ワールドブレイク・ザ・ブラッド   作:マハニャー

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 長らくお待たせしまくりました。すいません。最後以外は一か月前には書き終わってたんですが、さっきようやく書き上げられました。
 前話の内容なんてほぼほぼ覚えてる人はいないと思いますが、よろしくお願いします。


2‐6 機神覚醒 ―The Nalakuvera―

 絃神市内。姫柊雪菜ら三名がクリストフ・ガルドシュの手によって誘拐された直後。

 立ち並ぶ高層ビルの隙間を縫って張り巡らされたモノレールの高架上を疾走する人影があった。

 第四真祖・暁古城の親友にして、今しがた誘拐された一人である藍羽浅葱の幼馴染、矢瀬基樹だ。

 

「ああクソッ、古城のヤツ、よりにもよってあんなところで暴走しやがって!」

 

 ここいは居ない親友への恨み節を口にしながら、矢瀬はポケットから何錠かのカプセル型の薬を取り出し、水も飲まずに乱暴に噛み砕いて飲み込んだ。

 直後、高架上を疾駆する彼の周囲を取り巻く強いビル風が、一層勢いを増した。

 

「俺の〝音響結界(サウンドスケープ)〟がズタズタじゃねぇか! アイツの眷獣はホントロクでもないのばっかだな!」

 

 ――矢瀬基樹は、過適応能力者(ハイパーアダプター)と呼ばれる特殊体質だ。

 魔族ではなく人間として生まれた異能者。いわゆる超能力者。

 一種の念動力(サイコキネシス)によって拡張された矢瀬の聴覚は、精密なレーダーに匹敵する解像度を誇る。

 海豚(イルカ)蝙蝠(コウモリ)の使うエコーロケーションさながら、しかしそれらより遙かに強力な聴力を以て、矢瀬は彩海学園全体をすっぽりと覆う監視網を張り巡らせて常に校内を監視していた。

 古城もまた、その監視対象の一人であった。

 

 魔力を一切用いることもなく、音の反響を聞き取るだけの完全な受け身(パッシブ)の能力。

 故に、姫柊雪菜のような卓越した霊視力の持ち主でも矢瀬の監視に気付くことは出来ない。

 しかし矢瀬が張り巡らされていた〝音響結界(サウンドスケープ)〟は、古城の眷獣が撒き散らした爆発的な振動波によって、ズタズタに引き裂かれていた。

 破壊された結界の再構築に必要な所要時間は、七十四分。

 

 そして――クリストフ・ガルドシュによる藍羽浅葱の誘拐は引き起こされたのである。

 

「あのタイミングで浅葱を狙うとか、ガルドシュって野郎も相当イカレてやがるな」

 

 あれだけの魔力を撒き散らしたのだ。ガルドシュたちが第四真祖の存在に気付かぬはずもない。

 それでもなおあの瞬間、彩海学園の警備システムが軒並みダウンしていたあの間隙を縫って、真祖と遭遇する危険すら冒して彼らは目的を達成してみせた。

 脱帽するしかあるまい。直接的な脅威という意味ならば以前の殲教師と人工生命体の少女(アスタルテ)の方が上かもしれないが、純粋な厄介さという意味であればこちらの方が数段上である。

 

「アスタルテちゃんもやられちまったしな……美少女が死んじまうのは嫌だぜ、ちゃんと生きててくれよ!」

 

 嘯きながらも、矢瀬は足を止めない。

 矢瀬が追っているのは浅葱たちを乗せた黒死皇派の車だ。

 電気信号(シグナル)の向きが違うだけで、マイクとスピーカーは原理的には同一のものである。

 今の矢瀬は、普段は受信側(パッシブ)で使っている能力を発振側(アクティブ)にして大気振動を発生させることで、風速九十メートルの追い風を巻き起こし、時速六十キロ近くで走行するワゴン車に生身で追い縋るという芸当を可能にしているのだ。

 

 代償は、先程から服用しているケミカルドラッグ。

 副作用も大きく、過剰摂取も相応にキツイ。それでも、今はこれに縋るしかない。

 

「ヘリポート? 絃神島の外に連れ出すつもりか……!?」

 

 矢瀬が見据える先で、一台のヘリが飛び去って行く。

 民間航空者のヘリ。あのヘリに浅葱たちは乗せられている。

 飛行可能な状態で待機させていたらしく、浅葱たちを乗せて一切の遅滞なく飛び立って行った。何とも用意のいいことだ。

 

「感心してる場合じゃねぇか……届くか?」

 

 絃神島の外に出られてしまえば、矢瀬の能力ではもはや追跡は不可能になってしまう――故に矢瀬は、切り札を切った。

 ポケットから取り出した残りの錠剤を全て呑み込み、ヘッドフォンで耳を塞いで瞼を閉じる。

 神経が焼き尽くされるような感覚を味わいながら能力を解放。視界が一気に開け、数十キロ先の海上までも鮮明に視覚する。

 

 矢瀬の頭上――上空数百メートルの地点に出現したのは、気流で編まれた矢瀬の分身体であった。

重気流躰(エアロダイン)〟と名付けられた矢瀬の切り札である。

 要は幽体離脱と似たようなものだが、紛いなりにも肉体を持つこれが矢瀬に伝えてくれる情報は、幽体離脱のそれよりもよっぽど鮮明だ。が――

 

「あれが黒死皇派のアジトだと……どういうことだ!?」

「気流操作……いや、音響制御か? 面白い能力だ」

「……ッ!?」

 

 全くの意識外から聞こえてきた、艶のある女の声に、矢瀬は驚愕した。

 この能力の欠点は分身体に意識を飛ばしている間、本体の感覚が極端に低下して無防備になってしまう点にある。辛うじて声には反応出来たが、声の主の姿までは分からない。

 

「楽しんでいる場合ではないだろう、AJ。我らは閣下からのご命令を果たすのみだ」

「分かっているさ、トビアス」

 

 続けて聞こえる、女の声とは明らかに違う若い男の冷たい声。

 それぞれが口にした互いの名前と、その内容に驚愕し、矢瀬は振り返ろうとした――が。

 それよりも早く、男が続けて言葉を発し、同時に矢瀬の背後で莫大な魔力が弾けた。

 

「――〝妖撃の暴王(イルリヒト)〟よ」

「なっ……!?」

 

 空へと舞い上がったのは、空気を焦がすほどの熱量を持つ、灼熱の猛禽。

 莫大な魔力によって編まれた肉体を持つ――吸血鬼の眷獣だ。

 圧倒的な威圧感とともに空気を焦がしながら飛翔したその眷獣は、〝重気流躰(エアロダイン)〟を鋭い嘴で啄み、呆気なく引き裂いてしまった。

 

「がっ……!」

 

 フィードバックしてきた激痛に呻き声を洩らして、矢瀬はその場に転がった。

 薄れる視界の中で矢瀬は、一組の男女の姿を認めた。

 豊満な肢体をクラシカルなメイド服に包んだ、二十代半ばの金髪の女と、刃のように鋭く尖った血のような真紅の瞳に、引き締まった肉体を黒いスーツに包んだ若い吸血鬼の青年。

 恐らく人間であろう女はニヤリと笑って、青年は冷然と倒れ伏す矢瀬を見つめている。

 

「最悪だな……」

 

 明らかに怪しい二人組の正体に思い当った矢瀬は弱々しく呟いた。

 彼らが出てきた以上、もはや万事休す。矢瀬に成す術などない。後はもう、迫りくる死を待つだけだ。

 

「ああクッソ……ワリィ、緋稲さん」

 

 諦めたようにコンクリートの屋上に仰向けに寝転がり、恋人の名を呟く矢瀬だったが、福音はこのピンチの原因となった脅威そのものからもたらされた。

 

「安心しろ、ボウヤ。殺しはしないさ。ただ、邪魔をされたら困るというだけだからな」

「……?」

 

 笑みを含んだ声でそう言った女は、全身に――矢瀬には見えなかったが――エメラルドのように硬質で、鋭い煌めきを持つ、通力(プラーナ)の光を纏っていた。

 彼女は無造作に矢瀬に近付きながら、その手に握った双頭剣を振り上げた。

 二本の剣を接合させた禍々しい形状の武器に、どんどん通力(プラーナ)が集まって行く。

 

 そして、振り下ろされる剣。

 しかし確かに斬りつけられたはずの矢瀬の肉体には、一切の損傷はなかった。

 剣から流し込まれた通力(プラーナ)が、矢瀬の精神にのみ影響を及ぼしたのだ。

 

 源祖の業(アンセスタル・アーツ)の光技、《鎮星(ちんせい)》。

 

「しばらく寝ていろ。起きた頃には、全て終わっている――」

 

 その言葉を最後に、莫大な通力(プラーナ)の奔流に晒されて、矢瀬の意識は消し飛んだ。

 

 

 

§

 

 

 

「なぁ……煌坂」

「何よ?」

「俺たち、いつまでこうしてればいいんだ……?」

「雪菜が帰ってくるまで、じゃないの……?」

 

 一方、その雪菜や浅葱たちが黒死皇派の手で連れ去られたことなど知る由もない古城と紗矢華は、ぼんやりと流れゆく雲を眺めていた。

 隣に座ってこそいるものの、二人は既に正座から足を崩してダレている。

 

 ふと古城は、何かを思い立ったように首を巡らせて紗矢華の方を向き、口を開いた。

 

「なぁ……煌坂」

「何よ?」

「何ていうか……悪いな、いろいろと」

「は?」

 

 キョトンと目を丸くする紗矢華。当然だが、なぜ謝られたのか分かっていないらしい。

 

「どうしてあなたが謝るのよ? 気持ち悪いんだけど」

「うるせぇな……煌坂が言ってたことは正しいんだろう、って思ったんだよ」

 

 つい先程、いきなり古城を襲撃してきた紗矢華は、古城に剣を突き付けながら言った。

 

 ――あなたが居なければ、雪菜が危険な目に遭うこともなかった

 

 ――雪菜には、ロタリンギアの殲教師や、黒死皇派の残党と戦う理由なんてないのに

 

 その言葉は、今もなお古城の心の奥に、楔として深く突き刺さっていた。

 パーカーのフードを引っ張って目元を隠すようにしながら、古城は続けた。

 

「こないだの殲教師のオッサンの時も、今度のテロリスト騒ぎでも、姫柊には直接の関係なんてなかった。アイツが首を突っ込まなくなきゃいけなくなったのは……間違いなく俺のせいだ」

「…………」

「お前が姫柊のことを大切に想ってるのは、よく分かってる。姫柊も、お前のことを話すとき、本当に嬉しそうにしてるんだ。そういうとこを見てると、お前らは本当に、仲がいい友達なんだな、って思う」

「……結局、あなたは何が言いたいのよ?」

「まあつまりは、すまん、って言いたいんだよ。誰だって、友達が命の危機に晒されてるってのに、黙っていられるわけないからな」

 

 そう言って、古城は目を伏せる。

 

「……大事なヤツを失うってのは、辛いから」

 

 ――古城自身には、そんな経験はないはずだ。前世はどうあれ、サツキ、静乃、浅葱、凪沙、春鹿……大切な者を失ったことは、ないはずだった。

 けれど、たった一人――虹色の炎のような髪を持った、あの少女……古城に力を与えた、あの無邪気な少女は。

 彼女のことを思い出す度に、古城の脳裏には鋭い激痛と……同時に、言いようのない喪失感と寂寥感が湧いてくる。

 

 唇を噛み締める古城を見て、紗矢華は何故か不服そうに唇を尖らせた。

 

「……自分のせい、って素直に認められると、逆に自慢されてるみたいなんだけど」

「自慢って……」

「確かにあなたのせいだけど、雪菜は任務だからあなたの監視をしてるだけで、好きで協力しているわけじゃないんだからね。別にあなたが気にする必要はないじゃない」

「あー……まあ、そうなんだけどさ」

 

 途中から古城をフォローする形になっていたことに気が付いて、紗矢華は気まずげな表情を浮かべて視線を逸らした。

 

「けどまあ、姫柊は……いいヤツだからな。四六時中監視されてるってのは、たまに鬱陶しくもあるけど、嫌いになれそうにない」

「ふぅん……あなたも雪菜のことが少しは分かってるじゃない」

 

 やはり雪菜のことを褒められると嬉しいようだ。自慢げにする紗矢華を見て、古城は微笑ましく感じる。

 

「お前と姫柊って、子供の頃からの友達なんだろ? 昔のお前らって、どんな感じだったんだ?」

「何、知りたいの? 仕方ないわね、教えてあげるわ。天使な雪菜の姿を見て腰を抜かさないように気を付けなさいよ!」

 

 言いながら紗矢華は取り出した携帯電話を操作し、古城に向かって突き付けてきた。

 画面に表示されているのは、昔の雪菜と紗矢華と思しき二人の幼い少女の写真だった。

 大体七、八歳前後。強い目の光が印象的な少女と、淡い栗色の髪の少女。

 降りしきる大雪を背景に、二人は固く手を握り合い身を寄せ合って、たった二人で世界と対峙しているかのようだ。

 

 ――獅子王機関は全国から孤児を集めて、若く優秀な攻魔師に育て上げていると聞いた。

 ということは、恐らく目の前の紗矢華もまた孤児なのだろう。

 幼い頃からずっと二人で過ごしてきた紗矢華と雪菜。例え血の繋がりがなくとも、あるいは血縁上の関係などよりも遥かに深く結びついた、家族であったはずだ。

 実際には少しばかり立場が逆転しているようだが、紗矢華にとって雪菜は、可愛くて可愛くて仕方がない妹、ということになるのだろう。

 家族を想う気持ちは、古城にもよく理解できた。

 

「……確かに、これは可愛いかもな」

「最初からそう言ってたでしょう。私の雪菜は天使だって!」

 

 自慢げに豊かな胸をそびやかす紗矢華を見て苦笑しながら、古城は何の思惑もなく告げた。

 

「いや、もちろん姫柊もだけどさ。お前もこの頃から美人だったんだな」

「は……っ!?」

 

 一応言っておくと、古城本人には特別変なことを言ったという意識はない。

 性格については言いたいことが小山ほどもある紗矢華だったが、外見だけで言えば間違いなく美人の類に分類される。

 その美貌の片鱗は幼い頃の彼女にも当然存在していて、もし雪菜が天使だとすれば、紗矢華も同じ種族のはずだ。

 

「ば、バカ……何を……!」

 

 顔を真っ赤にして肩を小刻みに震わせる紗矢華が何かを言おうとしたが、その声は言葉となる前に、バンッと荒々しく屋上の扉が開かれる音で掻き消された。

 続けて古城たちの耳に響く、少女の悲鳴に近い悲痛な声。

 

「兄様!」

「サツキ……? そんなに慌てて、どうし……っ!」

 

 駆け込んでくる涙目のサツキを見て、古城は言いかけた言葉を呑み込んだ。

 正しくは――彼女の制服にこびりついたいくつもの血痕と真っ赤に染まった両の手の平、そして、その身体から漂う濃密な血に似た匂いを察して。

 

「に、兄様! ど、どうしよう!」

「落ち着け、サツキ。何があったのか、最初から教えてくれ」

 

 何かあったのか、とは訊かない。そんなこと、目の前のサツキの姿を見れば明白だった。

 だが彼女の口から聞かされた言葉は、十分に覚悟を決めていた古城の心胆を奥底から冷やすのに十分な破壊力を秘めていた。

 

「藍羽と凪沙ちゃんと、姫柊さんが……テロリストに連れ去られて……! 保健室で、あ、アスタルテちゃんも死にそうになってて……!」

「なっ――」

 

 浅葱と、凪沙と、姫柊が……連れ去られた? アスタルテが、死にかけてる……?

 隣で紗矢華が、ヒッと息を呑んだ気配がする。古城も全く同じ気持ちだった。

 

「……いつのことだ?」

「わっかんないの! あたしはじゃんけんで負けて、皆の飲み物買いに行ってて、帰ってきたら、保健室がボロボロで、アスタルテちゃんが血だらけで、皆もどこにも居なくって……」

 

 言いながら泣き出してしまったサツキを、古城は力強く引き寄せて抱き締めた。

 震える小さな腕が、縋るように古城の体を抱きしめ返してくる。

 

「ごめんなさい、兄様、ごめんなさい……! あたし、何にも出来なくて、役立たずでぇ……!」

「謝るなサツキ。大丈夫だから。俺がどうにかする。……お前まで攫われなくてよかったよ」

「兄様ぁ……! ふぇぇん……っ」

 

 本当なら自分も叫び出したい気分だったが、サツキがこうして取り乱しているおかげか古城は不思議と落ち着いていた。

 妹として見られるように努力すると誓い、彼女を守ると誓ったおかげだろうか。

 徐々に落ち着いてきたサツキに安堵する古城。しかしこの場には、もう一人落ち着かせなければならない者が居た。

 

「雪菜が、攫われた……? テロリスト、に……私の、雪菜が……」

「おい、煌坂」

「助け、なきゃ……雪菜を、助けなきゃ……!」

「煌坂!!」

「……っ、あ、暁古城……?」

 

 動揺を露わにする紗矢華の両肩を掴んで、古城が叫ぶように呼び掛けると、ようやく紗矢華は正気を取り戻したようだった。

 僅かに涙の浮いた瞳が古城を見つめる。

 

「お前の気持ちは分かる。正直俺も同じ気持ちだ。けど、慌てたって仕方ないだろ! それでアイツらを助けられるわけじゃない」

「でも……っ…………そう、ね。ごめんなさい……」

 

 言い聞かされた紗矢華は銀色の長剣を握っていた自分の右手をグッと掴んで、何かの衝動を堪えるように俯いた。

 けれど次に顔を上げた時には、冷静で有能な戦士の相へと変わっていた。

 もう大丈夫そうだ、と判断した古城は紗矢華の両肩から手を離し、見守っていたサツキと紗矢華の両方に呼びかけた。

 

「よし。まずは保健室に……アスタルテのところに行くぞ! アスタルテを助けてから、他のヤツらも全員助け出す!」

「うん!」

「……ええ!」

 

 涙を拭ってしっかりと頷いたサツキと、僅かに顔を赤くしながらも力強く応じた紗矢華。

 二人を連れた古城は、駆け足で校舎へと続く階段を下って行った。

 

 

 

§

 

 

 

 獅子王機関の舞威媛、煌坂紗矢華は彩海学園の保健室へと続く階段を駆け下りながら、前を行く少年、暁古城の横顔を見つめていた。

 狼の体毛のような色合いの髪、そこそこ整った顔立ち、日本の高校生男子の平均より少しだけガタイの良い、どこにでも居るような平凡な高校生。

 だがその素性は、災厄そのものとも称される世界最強の吸血鬼、第四真祖。

 そして紗矢華にとっては、大事な大事な雪菜をその毒牙にかけた、憎んでも憎み切れない恩敵だ。

 

 怨敵……の、はずだった。

 最初は古城の顔を見ただけで憤怒と嫉妬と憎悪で塗り潰されていた紗矢華の心は、今は古城を見てもそんな感情は起こらずに、むしろ安心すらしていた。

 つい先程。屋上で古城と言葉を交わしている間に、古城への、男というものへの『恐怖』は次第に薄れて行った。

 

 紗矢華の男嫌いは、実のところ、彼女の心の奥底に刷り込まれた男性恐怖症の裏返しなのだ。

 優れた霊能力を持って生まれた子供は、しばしば実の両親にも疎まれて虐待されることがある。

 紗矢華の唯一の肉親だった父親もまたそんな者の一人だった。まだ幼い彼女に日常的に暴力を振るうような男だった。

 

 その父親は彼女が小学生になる前に死に、紗矢華は獅子王機関に引き取られた。

 しかし幼い頃に刻まれた父親への恐怖は、そのまま男性への嫌悪へと姿を変えて、今も彼女の心の奥深くに残っている。

 彼女の男性恐怖症は筋金入りで、男性と電話をすることすら「耳元で男の声がする」と言って嫌がるほどなのだ。

 

 ましてや男に触れられるなど――肩を強く掴まれるなど、平時の紗矢華であれば、悲鳴を上げて狂乱し、斬りかかっていてもおかしくはなかった。

 それなのに……自分の心の動きに、一番混乱していたのは紗矢華だっただろう。

 

 チラリと自分の肩、古城の大きな手が握ってきた場所に目をやる。

 これまで経験したことのない、触れたことのない、男の感触。自分とは違う、ゴツゴツしていて硬い手の平。

 実の父親からすら感じたことのない安心感。そのおかげで、雪菜が攫われたことで狂乱を起こしていた紗矢華の精神は平静を取り戻した。

 

 脳裏の片隅で、古城が向けてきた真剣な表情を思い出す。

 それまでの気だるげな表情とは違う、鋭い刃のような視線。固く引き結ばれた唇。自分の名前を呼ぶ腹の底に響くような低い声。

 彼が纏う硬質な鋼のような雰囲気が、整っていると言えなくもない彼の顔立ちを一層精悍なものにしていた。

 怖いぐらいに真剣な表情で前を見据える古城の横顔を見ていると、何故か顔が火照って、動悸が激しくなる。

 

 男性恐怖症だが、いわゆる少女漫画などを多く嗜んでいた紗矢華は、その心の動きを何と呼ぶかを知っていたが、彼女にはそれが信じられなかった。

 

 紗矢華は身長百六十六センチある。足もすらっと長く胸から腰のラインもほどよく括れていて、そこらのグラビアアイドルなど目ではないほどスタイルがいい。また顔立ちも非常に良く整っている。

 だが本人からしてみれば、それはあまり嬉しいことではないようで、男性恐怖症と言うだけでなく、紗矢華は自分の容姿に強いコンプレックスを懐いていた。

 自分は少女漫画の中の女の子のように、雪菜のような儚げな美しさはなく、デカイだけで可愛くもなければ性格もよくない。

 女子高に通っていたせいで自身の美貌を自覚する機会がなく、そんな風に思っていたのだ。

 

 また、お相手となる古城も、漫画の中に居るような優しく爽やかなイケメンというガラではなかった。

 特別女性に優しいわけでもなければ、見惚れるような美形でもなく、勉強は出来ないし、スポーツも万能というわけではない。家事も妹に任せっきり。おまけに女癖が悪くて変態だ。

 ……嫉妬心に駆られてストーカーじみた執念で古城を観察していた結果、紗矢華はそこらの幼馴染キャラ並に古城について詳しくなっているのだった。かなり主観によるバイアスがかけられてはいるが。

 

 ――そんなヤツと私が、恋になんて落ちるわけがない。気の迷いだ――

 

 そう自分に言い聞かせてみるも、それがその場凌ぎの言い訳に過ぎないこと、何かきっかけがあれば吹き飛んでしまうようなものでしかないことは、

 ……実のところ、やはり紗矢華自身が、一番良く分かっていたのかもしれない。

 

 

 

§

 

 

 

 校舎の中に入った瞬間、古城の吸血鬼の嗅覚が、ある異臭を捉えた。

 血液に似た、けれど違う何かの匂い。サツキの身体に染みついたそれと同じ匂いだ。

 鼻を衝く濃密な異臭を頼りに、吸血鬼の身体能力を全開にして保健室へ続く廊下を走り抜け、古城は保健室のドアを勢いよく開けた。

 

「アスタルテっ! ……っ!?」

「これ、は……!」

 

 保健室の中に飛び込んだ古城と紗矢華は、揃って息を呑んだ。

 二人が視線を向ける先、保健室の白い床に、淡い深紅の液体に塗れて横たわる少女の姿があった。

 

「この傷……銃創!? 撃たれたってこと!? しかも何発も!」

「何だと!? クソッ、おい、アスタルテ!」

 

 慌てて駆け寄り、アスタルテの容体を改めた紗矢華が悲鳴のような声で叫んだ。

 攻魔師として経験を積んだ彼女ですら息を呑むほどに、凄惨な傷跡だったのだ。

 古城の必死な叫びに、もはや身動きすらも出来ずにいたアスタルテはゆっくりと瞼を開き、血塗れの唇を弱々しく動かして、

 

「……報告します、マスター……現在時刻から二十五分、十三秒前……クリストフ・ガルドシュと名乗る人物が本校校内に出現……藍羽浅葱、暁凪沙……姫柊、雪菜の三名を、連れ去りました……」

「っ!?」

 

 死に体のアスタルテが伝えた情報に、古城は絶句した。

 クリストフ・ガルドシュ――かつて世界を震撼させたテロ組織、黒死皇派の重鎮。今回の古城たちのターゲット。

 そんな存在が、浅葱たちを連れ去ったという。一体何のために?

 

 唇を噛む古城に、アスタルテが最後の力を振り絞るようにして呟いた。

 

「彼らの行き先は、不明。……ごめんなさい、マスター……私は彼女たちを、守れなかっ……た…………」

「おい、アスタルテ!? しっかりしろ! アスタルテ!」

 

 言い終えた直後に、彼女の口から、ゴボリ、と大量の赤黒い液体がこぼれた。

 いくら人工生命体(ホムンクルス)と言えど、今の彼女はしゃべれるような状態ではない。本来なら生きていることすら奇跡なのだ。

 

「――まず止血するわ! 暁古城、手伝って! あなたもよ嵐城さん!」

「ああ!」

「う、うん! 何をすればいいの!?」

 

 紗矢華の逼迫した叫びに、古城とサツキは一斉に動き始めた。

 

「このままじゃ彼女が()たない。まずは何よりも止血が優先よ。消毒液と包帯をありったけ持ってきて」

「分かったわ!」

 

 紗矢華の指示を受けて、サツキは真っ先に包帯などが収められた棚に向かった。

 それに構うことなく、紗矢華は制服の袖口から、長さ十五センチほどの目に見えないほど細い金属針を取り出した。

 

「煌坂?」

「鍼治療みたいなものよ。生命維持に必要な最低限を残して、肉体を仮死状態にするわ。これで失血による対組織や脳への損傷を最大限に抑えられるはず。……神経構造マップはタイプI準拠の人間型(ヒューマンタイプ)……これならどうにか」

 

 後半だけ口の中でそう呟いて、紗矢華は勢いよくその針をアスタルテの背筋に突き立てた。

 

「獅子王機関の舞威媛は、呪詛と暗殺の専門家だって言ったでしょう。人の生と死を操るのが、私の役目よ。雪菜が一度助けた子を、私の目の前で死なせたりはしないわ、絶対に!」

 

 アスタルテの返り血に塗れて治療を続ける紗矢華は、どこか神々しく、美しさすら感じさせた。

 舞威媛――すなわち舞女は巫女の別称だ。彼女の本質もまた雪菜と同じように、神々の声を聞き、森羅万象を視る霊能力者なのである。

 

「……俺も、治療に参加する」

「暁古城? あなた、何を……」

 

 不意に呟いた古城に、紗矢華は訝しげな視線を送るが、古城の真剣極まる表情を見て思わず口を噤んだ。

 そんな紗矢華に構うことなく古城は右手をアスタルテの服へと伸ばして、

 

「……悪い、アスタルテ。後で弁償する!」

「ちょっ、暁古城!?」

 

 そのままアスタルテの着ていた服を、力任せに引き千切ってしまった。

 それによって、彼女の平らな胸元の凄惨な傷跡が露わになった。

 すぐ傍に来ていたサツキが息を呑むが、古城は斟酌せず、躊躇なく右手の人差し指を傷の近くへと這わせた。

 

 いつの間にか古城の全身からは膨大な魔力(マーナ)が放たれて、周囲の空間を翳らせていた。

 血で染まったアスタルテの肌に、古城の指先によって直接太古の魔法文字が描かれていく。

傷跡の治療(ヒーリング)》と呼ばれる、素肌に直接魔法文字を刻んで該当箇所を治癒する闇術だ。

 

 先程まで古城はその存在すら知らなかった闇術だが、紗矢華の治療する姿に触発されてか、この場で思い出したのだった。

 治癒魔法と言っても、ゲームのそれのように唱えただけで全て回復するような便利なものではない。その治療速度は煩悶とするほど遅い。

 だが、闇術を極めた古城(シュウ・サウラ)の手にかかれば、一度の施術でも相応の効果が現れる。

 

「……よしっ! これで、大丈夫なはずだ!」

 

 まだまだ治療は必要だが、今出来ることは全てやったという自信があった。

 呆けたように古城の作業を眺めていた二人に声をかけて、アスタルテの身体に包帯を巻きつける。後は専門の医療機関の手に委ねるしかない。

 古城たちには、今はそれよりもやるべきことがあった。

 

 やることとは、無論ガルドシュに連れ去られた浅葱たちの救出だ。

 その場で殺すのではなく、わざわざ誘拐するような手段を取ったということは、少なくともガルドシュたちには浅葱たちを殺すつもりはないということだろう。

 だがそれで安心しても居られない。問題はテロリストの手に彼女たちの身が落ちたという点で――

 

「…………待てよ」

 

 古城は額に手を当て、思索した。

 

 そもそも黒死皇派は、何故浅葱たちを連れ去ろうとしたのか?

 彼らの狙いは、浅葱で間違いないはずだ。凪沙は今回の件に一切関与していないし、雪菜も一応関係者ではあるが、取り立てて身柄を確保しなければならないような理由はない。

 となれば後は浅葱しか残っていないわけだが……思い返してみれば、一つだけ彼女と黒死皇派を結びつける要素があった。

 

 ――ナラクヴェーラ。

 絃神島に密輸されたという古代兵器。その調査を浅葱に依頼したのは古城だったが、何故か浅葱はその言葉を以前から知っていて、ナラクヴェーラの制御方法を記した石板のことを気にかけていた。

 もし、黒死皇派が浅葱の暗号破り(パスワード・クラック)の技術を、石板解読に使えると踏んだのであれば――

 

「クソッ、黒死皇派……よりにもよって魔族か」

「魔族? 魔族だと何か都合が悪いの?」

 

 忌々しげに呟いた古城に、紗矢華がアスタルテを気にかけながら訊いた。

 古城は苦悩するように目を伏せながら、

 

「ああ……凪沙、俺の妹なんだが、アイツは、魔族を極端に恐れてるんだよ」

「え、でも、兄様。凪沙ちゃんも魔族特区の人間でしょ? なのに、魔族が怖いの?」

「……これは、ここだけの話にしてほしいんだが、いいか?」

 

 はっきりと頷く二人を見て、古城は重々しく口を開いた。

 

「アイツは、昔死にかけたことがあるんだよ」

「え?」

「四年前にな。魔族がらみの列車事故に巻き込まれたんだ。俺もその場に居たんだが、正直生き残ってるのが不思議なくらいだった。凪沙も重傷を負って、どうにか一命は取り留めたけど、意識が戻らないかもしれない、って医者から言われたよ」

 

 告げられた事実に、少女二人は絶句した。

 特に普段の快活な凪沙をよく知っているサツキが受けた衝撃は、紗矢華のそれよりもひどかった。大きく目を見張って固まっている。

 

「……で、でも、凪沙ちゃんは、そんなこと何にも……」

「俺もよくは知らないんだが、絃神島で、何か特殊な治療を受けたみたいでさ。ここは、魔族特区だから」

 

 絃神島――魔族特区は学究都市だ。魔族の肉体や能力を研究して、それらを応用した技術や開発が日々行われている。

 その中には当然最先端の医療技術も含まれている。未認可・実験段階の医療技術が。

 

「傷はもう完治してるけど、今も定期的に検査に通ってる。金も随分かかった。お袋と親父が離婚したのも多分無関係じゃない。特にお袋は、今も凪沙をちゃんと治してやるために頑張ってるからな。あんまり帰って来ないけど、文句も言えないんだよ」

「凪沙ちゃんが、魔族を怖がるのは……それが原因?」

「ああ、そうだよ。いつもはそんな素振りはほとんど見せないけど、また魔族がらみの事件に巻き込まれた、ってなると、やっぱ……心配になる」

 

 発狂まではいかないにしても、多大な精神的ダメージを負うことは確実だろう。

 浅葱も事情は承知しているはずだから、何か手を打ってくれていることを期待するしかないのだが……

 

 可愛い妹分の予想外の過去にショックを受けるサツキだったが、紗矢華は凪沙のことではなく、唇を噛み締める古城に、沈痛な眼差しを向けていた。

 雪菜のためと称して古城の調査を行う上で紗矢華は、古城が実の妹である凪沙に対して自らの正体……第四真祖であることを伝えていないことを知っていた。

 その時は何故だろうと不思議に思っていたが、そんな事情があれば納得だった。

 

 獅子王機関の報告書で、古城が第四真祖としての力を偶然手に入れたことは知っていた。

 望まずとはいえ、肉親が魔族になってしまったことを凪沙が知ってしまえば、確実に今の彼女たちの生活は失われる。

 凪沙から古城へ向けられる感情も、信頼と愛情から、恐怖と嫌悪へと変わってしまう。

 

 それはあるいは、紗矢華の幼い頃の経験よりも悲惨かもしれなかった。

 紗矢華は肉親からの愛情というものを受けたことがなかった。何も与えられはしなかった。

 だが古城は、古城と凪沙は違う。十四年間という長い時間を仲のいい兄妹として過ごし、ともに沢山の思い出を積み上げ沢山の言葉と想いを交わしてきた。

 それが、一瞬で失われてしまう――その恐怖は、想像を絶する。

 

 紗矢華が古城に対して何かを言いかけた、その時、古城たちの視界の隅で閃光が輝き、鈍い爆音が響いてきた。

 慌てて保健室の窓に駆け寄って光が見えた方向を見ると、空中で花火のように膨れ上がったオレンジ色の火球が黒い破片を撒き散らして消えるところだった。

 禍々しい黒煙が地上から空高く吹き上がるのを眺めながら、古城たちは呆然と呟いた。

 

「何、今の!? ヘリが撃ち落とされたみたいに見えたんだけど」

「事故、なの? それとも、まさか!?」

 

 ヘリを一撃で撃ち落とすということは、地対空ミサイルかそれに近い武器ということだ。

 この絃神島でそんなものを所持して、尚且つ市街地でぶっ放すような連中など――テロリスト以外におるまい。

 

「……っ、静乃――ってああっクッソ! 居ないんだったか!」

 

 古城にとってこういう状況で最も頼りになるのは、やはり静乃だった。だがその彼女はこの場には居ない。

 一応電話をかけてみるが、どれだけ経っても出てこなかった。

 

「クソッ、アイツ意地でも出ない気か!」

 

 忌々しげに吐き捨て、古城は違う番号を入力してかけ直した。119番、重症のアスタルテの手当てをしてもらうために救急車を呼ぶためだ。

 しかしこちらも、古城の思い通りにはいかなかった。

 

 先程のヘリの墜落と関係しているのか、救急車は回してもらったもののすぐには来れないとのことだった。

 これも静乃が居れば、漆原の権力を使ってでも救急車の一台程度、すぐに手配してくれるはずなのに――

 

「――いや、ダメだ」

 

 そうだ。ここで静乃に頼るわけにはいかない。

 そもそも古城がこの騒動に首を突っ込むことになったのは、〝戦王領域〟の戦闘狂(バトルマニア)な貴族から、静乃を守るためだった。

 そして、自分勝手なテロリストの脅威から、友人や家族、身近な人々を守るためだった。

 古城にとって大切なものを、絶対に守り抜くためだった。

 連絡が付けられなくても、彼女が今何を思っているのか分からなくても、それだけは何があろうと変わらない。

 

 であれば、こんなところで手を拱いては居られない。

 自分に何が出来るかは分からないが、それでも古城は、自分に持てる全ての力を振るうことを決めた。

 

「……提案します、マスター……」

 

 力なく倒れたままのアスタルテが、不意に古城に向かって言葉を発した。

 屈みこんだ古城の耳元で、アスタルテは途切れ途切れの声を紡ぐ。

 

「南宮教官は……現在……黒死皇派の身柄確保のため……彼らの潜伏場所に向かいました……藍羽浅葱他二名を連行したクリストフ・ガルドシュの行き先も、同じく黒死皇派のアジトだと思われます……」

「……そうか。那月ちゃんが行った先に、浅葱たちも居るかもしれないってことか」

「肯定。……マスター、お役に立てず、申し訳ありません」

 

 悔しそうに唇を噛み、俯くアスタルテの頭を、古城はやや乱暴に撫でた。

 ゆっくりと顔を上げたメイド服の少女に笑顔を向け、古城は言う。

 

「何言ってんだ。そんなこと気にしなくていい。お前が居てくれたおかげで、俺たちは事情を知ることが出来た。怪我の功名、って言うにはちょいと怪我が大き過ぎるけど……まあ、大丈夫だ。後は俺たちに任せて、お前はゆっくり休んどけ」

「マスター……」

「それに、お前は俺の抱き枕なんだろ? 途中で放り出すなよ」

 

 ニッと笑いながら言う古城を見て、アスタルテは今にも瞼が落ちそうな憔悴した顔に、健気な笑みを浮かべて、

 

命令受諾(アクセプト)……マスターの安眠は、お任せ下さい……」

「……おう」

 

 アスタルテは目を閉じ、そして完全に意識を失った。

 まるで死人のような深い眠りだが、心配はいらない。

 

 アスタルテの小さな体を優しく横たえて、古城は真剣な表情で顔を上げた。

 視線を向ける先は、先程墜落して行くヘリを見た方向。

 拡張工事中の増設人工島(サブフロート)にして、今現在絃神島で、最も激しい戦闘が行われているであろう場所。

 そして――囚われの身の少女たちが居るはずの場所を見据えて、古城はグッと拳を握った。

 

 

 

§

 

 

 

 その頃、テロリストの手に落ちた浅葱、雪菜、凪沙の三人は、窓を塞がれた狭く暗い部屋の中に居た。

 元は倉庫なのだろう、天井は配管が剥き出しで床には錆が浮いている。恐らくはどこかの地下室なのだろうが、緩やかに地面が揺れている気がする。

 物理的だけでなく電波的にも外界と遮断されたその場所で、藍羽浅葱は、クリストフ・ガルドシュと名乗った軍服の男と睨み合っていた。

 

「――どうやら、君には自分が有名人だという自覚が足りないようだな、ミス・アイバ」

 

 同じく軍服姿の男二人を連れて部屋にやって来たガルドシュは、強気に睨みつけてくる浅葱を見据えて言った。

 

「少なくとも我々が雇った技術者たちの中に、君の名前を知らない者は居なかったよ。流石に彼らも〝電子の女帝〟の正体が、こんなに可愛らしいお嬢さんだとは思ってもいなかっただろうがね」

「そんな見え透いたお世辞を言われて、あたしが協力する気になるとでも思った?」

「……失敬。世辞のつもりはなかったのだが。しかし君は冷静だな。普通の一般人であれば、もっと取り乱したりするのであろうが……」

 

 言いながらガルドシュは、雪菜の腕の中で気を失っている凪沙を見やる。彼の視線の動きを察して、雪菜は身体を強張らせた。

 古城が懸念していた通り、凪沙は魔族への恐怖によって恐慌状態に陥り、雪菜の咄嗟の判断によって気絶させられたのだ。

 浅葱は目を鋭くして、テロリストの視線から後輩二人を守るように立ちはだかった。

 

「アンタたちが用があるのはあたしだけなんでしょ? ならこの二人は帰してあげて」

「どうしても解放しろと言うのなら、それも吝かではないが……君が本当にその少女たちの身の安全を祈っているというのであれば、その判断は推奨出来ないな」

「どういう意味よ。……言っとくけど、もしこの娘たちを辱めたりしようものなら、あたしは全力でアンタたちを潰すわよ。冗談なんかじゃなくね」

 

 静かな怒気と気迫を全身から滲ませて、浅葱はかつて世界を震撼させたテロリスト集団の重鎮に向かって言い放った。

 彼女の毅然たる態度を見て、ガルドシュの後ろに控えていた二人の兵士は、思わず、と言った様子で身構えた。そして雪菜は驚愕に目を見開いた。

 一般人であるはずの浅葱が見せた気迫は、訓練を積んだ兵士たちをして怯ませるものであり、対魔族戦闘に特化した剣巫である雪菜を驚かせるものだった。

 

 実際、浅葱の『潰す』発言は、浅葱にとって実行可能なものだった。

 どうやってか。簡単である。まず黒死皇派のアジトを一つ残らず調べ上げてから、そこに向かって適当な位置にある核ミサイルでも何でも叩き込んでしまえばいいのだ。

〝電子の女帝〟とすら称される浅葱であれば、例えどれだけ厳重にブロックされた軍事基地のミサイル管理システムでも、片手間でハッキング出来る程度のものでしかない。

 

 浅葱は自分に出来ることを正しく理解し、その上でガルドシュへと脅しをかけてみせたのである。

 ――お前たちなど、いつでも簡単に潰せるのだ、と。

 

 その脅しを正面から叩きつけられたガルドシュは、一階の女子高校生に送るには少々大袈裟なほどの賞賛の眼差しを向けた。

 

「……なるほど。女帝、言い得て妙な呼び方だ。改めてミス・アイバ。我々は君のその勇敢さを、素直に尊敬する」

「冗談だとでも思ってるワケ?」

「いや、確かに君の言ったことは事実なのだろう。我々とて自殺願望があるわけではない。君の言葉は心に刻んでおこう。……それと、安心してほしい。我々は統率された戦士の集団だ。非戦闘員を辱めるような品のない真似はしない」

「……保健室に居た人工生命体(ホムンクルス)の娘は、躊躇いなく撃ったのに?」

「彼女は戦闘の道具だった。我々と同様のな」

 

 平静な声で言うガルドシュだったが、その声音は敬意に満ちたもので、彼の戦士としての揺るぎない信念を感じさせた。

 

「……信用していいのね」

「今は亡き我が盟友、黒死皇の名誉にかけて誓おう」

「いいわ。とりあえず話だけは聞いてあげる。説明しなさい」

 

 深い溜め息を一つ吐いて、浅葱は横柄な態度でガルドシュに指示した。

 ガルドシュは苦笑して部下に目配せする。

 その部下の男によって浅葱に差し出されたのは、リングファイルに綴じられた分厚い書類の束だった。

 電子機器の設定仕様書とマニュアルである。その中身を流し読みして、浅葱は驚愕に目を見開いた。

 

「〝スーヴェレーン(ナイン)〟!? こんなものどこで!?」

「我々の理念に賛同してくれた篤志家が、アウストラシア軍に納入予定のものを横流ししてくれたのだよ。これならば、君もそのスキルを遺憾なく発揮出来るだろう」

「――コイツで、ナラクヴェーラとかっていう古代兵器の制御コマンドを解析しろ、ってことかしら?」

 

 横目で鋭い視線を送りながら呟かれた浅葱の言葉に、ガルドシュは息を呑んだ。

 

「……どうやら我々は、君に対する評価を更に一段階上げる必要があるようだな」

「いくら褒めても、やるとは言ってないわよ」

「百も承知。だが、君は我々に協力してくれる。否が応でもな」

 

 訝しげな浅葱に対して、ガルドシュは心底愉快そうに、そして冷酷に笑って、

 

「我々の目的は、あの忌まわしき聖域条約の即時破棄と、我ら魔族の裏切り者である第一真祖の抹殺だ。その悲願を成就するために、ナラクヴェーラの力が必要なのだ」

 

 両手を広げ、まるで詠うように、告げた。

 

「故に、藍羽浅葱。我々は君の力を欲する。君の力で、ナラクヴェーラの制御コマンドを解放してくれ――」

 

 

 

§

 

 

 

 絃神島第十三号増設人工島(サブフロート)

 以前に古城たちが九頭大蛇の異端者(メタフィジカル)と交戦した第四号増設人工島(サブフロート)と同様の、ひたすらに燃えないゴミを詰め込むために作られた、建設中のゴミ埋め立て施設の一つ。

 黒死皇派の残党と特区警備隊(アイランド・ガード)の戦場となっていた増設人工島(サブフロート)は――古城たちが到着した時には、地獄の様相を呈していた。

 

 

 

§

 

 

 

「何、だよ、これは……」

 

 目の前に広がる惨状を見て、暁古城は呆然と呻き声を漏らした。傍らに控えていた紗矢華とサツキも息を呑んだまま一言も発せない。

 

「チッ……予想以上だな」

 

 道中で古城たちと合流した那月も不機嫌そうに眉根を寄せて、舌打ちを漏らした。

 

 燃え上がる装甲車。逃げ惑う特区警備隊(アイランド・ガード)の隊員たち。轟音を発して吹き飛ぶ地面。

 地底から放たれる真紅の閃光が地上を焼き払い、巨大な爆発が増設人工島(サブフロート)を揺らす。

 その閃光の発生源は、倒壊した建物の基底部から降り積もった大量の瓦礫を押しのけて出現した巨大な影だ。

 その影は濃密で奇妙に人工的、そして喩えようもなく禍々しい魔力を放っている。その正体は――

 

「ナラク、ヴェーラ……か!?」

「正解だヨ、古城」

 

 半ば無意識の古城の叫びに、軽薄な声が同意した。

 振り返った古城が見たのは、純白の三揃え(スリーピース)を着た金髪の美青年の姿だった。

 

「ひっ……」

「ヴァトラー……! 何でお前がここに居る!?」

「どうしてあなたがここに!?」

「何の用だ、蛇遣い?」

 

 サツキが反射的に後退り、古城と紗矢華が同時に呻き、那月は殺意すら籠めて、〝戦王領域〟の青年貴族を糾弾する。

 しかしヴァトラーはそんな声に応えることなく、サングラスを少しズラして愉快そうに微笑んで、

 

「あれがナラクヴェーラの〝火を噴く槍〟か。まあまあ、いい感じの威力じゃないか」

 

 そして、皮肉げな視線を古城に寄越して、

 

「よく見なよ、古城。あれが、太古の時代に神々の生み出した古代兵器にして、黒死皇派の残党が求めた、真祖殺しの力――ナラクヴェーラさ」

 

 ヴァトラーがそう言った瞬間、再びナラクヴェーラから真紅の閃光が撒き散らされ、爆炎が弾けた。

 繰り広げられる惨状に、古城は悔しげに唇を噛みながら、しかし何も出来ずただ呆然と立ち尽くした。




 文字数だけは多いわりにあんまり進みませんでした。ようやくナラクヴェーラ登場。
 今回はチョロ坂さんの心境的な何かを掘り下げてみました。頑張りました。

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