ワールドブレイク・ザ・ブラッド   作:マハニャー

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ヴァトワードさんが遂に登場します。乞うご期待!


2‐2 戦王の使者 ―From The Warlord’s Empire―

「死にさらせや、暁ィィィッッッ‼」

「うおっ」

 

 体育館、いくつも立てられたバドミントンコートの一つで、古城は相対する男子生徒の鬼気迫る勢いのスマッシュを受けかねて、思わず声を洩らした。

 腕とラケットが一体になったかのように、鞭のようにしなって見事な曲線を描き、ガットがシャトルのコルクの真芯を捉える。

 パコォォォン、という快音が鳴り、空気を裂いて飛来するシャトル。狙いは古城の頭部。狙撃手もかくやの正確な狙いの割にかわしてもインになる軌道で、無駄に素晴らしい一打だった。

 

 体に染みついた癖で思わず首を逸らして避けてしまい、ラインギリギリで跳ねるシャトルを見て、古城は素直に感嘆した。

 この人、バドミントンの経験はなかったはずだが……

 

「どうだ、見たか暁! このオレ様の魂の一球! 美少女とイチャコラしまくって腑抜けた貴様にゃあ、目で追うことすらできんだろう‼」

 

 得意絶頂、しかしその双眸を嫉妬と憤怒で彩り、肩を怒らせて叫ぶのは、彩海学園高等部二年、万年堂亀吉である。

 無駄に大きな声が体育館内を反響し、迷惑そうな視線が集中する。しかし嫉妬に突き動かされた彼はまったく意に介さない。いっそ感心する。

 

「いや、本当にすごいっすね、カミー先輩。どこかで習ったんですか?」

「ふ……この球技大会のために、オレ様がどれだけの鍛錬を積み重ねてきたと思ってる?」

 

 わざわざ古城に背を向け、片手を額に当てて沈痛そうな表情を浮かべる万年堂。

 

「今年の球技大会はシングルスの枠が減り、男女混合(ミックス)ダブルスの枠が増えたと聞いたその日から、オレ様はペアとなってくれる女子を探して回って土下座で頼みこみ、我が親愛なる心の友たちに協力を要請(土下座)して猛特訓に猛特訓を積み重ねてきた……」

「はあ……。どうしてまた、そんな面倒なことを?」

「決まっている! 全ては、応援に来る女子たちにオレ様のビューティフルでワンダフルなプレイを見せつけて、『キャー、センパイステキー、ダイテー』って展開を呼び招くため!」

 

 一部分だけ、割れまくった裏声で語り、万年堂は一息吐くと、カッと目を見開き、

 

「そう、全てはッ! 女子にモテたいがためにッッッ‼」

 

 その言葉への周囲の反応は、主に三つ。

 相も変わらずうるさく叫ぶアホに迷惑そうな視線を送る者。

 あまりにも明け透けで下らない欲望丸出しの宣言にしらっとした視線を向ける者。

 万年堂の言葉に〝漢〟を見出し、尊敬の眼差しを送る者。

 

 古城の反応は、大体二つ目だった。

 

「最初に言っておくぞ、暁!」

「はい」

「オレ様はお前が大っ嫌いだ!」

「知ってますよ」

「はっきり言って、二年でオレ様よりイケてる男子なんぞ存在しねえ。誰一人、オレ様の足元にも及ばない。なのにオレ様の周りには野郎ばっかで、キャワイイ(死語)女子が一人も、そう一人もッ! 居ねえんだよ。だというのに、お前というヤツは学園っつうか島内有数の美少女を何人も独占しやがってファック!」

「それ、前も聞きました」

「だからオレ様はお前が憎い! 妬んでいる! お前をいびることをこの上ない生き甲斐としている! お前に嫌がらせできるのであれば、オレ様は悪魔にだって魂を売るだろう!」

「それも前、聞きました。ていうか、顔を合わす度にそれ言われてるんですけど」

「だがオレ様も鬼ではない。お前がこれ以上公衆の面前で堂々とイチャつき、オレ様たちの嫉妬の炎を煽るような狼藉を止めて、誠心誠意謝罪し卒業までオレ様のパシリとなるならば、まあ、許してや――」

「あ、もういいっすか?」

 

 万年堂の妄言を聞き流し、古城はコートを出た。

 周囲からの同情の視線を受けながら、壁際に座り込む。

 あの先輩、言ってることとやってることはアホだが、大分強かった。バドミントン歴ゼロヶ月の古城には、吸血鬼の身体能力ありきでも荷が重い。

 はぁ、と溜め息を吐いて体育服の襟元をパタパタとする古城に、横からタオルが差し出された。

 

「提供。……お疲れ様です、マスター」

「お、ありがとな。アスタルテ」

 

 ごく自然に古城の隣に居座っていたのは、メイド服を着込んだ藍色の髪の少女、アスタルテだ。

 礼を言ってタオルを受け取り、ザッと顔と首筋辺りを拭う。

 そのタオルをアスタルテに返却すると、交換とでもいうように、スポーツドリンクを差し出してきた。

 彼女の用意の良さに苦笑しながら、それもありがたく受け取った。

 無表情ながら、どことなく嬉しそうに古城を見守るアスタルテ。少しむず痒さを感じつつも、古城はそのままにさせた。

 

「あー……カッコ悪いとこ、見せちまったか?」

「……?」

「ほら、俺、カミー先輩にボコボコにされてただろ? だから、カッコ悪かったんじゃねえかなー、と」

「否定。そんなことはありません」

 

 予想よりも強い口調で反論されて、思わずうろたえる古城。

 そんな古城にズイッと顔を寄せて、アスタルテは言った。

 

「実力差があっても、諦めようとしないマスターのお姿は、とても素敵に見えました」

「お、おう……そ、そうか」

 

 臆面もなく放たれた言葉に、古城は赤面した。どう返していいのか分からない。

 誤魔化すようにスポーツドリンクを呷る古城を、アスタルテは微笑ましそうに見つめる。

 二人が醸し出す、ある種甘ったるい雰囲気。それに好奇と嫉妬の視線を向ける者は居ても、邪魔をするような無粋な者は――

 

「おぅら、言ってる傍から、何イチャついてんだこの野郎ゥゥゥォォォォオォオオオォォォォッッッ‼」

 

 すわ殺気!

 突如として飛来する弾丸のようなシャトル。それを打ち出した、般若のような形相の万年堂。

 逸早くそれを察した古城の動きは速かった。

 シャトルの軌道を確認し、アスタルテにも直撃してしまうことを見抜くや否や、グイッと力強くアスタルテを抱き寄せ、左腕を翳す。

 

 直後に、翳された古城の二の腕にシャトルが直撃し、痛みに表情を歪める。

 

「……ッ、マスター!」

「だい、じょうぶだ……」

 

 腕の中で血相を変えるアスタルテに、古城は強がりの笑顔で返した。

 しかしアスタルテは納得せず、古城の左手を引っ張り、自分の前に持って行く。

 赤く腫れ上がっているのを見て、アスタルテは僅かに表情を歪めた。

 

「推奨。今すぐ冷却を」

「いや、大丈夫だって、ホントに」

「ですが……」

 

 なおも食い下がるアスタルテ。

 実際、この程度の負傷なら、吸血鬼の真祖である古城にとって怪我の内に入らない。放っておけばすぐに跡形もなく自然治癒するだろう。

 

「お、おい、だだだだだ大丈夫なのか!? わわわわわ悪い、お前なら避けられると思ってて……!」

 

 慌てまくった様子で謝罪してくる万年堂。心底申し訳なさそうな彼に、古城は苦笑した。

 こういうところがあるから、この先輩は憎めないのである。

 カップルばかりの空間で居心地の悪さを感じていた古城に、真っ先に声をかけて試合を申し込んできたのも、この先輩だった。

 何気に古城は、万年堂のことが嫌いではないのだ。

 

「……ん? 何だ?」

 

 その時、不意に体育館の入口の方から、おおー、というような複数の感嘆の声が聞こえてきた。

 興味を引かれてアスタルテを連れて行ってみる。

 入口を囲むようにして出来た人垣をかき分けて最前列まで割り込んだ古城の目に飛び込んできたのは、

 

「あ、浅葱……?」

「こ、古城……」

 

 思わず洩れた古城の声に反応して、向けられる視線に肩身を狭くしていた浅葱が、安心したように表情を緩ませた。

 しかし、古城がなおも自分をまじまじと見つめていることに気が付いて、頬を赤らめる。

 

「あ、あんまり見ないでよ……」

「わ、悪い。けど、何でそんな恰好してるんだ……?」

 

 心底不思議そうな古城の問いに、浅葱はさらに、剥き出しの肩を縮こまらせた。

 今の浅葱が着用しているのは、ヒラヒラの短いスコートに、丈の短いノースリーブのポロシャツ。異様に肌の露出の多いユニフォームだった。

 確かにバドミントンのものだが、たかが学校行事、しかもその練習で着用するには、気合が入り過ぎだろう。

 意外によく発達した浅葱のスタイルが表面に現れて、思わずドキッとしてしまう。

 

「これは、お倫が無理矢理あたしに……似合うって……」

「あー。築島のやつか、なるほどな」

 

 推測するに、また倫の悪ふざけに巻き込まれてしまったのだろう。

 矢瀬と倫はよくそんなことをするが、一体何が楽しいのだか。

 赤面して意味もなくスコートの裾をいじる浅葱に同情気味の視線を送って、古城は何げなく言った。

 

「まあ、気にすんなよ。お前がそんな恰好してても、俺はどうとも思わないしな」

「そ、そんな恰好って……」

 

 古城の言葉に、何故か少し傷ついた様子を見せる浅葱。

 興味津々というように古城たちを眺めていた野次馬も、今は古城の方に責めるような視線を送っていた。

 周囲の反応にたじろぐ古城の横から、先程から沈黙していたアスタルテが口を挟む。

 

「……納得。即座に謝罪を推奨します、マスター」

「へ? 謝罪って、俺か?」

「マスター……? ちょっと古城、その娘、何よ?」

 

 アスタルテの言葉に首を傾げる古城。意味が分からなかった。

 そんな二人を、浅葱は恥ずかしさも忘れて訝しげに睨みつけた。

 そういえば初対面だったか。思い至り、古城はアスタルテに簡単に浅葱を紹介する。

 

「アスタルテ。コイツは、藍羽浅葱。俺の中学時代からのダチだ。ほら、アスタルテ。お前も自己紹介しろよ」

命令受諾(アクセプト)。初めまして、ミス藍羽。私は人工生命体(ホムンクルス)のアスタルテと言います。以後お見知り置きを」

「アスタルテは、何かの事件の重要参考人らしくてな、那月ちゃんに頼まれて、俺が預かることになったんだ」

「那月ちゃんから?」

 

 那月が国家攻魔官だというのは周知の事実。これは当の那月と考えた、アスタルテを引き取る上で周りに怪しまれないための建前だった。

 ついでに浅葱は、古城が那月の仕事をちょくちょく手伝っているというのも知っている。これで納得してくれるといいのだが……。

 そんな古城の思いも虚しく、浅葱の猜疑の視線は揺るがなかった。

 

「それは分かったけど……なんでそんな恰好してるわけ? メイド服とか」

「あ、いや、この服は那月ちゃんのものなんだが……」

 

 恰好で言えば、浅葱も他人のことは言えないだろうに。喉元まで出かかった言葉を呑み込み、古城は何とか言い訳を捻りだそうとする。

 しかし古城が思い付くよりも早く、アスタルテがしれっとした顔で爆弾を投下した。

 

「回答。それは私が、マスター――暁古城の、所有物だからです」

「ぶっ!?」

「なっ!?」

 

 噴き出す古城と浅葱。驚愕する周囲の野次馬たち。

 男子から降り注ぐ嫉妬と羨望、女子から降り注ぐ軽蔑と嫌悪の視線に、古城は頭を抱えた。

 

「ちょ、ちょっと古城!? 所有物って――どういうことよ!? あんたまさか、こんな小さな子に……!」

 

 詰め寄ってくる浅葱に、古城もう何もかも面倒になって体育館の天井を仰いだ。

 

「これからも、よろしくお願いします。ミス藍羽」

 

 どことなく勝ち誇ったような、アスタルテの言葉を聞きながら、額に手を当てて小さく呟く。

 

「……勘弁してくれ」

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 浅葱の、怒りを叩きつけてくるような練習を終えた後。暁古城は、一度教室に帰ってから着替えて、校舎内の自販機コーナーに向かっていた。アスタルテも一緒だ。

 

「くっそ……浅葱のやつ、本気で来やがって」

 

 よく冷えた缶コーヒーを二本買い、その内の一本をアスタルテに渡す。

 

「ほれ。コーヒーでよかったか?」

「はい。ありがとうございます、マスター」

「ん」

 

 二人で近くのベンチに座って、ちびちびと飲料を啜る。

 チラリと横に視線を向けると、メイド服姿のアスタルテが、両手で缶を持ってくぴくぴと黒い液体を流し込んでいた。うっかりブラックを渡してしまったが、どうやら問題はなかったらしい。

 

 今回暁家で引き取ることになったアスタルテだが、古城と凪沙が学校に行っている間は、彼女は保健室の手伝いをすることになっていた。

 彼女は元々、医療品メーカーに設計された臨床試験用の人工生命体(ホムンクルス)だ。医療活動に必要な知識は、標準装備として遠隔記憶(フラッシュロム)に焼き付けられている。アスタルテは元々、そちらのほうが本領なのだった。

 

 ぼんやりと夕陽を眺める。

 そろそろ浅葱も着替えを終えて家路に着いた頃だろう。静乃もとっくに帰っているだろうし、チア部の活動があるサツキと凪沙、雪菜はまだ残っているかもしれない。

 何なら一緒に帰るかな……、と考えながら、古城が缶コーヒーの最後の一滴を飲み干し、アスタルテと二人で立ち上がった――直後、

 

 二人がそれまで座っていたベンチが、突然、膨らみ切った風船のように弾け飛んだ。

 

「……ッ!?」

 

 砕け散った木々の破片が古城の頬を掠めて飛ぶ。古城は困惑を押さえつけて、冷静な思考を保とうとする。

 本能的な危険を察知した吸血鬼の細胞が活性化し、鋭敏になった感覚器官が訴える直射日光への悲鳴の代わりに、数秒が数十倍にも引き延ばされるほどの超知覚を得る。

 直後に、古城の足元に飛来する銀色の閃光。

 

 古城は一瞬で全身に純白の通力(プラーナ)を纏い、隣のアスタルテを抱えて跳躍。ギリギリのタイミングで閃光をかわした。その正体は金属製の矢。鋭い鏃と羽根を備えた洋弓の矢だ。

 

「おいおい、どこの暗殺者だ……!?」

 

 愚痴りながら、古城は眉間の門に通力(プラーナ)を集めて《天眼通》を強化、並行して《天耳通》も発動し、視覚と聴覚で射手の居場所を探る。

 発射時に音を立てない弓矢は、視界の悪い市街地における戦闘では、時として銃をも凌ぐ脅威となり得る。

 ざっと視線を巡らせただけで、潜伏可能な場所は山ほど確認できる。相手だけが一方的に攻撃できるという状況はよろしくない。

 さらに通力(プラーナ)を込めようとしたところで、腕の中のアスタルテが警告を発した。

 

「マスター! あれを……」

「……っ、マジか……!」

 

 地面に刺さっていた矢が突然するすると解けて形を変える。一度カーテンのように金属の薄板となったかと思うと、再び変形して膨張し、折り曲げられ、複雑な獣の姿を取った。

 まるで、鋼鉄製の折り紙のように。

 

「犬……いや、ライオンか!」

 

 仮初めの命を得た金属板が本物の獣のように咆哮し、野性的な動きで古城たちに向かって跳躍する。

 もう一度後ろに跳躍しようとするが、背後にも目の前の鋼鉄製の獣と同じ気配を感じた。

 舌打ち一つ。強引に方向転換して地面を強く蹴り、前後から襲いかかる鋼の獣たちの挟撃を横に跳んでかわす。

 

 標的を失った二体の獣は、正面衝突してもつれ合うようにその場に倒れ込む。だが、これで倒せたわけではない。

 

実行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟――」

「待て、アスタルテ! ここで召喚するのは目立ち過ぎる!」

 

 止めを刺すために眷獣を召喚しようとしたアスタルテを、古城は慌てて止めた。

 いくら放課後とはいっても、部活などでまだ残っている者は居るだろう。万が一にも目撃されるわけにはいかないし、何より完全に威力過多だ。吸血鬼の眷獣とはそれだけの力を持つ。

 

 同じ理由で、だがより切実に、古城の眷獣も使用できない。

 この程度の、たかが呪術で生み出された程度の怪物であれば、古城の眷獣なら一瞬で消滅させられるが、全校生徒と校舎を道連れにするわけにも行くまい。

 天災に匹敵すると言われる第四真祖の眷獣。この程度の相手を相手にするには、強力すぎるのだ。

 

 無論、光技や闇術を使用してもいいが、闇術は眷獣と同じく威力が高すぎるので却下。光技も、この炎天下で古城の身体能力は大幅に低下している。ロクな動きは出来ないだろう。

 

 ならば――

 

「どういうつもりか知らないが、目には目を、獣には獣を、ってな! ――起きろ、渾沌ルズガズリンケン!」

 

 言下に、古城の足元の影から、二匹の黒い犬ともつかない形容しがたき怪物が現れた。

 冥王シュウ・サウラの創造した四体の戦闘用ゴーレム。〝四凶〟と恐れられた四体の内の一体だ。

 かりっかりの戦闘用であるルズガズリンケンならば万が一にも敗れることはないし、全身真っ黒でサイズも大型犬程度なので、発見されるリスクが格段に少ない。

 

 出現した二体のゴーレムが、それぞれ鋼鉄製の獣たちに襲いかかる。

 鋼鉄製のライオンの首筋に一体が噛み付いて引き千切り、狼を上から跳びかかって押し潰し踏み躙る。もはや戦闘とも呼べない、圧倒的な蹂躙、単なる駆除のような光景だった。

 

 程無く戦いは終わり、古城たちの前にはバラバラになった金属片が転がっていた。少しの間身構えていたが、見えない敵の攻撃も中断されたらしい。諦めてくれたのか、それとも別の理由か。

 どちらにしろ助かったことに変わりはない。古城は溜め息を吐いてその場にへたり込んだ。

 どことなく嬉しそうに残骸を踏んだり千切ったりして遊ぶルズガズリンケンたちを見ていると、不意に袖を引かれた。

 

「……申告。マスター、そろそろ……」

「え? あ、すまん」

 

 心なしか顔を赤くしたアスタルテが、肩を縮こまらせて古城の服の裾を小さく握っていた。慌てて腕の中の彼女を放してやる。

 地面に立った彼女の意味ありげな視線に耐えかねて眼を逸らすと、召喚したゴーレムの片方が、口元に一通の真新しい封書を銜えて近付いてきた。金色の箔押しが施された豪華な封筒を、銀色の封蠟が閉じている。

 そこに刻まれた、蛇と剣を模した紋章のような印璽(スタンプ)。格調高くはあるが、どことなく不気味さを感じさせるデザインだ。

 

 生憎と古城もアスタルテも、その刻印には心当たりがなかった。

 

「……何か疲れたし、今日はもう帰るか」

命令受諾(アクセプト)

 

 古城はその封書をパーカーのポケットに押し込んで、無表情に頷いたアスタルテを伴って家路に着いた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 夕日に照らされた海沿いの歩道を、暁古城は歩いていた。

 一歩前をエナメルバッグを提げたサツキ、右にギターケースを背負った雪菜、半歩左後ろをアスタルテが歩いている。

 四人は少し寄り道をして古城たちの住むマンションの近くにあるスーパーマーケットへ向かった。古城の妹である凪沙はチア部の活動があって遅くなるらしい。サツキもなのだが、後輩たちが自分から代わってくれたらしい。

 

 ちなみにアスタルテの処遇については、凪沙も納得済みだ。暁家で彼女を預かる以上、凪沙の承認は必須事項だ。軽く事情を説明(差し障りのない範囲で)したところ、何故かあの賢妹様は涙ぐんでいた。

 ある事件の重要参考人で、古城に助けられ、那月の計らいで暁家で生活することになったと説明したのだが、アスタルテ本人の無表情もあってか、何やら勝手にアスタルテの境遇を想像したらしく、大いに同情していたのだ。

思わず、コイツアホじゃねえのか、という目で見てしまったが、快く受け入れてくれたのはよかったと思う。アスタルテもホッとしていた。

 

 そんなこんなで四人でスーパーに向かうことになったのだが、

 

「鋼鉄製の獣……アルミ箔? それは恐らく、式神だと思います」

「式神?」

「はい。先輩の言う通りなら、恐らく。本来は遠方に居る相手に書状を送り届けるためのもので、そんなに攻撃的な術ではないはずなんですけど」

 

 訝るように呟く雪菜に、古城は肩を竦めて少し後ろを歩くアスタルテに視線をやる。頷くアスタルテ。襲われた張本人が言うのだから間違いない。

 

「っていうか古城、そんなのに襲われて大丈夫だったワケ? ケガとかは?」

「だから問題ないって。俺があんなのに負けるかよ」

「あたしだって古城が負けるとは思ってないわよ。けど、ケガぐらいはあるでしょ? あたしはそれが嫌なの」

 

 しつこいぐらいに古城の安否を気にするサツキだが、純粋に心配してくれているだけあって、無碍にもし辛い。面映ゆい気分で頭を掻く古城に、雪菜がどこか冷めた視線を投げかけた。

 

「それで、先輩? その式神が置いて行ったという封書は、どちらに?」

「あ、ああ。これなんだけど……」

 

 不機嫌そうな雪菜の態度に戸惑いながら、古城はポケットから例の封筒を取り出して雪菜に手渡す。

 雪菜は受け取った封筒の刻印を見て、表情を強張らせた。

 

「姫柊? 何か分かったのか?」

「はい……いえ、でも、そんなはずは……」

 

 愕然と呟く雪菜に首を傾げたところで、一行は目的地のスーパーマーケットに行き着いた。自動ドアの隙間から流れ出す冷房の効いた空気が心地いい。

 

「この封書の差出人は、アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラー閣下です」

 

 重々しい口調で告げられた言葉に、古城は入口近くのショッピングカートに買い物カゴを乗せながら、オオム返しに訊き返す。

 

「あるであるこうでぃみとりえ・ヴぁとらー……?」

「アルデアル公国は、〝戦王領域〟を構成する自治領の一つです」

「〝戦王領域〟……欧州の〝夜の帝国(ドミニオン)〟だっけか。第一真祖の」

「はい。第一真祖〝忘却の戦王(ロストウォーロード)〟。七十二体の眷獣を従える吸血鬼の覇王です」

 

 あまりにも非現実的なその肩書に、古城は訊いていて呆れた。

 真祖クラスの吸血鬼が操る眷獣など、都市の一つや二つなど簡単に壊滅させられてしまう、正真正銘の怪物(フェノメノ)だ。その脅威は災害とイコール。そんなものを何十体も操る存在など、実在すら疑わしく思えてしまう。

 実はそんなことを考えている古城こそ、その第一真祖が一目置く世界最強の吸血鬼だったりするのだが――

 

「〝忘却の戦王(ロストウォーロード)〟、ですか」

「アスタルテ? 知ってるのか?」

「肯定。私は元々、〝戦王領域〟の近くに居ましたので」

「ああ……ロタリンギアは、欧州にあるんだったか」

 

 人工眷獣を埋め込まれた人工生命体(ホムンクルス)アスタルテ――

 彼女が生み出されたのは、ロタリンギアの西欧教会の聖堂から簒奪された聖遺物の奪還のため。ただそれだけの理由で、彼女はこの世に作り物の生を受け、そしてその命を散らそうとしていた。

 今は古城が彼女にかかる負担を肩代わりしているおかげで普通に生きられているが、出会った当時は、あと数日生きていられればいい方という有り様だった。

 

「マスターからよく聞かされていました。彼の戦王が力を貸さなければ、汚らわしい魔族と人間の共存などという忌々しい聖域条約は実現しなかった、と。事実、第一真祖が協力したからこそ、残り二人の真祖も交渉の応じることはなかったとも」

「同じ真祖という立場でも、やはり〝戦王領域〟は圧倒的な戦力を誇る最古の〝夜の帝国(ドミニオン)〟ですから」

 

 アスタルテの言葉に補足するように、雪菜が第一真祖の恐ろしさを説いた。

 とりあえず今の問題は〝忘却の戦王(ロストウォーロード)〟本人ではない。古城は黙って肩を竦める。

 

「……で、そのヴァトラーってのは、第一真祖の臣下だってことか?」

「そのはずです。自治領の君主ということは貴族、つまり第一真祖直系の血族から生まれた、純血の吸血鬼ということになりますから」

「ふうん」

 

 凪沙に渡されたメモを頼りに、古城とサツキが買い物カゴに野菜や果物を入れていく。食材の分量は四人前。古城、凪沙、アスタルテ、雪菜の分だ。雪菜が一人暮らしだと知った凪沙が、うちで夕飯食べていきなよ、と強引に誘い続けた結果だ。

 食事中に話し相手が居る時の凪沙は上機嫌だし、聞き役を雪菜が肩代わりしてくれるので古城としてもありがたい。元々彼女の任務は古城の監視なのだから、雪菜にとっても悪い話ではない。

 そんなこんなで三人の思惑が一致した結果、雪菜が暁家で夕飯を摂るのがいつの間にか普通となってしまったのだ。

 ちなみにサツキは、週に二回ほど暁家で夕食を摂っていく。彼女の場合、自分の家があるため、家族を心配させないためにもそのぐらいの分量が丁度いいのだ。今古城たちと一緒に買い物をしているのは、サツキにも自分の買い物があるというだけである。

 

「そんな大物が、何で絃神島なんかに来てるんだ? ちょっ……タマネギ多過ぎるだろ、これ」

「野菜の好き嫌いはダメよ? ……そういえば、朝のニュースで言ってたかも。チラッと見ただけだったけど、何かヨーロッパから吸血鬼の貴族が来訪するって」

「質問。それは、マスターが第四真祖だからでしょうか。……マスター。栄養価が偏りますので、こちらもちゃんと食べてください」

「他に理由、ないですよね……。先輩、こっそりピーマンを売り場に戻さないでください。アスタルテさん」

命令受諾(アクセプト)

「古城ったら、子供じゃないんだから……」

 

 雪菜の求めに応じて、アスタルテが古城の苦手の緑黄色野菜をカートに戻す。サツキの苦笑に、古城が不貞腐れたように唇を尖らせた。

 ちなみに、毎度毎度繰り返されるその光景が、この店の店員や近所に住む人々の間で噂になっていることを、古城たちは知らない。しかも今日は一人多いし。

 

「どっちにしろ、会ってみるしかないか……む」

「どうかしましたか?」

 

 鋼鉄製の式神が残していった手紙は、今夜開催されるというパーティの招待状だった。絃神港に停泊中のクルーズ船で、何やら大々的な催しが行われることになっているらしい。

 封筒の表には確かに暁古城の名前が書かれている。しかしヴァトラーなる人物を古城は知らない。当然パーティに誘われる理由も思い付かない。嫌な予感しかしない招待状だ。

 

 その招待状の文面を眺めて、古城は困惑の表情を浮かべた。

 目聡くそれに気付いたサツキが、不思議そうに古城を見上げてくる。

 

「古城? どうかしたの?」

「ああ……なんか、ここにパートナーを連れて来いって書かれてるんだが」

「パートナー?」

 

 首を傾げるサツキと雪菜。その横で、アスタルテが微かに頷いた。

 

「回答。欧米のパーティでは、夫婦や恋人を同伴するのが基本となっています」

「……いきなり無理難題を吹っかけてくれるなオイ。独り身の人間はどうすりゃいいんだ?」

「そういった場合は、知り合いのどなたかに代役を頼むのが最善かと」

「代役、か……」

 

 古城は困ったように腕を組んで唸った。恋人の代役という条件なら、年の近い家族か親しい友人で、尚且つ異性ということになるのだろうが――

 凪沙を巻き込むのは論外。浅葱は何やら怒っている様子だったし、明らかにキナ臭い匂いのする案件に誘うのも気が引ける。

 

「先輩の正体を知ってて、危険な状況にも対応できるような人材というと、選択の余地はあまりないと思いますけど」

「だよな。仕方ないか。頼んでみるか……那月ちゃんに」

「は、はい?」

 

 雪菜が、目を丸くして固まった。サツキも同じくポカンとしている。

 古城はそれに気付かず頭を掻いて、

 

「後でたっぷり恩に着せられそうで怖いんだが……まあ、可愛い教え子が真剣に頼めば、パーティぐらい付き合ってくれるだろ」

「……ちょ、ちょっと古城! 何でそこで那月ちゃんの名前が出てくるのよ!? あたしは!?」

「いや、お前はダメだろ。危なっかしいし」

「何でよおおおお、兄様のバカああああ」

 

 わんわん喚き始めるサツキに、古城は周囲の視線を気にして慌てる。

 

「先輩の体質を知ってて、攻魔師資格も持ってて、年齢的な釣り合いも取れてる異性が他にも居ると思うんですけど。他にも居ると思うんですけど」

 

 雪菜が素っ気ない口調で独り言のように呟いた。それを聞いて、古城はようやく雪菜の真意を悟った。

 

「姫柊に頼んでもいいのか? そんなことして、獅子王機関で問題になったりは?」

「仕方ないです。この場合、先輩から目を離すことの方が問題になると思いますから」

 

 どことなく嬉しそうに呟く雪菜。何故か機嫌は回復したらしい。

 

「あ、そういえば、アスタルテはどうする? 一緒に来るか?」

「謝罪。今夜は南宮教官に呼ばれているため同伴できません。申し訳ありません」

「そうなのか。いや、気にすんなって。多分那月ちゃんの仕事の手伝いだろ」

 

 しかしそういうことなら、どちらにしても那月に頼むことは出来なかったということだ。

 また荒事の類だろうが、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟を気兼ねなく扱うことの出来る今の彼女であれば、余程の相手でなければ傷を付けられることもないだろう。

 

「まあ、一応気を付けとけよ。魔族の中には、とんでもない攻撃手段を持ってるヤツも居るんだからな」

命令受諾(アクセプト)

 

 深々と礼を返すアスタルテと、まだ不満げなサツキと、満足げな雪菜を連れて、古城はスーパーマーケットを出て、マンションへと向かった。ここまではサツキも付いてくる。

 ワイワイと談笑しながら歩いている内に、マンションに辿り着く。すると、

 

「何だ、この荷物?」

 

 郵便受けに入っていた伝票を見て、古城は首を傾げた。宅配便用のロッカーに二つの荷物が届いていたらしい。心当たりはなかったが、特に疑問も覚えずに古城はロッカーを開けた。

 入っていたのは、平たい長方形の段ボールが二つ。大きさの割に重量はそれほどでもない。爆弾などの危険物の可能もなさそうだ。しかしそこに記されていた差出人の名前を見て、古城と雪菜は愕然となった。

 

「獅子王機関?」

「そんな……どうして先輩宛に?」

 

 獅子王機関は、大規模な魔導災害やテロに対処するための日本政府の特務機関である。

 彼らが雪菜を古城の監視役として派遣したのも、国家の安全を守るため。つまり彼らは、古城の存在を国家的危機と判断しているのだ。

 古城と雪菜は最大限まで警戒を引き上げて、殊更に丁寧な手つきで片方の段ボールを開封する。

 

 箱の中には、光沢のある薄い布地が丁寧に折り畳まれて入っていた。あからさまに高級そうな布地――何らかの呪術が込められているのではなかろうか? しかし雪菜は黙って首を傾げるだけ。

 箱の隅に明細書を見つけて、古城はそれを拾い上げた。横からサツキも覗き込んでくる。

 その間に雪菜とアスタルテが、そっと布の端を摘まんで持ち上げた。ふわりと広がったボリュームのあるフリルのスカート。一緒に折り畳まれていた付属品がバサバサと落ちていくのを、アスタルテが受け止める。カップ付きのアンダードレスにシルクの下着。

 

「えーっと、なになに? ……オーダーメイドのパーティドレス一式、身長156センチ、B76・W55・H78・C60……姫柊雪菜様、代金領収済み…………え?」

「は? え? あ……!?」

 

 サツキが読み上げた明細書の数字に、アンダードレスを握り締める雪菜が顔を真っ赤に染めた。

 そんな彼女の様子と、明細書に記された謎の数字。それを見比べて、古城はようやく雪菜の羞恥の理由を理解した。

 

「……ってことはもしかして、こっちの箱も……」

 

 ふと思い立ち、古城はもう片方の段ボール箱を開封してみる。案の定、入っていたのは、雪菜のものとはまた異なるデザインの、高級感あふれるドレスだった。

 隅に置いてあった明細書を手にとって読み上げようとすると、ものすごい勢いでサツキにそれを奪い取られた。

 

「ダメ! ダメダメダメ! 古城だけは見ちゃダメー‼」

「わ、分かった。見ないから」

 

 顔を真っ赤に染めて叫ぶサツキから、そっと視線を逸らした。

 チラッと見えた三つ並んだ数字の最初の数字が、雪菜のそれより小さかったことなど、古城は見ていない。

 しかしそこに記されていたのは、嵐城サツキ様の文字。

 何がさせたいのかは知らないが、どうやら獅子王機関はサツキも出席させる気らしい。

 

 どうしてこうなった、と頭を抱える古城の耳に、寂しげな声が届いたのはその時だった。

 

「……質問。私の分はないのでしょうか」

「「「……………………」」」

 

 その場に、静寂が訪れた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

「……おお」

 

 午後九時を少し過ぎた頃、スリーピースのタキシードを身に着けた古城は、自宅の玄関前で唸り声を上げていた。

 この服は雪菜たちのドレスと一緒に納められていたものだ。彼らの目的は不明だが、獅子王機関の連中は、どうやら古城を〝戦王領域〟の貴族と会わせたがっているらしい。

 アスタルテはすでに出発して、那月の許へと向かった。彼女の話では、古城たちが帰ってきた頃には帰っているという。

 

 凪沙を嘘八百で誤魔化して廊下に出て、自己嫌悪の息を深々と吐いた古城は、背後に生じた気配に振り返り……見事に固まり、先程の唸り声を洩らしたのだった。

 古城の視線の先に居たのは、綺麗にドレスアップされた二人の可憐極まる少女たち――

 

「あ、あの……どこか、おかしかったですか?」

 

 不安げに聞いてくる雪菜は、白地に紺色のパーティドレスを纏っていた。胸元の露出は控えめだが、その分肩から背中にかけては大胆にカットされ、薄い布地は雪菜の体の輪郭をくっきりと浮き上がらせて、華やかなフリルのミニスカートからは白く引き締まった太腿が覗いている。

 可愛らしいだけでなく、清楚さや艶やかさすら感じさせる装い。彼女の持つ儚げな印象がより強調され、花のよう、という形容が相応しく思える。

 流石にオーダーメイド。恐ろしく似合っている。サツキや静乃といった美少女と触れ合う(他意はない)中でいい加減美少女に慣れていたはずの古城でさえ、一瞬呆然と見蕩れてしまった。

 

 そして、もう一人。

 

「ふっふーん、どお、兄様? サツキちゃんの晴れ姿は?」

 

 サツキのドレスは雪菜のそれと同じく白いドレスだったが、華やかさという意味ではこちらの方が遥かに優っていた。金色の輝くラインが幾重にも入り、胸元も背中にかけて大胆に開かれている。膝丈ほどまである大きく広がったフリルのスカートは、腰の辺りが大きな青いリボンで飾り付けられて、細い足は純白の二―ソックスに包まれている。

 明るい色合いの髪はいつものサイドテールを、付属品であろう銀色の髪飾りで留めて、その反対側の側頭部は大きな青く長いリボンが結いつけられている。きらりと光るティアラも美しい。

 

 いつもの見慣れた、どこかアホっぽい雰囲気は鳴りを潜めて、まるでどこかのお姫様のような気品すら感じさせた。

 

 このドレスも、露出は多いながらも可愛らしい印象で、サツキによく似合っていたが……古城は、不思議な感覚を覚えた。

 まるで、彼女のこの姿を、以前も見たことがあるような――これまで、何度も見てきたような。

 間違いなく今日が初めてであるはずなのに。

 脳の奥で、ヂリリ、ヂリリ、という音がする。

 

「兄様? どうしたの?」

「いや……似合ってるよ、ホントに。可愛いと思うぞ」

「えっへへー! でっしょー!? 見てみて、この髪飾りとかね、あたしが自分で用意したやつなの! 可愛でしょー!?」

 

 古城が一言褒めただけで、飛び跳ねんばかりに喜ぶサツキ。

 彼女には一度自宅に帰って、もう一度ここに来てもらった。両親には出かけてくると言って出て来たらしい。心配させないためにも手早く用件を済ませるべきだろう。

 

「もちろん、姫柊のドレスも、すごく似合ってると思うぞ」

「あ……そ、そうですか。ありがとう、ございます……」

 

 凪沙から、女の子がいつもと違う恰好をしていたら必ず褒めるように、と厳命されていたので、今回もそれに従って忘れずに褒めた。実際に心の中で思っていたことなので、そこまで苦労はしなかった。

 顔を隠すように俯いてしまったが、赤くなった耳のせいで表情は丸分かりだった。

 

 と、そこで古城は、雪菜の髪をまとめている見慣れない髪飾りに気が付いた。十字架を模した銀色のヘアクリップ。獅子王機関からの備品の中にはなかったものだ。私物をほとんど持たないはずの雪菜が、そんな風にアクセサリを身に着けているのは珍しい。

 

「姫柊、その髪飾りって」

「えっ……」

 

 雪菜が驚いたように髪に手を当てる。悪戯がバレた子供のような表情だ。

 

「これ……もしかして、変ですか?」

「いや、全然。似合うと思うぞ」

「うん、あたしもそう思うわ。それを贈った人、あなたのことをよく見てるのね」

 

 そう言ったサツキに、雪菜は虚を衝かれたような表情を向けた。

 

「お、贈り物って分かるんですか?」

「? まあ。見れば分かるケド?」

「そうなんですか……これは、高神の杜に居た時に、紗矢華(さやか)さんに……ルームメイトの子にもらったんです」

「ルームメイト? その子も姫柊と同じ剣巫なのか?」

「剣巫ではありませんが、紗矢華さんも獅子王機関の攻魔師です」

 

 高神の杜とは、雪菜が先月まで通っていたという全寮制の女子高の名だ。

 しかしその実態は、獅子王機関による攻魔師の教育施設である。雪菜の戦闘力もそこでの修行で身に着けたものだと聞いている。

 

 雪菜は、少し得意げに返した。

 

「わたしよりも一つ年上だったので、今はもう高神の杜を出て、正規の任務に就いています」

「へえ……仲が良かったんだな」

「そうですね。本当の姉のように思っていました。美人で可愛くて、性格も可愛くて、優しい、自慢のルームメイトです」

「ちょっと会ってみたい気もするな」

 

 古城が何気なく口にした感想に、雪菜はそれまでのはにかみ笑いを消した。髪飾りに一度手を触れて、彼女はポソリと小声で告げる。

 

「先輩は会わない方がいいかもしれません……多分命を狙われることになると思うので」

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラーの所有するクルーズ船は、港湾地区(アイランド・イースト)の大桟橋に停泊していた、遠目からでも異様に目立つ豪華船だ。

 パーティの開始時刻は午後十時。大勢の招待客たちがタラップを上って船に乗り込んでいる姿が見える。

 

「大きな船ねー。これが個人の持ち物だとか……」

「多分これは、示威行為も含んでいるんだと思います。吸血鬼の能力が海上で制限されるのは事実ですから、夜の帝国(ドミニオン)の貴族がこうして堂々と船で乗り込んできたというのは、例え軍艦ではないただの民間船だとしても、一定の効果がありますから」

 

 背後で繰り広げられるそんな物騒な会話を聞いてげんなりしながら、古城は二人を連れて船へ乗り込んだ。

 洋上の墓場(オシアナス・グレイヴ)……不吉な名前だな、と顔を顰めて辺りを見回すと、その名前とは裏腹に船体は煌びやかにライトアップされている。まるで宮殿のようだ。

〝オシアナス・グレイヴ〟に乗り込んでいく人々も、よく見ればニュースなどで見かける、大物政治家や経済界の重鎮、政府や絃神市の要人たちの姿も見受けられる。

 このパーティの主催者を考えれば、それほど不思議なことでもないだろう、が――

 

「――俺たちだけ、完璧に浮いてるよな」

 

 はあ、と溜め息を吐いて、古城は何ともなしに辺りを見回した。露骨に胡散臭げな視線を向けられることはないのが救いか。いや、十分以上に整った容姿の雪菜とサツキには、視線が集まっている。

 何となく不愉快になって、早くもここに来たことを後悔しそうになっていた、その時だった。

 

「――古城?」

「え?」

 

 不意に、雪菜とサツキ以外の誰かから、聞き慣れた声で呼びかけられた。

 驚いて顔を上げると、そこには、美しく着飾った長い黒髪の少女が立っていた。

 彼女の能面のような顔に、僅かな驚きの色が乗っている。

 

「し、静乃……か?」

「ええ。……そういうあなたも、古城で間違いないわよね?」

 

 黒無地シルクのワンピースを着こなした少女――漆原静乃は、続けて古城の両隣に陣取る二人の少女へと視線を巡らせて、最後にまた戻ってきた。

 何を言うべきか迷っている様子だったので、先に古城の方から口を開く。

 

「何で静乃がここに居るんだよ? お前も、ヴァトラーとか言うのに呼ばれたのか?」

「私というよりも、私の兄ね。漆原家の血族、人工島管理公社の重鎮として兄が招かれて、私はその付き添いよ」

「静乃の兄っていうと……理事長か? その理事長は?」

「多分、躍起になって招待客とのコネを作ろうとしてるんじゃないかしら。兄は一族内での権力闘争にご執心だから、〝戦王領域〟の貴族、そうでなくても他国の重鎮と縁を結んだとなれば、それなりの功績にもなるでしょうし」

 

 常と変らない無表情で、皮肉と棘を含んだ言葉を口にする静乃に、雪菜とサツキは目を白黒させた。

 自分は全く興味がないということを示すように、彼女のドレスはとてもシンプルだ。もっとも、元々の素材がいいので、それでも十分なのだが。家とかでも同じような服装で居そうで怖い。

 その二人にチラリと目をやって、静乃は古城に訊ねた。

 

「それで、古城。あなたは何でこんなところに居るのかしら?」

「ああ……それなんだがな」

 

 少し迷って、古城は結局打ち明けることにした。

 今更静乃に隠しても意味はないし、後が怖い。ここは素直に話して、彼女の協力も得たいところである。

 

「…………というわけでな」

「なるほど。アルデアル公に呼ばれて……。だから、嵐城さんと姫柊さんは、そんな恰好をしてるわけ」

 

 納得したように頷いて、静乃はドレスを纏ったサツキと雪菜をしげしげと眺めた。

 雪菜が恥ずかしがるように顔を伏せて、サツキはむしろ見せつけるように胸を張って、静乃の前に進み出た。

 

「何よ。何か文句でもあるワケ?」

「いいえ、別に。とても似合っている、と思っただけよ」

「え? な、何よ急に……いきなりそんな」

「馬子にも衣装、とはよく言ったものよね」

「漆原ああああ!? やっぱアンタ、おちょくってるわよね!?」

「心外だわ? せっかく褒めてあげたのに」

「それで褒めてるつもりだったら、国語と礼儀の勉強やり直しなさいよ!」

 

 いつものやりとりを始めた二人に、肩の力が抜けた古城は雪菜と苦笑を向け合った。

 

「で……俺たちを呼びつけた張本人はどこに居るんだ?」

 

 会場になっている広間は船の中とは思えないほどに広大だ。訪れている客も五百人は優に超える。この中から見知らぬ第一真祖の使者を探し出すのは至難の業だ。

 だが一方で古城は、この船に乗り込んだ時点から、不思議な感覚を味わっていた。

 バスケの試合に臨む直前の昂ぶりに似ている。恐怖と歓喜、危機感と高揚感が綯い交ぜになったような心地よい緊張感。

 

 強大な力を持つ同胞の接近に気付いて、全身の神経が研ぎ澄まされていく。

 吸血鬼としての古城の〝血〟が――その中に住まう眷獣たちが、強敵との遭遇を予感して滾っている。

 

 その昂ぶりが古城に教えてくれる。

〝戦王領域〟の貴族は、間違いなくこの近くに居る。

 

「上です。アルデアル公は恐らく、外のアッパーデッキに――」

 

 そんな古城の予感を裏付けるように、頭上を指差して雪菜が言った。彼女も古城と同じように、剣巫としての霊感でディミトリエ・ヴァトラーの居場所を知ったのだろう。

 

 アッパーデッキへの行き方は分からなかったが、迷いなく歩き出した雪菜の背中に付いて行く。未だ言い争っていたサツキと静乃にも声をかけて、広間の隅の階段へと招待客で込み合う通路を歩きだした。

 はぐれないように精一杯な古城に、雪菜は振り返って手を伸ばす。古城は何の疑問も覚えずにその手を取ろうと――

 

「――せいっ!」

「うおっ!?」

 

 咄嗟に跳び退いた古城の眼前を、鋭く研ぎ澄まされたフォークの先端が掠めて行った。

 フォークを握っていたのは若い女。身長170センチほどの高身長で、まだ十代半ばほどの少女である。長い栗色の髪に白い肌、人目を引く優美な顔立ち、すらりとした細身の体に、チャイナドレス風の衣装が映えている。

 

「失礼。つい手が滑ってしまったわ」

「どう手が滑ったら、フォークを他人の腕に向かって振り下ろそうとするのかぜひ教えて欲しいんだが……つか、掛け声みたいなのも叫んでたよな!?」

「あなたが、薄汚い手で私の雪菜に触れようとするからよ、暁古城」

「なっ……!?」

 

 少女が自分の名を呼んだことに、古城は警戒に目を眇めた。フォークを逆手に握った少女は、古城を冷ややかに睨んでいる。

 

「誰だ、お前は?」

「――紗矢華さん!?」

 

 ただならぬ雰囲気に周囲の客がざわめきだし、古城の後ろに控えたサツキと静乃が身構え始めたところで、雪菜が戻ってきた。

 睨み合う古城たちの間に入ってきた雪菜の姿を認めると、少女は華やかな満面の笑みを浮かべた。全身から放たれていた殺気も柔らかい愛情の気配に変わっている。

 

「雪菜!」

 

 長い髪の少女が勢いよく雪菜に抱きついた。

 再会を遂げた生き別れの姉妹のようだ、と古城は他人事のようにそう思った。

 ポニーテールにまとめた後ろ髪が喜ぶ犬のように揺れている。

 

「久しぶりね、雪菜。元気だった!?」

「は、はい」

 

 当の雪菜は、喜びよりも戸惑いの方が強い印象だったが、少女は構わず、

 

「ああ、雪菜、雪菜、雪菜……っ! 私が居ない間に、第四真祖なんかの監視役を押し付けられて可哀想に! 獅子王機関執行部も私の雪菜になんてむごい仕打ちをするのかしら!」

 

「安心して、もう大丈夫だから。この変質者があなたに指一本でも触れようとしたら、私が即座に抹殺するわ。生命活動的な意味でも社会的な意味でも――」

「ちょっ……紗矢華さん……さすがにそれは……やっ」

「おい」

 

 雪菜にむしゃぶりつく紗矢華の隙だらけの後頭部に、古城は醒めた目でチョップをかました。きゃっ、と悲痛な声を上げて、怯えたように跳び退る。

 紗矢華から解放された雪菜が、ホッとしたような表情で古城の背後に回り込むのを見て、紗矢華が殴られた後頭部を押さえてキッとまなじりを吊り上げた。

 

「何するのよ! 触らないでよ、第四真祖! いえ、変態真祖!」

「誰が変態だ! 言い直すな! だいよんと、へんたい、って、言い間違えるほど似てねえだろ!」

 

 歯を剥いて怒鳴り返す古城に、紗矢華は相変わらず冷たい視線を送っている。

 流石にカチンと来て古城が言い募ろうとした時、その横から、我慢ならないという風にサツキが進み出た。

 

「ちょっとアンタ! いきなり古城を攻撃してきたと思ったら、何よその言い草! 姫柊さんの知り合いなのか知らないけど、常識ってもんがないわね!」

「な、何よ、あなた。あなたには関係ないでしょ!?」

「関係あるわよ! というかそもそも、古城が本気で怒ったら、アンタなんか一瞬で消し炭よ!? ちゃんと分かって言ってるんでしょうね!?」

「う……」

 

 サツキの叱責に、紗矢華がビクリと肩を揺らした。

 第四真祖。天災にも匹敵する十二体の眷獣を操る、世界最強の吸血鬼。その肩書を思い出したのだろう。

 

 紗矢華のことはサツキに任せて、古城は雪菜に向き直った。

 

「紗矢華って、確か姫柊がさっき言ってた元ルームメイトだったっけか?」

「……はい」

 

 どこか申し訳なさそうに頷く雪菜。二人の会話に割って入るように、紗矢華が横から、

 

「煌坂紗矢華。獅子王機関の舞威媛よ、あほつき古城」

「暁だ。わざとらしく言い間違えんな」

 

 もう何か声を張り上げるのも面倒になってきたので、訂正を入れるだけに留めておく。いい加減うんざりしてきた。

 

「舞威媛って何? 姫柊さんの剣巫とは違うの?」

 

 興味を引かれたらしいサツキが、雪菜に質問する。

 

「どちらも同じ攻魔師なんですけど、修めている業が違うんです」

「業?」

 

 首を傾げる古城とサツキに、紗矢華が得意げに言い放つ。

 

「舞威媛の真髄は呪詛と呪殺。つまり、あなたのような雪菜に付きまとう変態を抹殺するのが、私の使命よ」

「付きまとってねえよ! どっちかというと、俺の方が付きまとわれてるんだからな!」

「ちょっといいかしら?」

 

 古城が怒鳴り返し、隣の国家公認ストーカーが、えっ、とショックを受けたような声を洩らす。

 互いに激昂して怒鳴り合う二人に、静乃が静かな口調で割って入った。その言い知れぬ圧力に、古城と紗矢華は思わず注目する。

 

「煌坂さん……が、獅子王機関の一員なら、あなたはアルデアル公から案内役を仰せつかっているのではなくて? こんなところで、吸血鬼の真祖にケンカを売っている場合なのかしら?」

「う……そ、そうだったわね」

 

 あくまでも静かな静乃の言葉に、紗矢華は怯んだ様子を見せながら素直に頷いた。

 それに驚いた様子を見せたのは雪菜だ。

 

「え? 紗矢華さんがこの島に居るのって、もしかして……」

「そうよ。この島に来たのは任務のため。あなたと同じよ、雪菜。吸血鬼……アルデアル公の監視役。彼の傍について、彼が危険な存在だと判断すれば、抹殺するのが私の仕事。で、今は彼に依頼されて、あなたたちを案内に来たの」

 

 紗矢華の投げやりな説明を聞いて、古城たちは事態を把握した。

 

「もういいや。だったらさっさと案内してくれ」

「言われなくても連れてってあげるわよ。だからさっさと死んでちょうだい」

「死ぬか」

 

 適当に反駁を返しながら、古城たちは紗矢華の後について階段を上る。ここまで来るのに随分と時間がかかった。

 

 端正な紗矢華の後ろ姿を眺めて、古城は辟易した表情になった。

 彼女はヴァトラーの依頼で古城たちを案内すると言った。

 だとすれば夕方の式神による襲撃。あれは十中八九彼女の仕業だ。どうせ単なる嫌がらせだろう。アスタルテまで巻き込んだのは彼女にとっても誤算だったのだろうが。

 どうやら紗矢華は、雪菜に対して深い愛情を抱いているらしい。もし古城が雪菜の血を吸ったことがバレたら、と想像するのも恐ろしい。

 

 しかし、古城にとっての本当の脅威は、紗矢華などではない。

 

 古城の血の中に眠る眷獣たちの昂ぶりが増している。強大な力を持つ吸血鬼が近付いていることを、古城の体内に流れる真祖の血が教えてくれているのだ。

 相手の正体も目的も古城には分からない。最悪、その場で即戦闘開始、という展開もあり得る。

〝戦王領域〟の貴族。真祖直系の子孫たる純血の吸血鬼。

 対して古城は、第四真祖などと呼ばれていても、吸血鬼らしい権能はほとんど使えず、掌握している眷獣も未だ一体。勝てる見込みは薄い。

 

 加えて――先程から続くこの頭痛。

 ヂリリ、ヂリリ、と、頭の奥にある壁のような何かが、段々強く内側から引っかかれる。

 まるで警鐘を鳴らすように。

 

「……古城?」

 

 不思議そうに、サツキが問いかけてくるが、答える余裕はなかった。

 厳しい表情で前方を睨みつける古城の全身から、自然と通力(プラーナ)が漏れ出す。古城の肉体が、強敵との遭遇に備えて臨戦態勢へと入る。

 

 我知らず右手を開きながら、古城は船の上甲板に出た。

 漆黒の海を背景にして、広大なデッキに立っていたのは一人の男。

 純白のコートを纏った美しい青年だ。正真だが線は細く、威圧感はない。

 金髪を揺らして振り返った青年が、碧い瞳で古城を見た。

 

 青年の表情が、まるで愛しい恋人を見るように柔和に細められた瞬間――その全身から、陽炎のように光が立ち昇る。

 アメジストもかくやの、鮮烈な紫色の通力(プラーナ)

 どこまでも純粋で、深みのある、高貴なる煌めきだった。

 

 ヂリリリリッ!

 彼の通力(プラーナ)の輝きを見た瞬間、古城の頭痛が最大警報を鳴らし、自然と古城の掌中に光が生じて一本の長剣を形作る。

 

 

 

 刹那、彼の姿が、ブレた。

 一瞬で全員の視界から掻き消え、気付いた時にはもう、古城の眼前で分厚い両手持ちの大剣を振りかぶっていた。

 

 

 

「…………くっ!?」

 

 反応出来たのは、真っ先に狙われた古城のみ。

 青年から目を離さずにいた古城は、ほぼ反射的に右手のサラティガを掲げ、断頭台の如く打ち下ろされる大剣を受け止めていた。

 ズンッ、と。重い感触が古城の両手に伝わり、膝が崩れかける。

 

 一拍遅れて鋼と鋼が打ち合う轟音が鳴り響き、生まれた衝撃波が髪を揺らしたところで、ようやく少女たちは正気を取り戻した。

 まるで映画のフィルムのコマとコマを切り取って、無理矢理繋ぎ合わせたかのような、不自然な光景。

 剣巫としての霊視を持つ雪菜ですら、その音を聞くまで認識すら出来なかった。

 

 彼が使ったのは、「間合い」という概念を嘲笑い、歪め、ゼロにしてしまう歩法だ。

 その名も光技、《破軍》。

 七つある《神速通》の最上級派生技にして、北斗の第七星を冠された秘技中の秘技。

 これを行使したというその事実だけで青年の実力を思い知り、古城は愕然となる。

 

「――先輩!」

「――古城!」

 

 ようやく雪霞狼を抜いた雪菜と、アーキュールを召喚したサツキが動き出し、青年の左右から斬りかかる。

 対する青年は、口元に刻んだ微笑みを消さずに、一層剣に込める力を増した。

 メギリ、と。船の甲板が重圧に耐えかねて軋みを上げる。

 古城が全力を振り絞ろうとしたその時、至近距離で、青年が熱の籠もった声で囁いた。

 

「ああ……やはり、流石だな。このボクとここまで打ち合ってくれるなんて……待っていたよ、フラガ(・・・)

「――――」

 

 一瞬、古城の意識が漂白された。

 鍔迫り合いをしていた腕から力が抜け、その隙に青年に腹部を蹴り飛ばされる。

 ダンプカーと正面衝突されたかのような衝撃。咄嗟に腹部に通力(プラーナ)を集中させなければ、内臓が木っ端微塵に破裂していただろう。

 それでもその威力は殺し切れずに、ゴロゴロと無様にデッキの上を転がる。

 

「はぁっ!」

「やぁっ!」

 

 不敵に笑って立つ青年の心臓めがけて雪菜が銀色の槍を突き出し、サツキが青年の胴体に《太白》を叩き込もうとする。

 だが、青年は揺るがずに、片手で保持した大剣を振るってサツキを無造作に打ち払う。吹き飛ぶサツキ。

 続けざまに心臓めがけて突き込まれる槍。その致死の攻撃に対し青年は、何もしなかった(・・・・・・・)

 

「……えっ!?」

 

 勝利を確信した雪菜が、素っ頓狂な声を上げた。

 確かに青年の心臓に突き刺したはずの槍――返ってきたのは、まるで鋼の板を叩いたかのような硬質な感触。

 見れば、銀色の槍の穂先は、彼の薄皮一枚裂くこともできずに、皮膚の一センチにも満たない手前で止められていた。

 予想だにしなかった結果に呆然とする雪菜に、青年は容赦なく大剣を振り下ろす――が、

 

「どいて、姫柊さん!」

 

 ――間一髪、静乃の放った氷の第三階梯闇術が、雪菜を救った。

 雪菜がその場を飛び退いたと同時、青年に向かって凄絶な威力の吹雪が押し寄せる。

 しかし青年は笑みを崩さずに、ただすっと、手を伸ばした。

 その手の平には、有り得ないほどに凝縮された紫光が輝いている。

 

 直後、直撃。轟音とともに青年に叩きつけられる白の吹雪。第三階梯ほどの威力となると、《耐魔通》では防げまい。一瞬で凍りついてしまうだろう。

 その、はずなのに――

 

「なっ……」

 

 静乃が、滅多にないことに、驚愕の声を洩らした。

 無理もない。己の放った闇術が、ただ翳されただけの青年の手の平に、結晶一つ残らず防がれているのだから。

 

《金剛通》の上級技、全身くまなく薄らと守るのではなく、体の一点に守りの通力(プラーナ)を凝縮させて、その箇所だけは生身であっても絶対の防御力を発揮させる業。

 名を、《金烏》という。

 

「……これで終わりかい? つまらないな」

 

 凍傷一つ付けられず消滅した吹雪の向こう、青年が優美に微笑んでいた。

 直後――彼の全身が、純白の閃光に包まれた。

 

「先輩!」

 

 真っ先に反応したのは雪菜。ようやく体を起こしたばかりの古城の前に立ち塞がろうとして、その雪菜を守るように紗矢華も動いた。瞬きするほど瞬時の出来事。

 青年が放った光の正体は、光り輝く炎の蛇。灼熱を纏った吸血鬼の眷獣だ。

 流星の如き速度で撃ち出されたその眷獣に、古城は半ば反射的に対応した。

 

疾く在れ(来いよ)、〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟!」

 

 言下に、古城の左手から鮮血が吹き出し、その鮮血が眩い雷光へと変わる。

 古城が唯一まともに制御できる眷獣、〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟。解き放たれた雷光を纏う獅子が、炎の蛇を迎え撃つ。

 強大な魔力と魔力がぶつかり合い、空気を揺らす。打ち勝ったのは古城の眷獣だ。

 純白の炎蛇が消滅すると同時に、古城の稲妻も消滅する。

 

「いやはや、お見事。やはりこの程度の眷獣では、傷をつけることも出来なかったねェ」

 

 呆然とする古城たちの耳に、疎らな拍手の音が響いた。

 拍手の主は白いコートを着込んだ青年。古城に攻撃を防がれておきながら、彼はむしろそれを喜んでいるようにも見える。

 のんびりとした声だが、その態度の裏に潜む巨大な力に、古城は低く身構える。

 今の眷獣は、彼の力の片鱗に過ぎない。もし彼が全力を出せば、どうなるかはわからない……。

 

「さて……まずは歓迎しよう。ようこそ、第四真祖。……会いたかったよ」

 

 そう言って、青年――ディミトリエ・ヴァトラーは、人懐こさと狡猾さが同居する微笑を浮かべてみせた。




 なんか二万文字超えてた……。

 いかがでしたでしょうか。
 これからもワルブレ勢がちょくちょく出てきます。

 次回もよろしくお願いします。
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