョビが寝かされているベッドに腰掛けて、アンチョビの耳元で囁く。

 

「アンツィオ高校が貴女のせいでどのような変化を遂げたのかは明日のお楽しみですね。ふふっ楽しみです。」

 

「クッ……」

 

アンチョビは何も答えることなくただそんな声で呻いた。みほは可哀想なアンチョビを見て心をもっと壊してやろうと思ったのかアンチョビに覆いかぶさり、ネクタイを取り去り、制服のシャツのボタンを外す。シャツの下に着ていたキャミソールも捲り上げ、ブラジャーも剥ぎ取った。さらに、スカートとタイツ、パンツも剥ぎ取られアンチョビはほぼ全裸の恥ずかしい姿をみほたちの前に晒すことになった。アンチョビは恥ずかしそうに顔を真っ赤にして呻く。

 

「うぅ……」

 

「ふふふ。真っ白……アンチョビさん綺麗な肌ですね。」

 

みほはアンチョビの柔らかいお腹に手のひらで触れると脇腹、腹、へそ、胸、首、頰、腕、膝、太腿、股など身体の色々なところを何かを確かめるように撫で回した。みほの手がアンチョビの胸に到達し乳房を揉む。アンチョビはもう限界のようだ。ついに口を開いてみほに止めるように請う。

 

「お、おい……そんなとこ触るな……やめろ……」

 

するとみほはますます行動をエスカレートさせた。みほの手は蛇のように身体を縦横無尽に動き回る。

 

「ふふふ……アンチョビさんの肌、すべすべしてる。恥ずかしそうに震えながら怯えているアンチョビさんもとっても可愛いですよ。お腹も胸も腰もこんなに柔らかくて。ふふふ……私、汚れのない少女を汚していくのが大好きなんですよ。アンチョビさんは汚しがいがありそうです。甚振っているといい顔してくれますから。ふふふ。」

 

みほはそういうとアンチョビの身体に頬ずりをしてまた撫で回す。アンチョビはくすぐったくてたまらないようだ。身体をくねられせてなんとかみほの手から逃れようともがく。しかし、手足を縛られているのでそれも叶わない。アンチョビは目を瞑って震えながら屈辱に耐えた。やがて満足したのか、みほは梓を連れて執務室に戻っていった。その時、麻子ははっきりとその目で目撃した。みほはニヤリと何かまた悪事を企んでいるような悪い笑みを浮かべていた。

みほが退室すると部屋にはアンチョビと麻子だけが残された。麻子は今まで何も言わずに黙って一部始終を見ていた。アンチョビはみほの姿が消えてほっとしたのか一度ため息をつき、辺りを見回した。麻子の姿を遠くの壁沿いに認めると話しかけた。

 

「あ、麻子……いたのか……」

 

「うん。ずっといた。」

 

「そうか。全然気がつかなかったよ。」

 

「ずっと後ろで黙っていたからな。気がつかなくても無理もない。」

 

アンチョビはすっかり麻子のことを信頼していた。毎日アンチョビの世話をしているうちに麻子は信頼を勝ち取ったのだ。アンチョビの顔は穏やかだったがやがて心配そうな顔をして麻子に尋ねた。

 

「なあ、アンツィオはきっと大丈夫だよな……?」

 

「ああ、きっとな……」

 

麻子は、泣きそうなアンチョビを見てかわいそうに思って優しい嘘をついた。麻子が見る限り、今回の攻撃の犠牲者は数百人には上るだろう。その中には学校関係者も多いはずだ。大丈夫なわけがない。アンチョビも麻子の表情から察したのだろうか。2人とも深刻そうな顔で黙り込んでしまった。しばらく沈黙が続いた後、ごそごそという音が聞こえてきた。遠くで下を向いていた麻子が顔を上げるとアンチョビは服を直そうと身体をくねらせながらもがいている。その姿はあまりにも哀れだった。麻子はアンチョビが寝ているベッドのそばに立つとアンチョビに下着を着せて服もすべてきれいに元通りに戻してあげた。

 

「麻子。ありがとう。病気も治してくれて、優花里が姿を突然消した後は本当に良くしてくれてうれしいよ。」

 

麻子はアンチョビを直視できなかった。アンチョビを病気にさせたのはほかでもない麻子である。麻子が生物兵器の実験がしたいなどと言い出さなければこんな事態には陥ることはなかったのだ。

 

「麻子……?どうした……?」

 

アンチョビが心配そうにこちらを見ていた。

 

「いや、何でもない。そろそろ研究室に戻らないといけない。今日は疲れただろう。夜になったらこれでも飲んでゆっくり寝ろ。」

 

麻子はアンチョビに錠剤を差し出した。アンチョビは訝しげな顔をしてその錠剤を見る。

 

「その薬本当に大丈夫なのか?まさか、毒なんてことはないよな?」

 

アンチョビが警戒するのも無理はない。今までアンチョビは騙され続けてきたのだ。麻子は安心させるような口調で言った。

 

「ああ。アンチョビに毒なんて出すわけないだろう。睡眠薬だ。ほら、ここに書いてあるだろう。」

 

麻子は薬の取扱説明書をアンチョビに見せた。アンチョビはどうやら納得したようだ。すると今度は不思議そうな顔をして麻子に尋ねる。

 

「本当だ。でも、なんで麻子が睡眠薬なんて持っているんだ?」

 

アンチョビの疑問は当然である。いつも眠そうな麻子には睡眠薬など必要ないだろう。それなのに睡眠薬を持ち歩くというのは不可解だった。麻子はためらいながら答えた。

 

「戦争でもぬけの殻になった薬局に忍び込んで持ち出してきた。たいていの薬は私の研究室にそろっている。」

 

「盗んできたというわけか。」

 

「ああ。私は衛生管理も任されているからな。どうしても薬が必要だったんだ。わかってくれ。そろそろ研究室に戻らなくてはいけない。また、夕方から夜にかけてまたくるからな。」

 

「別に責めるつもりはないよ。ああ。待ってる。」

 

麻子はにっこり微笑むとアンチョビに掛け布団をかけてあげた。

 

「寒かったり暑かったりしないか?というか、もうベッドに寝かしておく必要もないな。普通に部屋で過ごせるように言っておくよ。」

 

「ああ。ありがとう。それじゃあまた夕方だな。」

 

「うん。それじゃあまた後で。悪いが、鍵かけさせてもらう。一応私が責任者だからなバレたら殺されるだけじゃ済まないかもしれない、」

 

「わかってるよ。気にしないでくれ。」

 

麻子はアンチョビの部屋に鍵をかけて研究室に戻った。麻子の研究室は通称冷泉研究室と呼ばれていた。冷泉研究室は最初、小さな部屋が与えられただけだったが、麻子が研究成果を出していくに従って規模が大きくなっていった。他の部屋を実験室や手術室として与えられるようになったのだ。そしてついにはワンフロアすべて麻子の研究施設となり今となってはこの拠点のほとんどが麻子の研究施設になっている。その中でも冷泉研究室は麻子が多くの時間を過ごす場所である。そのため自然にものが集まってくる。冷泉研究室には大量の本と論文、試験管やフラスコさらにはホルマリン漬けにされた人間の脳や胃、腸、肝臓、腎臓、心臓、肺など各種臓器と人骨の標本であふれていた。これは全て麻子が携わった人体実験や解剖の材料として犠牲になった収容所収容者たちのものだった。麻子は自分の椅子に深く腰掛けると一つため息をつく。麻子には常々考えていた極秘計画があった。麻子はみほの行動が行き過ぎた時にみほを牽制するための策をずっと考えていたのだ。

 

「西住さん。貴女はやりすぎだ。確かに貴女に私は忠誠を誓うと言った。だが、貴女の行為は看過できない。なんとかあの計画を実行に移さなくては……このままやりたい放題にさせてたまるものか……西住さんにも死の恐怖を味あわせてやる……」

 

麻子は席を立つとコレラ菌の入った試験管と、本棚からある論文を手にとり、心でつぶやく。

 

(コレラ菌のゲノムの中に他のウイルスのゲノムを人工的に取り込ませることができれば、毒性の強いコレラ菌が作れるはずだ。これで西住さんを脅せばこれ以上の暴走を牽制することができるかもしれない。最新のゲノム編集キットが必要だが研究してみる価値はあるかもしれない。)

 

「あとは予算と人員の問題か……人員についてはやっぱり一番信用できるのは沙織と五十鈴さんだな。沙織は研究はできないにしろ私の相談相手くらいにはなってくれるはずだし、五十鈴さんは恐らく文系だが、懇切丁寧に教えれば助手くらいにはなれるはずだ。よし、それで行こう。研究費については西住さんに頼むしかない。どう頼むかは……後で沙織たちに相談してみるか。でも、沙織たちは耐えられのか……?この悪魔の研究に……でも、これが沙織たちを西住さんの魔の手から守る最善の方法だ。とりあえず、沙織たちに会ってくるしかないな。」

 

麻子はそう呟くと白衣を着て研究室の外に出た。麻子はみほの執務室の前でノックをして扉の向こうに話しかける。

 

「ちょっと散歩してくる。」

 

「うん。わかった。気をつけてね。」

 

扉の向こう側からみほの明るい可愛らしい声が聞こえた。許可も降りたことなので大手を振って出かけた。しばらく歩いて戦車駐屯地に着いた。華は近くに咲いていた花で生け花を沙織は仮想彼氏との恋話を華に聞かせていた。一番最初に麻子の姿に気がついたのは沙織だった。

 

「あれ?麻子じゃん!って!白衣なんか着てどうしたの!」

 

沙織が驚愕の声をあげた。白衣姿を沙織たちに見せるのは初めてだった。

 

「麻子さん。とっても似合ってますよ。科学者みたいです。」

 

麻子は華にそう言われて嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになった。この白衣は多くの血を吸っているのだ。犠牲者に申し訳なく思ったのだろうか。麻子の目からじわじわと涙が溢れてきた。麻子は呻くように2人の名前を呼ぶ。

 

「沙織……五十鈴さん……」

 

麻子は溢れる涙を拭くことなく泣いているのを2人に悟られないようにそのまま俯いてしまった。沙織は俯く麻子を見た途端心配そうな顔をして麻子の顔を覗き込む。

 

「麻子……?大丈夫……?何があったの……?何かあるなら話してよ……」

 

「そうですよ。麻子さん。私たち友達じゃないですか。」

 

2人の言葉に意を決した麻子は沙織と華の目を真っ直ぐ見つめて言った。

 

「2人とも話があるんだ。ちょっと一緒に来てくれないか。」

 

「うん。わかった。」

 

「はい。わかりました。」

 

沙織と華は笑顔で答えた。麻子は心が痛かった。これから2人に悪魔の研究を手伝って欲しいと告げるのだ。どう切り出せばいいのかわからない。麻子はうつむき気味に歩きながらずっと考えていた。麻子は独り言のようにぼそりと呟く。

 

「私は罪を犯した……決して許されない罪を……」

 

「え?どういうこと?」

 

沙織たちは麻子の言葉に耳を疑った。

 

「一緒に来てくれればわかる……」

 

それだけ言うと麻子は何も話さなくなった。しばらく歩くと麻子と沙織たちは研究室の前に帰って来た。

 

「ここ?」

 

沙織が尋ねた。麻子は無言で首肯する。鍵を取り出し少し震えながら鍵穴に差し込む。

 

「中に入る前に言っておきたい。恐らくこの中は沙織たちにはショックが大きい。だからもし見たくないものがあったら目を瞑って退室してほしい。それじゃあ開けるぞ。覚悟を決めてくれ。」

 

麻子は辺りを見回して誰もいないことを確認すると音が響かないように静かに扉を開けた。その瞬間ホルマリンの独特な臭いが漂ってくる。麻子が電気をつけると目の前に臓器が入った大量の瓶が彼女たちの前に現れた。麻子はその時、後ろを振り向かなかった。沙織たちの表情を見たくなかったからだ。

 

「こ、これは……」

 

すると突然麻子は後ろから誰かに抱きしめられた。麻子はちらりと後ろを見ると沙織が麻子の背中に顔を埋めている。

 

「ま、麻子!これは何!?」

 

「臓器だ……人間の……」

 

「検体として提供されたものだよね?それがあってもおかしいけど……でもそうだよね?ねえ麻子!そうって言ってよ!」

 

沙織は麻子の身体を揺さぶりながら尋ねる。麻子は力なく首を横に振った。

 

「私が……殺した……生きたまま解剖した……この手で……ちょうど沙織と同い年の女の子の臓器だ……」

 

その言葉を聞いた途端、ばたりと何かが倒れる音がした。突然の物音に驚いて麻子が後ろを振り向くと沙織が倒れていた。しかし、麻子は冷静だった。こうなることは予測が付いていたのだろう。気が動転するわけでもなく研究室にあったベッドに沙織を寝かしつける。華は意外に肝が座っているようだ。おびただしい数の臓器の標本を見ても動じる気配はなかった。

 

「あの、冷泉さん。あそこの骨は……」

 

華は全身骨格の標本を見つめて麻子に尋ねた。

 

「あの骨か……あの骨もこの臓器の持ち主の骨だ。確か写真があったはず。」

 

麻子はそう言うと本棚の中にある、一つのファイルを取り出した。そこには[人体臨床実験ならびに生体解剖の被験者リスト]とあった。麻子はそのファイルをめくる。そして。あるページを開くと項垂れながら説明した。

 

「この子だ……綺麗な子だろ?私はこの子の命を奪ったんだ……私はこの子をただの番号とラベル付きの臓器だけにしてしまった……私は彼女に病気だからと嘘をついて麻酔をかけて生きたままメスを入れたんだ……臓器を摘出したんだ……」

 

そのページには収容前に撮られた沙織くらいの髪の長さの少女の写真と生体解剖直前に撮られたのであろうか丸刈りにされて虚ろな目で写る少女の写真が一枚ずつ用紙に貼られ、他の欄には血液型、身長体重の他、血圧などのデータが書かれていた。華はファイルを手に取ると写真に写る少女を撫でた。

 

「この子の骨ですか……どうしてこんなことに……」

 

麻子は華から目をそらしながら今まで麻子が行なっていた実験の内実を告白した。

 

「事の始まりは西住さんから化学兵器、毒ガスを作り、実験をするように言われたことからだ。私は最初、ルイサイトとマスタードガス、糜爛性の毒ガスを開発した。その時、私は嫌だった。こんなことやりたくもなかった。でも、1回目の実験が終わり、2回目サリンを作った時、私は変わってしまったんだ。実験が終わって効果が実証された時、喜びと快感を感じてしまった。そこからだ。私が壊れたのは。私は実験と解剖を繰り返した。なぜかって?興味があったからだ。人を解剖することに人体実験をすることに興味があったから。それだけだ。いろんなことをやったよ。血液を海水で代用できるのかとか、人は乾燥にどのくらい耐えられるのかみたいな無意味な単なる興味に基づく実験もしたし、さっき言ったみたいに化学兵器や生物兵器の効果を実証するための実験もした。これがすべての真相だ。」

 

華は目を剥き両手を口に当てて聞いていた。華は声を震わせながら麻子に尋ねる。

 

「麻子さん……何も……そんなことして何も思わなかったんですか……!心が痛まなかったんですか……!」

 

麻子は躊躇いながらも首肯した。

 

「最初の頃、西住さんに脅迫されて強制的に実験をやらされていた時はずいぶん苦悶したし心臓を握りつぶされるかのような感覚に陥った……でも、私は生き残るためにいつの間にか割り切ってしまっていたらしい……生き残るためなら誰かを殺しても仕方がないことだと……そしてついに私は何も感じなくなって……それどころか私は非道な実験を楽しむようになってしまった……五十鈴さん……信じてもらえないかもしれないが……私はもうこれ以上犠牲を出したくない……だから……やりたい放題の西住さんを止めたいんだ!」

 

「いったい、みほさんと麻子さんたちの間に何が……?」

 

「彼女は……西住さんは……悪魔だ……五十鈴さんもその片鱗を見ているはずだ。西住さんは市街地で人間狩りと称した大虐殺や市街戦で無差別攻撃を繰り返したんだ……罪のない者たちが大勢死んだ……」

 

麻子は苦しそうな表情をして華に訴える。華は口に手を当てて信じられないと言った表情をしていた。

 

「とても……信じられません……みほさんがそんなことするはず……」

 

華はそこまで言いかけると麻子が話に割り込み、ただならない形相でみほの悪事を訴える。

 

「嘘じゃない!全部本当のことなんだ!西住さんは人を痛めつけ、人が苦しみながら死に絶えるところを眺めるのが大好きなんだ!西住さんは愉悦しながら人を殺すんだ!西住さんにこれ以上やりたい放題に人の命を弄ばれるのはもう絶対にダメだ!そのためには計画中のある研究を完成させなければならない。西住さんを止めるためにはそれしかない!でもその研究は1人じゃ絶対にできない。頼む!協力してくれないか……?」

 

麻子は頭を床に擦り付けながら必死に懇願する。華は麻子の目を何かを確かめるようにじっと見つめながら聞いていた。

 

「その言葉、嘘はないですよね?」

 

華は凛として厳しくも優しい声で麻子に尋ねる。麻子は何も言わずに首肯した。

 

「わかりました。そういうことならお手伝いさせていただきます。」

 

麻子は感激のあまり華を思い切り抱きついた。

 

「ありがとう!ありがとう五十鈴さん!」

 

「それで、その研究とはどんな研究なんですか?」

 

麻子は答えに窮した。研究の詳しい内容を華に話すべきか話さないべきか迷っていた。麻子はしばらく黙り込む。華は不思議そうな顔をして麻子の顔を覗き込んでいる。麻子は少し考えていた。華を信頼していないわけではないが、セキュリティー上のことを考えたら首謀者以外は知らない方がいいだろう。研究内容は隠す他なかった。そう考えると選択肢は一つしかない。

 

「それは言えない。これは極秘だ。誰にも知られてはいけない。特に西住さんに知られたら大変なことになる。頼むから今は聞かないでくれないか?」

 

詳しい研究の内容など言えるわけがない。麻子が計画していることはコレラ菌など既に存在している菌に別のウイルスのゲノムつまりDNAを合成することにより新たな脅威となりうる強い毒性を持つ新型の細菌を作り出すことだった。特に空気感染をするウイルスと合成させて空気感染能力を獲得できれば御の字である。コレラ菌は本来経口感染なので吐き出されてしまえばおしまいだが空気感染能力を獲得すればその場でばら撒くだけでみほに感染させることも可能である。麻子はこの研究で毒性の強い空気感染するコレラ菌を開発し、細菌をばら撒いて感染させるとみほを脅して傍若無人な行動を牽制しようと企んでいた。そのためには人体実験をして細菌の毒性を確かめなければならない。つまり、少数は犠牲になることが前提なのだ。結局のところ、これ以上の犠牲を出したくないとしつつも最低限の犠牲はやむを得ないという功利主義的理論を麻子は頭の中で展開していたのだ。しかし、華にそれが通用するとは思えなかった。だからなんとしても秘密を守りきらなくてはいけないのだ。麻子は心の中で華が納得してくれるように願った。

 

「わかりました。話せるようになるまでは聞きません。」

 

華は納得してくれた。麻子はホッとして「ありがとう。」と言うと沙織が寝かされているベッドに目を落とす。

 

「沙織には悪いことをしてしまった。あんなものを見てしまったんだ……きっとその光景は焼き付いて脳から消えることはないだろう……親友なのに……結果として苦しませてしまった……」

 

華は麻子の肩に優しく手を置くと微笑みながら優しい声で励ます。

 

「大丈夫です。きっと沙織さんもわかってくれます。」

 

「そうだといいが……沙織には私の相談相手になって欲しいんだ。雑談でもなんでもいい。とにかくそばにいて欲しいんだ。もう、ひとりぼっちは嫌なんだ……」

 

麻子は珍しく感情をあらわにした。麻子の目には涙がいっぱい溜まっている。華は麻子の背中をさする。

 

「今まで辛かったんですね……友達なのに気がついてあげられなくて……本当にごめんなさい……」

 

華もまた、自分のことのように泣いていた。そのあと、2人は抱き合いながらわんわんと泣きあった。すると、その声で起きてしまったのだろうか。沙織が目をこすりながら麻子と華に尋ねる。

 

「あれ……?私、どうしてたんだっけ?」

 

沙織の呑気な声に麻子は大慌てでベッドに駆け寄ると思い切り抱きしめた。

 

「沙織!沙織!よかった……目が覚めてくれて本当に良かった……」

 

沙織は状況を理解していないらしい、というよりはあまりのショックで記憶が抜け落ちてしまっているのかもしれない。

 

「麻子?どうしたの……?」

 

沙織は惚けたような顔をしていた。麻子は沙織に起きたこと、そして自分が犯した罪とみほが犯した罪、それを止めるための研究について全て告白した。

 

「そんな……嘘でしょ?嘘よね?冗談よね?嘘って言ってよ麻子……!」

 

沙織は麻子の身体を揺さぶりながら泣きそうな顔をしている。そうなるのも無理はない。自分の友達がマッドサイエンティストと大虐殺を起こした殺人鬼だなんて信じたくもない。

 

「ごめん……沙織……嘘じゃないんだ……でも、私はもうこんなことしたくない。そのためには沙織の協力が不可欠なんだ!信じられないかもしれない。でも、私は沙織を守りたい。沙織を守るためにも私のそばにいてくれないか?」

 

沙織は躊躇うことなく二つ返事で快諾した。

 

「そんなの当たり前じゃん!麻子は私の大切な友達!ずっとずっと一緒にいたじゃん!今更迷うことなんて何にもない。私はずっと麻子のそばにいるよ!」

 

麻子はまた涙が溢れてきそうになったが沙織の前ではなんだか泣きたくなかった。沙織にはいつもの自分でいたかったのだ。麻子は唇を噛んで涙をこらえる。そしていつものようにぶっきらぼうな口調で言った。

 

「ありがとう。沙織、五十鈴さん。これからもよろしく頼む。」

 

「うん!よろしく!」

 

「はい。よろしくお願いします。」

 

その日の夕方、アンチョビのところを訪ねた帰りに麻子はみほの執務室に行き、みほに華と沙織を研究室の助手として迎え入れる旨を伝えた。するとみほはそれで研究がやりやすくなるなら大歓迎であると快諾してくれた。さらにみほは3人で取り組むなら設備がもっといるだろうと研究費として1億円をその場で提供してくれるという嬉しい誤算もあった。1日で下準備が整ってしまった。機材は学園艦の外に出て買いに行かなくてはいけないが今のところまさに順風満帆である。麻子は長い廊下を早歩きしながら手に持っていた白衣を勢いよく羽織った。麻子の髪と白衣の裾がふわりと舞い上がる。麻子は暗い廊下を真っ直ぐ見つめて呟いた。

 

「準備は整った。はじめよう。」

 

つづく




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中央広場→階段前広場の屋台群
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