ダークブリングマスターの憂鬱(エリールート) 作:闘牙王
時を知らせる鐘が鳴り響く街、ミルディアンを前にして一人の男がその足を止め佇んでいた。蒼い髪と顔には命紋と呼ばれる刺青をした白いコートを身に纏った男。
(まさかこんなにも早く故郷に戻ってくることになるとは……)
時の番人、ジークハルトはどこか感慨深げに自らの故郷であるミルディアンを見つめている。ジークにしてみれば数年ぶりの帰郷、故郷を懐かしむのは当たり前。だがそれも一瞬。すぐさまジークは真剣な魔導士としての顔を取り戻す。何故ならジークがここに戻ってきたのは帰郷するためではない。
(本当なら使命を果たせていないオレがここに戻ってくるのはあり得ない……だが……)
時の番人。その二つ名が示すようにジークは時を守るため、二つの使命を果たすためにミルディアンを旅立っていた。
一つが
もう一つが金髪の悪魔と呼ばれる少年の抹殺。世界最大の監獄であるメガユニットから脱獄した恐ろしい力と邪念を持つとされる存在。
共に世界を、時を狂わす危険をもった存在。時を守るため、そんな存在を許すわけにはいかない。使命を帯びたジークはそれを果たすために数年前から動いているが未だにそれを果たすことができずにいた。魔導精霊力の少女については一度は殺したはずだが、まだ生きている可能性が高く、金髪の悪魔については何度か追い詰めたものの逃走を許してしまっている。ここ半年に至っては痕跡すら見つけることすらできていない。そんな状況にも拘わらず、おめおめと故郷に戻ることなどジークにとってはあり得ない。だがそれでもそうせざるを得ない理由があった。ジークは改めてその手にある一通の便箋を握りしめる。その差出人には慣れ親しんだも者の名が綴られている。
(ニーベル……一体何があったんだ……?)
ニーベル。ミルディアンに住む魔導士であり、ジークにとっては弟のような存在。そんなニーベルから伝書鳩による手紙が届いたのが数日前。ただの手紙であればジークがここまで慌てて戻ってくることなどあり得ない。ただそうせざるを得ない内容が手紙には記されていた。
『助けてほしい』
要約すればただそれだけの内容。詳しい事情も状況も何一つ書かれてはない。本当なら何かの悪戯なのでは疑ってしまうような手紙。だがその筆跡は間違いなくニーベルの物。加えてニーベルは冗談でもそんなことをするような少年ではない。だがそれでも理解できないことが多すぎる。街には多くの仲間がいる。にも拘わらずどうして外に出ている自分に助けを求めているのか。
(いや、今更何度考えても仕方がない……今は一刻も早くニーベルに会わなければ……!)
様々な疑問を振り払い、ジークは風のエレメントを纏いながら、ただ自らの故郷であるミルディアンへと駆けるのだった――――
(やはり特に変わった様子はない……街に何かあったわけではないようだな……)
街中を駆けながら辺りを見渡すもそこにあるのはジークにとっては慣れ親しんだ街並みだけ。静かに時を刻んでいる、いつも通りの風景。そのことに安堵しながらも一刻も早くニーベルを見つけなくては。そんな焦りをジークが抱いている中
「っ! ジークハルト様? 戻っておられたのですか?」
「あ、本当にジークハルト様だ! お久しぶりです!」
聞き慣れた懐かしい二つの声がジークを引き留める。そこには二人の女性の姿。一目で魔導士、もとい魔女だと分かるような黒い帽子を被った女性とそれとは対照的にどこか今時の若者を感じさせる空気を持つ女性。共通しているのは命紋をその身に刻んでいること。
「久しぶりだな、ヒルデ、フリッカ。元気そうで何よりだ」
「はい、ジークハルト様もお元気そうで何よりです」
「あたしも元気です! 魔法の修練もちゃんとやってますよ! 新しい属性もマスターしたんですから!」
ヒルデとフリッカ。二人はまるで久しぶりに戻ってきた兄を出迎えるようにジークに集まっていく。それはある意味当然のこと。時の民は少数であるが故にその繋がりは深い。謂わば家族同然。加えてジークは大魔導の称号を持つ魔導士。ヒルデにとっては敬意と憧れを抱く存在。ジークにとっても二人は妹のような存在。
「ですがどうされたのですか? もう使命を果たされたのですか? 確かもう少し時間がかかると伺っていましたが」
「いや……それよりもちょうどよかった。二人とも、ニーベルを知らないか?」
思わずそのまま懐かしさにあてられて話し込んでしまいそうになるがすぐにジークは切り替える。だがジークにとっては余計な手間が省けた形。無闇に街中を探すよりもヒルデ達に尋ねた方が早い。だが
「ニーベルを……ですか?」
その名を口にした瞬間、二人の空気が一変する。先ほどまでの和気あいあいとした空気は微塵も残っていない。あるのはただ戸惑いと気まずさだけ。フリッカにいたってはそのまま黙り込んでしまっている。まるで触れてはいけない禁忌に触れてしまった、そんな感覚。
「……? どうしたんだ、二人とも? やはりニーベルに何かあったのか……!?」
「……ジークハルト様は、まだご存じないのですか? ニーベルはもうここにはいません。時の民を破門されて……」
「時の民を破門……? ニーベルがなぜ……!?」
あまりにも予想外のヒルデの言葉にジークは言葉を失うしかない。時の民を破門される。それはここミルディアンにおいては死刑宣告に等しい意味を持つ。時の民ではなくなり、時を狂わすものとして処刑されることになってしまう。ようやくジークは悟る。あの手紙の意味。それが時の民たちから自分を助けてほしいというメッセージだったのだと。そんな混乱の中
「ふむ、懐かしい魔力を感じると思えば。やはりお主じゃったか、ジークハルト」
杖の音と共に小柄な老人がジークの前へと姿を現す。知らず、ジークですら気圧されてしまう威厳と魔力。ここミルディアンにおいて頂点の君臨する魔導士。時の賢者ミルツ。
「ミルツ様……」
「久しいの。戻ってきたということは、魔導精霊力の娘と金髪の悪魔は抹殺できたということかの」
「い、いえ、それはまだ……それよりもニーベルが時の民を破門されたというのは本当ですか!?」
「ふむ、そういえばまだお主には伝えれていなかったな。その通りじゃ。あの小僧はあろうことか我らの時を守る使命を侮辱しおった。時を狂わす罪人に等しい」
思い出すのも汚らわしいとばかりにミルツはそう口にする。知らずミルツに付いてきていたのか、他の時の民たちも集まり口々にニーベルの事を侮辱していく。まるでそれが当然だと言わんばかりの異常な光景。ニーベルが時の民を破門されてしまったその経緯を耳にしながらもジークには全く届いていなかった。あるのはただの違和感だけ。本当にここは自分が知っている街なのか。自分が生まれ育ったあのミルディアンなのか。
時を守る。そのためにジークは生きてきた。だがこの数年、ジークはただ魔導精霊力の娘と金髪の悪魔を殺すためだけに動いていたわけではない。時には貧困にあえぐ者たちを、理不尽な暴力に襲われる者たちを救ってきた。ジークは見てきた。DCによって虐げられている人々を。そんな人々を救うのが自分たち、時の民の使命のはず。なのに目の前の光景は何なのか。
(なんだこれは……? これではまるで……)
思わず巡りかけた考えてはいけない思考を押し留めながらもようやく気付く。それはニーベルの安否。時を狂わす罪人に下される処罰は決まっている。ならニーベルはもう。そんな事実に冷たい汗がジークの背中を伝いかけたその時
「ミ、ミルツ様大変です……!」
「何じゃ騒々しい。ワシは今忙しい。用なら後に」
「ニーベルが……! ニーベルが街に戻ってきたんです……!」
一人の魔導士が慌てながらミルツにそう報告してくる。さしものミルツも信じがたいのか目を丸くしている。当然だ。時の民を破門された者が再び戻ってくるなど前代未聞。殺されに来るようなもの。だがそれを覆すかのように
「ジーク……よかった、来てくれたんだね」
ニーベルは緊張した様子で、それでも喜びを見せながらジークの前に姿を現す。その姿はジークの記憶よりも少し大きくなっているものの見間違うはずもない。幻影でもない、間違いなくニーベル本人。
「ニーベル……!? 無事だったのか!?」
「うん……助けてくれた人がいるんだ。どこも怪我してないから大丈夫だよ」
「そ、そうか……いや、それよりもなぜ時の民を、みんなを裏切るようなことをした……? お前はそんな」
思わずそのまま無事だったニーベルに駆け寄ろうとするも寸でのところでジークは動きを止める。ニーベルが無事だったこと。それは本当に嬉しい。だが時の民として、時の番人としてジークはただニーベルの無事を喜ぶことはできなかった。何故ならニーベルは今、時を歪ます存在、罪人なのだから。ミルツが時の民たちがそう言うのであればそれは真実。だがもしかしたらニーベルは何か誤解されているのかもしれない。もしかしたら謝罪、贖罪に来たのかもしれない。だが
「ううん、これはボクの決めたことなんだ、ジーク。今のジークは、みんなは間違ってる」
そんなジークの期待を裏切るようにニーベルは告げる。自分の考えは変わらない、と。
「戻ってきたかと思えばまだそんな戯言を……ワシらは時を守る使命を持った選ばれし者。間違いなどありはせん!」
聞くに堪えないとばかりにミルツは断罪する。それに呼応するようにニーベルの周りを魔導士たちが取り囲んでいく。再び逃走を許さない包囲網。時の罪人に対する時の民たちとしての行動。ニーベルと特に仲が良かったはずのヒルデとフリッカもその中に加わっている。本来ならそこに自らも加わらなければいけないにも関わらず、ジークはただその場に立ち尽くすしかない。時の流れに置いていかれてしまったかのように。
「……ジーク、覚えてる? ボクが旅立つ前にジークに聞いたこと」
そんなジークに向かってニーベルは問いかける。見ればその身体は震え、足は竦みかけている。当たり前だ。今まで家族だと思っていた者たちに取り囲まれて、今まさに殺されようとしているのだから。本当なら逃げ出したい、泣き出したいほど怖いはず。だがそれを押し殺してでも問いかけたいことが、聞きたい答えがニーベルにはあった。
「魔導精霊力を持ってるってだけで、何も知らない女の子を殺すなんて間違ってるって。今でもジークは、それが正しいって信じてるの?」
「……それは」
ジークは思い出す。旅立つ前に言われた、ニーベルの言葉。それに寸分の狂いもなくジークはこう答えた。時を守るためなら。そのためには犠牲を恐れてはいけない。幼い頃から刻まれてきた掟。自らの生き方。そのために多くの人間の命を奪ってきた。だがそれでも
(そうだ……オレは、あの時……)
思い出すのはあの時。魔導精霊力の少女をこの手に掛けた瞬間。そして少女がまだ生きていると分かった時。本当なら自らの使命の、任務が失敗していたことを恥じるべき。なのにそれよりも先の生まれてきたのはそれとは真逆の感情だった。
「ジークだけじゃない、みんなだって本当は人なんて殺したくないって思ってるはずだ! なのにみんな、時を守るためじゃなくて、時を守るせいにしてるんだって!」
ただニーベルは叫ぶ。時の民たちの心の叫びを。それを前にしてジークはもちろん、他の者たちも何も言い返すことができない。それこそがニーベルの言葉が正しいことの何よりの証明。しかし
「まだそんな世迷言を……もうよい! 今この場でその裏切り者を処刑せよ!」
ミルツの一言によってそれは覆されてしまう。そう、ここミルディアンではミルツの言葉は絶対。時の民はミルツが死ねと言えば死に、親を殺せと言われれば殺すことができる。時を守るために。今更それを破ることはできない。それを破ることは今までの自分たちの行いを否定すること、間違いを認めることに他ならない。そうなれば今度は自分たちが時を歪ます罪人となってしまう。
そんな時に狂わされた民たちの手から無数の魔法がニーベルに向かって放たれる。逃げ場はどこにもない。幼いニーベルにはそれに抗う術はない。できるのはただ恐怖を押し殺しながら目を閉じることだけ。だがいつまで経っても魔法はニーベルに襲い掛かってくることはない。恐る恐るニーベルが目を開けたそこには
コートをはためかせながら、ニーベルを守るように立っている時の番人の背中があった。
「ジーク……!」
「っ!? な、なんのつもりじゃジークハルト!? そやつは時を狂わす罪人! それを庇うなど……!?」
あり得ない光景にミルツもまた驚愕の声を上げるしかない。時の番たるジークハルトが罪人を庇うことなどあってはならない。その胸中は皆同じなのか、他の時の民たちもまた動揺し、ざわつくしかない。だが誰よりも驚いているのは他ならぬジーク自身。
(オレは……何を……?)
時の番人としてあり得ない行動。罪人を庇うという許されざる行為。頭ではそれは分かっている。だが体が勝手に動いてしまった。そんな衝動的な行動。体と心が一致していない。支離滅裂な状態。何が正しくて間違っているのか。その答えさえ、今のジークには分からない。分かるのはただ
「すみません、ミルツ様……オレには、ニーベルを殺すことができません」
自分にはニーベルを殺すことができない。そんな当たり前の、時の番人としてではないジーク自身の答えだけ。
そんなジークの裏切りによってさらなる混乱に陥りながらも、ミルツの命令によって再び処刑が開始される。先ほどとは比にならない、大魔導であるジークを処刑するための魔法の雨。万全の状態ならばいざ知らず、動揺し、ニーベルを庇いながらではジークといえでも防ぎきることができない攻撃。それでも何とかニーベルだけでも。そんな刹那
時の民の裁きは、剣の一振りによって切り払われてしまった――――
「――――」
瞬間、その場にいる全ての人間は言葉を失った。その瞳に映っているのはたった一人の男だけ。黒いマントと甲冑を身に纏い、その手に剣を持っている少年。何よりも目を引くのはその金髪。この世界においては忌むべき血を引く証。世界中にその名で恐れられる一人の少年。
『金髪の悪魔』
今、本人を含めて混沌の権化である存在がミルディアンへと降臨した――――