魔剣物語外伝 語られざる物語   作:一般貧弱魔剣

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戦乱が続くドラグナール大陸は、いつ終わるとも知れぬ平和ならざる時を刻み続けていた。『乾いた戦争』などと揶揄されるこの戦争が続いてもう60と余年、既に平和を知るもの少なく、当たり前に生きるということが難しい時代となってしまった。

 

だが、それでも比較的という文言はつくが、平穏な風景を残す国もあった。

 

ここ、『学院』もその一つである。

 

「うん、中々にいい書き出しになりそうだ」

 

会心の出来と言わんばかりに、笑みを浮かべる老婆がいた。背は一般的な成人女性に比べて少し高いぐらいだろうか。見た目は老齢であるが背はピシッと伸び、不潔さを感じさせない程度には身だしなみに気を使っていると印象づけられる。羽織っている外套はくすんでいるが、女の持つ独特の雰囲気に妙に調和していた。

 

そして手には、紙とペンを携えており何やらガリガリと書きなぐっている。

 

「天候にも恵まれた。旅立ちの日はやはり、陽気な心持ちであるべきさね」

 

空には雲一つない、まさに快晴というべきだろう。洗濯物を干す女性の姿や、元気に駆け回る子供の姿がチラホラとある。

 

「うん、うん。旅立ちには良き日だね」

 

「なーにが良き日だ馬鹿が」

 

ふと、彼の隣りに座るものがいた。金の髪、幼い容貌ながら人形のように整った顔立ち。正しく美少女といえる少女がそこにはあった。

 

「おや、これはこれは学院長殿。本日もご機嫌麗しゅうお過ごしで御座いますかな?」

 

「お前がろくでもないこと考えてなきゃな」

 

「ホホホ、心外ですな。私が悪だくみでもしているとお思いで?」

 

「ハッハッハッ、お前が悪だくみしてないときなんてあったか?」

 

一見して、和気藹々としているかのようにも見える二人であるが、その実彼らを知るものであればその視線に火花が飛び散る剣呑な雰囲気であると分かるだろう。

 

「毎年の予算案での手回し、不自然な資金流出、その他諸々……忘れたとは言わせねぇぞクソババア」

 

「さあて、何のことやら。それから、私はまだまだ若いつもりであります故ババア扱いは納得できませぬな。年齢という点であればそちらの方が余程ババアで御座いましょう?」

 

「蜂の巣にするぞコノヤロウ」

 

「おお怖い、『開闢の錬金術師』の脅しなど、私には恐ろしすぎて心の臓腑が止まってしまいますぞ?」

 

「お前がその程度でくたばるタマかよ」

 

そう言って、少女ことカリオストロは胡座をかいて片肘をついた。女性にしては行儀の悪い格好であるが、彼女にとってはそんなものは気にするべくもないこと。それに、隣の老婆に対して、今更取り繕うほどの仲でもなかったからでもあった。

 

「行くのか?」

 

「ええ」

 

「考え直す気は?」

 

「こればかりは、どうにも」

 

溜息を一つ。彼女は老婆とそれなりに長い付き合いではあったが、今日ほどこの女が頑なに見えた日はなかった。

 

「全く。このオレ様に挨拶もなしに出ていこうなんて何考えてやがる」

 

「お互い、立場というものがあります故」

 

「とっくに隠居してるだろうが」

 

「未だ私を頼る者も多いのですよ。特に評議会の連中はね」

 

彼女らはこの学院において敵同士である。それも、政治上ではそれぞれ派閥のトップとも言うべき立場だ。

 

「面倒なもんだ、積み上げてきたもので縛られるってのは」

 

「ですが、それもまた貴女の成果が齎したものでしょう」

 

「あー、いい加減その敬語やめろ。どうせここにはオレ様とお前しかいないんだからな」

 

「……それも、そうさね」

 

「こうして私的に話すのも、随分と久々だ。お前が研究者をやめて飛び出してったとき以来か?」

 

かつて、二人は同志であった。世界の秘奥を覗かんとし、互いに切磋琢磨して情熱を注ぎ込んだ。その熱量はやがて、この学問の総本山たる学院さえも揺るがすものへと発展していった。研究は加速し、目覚ましい速度で新たな理論が確立されていった。

 

やがて、一人は大陸最高の錬金術師となった。

 

「その日からだったな。お前がオレ様から離れていったのは」

 

「……私は届かなかった。世の神秘の深奥、それを解き明かすのが私の一番の夢だった。そして、あれほど焦がれたものにあんたが到達した時は嫉妬で狂いそうだったよ」

 

「だろうな、お前が羨望の眼差しでオレ様を見てたのは知ってるよ」

 

「研究で見返そうともした、だがダメだった。あんたを超えることはついぞ、できなかった。だから、私は妥協してしまったのさ。せめて、何か一つでもお前に勝ちたいと」

 

「その果てが、政治の中枢を握ることだったわけかよ」

 

かつて同志であった二人は、政治の場で敵対者となった。研究をより発展させるために研究者の上へ立った彼女と、学園の運営のため、文官の上へ立った彼女。そして、魔物が跋扈する政治の舞台裏を渡ってきた女に、彼女はさんざん煮え湯を飲まされてきた。

 

「情けねぇ、かつてこのオレ様に唯一追いすがった女の成れの果てがこれとはな。お前が一番、学問の徒にとっての辛いことが分かってたはずじゃねぇかよ」

 

「それだけ、私にはあの敗北が堪えたのさ。皆があんたを賞賛した、『開闢の錬金術師』とね。今じゃ私があんたの対抗馬と目されてたなんて、知ってるやつは殆どいないだろうさ」

 

老いた彼女には、最早立ち上がれるだけの力がなかった。されどその妄執はどうしようもなく、誰よりも研究者の辛さを分かっていた女を、その辛さを強いる立場の者へと変えてしまった。意見を交えより高みを目指そうとしていたはずの二人が、今や予算の奪い合いで言い争うばかり。

 

「私にはあんたが最大の友であり、同時に最大の敵だった。それだけは、誰にも譲りたくはなかった。あんたの好敵手たる立場だけは、ね」

 

「ハッ。だったらせめて、同じ土俵でやれってんだよ。比較における同一条件なんてのは、研究の基礎の基礎だろ。そんなことまで忘れやがったのか?」

 

「……ああ、そうだな。私も、それだけ耄碌したということだろう。所詮、全て私の自己満足、一人芝居に過ぎなかったんだ」

 

ふと、彼女は女の横顔を見た。もう随分とシワが増え、骨ばった姿になってしまった。頭も白髪で覆われ、かつての凛々しい女の姿は見るべくもない。寂しげな眼差しをした老婆が、そこにはいた。

 

女は立ち上がり、脇に置かれていたトランクを拾い上げ、幅広の帽子を目深に被ると。

 

「それじゃあね、老害は静かに去るとしようか」

 

そう言って、その場をあとにしようとする。

 

「待て」

 

だが、彼女はそれを認めない。このまま別れるのは、認められるはずがない。

 

「……悪いが、これ以上は引き止めないでくれ。余計に惨めだ」

 

「まあ聞けよ。お前はオレ様が歯牙にもかけてないとでも思ってたんだろうが、オレ様にとっちゃ、お前は最高の同志であり――」

 

――大嫌いな好敵手でもあったんだぜ?

 

「……っ!」

 

「忘れるなよ」

 

「……ああ、……忘れないさ」

 

女は、振り向くこと無く去っていった。街路に一滴の雨を残して。

 

 

 

 

 

学院の出口が近づいてくると、見知った顔があった。彼女が後進として育てた若手の青年政治家だ。大方、既に引き払った屋敷の使用人から事情を聞いて、急ぎ足でこちらへやってきたのだろうと看破する。少々息があがっているのが見て取れた。

 

「先生、本当に行かれるのですか?」

 

「権力も手にした、家庭ももった、富も積み上げた。これ以上は望むべくもないさ」

 

「だからって、全部置いていく必要なんて……」

 

「どうせ死ねば持ってゆけぬものばかりだ。夫も逝ってしまった、最早未練はないよ」

 

最後の楔とも言えた男が没した今、彼女を縛るものは、もうこの学院には存在しない。最後の未練も、先程精算してしまった。

 

「私はもう、あらゆるものを手にした。ならば最後は全てを手放し、身一つでの冒険こそが相応しいと思わないかい?」

 

そう言って笑みを浮かべてウインクする老婆が、彼にはまるで若々しい少女に見えた。それは、双肩にかかった全てを手放す気楽さ故か。或いは長らく欲していたものを期せずして手に入れたが故か。

 

「……ご意思を曲げるおつもりはない、ということですか……」

 

「まあ、長年の夢でもあったからね。叡智を積み上げた後に世界に繰り出し、様々なものを見聞し解明する。大分歳を食ってしまったが、まだまだやれると思ってるさ」

 

生来の負けず嫌いな気質が、今更になって表へと出てしまったらしい。愉快そうに語る師の姿を見るのは、彼も初めてであった。評議会の者らでさえ、きっと見たことのないものだろう。

 

(ま、どうせならあの大馬鹿者たる我が孫が、どこまでやれるかは見てみたくはあったがねぇ)

 

思い浮かべるのは、家を出ていった孫のことだ。政治の道に進むのを嫌い、身一つで錬金術の研究者になると飛び出していった時は愚か者めと思ったものだが、いつの間にやらカリオストロに信頼される立場となっていた時は驚いたものだった。

 

カリオストロはかつての同志の孫だからといって、手元に置くような人物ではない。それこそ、彼女から信頼を得るに足りる成果を出せねばならないのだ。そして、それを彼は成し遂げたということだろう。相変わらず資金難で喘いでるようだったが。

 

(大した才はないが、あれは面白いやつだ。若輩の身ながら私を出し抜いたのはあいつぐらいだろうさ)

 

お人好しなところが少々問題ではあるが、と内心で付け加える。夢破れた先達としては、彼がどこまでいけるのか興味はあったが、それを見届けるにはもう老いが過ぎた。

 

「……さて、そろそろ行くとしようか」

 

名残惜しみながら、学院の街並みを見やる。人生の大半を過ごした街を離れるのだ、寂しくないはずもなし。何より、かつての最大の好敵手に敗れたまま去ることが、今更ながら口惜しくもあった。

 

(……いや。どうせなら最後にあいつに意趣返しの一つでもしてやるか)

 

このまま負けたまま引き下がるのも、なんだか悔しい。そう思った彼は、急に紙とペンを取り出し、紙上にペンを走らせてゆく。そして書き終わったそれを、丁寧に折りたたんだ。

 

「最後に一つ、頼みたいことがある」

 

「何でしょう?」

 

「この手紙を、あいつに届けて欲しい」

 

 

 

 

 

学院から一人の老婆が去った翌日。

 

「で、オレ様に届けに来たってわけか」

 

カリオストロは、執務室で受け取った手紙をひらひらと弄んでいた。

 

「何だってんだ? 今更くだらないことを書いてくるとは思えねぇけど」

 

頭に疑問符を浮かべつつ、手紙を開いて内容に目を通す。

 

「……は、ハハハハハハハ! こいつは傑作だ! あの野郎やっぱ根っこは変わっちゃいねぇ!」

 

誰も居ないことをいいことに、部屋中に響くほど大笑いする。それ程、手紙の内容は愉快だった。

 

書かれていたのは、ただ一文。

 

『私は、お前より先に世界の果てを見に行くとしよう』

 

「あーくそ、先を越された! こんだけ悔しい思いをしたのはいつぶりだ!?」

 

かつて、二人で夜が更けるまで論じあった、世界の果てとはどんなものかという下らないもの。だが、探求という命題に取り憑かれた二人にとってはそれもまた未知への挑戦だ。

 

そしてそれを先んじられたのだ、悔しくないはずがない。

 

「まあ、いいさ。先を越されちまったのは癪だが、追いつけないわけじゃねぇ」

 

彼女が自由に振る舞うには、今の世界情勢は窮屈にすぎる。そしてそれを打ち崩す算段は、すでにできている。ならば、焦らずゆっくりとやればいい。それからでも、遅くはないはずだ。

 

(待ってろよ、全部片付けたらすぐに追いついてやる。それまで、くたばるんじゃないぜ?)

 

これからのことを考えながら、カリオストロは一人、笑みを浮かべた。




ダイスによる各ステータス
武勇:46 魔力:83 統率:39
政治:66 財力:88 天運:36
年齢:76

時間軸:リプレイより少し前ぐらい、あるいは平行世界

人物背景:カリオストロとかつて研究者として競い合っていた人物。活動していた期間はそれほど長くはないが、腹を割って話せる程度には互いを認めていた。

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