ワールドブレイク・ザ・ブラッド   作:マハニャー

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 お久しぶりです。侍従長です。
 話をつなげるために、いろいろごちゃごちゃなってますが、よろしくです。


6 嘆きの少女 ―Girl Is Crying―

「そう言えばさ、古城」

「ん?」

 

 昼休み、生徒指導室での那月の説教を乗り越えた古城はサツキ、雪菜と共に、渡り廊下を歩いていた。

 実際の所は説教はほんの少しで、むしろ魔族である古城に警告をしてくれたと言う感じだったが。

 その警告の内容について考え込んでいたところで、不意にサツキが話しかけてきた。

 

「古城って、魔族なの?」

「え」

 

 直球も直球、ド直球である。

 しかしそれも仕方ない。すっかり忘れていたが、サツキは古城が第四真祖などと言う埒外の存在になったことを知らないのだ。

 

 古城の封じられた記憶によれば、古城がこの体質を受け継ぐことになった事件には彼女も関わっている気もするのだが、少なくとも彼女自身はそれを知らない。

 だが、サツキに教えていいものか。

 チラリと隣を歩いていた雪菜に目をやると、困ったような表情を返された。

 相手がサツキであるため、なまじ無関係と言えないのもあってどうしていいか分からないらしい。

 

 古城は少し考え、結局は真実を口にした。

 サツキならば露見する心配もないし、何より彼女であれば、それを知っても態度を変えることはないと言う信頼があったからだ。

 案の定、古城がつっかえつっかえ話す内容を聞いたサツキは、

 

「ふーん」

 

 と、至極どうでもよさそうな吐息を洩らした。

 

「ふーんって……もうちょっと何かないのかよ?」

「だって、第四真祖って言っても、古城は古城でしょ?」

「そうだけど」

「ならいいじゃない。そもそも今更古城が世界最強の吸血鬼だ、とか言われても驚かないわよ」

 

 当然のように言うサツキに、古城と雪菜は当惑した。

 本当に、心の底からそう思っているように思えたからだ。

 サツキの夜空に星を撒いたような綺麗な瞳には、ただ古城(兄様)に対する絶対的な信頼だけがあった。

 

「だって、兄様は世界最強の剣聖だもの」

 

 ニッコリと。古城(フラガ)の記憶にあるその笑顔と同じ、古城の心に蟠った全てを吹き飛ばしてくれるような輝かしい笑顔で、サツキはそう言った。

 一瞬ポカンとした古城は、すぐに微笑んで、

 

「そっか」

 

 それだけ、口にした。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

「最近の無差別魔族襲撃事件?」

「ああ。那月ちゃんから聞いたんだけどさ、お前は何か知らないか?」

「そうね……」

 

 昼休みも中程、古城は教室の静乃の机に来ていた。彼女に聞きたいことがあったからだ。

 

 那月からの警告。それは、ここ二ヶ月の間に、絃神島内で魔族の襲撃事件が頻発していると言うものだった。

 企業に所属している魔族やその血族には、『魔族狩り』に気を付けろと言う警告が既に回っているらしいが、古城にはそんな上等な知り合いはいない。

 なので、那月が代わりに警告をしてくれたと言う訳だった。

 まあ、その中で昨日の件がバレそうになったりなど、色々あったりしたのだが。

 

 自分が吸血鬼と言う自覚がないせいか、古城にはあまり実感がなかったが、オイスタッハは既に古城が第四真祖であることを知っている。次の標的が古城になったとしてもおかしくはない。

 実際、オイスタッハは古城と遭遇した時に、確かに言ったのだ。

 今はまだ(・・・・)、真祖と戦う時期ではない、と――

 

「これかしら?」

 

 那月との会話の内容と、昨日の一件を思い出していると、スマートフォンを取り出した静乃がすいすいとそれを操って、数枚の写真を表示していた。

 街の監視カメラの映像を拡大した、目の粗い写真だ。

 

「静乃……これは?」

「今までに襲われた魔族のリスト。今映しているのは六件目の被害者ね。発見されたのは二日前らしいけれど……知り合いがいるの?」

「いや、知り合いって訳じゃないんだが……」

 

 古城は苦々しげに唇を歪めた。

 写真に写る、獣人と吸血鬼の二人組。古城が雪菜と初めて出会った日に、雪菜にぶっ飛ばされた男達だった。

 古城たちの目の前から逃げ出した後で襲われたと言うのなら、彼ら二人を襲った犯人があの殲教師たちである可能性は高い。

 

「こいつらはどうなったんだ?」

「入院中ね。一命は取り留めたけれど、まだ意識が戻っていないそうよ。生命力が取り柄の獣人と不老不死の吸血鬼を相手に、どうやったらそんなことが出来るのかしらね?」

 

 言って、彼女は優雅に肩を竦めて見せた。

 

 漆原静乃。彼女の実家である漆原家は、日本の政界にすら影響を及ぼす大財閥だ。

 そして魔族特区・絃神島においては、人工島管理公社の重鎮に漆原の血族、静乃の父親を送り込み、この島の運営に深く関わっている。

 例えば古城たちの通うこの彩海学園。この学園の理事長の名は漆原賢典(ただのり)。今年で二十五歳の若干にして絃神島の運営に口出しできる、静乃の兄だ。

 魔族も多く通う魔族特区の学校機関の運営を任されていると言う時点で、漆原家の影響力の強さが窺えると言うものだ。

 静乃は漆原家の中ではそこまで立場は強くないそうだが、何でも現当主である静乃の祖父からいたく気に入られていて、それなりの自由が許されているらしい。

 その縁もあって、時々彼女にはこう言った面倒事について知恵を拝借することがある。

 

「ロタリンギアの殲教師……」

「え?」

「この事件の犯人だよ。ほら、昨日の爆発事故があっただろ?」

「ああ。現場で瀕死の〝旧き世代〟の吸血鬼が見つかったと言うあれね?」

「そう、それ。で、その吸血鬼を瀕死に追い込んだのが、ロタリンギアの殲教師って名乗るオッサンだったんだ」

「ふぅん、ロタリンギア……」

 

 思慮深げに呟く静乃。さりげなく髪を払う仕草に見惚れながら、古城は重ねて尋ねた。

 

「で、まあ、とある事情から、俺たちはそいつを追わなくちゃいけないんだが……どっか、考えられる潜伏場所とかないか?」

 

 事情とはもちろん、古城の正当防衛が認められるか、と言う話だ。

 例え警察に昨夜のことを説明しても、恐らく警察に拘留されて古城は動けなくなるだろう。そうなれば凪沙にも古城が吸血鬼であることがバレてしまう。

 だが相手は〝旧き世代〟クラスの吸血鬼を倒した無差別魔族襲撃犯。その危険性は誰もが理解しているはずだ。

 なので、もし古城は彼らに襲われただけだと言うのを証明できれば、古城の罪は帳消しになるはずなのだ。

 

「ロタリンギアに本社のある外資系企業、かしら」

「え?」

 

 ほとんど間を置かずに提示された答えに、古城は目を瞬いた。

 そんな古城を、静乃は面白そうに見やって、

 

「その人が殲教師というのは、その人たちが自分で名乗っているだけなのでしょう? それに、木を隠すなら森の中。ロタリンギア人が一番怪しまれないのはロタリンギア人の中だから……」

「外資系企業、か?」

「多分ね。それも、潜伏目的なら絃神島から撤退してしまって、閉鎖した事務所が残っているような場所がいいと思うわ? 魔族特区は欧州にもあるのだし、最近の円高で撤退した企業と言うことなら、丁度いいのはあるかもしれないわね」

「なるほどな……静乃。それって、静乃に分かるか?」

「無理ね。私にそこまでの権限はないわ。お役に立てずにごめんなさいね?」

「いや、十分すぎる。ありがとな」

「どういたしまして。それと、人工島管理公社のデータベースなら、全企業のデータがある筈よ」

「人工島管理公社……そうか! ――浅葱!」

「ふぇっ!? な、何!?」

 

 先程からずっと聞き耳を立てていた浅葱は、いきなり古城に大声で名前を呼ばれて跳び上がった。

 静乃は意地悪くえくぼを作っていたが、古城はそれに気付かず、意気揚々と話しかけた。

 

「お前、何やってんだ? ――まあいいや、ちょっと調べて欲しいんだが。ロタリンギア国籍で撤退済みの企業で、閉鎖した事務所がそのまま残ってるようなとこ!」

「い、いきなり注文が細か過ぎない?」

「すまん、でも、こんなことお前にしか頼めないんだよ」

「あ、あたしにしか? ……し、仕方ないわね。そこまで言うなら調べてあげなくもないわよ」

 

 どうしてかは分からないが、いきなり機嫌が良くなった様子の浅葱に首を傾げつつ、スマートフォンを取り出した彼女を見守る。

 嬉しそうな表情で一流のピアニストのように外付けキーボードを叩く。心なしかその指は本人の現在の心境を反映するかのように弾んでいた。

 

 数秒後、浅葱はあっさりと機密情報を引き出してみせた。

 画面が切り替わり、細かなデータがびっしりと画面を埋め尽くす。

 

「一件だけだけどあったわ。スヘルデ製薬の研究所。本社はロタリンギア。主な研究内容は人工生命体(ホムンクルス)を利用した製薬実験。二年前に研究所を閉鎖して、今は債権者の差し押さえ物件になってるみたいだけど」

「それだ! 浅葱、どこにある?」

 

 古城が身を乗り出してスマートフォンの画面を覗き込む。悪気なく密着してきた古城との距離の近さに、浅葱は微かに頬を赤らめながら、

 

「えーと、アイランド・ノースの第二層B区画。企業の研究所街ね」

「分かった。サンキュ!」

 

 古城はそう言うと、いきなり背を向けて教室を出て行こうとする。そんな彼を、浅葱は慌てて呼び止めて、

 

「ちょ、ちょっと、古城? どこ行く気?」

「急用が出来た! 出かけてくる!」

「はぁ!? 何言ってんの、午後の授業はどうするのさ!?」

「上手いこと誤魔化しといてくれ、頼む!」

 

 古城は拝むように手を合わせ、そのまま今度こそ教室を出て行く。

 唖然とする浅葱に追い打ちをかけるように、静乃も稀に見る機敏さで椅子から立ち上がって、

 

「ごめんなさい、藍羽さん。私のこともお願いね?」

「は、ちょ、漆原さんまで!?」

 

 先に行った古城を追いかけて教室から出て行く静乃。

 そして、古城を廊下で待っていたサツキと雪菜の存在に気付き、浅葱は、椅子を蹴散らしながら立ち上がり、

 

「こ、こら……! なにそれ!? あんたホント殺すわよ! 馬鹿――っ!」

 

 廊下に向かって怒鳴り散らす浅葱。

 とばっちりを恐れて慌てて眼を逸らすクラスメイト達。

 やっぱりこうなったか、と言う生温かい目で見守っている矢瀬。

 誰にも気付かれずにそっと溜息を吐いたクラス委員の築島凛。

 

 教室内は、渾沌たる様相を呈していた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 アイランド・ノース。企業の研究所が立ち並ぶ、絃神島北地区の研究所街。島内で最も人工島らしさを感じる未来的な街の片隅に、その研究所跡地は残されていた。

 ほぼ直方体に近い形の、四階建てのビルである。

 機密保持のためか窓が少なく、そのため閉鎖されていると言う雰囲気もあまりない。犯罪者が拠点にするには、おあつらえ向きの環境だと言える。

 

「だ、ダメです! 先輩はここに居てください、危険すぎます!こんな街中で、また昨日みたいに眷獣を暴走させたらどうするんですか!?」

「それはそうだろうけど、姫柊一人に全部押し付けるのはおかしいだろ! 大体、今回の事件は俺とも無関係じゃねーんだから!」

 

 そんなビルの直下で、古城の雪菜は大声で言い争っていた。

 ヒートアップして、ここが敵地であると言うことも忘れているようだ。一応攻魔師であるはずの雪菜ですら、隠密の『お』の字もない。

 

 素人である古城がついてくるのが気に入らないのか、声を荒げた雪菜は叩きつけるように言った。

 

「吸血鬼らしいこともなに一つ出来ないくせに、出しゃばらないでください! 余計なことはせず、ここに居ればいいんですから!」

「う……く……」

 

 言っている内容はキツイが、殊更に悪意がある訳ではないだろう。むしろ彼女にしてみれば、当然の指摘をしただけだ。古城を危険な目に遭わせないように、と。

 だが古城からしてみれば、そんなのは余計なお世話だった。

 昨日、この事件に巻き込まれた時点で荒事は覚悟しているし、それを切り抜けられるだけの力はあると思っている。

 それに、正当防衛を証明する、というやるべきこともある。

 

 けれど、今の古城にとっては、そんなことよりも、

 

「だけど姫柊が心配なんだよ!」

 

 古城が苛々と乱暴な口調で叫んだ。

 その言葉に、雪菜はキョトンと目を丸くした。頬が赤く染まっている。

 雪菜が古城に何かを返すよりも前に、古城は近くに生えていた木の陰に視線をやり、

 

「……で、サツキ、静乃。お前ら、いつまでそこに居るつもりだよ?」

 

 先程から姿が見えなかった少女たちの名を呼んだ。

 ずっと前から気付いていたのだが、あえて何も言わなかった。だが雪菜は本気で気付いていなかったようで、驚愕の表情を見せていた。

 最初は反応がなかったが、古城がじーっと見つめていると、やがて観念したかのように、バツが悪そうに苦笑したサツキとしれっとした顔つきの静乃が出てきた。

 

 はあ、と古城は溜め息を吐くも、実のところそこまで落胆はしていなかった。

 それもそうだろう。古城が戦いに赴くと言うのに、彼女たちがついてこないはずがない。

 雪菜は、サツキの力については昨日も見たので何も言わなかったが、初対面である静乃に訝しげな視線を送っていた。

 

「あの、先輩……こちらの方は?」

「ん、ああ、そういや姫柊は初対面だったっけか。こいつは漆原静乃。とぼけた顔してるけどそれなりに戦える」

 

 古城がざっくりとした説明をすると、静乃の方から歩み出てきた。

 そしていつもの能面のような表情で、雪菜に軽く会釈する。

 

「はじめましてね? 古城の言った通り、私は漆原静乃。あなたは姫柊雪菜さん、でいいのかしら?」

「は、はい。はじめまして、漆原先輩。何故、わたしのことを?」

「もちろん知ってるわ? 色々と、ね」

 

 含みのある口調でそう言って、静乃は雪菜が背負っているギターケースに視線を向けた。

 彼女は知っているのだ。雪菜の持つ魔族殺しの槍のことも。雪菜が獅子王機関の剣巫と呼ばれる存在であることも。そして、雪菜に与えられた使命のことも。

 思わず警戒の表情を浮かべる雪菜に、静乃は興味なさげに首を振った。

 

「まあいいわ。貴女が古城に害をもたらさない限りは、私も何も言わないでおいてあげる」

「……ありがとうございます」

 

 硬い声で礼を述べる雪菜から視線を外し、古城の方を向く静乃。

 

「いいわよね?」

「ダメって言っても聞かねえんだろ?」

「ええ。――貴方を佐けるのが、私の生き甲斐だもの」

「お前やっぱ……いや、何でもない。助かる」

「ええ」

 

 彼女の言葉に言及しようとした古城だったが、静乃の頬に現れたあえかなえくぼを目に留めて、何も言わずに礼を言うに留めた。

 そんな古城に、静乃が僅かに笑った、気がした。

 それを確認する間もなく、今度はサツキが古城に飛びついてくる。

 

「古城! あたしもいいわよね、漆原がよくてあたしがダメとか言わないわよね!」

「んあー、正直、お前は連れて行きたくないんだが……」

「何でよぉ! 兄様の薄情者おおおおおお!」

「そういうとこだよ」

 

 そういう、すぐに冷静さを欠くところが心配でならないのだが。

 けれど、純粋に古城のことを心配してくれている彼女を突き放すのも気が引ける。

 結局、古城は溜め息を吐いてサツキの同行を認めた。

 

 もし彼女に何かあっても、古城が守ってやればいいだろう。

 そうだ。前世とやることは変わらない。何も変わらない。

 思い出せないはずの古城(フラガ)の記憶が囁くのだ。

 この少女を、サツキ(サラシャ)を守ることこそ、俺の役目だと。そう、囁くのだ。

 

「……てな訳で、いいだろ? 姫柊」

「わ……わかりました。でも、出来るだけ私から離れないでくださいね。わたしの本来の任務は、先輩の監視役なんですから」

「了解だ。足手纏いにはならないから安心してくれ」

 

 拗ねたように発された承諾の声に、古城はほっと肩の力を抜いた。

 不機嫌そうな雪菜の態度には、まったく気付いていないようだった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 当然のことだが、閉鎖された研究所の建物には鍵が掛かっていた。ガラス張りの正面玄関はもちろんだが、通行用の扉も太い鎖と南京錠でガチガチに封鎖されている。

 安物の南京錠は赤く錆びついて、長い間使われていなかったことを示していた。

 

 外から見る限り、この建物への入り口は他にない。屋上や地下から入れるような構造の建物でもない。

 あの殲教師と人工生命体(ホムンクルス)の少女はここじゃなかったか、と落胆しそうになった古城だったが、不意に横で魔力(マーナ)が膨れ上がったのに気が付いた。

 

 静乃だった。静乃が、その全身から黒々とした魔力(マーナ)を噴き出していた。

 古城(シュウ・サウラ)ほどとはいかないが、その量は十分以上に膨大だった。

 禍々しさすら感じさせる異様な気配に雪菜とサツキは、息を吞んで後退る。

 静乃はそれを一顧だにせず、ほっそりとした人差し指を施錠された扉に向け、詩を詠むような韻律で唱えた。

 いつの間にか彼女の左手には、一本の長大な杖が握られていた。

 

「綴る――」

 

 

 

 氷の子よ 雪の童よ そなたの息吹を貸しておくれ 小さな息吹で凍えさせておくれ

 

 

 

 彼女の指が踊り、虚空に光の文字を書き出していく。

 綴る間、周囲が僅かに暗くなる。静乃が体内の魔力(マーナ)を高めることで、自然界のエネルギーを吸い込んで己のエネルギーに還元しているのだ。

 時間にすれば僅か数秒。

 サツキと雪菜がその優美とさえいえる仕草に見惚れる中、〆に綴った文章をトンと叩く。

 

 直後、光の文字が渦を巻き、砲弾のような氷塊が吐き出された。

 その氷塊は閉ざされた扉に直撃し、そのまま粉砕する。

 

「……氷の第一階梯闇術、か」

 

 ぼそっと古城は呟いた。その声には、呆れの成分が多分に含まれていた。

 源素の技(アンセスタル・アーツ)の闇術。そんなものをガラス張りの扉一枚に対して使うなど、過剰攻撃にもほどがある。

 

「さ、行きましょ?」

 

 しかし静乃はそれに気付いた様子もなく、優雅に髪を掻き上げて、パキパキと氷の破片を踏み砕きながら進んでいく。

 古城も苦笑を浮かべながら、サツキと雪菜は置いて行かれないように慌ててそれを追った。

 

 建物の中は暗かった。

 いくら魔力(マーナ)が使えようとも、通力(プラーナ)と違って身体能力に何らかの補正をもたらすことはない。

 そのため、少し行ったところで立ち止まっていた静乃の手を、古城は至極自然に取って導く。

 既に眉間に通力(プラーナ)を纏わせているし、何より吸血鬼は元々夜目が利く。

 

 サツキと雪菜も闇を苦にした様子はない。サツキは古城と同じように通力(プラーナ)を用いている。

 そして、どうやら雪菜は吸血鬼である古城並に夜目が効くらしい。あるいはこれも、彼女の用いる霊視とやらの特殊技能なのかもしれない。

 

 最初が最初だったせいで忘れかけていたが、ここは敵地だ。慎重を期していけないことはない。

 全員が全員、緊張感を持ちながら歩いていた、が、

 

「むぅー……」

 

 古城と静乃が繋いだ手を《天眼通》を用いて認めてサツキが、不機嫌そうな唸り声を漏らした。

 

「何で、すっごい自然に手なんか繋いじゃってるワケ?」

「あ、あの、嵐城先輩? いまはそれどころじゃ――」

 

 控えめに咎めようとした雪菜だったが、悪戯心を発揮した静乃の、火に油をドバドバと注ぐような行為にあえなく沈黙することになった。

 静乃は、一度、暗闇で見えないはずのサツキに勝ち誇った微笑を浮かべて、

 

「きゃー暗くて怖いわー」

「ちょ、おい!?」

「うぅるぅしぃばぁらぁ~~~~!?」

 

 ぎゅむっ、と。いっそ見事なほどの棒読みで恐怖を訴えて、古城の腕に思い切り抱きついたのだ。

 繋いでいた方の腕、つまり左腕に抱きつかれたことで、静乃のいっそ見事なほどの柔軟性を持つ豊かなソレが、二の腕全体に押し付けられた。

 自分の腕と静乃の胸板の間で挟まれて、卑猥なほどに形を変えるソレに、ゴクリと生唾を飲み込む古城。

 

 いくらいつも拒絶していても、やはり古城も健全な男子高校生。人並みの性欲はある。

 そして、吸血鬼にとっての性欲はそのまま、とある生理現象に直結し、古城の場合はさらに進んで、

 

「……ぐふっ」

 

 鼻血を噴き出すことになる。

 すぐに戦闘に移れるように開けておいた右手で鼻を押さえる古城を見て、さすがに気が咎めたのか、静乃がそっと離れた。手は繋いだままだが。

 

 苦々しく唇を歪めながら鼻血を止めようと四苦八苦している古城に、ポケットからティッシュを取り出した雪菜が、鼻の辺りをごしごしと拭いてくれた。

 ただし、凄まじく荒っぽく、痛いほどだったが。

 

「う、ぐあっ、ちょ、ひめら、痛っ」

「……相変わらず、いやらしい吸血鬼(ヒト)ですね」

 

 ぼそっと付け加えられた一言に反論しようとした古城だったが、これまで見たこともないほど不機嫌そうな表情をした雪菜に気圧されて口を噤んだ。

 結局なすがままにされる古城の姿を見て、ついに我慢しきれなくなったのかサツキが大声で喚きはじめた。

 

「もおー兄様ったら、漆原と姫柊さんもだけど、兄様も流されてないで抵抗してよ!」

「お、おう、すまん」

「あんたたちも、いい加減にあたしの兄様から離れなさーい!」

 

 大好きな兄を盗られまいとする妹の姿は、世が世なら微笑ましいものかもしれないが、如何せん今は状況が悪かった。

 

 騒ぎながらも進んで行く内に、彼らの目の前に広がる光景は一変していた。

 まるで教会の聖堂のような、天井の高い広い部屋だった。

 ステンドグラスの代わりに壁際にずらりと並んでいるのは、円筒形の巨大な水槽だ。

 水槽の中は、濁った琥珀色の溶液で満たされている。

 

 そして間の悪いことに、目をバッテンにしたサツキの腕――通力(プラーナ)を纏った状態の――が、配置された水槽の内の一基に直撃し、

 ガッシャアァァァン、と。澄んだ音を響かせて水槽が砕けて、中に入っていた溶液が床に流れ出てきた。

 

「嵐城さん、暴れたいなら他の所でやって?」

「う、うぐ、わ、悪かったわよ!」

 

 流石に反省したのか、静乃の嫌みな言葉にサツキは素直に謝罪した。苦笑する雪菜。

 だが一人だけ、古城だけはその会話に参加していなかった。

 何故なら、彼の意識はあるモノに釘付けになっていたからだ。

 砕けた水槽の中から溶液と一緒に溢れ出てきた、それ(・・)に。

 

 それ(・・)は、子犬ほどの大きさの奇妙な生物たちであった。伝説の魔獣のような、美しい妖精のような姿をしており、確実に自然界に存在する生物の姿ではない。

 

「これが……人工生命体(ホムンクルス)、だと? こんなものが……か!?」

「古城?」

 

 怒りで声を震わせる古城に、気遣わしげに静乃が問いかけた。古城は答えない、答えられない。

 採光窓から差し込む光のお蔭で、静乃でも肉眼でそれ(・・)を視認することが出来た。

 だが彼女たちにはそれ(・・)を見ても、古城がここまで憤っている理由が分からなかった。

 

 その瞬間、ピチョン、という。明らかに目の前の砕けた水槽からではない、水音がした。

 雪菜が銀色の槍を構えて姿勢を低くし、サツキが小振りな剣を召喚して構え、静乃が人差し指をそちらに向けて杖を掲げる。

 

 水槽の陰から現れたのは、藍色の髪の少女だった。薄い水色の虹彩が、自分に向けられる敵意の数々を無表情に見つめている。

 アスタルテと呼ばれていた、人工生命体(ホムンクルス)の少女だった。

 彼女の足元には透明な雫が滴り、手術着のような薄く、ぐっしょりと濡れそぼった布切れを一枚身に付けているのみという、ほとんど裸同然の際どい姿だった。

 

 しかし呆然と少女の姿を見つめる古城の意識には、そんな余計な(・・・)情報は一切なかった。

 

「同じだ、こいつと、こいつらと同じだ……!」

「先輩……?」

 

 戸惑いの表情を浮かべる雪菜。今しがた呟かれた言葉の真意を問おうとした時、唐突にアスタルテが口を開いた。

 

「……警告します(ウォーニン)、ただちにここから退去してください」

「え?」

「この島は、間もなく沈みます。その前に逃げてください。なるべく、遠くへ……」

「島が……沈む、ですって!? どういう意味よ……!?」

 

 ぞくり、と背筋が凍るような感覚に、その場の全員が襲われた。

 抑揚の乏しい機械的な声で紡がれる言葉が、ただひたすらに恐ろしく思えた。

 

「〝この島は、龍脈の交叉する南海に浮かぶ儚き仮初めの大地――」

「――要を失えば滅びるのみ〟」

 

 アスタルテの紡いだ詩のような言葉を、同じく抑揚の乏しい静乃が引き継いだ。

 見れば、珍しく静乃が硬い表情をしていた。雪菜までもが驚愕に瞳を揺らしている。

 古城とサツキには理解できなかったが、アスタルテとの会話には、何か彼女たちを驚愕させるような情報が含まれていたらしい。

 

 そしていつの間にか、怯えたような人工生命体(ホムンクルス)の少女を冷ややかに見下す大柄な影があった。

 荘厳な法衣と装甲強化服を身に纏った、ロタリンギア殲教師ルードルフ・オイスタッハ。

 

「――然様。我らの望みは、要として祀られし不朽の至宝。そして今や、その宿願を叶える力を得ました。獅子王機関の剣巫よ、貴方のお蔭です」

「力を得た……だと? それはまさか、その子の体内に埋め込んだヤツのことか?」

「先輩?」

 

 オイスタッハに答えたのは、困惑の相を浮かべた雪菜ではなく、古城の方だった。

 怒りを押し殺したような古城の声に、少女たちが後退る。古城はそれを気に留めず、凄まじいほどの怒気のこもった瞳でオイスタッハを睨んでいた。

 

「気付きましたか。さすがは第四真祖か。しかしもはや貴方と言えども私たちの敵ではありません。我らの前に障害はなし」

「ふざけるなよ、オッサン! てめえ、その子に眷獣を植え付けやがったな――!? 魔族ですらない、ただの人工生命体(ホムンクルス)のその子に――!」

「えっ……!?」

 

 古城の怒声を聞いたサツキと雪菜が、驚いたようにアスタルテの細い体に目を向けた。

 そしてアスタルテの左右に立ち並ぶ培養槽の中に並ぶ生物たちを。

 

「いかにもその通り」

 

 オイスタッハが傲然と告げる。

 

「自らの血の中に、眷族たる獣を従えるのは吸血鬼のみ。ですが私は、我が悲願のため、その道理を打ち破ってみせた。ここに居るアスタルテは即ち、私の覚悟の結晶なのです」

「黙れよ、オッサン! どうして吸血鬼以外に眷獣を使役できる魔族がいないのか、あんたも知らない訳じゃないだろうが!?」

「……っ!?」

 

 司教の言葉を遮って怒鳴る古城の声に、サツキがその身を震わせた。

 気付いたのだ。人工生命体(ホムンクルス)――吸血鬼以外の種族が眷獣を宿す、その先にあるものに。

 

「眷獣は、実体化するときに、宿主の命を凄まじい勢いで喰らう……。それを飼い慣らせるのは、無限の〝負〟の生命力を持つ吸血鬼だけ……」

「その通り。ロドダクテュロスを宿している限り、残りの寿命はそう長くはないでしょうね。倒した魔族を喰らって随分と引き延ばしたのですが――せいぜい、保って二週間と言ったところでしょう」

「魔族を喰った、ね。なるほど、最近の無差別魔族襲撃事件。あれは本当に無差別だったと言うこと」

 

 いつもと変わらないような口調で言う静乃だったが、その美しい顔にははっきりと怒りの相が浮かんでいた。彼女も、苦悩や罪悪感を微塵も感じさせないオイスタッハの口調に苛立っているのだ。

 

「彼らの魔力を生き餌にするのは、目的の一つに過ぎません。もう一つの目的は、アスタルテに刻印した術式を完成させるために。獅子王機関の剣巫よ。貴方には分かりますね?」

「――まさか。……〝神格震動波駆動術式(DOE)〟、ですか!? 魔力による攻撃の一切を無効化する、攻魔戦闘術式の究極の秘呪……!」

 

 獅子王機関の秘奥兵器、七式突撃降魔槍(シュネーヴァルツァー)――世界で唯一実用化された〝神格震動波駆動術式(DOE)〟をこの島に持ち込んだ剣巫。

 魔族を狩る中で、彼らは出会ったのだ。

 己の目的を完遂するためになくてはならない要素(ファクター)、それを完成させる見本(ピース)と。

 

「そんな……わたしのせいで……」

「思えば、貴方も哀れなものですね、剣巫よ」

 

 自分の存在が最悪の敵に力を与えてしまった事実に打ちひしがれる雪菜に、オイスタッハは本気で哀れんでいるような視線を向けた。

 その視線を遮るように、怒りで言葉を失っていた古城が前に出た。

 オイスタッハは構わずに言葉を続ける。

 

「黙れよ――」

「知っていますよ、獅子王機関のやり口のことは。不要な赤子を金で買い取り、ただひたすらに魔族に対抗するための技術を仕込む。まるで使い捨ての道具のように――」

「黙れって言ってんだろ――」

「剣巫よ。その歳で、それほどの攻魔の術を手に入れるために、貴方は何を犠牲に捧げたのです?」

「おい――」

道具(武器)として創り出したもの(アスタルテ)道具(武器)として使う私。神の祝福を受けて生まれた人を道具(武器)に貶める貴方たち。いずれが罪深き存在でしょうか?」

「黙れって言ってんだろうが、腐れ僧侶(ボウズ)が! ――来いよ、サラティガぁぁッ!」

 

 咆哮する古城の全身から、眩い雷光と、白炎の如き通力(プラーナ)が同時に溢れ出た。

 自らの肉体を媒介にして眷獣の魔力の一部を実体化した力と、右手左手右足左足眉間心臓丹田の七つの門から汲みだした神に通じる超常の力。

 それらが渾然一体となって、サラティガに宿る(・・・・・・・・)

 

 戦斧を構えたオイスタッハが、少し驚いたように顔を歪め、

 

「ほう。眷獣の魔力が、宿主の怒りに呼応しているのですか……これが第四真祖の力。いいでしょう――アスタルテ! 彼らに慈悲を」

「――命令受諾(アクセプト)

 

 殲教師の命令に従い、人工生命体(ホムンクルス)の少女が古城の前に立ちはだかる。

 彼女の体から巨大な眷獣が陽炎のように姿を現した。

 前回とは違い、それは体長四、五メートルほどもある巨人の姿をしていた。虹色に輝く、全身を分厚い肉の鎧で覆った、顔のないゴーレム。

 宿主である少女を体の中に放り込んで、人型の眷獣が咆哮する。

 

「てめえも大人しく従ってんじゃねェ――ッ!」

 

 古城が白金の光を宿したサラティガを振るい、そのゴーレムへと斬りかかる。

 

「綴る――!」

 

 少し遅れて、静乃も詠唱を始めた。

 杖を虹色の眷獣に向けて、ほっそりとした人差し指を高速で虚空に躍らせる。

 

「氷の闇よ 雪霊(ゆきみたま)よ そなたの息吹を貸しておくれ 死よりも静けく凍えさせておくれ――」

「――ダメ、兄様!」

「っ?」

 

 滑らかに進んでいた静乃の詠唱を断ち切るように、不意にサツキが絶叫した。

 まるで懇願するように。まるで嘆願するように。

 何かに。得体の知れない、自分でも分からない何かに、強く怯えたような(・・・・・・・・)表情で(・・・)

 怯えているのは、目の前の虹色の眷獣にか? 否だ(・・)

 怯えているのは、狂気じみた笑みを浮かべる殲教師にか? 否である(・・・・)

 断じて否である。そんなものではない(・・・・・・・・・)

 

 サツキが何に怯えているのか、それは古城にも分からなかった。

 だが、彼女の震える声に込められた、底知れない恐怖だけはしっかりと伝わってきた。

 そして、その恐怖が、古城の頭を冷やし、足を止めさせた。

 

 結果として、それが古城の窮地を救った。

 

 

 

 古城が慌てて立ち止まったその瞬間。

 

 

 丁度、あと一歩古城が進んでいたら辿り着いていた辺りから。

 

 

 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン………………、と。

 

 

 コンクリートの床を粉砕し、高い天井すら突き破って。

 

 

 その(・・)異端者(・・・)()現れた(・・・)

 

 

 

「……っ、ちっ……!?」

「なん、ですか、これは……!?」

「ぬ、これは一体……!」

「……!」

 

 大蛇だった。

 地の底から鎌首をもたげた、巨大な「一ツ眼」の蛇。

 全長など計り知れない。地表部分に現れた姿だけでも十メートル近く。アスタルテの眷獣の倍はある。

 のたうつ度に漆黒のオーラ――闇より尚昏き呪力(サターナ)を撒き散らす。

 こいつが出現したときの余波に誰一人巻き込まれなかったのは奇跡に近い。いや、そもそも余波など起きなかった(・・・・・・・・・・)

 これだけの巨体が地面から出現したと言うのに、その地面の被害は驚くほど少ない。

 こんな化け物が、この世の生物であるわけがない。

 

 誰にとっても想定外な生物の出現。

 誰にとっても未知の生物の出現。

 

 そう。フラガやシュウ・サウラですら知らない、正真正銘のアンノウン。

 

 

 

 グ……ルルルルルゥ……。

 

 

 

 腹に響くような重低音の唸り声を聞いて、彼らは悟った。

 吹き付ける血腥い吐息を浴びて、彼らは悟った。

 にわかに差した長大な影が蠢く影を見て、彼らは悟った。

 

 これはダメだと(・・・・・・・)あってはならないと(・・・・・・・・・)

 

 理性でも、感情でもないもっと奥底の部分が、叫んでいた。

 

 戦慄する彼らを見て――恐ろしいことに、大蛇が嗤った。

 

 こんなもの(・・・・・)この世界に(・・・・・)あってはならない(・・・・・・・・)

 

 それを確認した後の彼らは素早かった。

 

「冥界に煉獄あり 地上に燎原あり

 炎は平等なりて善悪混沌一切合財を焼尽し 浄化しむる激しき慈悲なり

 全ての者よ 死して髑髏と還るべし

 退廃の世は終わりぬ 喇叭は吹き鳴らされよ 審判の時来たれ!」

「獅子の巫女たる高神の剣巫が願い奉る! 破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え――!」

「アスタルテ! 全力をもって薙ぎ払いなさい!」

命令受諾(アクセプト)実行せよ(エクスキュート)薔薇の指先(ロドダクテュロス)――!」

「尋常なき地よ 死の凍土よ そなたの息吹を貸しておくれ 全てを静けく凍えさせておくれ

 盛者必滅は世の摂理 神の定め給うた不可避の宿業

 水が低きへと流るるが如く 全ての(ねつ)を奪っておくれ

 時すらも凍てついたが如く 全てが停まった世界を見せておくれ」

 

 敵味方すら関係なく、各々の全力を大蛇にぶつけた。

 

 古城の放った炎の第四階梯闇術が大蛇の顔面、一ツ眼に叩き込まれ、大蛇が絶叫する。

 雪菜の振るった雪霞狼が大蛇のぬめる鱗を引き裂き、大蛇がビクビクと震える。

 アスタルテの命によって振るわれた虹色の眷獣の鉤爪が大蛇の纏う呪力(サターナ)を引き裂き、大蛇が暴れ回る。

 静乃の放った氷の第四階梯闇術が大蛇の鱗をびっしりと霜で覆い、大蛇が苦痛にのた打ち回る。

 

 大蛇が現れた時点から肩を抱いて蹲っていたサツキの顔に、希望の色が浮かんだ。未だ顔色は青いが、この大蛇さえいなくなれば、それで全ては――

 だが。その表情を待ってましたと言わんばかりのタイミングで――

 

 

 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン………………

 

 

 爆音とともに、地面からもう一匹の大蛇が出現した。

 

「……………………冗談は……やめてよね」

 

 サツキは笑うしかない。

 嘘のような、悪夢のような光景は、さらに続いたのだ。

 

 

 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン………………

 

 

 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン………………

 

 

 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン………………

 

 

 まるで絨毯爆撃されたかのように、爆音が連発する。

 その度に土砂が噴き上がり、次々と新たな大蛇が鎌首をもたげる。

 十メートルを超える巨体が次々とだ。

 最初に現れた一ツ眼の奴から、九ツ眼の奴まで、都合九匹。

 否、恐らくはただ一匹。

 

 この大蛇は、ただの大蛇ではない。

 複数の頭を持つ怪物――

 

「九頭大蛇……!」

 

 圧倒的とすら言えるその威容に息を呑む彼らに対して、明確に嘲りの表情を浮かべる九つの頭。

 見上げるサツキの全身から、力が抜けた。無理もない。

 サツキどころか、静乃や雪菜ですら呆然と立ち竦むしかなかったのだから。

 

「何やってんだ! サツキ! 静乃! 姫柊!」

 

 響く、古城の一喝。彼は、呑まれていなかった。

 古城はサツキたちの立つ方向に向けて、太刀風に通力(プラーナ)を乗せて放つ高等光技、《太歳》を放つ。

 嵐のような純白の太刀風は――顎を開いてサツキに迫っていた九ツ眼の頭を直撃した。

 咄嗟故に、それは威力に劣った。九ツ眼はそれをものともせず、サツキに襲いかかる。

 

 雪菜が割って入ろうと、静乃が闇術で攻撃しようとするも、間に合わない。

 至近距離から、石灰色の吐息(ブレス)を吐いた。

 

「くそっ……!」

 

 それがサツキに直撃する寸前のところで、古城が間に合った。

 

「護法は如何なる風をも我に寄せ付けじっ」

 

 左手で素早くスペリング、《青の護法印(ブルーウォード)》を発動。同時に《耐魔通》を振り絞る。

 通力(プラーナ)魔力(マーナ)を乗算させ、あたかも無敵の城塞と化す。

 

「ぐ、おおおおおおおおっ」

 

 腹の底から咆哮し、ブレスを防ぐ。後ろで立ち竦むサツキに、万が一にも当たらないように。

 一瞬、防御を抜けたブレスが古城の腕を掠めて――腕の感覚が消え失せた。

 石と化していたのだ――自分の左腕が。

 しかも石化の異常状態は、腕から全身へと波及していく。

 

「――時すらも凍てついたが如く 全てが停まった世界を見せておくれ!」

 

 静乃が放った氷の闇術が、石化のブレスを喰い止める。

 凍結して固まった九ツ眼に、銀色の槍を旋回させた雪菜が飛びかかった。

 

「はぁっ!」

 

 気合一閃。九ツ眼のこめかみに当たる部分を深々と貫く。

 その槍の穂先には純白の通力(プラーナ)が宿っていた。

 絶叫を上げて、己を傷付けた雪菜に、他の首――二ツ眼と五ツ眼が襲いかかった。

 剣巫特有の技術である霊視による未来予知を使って、全力で逃げ回る雪菜。

 

 その間に、古城は通力(プラーナ)を振り絞り、左腕の石化を消し去った。

 

「すらぁぁっ!」

 

 戦線に復帰するや否や、サラティガに最大限の通力(プラーナ)を纏わせ、裂帛の気合いをこめて雪菜を噛み砕こうとしていた二ツ眼を叩く。

 大上段から叩きつけられたことにより地面とサラティガに挟まれる形になった二ツ眼。

 

 その瞬間、残った九つの頭が全て古城の方を向いた。

 一斉に鎌首をもたげ、古城を見て、嗤った。

 まるで、ようやくか、という風に。

 狂気を孕んだ無数の蛇眼に睨まれ、禍々しい重圧と凄まじいほどの呪力(サターナ)を感じる。

 

 だが、こっちに釘付けになってくれるなら、古城としても好都合。

 古城が戦っている間に他の皆に逃げてもらって、自分がどうにかして倒せば――

 そう、古城が算段を整えていた、その時だった。

 

 九頭大蛇の九つの首、古城の方を向いていた筈のそれらが一斉に方向転換し、震えていたサツキに襲いかかったのだ。

 

「えっ――」

 

 気の抜けた声を漏らすサツキ。

 

「ちぃっ!?」

 

 舌打ちしながら、古城は迷わなかった。

 サツキと九頭大蛇の間に割って入り、右手に持ったサラティガを振るう。一回、二回。

 

「一、二! ……三!」

 

 先に行った二匹の陰に隠れて奇襲を仕掛けようとした三匹目の蛇眼を殴りつける。

 

「地獄の鎖は如何なる亡者をも捕えて放さず!」

 

 正確に光のスペルを綴り、左手から伸びた闇を凝縮したような鎖で四匹目を拘束。

《剛力通》を振り絞り、その鎖を引っ張って五匹目へとぶつける。

 

「四……五ぉぉっ!」

 

 横合いから急襲してきた六匹目を、サラティガを横薙ぎにして吹き飛ばし、真上から迫る七匹を飛び退いてかわす。

 すかさず攻撃に反転。動きの止まった七匹目に渾身の《太白》。

 

「ろぉく、ななぁっ……! は、ち……っ!?」

 

 続けて八匹目も迎撃しようとして、古城は危うい所で気付いた。

 最後の九匹目――九ツ眼が顎を開いて、石化のブレスを雪菜たちに向かって吐きつけようとしていることに。

 止めようにも、八匹目が邪魔で届かない。

 

 ギリッと歯を食いしばり、古城は覚悟を決めた

 こうなっては是非もない。

 第四真祖としての、非常識な生命力に期待するしかあるまい、と。

 

 瞳に凄絶な覚悟の炎を宿し、古城はサラティガ持つ手を下げた。

 そして、左手を掲げ、スペリングを開始する。

 

「綴る――」

 

 迫りくる八匹目を(・・・・・・・・)完全に無視して(・・・・・・・)

 

「冥界に煉獄あり 地上に燎原あり

 炎は平等なりて善悪混沌一切合財を焼尽し 浄化しむる激しき慈悲なり

 全ての者よ 死して髑髏へと……っ、還る、べし――っ!」

 

 スペリングの途中で、完全に無防備となった古城の肩口に、八匹目が嬉々として喰らいついた。

 鋭い牙を柔い人肉に突き立て、がじがじと齧り、ぐりぐりと抉り、咀嚼する。

 もう完全に勝負が付いたと思ったのだろう。だからこそ、その大蛇は驚愕した。

 

 肩を大きく抉られながらも、古城が未だスペリングを続けていたことに。

 

「神は人を、見捨て給うたのだ……っ!

 退廃の世は、終わりぬ 喇叭は吹き、鳴らされよ…… 審判の時来たれ……っ!」

 

 歯を食い縛り、激痛を堪えながら詠唱する古城。

 慌てたように大蛇が首を捩った。

 古城を咥えたまま。

 

「ぐ、お、ああああっ……!?」

 

 脳を焼き切るような壮絶な苦痛に、古城は絶叫する。

 それでも、掲げた腕を下げない。突きだした指を収めない。

 

 どれだけ苦痛を与えても止まらない古城に苛立ったかのように、大蛇がついに、古城の肩の肉を――喰い千切った(・・・・・・)

 途端、古城の意識に一瞬でスパークしそうな激痛が迸った。

 

 だが、幸いにも喰い千切られたのは左肩の肉。綴ったのは右手だ。まだ、出来る。仕上げられる。

 自分の首が体から切り離されていく感覚を感じながら、古城は震える指先で、虚空に書き綴った光の文字を、〆に叩く。

 

 第五(・・)階梯闇術。業炎の《黒縄地獄(ブラックゲヘナ)》。

 

 刹那にして、この世ならざる黒い炎が顕現する。

 魔獣のように荒れ狂う黒炎は一気に火勢を増し、九ツ眼を襲った。

 

 霞がかってきた視界の中で、悶え苦しむ九ツ眼の姿を認めて。

 古城は、満足げに微笑み、そして意識を手放した。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 飛び散った古城の鮮血が、庇われたサツキの頬を濡らした。

 

「こ……じょう……?」

 

 呆然と呟くサツキの眼前で、古城の肩の肉が食い千切られた。

 それでも倒れなかった古城が、トンと〆た――瞬間、まるで糸が切れたように、サツキの方へ倒れ込んでくる。

 無我夢中でサツキは手を伸ばして、古城を受け止める。

 

 受け止めた古城の体が異様に軽い。

 必死で抱き止めようとするサツキの腕から、千切れた胴体が滑り落ちる。

 古城の背骨と肋骨は砕かれ、胴体は細かい肉片に変わっていた。

 砕け散った骨が、血塗れの破片となって床に零れる。

 ブチブチと乾いた音を立てて、傷ついた血管と筋肉が千切れていく。

 噴き出した鮮血が、サツキの足元に血溜まりを作る。

 古城の頭部と胴体を繋げていた最後の皮膚が、肉体の重さに耐えかねて、薄い紙のような音を立てて裂けた。

 サツキの手の中に残ったのは、虚ろに目を見開いた古城の生首だけだった。

 床に転がった古城の体は、背骨も、肺も、心臓も、何もかもが潰され、無残に引き千切られている。

 

「先輩……どうして……そんな……いや……ああああああああっ……!」

 

 どこかから、雪菜の血を吐くような絶叫が聞こえた。彼女の手から、槍が抜け落ちる。

 

 吸血鬼は不老不死。だが、その能力の根源である心臓は潰され、魔力の拠り所たる血は虚しく流れ落ちるだけ。

 

 黒炎に巻かれて悶え苦しんでいた九頭大蛇は、最後に古城を忌々しげに睨みつけて、九本の首を地中に沈めていった。どうやら完全に退却したようだ。

 いつの間にか、殲教師と人工生命体(ホムンクルス)の少女の姿が消えている。

 

 だが、そんなことを気に留める者は、この場には誰も居なかった。

 雪菜と静乃が駆け寄ってきているのが分かった。

 いつもは冷静沈着な静乃が、今は綺麗な髪を振り乱して、必死な様子で走っている。

 

「うそ……だよね……? だって、兄様は……最強の剣、せい……」

 

 古城の生首を両手で抱き締め、サツキが虚ろな声で話しかける。もちろん、返事などありはしない。

 

 切り離されて弛緩した古城の手から、聖剣が滑り落ちる。

 古城の血によって赤く濡れた刀身が、暗色の光を受けて妖しく輝いた。




 第六話、お楽しみいただけたでしょうか。

 《異端者(メタフィジカル)》登場です。これからも、よろしくです。
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