日が暮れるのが遅くなってきたせいか、時間の感覚がずれているらしい。
何となく時間を確認してみたら、6時を過ぎていた。
流石に少し休憩しよう。デスクワークばかりで疲れたし。
ぐっと背筋を伸ばして、凝り固まった体をほぐす。
「あ、終わりましたか?」
不意に、声がかけられる。
声の方を向けば、彼女のオッドアイと目があった。
高垣楓、トップアイドルの一人で、数少ない俺の担当アイドルだ。
「どうしました? もう仕事は無いでしょう?」
「はい。だから、プロデューサーと飲もうと思って、来ちゃいました」
「そうですか……」
ニッコリと笑って、飲みに誘うアイドル。
少し呆れながら窓を見ると、太陽がやっと姿を隠しきった。
残りの仕事は今日終わらせる必要は無いので、特に断る理由は無い。
「ま、いいでしょう。久しぶりですし、ね」
「ふふ、そう言ってくれると信じてました」
少し意味深な笑みを浮かべるちひろさんに会釈しつつ、帰りの支度をする。
楽しそうに飲みたいお酒を挙げる楓さんと一緒に街を歩く。
「このひさしをくぐるのも久しぶりですね、ふふ」
「忙しかったですからね」
トップアイドルは多忙で、俺もそこまで暇なわけじゃない。
他のアイドルの都合もあるし、こうやって飲みに来る機会は少ない。
それでもまあ、ひと月に1度は来ているのだが。
「プロデューサーはいつものでいいですよね」
「ええ、いいですよ」
いつもの店で、いつものように一杯。この関係も、長く続いている。
何気なく、仕事の話をしたり、世間話をしたり。
「そういえば、もうエイプリルフールですね」
「もうそんな季節ですか、またちひろさんが踊るのでしょうか」
「次はプロデューサーの番かもしれませんよ?」
それは無いですね、と二人で笑う。
いつの間にか飲み干した杯に、酒を注ぐ。
「あ、お酌しましょうか?」
「トップアイドルの酌とは、ファンにばれたらどうなるやら」
軽口を言いつつも、激したところは無く、静かに飲み続ける。
「プロデューサー……」
夜もたけなわ、流石の俺たちにも酔いが回ってきたころ。
楓さんが口を開いて、言いづらそうに言葉を濁す。
珍しい彼女の様子に、唇を濡らす程度の酒を飲んで次の言葉を待つ。
「こんな場で言うのもあれですけど……私、感謝しています」
その言葉に、薄く笑んで応える。
どう受け取ったのか、目をそらして拗ねたようにグラスをあおる。
「私もですよ、楓さん」
「どういう、意味でしょうか?」
「高垣楓というアイドルを、プロデュースできていることにいつも感謝しています」
かなり、酔いが回っているらしい。
俺らしくもなく饒舌な口の端を釣り上げて、グラスを干す。
「時々思います。俺が担当していいのか、なんて」
「私は、プロデューサーでよかったと思っています」
「はは、ありがとうございます」
平行線らしい。そういうことで、この場は終わらせるのがいいだろう。
「まぁ、他の奴に渡す気もありませんが」
間に合わなかったらしい。いやはや、節操のない口だ。
目をぱちくりとする楓さんは可愛いが、それとは話が別だ。
「忘れてください」
「……いいえ、忘れません」
「困ったな……」
嬉しそうな彼女には悪いが、失言である。
プロデューサーがそんな発言をしたとばれたら……特に何もないが。
むしろ昨今のアイドルはプロデューサーと結婚が当然である。
「恥ずかしいんですってば」
「いいえ、忘れません」
子供のような頑固さと、大人らしい強かさを持った楓さんは強敵だ。
ため息をついて、助けを求めるように新しいビンを開ける。
……いけるか? 試してみるか。
「楓さん」
「何でしょう?」
「少し早めの、エイプリルフールということにしましょう」
不思議そうに首をかしげる楓さん。
自分でネタを解説するのも嫌だが、背に腹は代えられない。
人差し指を立てて、唇に寄せる。
「ですから、人には言いふらさないでください」
「……ふふっ。はい、わかりました」
何とか説得に成功したらしい。
これで酒の席で口を滑らせたことを知るのは、俺と楓さんだけ。
まぁ、それも悪くないだろう。
「もう一本いきましょうか」
「そうですね、飲まないとやってられません」
嬉しそうにお酒を飲む楓さんと目を合わせると、どちらともなく笑みがこぼれた。
もう少しだけ、この距離が惜しいと思っているだけだから。
いつか関係が変わったとしても、それはなるようになるだろう。
限定奏が出ました