ワールドブレイク・ザ・ブラッド   作:マハニャー

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12月26日
 雪菜さんのヒロイン度上げるのに必死。


7 決断と誓い ―Decide And Oath―

 明らかな死を迎えた第四真祖・暁古城は、まどろみの中で夢を見ていた。

 崩れた天井からのぞく月が紅い。その月が照らす空も。古い城を取り巻く大地もまた、炎が紅く照らしている。

 その紅い空を背にしながら、小さな影が立っている。

 逆巻く炎のような虹色の髪と、焰光の瞳を持つ影が。

 

 おまえの勝ちだ、と影が告げる。その唇から血に濡れた白い牙がのぞいている。

 

 約束を果たそう、と影が告げる。おまえの望みを叶えよう、と。

 

 次はおまえの番だ、と影が告げる。その瞳が濡れている。紅く輝く瞳が涙に濡れている。

 

 それは幾度となく繰り返し見た悪夢。

 暁古城は夢を見ている。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 気に入らない。藍羽浅葱は、不機嫌そうに唇を歪めながら、キーボードを叩いていた。

 

 古城がどこかに行ってしまった日の放課後。浅葱は制服のままアルバイト先である、キーストーンゲートの地下十二階、人工島管理公社の保安部に居た。

 絃神島の中枢部とも言える警戒厳重な区画だが、浅葱は彼女専用に用意されたIDカードがある。

 どの道浅葱が本気を出せば、その程度のセキュリティは難なく突破できる。どうせ破られるのなら、最初から許可しておいた方がまだマシ。公社の理事長がそう判断した結果だ。

 

 今日浅葱が引き受けた依頼は、昨夜の倉庫街での爆発事故の後始末。色々細々とした数百の案件で、専用のプログラムを新たに一から書き直さなければならない。

 優秀なプログラマーを数十人単位で集めても半年がかりの作業だが、浅葱の腕ならば片手間でも三日とかかるまい。

 そして事実、浅葱は思考の片手間でそれだけの仕事をこなしていた。

 

 考えているのはもちろん、あのバカ(古城)のことだ。

 今回の仕事を受けたせいで古城の宿題を手伝う時間がなくなってしまった。世界史のレポートを破り捨てたのは、少し可哀想だったかな、と思うが、どう考えてもあれは古城が悪い。

 あろうことかあのバカは、新学期早々学校から抜け出して、そのまま戻ってこなかったのだ。

 

 確認するまでもない。どうせサツキや静乃、そしてあの姫柊とか言う転校生と一緒に居るのだろう。

 しかし自分でも意外なことに、浅葱はそれほど腹を立てていなかった。

 不愉快なのは不愉快だが、古城に限って、授業をサボって三人もの女の子を連れてデートに行くような甲斐性があるとは思えない。

 

 出ていく直前に静乃と何やら深刻そうな話をしていたのもあって、恐らく何か事情があったのだろうと言うのは察しが付く。

 浅葱が不機嫌になっているのは、古城がそれを自分に相談せず、あまつさえ下手な嘘をついてまで誤魔化そうとしたことだ。彼なりに気を遣っているのは分かるが、それが余計に気に入らない。

 

 そしてそれ以上に気に入らないのは、古城について行った他のメンバーたちのこと。

 つまり、嵐城サツキ、漆原静乃、姫柊雪菜の三人。

 

 会ったばかりの姫柊雪菜はともかく、残りの二人を、浅葱は明確に危険視していた。言うまでもなく、恋敵として。

 

 まずは嵐城サツキ。率直に言わせてもらうと、浅葱としては彼女が一番癪に触る。

 古城の妹だ何だと言って、古城にべったりとつき纏う鬱陶しいド貧乳女。歯に衣着せずに言う(誇張表現満載)と、大体そんな感じ。

 いつも開けっ広げで鬱陶しくてうるさくて、古城への好意を隠そうともしない。底抜けに明るい、同性である浅葱から見てもそう思える、陽性の美少女。

 彼との距離を縮めようとするあまり、今では完全に男友達のようなポジションに収まってしまった浅葱にとって、そして今更素直になれなくなってしまった浅葱にとって、彼女は羨ましかった。妬ましい、と言ってもいい。

 古城も古城で満更でもなさそうにしているが、あれはむしろ、彼が妹である暁凪沙に向ける視線に似ている。そこら辺には安堵している。

 何より、浅葱自身がサツキのことを悪人とは思っていないので、本気で嫌うことが出来ないのが辛い所だ。スタイルも完勝していることだし。まあ勘弁してやろう。

 気に入らない時はこのネタで弄り倒してストレス発散をしようと、浅葱は密かに心に決めていた。

 

 次に漆原静乃。彼女に対して最も適当な単語は、まさに天敵だ。

 静乃はある意味で、サツキ以上に(タチ)が悪い。

 古城につき纏い、必要以上に密着しようとしたりするのはサツキと同じ。だが、古城の弱い所、動揺するところを的確に攻めて古城を本気で狼狽させてしまう。

 平時の古城は落ち着きがないように見えるが、その心根はとても落ち着いている。どっしりと構えた足場があるような。

 だが静乃は、そんな足場を容易に突き崩してしまう。まるで、ずっと前から同じことをしてきたかのように。これは浅葱には出来ないことだ。

 そして何より、あのスタイル。時折、本当に日本人なのかと疑いたくなる。一応、自分のスタイルに自信のあった浅葱だが、偶に――今日の朝にように――その自信を打ち砕かれることがある。

 加えて、有り得ないほどの美人だ。常に能面のような表情をしているのは玉に瑕だが。

 漆原家の末席だと言う話だが、そこは別に気にしていない。彼女がそれを利用して古城に取り入ろうとかはしないことは分かっている。その程度には彼女のことを信用している。

 

 そして最後に、姫柊雪菜と言う後輩のこと。

 何の根拠もない浅葱の勘だが、多分古城はあのタイプに弱い。

 先に挙げた静乃などとはまた違う、あまり女性らしさを感じさせない毅然とした振る舞いや、はっきりとした物言い。

 モモ先輩――一年上の先輩である百地春鹿などと同じく、中学時代バスケに明け暮れていた古城には、ああ言う体育会系の雰囲気は居心地がいいはずだ。

 また、サツキや静乃のように古城に大胆に迫ろうとしない辺りも、毎度毎度疲れ果てている古城にとっては彼女と居ると気が休まるだろう。

 ほとんど、と言うよりまだ一回しか話したことはないが、そう言う意味では、浅葱にとって十分に警戒すべき相手である。

 おまけに雪菜は、これまた先の二人と同じく、同性の目から見ても非の打ち所のない美少女だ。サツキや静乃とはまた違うタイプの美少女。

 異性の見た目にあまり関心を払わない古城だが、あのレベルでは流石にどう転ぶか分からない。

 

 それだけでなく、先程も出した春鹿、斎子、シスコン兄貴の実の妹である凪沙――

 

「はあ……ったく。恋人とか全く興味ないくせに、なんであんなにライバルが多いわけ……?」

 

 作業に没頭していたせいで、我知らず愚痴めいた声が洩れてしまっていたらしい。

 浅葱の独りごとに、耳聡く反応した者が居た。

 

『ククッ、どうしたお嬢。例のハーレム野郎のことかい?』

 

 馴れ馴れしい口調で話しかける補助人工知能(AI)

 彼女がモグワイと名付けたこの人工知能は、絃神島全ての都市機能を掌握する五基のスーパーコンピューターの現身(アバター)である。演算能力では間違いなく世界最高水準の機械(マシン)だが、クセがあり扱い辛いと言われている。しかし何故か浅葱とは気が合った。

 間違いなく、この二人のチームは世界最高レベルのプログラマーだ。

 

「うっさいわね。あたしの独りごとにいちいち反応するんじゃないわよ」

『図星かよ。さすがの天才プログラマーちゃんも色恋沙汰の方は勝手が違うみてーだな』

「黙れっつってのよ。ウィルス流すわよ」

 

 軽口を叩き合う二人。日常茶飯事である。

 

『まあ、競争相手の方も悪いよな』

「いちいち返事すんなって」

『相棒の相談に乗ってやってんだろ』

「余計なお世話。大体、いつからあたしがあんたの相棒になったのさ」

『そう言う素直じゃねー所が、上手くいかない理由なんじゃねーのか?』

「そ、そんなこと、あんたに言われなくても分かってるわよ。けど……!」

 

 浅葱が思わずキーを叩く手を止めて、イラッと眉を吊り上げた――瞬間、鈍い震動と衝撃が、浅葱の居る部屋を揺らした。

 洋上に浮かぶ浮体式構造物である絃神島に地震はない。浅葱がこの島に移り住んで以来、初めて感じる衝撃だった。

 

「モグワイ。今のは何?」

『……コイツは驚いた。侵入者だ』

 

人工知能が、まるで感嘆したように言う。

 目を見開く浅葱に、モグワイと名付けられた人工知能は、妙に人間臭い口調で言った。

 

『侵入者は二人だけ。ただの人間と、人工生命体(ホムンクルス)の二人組だ』

 

 

 

 

§

 

 

 

 

「……アヴ、ローラ……すまない……おれ、俺は……!」

 

 暁古城はうなされながら、黄昏の薄闇の中で目を覚ました。

 微かに波の音と潮の匂いがする。見覚えのない景色だが、海辺の公園に居るらしい。

 コンクリートの上に横たえられているせいか、投げ出した腕に冷たい感触がある。そのくせ寝心地は悪くなかった。頬に心地好い温もりが伝わってくる。

 

「先輩……そろそろ起きてもらえませんか?」

 

 不意に声がした。どこか拗ねているような雪菜の声だ。

 夢を見ているような気分で、正直この温もりから離れるのは惜しかったが、何とか苦労して身を起こす。

 軽い頭痛を感じながら瞼を開くと、泣き腫らしたように目元を真っ赤にした雪菜が、古城を睨んでいた。

 

「ひ、姫柊?」

「ようやくお目覚めですか、先輩? 人をあんなに心配させて……いいご身分ですね」

 

 いつになく皮肉っぽい口調だ。

 

 その表情を見て、古城は何があったのかを思い出した。

 製薬会社の研究所でオイスタッハ達と交戦状態に陥った古城は、突如乱入してきた九頭大蛇からサツキを庇って肩を喰い千切られたのだ。

 心臓を抉られ、肩をこそぎ取られた。

 吸血鬼と言えども、生きていられる負傷ではなかった。

 

「俺は死んでたのか」

「はい」

「で、生き返ったってことか」

「……はい」

 

 その時の光景を思い出したように唇を噛む雪菜を置いて、古城は喰い千切られた肩に手をやった。確かに抉り取られたはずの部位にはかすり傷一つ残っていない。

 流石に服は破れたままだが、我慢すれば着られないことはない。

 

「生き返るなら生き返るって、最初に言ってから死んでください。わたしが、わたしたちが、どれだけ心配したか……!」

 

 涙目になってぽかぽかと古城の頭を握り拳で殴り始める雪菜。存外に子供っぽい雪菜の仕草に苦笑しつつ、古城は隣に横たえられたサツキを見やった。

 安らかな寝顔だ。何かいい夢でも見ているのか、緩んだ表情で涎まで垂れている。

 

 眠れる姫の頬に手をやる。寝ているくせに嬉しそうに頬を緩ませるサツキに、古城の頬も綻んだ。

 

「ああ……そうか。アヴローラ、お前が言ってたのは、こういうことか」

「アヴローラ? 先代の第四真祖が、何を?」

「ああ……真祖にとっての不老不死は権能なんかじゃない。ただの呪いだってな」

「呪い?」

「真祖は死ねない。心臓を貫かれても、頭を潰されても、灰になっても生き続ける。他の吸血鬼と違って、真祖だけは絶対に、何があろうと死ねない。死にたくても死ねないんだ。そうやって、何百年も何千年も孤独で生き続けるのは――呪い以外の、何物でもねーな」

 

 溜め息のように呟く古城を、雪菜は黙って見つめていた。

 

 不老不死と世間では言われているが、吸血鬼は完全に不死身ではない。特に、脳や心臓は致命的な弱点となり得る。

 そこに深刻なダメージを受ければ、〝旧き世代〟と言えども確実に死ぬ。

 

 だが、第四真祖である古城は違う。

 この広い世界で、たったの四人だけは、本当の不死身を持つ。

 何があろうと死ぬことのできない、神々から授けられた永劫の呪いを――

 

「だからって、あんな無茶をする必要はなかったじゃないですか! 呪いだろうが何だろうが、必ず復活できる保証なんかないんですよ! 生き返れなかったら、どうする気だったんですか!?」

「そうなんだけど、でもサツキが無事だった。俺はそれで良かったと思う。そして――姫柊。お前も無事だった」

 

 古城が何気なく発した言葉に、雪菜はきょとんとした表情を浮かべた。

 

「もし、あの時九頭大蛇にやられそうになってたのがサツキじゃなくて、姫柊だったとしても、俺はお前を助けたよ」

「どう……して……」

「ん?」

「なんで、そんなことを言うんですか……?」

 

 雪菜は、奇妙な表情を浮かべた。泣くことも笑うことも出来ずに苦悶している、壊れた人形のような表情を。

 

「忘れたんですか? わたしがここに来たのは、先輩を殺すためだったんですよ?」

「…………」

「あの殲教師が言っていたことは本当です。わたしは使い捨ての道具で、両親に捨てられたんです。わたしが死んでも、悲しむような人はいません。けど、先輩は違うじゃないですか。凪沙ちゃん、お母様やお父様、藍羽先輩に嵐城先輩、漆原先輩も……いっぱい、居るじゃないですか」

「…………」

「死ぬべきだったのは、わたしです。道具として作られたわたしであったはずなんです……」

 

 姫柊雪菜。獅子王機関の剣巫。対魔族戦闘のエキスパート。降魔の槍を操り、ロタリンギアの殲教師をも圧倒する戦闘能力を持つに至った少女。魔族と戦うためだけに育てられた存在。

 アスタルテ。ロタリンギアから遙々やってきたオイスタッハと言う殲教師の望みを叶える為だけに、人工的に眷獣を埋め込まれた人工生命体(ホムンクルス)の少女。戦うためだけに創り出された道具。

 

 だからこそ、雪菜はアスタルテに、自分の姿を重ねてしまったのだ。

 

 そして、暁古城。第四真祖――世界最強の吸血鬼の力、そして世界最強の剣聖、世界最強の冥王の力を持ちながら、ただの人間として生きようと足掻く少年。

 もしかしたら、雪菜を最も追い詰めたのは、暁古城の存在だったのかもしれない。

 

 戦う力を得るために、当たり前の日常を捨てた雪菜。

 誰よりも強い力を与えられながら、つまらない日常を選んだ古城。

 

 だから彼女は、言ったのだ。

 古城ではなく、自分が死ぬべきなのだと――

 

「…………」

 

 顔を伏せてしまった雪菜に、古城をそっと手を伸ばした。

 艶やかな黒髪をしゅるりと撫でて、少し持ち上げて顔を近づけて、匂いを嗅ぐ。

 全く予想していなかった異様な感覚に、雪菜は短い悲鳴を上げた。

 

 しばらくして、怒ったような低い声で雪菜が問いかけてきた。

 

「あの……何をやってるんですか、先輩?」

「姫柊は、可愛いよな」

「い、いきなり何を……ひっ!?」

「いい匂いがして、軽くて、柔らかくて、可愛いと思う」

 

 雪菜のささやかな抗議を無視して、古城は彼女のうなじに鼻先を近づけた。

 雪菜は、ぞくっと小さな肩を震わせながら、

 

「やっぱり変態だったんですね、あなたはっ……!」

「ああ、そうだな。変態だ。変態だから、俺はお前を可愛いと思う。可愛いと思うから、俺はお前に――死んでほしくない」

「え?」

「お前が死んでも誰も悲しまないって言ったな? それは間違いだ。少なくとも、俺は悲しむ。それだけじゃないはずだ。お前が修業をしたっていう高神の杜の人たちは、お前のことを大切にしてくれたんじゃねーのかよ」

「…………」

「自分の価値を、自分で勝手に決めるな。お前は『道具』なんて名前じゃない。『剣巫』とか言う名前でもない。ただの――『姫柊雪菜』だろ」

「…………あ」

 

 小さく、短く、何かに気付いたような短い声を漏らす雪菜。すぐに俯いてしまったが、今度のはさっきのようなものではない。

 これなら大丈夫か、と古城が安堵した時、古城のポケットの中からメールの着信音が聞こえた。

 

 携帯電話を取り出して画面を見ると、無数のメールの着信通知があった。

 差出人のほとんどは矢瀬と築島凛。

 内容は――

 

「キーストーンゲートが襲撃を受けて……バイト中の浅葱が……閉じ込められたまま……!?」

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 侵入者たちが通り過ぎた後のフロアで、無傷で取り残された浅葱は、半ば放心状態となっていた。

 何十人もの重傷を負った警備員。大気に満ちる流れ出した血の匂い。ばらまかれた銃器から漂う硝煙の匂い。

 

 そして、初めて間近に感じた、死の恐怖。

 

 数分前、浅葱は大柄な法衣を纏った男と小柄な人工生命体(ホムンクルス)の少女と遭遇し、見逃された。

 死ぬ、と思った。ここで終わりなのか、と思った。あの恐怖は、紛れもない本物だった。

 立ち上がることすら出来ずに、ただ茫然とするだけだった浅葱。

 

 浅葱の携帯電話が鳴り出したのは、その時だった。侵入者との戦闘でゲート内の施設は甚大な被害を被っていたはずだが、携帯電話の中継局はどうにか無事だったらしい。

 浅葱は機械的な動作で携帯の画面を確認して、そこに表示された名前を見た瞬間、彼女の瞳に生気が戻った。

 

「――古城!?」

『浅葱! よかった、無事か!』

 

 電話越しに古城の声が聞こえてくる。そのことに訳もなく安堵して、浅葱の瞳から涙が溢れ出してきた。

 積もりに積もった鬱憤を叩きつけるように、上擦った声でまくしたてる。

 

「何なのよもう……ちっとも無事なんかじゃないわよ! 危うく殺されかけて……な、何なのよあいつらは!」

『犯人と遭ったのか? 僧服を着たデカイオッサンと、人型の眷獣だな?』

「知ってるの!?」

『ああ。お前もらしいけど、俺も殺されかけた。つうか死んだ』

「死んだ……って、古城、あんた……」

 

 古城の気の抜けた声での告白に、浅葱は絶句した。

 流石に比喩だろうが、古城は確かに殺されかけたのだ。

 

『とりあえず今は大丈夫だが……それよりも、そいつらはどこに行った?』

「下よ。ゲートの最下層に向かってるみたい」

『最下層か……。浅葱、そこに何があるか分かるか?』

「そんなのあたしが知るわけないでしょ」

 

 ようやく浅葱も普段のペースを取り戻した。自分だけでなく、古城もこの境遇に居る。古城はちゃんと分かってくれる。それだけで救われた気分になってしまうのだから、げに恐ろしきは恋心か。

 

 浅葱は御守りのように抱きしめていたノートパソコンを開き、管理公社のサーバーにアクセス、ゲート内の状況を確認する。

 途中の障壁を全てこじ開けて、侵入者はすでに三十階まで到達していた。キーストーンゲートは海面下四十階層。彼らが最下層まで辿り着くのは、すでに時間の問題だろう。

 

「最下層って言っても、あるのはアンカーブロックくらいよ」

『確か、絃神島を構成する四基の人工島(ギガフロート)を連結してるメインケーブルを固定するための、土台みたいなもの、だったか? ……それって、何か貴重なものなのか?』

「はあ? アンカーブロックなんて、ただひたすらに硬いだけの鉄の塊よ。四基の人工島(ギガフロート)が受ける負荷を全部まとめて受け止めてるってだけ」

 

 そもそも絃神島が四つに分割されているのは、万一の事故の時に島全体が丸ごと沈むのを避けるためだ。波風の衝撃や、暴風や高波が引き起こす危険な振動を防いでいる。ちょうどテーブルの四本の足のように。

 

『だったら、至宝ってのは何なんだ……?』

「至宝? 何よそれ?」

『知らん。けどあのオッサンたちは、それを取り戻すためにこの島に来たらしい』

「至宝、至宝ね……」

 

 厳格な戒律で縛られた西欧教会の僧侶が、金品に目を眩ませて異国の魔族特区を襲撃すると言うのは、土台不自然な話だ。

 そもそも聖職者である彼らにとっての至宝とは――?

 

「待ってて、ちょっと調べてみる――って、何これ、軍事機密並のプロテクトじゃない! モグワイ!」

 

 沈黙を決め込んでいた人工知能(AI)を、浅葱は短縮コマンド(ホットキー)一発で呼び出した。

 真っ赤な警告で埋め尽くされていた画面上に、ゆらり、とスーパーコンピューターの現身(アバター)が現れた。

 

人工知能(AI)使いの荒いお嬢だな。ホントは俺はこいつに手出しできないように作られてるんだが……』

 

 現身(アバター)は、浅葱の瞳にどこか楽しげな光が宿っているのを見て、諦めたように人間臭く溜め息を吐いた。

 

『相棒の頼みじゃ、仕方ねーか』

「分かってるじゃない、さっさとプロテクトをぶち破りなさい!」

 

 気だるい口調でぼやく人工知能(AI)に、浅葱は容赦なく管理者権限の強制命令を叩き込んだ。

 その命令を執行する前に、一瞬だけ人工知能(AI)の気配が変わり、

 

『破るのはいいが……後悔するなよ』

 

 

 

 

§

 

 

 

 

「そう言うこと……だったのか……」

 

 浅葱との通話を終えて、全ての事情を知った古城は、携帯電話をゆっくりと下ろした。

 これで何もかもが繋がった。

 オイスタッハの目的。雪霞狼の能力――結界を破る能力(・・・・・・・)を求めた理由。その全てを、古城は理解した。

 

 確かに、もしあの男の悲願が成就すれば、その引き換えに絃神島は完膚なきまでに崩壊するだろう。彼らの言った通り、本当に島が沈む。

 オイスタッハが熱望しているのは、キーストーンの名を与えられた、主柱中央の要石だ。

 

「行きましょう……先輩。彼らを止めないと」

 

 決意を込めた表情で立ち上がる雪菜に、古城は何も答えずに質問で返した。

 

「……静乃は、どこだ?」

「漆原先輩、ですか? あの方は、あの九頭大蛇を追うと言って管理公社の方に向かいました。特区警備隊(アイランド・ガード)に応援を要請しに行くと」

「そうか……。相変わらず、頼もしいやつだな」

 

 漆原家は人工島管理公社の重鎮だ。漆原家の中では静乃はあまり重視されていないらしいが、公社全体の中ではそうではない。

 彼女の言葉を、公社は無視できない。

 

 古城が死んでいる間にも、自分にできることを実行した。

 ただ、信じて。古城なら、死んでも生き返ると信じて。

 

 そんな静乃からの信頼に、古城は淡く微笑んだ。

 そして、未だ眠りこけるサツキに目をやり、

 

「浅葱のことは助けに行く。凪沙にお袋、サツキと静乃は島の外に逃がす。けど、俺にできるのはそこまでだ」

「先輩……何を言ってるんですか? わたしたち以外では、あの人工生命体(ホムンクルス)の人工眷獣は止められないんですよ!」

「目的を見失うなよ。俺がオッサンを捕まえたかったのは、俺の正当防衛を証明するため。なら、あれだけの大騒ぎを自分から引き起こしたあいつらを、俺が追う必要はどこにもねーよ」

 

 投げやりな口調で、古城は言った。

 

「俺には、オッサンを止められない。たとえこの島の人たちが危険にさらされても、あのオッサンがやってることだって、ある意味では正しいことなんだろ」

「ですが……」

「もしかしたら、俺たちなら止められるのかもしれない。けどそれは、俺たちが正しいって言ってるようなもんだ。そんなこと、俺には出来ない」

 

 オイスタッハとの戦いは、もはや暁古城の私闘ではない。

 ロタリンギアの殲教師と、絃神市と言う都市の戦争だ。

 対して暁古城はただの高校生などではなく、世界最強の吸血鬼の力を得た存在――帝王だ。

 

 帝王の決断は世界を動かす。帝王の決断に世界は付き従う。

 そのことを、古城は、古城の魂は、よく知っていた。

 古城の持つ二つの前世、その内の一つ、冥王シュウ・サウラ。

 

 古城は思い出せていないが、古城(シュウ・サウラ)は、腐った貴族たちに虐げられる民や奴隷を救いたいと願い、一つの国を滅ぼし、王となった。

 しかし世界は彼の決断を認めず、彼と敵対した。彼から全てを奪おうとした。

 彼は、そんな全てを、滅ぼした。そして、世界をも、滅ぼした。

 

 シュウ・サウラはその決断の重さを、一人で背負って、最後まで貫いた。

 己の信じる正しさを、他人の掲げる正しさを踏み躙ってまで、突き通した。

 だが古城には、シュウ・サウラならぬ暁古城には、そんな覚悟はできない。

 

 今のオイスタッハに戦いを挑むと言うことは、古城がただ一人で国家の軍隊と同格と言われる存在――夜の帝国(ドミニオン)の支配者たる真祖であると、認めることと同義だ。

 

 雪菜は、そんな古城の葛藤を見透かしているかのように沈黙を保っていた。

 

「…………まったく。本当に、仕方のない吸血鬼(ヒト)ですね」

 

 やがて彼女は溜め息交じりに握っていた銀の槍をくるりと回して、穂先を自分の首筋に当てて、

 すっ、と。音もなく槍を引いた。

 雪菜の肌に一筋の赤い線が走り、ぷつぷつと血の滴が浮き上がる。

 

「姫柊……何、やってんだ?」

 

 呆気にとられる古城に、雪菜は、静かな決意のこもった声で告げた。

 

「先輩。わたしの血を……吸ってください」

 

 今度こそ、古城は完全に固まった。何故雪菜がそんなことを言い出したのか、まるで理解できない。

 

「今まで人間の血を吸ったことがないから、眷獣たちは先輩のことを宿主だと認めていないんですよね? なら、ここでわたしの血を吸えば、使えるようになる可能性はあります」

「待てよ。何で俺がそんなこと……」

 

 古城の問いに、雪菜は答えずに制服の胸のリボンを解いた。

 そのままボタンを外して、胸元をはだける。

 白い肌と細い鎖骨。ほっそりとした首筋が露わになる。

 

 雪菜はゆっくりと前に歩み出て、古城を見上げるような体勢になった。

 古城の視界に、雪菜の清楚な下着と、控えめな胸の膨らみが飛び込んできた。古城は軽く声を上擦らせ、

 

「ひ、姫柊……?」

「先輩は、さっきわたしのことを可愛いって言ってくれましたよね」

「あ、ああ……そういや、言ったな」

「なら、責任を取って、行動で示してください」

「は、はあっ!?」

「それとも……やっぱり……わたしでは、ダメですか?」

 

 胸元を抑えて、弱々しく呟く雪菜の肩が、僅かに震えていることに、古城は気付いた。

 恐らくは、怯え。本当は雪菜も恐いのだ。吸血鬼に自らの血を差し出すことも、古城に無防備に肌を晒していることも。

 彼女は元々、古城を監視するために派遣されてきただけの攻魔師だ。

 だと言うのに、彼女がここまでしてくれるのは――古城のために、他ならない。

 いつか、古城が己の決断を後悔することがないように。

 雪菜のほっそりとした手が、そっと古城の両の頬を包み込んだ。

 

「大丈夫」

「っ、姫柊?」

「あなたは、決して間違わない。あなたの道に、間違いはない。だから、ただ信じて――突き進むだけでいいんです」

 

 その、姫柊のものとは全く異なる、しかし、狂おしいほどに懐かしい響き。

 柔らかく、全てを包み込むような微笑みを添えられた言葉に、古城の脳裏に、これまで全く見たことのない光景が蘇った。

 宇宙の真ん中にあるような小さな祭壇で、彼女(・・)古城(ルシフェル)の両頬に手を当てて、優しく微笑みながら――

 

「せ、先輩……?」

 

 古城は、雪菜の細い身体を、力強く抱き締めた。

 震えている彼女の身体から、微かな温もりと、心地好い臭いと、清潔な髪の匂いと、仄かな甘い体臭と、そして、血の匂いが漂う――

 犬歯が、否、牙が疼いた。

 

 吸血衝動の呼び水となるのは、性欲だ。

 雪菜はそれを知っていたから、自分なりに精一杯古城を誘惑しようとしていたのだろう。

 だけど。

 

「分かってねーよな、姫柊」

「え……? あ、痛……先ぱ……い……」

 

 姫柊雪菜と言う少女が、どれだけ魅力的なのか。

 彼女と一緒に居る間、吸血衝動を抑えるのに、どれだけ苦労しているのか。

 それを、さっぱり分かっていない。

 

 古城の牙が、雪菜の身体の中にそっと埋まって行く。

 

 雪菜はきつく眼を閉じて、その痛みに耐えている。

 雪菜の唇から、弱々しい吐息が洩れる。

 雪菜の体から、力が抜けていく。

 

 やがて彼女が完全に古城に身を預けた時、古城は彼女の中から牙を抜いた。

 ぐったりとした雪菜の体を横たえていると、いきなり素っ頓狂な声が聞こえてきた。

 

「に、にににに兄様!? あ、あたしが隣で寝てる所で、な、なななな何てことを!?」

 

 いつの間にか目を覚ましていたらしい。顔を真っ赤にして起き上ったサツキが、古城たちの方を指差して震えていた。

 眠りから目覚めたら兄様と後輩の少女が抱き合って、兄様の方は後輩の首筋に噛み付いていたのだ。そうなるだろう。

 

 しかし古城はそれには答えず、怖いぐらいに真剣な表情でサツキに近付き、その頬を撫でた。

 

「サツキ。俺は今から、あの殲教師のオッサンたちを止めに行く」

「え……?」

「事情は後で説明するけど、あいつらを止めなきゃ、この島は本当に沈む」

「……ダメ」

「だから俺は、どうにかしてあいつらを――」

「ダメ、兄様!」

 

 悲痛な絶叫を上げて、サツキは古城に抱きついてきた。

 膝立ちの不安定な状態だったため、そのまま二人して地面に倒れ込んだ。

 古城の腰の辺りに細い両手を回して、古城の胸板に額を擦り付ける。

 引き離そうとしたが、その肩が小刻みに震えているのを見て、胸の辺りが湿って行くのに気付いて、止めた。逆にこちらからも腕を回して、そっと抱き締める。

 

「サツキ……」

「いやだ、いやだよ……。また、兄様が一人で行っちゃって……また、あたしが一人で見送って……また、帰って来なくなっちゃうなんて……。そんなの、いやだよぉ……!」

「……っ」

 

 サツキの叫びに、古城は何も言えなかった。

 

 古城は前世の記憶のほとんどを持たない。

 だから、自分――フラガが、どんな最後を辿ったのかも分からない。

 

 けれどサツキは違う。サツキは恐らく、ほとんどのことを思い出している。

 だからなのだろう。九頭大蛇に古城が殺されたあの瞬間。サツキは、前世の記憶にその光景を重ねてしまったのだ。フラガの最期を。

 だからここまで怯えている。

 古城が再び、サツキの前から居なくなってしまうのを。心の底から、怯えているのだ。

 

「お願いよ、兄様。もう、あたしの前から居なくならないで……!」

 

 泣いて、哀願してくる。

 

 だから。

 もう。

 

 古城は寝転んだまま、向き直った。

 華奢な肩を強く掻き抱いた。

 そして、言った。

 

「俺のことが好きか? フラガじゃなく、俺のことが好きか?」

 

 ビックーン、と硬直したようにサツキが顔を上げる。

 

「ひぇ……? はぇ……?」

 

 混乱し切った表情で古城を凝視する。

 それから、涙でぐしゃぐしゃの顔が薄らと赤く染まって行く。

 構わず古城は言葉を続けた。

 

「俺は正直、お前のことを妹には見れない。前世の記憶がロクにないんだからな。だから、そう言う風に懐かれても、戸惑いしかない」

 

 でも。

 だけど。

 

「お前が心配してくれるから、俺は戦える。お前が居るから、俺は戦える」

 

 揺れるサツキの瞳を、真っ直ぐに見据えて。

 古城は言った。

 

「これからもずっと、俺の無茶を心配してくれ。そうしたら俺も約束するから。どんな苦しい戦場に赴こうと、どんな強敵とまみえようと、どんなに離れようと隔てようと神に引き裂かれる運命であろうと――」

 

 ほとんど残っていないフラガの記憶。

 その中でも、古城の魂に楔のように打ち込まれた、決して消えない誓い。

 何千何万何億と言う時を経てようと。

 如何なる障碍が立ち塞がろうと。

 幾度生まれ変わろうと。

 決して変わることのないその誓いを、

 

「――俺は必ず勝利し、そしてお前の元に帰るから」

 

 もう一度、今一度。

 フラガとしてではなく、暁古城として。

 再び、誓いを立てた。

 

 サツキは耳まで真っ赤にしながら、古城の首を抱き寄せて、その耳元で、

 

「……約束よ? 兄様」

「ああ」

 

 古城の口元に、サツキの首筋がある。

 健康的な白い肌。肉付きは薄くても、十二分に柔らかい女の子の感触。魂の奥底が忘れない、幾度となく嗅いだ匂い。

 露わになった首筋に、活力に溢れるそこに、牙を近付ける。

 サツキは古城を突き放そうとはせず、逆に古城を引き寄せる。

 

「あ……っ」

 

 淡い月の光の下で、二人の影はぴったりと重なり、融け合った。

 

 しばらくして古城は牙を抜き、ぐったりと身を預けてくるサツキを抱き締めてやる。

 

「ねえ、兄様――ううん、古城」

「ん?」

「これで本当に、あたしのことキズモノにしたわね……?」

「ぐ……」

 

 否定は出来ない。

 妹だと言っていたサツキを、文字通り毒牙にかけた古城は、思わず口ごもる。

 だがサツキの声に、古城を責めるような雰囲気はなく、

 

「だから……ちゃんと、セキニン取ってよね?」

「ああ」

 

 古城は躊躇なく頷いた。

 

「へ?」

 

 サツキはキョトンとした。

 八割方冗談で言ったのに、即座に頷かれて逆に戸惑ってしまったのだ。

 

「お前がここまでの覚悟を見せてくれたんだ。もちろん、責任は取ってやる」

 

 古城は噛んで含むように、一言、一言、聞かせてやる。

 サツキの顔はこれでもかと赤くなって行く。

 

「と、と、とと、と、取るって? どやって?」

 

 サツキは何度も噛みながら、訊き返すのが精一杯。

 それだけでもう、頭の天辺からシュポーッと蒸気が噴き出す。

 

 古城は、真摯な顔つきで、

 

「お前のこと、妹だと思えるよう、これからは努力する」

 

 サツキは複雑な顔つきになった。

 

「あれ? イヤなのか?」

 

 古城は心外そうに首を傾げた。

 サツキは表情をクシャッと歪めて、

 

「イヤじゃないけど……それがあたしの望みの全部じゃなぁい」

 

 泣き笑いの顔で、甘えるように額を擦り付けてきた。

 やっぱり、サツキの肢体は妹と見るには背徳的に柔らかく、サツキの髪の匂いは禁断の果実のように甘く豊潤で、サツキの肌の熱さは家族と思うには心臓に悪すぎたけれど。

 

 胸を濡らすこの涙だけは、純粋に温かいものだったから。

 これは妹なのだと、古城は自分に言い聞かせることが出来た。




 静乃さんが出てこなかった……。
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