月の女王
その日、共和国本土ズムシティにて、共和国議会議事堂は大荒れに荒れていた。
議員達は互いに怒声や罵声を浴びせかけ、空中には投げつけられた物が舞い、議長の静粛を求める声は狂騒に掻き消されていく。
共和国副首相オレグは、議員席で頭を抱えながらどうやってこの混乱を収拾すべきか、頭を悩ませていた。
(全く、バハロ首相がいないからと言ってここまでの醜態を晒すのか、我らは…!?)
内心そう、自分を含めた共和国議員の不甲斐無さに忸怩たる思いを抱きつつ、オレグはそもそもの事の発端を思い出していた。
切っ掛けは、戦時臨時予算審議の最中であった。
戦時中と言う事もあり、挙国一致体制の元で議論は粛々と進み、問題なく可決される筈であった…。
しかし、1人の若い議員が登壇に立った事で風向きは変わり、最初は話がいつ終わるのかと眠たげな眼を擦っていた議員の多くも、途中からはこれが国会中継されているのにも関わらず、演説を中止する様に罵声や怒声を浴びせかけたのである。
だが、若い議員の演説は周囲の圧力にも屈する事なく、寧ろマイクの前で益々ヒートアップしていった。
「で、あるからして!私が調べた所によりますと、現在この国が戦場に投入している兵士達は凡そ1,200万人、毎秒実に45億もの戦費が費やされています」
「計算では、後4日続けば国家予算が吹き飛んでします!それでも、ここに居る議員の皆様方はこう言うのですか『得られるモノからすれば、蚊の涙』と『ささやかなり』そう国民の前で言うんですか」
引っ込めー!売国奴めー!連合のスパイ野郎!!幾ら貰ったんだ?
「静粛に、静粛に!神聖な議会の場を何と心得るのかー!?」
嵐の海の様に(この表現がコロニー国家で通じるか分からないが)、揺れ動く議事堂内で木槌を激しく叩く議長の頼り無い声は掻き消され、最早誰にも制御不能であった。
結局、この日の議会は審議不能と言う事で、オレグ副首相の権限で一旦閉幕となり、議員達は強制的に議事堂から退出させられたのである。
これは、戦時中の国家にとってあるまじき醜態であり、オレグ副首相にとっても政治的に苦い禍根を残す事となった。
議会が散々な結果に終わる中、その頃旧ダイクン邸に置かれた大本営の一室にて、共和国バハロ首相は機密回線でとある人物と極秘の会談を行なっていた。
「お初にお目にかかりますかな。メラニー夫人とお呼びしても?」
「いいえ私めの事はどうか“ビスト“と、それかマーサでも構いませんは」
モニターの前にいる妙齢の女性、足を組み妖艶な空気をモニター越しからでも漂わせる彼女こそ現在グラナダのアナハイム・エレクトロニクス社の社長メラニー・ヒュー・カーバインの奥方であり、かの高名な“ビスト財団“の一人娘でもある。
その名をマーサ・ビストといい、結婚してもカーバイン性を名乗らず“ビスト“の名を堂々と使う彼女は、人々から「月の女王」と恐れられていた。
「で、マーサ夫人。緊急のご用件とは一体なんでしょう」
バハロ首相は座り心地のいいソファーに深く座り直し、余裕綽々と言った風を装う。
何しろ相手はあの“ビスト“である、地球圏の政財界に大きく関わる大物一族が、自分に一体何の用かと内心ではこの会談を楽しんでいた。
「今の私はしがない商人の妻でございます、ならば夫と会社の一助となるべくと有る商品を買っていただく為に、こうしてお目通りを願った次第でございます」
芝居がかった口調でさも夫を支える健気な良妻を装うマーサ夫人、しかしその彼女は結婚後長く、夫とは別居状態にある事は有名な話であった。
何でもフォン・ブラウンには、会社の資金とビスト財団の権力で作らせた豪華な邸宅に住み、夜毎政財界の大物や著名人を呼んでの豪奢なパーティーが開かれ、次々と入れ替わる恋人達とその豪華な生活ぶりは、月の社交会で羨望の眼差しを集めている。
実はこの会談の初めに、バハロ首相は嘘をついた。
マーサ・ビストと会ったのは、実は今回が初めてでは無い。
彼女が、月や地球の別荘で開いたパーティーに何度か参加する機会があり、その時に簡単な挨拶を交わしていたのだ。
最もその時のバハロは一介の外交官に過ぎず、当のマーサの目には入らなかったであろう事は、想像に難くない。
「マーサ夫人、商品と言われましても中身の分からぬ物に一体どんな値段をつけろと」
「値段についてはお客様次第、と今は申しましょう。ただこれは間違いなく貴方様が必要とされるものでございます」
こうして互いにのらりくらりと交わしつつも、会談を初めて暫くの時間が過ぎでも、一向に進展は無かった。
外交官として地球圏を駆けずりまわり、数々の言葉の刃を切り交わしてきた自分と対等に渡り合ういや時には凌駕して見せるマーサ夫人に、バハロ首相は内心下を巻いた。
この無為とも思える時間だけでも、相手が単なる放蕩娘の社長夫人では無く、手強い政治家であると認識を改める。
「いい加減商品の中身について教えてくれませんかな、マーサ夫人」
このままでは埒が明かないと、ソファーから身を乗り出してバハロ首相は敢えて自分から本題を切り出す。
売り手と買い手がいる以上両者の関係は決して対等では無い以上、だからこそ買い手の興味を引く為に商人は凡ゆる手を尽くのだ、例えば話を長引かせて相手を焦らせるとか。
「あら私めとした事が、少々お話が長すぎましたわね」
相変わらず優雅に足を組み、妖艶な笑みをたたえるマーサ夫人は余裕の態度を崩さない。
「現在、我が社が共和国に対し多額の融資を行なっている事はご存知ですわよね?」
「知っているとも、そのお陰で我が国はここまでやって来れたのだ。まさか感謝して欲しい訳でもあるまい」
「ああ〜ですがバハロ首相、我が社はもうこれ以上共和国に対し融資を致しかねます。理由はそう…財政と予算審議の不透明性、でいかがでしょう?」
或いは戦時国債債務不履行による信用格付けの下落、とまで言われ初めてバハロ首相の右の眉がピクトと動く。
このアナハイム社の突然の裏切りとでも言うべき態度の豹変に、彼は注意深くその真意を問いただす。
「何をして欲しいのかねアナハイムは、いや“貴女“はビスト夫人」
「流石はバハロ首相話が早い、有り体に言ってしまえば一時休戦のご提案ですわ」
「休戦ですと?」
思いもしなかった提案にバハロ首相は訝しむ、このタイミングでの休戦は共和国に利が無いばかりか、例え脅されたとしても議会の承認は得られない事は確実であったからだ。
「残念ながら夫人、それは受け入れられない。私1人で決められる事ではないからだ」
何よりも国家の利益にならないと、そう付け加えるバハロ首相だがそれでも女の態度に変わりはない。
「ええ、そうですともそうですとも。ですがバハロ首相、貴方の今後の為にも今このタイミングでの和平がベストの筈ですわ」
マーサ・ビストがその理由を話そうとして、それを遮るようにバハロ首相はそれまでの受け身の姿勢から一転して、語気を荒げ激昂した風にソファーから少し腰を浮かせる。
「そもそもだ、アナハイム社が我が国を裏切ると言うのならば、こちらにも断固たる態度を示さねばならない」
「グラナダは元より今や月の過半は我が軍の制圧化にある。それは貴女がお住まいのフォン・ブラウンとて変わりはない」
如何に地球圏で影響力を持つビスト財団と勢力を増すアナハイム社とて、単純な軍事力と言う力の前では無力にも等しい。
古来より金満な勢力が、暴力の前に膝を屈しそのまま飲み込まれた例は、後をたたないのである。
「オホホホホ、お言葉が強いことで。しかし私めの心配する事はその“軍事力“でございます」
だが力による脅しでも暖簾に腕押しのようで、寧ろマーサ・ビストはバハロ首相に対し教え諭すかの様な口調で言った。
「古来より、戦場で戦功を上げた軍人が帰国後国を乗っ取った例は枚挙いとまがありません。まして共和国は今まさに国家の興廃をかけた大作戦を行い、九分九厘成功しつつあります」
「きっと戦果を上げられた軍人達は栄誉と国民からの大きな支持を得るでしょうね?首相ご本人を凌ぐ程の」
それはあからさまに宇宙艦隊初代司令長官ティアンム大将の事を指していた、だからバハロ首相は余裕であった。
その彼を見出したのは自分自身であり、他の蛇蝎の様な軍事や提督とは違い彼ほどの清廉実直な軍人を、今までバハロ首相は見たことが無かったのである。
「ティアンム大将の事を言っているのならば無用だ、彼ほど今の軍で信用できる者はおらん」
「果たしてそうでしょうか?人は変わるものでございます、まして今そのティアンム提督の手元には全軍の半分があり、この瞬間にも月をご自身の手で掌握しようとしています」
「どんなに清廉潔白な人物でも誘惑に駆られまいとは思われません、例え本人が望まずとも周囲の者がそう思えば…」
そこまで言われてバハロ首相も押し黙ってしまう、ティアンム大将への信頼は変わらないが、その周囲には謀反の芽が燻っている事は明らかであった。
本土防衛艦隊を長らく預かるジーン・コリニー提督は共和国本土でも影響力が強く、常にその策謀の糸を張り巡らせている。
彼の策謀に巻き込まれる形で、ティアンム大将が利用されるかもしれない。
或いはグリーン・ワイアット提督も名家出身故に政財界に顔が効き、彼らが結託すればティアンム大将を担ぎ上げるなど容易であった。
バハロ首相の心配はまるで中世の国王や独裁国家の独裁者の様だが、偉大なダイクン亡き後その思想を否定し大粛清にまで走った共和国には、政治と軍事の不安定なバランスの上で成り立つ権威主義体制の実態とは、つまりはこの様なものである。
「盟友を裏切りたくないと言う気持ちは分かります、ですがこのままではお二人とも不幸な結末を迎えてしまうでしょう」
「ですからこれは、助ける為に行うのです。それしかこの先に道はございません」
バハロ首相の心の揺れに漬け込むように、マーサ・ビストの甘い毒の言葉が耳から体の中に広がる。
普段のバハロ首相であればこの様な佞言、決して耳を貸さなかっただろう。
しかしながら人類史上未曾有の規模で行われる国家総力戦の中で、首相と言う業務と手強い軍との舵取りを強いられるバハロ首相の心身は、確実に蝕まれていた。
例え本人にその自覚が無くとも、恐ろしい魔女の様なマーサ・ビストはこと“男“の心身については実体験を通じてよく承知していたのである。
最初から、この極秘会談が行われた時点で全てが彼女の掌の上であったのだ、他愛のない会話気を持たせう態度立ち振る舞い言葉遣い醸し出す雰囲気、全てが計算されバハロ首相の心身を知らず知らずに蝕んだのであった。
こうして、全てが彼女が思う通りに運んだのである…。
会談から暫くして、フォン・ブラウンの邸宅でソファーにリラックスした姿勢で身を横たえたマーサ・ビストは1人優雅にワイングラスを傾けていた。
彼女が寛いでいる所に、また地球からの極秘回線が入ってくる。
『上手くいきましたかね、マーサおば様』
画面の前に現れたアズラエルは、そこまで言って思わず「う」と漏らしそうになるのを堪えた。
ソファーに身を横たえたマーサは年齢を加味すれば、かなり布地の薄いドレスの際どい格好であったからだ。
「あらアズラエル坊や、お耳が早いこと」
『揶揄わないで頂きたい、もう僕も“貴女“もそんな年齢ではありませんよ』
貴女もと言う所を強調するアズラエル、少なくとも彼女との年齢差は確実に一回り以上はある。
しかしワイングラスを置いたマーサは気にする風もなく、寧ろ面白がる風にわざと足を組み直し薄い生地のドレスがチラリと、艶かしい足元を一瞬だが表した。
到底その年齢には見えない白い肌艶とキメの細かさの為に、見てしまったアズラエルは昔の火遊びを思い出し、内心で冷や汗を垂らす。
「月は退屈よ、遊びに来ない」
『もう間も無く僕もそちらに上がりますよ、その時にはご挨拶に伺います』
「ではその時に約束のモノを、楽しみにしているは坊や」
最初と同様にアズラエルから一方的に通信が切られ、邸宅内に静けさが戻る。
「まだまだお若いこと」
マーサ・ビストはクスリと笑いワイングラスを再び手に取って、中身を一気に煽る。
最初、地球のムルタ・アズラエルからいきなり休戦の仲介を頼まれた時、彼女は最初それを断るつもりであった。
連合軍が月を支配した時、フォン・ブラウンには手を出さなかったものの、しかしながらそれ以上もしなかったからである。
だがすぐに考え直し、月での利益配分や利権の分前の話に乗ったふりをして、彼女はアズラエルの仲介庵に乗ったフリをした。
その真に目的とする所は、言うなれば地球圏における不安定な均衡を保つ事である。
アナハイム社は戦争によって急速に軍産複合体として成長し、戦後は月の表と裏の2つに分たれた社の統合は確実であった。
しかしその時に、宇宙や地球圏の支配が単独の勢力に占められていては、それ以上の成長は望めない。
だからこそ、戦後を睨んで地球圏の不安定化を画策し、彼方此方に紛争の火種を残そうとしたのである。
アナハイム社の成長は彼女の力であり、翻っては自身をビストから追い出した実家に対する優越と、地球圏の経済的支配こそが彼女の目的であった。
それが彼女流の、「男社会」に対する復讐なのであるからして、目的を果たすまで決して止まれないのである。
その姿こそ、彼女が嫌う「男」そのものであったとしても。