ダークブリングマスターの憂鬱(エリールート) 作:闘牙王
「うっ……ぐっ……」
今にも消え入りそうなうめき声。満身創痍。体中には無数の切り傷、出血によって真っ赤に染まっている服。まだ息があるのがおかしいほどの重症。それが今のゲイルの姿。世界で五指に入る剣士とは思えない光景。それでも意識がもうろうとしながらも剣を手放していないことこそがゲイルがゲイルである所以。だがそこまで。剣を振り上げることも、振り下ろすこともできない。
目の前にいる存在を前にしては。
「――――」
男、キングは無造作に左手でゲイルの首を掴み上げる。とても人間とは思えないような怪力。だがそこにはもはやキングはいなかった。その表情は笑みを浮かべている。まるで獲物を前にした獣そのもの。その瞳には光はない。あるのは悦びのみ。何よりも異様なのはその右手。そこには異形の浸食によって剣に取り込まれてしまっている右手がある。持ち主を侵食する剣。それが羅刹剣。そう、今そこにいるのはキングではない。羅刹剣そのもの。キングの怨念、憎しみを糧にして全てを破壊する鬼。
その力は圧倒的だった。ほんの数分、それだけの間に決着はついてしまった。ゲイルはキングに一太刀も浴びせることすら敵わない。使い手の力を限界以上に引き出す能力。その前ではゲイルであっては手も足も出ない。心すら捨て去った力。だがそれは心だけには留まらない。その証拠にキングの身体は軋み、今も悲鳴を上げている。限界以上の力を引き出された人間の体の代償。
そしてついにその一刀が振り下ろされる。ゲイルの首を跳ねるために。一切の慈悲も躊躇いもない。機械的ですらある狂気。そしてそれはキングにとっても最期の瞬間。一度でも人を殺せばそれまで。剣はその味を覚え、殺戮を繰り返す。その器の命が尽きるまで。だが
「はあっ!!」
それを拒むように、一本の剣がその凶刃を受け止める。奇しくもその剣もまた魔剣。使い手もまた同じレアグローブの血を受け継ぐ肉体。渾身の力を込めながら乱入者、アキはキングを吹き飛ばす。虚を突かれたからか、それとも他に理由があったのか。キングは受け身を取りながらもそのまま動きを止めてしまう。
それがアキとキングの初めての出会い。そして最悪の出会いだった――――
(あ、危なかった……!? あと一瞬遅かったらどうなってたか……!?)
全身を冷や汗で濡らしながらただ戦慄し、安堵するしかない。自分のすぐ後ろには倒れ伏しているゲイルさんの姿。立ち上がるどころか声を上げることすらできていない。一見すればもう死んでしまっているではないかと思えるような瀕死状態。だが確かにまだ生きている。もしほんの少しでも遅ければその命はなかっただろう。本当なら今すぐ駆け寄って治療を行わなければ命が危ない。しかしそれはできない。何故なら
(間違いねえ……
自分の目の前には羅刹と化しているキングがいるのだから。突如乱入してきた自分を警戒しているのか。未だ動きは見せていないがその異常さはもはや見るまでもない。浸食された右手に黒い剣。生気を失っている姿。間違いなく第九の剣に取り込まれてしまっている。その力にただ圧倒されるしかない。これまで感じたことのない純粋な恐怖。武者震いではない震えが止まらない。右手にあるデカログスもそれを感じ取っているのか、共鳴するように震え続けている。
『ふむ……見るに耐えんの……魔剣に飲まれたか。これでは感動の親子の再会も台無しではないか、なあ主様?』
『そんなこと言っとる場合かっ!? それよりゲイルさんは大丈夫なのか……!?』
『今のところはの……じゃが長引くとどうなるか分からぬ。それよりもこれは一体どういうことじゃ? あのキングとやらは第六の剣までしか扱えぬのではなかったのか?』
『そ、それは……』
恐怖に飲まれ、混乱しかけた自分を平静に戻すためか普段通りの軽口を叩くマザー。しかしその声色はいつもとは違う。マザーもまた羅刹と化しているキングの力を感じ取っているに違いない。シンクレアである分、マザーには自分以上にそれが分かるのかもしれない。だがその疑問はこちらも同じ。
あり得た歴史ではキングが扱っていたのは第六の剣である真空剣まで。なのに何故第九の剣である羅刹剣を扱えているのか。元々扱えていたのか、それともゲイルさんとの戦いで追い詰められ覚醒したのか、別の要因があったのか。だがそれを考えることに意味はない。今はただ
『っ!! 来るぞ、アキ!!』
「――――っ!! 分かってるっつーの!!」
キングを止める。それができなければ全てが終わりなのだから。
瞬間、弾けるように動き出す。思考を戦闘のみに切り替える。王宮守五神や六祈将軍の時とは違う。正真正銘、全力全開、全身全霊でキングへと挑む。それに応えるようにデカログスもその力を解放する。音を置き去りにするほどの速度。音速剣の全力で剣を振るう。先手必勝。あり得た未来では羅刹剣で暴走したハルをプルーの攻撃によって止めていた。ダメージを与えれば解除できる可能性はある。物理的に羅刹剣とキングを引き離すことができれば。だがそんな考えは
『何をしておる!? 後ろじゃ、アキ!?』
悲鳴にも似たマザーの叫びによってかき消されてしまう。
「なっ――――!?」
反射的に剣を構えることでその凶刃を受け止めるも、力を抑えきられずそのまま木の葉のように吹き飛ばされる。一体何が起こったのか。そんな思考の刹那も許さないとばかりに刃の嵐が襲い掛かってくる。それが刃なのかも分からないほどの斬撃の嵐。そのあまりの速度に対応できない。否、その姿を捕らえることができない。
(は、速ェ……!! ほとんど剣閃が見え……音速剣でも追いつけないなんて……!?)
反撃する暇などない。どころか避けることも剣も合わすこともできない。まるでガラス細工のように身に纏っていた甲冑が破壊され、切り裂かれてしまう。その威力と速さによって血飛沫が舞う。速い。ただただ速すぎる。その速度は音速剣を遥かに超えている。音速どころか光速に届くのではないかと思うほど。何よりもその反応速度が異常過ぎる。こちらの反撃を見てから即座に太刀筋を、動きを変えてくる。ただの獣ではあり得ない、剣士としての強さ。自分の強さはキングにも決して引けは取らないはず。だが今の自分とキングには大人と子供ほどの力の差がある。それこそが羅刹剣の力。人間の限界を超えた領域、闇の頂と呼ばれるキングのそれはまさに羅刹の王とでも呼ぶべきもの。
「なら……これならどうだ……!!」
瞬時にアキは見極める。自らが持つ十剣の能力のほとんどが目の前のキングには通用しないことを。十剣は様々な能力を持つがその本本は剣技で成り立っている。それが敵わない以上、他の剣も同様。その迅さの前には封殺されてしまう。なら速さではない、力で対抗するのみ。
『
十剣中最高の物理攻撃力を持ち、同時にその重さ故扱いが難しい剣。羅刹剣に対しては悪手としか思えない一手。だがそれを振るう。そう、自分はキングの攻撃を避けれない。なら、避けなければいいだけ。肉を切らせて骨を断つ。攻撃を食らう覚悟で一撃を。
「ぐっ……!!」
その思惑通り、羅刹剣によって肩を切り裂かれる。だが致命傷ではない。そのまま重力剣による一撃を振り落とす。だが今度こそ言葉を失う。そこには
重力剣を難なく受け止めているキングの姿があった。
(じょ、冗談だろ……!? 重力剣を片手で受け止めるなんて……!?)
戦慄するしかない。自分を切り裂いたままその剣で重力剣を防ぐ。その出鱈目さに加え腕力。音速剣を超える速さに加えて重力剣を超える力。超人的な反射神経に剣技。脳裏に浮かぶのはレイヴマスターである剣聖シバ。もはや悟るしかない。剣聖の称号を持つ者でなければこの羅刹を剣で討つことはできないのだと。さらなる絶望が迫りくる。それは
(間違いねえ……羅刹剣の浸食が進むにつれて、キングの強さが増していってやがる……!!)
羅刹剣の浸食。腕までだったそれが肩口にまで及ぼうとしている。それに比例して加速度的にキングの、羅刹剣の強さが増していく。防戦一方だったとはいえ、かろうじて戦闘になっていたものがもはや蹂躙になりつつある。それに加えてキングの身体も蹂躙されていく。それを扱ったハルは腕が痛みで使い物にならなくなっていた。ならこのままではキングはどうなってしまうのか。命を失ってしまう。だが分かるのはこのままではキングよりも早く自分が命を失ってしまうということ。
『っ!! アキ、これ以上直接剣で斬り結ぶでない!! 距離を取れ!!』
マザーの叱責によって我に返り、力を振り絞りながらその場を離脱する。だがそれに瞬時に反応し、キングは追い縋っている。速さではキングには敵わない。しかしほんの僅かだが距離を取れた。キングからすれば刹那で詰められるもの。しかしそれよりも早く右手をキングにかざす。
「――――っ!?」
瞬間、初めてキングの動きが止まる。その動揺はキングの物か、それとも羅刹剣の物か。まるで氷で固まってしまったかのように動きが止まってしまっている。それだけではない。無の流動によって体の血液を操り、樹木によって体を縛り、炎の舞によって空間を固定する。
『アマ・デトワール』『ゼロ・ストリーム』『ユグドラシル』『バレッテーゼフレア』
六星DBの中でも拘束を得意とする四つの能力。その四重奏によってキングを捕らえる。自分が扱うそれは六祈将軍とは桁外れの極み。その四重。にも関わらず
(くそ……!? なんて力してやがる……!? これじゃ長くは保たねえ……!!)
羅刹を封じ込めることは叶わない。一瞬でも気を抜けばその瞬間、拘束を抜けられてしまう。本当にこの世の物なのか疑うしかないまさに怪物。
『何をしておる!? さっさとあやつを寝取らんか!?』
『やかましい!! もうとっくにやってるんだよ!! 通じねえんだよくそっ!!』
本当なら盛大に文句を言いたいところだがそんな余裕などあるわけないがない。六星DBで捕縛したと同時になりふり構わず全力で寝取りにかかっているが全く通用しない。まるで自分のことなど眼中にないと言わんばかり……ではなく、全く力が届いていない。間違いなく今のキングのデカログスは暴走状態。例えシンクレアであったとしても止めることはできないに違いない。
(とにかくこの隙にゲイルさんを……! 間に合ってくれ……!)
羅刹剣との力比べに意識が飛びそうになりながらも、倒れ伏しているゲイルさんに近づき、携帯していたエリクシルをその口に流し込む。ピクリとも動かず、全く反応しない。息をしているかどうかも定かではない。それでもエリクシルを信じるしかない。だがそんな暇すら与えないとばかりにキングが動き出す。その拘束が徐々に剥がされていく。もうあと一分も保たないのは明らか。
『羅刹剣を使っておるとはいえまさかここまでとはな……流石は闇の頂とまで呼ばれるだけはあるか。アキよ、分かっておるな。もはや手は一つしかない』
『ああ……分かってる。心配するな、俺はお前を使わねえ』
『な、何でそうなる!? ここで我を使わずしていつ使うというのだ!?』
『この状況でお前の一発ギャグに付き合うほど俺は暇じゃねえ……』
『え、エリーの時のことを言っておるのか!? あれは違うと言っておろうが!?』
ぎゃあぎゃあ喚き取らしているが俺の心は決まっている。この状況でマザーを使うほど俺は耄碌していない。叫び声でかき消されるのがオチ。もしそうならなかったら逆に驚くぐらい。冗談は存在だけにしてほしい。
『あれを使う……合わせろ、マザー』
『ふん……せいぜい足掻くがいい、我が主様よ』
再びデカログスを握りながらマザーに告げる。答えは分かり切っている。認めたくはないが自分とこいつは一蓮托生なのだから。
「オオオオオオオオオオオ――――!!」
瞬間、ついに拘束を食いちぎった羅刹が咆哮と共に襲い掛かってくる。それを前にして打つ手はない。そう、今の自分には。簡単なことでしかない。目には目を。歯には歯を。羅刹には羅刹を。単純な、これ以上にない対抗策。羅刹倒すには
「うあああがあああああ――――!!」
こちらも羅刹になるしかない。この半年でも数えるほどしか解放したことがない禁忌の力を解放する。同時に右手が羅刹剣に飲み込まれていく。この世の物とは思えないような苦痛と快楽。闘争心以外の感情が希薄になっていく。自分が無くなっていくような感覚。だが必死にそれに抗う。ここでそれに屈しては意味がないのだから。
音もなく、二匹の鬼の戦いが始まる。咆哮と金属音だけがジンの塔を支配する。その一刀一刀が一撃必殺。まともに食らえばその瞬間、勝負が決する狂気の戦い。
(ぐ……っ!! まだだ……耐えてくれ、師匠……!!)
気を失いそうな狭間で何とか意識を保ち続ける。ここで理性を失っては全てが終わる。師匠であるデカログスも耐えてくれている。ここで自分が負けるわけにはいかない。自分の限界を超えた力の行使。だがそれでもキングには及ばない。当たり前だ。それは浸食の度合い。もはやキングを覆う浸食は全身に及ばんとしている。対して自分は腕のみ。その差は歴然。何よりもキングはその心を全て羅刹剣に委ねている。それに飲まれまいとしている自分と師匠。勝ち目はない。そんなことは分かり切っている。故に、この勝負は
「マザ――――!!」
全てこの瞬間、マザーに懸かっている。
自分の叫びに呼応するようにデカログスが光に包まれる。同時に羅刹剣すらも上回るこの世の不吉を全て孕んだ邪悪な力が溢れだす。
『時空の剣』
それがこの光の剣の名前。シンクレアであるマザーとデカログスを組み合わせることで可能な存在しないはずの十一番目の剣。
『次元崩壊』
それこそがマザーの力の本質。最もエンドレスに近いシンクレアであるマザーの真の力。それはまさに世界を、次元を崩壊させる禁忌の力。その正体は並行世界を現行世界によって塗りつぶすこと。偽りの世界であるこの世界を正しい世界に戻すための力。斬ったものを別の世界、現行世界に送る能力。それこそが時空の剣の本来の役割。エリーが持つ時空の杖と対を為す存在。時空の杖は世界と世界を繋ぐ鍵でありエンドレスを呼びだすためのもの。だが時空の剣はただ世界を壊すための剣。それに抗う術はない。羅刹剣に纏わせたそれはまさに切り札。その一刀によってもう一本の羅刹剣が切り裂かれた――――はずだった。
「…………へ?」
それは果たして誰の声だったのか。ただ呆然と目の前の光景に目を奪われるしかない。一瞬、自分とマザーはお互いを見合わせる。そこには時空の剣が受け止められている、というあり得ない光景があった。
「ふ、ふざけんなあああああああ!? あんだけ言ってやっぱこのオチかよ!? 一発ギャグにもなってねえじゃねえか!?」
『そ、そんなことを言っておる場合か!? まだ戦闘は終わっておらぬのだぞ!?』
今の自分が羅刹剣の使用中であることも戦闘中であることも忘れて叫ぶしかない。何故こいつは肝心なところで役に立たないのか。というか一度でも役に立ったことがあるのか。わざとやっているとしか思えないような役立たずっぷり。だがそんなやり取りをする間もなくそのままキングによって吹き飛ばされてしまう。同時に羅刹剣を解除する。これ以上の使用は限界を超えてしまう。魔石殺しの自分でもあっても例外ではない。
(何だ……あれ……? 剣だけじゃなくて、体まで紫の光に包まれてる……!?)
すぐさま体勢を立て直すのその光景に圧倒されてしまう。いや、完全に戦意を失ってしまう。そこには紫の光に包まれているキングの姿。その意味を頭ではなく、体で理解する。あの力を自分は知っている。まさしくDBの力の源。エンドレスの力があの光の正体なのだと。
『まさか……いや、間違いあるまい。あれは戦気じゃ……』
『戦気……? な、何だよそれ……?』
『究極の闘気……いや、力の奔流とでも言おうか。あれの前ではいかなる物理も魔法も通用せぬ。単純な強さのみであれを超えぬ限りな……四天魔王のウタのみが扱える力じゃ』
『戦気』
それは物理も魔法も超越した数多の戦いを乗り越えたウタでしか持ち得ないとされる究極の闘気。その前ではいかなる物理も魔法も通用しない。逆にその攻撃は物理無効でも魔法無効でも無効化できない。それを突破するにはたった一つの方法しかない。
『相手よりも強いこと』
相手の強さを上回る攻撃でなければ戦気を破ることはできない。そこに例外はない。例え次元崩壊でも、魔導精霊力でも、DBでも、レイヴでも関係はない。一撃死のような能力も、状態異常を起こすような特殊能力も全て同じ。『強さ』という基準で相手を超えない限りどんな能力も物量も通用しない。
『じゃ、じゃあ何か……? 今のキングはウタと同じ強さってことか……?』
『いや、流石にそこまでは至っておらぬ。もしそうなら既にお主は死んでおる。それでもかつての四天魔王に準ずる強さはあるじゃろうが……やはり解せん。羅刹剣の浸食だけでその域に届くなど……やはり、このエンクレイムとかいう儀式の影響かもしれぬな……』
マザーから聞かされる何の慰めにもならない情報にただ呆然とするしかない。例えウタほどでなくとも今の自分にとっては絶望するに十分な戦力差。同時に感じ取る。キングが持つ羅刹剣。そこに向かって紫の光、エンドレスの力が集まって行っているのを。エンクレイムによって集められた力がキングへと流れ込んでいる。まるで意志を持つかのように。このエンクレイムは何かおかしい。まるで――――
「何をしておるアキ――――!?」
それは致命的な隙。隙と呼ぶにはあまりにも短い刹那。だがこの戦いにおいては取り返しのつかない物。羅刹と化したキングが脳天から自分を叩き切らんと迫る。それに反応することができない。走馬灯にも似た狭間の中で
「アキ――――!!」
マザーではない叫びと共に、風のような速さの剣によってキングはその場から弾き出される。瞬間、目の前には見慣れた銀髪の剣士の姿。
「大丈夫かアキ……? 怪我はねえか?」
「ゲ、ゲイルさん!? 大丈夫なんですか!?」
「ああ……おかげで命拾いしたぜ。もっとも、このままじゃそれも長く続きそうにないがな」
自分の無事を知って安堵したのか、一度笑みを浮かべながらもすぐに顔をこわばらせながらゲイルさんは剣を構える。その視線の先にはもはや変わり果ててしまったキングの姿。心を失くした親友の姿にゲイルさんは言葉を失っている。間違いなくゲイルさんの攻撃を受けたはずにもかかわらず全くの無傷。戦気の前にはゲイルさんの剣ですら意味がない。
「助けてもらったばかりで済まねェが……アキ、何か手は残っているか?」
「え……? いや、それは……」
ゲイルさんの言葉に返す言葉はない。次元崩壊に加えて羅刹剣も通用しなかった。もはや自分に打つ手は残っていない。あるとすればどうにかここから逃げることぐらい。それすらも目の前のキングを前にしては不可能だろう。もはや完全な詰み。しかし
「いや……一つだけ、方法は残っておる」
ぽつりと、苦渋の極みの様にマザーはそう呟く。その言葉に自分はもちろん、ゲイルさんですら驚きを隠せない。当たり前だ。この状況をひっくり返せる可能性がまだあるというのだから。
「ほ、本当かマザー……?」
「うむ…………我としては……絶対にさせたくはなかった方法じゃがの……」
「っ! 教えてくれ、マザー! この状況を何とか出来るなら何だってしてみせる!」
藁にもすがる思いでそう告げる。このままここで死ぬなら何だってしてみせる。そんな自分の覚悟は
「お主がDBになること……それだけじゃ」
そんな意味不明なマザーの言葉によって木端微塵に砕かれてしまった。
「……悪い、よく聞こえなかったんだが……?」
「じゃから何度も言わせるな! お主自身がDBになること……それができれば何とかなると言っておるのじゃ」
「ふ、ふざけんなああああ!? こんな時に冗談言ってる場合か!? 石を口説くどころじゃねえぞ!?」
今の状況が何のその。マザーを掴み上げながら叫ぶしかない。当たり前だ。こっちは真面目にやってるのどういうつもりなのか。挙句の果てに自分がDBになる。いよいよ自分は人間ではなくなってしまうらしい。かつての石を口説くが子供だましに思えるレベル。
「冗談など言うわけがなかろう!? そもそもこれは我にとっても禁忌……羅刹剣などとは比べ物にならぬ手段なのだぞ!?」
「な、何だよそれ……お前一体何を」
「ふん……どっちにしろ、もう遅い。それを行うにはどうしても時間がかかる……どれだけ早くても一分か。その間、あれが我らを見逃すことはあり得ん」
お手上げだとばかりにマザーはそう吐露する。唯我独尊。常に慢心し自信に満ちているはずのマザーでしてももう手遅れなのだと。キングは未だこちらの様子を窺っているのか、それともキングの身体に限界が近づいているのか。動こうとしていない。しかしこちらが動きを見せれば瞬時に襲い掛かってくるだろう。そうなれば詰み。
「なら……その時間をオレが稼げば……」
「無理じゃの。ゲイル、お主が命を賭して時間を稼いだとしても一分も持たん。その後、アキが殺されるだけじゃ」
ゲイルさんの決死の覚悟すらもマザーは残酷に切り捨てる。無駄でしかないと。エリクシルで回復したとはいえ、ゲイルさんの強さが変わったわけではない。今の戦気と羅刹の浸食を纏ったキング相手では一分も持たせられない。どうやっても一手足りない。完全な詰み。覆すことができない現実と絶望。だがそれを前にしてもマザーは狼狽えない。何故なら
「ならその役目……私にお任せください、マザー様」
マザーは自分に知らぬ間に、既にその手を繰り出していたのだから。
崩壊しかけたジンの塔に、もう一人乱入者が現れる。その手にあるもう一つのワープロードに導かれて。その名の通り、雪のような冷静さと同時に相反する忠義を持つ深雪の騎士。この戦いの終末に相応しい最後の一人。
「ふむ……どうやら最後の一手が間に合ったらしいの」
『ディープスノー』
今ここに全ての役者が揃う。ジンの塔。エンクレイムの最終節が始まろうとしていた――――