いろいろあって今日まで更新できず……すいませんでした。
二章第一話、どうぞお楽しみください。
ヒロインが一人増えます。
暁古城は、夢を見ていた。
窓の外では、吹雪が荒れ狂っている。
ここでは一年中、空が晴れる日はない。
あたかも、永劫に閉ざされた極寒地獄の如く。
そんな不毛の土地に、
石造りの部屋を深々と冷気が蝕む。この冷気の中では暖炉の火すら意味を為さず、絨毯すら石床と変わらない。
そんな部屋が、
小鳥のさえずりなど望むべくもなく、虚ろに鳴り響く吹雪の音を聞く。吐く息はもう真っ白だ。
独り、ではなかった。この日の夢は。
棺桶のような執務椅子に腰かける
「ねえ。あなたはいつまで、一人で償い続ける気なの?」
「知らぬよ。余はただこの土地が気に入っているだけだ」
気に入るも何も、そもそも何もないこの地でそれはないだろう。
女は、耳元を甘くくすぐる羽毛のような、甘ったるい蜜のような声で続けた。
「あなたがたった一つの禁じられた呪法でこの国を氷の地獄に変えて。何万もの命を奪って、けれどもっと多くの人々の命が救われて。私だってその一人よ」
どこまでも愛おしそうに、幸せそうに。
「ねえ、シュウ・サウラ。我が君、愛しのあなた。一体いつになったら、妻であるこの私に心の裡を打ち明けてくれるのかしら?」
「心の裡などすでに話したではないか。世界の敵、秩序の破壊者、冥王と忌み嫌われる余には、格好の居城だ。余の妻を名乗るのであれば、そのぐらいは言わずとも分かれ」
気のない風を装って
新たなページをめくろうとした時、不意に女に書物を奪われた。
「余の伴侶を名乗るなら、もっと賢妻然としていて欲しいものだな――冥府の魔女よ?」
動いていなければ人形と見紛うような、無機質な美しさ。
能面のように硬質な表情。
声と口調ははっきり拗ねているのに、彼女の顔はその感情を一切表に出すことはない。
「あまり余を困らせるな」
「お断りだわ。私はもっと構ってほしいのよ」
あまりにも素直で我が侭な言葉に、ついに
声を上げて笑い、ゆっくりとその手を伸ばして――
§
とある日の早朝。まだ朝日が昇り始めた頃。
絃神市内の古城の自宅であるマンションから離れた、人の気配のない無人の公園に、暁古城の姿はあった。
身に着けているのは、動きやすいジャージにタンクトップのTシャツ、その上からいつもの白いパーカーを羽織っている。常夏の人工島とはいえ、早朝はそれなりに冷え込む。
だが問題はない。どうせすぐに汗に塗れることになるのだから。
誰も居ない時間帯を見計らって、それでも自分以外の人間が存在しないことを確認した古城は、ゆっくりと息を吐いて右手を掲げる。
「来いよ……サラティガ」
握り締められた掌中に眩い光が生じて、古城は勢いよく右手を振り抜く。
振り切った古城の手には、一振りの剣が握られていた。
射し込み始めた朝日を反射してキラリと光る刀身を眺めて、古城は一つ溜め息を吐いた。
「……やっぱ、ここまでが限界か」
古城が顕現させたサラティガは、確かに聖剣の名を冠するに相応しい美しさと切れ味を備えているだろう。
だが、かつてフラガが振るったサラティガは、ただの鋭いだけの剣などでは決してない。
王家に受け継がれ、守護者の手によって振るわれることで万人にその威を知らしめた、聖剣たる所以が存在するのだ。
ガワだけならこうやって再現できる。しかし中身が伴わない。
これまではそれでも問題はなかったし、古城自身わざわざそんな物騒なものを手にする必要はないと思っていたが、今では考えが変わっていた。
一週間ほど前のある出来事から、その考えは変わっていた。
今あるだけの力では足りなかった。今手にしているだけの力では、本当に大事なものを守るためには、まったく足りなかった。
力及ばず古城が命を落とすだけならばまだいい。だが親しい少女たち、守りたい人たちが傷つき、その命を散らすことだけは許容できない。
だから古城は、力を欲した。誰かを傷つけるためのものではなく、誰かを守るための力を。
その結果が、この
世界最強の吸血鬼と言えども、日光が弱点であることは変わらない。特に朝の日射しはヤバい。さすがに焼け爛れて灰になることはないが、倦怠感に脱力感、眠気に疲労、食欲不振などの症状に襲われる。
それを推して、古城はここに居るのだった。
再現できないのならば仕方がない。古城はかぶりを振って思考を切り替えた。
秘密にするためにも、妹である凪沙が起き出してくる前に家に戻らなければならない。時間は限られているのだ。
サラティガを握り直し、胸を反らして半身になる得意独特の構えを取る。
瞬く間に全身の七つの門から、純白の
ブライトホワイトの軌跡が消えないうちに身を翻し、更に一閃、二閃。
まるで流麗な演武のように、見えない何者かと激闘を演じているかのように、古城は剣を振り続けた。
一度たりとも止まることなく、それを延々と続ける。日光を受けてじくじくと痛み出す肌も、滴る大粒の汗も気にせず、一心不乱に。
古城の視線は鋭い刃のように尖り、古城の表情は堅く引き締められている。
極限の集中力を以て、動きの一つ一つを体に刻み込んでいく。無意識レベルまで刷り込んでいく。
――それだけ意識を張り詰めていたからだろうか。
何者かが近付いてくる気配に、古城は即座に気が付いた。
明らかに偶然こちらに向かっているというわけでなく、確かな足取りで古城を目指している。
サラティガを下げて、古城が油断なく見据える先で――一人の少女が、姿を現した。
その少女を見て、古城は肩の力を抜いて拍子抜けした表情を浮かべ、その少女は微かな笑顔を浮かべた。
思わず息を呑むような、清冽な美貌を持ち、細身で華奢だが儚さはない。幼さを残しながら均整の取れた体つきで、すっと伸びた背筋から美しい猛獣のような、しなやかな強靭さを感じさせる少女。
彩海学園中等部の制服を着て、背中には大きなギターケース。そのギターケースを見て古城は顔を顰めた。
「……何だ、姫柊かよ」
「おはようございます、先輩。何だとは失礼ですね」
少女――姫柊雪菜は、生真面目に挨拶してから、古城の言い草に眉を顰めた。
「ああ、おはよう。随分早いな、姫柊」
「それを言ったら、先輩の方こそ早いじゃないですか。何をしていたんですか?」
雪菜の視線の先には、古城の右手に握られた長剣の存在があった。
彼女の黒目がちの大きな瞳が訝しげな色に染まるのを見て、古城は頭を掻いた。
「あー、何つうか……特訓?」
「特訓、ですか? 一体何の……」
「
「
首を傾げていた雪菜だったが、それ以上に気になることがあったようで、僅かな好奇心を乗せて古城に問いかけてきた。
「そういえば、前から気になっていたんですが、先輩の剣術はどこで習われたんですか? すごく洗練されていましたが……」
「ん、あー。いや、習ったっていうか……」
上手く説明出来ず言い淀む古城。
不思議そうに見つめてくる雪菜を見ながら、古城は考えた。
暁古城の持つ、二つの前世。剣聖フラガと、冥王シュウ・サウラのこと。考えてみれば、まだ雪菜にはそのことを話していなかった。
雪菜は古城が世界最強の吸血鬼、第四真祖であることを知っている。むしろ彼女はそれを知って、古城を監視するために絃神島へ来たのだ。
ならば今更、前世のことを教えたぐらいで何の問題があるだろう。むしろ知っていてもらいたい。
なのに、何か心の隅に躊躇のようなものがあるのだが、これは一体何なのだろうか。
何故か、雪菜にそれを話すことを躊躇う自分が居る。ずっと黙っているのは、彼女に対して不誠実であるはずなのに。
躊躇を振り切り、古城は雪菜に打ち明ける決心をした。
「……姫柊。俺がこれから話すことは、信じられないかもしれないけど、本当のことなんだ。だから、とりあえず最後まで聞いて欲しい」
「え? は、はい」
そう前置きしてから、古城は語り始めた。二つの前世、
「……つまり、先輩にはフラガとシュウ・サウラという二つの前世があり、先輩は前世で使っていた
「まあ、大体そんな所だな」
今の拙い説明からよくもそこまで要約出来たものだ、と古城は感心しながら頷いた。
与えられた情報を整理するように目を閉じて考え込む雪菜。古城は邪魔をしないように黙っていた。
やがて目を開いた雪菜は、どこか不要領な表情をしながらもとりあえず頷く。
「ええ……はい。まあ、分かりまし、た……? はい」
本当に分かったのか? という疑問は呑み込む。
古城が口にしたのは、別のことだった。
「前世が二つあったとしても、今の俺は俺だ。暁古城なんだよ。だから、ええっと、あー……」
言いたいことはあるのだが、上手く言葉に出来ない。
もどかしさに頭をガシガシと掻いていると、そんな古城に雪菜は小さく噴き出した。
「分かってますよ。わたしが知ってる先輩は、怠け者で、面倒くさがりで、ちょっと間抜けてますけど、やる時はやる。いやらしいけど、頼りになる先輩ですから」
「おい……褒められてる感じがしねえぞ」
「事実ですから」
つんと澄ました表情で言う雪菜だったが、言葉の端々に暖かい優しさを感じて、古城はそれ以上言えなくなってしまう。
古城は、自分が何を躊躇していたのかを理解した。
つまるところ、古城は怖かったのだ。
真実を知られて、雪菜が自分を見る目が変わってしまうことが。
結果的に杞憂だったとはいえ、古城は確かにそのことを恐れていた。
何故雪菜に態度を変えて欲しくない、嫌われたくないのか、その理由を気付かないまま。
しかもどうやら、そんな不安すら雪菜には見破られているようで、古城としては恥ずかしいことこの上ない。
クスクスと笑う雪菜に渋面になっていると、不意に雪菜が顔を上げて、背中のギターケースに手をかけた。
「お、おい、姫柊……?」
「先輩は今、特訓をしているんですよね?」
「え、ああ。そうだけど……」
「それ、わたしも参加させてもらっていいですか? ……実戦形式で」
「え?」
言うなり、雪菜はギターケースから格納状態の銀色の槍を取り出した。
雪菜がそれを一閃すると、一瞬にして柄が伸びて、格納されていた主刃と、横合いから左右に副刃が飛び出し、洗練された近代兵器のような外観の槍が姿を現す。
ありとあらゆる結界を切り裂き、吸血鬼の真祖すら滅ぼしうる攻魔の機槍――〝
腰を低く落とし、銀色の穂先を古城に向けて、雪菜は強気に微笑んだ。
「先輩には二度ほど負けたことがありましたが……今度は、負けませんから」
呆気に取られる古城だったが、やがて小さく噴き出した。
ずっと前の些細な小競り合いをいつまでも気にしている彼女が、いつもの冷静な振る舞いと比べて面白く感じたのだ。
まあ、そういうのも嫌いじゃないよな、と心の中で呟きながら、古城も構えを取った。
「……いいけど、軽くな、軽く」
そう前置きした直後、古城に向かって銀色の槍が突き出された。
性急な彼女に苦笑いしながら、どこか清々しい気分で、古城も剣を振るうのだった。
§
嵐城サツキの朝は早い。
九月半ばの水曜日。まだまだ日も昇り切らない頃。
けたたましく鳴るケイタイのアラームに、サツキは叩き起こされた。
もぞもぞと手を伸ばして枕元のケイタイを手にとって時刻を確認し、大欠伸をしながらゆっくりと体を起こす。
もっと惰眠を貪りたい衝動とふかふかのベッドの誘惑を振り切り、ベッドから抜け出した彼女は、部屋の窓とカーテンを一気に開け放った。
射し込む朝日――は僅かだったが、流れ込んでくる早朝の冷気が、彼女の意識を完全に覚醒させた。
弾かれたように窓際から離れて、素早く、けれど未だ寝ているはずの家族を起こさないように、気配を消しながら洗面所へと向かい、顔を洗う。
近くの棚からタオルを引っ張り出して浴室に飛び込み、シャワーオン。
時間を考えると、カラスの行水になってしまうが、致し方ない。
こんな朝早くに彼女が起き出したのには、当然理由があった。
「うふ、うふふふ。待っててね、兄様、おはようの一番乗りはこのサツキちゃんなんだから!」
全ては、誰よりも、彼の実の妹である凪沙よりも早く、
両親が心配するため、週に二日しか行くことは出来ていないが、実行できる日はサツキにとってそれだけで、その日一日は幸せに暮らせそうな気がするのだ。
熱めの湯が心地よい。体が軽い。朝のだるさなんて、これからのことを想像するだけで吹き飛んでしまう。
思い起こせば、前世の記憶を夢に見るようになったのは十歳の頃。
夢の中でのサツキは、剣技が得意で凛々しい、可憐なお姫様である、サツキにとって理想の自分がそこにあった。
しかも夢の中のサツキの傍には、いつも一人の戦士の姿があった。
フラガという名の彼は、強くてカッコよくて、しかも自分のことを心の底から愛してくれているという、完全無欠の兄様だった。
サツキはフラガに恋をした。
初恋だった。あるいは、転生してももう一度恋に落ちた。芽生え始めたばかりの恋心は、夢でしかないということすら忘れて止まらなかった。
そして今――
何千万年もの時間と、何億光年もの距離を超えて、サツキは
これを運命と呼ばずして何と言う?
「好き♡ 古城が好き! 大好き♡♡♡」
胸の内が抑えきれなくなり、大声で叫んでしまう。この家の中には両親も居ることを思い出して、慌てて口を塞ぐ。
だがしかし。もう、声高に主張してもよいのだ。
前世でのフラガとの関係は、許されざる兄妹間での愛だった。
禁忌への背徳感でサツキのピュアッピュアな乙女心は燃えに燃え上がったりもしたが、誰からも祝福されない関係だった。あ、あああ、赤ちゃんだって望めなかった。
しかして
血縁城と戸籍上では繋がっていない!
結婚だって合法。子供への悪影響も考える必要はない。
「ノープロブレム! オールオッケー! アタシは、もう何も怖くない!」
盛大な死亡フラグ的なことを口走りながら、サツキはシャワーの栓をぎっちぎちに締めてから、浴室を飛び出した。
まあ――
問題と言えば、前世と違って、今の古城の周りには余計な女が何人も居ることだが。
漆原をはじめ、藍羽、神崎、モモ先輩。そして、最近追加された、古城の監視役を名乗る姫柊雪菜とか言う後輩。
法律的、倫理的な障害がなくなった分、ライバルも増えてしまったが――大丈夫。問題ない。
タオル一枚頭にかぶっただけの状態で、サツキは自分の首筋に手をやった。
二週間ほど前、愛しの兄様に刻まれた印があった部分を。今ではもうちょっとした跡しか残っていないのが残念だが、古城に付けられた傷と言うだけでサツキの優越感は存分に満たされるのであった。
これのおかげで、古城とサツキの関係は他の有象無象とは、十歩も二十歩も差が出来ている。その有象無象に憐れみすら覚えるサツキ。調子のいい娘だ。
最近の古城は特訓と言ってサツキよりも早く起き出しているが、それならそれで構わない。
どちらにしろ最初におはようを言うのは自分だし、彼に恋をしてから母親にせがんで習得した料理スキル、お嫁さんスキルを披露するには絶好の機会だ。
期待感に薄い胸を弾ませながら、サツキはいそいそと厳選した下着を着けて、クローゼットから制服を引っ張り出し、明るい色の髪を丁寧にサイドテールに結っていく。
最後に姿見の前で細かい部分を整えて、昨夜の内に準備しておいた通学カバンを手に取り、未だ夢の中に居るはずの両親に小声で行ってきますを言って、サツキは意気揚々と玄関を飛び出した。
古城の自宅があるマンションとサツキの家は、そこまでの距離はない。モノレールに乗る必要もないほどだ。
徒歩で約二十分。走れば十分程度で着く。
せっかくシャワーを浴びたばかりなのに汗をかくほど全力疾走、などという間抜けなことはしない。焦らず、しかしつい気が急いてしまい、早足になる。
マンションまで辿り着き、丁度数人の住人を乗せて上昇しようとしていたエレベーターに滑り込む。
あともう少しで古城に会えるという喜びについつい頬が緩んでしまう。同乗者に変な目で見られるが、気にしない。というか気が付かない。
古城の部屋、705号室のある七階にエレベーターが到着する。喜び勇んで飛び出したサツキは、廊下をパタパタと駆けて、凪沙からもらった合鍵を取り出す。
これを渡された時、古城が横で渋い顔をしていたのを思い出しながら、サツキはガチャガチャと解錠してドアを開け放った。
「兄様ぁ~~♡ 兄様の可愛い可愛い最愛の妹ことサツキちゃんがモー……ニング……コー……ル…………」
サツキの幸せ一杯の声は、リビングに到達したところで、徐々にフェードアウトして行った。
もはや慣れ親しんだ廊下を突っ切った先。テレビの前に設置された優に三人は横に座れるソファーの上。
真っ白い、サツキの家にもあるような何の変哲もないソファーを目にしたサツキは、その姿のまま綺麗に固まってしまった。
サツキが呆然と見つめる先。そこには、
「……っ、ぜぇ、はぁ……っ、ぜぇ……っ!」
「……はぁ、ふぅ……はぁ、ぁっ……ふぅっ」
――互いに衣服を乱して、激しく息を乱して全身汗に塗れた古城と雪菜が、ソファーにしなだれかかっていた。
ジャージに白パーカーというラフな格好の古城は、まだジョギングから帰って来たばかりと言い訳は利くだろう。
だが、乱れた彩海学園中等部の制服の襟元やら裾やら。汗で額や頬に張り付いた黒い髪。上気して薄ピンク色に染まった肌に茫洋とした、艶めいたとも言える切れ長の瞳。小さな唇から絶え間なく吐き出される熱を持った吐息……と、挙げていけば挙げるほど、もはやAどころかBまで通り越して、Cまで行ってしまったビジョンしか見えてこないではないか……!
「に、ににに、兄様ぁぁぁぁッッ!!? な、ななな、何やってるのよぉ!? まままさか、行くところまで行っちゃったんじゃないでしょうねぇ!? このあたしを差し置いてッッ!?」
「……ぅ、はぁっ、さ、サツキ……か……?」
顔をトマトのように真っ赤に染めて食ってかかるサツキに、古城は常の気だるげな視線を向けた。
何を勘違いしているのかは知らないが、今回の件に関して、悪いのは古城ではなく雪菜だ。そこは譲れない。
「ち、がう……! 悪い、のは……姫柊だっ……! 軽くって、最初に言っただろうが……っ!」
「そ、それは、悪いと……思って、ますけど……っ、でも、あそこ、まで激しくすることは、ないじゃないですか……っ!?」
「お前が、どんだけやっても満足しなかったんだろうが……っ! そもそも、最初に求めてきたのは姫柊の方だろ!?」
「確かにそうですけど! 何だかんだで先輩も楽しんでたでしょう!?」
徐々に息の整ってきた二人の、ぴったりと合った息と会話の内容に、サツキは茫然自失となるしかない。
希望と歓喜に満ちて乗り込んだはずなのに、叩きつけられた絶望と驚愕。
がくりと膝を折り、崩れ落ちるサツキ。その瞳に光はない。
そして、そんな混沌とした空間に、さらなるカオスをもたらす火種がやって来た。
未だギャーギャーと騒ぐ二人の声に叩き起こされたか、可愛らしいパジャマ姿の暁凪沙が瞼を擦りながらリビングに立ち入って来たのだ。
「ん、んん。古城君……? 雪菜ちゃん……? あ、サツキお姉ちゃんも……? みんな、どうし……た……の……」
どう見ても事後にしか見えない兄と友人の姿を見た衝撃か、凪沙の意識は完全に覚醒したようだった。
「え、ちょ、古城、君……? ゆ、雪菜ちゃんまで……なに、やってるの……???」
「あ、や、違うんです、これは……!」
グルグルと目を回す凪沙に、今の自分たちがどう思われているのかをようやく理解して、慌てて誤解を解こうとする雪菜。
そんな二人と、ショックから復帰できていないサツキを見回して、古城は深い溜め息を吐いた。
朝から騒がしいな……と思ったが、大体いつもこんな感じである。
そのことを思い出し、古城はもう一度溜め息を吐いて、昇り切った朝日を眺めた。
§
「球技大会?」
「そ。で、バドミントンの練習に使うやつを、ウチの姉ちゃんに頼んで借りてきたのよ」
朝。今度は早朝ではなく、本当に朝。
彩海学園高等部の昇降口、古城のクラスの靴箱前。
そこで古城は、丁度靴を履き替えていた先客と話をしていた。
華やかな髪型に垢抜けた化粧。センス良く制服を着崩した、目立つ容姿の同級生だった。
「お前ってたまに気が利くよな」
「たまに、は余計だっての。ま、ホントのとこは昨日、お倫に頼まれたんだけどさ」
男友達のような気安い口調。端正な口元に浮かぶニヤニヤ笑い。人懐こくて妙に印象的である。
彼女――藍羽浅葱の足元には、大きなスポーツバッグが投げ出されている。閉まり切らないファスナーの隙間から見えたのは、使い古しのラケットが数本と、シャトルだ。
浅葱が言うには球技大会のためのものらしいが、確かに全校生徒が参加する正式な学校行事だ。学校の備品だけでは足りないだろう。
「んで、古城は何に出ることにしたわけ?」
「さあなー……築島には、なるべく楽な種目にしてくれって頼んでおいたけど」
そんな風に軽口を叩きながら、二人で教室へ向かう。いつの間にかスポーツバッグは古城が持たされていた。意外と重い。
ちなみにサツキは、凪沙、雪菜と一緒に先に学校に行った。何でも雪菜のチアガールの衣装の寸法などの準備があるらしい。凪沙が言うには、雪菜のクラスの男子が全員土下座して頼んだとか。アホか。
階段を昇り切り、古城と浅葱は教室に入る――直後、ざわっ、と空気がどよめいた。
教室に居たのはクラス全体の七割程度。その全員が一斉に古城たちに視線を向けていた。
「な、何だ?」
「な、何よ?」
思わず同じような戸惑いの声を洩らす古城と浅葱。
クラスメイト達の視線に含まれているのは、納得と信頼が入り混じったような奇妙な一体感と期待感。
「よお、古城。相方と一緒に道具持って登場とは、流石に気合入ってんな」
教卓の近くに居た、短髪をツンツンに逆立てた軽薄そうな雰囲気の男子、矢瀬基樹が、やけに調子よく声をかけてきた。
古城にとっては中学時代からの悪友であり、浅葱にとっては幼馴染である。
そんな友人を二人は胡乱げに睨んで、
「相方ぁ?」
「何言ってんの、あんた。年上の彼女に振られて錯乱でもした?」
「錯乱してねえし、振られてもねえよ! 縁起でもねえ!」
声を上擦らせて叫ぶ矢瀬を無視して、古城は教室内に視線を巡らせた。
探していた相手はすぐに見つかった。元々並外れた美少女なので、たった三十人ぽっちの中から探すのは簡単なのである。
もっとも、いつもは明るい笑顔を絶やさないその少女は、今はとても不満げに頬を膨らませていたが。
「おい、サツキ? どうしたんだよ」
「…………」
古城の問いに少女――サツキは直接答えることはなかった。……朝の一件は、あの後ちゃんと誤解を解いたはずなのだが。
まさかまだ根に持っているのでは、と不安になった古城だったが、そうではなかったようだ。
分かりやすく不貞腐れた表情のまま、サツキは細い人差し指で黒板を指差した。
そこに立っていたのは築島倫。長身で大人びた雰囲気の女子生徒だ。黒板にはいかにも彼女らしい几帳面な字でクラスメイトの名前が全員分書かれている。
「球技大会の参加種目。丁度今発表したところなのよ」
「ああ……」
築島の説明に、古城と浅葱はそれで何で自分たちが注目されるのかと首を傾げながら、黒板に記された白い文字を漫然と追って、
「バドミントンの
意外な場所にある自分たちの名前に気付いて、古城は軽く唖然とした。
もちろん古城にはバドミントンの経験はないし、出場を希望した覚えもない。というか黒板に記された自分たちの以外のメンバーを見たところ、クラス公認のカップルばかりではないか。
「……何であたしが古城と組まなきゃならないのよ?」
「今年からそういう規定になったの。シングルスが廃止で、代わりに
そんな会話を二人がかわす横で、古城はサツキに話しかけていた。
「まあ事情は分かったが……それで、何でお前が拗ねてるんだよ?」
いやまあ、訊くまでもないとは思ったが。
「……何でダブルスなのに、あたしと古城のペアじゃないのよ。納得いかないわ」
やっぱりか、と古城は苦笑を零す。
「仕方ないだろ。そもそもお前はチア部だろうが。応援でお前自身は競技に出られないし」
そう。この嵐城サツキはチアリーディング部に所属しており、しかもエースらしいのだ。チア部のエースとはこれかに、という感じだが。
チア部は競技大会の際は慣例的に応援に徹することになる。たまに一般生徒の中から助っ人が引き抜かれることもあるが(今回の雪菜のように)、その助っ人も他の競技に参加することは出来ない。
無論サツキもそんなことは重々承知しているだろうが、それでも納得がいかない、と言ったところだろう。
面倒な妹である。そう思いながらも笑っているので、古城も中々に流されて来ていた。
サツキの頭を撫でてやりながら、古城はメンバーからもう一人の親しい少女の名前を探していた。
「えーっと、あ、あった。……バスケの補欠? まあ、アイツ運動音痴だしな……」
親しい少女――漆原静乃の顔を脳裏に思い浮かべて、古城は苦笑した。
常日頃から昼行燈で通している静乃のことだ。球技大会など、やる気の一欠片も抱いていないだろうことは間違いない。クラスの皆もそこら辺は弁えたものでだからこそ、三人も居る補欠メンバーの最後の一人というポジションに据えられたのだ。
と、噂をすれば何とやら。その漆原静乃が、教室のドアから入ってくるところだった。
動いていなければ人形と見紛うような無機質な美しさ。
能面のように硬質な表情。
だがその体系は随分と自己主張が激しい。折れそうなほどに腰はくびれているくせに、上も下もボリュームがすごい。もう、言葉もないほどに。
「おはよう、古城」
「ああ、おはよう、静乃。……何か眠そうだな?」
常と変らない無表情で、古城以外には分からないだろうが、僅かながらいつもより瞼が下がっていた。
じぃっと注視しなければ気付かないほどの微妙な変化。パッと見ただけで見破れるのは、それこそ古城だけだろう。
事実、すぐ近くのサツキは怪訝そうにしているし。
静乃は、そのことに気付いてくれて嬉しいというように、少しだけ頬にえくぼを作った。これもまた、古城でなければ分からないほどあえかなもの。
「ええ。昨日は遅くまで調べ物をしてて、ちょっとね」
「大丈夫か? なんなら、授業が始まるまで寝てろよ」
「悪いけれどそうさせてもらうわ。また後でね」
言うなり静乃はさっさと席に着いて、堂々と机に突っ伏して居眠りを始めた――古城の席で。
「オイ」
流石の古城もツッコんだ。寝ろとは言ったが、誰も俺の席で寝ろとは言ってない。
しかしツッコんだ時には、もうすでに静乃は完全に寝落ちしていた。
その安心し切った寝顔に毒気を抜かれた古城は、仕方なく優しく静乃の顔を上げて机から離し、そっと抱き上げる。
「ちょっ、兄様ぁ!? 何やってるワケ!?」
「何って。コイツ寝てるから、コイツの席まで運んでやろうと思っただけだけど」
「古城が運ばなくてもいいじゃない! 起こせばいいでしょ!?」
「いやぁ。静乃のことだから、余程のことじゃないと起きないと思うぞ」
泡を食ったようなサツキの声に適当に返しつつ、ササッと静乃を自分の席に座らせて、古城も自分の席に戻る。
クラスメイトから向けられるはっきりとした嫉妬の視線にも気付かず、サツキと、そして浅葱とが古城に食ってかかろうとしたところで、予鈴が鳴り始めた。
明らかに不満げな表情で、渋々といった様子で席に着くサツキと浅葱。それを見て苦笑する矢瀬と築島。相変わらず爆睡する静乃。
今日もまた、他愛のない日常が始まった。
§
昼休み。古城、サツキ、静乃、そして雪菜は、担任にして英語教諭、南宮那月の呼び出しを受けて彩海学園高等部の職員室棟校舎に向かっていた。
中等部からやってきた雪菜が合流するのを待って、四人で向かう。
その途中、不意に静乃が口を開いた。
ちなみに彼女の眠気の方は、すっかり取れたらしい。
それは取れるだろう。午前の授業中ずっと眠り続けていれば。あの那月の授業すら寝たまま受けたのだ。
あの鬼担任の那月が閉口しながら成績表にバツを付けるしかなかったことからも、それが分かるというものだ。
「そういえば古城。昨日、私が調べていたことについてなのだけど」
「ん? ああ、そういや聞いてなかったか。何調べてたんだ?」
朝の一幕を思い出し、頷く古城。
古城の問いかけに、静乃は僅かに声を潜めて、
「――あの化け物、《
「……っ!」
それを耳にした瞬間、古城の表情が引き締まり、聞こえていたサツキと雪菜もハッと身を強張らせた。
「何か分かったのか?」
「ええ。各国が隠蔽していたみたいだけど、
財界の重鎮、漆原家。
日本政府の官僚や議員などに多く人材を輩出し、絃神島の人口と管理公社にすら影響を及ぼす、超名門だ。
日本だけでなく世界各国との間に繋いだパイプを使えば、引き出せない情報などないのだろう。
「確認されている中で、《
「ああ」
「一件目が北アメリカ、二件目が中東、三件目が欧州よ」
「ん? ……待て、そのラインナップって……」
不思議な違和感を覚えた古城だったが、その違和感の正体に先に思い至ったのは、沈黙して聞いていた雪菜だった。
「もしかして……三件とも、吸血鬼の真祖が収める領地……〝
「御明答よ」
雪菜の驚愕と畏怖の混じった声に、静乃は淡々と頷いた。
欧州――第一真祖の領地、〝戦王領域〟。
中東――第二真祖の領地、〝滅びの王朝〟。
北アメリカ――第三真祖の領地、〝混沌界域〟。
魔族の王たちが統べる三つの帝国。その全てに、あの世界から逸脱した化け物が現れている――これは、偶然か?
「それぞれ〝
それだけで、ヤツらがどれだけの脅威だったのか、よく分かる。
真祖は、〝
「そして今回現れたのが、この絃神島――ここを第四真祖の領地だと考えれば、明らかに作為的なものを感じるわね」
どうやら静乃も古城と同じ疑念を感じているようだ。
第四真祖の領地云々に関しては脇に置くとして、偶然がこれだけ続くと流石に怪しく思えてくる。
だが、だとしたら、一体どこの誰が、何の目的でこんな真似を――? 考えても答えは出ない。
重苦しい沈黙に包まれたまま、古城たちは那月の執務室に到着した。
§
那月の執務室は、何故か学園長室よりも見晴らしのいい最上階にあった。理事長室と同じ階である。
この学園の理事長は漆原家の人間、静乃の兄である。そんな男と同等の影響力を持っているのは、流石に規格外である。
分厚いビロードのカーテン、年代物のアンティークの家具。天蓋付きのベッド。ここに来る度に、どこの王宮だとツッコみたくなる。
「那月ちゃん、来たぜ――ぐおっ!?」
「こ、古城!?」
「せ、先輩!?」
分厚い木製の扉を開けて部屋の中ずかずかと入り込んだ古城の頭蓋骨を、いきなりすさまじい衝撃が襲った。
あえなく仰向けに転倒する古城を、すぐ後ろを歩いていたサツキと雪菜が慌てて抱き起こす。静乃は鉄面皮で知らんぷり。
そんな四人を、黒いドレスを着た部屋の主は奥から冷ややかに見つめていた。
幼女にしか見えない童顔だが、自称二十六歳のれっきとした英語教師。そして、絃神市内の教育施設に義務付けられた生徒の安全確保のために配置された国家攻魔官、その一人でもある。
彼女は高価そうなアンティークチェアに深々ともたれて、黒レースの扇子を開き、
「私のことを那月ちゃんと呼ぶなと言っているだろう。いい加減に学習しろ、暁古城」
「ぐっ……殴る前に言ってくれてもいいだろ」
「殴る前に言って、お前が改めたことがあったか?」
涙目で発した反論もすげなく論破されてしまう。正論である。
これ以上言い合っても仕方がないので、さっさと本題に入ることにする。
「それで、那月ちゃ……先生。俺たちが呼ばれたのは何でだ?」
性懲りもなく那月ちゃんと呼びそうになった古城だったが、本人の一睨みで慌てて言い直す。
那月はチッと舌打ちをしてから、僅かに椅子から身を乗り出した。
「いろいろあるが、まずは一つ目だ。……あの化け物、《
「…………」
半ば予想できていたことだったので、四人とも静かに頷くのみに留めた。
「まず、アイツらがこの絃神島以外でも出現していることは知っているか?」
「ああ。さっき静乃から聞いたよ。全ての〝
「漆原からか。なるほどな。……ならそこら辺は飛ばしていいな。これを見ろ」
そう言って那月は、机の上に三枚の写真を投げ出した。
代表して雪菜が取りに行き、その写真を目にして大きく眼を見開く。
そのただならない様子に古城たちも警戒の表情を浮かべた。しかし、雪菜が持ってきた写真を見ると、すぐにその表情は驚愕と戦慄に取って代わった。
「こいつらは……!」
「《
呻く古城とサツキ。声には、拭い切れない恐怖が色濃く表れている。
一枚目に映っていたのは、大きさ八メートルほどはある巨大な髑髏。ありとあらゆる方向にくねっている触手のような頭髪がざんばらになっている。目に当たる部分には赤い光が、嘲笑うように輝いていた。
写真の下に書かれた場所は、〝混沌界域〟。第三真祖の領地に現れた《
二枚目に映っていたのは、十メートルを優に超える大ムカデ。
場所は〝滅びの王朝〟。コイツは、第二真祖の領地に現れた個体だ。
三枚目に映っていたのは、体長十数メ―トルはある黒豹じみた化け物。瞳に金色の光が炎のように揺らめき、口腔からゴムホースのようなナニカを伸ばしていた。
コイツが出た場所は、〝戦王領域〟。第一真祖の治める〝
「……うっ」
「サツキ……」
「ご、ごめん……兄様」
不意にサツキが口元を押さえて、隣の古城に寄りかかってきた。
顔色は青を通り越して蒼白になっている。無理もない。古城や雪菜どころか、静乃ですら露骨に眉を顰めているのだ。
どいつもこいつも、吐き気を覚えるほどに気色が悪い。
こんな気味の悪い生物が、この青き水の星に居るはずがない。
居るべきではない。
居てはならない。
即ち、《
「那月ちゃん……こいつは」
「……これまでに出現した、《
またちゃん付けをしていたが、那月は特に何も言うことはなかった。眉に寄る皺を見るに、心境的にはそう変わらないのだろう。
「そういう意味では、今回は幸運だったのかもしれんな」
あの九頭大蛇による被害と言える被害は、精々が討伐に動いた
死者も数名。民間人への被害はゼロだった。損害としては軽微と言っていい。
むしろ、
「むしろ、お前が四号
「やめてくれ! つうか、責任は取るって那月ちゃんも言ってたじゃねえか!」
「私はただ、被害は極力抑えてやる、と言っただけだぞ。
「…………ちなみに、どのぐらいしてるんだ?」
「ゼロが両手でも足りないぐらい、と言っておくか。片足まで使えばギリギリ足りるか? いくらデカイだけのゴミ箱とはいえ、建設にはそれなりの費用がかかっているからな」
「ぐぉぉぉ……」
明らかに面白がっている那月の言葉に、古城は頭を抱えて呻いた。
すでに倉庫街を焼き払ったせいで五百億円の借金を抱えているのに、今回はそれより遥かに多いと言う。
不老不死の吸血鬼になってしまったとはいえ、全額返済するまでに一体何百年かかることやら。
落ち込む古城の肩を苦笑しながら慰めるように叩く雪菜。その反対側から、静乃が優しく声をかけた。
「安心して? 私の家、漆原の財力なら、すぐにでも返せるわ?」
「そ、そうなのか……?」
「ええ、もちろん。だってあなたが私と結ばれれば、わたしの資産は全部あなたのものだもの」
「結局それかよ! ありがたいけどやめとくわ!」
「あら、何が不満なのかしら? 私と結婚したら、これも古城のものなのよ?」
豊か極まる胸の下で腕を組んで、これ見よがしにそれを強調する静乃。
駄目だとは分かっていても、悲しきかな男の本能。ついつい至福の柔らかさと弾力を持つそれに、視線が吸い寄せられてしまう。
柔らかさとか弾力とかを何故知っているかについては、推して知るべし。
「先輩……?」
「いでででで! ちょっ、本気で抓るなって!」
ゴクリと喉を鳴らした古城の脇腹を、ジト目の雪菜がギリッと抓る。
制服越しのはずなのに伝わってくる激痛に身を捩る古城。細い指のくせに何という力だろうか。
そんないつも通りの光景に、顔色を青くしていたサツキも、ようやく笑顔を見せた。
もしかしたらこのために那月はこの話を振ったのかもしれない。さすがは教師という視線を古城が送ると、彼女は分かりやすく視線を逸らした。苦笑する古城。
静乃が肩を竦め、雪菜が柔らかく微笑む。
とりあえず写真を三枚重ねて裏返して近くにあった台に置き、古城は話を再開した。
「それで? 話はこれだけっすか?」
「いや、実のところこの話は世間話に近い。もう一つ、重要で――お前にとっていい話がある」
「は?」
ニヤリと不敵に笑う那月に訝しげな視線を向けるが、那月は取り合わずに古城たちの背後、扉の方へ視線を向けた。
「おい、入ってこい」
そして、誰かに向かって入室を命令する。
木製の扉が開き、反射的に古城たちが避けたことでできた道から、一人の少女が入ってくる。
「――
どこか奇妙な響きを持つ声と共に。
その少女の顔を見て、古城と雪菜、サツキは驚きに目を見開き、静乃は特に表情を変えずに興味深げに観察する。
左右対称の人工的な顔立ちに、藍色の長い髪、感情のない淡い水色の瞳。
古城たちは、その少女に見覚えがあった。
「あなたって、あのデッカイ人が連れてた、眷獣憑きの――!」
「アスタルテ……さん!?」
驚愕に目を見開くサツキ、雪菜。
アスタルテ。人工眷獣〝
古城も同じように驚きつつも、事情を知るであろう人物、那月の方へと視線を移した。
「何でこの子が学校に居るんだよ」
「キーストーンゲート襲撃に加担した人工生命体アスタルテは、三年間の保護観察処分中でな、国家攻魔官である私の所に話が来たんだが――せっかくだからな、お前の所で面倒を見てもらうことにした」
「は!? どういうことだよ!?」
「要するに、お前にアスタルテを引き取れ、と言っている。喜べ、暁。お前専用のメイドが手に入るぞ?」
「メイドって……だから、こんな恰好してんのか」
古城はもう一度アスタルテの方に目をやって、溜め息を吐いた。
呆れる古城に、那月はフンと得意げに鼻を鳴らし、
「どうだ? かつて、吸血鬼の令嬢も着ていたプレミアもののメイド服だぞ? 特別に貸し出してやった」
「これ、アンタのかよ! てか、何でメイド服なんて持ってんだ、着るのかアンタ!?」
「何だ、暁。私のメイド服姿が見たいのか? どうしようもない変態だな」
「誰がそんなこと言ったよ」
このままではただの水掛け論になりそうだったので、話の方向を修正する。
「まあ、事情は何となく分かったけど……何で俺の所なんだ?」
「うむ、私は教師の仕事もあるからな。十分に見張ることは難しい。……ぶっちゃけ、面倒だしな」
絶対、最後の一言の方が本音だ。
「後はまあ……本人の意思だな」
「え?」
驚いてアスタルテを見つめる古城に、アスタルテは小さく頷いた。
その姿は、初めて出会った頃の無機質さが薄れた、確かな人間らしさがあった。
「……お前が望んだ、のか?」
「肯定。……私は、あなたに救われました」
ある男の道具として造られた少女は、自分の胸に手を当てて、語った。
「全てを壊すために、滅ぼすためだけに造られた私は、長く生きることもなく死ぬ運命にありました。当然です。用が済んでしまえば、ただの道具に価値などないのですから」
「アスタルテ、それは――」
「ですが、そんな私を、かけがえのないものを壊そうとした私を、あなたは救ってくれました」
確かな強い意志を帯びた視線に射抜かれて、古城は口を噤む。
「私は、あなたのおかげで全てを得ました。生きる意味も、自分の意思も、守りたいものも、戦う理由も、全て、全てを」
「…………」
「だから今度は、私が、私の方から、あなたに何かを与えたい。あなたの傍に居て、ずっと何かを与えてあげたいと、そう思ったんです」
「アスタルテ……」
「駄目、でしょうか」
相変わらず、表情はほとんど変わらない。静乃といい勝負だろう。
だが古城には、いつもその静乃と接しているからか、古城には分かった。
無表情の裏で、アスタルテは今不安に揺れている。
古城に拒絶されるのではないか、古城に何も出来ないのではないか。そんな不安に、駆られている。
その不安はきっと、彼女の負い目から来るものだ。
考えてみれば、古城と彼女は元々敵同士。あちらにその気がなくとも、こちらが彼女を憎んでいる可能性もある。いや、アスタルテは一度、雪菜を殺そうとすらしたのだ。憎まれて当然。
そんなことを、考えているのだろう。
古城は、思わず苦笑を浮かべた。
ここで拒絶できるような奴が居るのかよ? ヤケ気味にそんなことを思い浮かべながら、古城は手を伸ばす。
反射的にかビクッと肩を震わせるアスタルテの頭に手をやり――そっと、優しく撫でてやる。
おずおずと古城を見上げるアスタルテに、古城は優しく微笑んで、
「……よろしくな、アスタルテ」
「……はいっ、よろしくお願いします。マスター」
勢い込んでそう言ってアスタルテは――小さく、けれど確かに。
ほんの少しだけ、口角を上げて――
笑ったのだった。
いかがでしたでしょうか。
作者がストブラヒロイン勢で一番好きなのは、叶瀬花音ちゃんですが、アスタルテは二位です。ちなみにアヴローラが三位。
ワルブレでいえばまーやのポジションに入ったアスタルテちゃん。
次の投稿も遅れるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。