ワールドブレイク・ザ・ブラッド   作:マハニャー

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 お久しぶりです、侍従長です。
 第五話、石動先輩と神崎先輩、そしてついに静乃さんが出てきます。
 よろしくお願いします!



 編集及び追加しました。どうぞー。


5 第四真祖の日常 ―He Is Daily Life―

 広大なる宇宙の中心にポツンと存在する小さな神殿。

 生まれては消え、消えては生まれ、生まれては消える。そのサイクルを無限に繰り返し続けるだけの、無数の輝きたち。

 一つの輝きに目を留めたとしても、視線を外した次の瞬間には完全に消え去っている。

 

 今もまた、輝きの一つが呆気なく消えて行った。

 祭壇の中央でその様子を眺めていた少女――ガブリエルは、一つ寂しげな溜め息を吐いた。

 古城(ルシフェル)は無言でガブリエルの傍らに立った。

 

「……どうした? ガブリエル」

「ルシフェル……」

 

 ガブリエルはルシフェル(古城)の名を呟き、その手を取る。

 そして、潤んだ瞳でルシフェル(古城)を見上げた。

 

「どうして、でしょうか。『神』に産み落とされた使徒として、人の滅びなど何千、何億と見てきたのに……どうして、こうまで胸が締め付けられるのでしょうか」

「悲しいのか?」

「悲しい、のですか、私は?」

 

 ガブリエルは心底不思議そうに首を傾げ、

 

「これが悲しいという感情……こんなに、辛いものを、人は……?」

「ああ、そうだよ。人はそれを感じたくないがために日々笑い、喜び、それから逃れたいがために大罪へ手を染めるんだ。悲しみを否定したいがために、喜びを……幸福を、追い求めるんだ」

「幸福、を」

「ああ。そして、誰もが幸福を求めるが故に、永遠の幸福というものは、本当の平和というものは、絶対に来ない。誰かが幸福を手にすれば、他の誰かは不幸に苛まれる。もし本当の平和が訪れるのであれば、それは全ての人が不幸になった時だけだ」

「人は……悲しい、生き物なのですね」

 

 ガブリエルの声が震え、握った手をギュウッと握り締めてくる。

 そんな彼女の肩を、ルシフェル(古城)はもう片方の手で抱き寄せ、その耳元で囁いた。ガブリエルだけでなく、自らにも言い聞かせるように。

 

「そうだ。だから、もし俺たちが奴の――キュイヴァンゼゴスの手から人を守り抜けたとしても、人に幸福が訪れることはない。人は自らの手で自分たちを地獄へ突き落す。……それは、もう変えられない、人という種族が持つ運命なんだ」

「……ルシフェル。あなたの言葉はきっと、間違ってはいないのでしょう。けれど、本当にそれだけでしょうか?」

「……え?」

「本当に、人は不幸になるしかないのでしょうか? いつか、幸福へ行き着くことは出来ないのでしょうか? そのいつかに希望を託すことは、いけないことなのでしょうか?」

「それ、は」

 

 自身の胸に顔を埋めながら呟かれた言葉に、古城(ルシフェル)は目を見開き、しかし沈痛な表情で彼女の髪を優しく撫でた。

 希望を託す。それはもう、古城(ルシフェル)が何度も試してきたことだった。

 何度も。何度も。いくつもの世界で、いくつもの滅びの中で、数え切れないほどの数、気が遠くなるような時間をかけて。

 ガブリエルに命を拾われて不死を得て以来、古城(ルシフェル)はその希望を模索し続けてきた。

 けれど人は、古城(ルシフェル)の抱いた希望を簡単に踏み躙り、多いなる絶望で塗り潰した。

古城(ルシフェル)のしたことは、人のためを思って為したことは、結果的に全て無駄になった。

 

 もしかしたら、本当に奴の言うように、人は一度滅ぼしてしまった方がいいのかもしれない。

『神』と同じ創世の力を持つ〝(ひかり)の娘〟の力で以て、また一から、今度は完璧に一つの不足も欠点のないように、人という種族を作り直した方がいいのかもしれない。

 けれど、それでも、古城(ルシフェル)は――――

 

「ルシフェル……」

「っ?」

 

 唇を噛んで顔を俯けた古城(ルシフェル)の頬を、ガブリエルが優しく両手で包み込み、上向けた。

 目の前にある彼女の顔は、古城(ルシフェル)の葛藤も苦悩を全て包み込むように、どこまでも優しく微笑んでいた。

 繊細な硝子細工のように澄み渡った青い瞳は、ただ古城(ルシフェル)だけを映していた。

 

「大丈夫」

「…………え?」

「あなたは、決して間違わない。あなたの道に、間違いはない。だから、ただ信じて――突き進むだけでいいのです」

「……っ!」

 

 何の根拠もない、慰めですらない単純な言葉。

 そのはずなのに、古城(ルシフェル)は何故か泣きそうになってしまった。

 言いたいことはたくさんあるのにどれも古城(ルシフェル)の唇から飛び出ることはなく、古城(ルシフェル)は一つ微笑んで、

 

「……ありがとう。行こうか」

「はい」

 

 

 

§

 

 

 

「昨夜は、随分とやらかしましたね」

「う」

「被害総額五百億円だそうですね」

「うう……」

「先輩は不老不死の吸血鬼ですから、五百年くらいかければ弁償出来るかも知れませんね。利子はいくらぐらいになるんでしょうか」

「うう、う、うう……!」

 

 一緒にエレベーターに乗り込んだ雪菜に詰られて、登校中の古城は弱々しく呻き声を上げた。

 昨日一睡も出来なかったせいで疲労の滲んだ顔をした古城は、怒りを含んだ雪菜の冷静な言葉にたじたじになっていた。

 まあ、全て自分のせいなので文句は言えないのだが。

 

 翌日のメディアは、絃神市で発生した謎の爆発事件のニュース一色に染まっていた。

 被害に遭ったのは大手食品会社の倉庫などが六十棟ほど。停電したのは二万世帯ほどにも及び、その内の半分は今朝になっても復旧の目処が立っていない。アイランド・イーストとサウスを結ぶ連絡橋とモノレールの軌道が大破し、直接的な被害額だけで約七十億円、その他諸々全部ひっくるめておよそ五百億円。

 死傷者が出なかったことが、ほとんど唯一の救いだった。

 

 妹の凪沙は隕石が怪しいとか言っていたが、よもや本当のことを言う訳にも行くまい。

 他にも爆弾テロや輸送中のロケット燃料の爆発など、様々な憶測が飛び交っているようだが、古城の存在には辿り着けていない。

 被害の規模があまりにも大きすぎて、たった一人の吸血鬼の仕業だとは誰も思っていないのだろう。

 とは言え安心できるわけでもなく、サツキはともかく雪菜に全部バラされた可能性もあるので、今朝まで戦々恐々としていた古城だったが、どうやらその心配は杞憂だったようだ。

 

「……その、ありがとうございました」

「ん?」

 

 悶々として古城が悩んでいると、ふと顔を伏せた雪菜が、消え入りそうな声で告げた。

 端的すぎて一瞬何のことだか分らなかったが、すぐに昨日のことだと分かった。

 

「あー、いや、気にすんなよ。……そうだよな、よく考えたら、あれって正当防衛だよな。何だ、専守防衛?」

「ですけど、証拠がないですよね」

「証拠?」

「はい。もちろんわたしは証言しますけど、獅子王機関と警察はあまり仲が良くないですし。むしろ、わたしたちがあの場に居たことの方が問題視されてしまうかも」

「そ、そうなのか……」

 

 縦割り行政の弊害だか何だか知らないが、政府の魔族対策部門の中でも色々あるらしい。

 それに、今の今まで失念していたが、雪菜はまだ中学生なのだ。彼女の証言に証拠能力が乏しいという話はよく分かる。

 ついでにサツキについても同様だ。彼女もまだ高校一年生。雪菜と立場はそう変わらず、それどころか完全に一般人である。

 

 重々しい雰囲気のまま、二人は学校方面に向かうモノレールに乗る。

 昨夜の事故が原因なのか運行ダイヤが乱れていて、いつもに比べてモノレールの車内が混んでいる。古城に文句を言う資格がある筈もない。

 車窓から見える破壊された倉庫街の姿を見つめて深々と溜め息を吐いていると、少し不機嫌な顔で雪菜が再び責めてきた。

 

「――大体、先輩はやりすぎなんです。あれは明らかに過剰防衛でした」

「俺も別に好きであんなことをした訳じゃねーよ」

 

 不貞腐れたようにボソボソを古城が言った言葉に、雪菜は不審そうに眉をよせ、

 

「だったらどうして、あんな無茶な破壊を眷獣に命じたんですか?」

「だから命令してねーっての。あのビリビリは俺の眷獣ってわけじゃねーんだよ」

「どうしてそんなすぐバレる嘘をつくんですか」

「いやだから……」

「第四真祖〝焰光の夜伯(カレイド・ブラッド)〟は神話の怪物たちにも匹敵する強大な十二体の眷獣を持っていると聞きました。まさか違うとは言いませんよね?」

「そこに居るってのと自由に使えるってのは違うだろ。あいつらは俺のことを宿主だなんて思っちゃいねーんだよ。俺はアヴローラのヤツから受け継いだだけで、あいつら自身はまだそれを認めてない」

「アヴローラとは、先輩が前に言っていた先代の第四真祖のことですね」

 

 古城の言葉がただの出任せでないと直感したのだろう。真剣な表情で確認してくる雪菜に、ぞんざいに頷いて、

 

「そんな訳だから、俺はあいつらを喚び出せもしないし、制御も出来ないわけ」

「……そう、ですか」

「おう。納得してくれたか?」

「はい。……でも、今の話が本当だとしたら、先輩はわたしが思っていた以上に危険な存在ですね。どうにかして、きちんと制御できるようにならないと……」

 

 真剣に考え出す雪菜に、古城は思わず不思議そうな視線を向けてしまった。

 自分の力すら満足に扱えない無能で危険な吸血鬼なんぞ、いっそ滅ぼしてしまおうぐらいのことは思うのではないだろうか。

 実際、彼女にはそれだけの力があるわけだし。

 さりげなく彼女が背負っているギターケースに目をやって、古城は唇を歪めた。

 

 モノレールが学園前の駅に到着し、古城たちと同じ制服を着た生徒たちがわらわらと車両を降りていく。雪菜はパスケースを取り出しながら、

 

「でも、先輩が本当に第四真祖の力を受け継いだというのなら、何故眷獣たちを制御できないんでしょう?」

「……それは、多分俺が吸血童貞だからだろ」

 

 純粋に疑問に思ったと言う風な雪菜の問いに、古城は彼女から目を逸らして、声を低くして答えた。

 雪菜は首を傾げて、

 

「吸血……童貞? 童貞とはどういう意味ですか?」

「本気で訊いてんのか……って、そういやどっかの名門女子高育ちなんだっけか。……あー、つまり未経験者ってこと。他人の血を吸ったりとか、そういうのを俺はしたことねーから」

「ああ、童貞というのはそういう……え? したことがない?」

「おう」

「未経験って、先輩……そう、なんですか……?」

「そんなおかしな話じゃねーだろ。俺はついこないだまで普通の人間だったんだから」

 

 実際のところ、古城が眷獣だけでなく吸血鬼らしい能力を何一つ使えないのも、そのことと無関係ではないだろう。

 今までは、二つの前世の力だけでさえ持て余していて、特に不便に感じることはなかったのだが。

 

 雪菜は、吸血鬼の真祖というイメージと、古城の告白が頭の中でうまく結び付かなかったらしく、頭の上に疑問符を浮かべていた。

 しかし、どことなく嬉しそうに見えるのはどういうことか。

 どうでもいいが、そんなことをこんな場所で連呼しないでほしい。

 周囲を気にしながら雪菜に言葉を止めさせようとすると、いきなりの背後からの衝撃が古城を襲った。

 古城の首に馴れ馴れしく腕が巻き付いて、聞き覚えのある声がする。

 

「おいーっす、古城」

「や、矢瀬?」

「お前ね、こんな朝っぱらからなんつう際どい言葉を女の子に言わせてんのよ」

 

 朝っぱらからテンションの高い口調で声をかけてきたのは、首にヘッドフォンをぶら下げた短髪の男子生徒だった。

 いつの間にか学校の見慣れた正門がすぐ近くにあった。そろそろ雪菜ともお別れだろう。

 

「……ってあれ、凪沙ちゃんじゃないんか。誰だ? うちの中等部にこんな子いたか?」

 

 隣を歩いている雪菜に気付き、少し驚いたように古城の顔を見てくる。古城は鬱陶しげに矢瀬を突き放し、

 

「転校生だよ。凪沙と同じクラスの。で、家が近所だから来る途中に会っただけだ。だったら話ぐらいはするだろうが、普通」

「はー、それはそれは……」

 

 何か感心したように息を吐く矢瀬。そんな矢瀬を訝しげに見返しながら、古城は正門へと歩いて行く。

 矢瀬と雪菜のあいさつの会話をBGM代わりに聞きながら正門まで辿り着くと、そこには見知った顔が立っていた。

 

「やぁ、おはよう、暁君」

 

 正門の前に何やらカードを持って立っていたのは、古城の顔見知りの上級生だった。

 長身だが引き締まって軽捷そうな体付き。強面だが実直そうな顔つきの男。

 彩海学園高等部の夏服を着て、腕には「生徒会」と書かれた腕章が。

 彩海学園生徒会長、三年A組、石動(いするぎ)(じん)その人だ。

 

「うす。どうしたんすか?」

「なに、今日は持ち物検査の日でね。先生に任されて僕たち生徒会が代わりにやってるのさ。という訳で荷物を出したまえ」

「了解す」

 

 この石動迅、普段の素行や成績も良く、教師からの人望も厚い。スポーツも出来て、まさに万能。しかし唯一の欠点として、極度の石頭である。

 やがて古城の鞄が返され、矢瀬の番が回ってくる。

 

「ふむ。これは何かな?」

「あっちょっ、それはぁ……! イベント限定版ハロハロのCD……!」

「なるほど。……没収だね」

「そんなあぁぁぁ!」

 

 絶叫する矢瀬。それをしれっとした顔で聞き流し、石動は雪菜に視線を向けた。

 一瞬だけ驚いたような顔をして古城の方に視線を向けたが、すぐにいつもの厳めしい顔つきに戻り、雪菜から鞄を受け取る。

 ささっと手早く中身を確認し、次に雪菜の背負ったギターケースに視線を向けた。

 

「次はそれだな。さあ、そのギターケースを僕に」

 

 雪菜の表情が強張る。古城も頬を引き攣らせた。

 あのギターケースの中に入っているのはギターなどではない。〝雪霞狼〟という銘を付けられた破魔の神槍だ。

 万が一にも見られるわけにはいかない。そういう思いで雪菜が固まり、古城がどうにかしようとしたところで、石動が未練なくさっと手を引き戻した。

 

 職務に忠実な石動の性格のことを知っているだけに、古城は意外に思った。

 

「い、石動先輩? いいんすか、そんなことして」

「いいのさ。楽器であれば致し方ない」

「……何か、あったんすか?」

 

 どことなく疲労を滲ませた声で返された、嘆息にも似た答えに古城は疑問を感じた。

 やがて石動は首を振り、諦めたような口調で言った。

 

「以前、僕が同じく持ち物検査をしたことがあってね。その時、ある一人の生徒が大きなドラムセットを持って来たんだ。どうやら部活で使うらしかったんだが、まさかそのまま持ち込ませるわけにもいかない。なので、放課後まで生徒会で預かると言って手を伸ばしたんだが――」

「伸ばしたんだが?」

「すさまじい勢いで暴れられてね。よほど怒っていたのか、取り押さえようとした生徒会役員数人が軽傷とはいえ怪我を負う事態に陥ってしまった。それからさ。楽器を持ち込もうとしている生徒に不用意に何かしないという不文律が出来上がったのは」

「そ、そうなんですか……」

 

 その時の、生徒会長である石動の苦労が偲ばれる。

 自分で言いながらその時のことを思い出したのか、色濃い疲労に彩られた表情をしていた。

 雪菜はと言えば、そんなのと一緒にされたことを不愉快に思ったのか、眉根を寄せていたが、見せられないのも事実なので何も言わなかった。

 古城は安易な言葉をかけられない。しかし石動は疲労の色をこびりつかせたまま、沈んだ声で懇願するように言った。

 

「だから暁君……問題を起こすのはやめてくれたまえよ」

「え、何で俺なんですか」

「………………」

 

 何も言わず、古城と雪菜の間で視線を巡らせる石動。

 その仕草の意味を悟った古城と雪菜は、二人揃って首を大きく横に振った。

 

「いや、違いますって! 姫柊は、うちの妹と同じクラスに転入してきてて……!」

「……ああ、そういえば、今日は中等部に転校生が来るのだったか」

「は、はい。んで、家が近かったんで、ご近所のよしみというか……」

「なるほど。すまないね、疑ったりして。どうにも最近、校内での不純異性交遊が増えていてね。校外であれば何をしようと個々人の勝手なのだが……」

 

 はあ、と溜め息を吐く石動。度重なる心労に、本当に疲れているのだろう。

 肩を落とした哀愁漂う生徒会長に、古城と雪菜と、先程大事なものを没収されて嘆き悲しんでいた矢瀬に至るまで哀れみの視線を向けた。

 

「……コホン。まあ、何はともあれ。彩海学園にようこそ、姫柊君。生徒会長として歓迎するよ。問題さえ起こさなければね」

「は、はい……」

 

『問題さえ起こさなければ』が、どうしても『頼むから問題を起こさないでくれ』に聞こえてしまう古城たちだった。

 どことなく沈んだ空気に気圧されて、三人は目配せし合い、揃ってその場からさっさと立ち去ろうとする。

 

「ふぉっ!?」

「うひゃっ!?」

 

 しかしその直前、――むんず! と。

 古城と矢瀬は、何者かに尻を鷲掴みにされて、素っ頓狂な声を上げた。

 

「せ、先輩方……?」

 

 いきなり跳び上がって硬直した二人を心配して、雪菜が恐る恐るといった様子で声をかけてくる。

 だが古城たちは答えられない。答えるだけの余裕がない。

 何故なら、その何者かは掴むだけでは飽き足らず、二人の尻を撫で回していたからだ。

 

「おはよう、暁、矢瀬」

「お、おはよう、ございます……」

「う、うーっす……」

「今日もいい天気、そしていい尻だな貴様ら!」

 

 その不審者は、大威張りで、耳にキーンと耳鳴りがするような大声でそうのたまった。

 古城たちは堪らず片眼を瞑り、もう片方の眼で声の主を見る。

 そこに真面目腐った顔で立っていたのは、三年生の女子だった。

 女科学者然とした怜悧な美貌に、よく似合うシャレた細眼鏡がキラリと光る。

 彼女は三年C組、神崎斎子(かんざきときこ)

 朝っぱらからセクハラをかましてきたこの女子は、信じ難いことにこの学校の風紀委員長である。彼女の腕に巻かれた「風紀」の腕章がその証拠だ。

 信じ難いことに。

 

「どうした貴様ら、元気がないな」

「い、いや、朝からセクハラされたら、そうなるでしょ……」

「つ、つうか離してくれませんかね……」

「断る! 毎朝いい男にセクハラをするのは私の生き甲斐だからな!」

 

 大真面目にふざけたことをほざいてくださりやがった。

 軍人のように高圧的な口調と怜悧な美貌でそう叫ぶもんだから、どうツッコんでいいか分からない。

 更に無駄に声がデカイので、今の叫びを聞いた生徒が何事かとこちらを振り返るのが恥ずかしくて堪らない。

 どうしていいか分からずオロオロする雪菜。

 雪菜の存在に気付いた斎子は、不機嫌そうに舌打ちして古城に怒鳴ってきた。

 

「オイ暁! 貴様という男はこの私という女がありながら、こんなガキと朝っぱらからイチャコラしていたのか!? まったく信じられんな!」

「い、イチャコラ……!?」

「いつもいつも嵐城やら漆原やら藍羽やらと甘ったるいことばかりしているから、貴様も砂糖菓子のように甘くなってしまっているのだ! 仕方あるまい、ここはこの私が、貴様に成熟した女の良さというモノを骨の髄まで染み込ませてくれる!」

「ちょっと待て、何しようとしてんだアンタ!」

「古城に用があるんなら、いい加減離してくださいよ、神崎先輩!」

 

 悲鳴のような声を上げる古城と矢瀬。斎子は怒鳴りながらも、ずっと二人の尻を撫で回していた。

 しかも優しいタッチで撫でていたかと思えば、本人の感情が昂ぶって来たのか、いきなり鷲掴みにされたりもして、二人には気が気でなかった。

 撫で回している斎子本人は至極楽しそうにしている。まさにこの世の春というものなのだろう。

 

 だが、彼女の春は、ほどなくして極寒の冬へと変わった。

 正しくは、厳冬の吹雪かと見紛うような冷たい威厳を纏った石動が、彼女の背後からその脳天を睥睨していたのだ。

 

「なに、案ずるな暁。怖がらずとも、この私がすぐに天国に連れて行ってやる。いや、ある意味地獄かもしれんがな!」

 

 斎子はそれに、まったく気付かない。

 石動は、得意絶頂叫ぶ斎子の後頭部を――

 

 メギリ、と。不穏な音が立つくらい力を込めて鷲掴みにした。

 

「みゃっ!?」

 

 驚きか痛みか、はたまたその両方か、妙な声を出す斎子。

 

「おはよう、神崎君」

「そそ、そっ……そぉ!? その声は会長かっ?」

「いつも言っているはずだよ、神崎君。生徒の模範となって風紀を取り締まるべき君が、率先して風紀を乱すようなことをしてくれるなと」

 

 ミシミシと嫌な音が鳴る。ガタガタと斎子の体が震える。

 

「悪かったー! 以後態度を改めるから私の頭を潰れたトマトに変えないでくれー!」

 

 とうとう斎子がなりふり構わずに降参した。

 そこでようやく古城と矢瀬も解放され、古城は思わず自分の尻を擦る。

 矢瀬はまるで歌舞伎役者のように芝居がかった仕草で足を流して崩れ落ち、「うう……緋稲さん……ごめんよぉ、穢されちまったよぉ……」などと呟いていた。

 

「あの、すみません、先輩方。わたしはここで」

「あ、ああ。またな、姫柊」

 

 手を振る古城に会釈して、中等部の校舎に走り去っていく雪菜。

 朝からどっと疲れた。

 思わず視線を彷徨わせると、高等部の校舎の二階にある古城たちの教室の窓際で、浅葱がちょうど登校してきた古城たちに気付いて手を振っているのが見えた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

「おはよ、古城。相変わらず気の抜けた顔してるわねー」

「ほっとけ。ていうかお前も眠そうだな」

 

 ホームルーム開始直前の教室で、自分の席についた古城に、前に座る浅葱が声をかけてくる。

 相変わらずの華やかな服装と髪型だが、今日に限ってはどことなくアンニュイな雰囲気だ。

 

「そーなのよ。おかげで化粧のノリが悪くてさ……あんたも見たでしょ、昨日の爆発のニュース。あの後すぐに人工島管理公社のお偉いさんが泣きついてきてさー」

「お、おう」

「災害対策用のメインフレームが吹っ飛んだとかで、代替システムを一から組まされたのよ。コストケチって冗長性の低いしょぼいハード買ったりするからそういうことになるのよね。チューニングもなってないし、インバウンドのセキュリティもザルだし」

 

 何の闇術の詠唱だろうか。古城(シュウ・サウラ)ですら知らない闇術があったとは驚きだ。

 

「何かよく分からんが、大変だったんだな……悪い」

 

 素人には理解不能な単語の数々を聞き流しながら、古城は罪悪感に苛まれた。まさかこんな身近な所にまで昨日の事故の影響が及んでいるとは。

 

「なんで古城が謝んのさ?」

「い、いや、何となく。それよりも、あのほら、社会のレポート持ってきてるか?」

「ああ、あれ? あんたのためにちゃんと持ってきてあげたわよ。……そうね、キーストーンゲートのレストランでやってるケーキバイキングで手を打ってあげるわ」

「ぐ、くっ……背に腹は代えられないか」

 

 いつものニヤニヤ笑いを浮かべて言ってくる浅葱に、古城は僅かに安堵しながら軽口を返した。

 キーストーンゲートは四基の人工島(ギガフロート)の連結部――文字通り絃神島の中心部に位置する巨大な建物だ。高級ブランドや専門店が集まる島内一番のオシャレスポットでもある。

 そんな場所にあるレストラン、さぞやお高いに違いない。

 

「ね、ねえ、古城」

 

 浅葱が頬杖をつきながら、わざとらしく無関心な口調で声をかけてきた。何故か横目でチラチラと古城を見ながら、

 

「そ、そういえば古城は、あの後どうしたのかなーって」

「あの後?」

「ほら、昨日、駅で嵐城さんと、凪沙ちゃんのクラスメイトっていう子と一緒に居たじゃない。別にどうでもいいんだけどさ」

「ああ」

 

 そんなこともあったな、と古城はおざなりに頷いた。その後の騒ぎが強烈過ぎたせいでほとんど忘れかけていたが。

 

「いや、あれから普通に家に帰ったけど」

「そう……なの?」

「俺はただ買い物の荷物持ちをしてただけだからな」

「そ、そうなんだ……ふーん。そっか」

 

 浅葱が表情を明るくして顔を上げたところで、ガラララッと教室前の扉が開き、サツキが登校してきた。

 いつも通りサイドテールがブンブンと揺れているが、どことなくくたびれたような表情だ。

 目の合ったクラスメイトと挨拶を交わして、古城を見つけると、嬉しそうに小走りになって古城の机の前に立って、

 

「おはよう、古城!」

「おう。おはよう、サツキ」

 

 と、元気に挨拶をしてきた。満面の笑顔のオプション付きで。

 つられて古城の頬も緩んだ。昨日の騒ぎで彼女も火傷を負ったはずだが、そんな痕跡は見られない。綺麗に完治しているようだ。

 負傷を治す光技、《内活通》によるものか。

 

 不機嫌になってしまった浅葱を置いて、二人は会話を交わした。

 

「サツキ、昨日のあれは大丈夫だったか?」

「まだちょっと痛いけど、大丈夫。もう、兄様があんなに激しくするから……」

「あ、あれは仕方ないだろ。抑えきれなかったんだから……まあ、すまん」

「謝んなくてもいいわよ、兄様だもの。兄様以外ならぶん殴ってる所だけどね!」

「そ、そうか。何にしても悪いな。次からは気を付ける」

「ちょ、ちょっとアンタたち! 待ちなさいよ!」

 

 和やかに会話していると、妙に顔を赤くした浅葱が焦ったような口調で割り込んできた。

 明らかに普通ではない剣幕に、思わず古城は怯む。

 

「今の会話何!? 明らかにおかしい話だった気がするんだけど!」

「え、ど、どこがだ?」

「古城! あんた、あの後そのまま家に帰ったんじゃないの!? なんで嵐城さんと一緒に居たみたいな感じになってるワケ!?」

「あ、あー、それはだな……」

 

 答えようにも、昨日のことをバラす訳にもいかない。何せこちとら五百億円が懸かっているのだ。

 そんな訳で何も返せずうろたえる古城に、浅葱はさらに詰め寄る。

 

「答えなさいよ古城! あんたまさか――」

「ふぉっふぉっふぉ、藍羽ぁ? どぉーぅしたのかしらぁ?」

「ら、嵐城さん……」

 

 ふっふっふと気味の悪い声を上げて古城に擦り寄るサツキに、浅葱が頬を引き攣らせる。

 浅葱の反応に気を良くしたのか、サツキはさらに調子に乗ったように、

 

「あたしと兄様がどうなったってアンタにとやかく言われる筋合いはないわよね? そう、たとえ昨日、二人でオトナの階段を上ってしまったとしても……」

「んなっ!?」

「おいっ!?」

「ふぉーっふぉっふぉっふぉ! 残念だったわねぇ藍羽! あたしと兄様の関係は、もはやアンタなんかでは太刀打ちできないほどに深まってしまったのよ! 

「ちょっと古城!?」

「何もしてねぇよ!」

「いくら否定しても無駄よ兄様。あたしをキズモノにした責任、ちゃんと取ってもらうわよ!」

「き、キズモノ!?」

「違うっつってんだろ!」

「アンタみたいなギャルは、あたしたちがイチャイチャしている脇でケバいメイクに精を出してりゃいいのよ! ああー哀れねーメイクなんかで誤魔化さなきゃいけない人ってー。このサツキちゃんみたいに素で可愛い娘って、ほんと罪作りだわー」

 

 ブチッ。何かが切れる音が、浅葱の頭から響いた。

 本能的に危険を察知した古城はさっさと教室の隅に避難する。面白そうに、あるいは妬ましそうに見守っていたクラスメイト達も只ならぬ空気を察して距離を取った。

 

「……このド貧乳」

 

 開戦の切っ掛けとなったのは、浅葱の放ったこの一言だった。

 

「ハァァァ!? ぬぁんですってぇ!?」

 

 先程まで余裕の表情を浮かべていたサツキが、額に青筋を浮かべてメンチを切りはじめる。

 そして始まる、果てしなく不毛な言い争い。

 

「聞こえなかったかしら? このまな板みたいでアバラ浮きまくってる哀れな超貧乳さんって言ったのよ」

「何か盛られてるんですけどォ!?」

「じゃあシンプルにド貧乳」

「ド貧乳なんかじゃないわよ! ただちょっと慎しまやかなだけよ!」

「あーあ、哀れだわー。薄過ぎて制服の上から分からない胸って哀れだわー。寄せても何にも出ない胸って哀れだわー」

「出るわよ! 思いっきりギュウーーーーってやったら、ちょっとぐらい谷間出るわよ!」

「あーどうしようーまた最近ブラジャーのサイズ合わなくなってきたのよねー。新しいの買わなくちゃ。嵐城さんも一緒に――あ、ごめんなさい……」

「ガチな感じで申し訳なさそうに言ってんじゃないわよぉ! ケンカ売ってるなら買うわよ!?」

「いいわね、あたしの胸を貸してあげる」

「やっぱりケンカ売ってんじゃないのおおおおおおおお! わざとらしく胸張ってんじゃないわよおおおおおおおお」

「……ごめんなさい。ひどいこと言っちゃった」

「だから本気で謝ってんじゃないわよおおおおおおおお」

「……そうよね、世の中には言っていいことと悪いことがあるわよね」

「あたしの胸はそこまで悲惨じゃなああああああああい」

「大丈夫、あたしもあなたもまだ成長期だから。まだ育つから」

「憐れんでるフリして現実叩きつけてこないでよおおおおおおおおおおおお」

 

 ギャアギャア、ワアワア。喧々囂々。

 女三人寄らば――と言うが、未だ二人だと言うのに、姦しいことこの上ない。

 正直行きたくなかったが、クラスの全員から向けられる「お前何とかしろよ」という無言の圧力に気圧されて、古城は仕方なく前に出ようとする。

 

 だが、その歩みは途中で止まることになった。

 二人が言い争っている方とは逆側のドアから一人の女子生徒が入ってきたのだ。

 サツキや浅葱に負けず劣らずの美少女だった。敢えて比べれば、サツキは陽気な可憐さであり、この少女は静的で美しい。

 長い黒髪は溜め息をつきたくなるほどに美しく、眠たげに細められた吸い込まれそうな黒瞳。

 凄まじいほどの美貌を持つ美少女だった。その表情は一切感情と言うものが感じ取れず、まるで能面のようだった。

 そして、制服を下から窮屈そうに押し上げるたっぷりとした膨らみ。サツキどころか、浅葱でも勝負にならないだろう。

 その少女は、繰り広げられる壮絶な舌戦に気付いた様子もなく、真っ直ぐに古城の方に寄って来て、

 

「おはよう、古城」

「お、おう、おはよう静乃……うっ!?」

 

 立ち上がった古城の頭をガシッと両手で掴み、強引に自分の豊かなそれへとダイブさせた。

 いきなりのことに反応する間もなかった。気が付けば、顔面がこの世のものとは思えない柔らかな感触に包まれていた。

 制服越し、あるいはブラ越しでもその感触はたっぷりとある。

 陶然としていた古城だったが、呼吸が苦しくなって顔を上げようとするも頭をがっしりと掴まれているため、それも叶わない。

 顔を捩ろうとしても、隙間なく密着したそれが古城の動きに従って、プルプルと震える。

 

「久しぶりね、古城」

「ほ、ほうはは(そ、そうだな)。ほへへ、ほへはほふひふほほは(それで、これはどういうことだ)!?」

「古城ったら、私の胸がそんなに恋しかったのかしら?」

「ひはふ(ちがう)! ははへー(離せ―)!」

「…………あ…………ん。あんまり動かないで、くすぐったいわ?」

「んーーーーーー(んーーーーーー)!」

 

 古城は絶叫した。少女――漆原(うるしばら)静乃(しずの)の胸の中で。

 

「気にしないで。ただ、夏休み中補給できなかったコジョニウムの補給よ」

「ひひふふは(気にするわ)!」

「あら、じゃあ気持ち良くないのかしら?」

「ふ、ふぅ(む、ぬぅ)……」

「いいのよ。存分に堪能すれば」

 

 抵抗しようにも、心配になるほどにたおやかな静乃の体を気遣ってできず、されるがままになる古城。

 恐ろしいのは、全く忌避感や嫌悪感を感じないことか。

 自分の意思に関わらず、このままずっと埋めていたくなってしまう。

 だが古城はギリギリのところで正気を取り戻せた。

 男子の向ける嫉妬と憤怒の、女子の向ける軽蔑と嫌悪の視線と、今の今まで言い争っていたサツキと浅葱の素っ頓狂な声が聞こえてきたことによって。

 

「ちょっと漆原ああああああああ!?」

「あんた、何しちゃってるわけ!?」

「挨拶よ」

「んな挨拶があってたまるかああああ!」

「嘘じゃないわ。漆原家式のものよ」

「嘘つきなさいよ! じゃあんた、それお兄さんとかにしてるの!?」

「してるわけないじゃない。常識ないわね」

「「あんたが言うなああああああああ」」

 

 二人の言い争いが終わったと思えば、三つ巴の戦いに移っただけだった。

 先程、女三人寄らばと言ったが、本当に三人揃ってしまったらどうなるのだろう。

 とりあえず、静乃の参戦によってさらにヒートアップしたのは間違いない。

 

「まず古城を離しなさいよ! 苦しがってるでしょ!」

「そ、そうよ! 女の武器を使って誘惑するなんて恥ずかしくないワケ!?」

「自分にないからってやっかむのはどうかと思うわ、藍羽さん、嵐城さん」

「ちょっと! あたしをこの貧乳と一緒にしないで!」

「藍羽ああああああああ!?」

「どっちも同じよ」

「漆原ああああああああ!?」

 

 ちなみにこの会話の間、古城の顔面は静乃の胸の中に埋まっている。

 人間の言語にならない呻き声に近い言葉で助けを求めているのだが、誰一人取り合ってくれない。

 

「たゆーん」

「ぐほっ……!? なに、その擬音……!」

「ず、ずるいわよ、漆原ぁ……!」

「ぽいーん」

「かはぁっ……! ま、まだよ、まだ負けてない」

「くふぅっ。あ、あんた……一番やっちゃいけないことを」

「ぼいーん」

「ぐっはあっ……!? 最強にダメージの来る音を……!」

「もう止めて! サツキちゃんのHPはとっくにゼロよ!」

 

 静乃の圧倒的なボリュームの前に、浅葱とサツキは膝から崩れ落ちた。

 降参の合図だった。

 そこで止めておけばいいものを、静乃はさらに追い打ちの言葉を付け足した。

 

「五十歩百歩、ドングリの背比べと言ったところかしら」

「…………」

「…………」

 

 最初から見ていなかったくせに、なぜそこまで的確なことが言えるのか。

 ビクン、ビクン、と。蹲っていた二人の体が不自然に痙攣した。

 図らずとも、二人の争いを止めてしまったらしい。ナイスプレイではあるが、二人の精神的ダメージは甚大である。

 まだ起き上がることはできそうにない。ただのしかばねのようだ。

 

「ほへほひほ、ははふはふへほー(それよりも、はやくたすけろ)ー!」

 

 結局古城が解放されたのは、先生が遅れてやってきてホームルームが始まってからのことだった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

「……ったく、静乃。お前ってやつは……」

 

 一時限目終了直後の休み時間。授業が終わって早々に古城の席に近寄ってきた静乃に、古城は深々と溜め息を吐いた。

 原因はもちろん、今朝の事件についてだ。

 

 ちなみにこの場には、当事者である浅葱とサツキも居て、一様に静乃を、と言うより静乃の体のある一部分を射殺さんばかりに睨んでいる。

 対して静乃は能面のような素知らぬ顔で古城を見ていた。

 

「古城は嬉しくなかったのかしら?」

「ぐくっ……それは、まあ、なんと言いますか……」

「兄様……」

「古城……」

「――オッホン」

 

 二人から向けられるジトッとした視線に、古城は不自然に咳払いをして誤魔化す。尚もその視線は続いていたが。

 何とか気を取り直し、静乃に責めるような視線を向ける古城。

 

「とにかく、あんなことをするのはやめろ」

「仕方ないでしょう。一か月と少しぶりの再会なのだから、感情が昂ぶっても仕方ないわ?」

「んな無表情で言われても信じらんねえよ。つうかな、再会を喜ぶなら、もっと別のやり方があるだろ」

 

 頭痛を堪えるように頭に手を当てて声を絞り出す古城。

 そんな古城に、静乃は微かに、ほんの微かに笑って、

 

「別のやり方……例えば、こんな?」

 

 言って、ガシッと古城の頭を掴む静乃。すわまた胸に顔を埋めさせられると思って何とか顔を動かすまいとしていたのだが、結果としてそれが仇になった。

 静乃は古城を引き寄せようとはしなかった。逆に、自分から顔を寄せてきた。

 静乃の狙いを逸早く悟ったサツキと浅葱が止める間もなく、

 

 ――ちゅっ、と。

 

 静乃と古城の唇が、ぴったりと重なった。

 驚愕に硬直した古城は咄嗟に動くこともできず、ただ硬直して、女の子の柔らかい唇の感触を堪能するのみとなった。

 

「なななななななななな何やってんのよ、兄様!? 漆原ぁ!?」

「あ、あんたたち、馬っ鹿じゃないの!? こ、こここここんな所で!」

 

 僅かに頬を赤くした古城などよりも尚真っ赤になった二人が、古城と静乃を引き離しにかかった。

 出席番号の関係で古城の後ろに座っていた浅葱が古城を後ろに引っ張り、サツキが強引な動きで静乃にヘッドロックをかまして無理矢理引き剥がす。

 さっきまでいがみ合っていたくせに、随分と機敏で息の合った動作だった。

 

 サツキの説教をどこ吹く風と聞き流す静乃。馬耳東風である。

 浅葱にほとんど涙目で詰め寄られて苦悩していた古城は、そもそもの元凶である少女に目を向けた。

 だが古城が何か言うよりも速く、静乃の方から口を開いた。

 

「私の唇、どうだったかしら? 後学のために聞いておきたいのだけど」

「感想を聞くな、何の勉強だ! って、そうじゃなくてだ、女の子がそんなことを軽々しくすんな!」

「いいじゃない。別に減るものではないし」

 

 静乃は平然と答えた。それこそ本当にそう思っているかのように。

 古城は渋面になる。無駄かもしれないとは思ったが、頭をぐしゃぐしゃと掻きながら忠告した。

 

「――減るだろ」

「何が?」

「女の子の価値が減る。お前も、外見だけで言えばとんでもない美人なんだから、そこんとこ気を付けろ」

「……面白いことを言うのね?」

「お前に言われたくはないな!」

 

 面白いと言うよりも、疲れることばかりだが、静乃の場合。

 未だ解決したわけではない浅葱とサツキの問題を思い起こして、思わず惨憺たる溜め息を吐く古城。

 最近、溜め息の回数が増えたように思える古城だった。

 

 頭を抱える古城に、静乃は悪戯っぽい声で、

 

「でも安心して? 私の価値はそう減らないわ」

「……何で?」

「こんなこと、あなたにしかしないから」

「……そうかよ」

 

 そんなことを言われては、これ以上は何も言えない。

 唇を歪めながら、古城は静乃をジッと見つめる。よくよく注視してみると、口の端が少しだけ曲がって、綺麗なえくぼができていた。

 と言っても、見慣れた(・・・・)古城にしか分からないような、ほんの微かなものだ。

 

 それを認めて、古城は口をついて出そうになった疑問を、ギリギリのところで止めた。

 

 ――お前、やっぱり冥府の魔女(・・・・・)なんじゃないか? という。

 

「まあ、いいや……。浅葱、社会のレポート貸してくれ……」

「いいけど、今度ちゃんと説明しなさいよ。それから、キーストーンゲートのケーキバイキング!」

「ぐほっ、覚えてたか……了解」

 

 断腸の思いで頷く古城。中学生の財布よりも軽い自分の財布よりも、とりあえず目先の宿題をどうにかしなければ。

 一応機嫌を回復したらしい浅葱が、コピー用紙を古城に手渡そうとして、

 

「暁古城、嵐城サツキ。居るか?」

 

 漆黒の暑苦しいドレスを纏った幼女にしか見えないカリスマ担任が、不機嫌そうな表情で教室に入ってきたのだ。

 教室の入り口に仁王立ちで古城とサツキを呼ぶ那月に嫌な予感しか感じられないながらも、二人は素直に手を上げた。

 

「……なんスか?」

「昼休みに生徒指導室に来い。話がある」

 

 冷たく言い放つ那月。この時点でサツキはすでに涙目だ。

 冷ややかな殺気すら感じさせる那月の剣幕に、古城は軽くビビりながら、

 

「え? な、何でっスかね……」

「それから中等部の転校生も一緒に連れてこい」

「姫柊を……? 何で?」

 

 古城の声が無意識に裏返る。

 教室の隅で携帯を覗き込んでいた男子の一群が、驚愕の表情でこっちを向いた。ちょうど、姫柊の話をしていたようだ。

 

「昨夜の件、と言ったら分かるか?」

「い、いや……何のことだかさっぱり……」

「とぼけても無駄だ。深夜のゲーセンから逃げ出した後、お前ら三人が朝まで何をしていたのか、きっちり話してもらうからな」

 

 一方的にそれだけ言い残すと、那月は古城たちの返事も聞かずに去っていく。後に残されたのは脂汗に塗れた古城ともはや泣きだしたサツキ、そして古城を殺気だった目で睨みつける男子生徒たち。

 

 しかし今の那月、自分の前から逃げ出されたこと、古城たちを捕まえられなかったこと、それ以外の理由で不機嫌だったように思えた。

 どうにも、何か気に食わないと言う風な。

 

 だが、今の古城にそれ以上のことを考える余裕はなかった。

 呆然としていた古城の耳に、教室の黒板近く、ゴミ箱の辺りでビリビリビリ……と、紙を破るような音が届いた。

 嫌な予感を感じながらそちらの方を向くと、それはもう不機嫌そうな顔をした浅葱が、紙の束を破いてゴミ箱に突っ込んでいる真っ最中だった。

 

「……え? おい、お前それ、まさかレポートの紙なんじゃ……」

 

 紙の束の正体に気付いた古城が、青褪めながら問う。

 しかし浅葱は一顧だにせず、最後の一枚まで破り捨ててから、

 

「ふん」

 

 荒々しく鼻を鳴らして、古城を静かな怒気を孕んだ半眼で睨みつけた。




 静乃さんみたいに、会話だけでキャラが立ってるキャラ書くの、すごい難しい……
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