チックタックチックタックと、腕時計が音を立てている。
少女が、僕の肩に頭をのせて、スヤスヤと眠っている。
どうにも、この少女は、一緒に居ると時間の感覚が狂うと言われている。
僕はそう感じたことは無いのだけれど。
まぁ、彼女と一緒ならどれだけでも過ごせそうだとは思う。
夏も半ば過ぎ去り、木漏れ日が柔らかくなってきたこんな季節には、特に。
中庭の陽気は丁度良く、こんなゆっくりとした時間は、とても惜しい。
だけれども、時間とは人を待たずに過ぎるものだ。
「撮影の時間だよ、藍子。ほら、起きて」
「……むにゅ、あれ。……私、寝ちゃってましたか?」
「うん」
そう言って、彼女の頭を持ち上げる。
そうでもしないとキミはなかなか起きないんだから、そうむくれないで。
言葉に出すことは無く、さっさと立ち上がる。
もしかしたら、こんな人間だから、彼女とゆっくりできないのかな。
「ほら、行くよ」
「あ、ちょっと待ってくださいぃ」
まだ寝ぼけている彼女の手を引いて、スタジオまで歩いた。
ゆっくりできる時間をとっている分、スケジュールは過密気味だ。
移動時間までゆっくりしている暇はない。
スタッフと直前の打ち合わせをして、撮影に入る。
彼女らしい、自然体の姿にピントを合わせて、フィルムに焼き付けられていく。
成長したな。なんて、年寄りみたいに思う。
彼女らしさは、アイドルらしさに。アイドルらしさが、彼女らしさに。
アイドルの藍子と、いつもの藍子に、隔たりはもうほとんど無い。
高森藍子というアイドルは、ほぼ完成していると言っていいだろう。
だが、まだ足りない。人気が、ではなく、何かパーツが足りない。
まるでピカソがキュビズムを使っていないような、そんな違和感。
彼女の魅力を、僕は完全に引き出せていない。
……いっそ、担当をおりてみようか?
考えるまでもなく、馬鹿らしい。他に誰がやれるというのか。
首を振って思考をリセットして、撮影の終わった藍子に近寄る。
「次は、ポジパでラジオだから」
「あ、はい。じゃあ、ありがとうございました!」
スタッフ一人一人に挨拶していくから、その分もスケジュールには入っている。
放っておくと会話を始めるので、その前に連れて行かないと。
次のスタジオからはユニットでの行動になるから、僕はいったん離脱。
あとは本田Pに任せて、僕は事務所に戻ってスケジュールの調整をする。
できる限り藍子と一緒に行動してるから、スキマ時間で仮組みしている。
藍子のスケジュールは1週間単位で微調整を繰り返している。
実際にスタジオ入りの時間などを変えているわけじゃないけど。
僕が藍子と一緒に行動できる時間を主に調整している。
他の人に任せると、俗に言うゆるふわ空間に取り込まれてしまうから。
僕自身の事務仕事もあるので、結構大事なことなのだ。
「プロデューサーさん、藍子ちゃんが帰ってきましたよ」
「ん、ありがとう」
ちひろさんに言われて、モニターから目線を上げる。
時間は予定よりちょっと遅いくらい。
これから仕事は入れてないし、予想内なので問題は無し。
「おかえり」
「はい、ただいまです。プロデューサーさん」
ニコッと笑いながら、返事をする藍子。
「帰りだよね。送ろうか」
「……プロデューサーさん。一緒に、散歩に行きませんか?」
突然の申し出に、少し驚く。
脳内で事務仕事の進捗を確認。うん、問題ないかな。
いいよ、と返すと嬉しそうにトイカメラを取り出して、僕の手を取った。
「さっきそこの公園に可愛いネコちゃんがいたんです。早く行きましょう♪」
返事する間もなく、僕はなされるがままに彼女についていく。
こんなに急いでいる彼女は初めてだ。そんなに撮りたかったのなら帰り道に……。
そう思っていると、彼女が急に止まった。
「……?」
「プロデューサーさん、何か悩んでますよね」
僕も足を止めると、彼女は振り返ってそう言った。
悩み……? どういう事だろうか。
「今日の撮影の時、難しそうな顔をしてませんでした? 私が力になれるなら、何でも言ってくださいね」
手を腰に当てて、どこか怒ったようにそんなことを言う。
これは参った。撮影しながら他のことに気をとられていたのか。
少し呆れながら、気にしなくていいと首を振る。
「きっと、大丈夫」
「そう、ですか? ううん、プロデューサーさんが言うなら、そうですよね♪」
ニッコリと笑って、恥ずかしいことを言ってくれる。
信頼されているのは嬉しいけれども、流石に無条件すぎやしないだろうか。
「藍子」
「何でしょう?」
「どうしたい?」
藍子は顎をつまんで考え込む素振りを見せ、すぐにやめた。
困ったように笑って、もう一度僕の手を取りなおした。
「いつかも言いましたけど……私、プロデューサーさんの手が好きです」
僕は身長が低いせいか、体温が高い。
年中を通して温かい僕の手を、藍子は陽だまりのようだと言ったことがある。
「温かいのはもちろんですけど。なにより、私をどこへだって連れて行ってくれるんです。アイドルの世界に、ステージの上に、仲間たちの所に、私の知らない所に」
確かに、僕は良く彼女の手を引いて連れていく。
いつぞや渋谷Pに「犬の散歩じゃあるまいし」などと言われたが。
そういえば、初めての時もそうだった。
事務所の色んなものに興味を示す藍子の手を握って、中庭に連れ出した。
「だから、プロデューサーさんのしたいようにして、良いんですよ♪」
その時も、とても嬉しそうな顔で、僕の手を握り締めていた。
「藍子」
「どうしました?」
「今度の撮影、中庭でやろう」
僕の唐突な提案に、彼女は眼を大きく見開いて驚いた。
と思ったら、すぐに笑顔になって、嬉しそうに「はい」と言った。
「連れて行って、くれるんですね」
「うん、きっと」
何となくわかった。
僕は、彼女のゆるふわ空間に頭まで浸っていたらしい。
彼女の一番魅力的な姿に気づくのが、あまりに遅すぎるのだから、間違いない。
当たらないかなー
いつかは買うけど、当たったら嬉しい