ダークブリングマスターの憂鬱(エリールート)   作:闘牙王

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第二十一話 「契約」

己以外誰もいない砂漠の世界。その中でただ心を無にする。感じるのは風のみ。その流れを読み、一体となる。今の自分は空。その身に自然の力を宿し、手にある剣へと繋げていく。ゆっくりと剣を天へと掲げ、それを振り下ろさんとした瞬間

 

 

「あ、やっと見つけた! パパさーん!」

 

 

それはそこで中断してしまう。この場には似つかわしくない元気いっぱいの女の子の声によって。左手に荷物、右手はぶんぶんとこっちに向かって振ってくれている姿はまるでピクニックにやってきたかのように。本当なら鍛錬の途中に邪魔されたことに文句の一つぐらい言ってもいいところなのだが、そんな無邪気な姿に毒気を抜かれてしまう。残念ながら今日の鍛錬はここまでとあきらめ、剣を納める。

 

 

「ああ。相変わらず元気そうだな、エリーちゃん」

 

 

剣士としてではなく、お節介焼きの親父としての顔を見せ、苦笑いしながらゲイル・グローリーはエリーを出迎える。それがここ最近日常となりつつあるゲイルの砂漠での生活の一場面だった――――

 

 

 

「はいこれ! いっぱい作ってきたからたくさん食べてね! 飲み物もあるよ!」

 

 

慣れた手つきでシートを敷き、ランチバスケットを開けて次々にサンドイッチを並べていくエリーちゃん。本当に楽しくて仕方がないのだと伝わってくる天真爛漫さ。

 

 

「いつもありがとな、ありがたく頂かせてもらうよ」

「うん、パパさんも男の子なんだからいっぱい食べてね!」

 

 

はい、手渡されるサンドイッチを遠慮なく口に頬張る。文句なしの絶品。砂漠で暮らし始めてから食事には拘らなくなっていたのだが、こんなものを毎日口にしてしればもう前の生活には戻れないに違いない。少し前までは考えられなかった光景。一月ほど前から、自分の生活は激変してしまっていた。

 

 

「そういえばアキとママさんは一緒じゃないのか? 姿が見えないが」

 

 

その原因であるアキとママさんの姿が見当たらない。いつもならエリーちゃんと一緒に三人でやってくるのだがどうしたのだろうか。

 

 

「アキとママさんは今日は来ないよ? 何か用事があるんだって。あたしも一緒に行きたかったのにー。ひどいでしょー?」

 

 

ぶーっと不機嫌そうに頬を膨らませながらもしゃもしゃとサンドイッチを頬張っているエリーちゃんに苦笑いするしかない。一緒に行きたかったのに留守番をさせられてしまった子供のよう。

 

 

「それは残念だったな。まあオレはエリーちゃんが来てくれたおかげで飯にありつけて助かってるが。今日はこっちに泊まっていくのか?」

「ううん、夜には迎えに来てくれるって。もー、おみやげ買ってきてくれなかったら承知しないんだから!」

 

 

どうやら夜には二人は戻ってくる予定らしい。恐らくエリーちゃんを連れていくのに危険がある厄介ごとなのだろう。もしかしたら面倒なだけなのかもしれないが。あの二人、というかアキも色々と動き回っている。過労になっていないか心配になるレベル。もっともここにエリーちゃんを置いていく一番の理由は彼女の身の安全のためなのだが。

 

『リーシャ・バレンタイン』

 

それが彼女の本当の名前。五十年前から現代まで時間を超えてきた魔導精霊力をもつ少女。そのことを自分はエリーちゃんから直接聞かされた。俄かには信じられないような話だが、すぐにそれを受け入れることが自分にはできた。何故ならエリーちゃんを五十年後に送り、エンドレスを倒す計画を建てたのは紛れもない自分の父であるカーム国王なのだから。幼い頃になくなってしまった父だが、その遺言にはこう記されていた。記憶喪失の金髪の少女に出会うことがあれば手助けをするように、と。そこには全てではないが、エリーちゃんに関する情報も含まれていた。どうやら父は自分にエリーちゃんのサポートをさせようと考えていたらしい。

 

もちろんエリーちゃんも父のことは知っており、自分の正体を知ったときは慌てて王様呼びされてしまった。すぐに止めてもらったが代わりにできたのがパパさん呼び。何でもハルのパパだかららしいのだが、何だが誤解されそうな響きに複雑な気分。王様よりはマシかと思うことにする。

 

 

(それにしてももう一月か……あっという間だったな)

 

 

アキと出会ってからもう一月。それは嵐のように激しく、恐ろしいぐらい濃い時間だった。自分にとってだけでなく、恐らくアキにとって。約束通り、アキの修行に付き合うことになったのだがその内容は尋常ではない。スパルタというよりも地獄の強行軍のような有様。

 

日が昇っている間は食事とトイレ以外の時間は全て自分との剣の修行。満身創痍になったり、気を失ったりすればその度に世界中から買い占めたらしいエリクシルを飲んで強制的に回復し続行。それを陽が沈むまで繰り返す。そして陽が沈めば今度はママさんとのDBの制御訓練。これもまた強制回復をしながら朝まで行われる。合間合間の睡眠は分単位でママさんと睡眠の能力を持つDBに管理される徹底ぶり。自分も手を抜くことは決してないが文字通り血反吐を吐くような修行に心配になるが文句を言いながらもアキはそれをやり通している。その理由が何であるかはもはや聞くまでもない。

 

 

「あーあ、あたしも一緒にアキやママさんと戦えたらよかったのに……」

 

 

その理由であろう少女はどこか申し訳なさげに、寂しげに足をばたつかせている。本当ならアキやママさんと一緒に戦いたいのだろう。しかしそれができないことも十分わかっているからこそ、エリーちゃんはそんなことを口にしている。だがそれは必要ない心配だろう。

 

 

「エリーちゃんが気にすることじゃないさ。女を守りたいっていうのはある意味男の見栄みたいなもんだ」

「そうなのかなー? じゃあパパさんもそういうのがあったの?」

「お、オレか……? そ、そうだな……まあ、そうともいえるかな……」

 

 

あまりにも純粋にこちらに問いかけてくるエリーちゃんに思わず声に詰まってしまう。何だろう、思春期の触れられたくない何かに触れられてしまった気分。いい歳になっても自分もまだまだ子供なのかもしれない。

 

 

「ふふっ、パパさんってどこかアキに似てるね。アキも恥ずかしがって答えてくれなさそうだもん。でもなんていうのかなー? うん、アキにはそういうのは似合ってない気がするの」

「……言いたいことは分かるが、エリーちゃん。それはアキには絶対に言わないように。いいな?」

「? うん、分かった」

 

 

絶対に分かっていないであろうきょとんとした顔のエリーちゃん。確かにアキの性格からすれば口が裂けても言えないような類の言葉だろうが、エリーちゃんにそんなことを言われればただでさえ限界を超えているであろうアキの心が折れてしまいかねない。天然でもあるこの娘ならさらっとやってしまいねない。

 

 

(アキの奴、色々苦労しそうだな……)

 

 

アキのこれからを考えるとそう同情するしかない。エリーちゃんに加えてあのママさん。一体どれだけ振り回されることになるのか。だがそれでもきっと何とかなるはず。ここ最近のアキとの修行でもそれは感じ取れる。地獄のような修行のおかげもあるのだろうが、アキは恐ろしいほどの速度で成長し、強くなっている。キングの息子の肉体だからか、それともアキ自身の才能か。ママさん曰くアキは実戦でこそ己の力を高めることができるタイプ。裏を返せば土壇場でなければ実力を発揮できないことになるのだが、自分との修行によってそれが開花しつつあるらしい。時々、師であるはずの自分ですら空恐ろしさを感じるほど。一体どこまでアキは強くなるのか。そう遠くない未来、自分も追い越されてしまうのは間違いない。ママさんからすればまだまだ通過点。大魔王を超える力を身に着ける必要があるらしい。ダークブリングマスターとして大魔王になる、というのならまだ分かるが超えるとはどういうことなのか。ともかく一応師として、年上として易々と負けるわけにはいかない。自分も腕を上げなければ。

 

 

「そういえば、エリーちゃん達はお金は大丈夫なのか? あんなにエリクシルを手に入れてたらお金なんて無くなっちまうんじゃねェのか?」

 

 

そういえばと思い出す。エリクシルは世界最高の医者であるアリスが造り出した霊薬。どんな怪我も体力も回復させることができるもの。それ故に超がつくほどの高級品であり希少品。それをアキはまるで湯水のように使っている。経済的に大丈夫なのかと心配にもなる。

 

 

「うん、あのお薬すっごく高くてアキもお金持ちだったんだけどほとんどお金なくなっちゃったの。おかげでアジトもほとんど売り払ったんだって」

「そ、そうか……じゃあ、今はどうやって生活を?」

「それはあたしが頑張ってるの! カジノでいっぱい勝って軍資金を稼ぐのがあたしの役目なんだから!」

「そ、それは大変だな……エリーちゃんはカジノが好きなのか?」

「うん、大好き! 昔パパにもあたしはきっと美人ギャンブラーになるって言われたんだから!」

「なるほど……ちなみに、小さい頃はエリーちゃんは何になりたかったんだ? やっぱり踊り子になりたかったのか?」

「ううん、踊るのは好きだけど小さい頃はまだ踊ってなかったし。あたし、本当は虫になりたかったの! パパには絶対無理だって言われちゃったけど」

「虫か……うん、そりゃ無理だ」

「やっぱりそうなのかなー。そういえばプルーと最初に会った時も虫だと思ったんだっけ。プルー、どこにいるんだろう。元気にしてるかなー」

 

 

何かを思い出したのか、エリーちゃんはそのまま考え込んでしまう。前々から分かっていたことだがこの娘は本当に規格外だ。エリーちゃんにカジノで稼いでもらったお金で生活せざるを得ないアキの心情を考えると察して余りある。本当に何もかも捨てて強くなろうとしているのだろう。今度相談にも乗ってやらなければ。色々な意味でアキが擦り切れてしまいかねない。

 

 

「ま、それは置いておくとしてだ。前から気になってたんだが、エリーちゃんはアキとはどこまでいってるんだ?」

 

 

一度咳払いしながら話題を強引に切り替える。さっきまでの不毛な話題を終わらせる意味もあったが単純に自分の興味からくるもの。アキに問いただしても全く要領を得ないのでここはエリーちゃんに直接聞いてみるしかない。

 

 

「え? どこまでいってるって……何のこと?」

「しらばっくれんなって。一緒に暮らしてるんだ、結構進んでるんだろ? おっぱいぐらいは触らせてやってるのか? もしかしてもっと進んでんのか?」

 

 

アキと同じでエリーちゃんもしらばっくれているが興味は尽きない。なにせエリーちゃんは文句なしの美少女。おっぱいもデカい。そんなエリーちゃんと一緒に暮らしているのに何もないなんて考えられない。知らずワクワクしてしまう。そう、親になったからには一度はやってみたかったシチュエーション。子供の恋愛事情を茶化すイベント。ある意味、アキとエリーちゃんは自分にとってももう一人の息子と娘のようなもの。そんな二人の関係。最近の若者は進んでいるらしいし、エリーちゃんの格好はその最たるもの。だがそんな密かな自分の楽しみは

 

 

「~~~~?!?!」

 

 

まるでゆでだこの様に顔を真っ赤にしてわなわなと震えているエリーちゃんの姿によって終わりを告げる。ようやく気付く。今の自分の姿がどっからどう見ても娘にセクハラして楽しんでいる親父でしかないことに。

 

 

「パパさんのえっち――――!!」

 

 

そのまま間髪入れずゲイルはエリーのガンズ・トンファーによって吹き飛ばされてしまう。ゲイルをして魔導精霊力なんてなくても大丈夫だとお墨付きをもらえるようなお仕置き。

 

 

そんなドタバタを繰り返しながら十年間あり得なかった、騒がしい生活をゲイルは続けることになるのだった――――

 

 

 

鐘の音が鳴り響き、時計が溢れている静かな街。まるで時の流れを形にしたかのような空気がそこにはある。

 

『ミルディアン』

 

それがその街の名前。時を刻む街と呼ばれる場所。だがそれだけではない。もっとも特徴的なことはこの街に住む者たちは皆魔導士であるということ。世界でも少ないエレメンタルの使い手たちの多くはこの街から生まれている。時を守る、という使命を帯びて。

 

 

「…………」

 

 

そんなミルディアンの中で一番大きな建物の階段を小さな少年が昇っていく。顔に命紋(フェイト)と呼ばれる刺青をしていることが、その少年もまた魔導士であることの証。

 

『ニーベル』

 

それが少年の名前。だがニーベルの顔には確かな緊張が見て取れる。階段を昇る足取りも同じ。だがそれも当然。これからニーベルが向かおうとしている場所にはそれだけの理由があるのだから。

 

建物の頂上。その部屋の扉の前にたどり着き、ニーベルは一度大きく深呼吸をする。意を決したようにドアをノックする。しばらくの時間後、まるで魔法のように扉が勝手に開いてしまう。だがそれは誇張でも何でもない。本当に扉は魔法によって開かれたのだから。

 

 

「ふむ、誰かと思えばニーベルではないか」

 

 

ひょこひょことニーベルとそう変わらない小柄な老人が姿を現す。小柄な体と髭を生やしている姿からどこか間抜けな風貌を持ってはいるもののその老人は只者ではない。その手にある杖が意味するように彼もまた魔導士。

 

『ミルツ』

 

時の賢者の異名を持つ、ミルディアンの最高責任者であり最高の魔導士。全ての属性の魔法を同時に扱うことができるとまで言われている大魔導士。

 

 

「お、お久しぶりですミルツ様。すみません、どうしても話したいことがあって……」

「話したいこと、とな? 悪いが早めに済ませてもらえるかの。ワシはこれからお茶の時間なのでな。時間は有限。予定通りに動かなければならぬからの」

 

 

緊張でギクシャクしているニーベルをよそにミルツは全く気にすることなくそんなことを口にする。時間通りに、予定通りに過ごすことこそがミルツの生き方。時間を守るものとして当然だと言わんばかりの几帳面さが滲み出ている。それに気圧されながらもニーベルは勇気を振り絞り口を開く。

 

 

「はい……その、ボクが聞きたいのはジークの事なんです」

「ジークのこと……? はて、何か問題があったかの。ジークは今、時を守る使命を果たすために外で動いておるが」

 

 

『ジークハルト』

 

時の番人の異名と大魔導士の称号を持つ魔導士。そしてニーベルにとっては兄同然に慕っている青年。一年ほど前から時を守る使命を果たすためミルディアンから旅立っていった存在。ミルツにとっては当たり前の事であり、なんら問題のないこと。だがニーベルにとってはその使命こそが問題だった。

 

 

「僕が聞きたいのはジークに課せられた使命のことです! どうしてあんなことを……女の子を殺すようなことを命令したんですか?」

 

 

『時を守る』

 

 

それこそがミルディアンの民たちの使命であり存在理由。それは正しいとニーベルも思っている。だがそれでも今回はどうしても納得できなかった。ジークには今、二つの使命が与えられている。

 

一つが金髪の悪魔の抹殺。

 

十年ほど前にメガユニットを脱獄した、世界を危機に陥れるほどの力と邪念を持つとされている存在。それを排除することは確かに正しい。だがもう一つの使命こそが問題だった。それは

 

 

「当たり前であろう。魔導精霊力は時を歪ませるほどの大禁呪。創造と破壊の魔法。そんなものを持つ存在を生かしておくわけにはいかん」

 

 

魔導精霊力を持つ者の抹殺。詳細は不明だが魔導精霊力を生み出そうとする研究が行われ、それを宿したと思われる少女が存在している。それを排除することが今のジークに課せられている使命。時を守る存在であるミルツにとって、ミルディアンにとってその抹殺は当然の選択。何人も時を犯すことは許されないのだから。

 

 

「おかしいよ! だってその女の子は何も悪いことをしてないじゃないか!? なのにそれを殺すなんて……それじゃただの人殺しと一緒じゃないか!」

 

 

しかしそれこそがおかしいとニーベルは訴える。例え魔導精霊力を持っていたとしてもその女の子は何も悪い庫をしているわけでもない。なのに時を守るためなら容赦なくその子を殺そうとしている。時を守る。そのためにならここ、ミルディアンの住人は何だってする。ミルツが死ねと言えば皆、それに迷いなく従うだろう。だからこそ、今回のジークに与えられた使命にニーベルは納得できなかった。女の子のこともある。でもそれ以上に、ジークに人殺しになってほしくない。ただそれだけの思いが故に。

 

 

「? 何をおかしなことを。人殺しなどではない。ワシらは時を守る番人。そのためには私情を捨てねばならん。お主にも散々教えたはずじゃが」

「それがおかしいんだよ! みんな時を守るって言い訳して、知らないふりをしてるだけじゃないか! みんな本当は人殺しなんてしたくないって思ってるはずだ! ミルツ様だってそうでしょ!? だからジークにも言ってあげてほしいんだ。もうそんなこと止めようって!」

 

 

息を呑み、不安と恐怖に襲われながらもニーベルは訴える。ミルディアンの民たちが忘れてしまっている、口にすることができなくなっている真実を。だがそれは

 

 

「まさかここまで聞き訳がないとは……小さい頃から目をかけてやったというのに、やはりこの街の生まれではないお前ではワシたちに付いてくることはできなかったようじゃの」

 

 

ミルツの耳には届かない。ミルツだけではない。このミルディアンはもうずっと昔から時が止まったまま。ジークもまた同じ。ニーベルは悟る。小さな自分ではもう、この流れを変えることはできないのだと。

 

 

「ミルツ様、ボクは……!」

「もうよい。時間の無駄じゃ。お主を時を歪ます罪人として処刑する。大人しくするがよい」

 

 

もう用はないとばかりにミルツは踵を返し、部屋へと戻っていく。そしていつからいたのか、看守の姿をした封印魔導士が二人現れる。文字通りニーベルを捕らえ、処刑するために。その光景にニーベルの表情に絶望に染まるも

 

 

「……っ! 幻の霧(ミスト)!」

 

 

残された希望に縋り、ニーベルは魔法を唱える。瞬間、部屋全体が凄まじい霧に包まれてしまう。目の前すら見えない程の濃霧。幻影魔法と呼ばれる相手を惑わすための魔法の力。

 

 

「っ! 小癪な真似を!」

「あっちだ! 追え、絶対に逃がすな!」

 

 

予想外の抵抗だったからか。一瞬の隙をついてニーベルは看守たちの目を逃れそのまま階段を駆け下りる。もう同じ手は二度と通用しない。捕まったらすべてが終わり。命を懸けた逃亡。

 

 

「ハアァ……ハアッ……!!」

 

 

ただニーベルは走る。どこに向かっているのか彼自身も分かっていない。自分を守ってくれるはずの人たちはみんな敵に回ってしまった。もう誰も自分を助けてはくれない。それでも

 

 

(ジーク……助けて……!!)

 

 

ここにはいないジークに心から助けを願う。もう会えないであろう、自分にとっては兄でもある存在。彼にもう一度会いたい。そんな極限状態の中、ニーベルは突然転んでしまう。いや、ぶつかってしまう。まるでそう、見えない何かにぶつかってしまったかのように。

 

 

「うっ……! な、何……?」

 

 

尻もちをつき、それでも早く逃げなければと立ち上がろうと瞬間、ニーベルの時間は止まってしまった。ソレを目の当たりにしてしまった。

 

 

「…………」

 

 

それは人だった。黒いローブを身に纏った男。どうしてそんな男がいるのか、突然現れたのか。だがそんなことはニーベルの頭には欠片も残っていなかった。

 

 

あるのはただ純粋な恐怖。男から発せられているこの世の物とは思えないような気配。まるでこの世のあらゆる不吉を孕んでいるかのようなドス黒い力。

 

 

気づけばニーベルはその場に蹲り、足腰も経たなくなってしまう。体は震え、歯がかじかんでいるかのように鳴り続ける。蛇に睨まれた蛙同然。漏らすことがなかったのは奇跡に近い。それほどまでに目の前のローブの男は異常だった。

 

 

「…………俺と一緒に来い。そうすれば助けてやる」

 

 

そんな恐ろしい声がニーベルに問いかけてくる。一緒に来れば助けてやると。だがニーベルは答えることも、体を動かすこともできない。できるのは震えることだけ。死にたくない。命だけは助けてほしい。それだけ。

 

 

「いたぞ! あそこだ!」

 

 

瞬間、慌ただしい声と共に看守たちが追いついてくる。この瞬間まで、ニーベルが自分が追われていることすら忘れてしまっていた。そして知らず体が、口が動く。もはや本能に近い。

 

 

「た、助けて――――!?」

 

 

助けて。誰でもいい。目の前のバケモノから自分を助けてほしい。自分を追っている看守だが構わない。目の前のローブの男に連れていかれるよりは。だがそんな叫びは

 

 

「……分かった」

 

 

全く逆の意味で効果を発揮してしまう。ローブの男が手をかざした瞬間、看守たちは一瞬で動きを止めてしまう。それだけではない。そのまま為すすべなく気を失い倒れてしまう。魔法ではない、それを超越した未知の力。

 

 

その刹那、ローブの合間からその内が垣間見える。紛れもない金髪に、胸にかけられている紫の宝石。

 

 

『金髪の悪魔』

 

 

ニーベルは失いつつある意識の中悟った。自分が絶対に結んでいけない契約を、金髪の悪魔との契約を結んでしまったのだと――――

 

 

 

 


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