32話
32話「女スパイ、潜入」
L3宙域に浮かぶ一基のコロニー、名をヘリオポリスと言いこのコロニーは中立国オーブの所有物でありまた戦火とは無縁の存在であった。
だがその裏では地球連合と結託し、極秘裏にMS開発とそれを運用する新造艦の建造を進めていた。
しかしそんな事を知らぬ多くのヘリオポリス市民は、今日も昨日と変わらない平穏な日常が来るものと信じていた…。
ヘリオポリスの工業区に居を構えるモルゲンレーテ社は、その高い技術力から地球圏でも有数の企業でありまたオーブの国策会社としても有名であった。
その一角にある研究施設において、連合軍と共同で極秘裏のMS開発が進められていた。
既に5機のMSが完成し、後はそれを動かすOS(オペレーション・システム)の完成を待つのみであったが、その開発に難航していた。
何故なら反プラント・コーディネイターを掲げる連合ではコーディネイターがOSの開発に関わる事を良しとせず、彼等を凡ゆる機密関係の部署から排除してしまっていたのだ。
しかしながら研究が滞っている間にも前線では多くの兵士の命が散っており、一刻も早い完成が急がれていた。
この前線と政治との板挟みの中、連合国内部での開発が難しいのなら外部での開発も止むなしと言う意見が出てくるのも当然の流れと言えた。
その白羽の矢が立ったのがモルゲンレーテであり、武装中立を維持したいオーブの思惑もあり彼等は極秘裏にヘリオポリスコロニーで開発を進めていた。
しかし古来秘密は隠し通せるものではなく、特にスペースノイド達のホームであるコロニーでは尚更の事であった。
オーブと言う国は中立を旨とし、今次大戦において多数の移民や難民を受け入れている。
その中には当然コーディネイターやスペースノイドも含まれているが、ミハルもまたその中の一人である。
彼女はモルゲンレーテ社から社内の清掃を委託された清掃会社に勤めているが、元々彼女はオーブ国民ではなく両親はL4にあった東アジア共和国のコロニーに住んでいた。
しかし資源衛星「新星」を巡るザフトと連合軍の戦いにコロニーが巻き込まれて両親と死別し、幼い弟と妹の2人を抱えたまま住む家を失ったのである。
そうして紆余曲折の末、漸く難民として受け入れてくれる国がありそれこそが中立国オーブであった。
しかしオーブとて多数の難民をタダで養ってくれる訳も無く、難民の自立支援の一環として国内企業に規模に応じて一定の難民雇用枠が設けら、ミハル達はそこに押し込まれたのである。
幸い職場の人達はミハルとその家族がスペースノイドだからと言って差別する様な事は無かったが、矢張り多くのスペースノイドが元いたコロニーや生活に戻りたいと今も強く願っていた。
さて今日も朝早くから出社したミハルは、作業服に着替え台車に清掃用具を乗せて施設内の割り当てられた清掃箇所に向かう。
暫く社内の廊下の隅っこの方を選んで進んでいると、2人組のやけにガタイの良い胸にモルゲンレーテの社章を身につけた男達とすれ違った。
すれ違う時少しだけ会釈し、何食わぬ顔で通り過ぎるがミハルだが、内心彼女は彼等の正体に気がついていた。
いや、そもそもこれは半ば公然の秘密と言って良い事だ、明らかに社内の人間と比べて不自然な人間がここ最近増えており、しかも皆同じ様にガタイが良いのだ。
社長の趣味が変わったのでなければ、明らかに何かしらの訓練、しかも胸や腰に隠した拳銃から堅気の存在では無い。
(やっぱり、連合軍と連んでいるって噂は本当だったのね)
そうこうするうちに、今日もいつもの現場へとたどり着いた。
「おお今日も早いねミハルちゃん」
「おはようございます」
とミハルと挨拶を交わす男、ここ最近しょっちゅう顔を合わせているのでもはやこのやりとりも手馴れたものだ。
「じゃ、いつものだけど調べさせて貰うよ。今日は新人も来てるんだ」
研究区画への清掃の際は必ず手荷物検査をする事が義務付けられており、此処まではいつもの事なのだが今日はそれとは別に隣には見慣れぬこれまたガタイの良い男が立っていた。
明らかに、先ほどすれ違った男達と同じ雰囲気を纏っている。
「はい、いつものね。今日は少し遠いから早くしてね」
なんてミハルが茶化しげに言っても、新人の男はクスリともせずに熱心に掃除用具の中を調べる。
「すまないね、コイツ愛想が悪くて。何分今日が初めてなんだ」
「良いんですよ、私こういうの気にしませんから」
そうは言うものの、ミハルは内心高まる鼓動を抑えるのに必死であった。
(バレないでバレないでバレないで!)
ミハルはこの日の為に警備の配置や交代のタイミング、監視カメラの位置に目に見えない警備システムなど中の事は調べ上げていた。
中に入れさえすれば後は上手く行くのだ、だからここが最後の関門であり此処をどうにかくぐり抜けられる様ミハルは祈っていた。
「…通っていいぞ」
「だろ、俺が言った通りミハルちゃんは大丈夫だって。あの娘は真面目なんだから」
「規則ですから」
「俺は知ってるんだ、あの娘はな戦争で住むところを無くした可哀想な娘なんだ。しかもあんな細腕で弟と妹を養ってるんんだぞ」
「それでも、規則は規則です」
男と新人がそんなやり取りをしている側をミハルは静かに通り抜けながら、内心ほっと一安心していた。
さて検問をくぐり抜け、研究区画に入るとミハルは掃除をしながら段々と奥の方へと進んでいく。
途中何人かの研究員達とすれ違ったが、皆ミハルの事など全く気付く素振りさえ見せず、ミハルもまた普段通りの仕事を装っていた。
「スケジュールよりも遅れてる。これじゃ下手したら来年までかかるぞ」
「しかし、これ以上社内で済ませるには…矢張りシミュレーター上での試験だけでは…」
彼等にとって一々掃除人の事など気にかける余裕などないのだ。
そして目的の場所に辿り着くと、ミハルは静かに少しだけドアを開けて影の様にドアの向こうへと滑り込んだ。
中は暗く冷凍庫の様に冷えており、幾つものコードで接続された機械が蠢く音と僅かな光だけを頼りにミハルは早速“仕事”にとりかかった。
と言ってもミハルのやる事は簡単である、持ち込んだ装置を接続するだけであり、作業自体は5分と掛からずにすんだ。
後はこの装置を帰る時に回収するだけであり、そしてその後はいつもの場所に持っていくだけ。
それが済んだらまた自分たち姉弟姉妹は又元の暮らしに戻れる…はず。
少なくとも、自分にこの仕事を依頼した男はそう約束してくれた。
だから今ミハルは危険な橋を渡っている。
入る時と同様影の様に部屋から出て後は普段通りの清掃を行い、それが終わると帰る途中で装置を回収。
そして何食わぬ顔で今日で会うのが最後になるかもしれない検問所の男と挨拶を交わし、モルゲンレーテ社を後にした。
ミハルは、帰りのエレカの中で今日取り付けた装置を少しだけ見た後再び運転に戻る。
これの中に何が入っているのかなど重要ではない。
ただ一つ、重要なのはこれと引き換えに彼女達は故郷があるL4のコロニーに戻れるという事だ。
(これが済んだら、今日はパーティーだね。今まで我慢した分、うんと使わなくちゃ)
ミハルは気持ちエレカのアクセルを強く踏み、帰り道を急いだ。
時にヘリオポリスその崩壊の3日前の事である。