45話「ザンジバル」
アラビア半島の東側、ペルシャ湾とホラムズ海峡に面したドバイ近郊の空港から、一隻の船が飛び立っていた。
奇妙な事にその船は国籍を示すマークが塗り潰されており、いったい何処の船なのか全く見当がつかない。
ドバイ空港から飛び立ったザンジバル艦長、ブライト・ノア中尉は緊張な面持ちを隠さないでいた。
彼は昨年任官したばかりの新米士官だが、実を言うとクルーの大半が彼の様な新米士官や新兵で構成されていた。
それ以外は予備役からの再招集組であったり、他少数のお目付役兼子守としての正規兵が混じっていた。
何故この様なクルーの構成かと言うと、要は新米将校へ経験を積ませる為の一種の教育であった。
現在共和国では大規模な宇宙軍の増強が行われているが、いかに船を多く建造してもそれを扱う人間の教育が間に合って居ないと言う状況であり、その為こうした中立国への訪問と言う比較的危険度の薄い任務を回して、経験不足を少しでも補おうとしているのだ。
さて現在、ザンジバルはブライトを始めとした新米将校達のみで運行していた。
「オスカー、マーカー、付近の様子はどうか?天候は崩れていないか」
「現在付近に敵影及び不審物無し、天候も比較的安定しています」
「また雷に打たれるんじゃ無いかって心配してるんですか?」
雷の話題を出され、ブライトはその時の事を思い出して恥ずかしさで顔を赤くした。
大気圏突入後、ザンジバルは乱気流に巻き込まれ雷に打たれてしまう。
始めて地球を見るブライトを始めとした当時の艦橋クルーは、雷を敵の新兵器と勘違いしてしまい総員に第一種戦闘配置を命じてしまった。
そのあと、地球帰りの正規兵達にこっ酷く叱られたのだが、今でも時折その事を揶揄われているのだ。
「おう、元気にやっとるかお前達」
とブライト達の背後から声をかける男がいた。
見た目は齢30を過ぎた頃か、口元には立派な髭を生やし身体も引き締まっており、正に軍人として油の乗り切った頃合いだ。
「ラル大尉!ブリッジにはどの様なご用件で?」
ブライトがラルと呼ぶこの男、ランバ・ラルは今回の汎ムスリム会議訪問に対するお目付役兼監督役であった。
彼は共和国では高名なラル家の当主であり、在りし日のダイクンの右腕として活躍したジンバ・ラルの息子である。
本人はこの戦争までは元々予備役の身であったが、とある事情から地球に精通し特にゲリラ戦に長じていた。
その為正規兵からも一目置かれ、彼等から尊敬を勝ち取っており、ブライトも今回の航海ではその経験に大いに助けられている。
ブライト達の役目は何も汎ムスリム会議へのご機嫌伺いだけでなく、この歴戦の古強者をアフリカへと届ける事であり、ある意味此処からが本番と言えた。
「何、思いの外暇なのでな。貴様らがしっかりやっとるかこうして見に来たという訳だ」
と快活に笑うラル大尉、この時はオペレーターのオスカーとマーカーは無意識にシートの位置を調整した。
それをラルは目ざとく見つけ、オスカーとマーカーに向かって。
「貴様ら、まだその癖が治らんのか?」
と呆れた声を出した。
2人はバツが悪そうに頭を掻きながら、ラルに言い訳する。
「いや〜オペレーターはシートが命と言いますか〜」
「こう、ずっと座っているとジャストフィットするものじゃ無いと、どうも尻がムズムズしまして」
余り懲りた様子の無い2人に、ラルは内心(こりゃダメだ)と溜息をついた。
通常オペレーターは長時間勤務の為、この2人の他に交代要員もいるのだが、この2人は別の人間がシートに座るのを酷く嫌がるのだ。
何でも「座る人間事に尻の形と身体のラインが違って、一度別の人間の形をクッションが覚えてしまうと、元に戻るのに時間がかかり、その間注意力を阻害される」と言うのだ。
普通はこんな我侭など軍隊では許されないのだが、何をどうした事かこの2人はオペレーターとして酷く優秀な分類に入ってしまっている。
実際昨年の実戦を想定したオペレーターの卒業試験では、過去最高得点を更新し2人とも首位と言うあり得ない成績を叩き出したのだ。
今回の航海でも、大気圏突入時に突入進路と同じコースで侵入するデブリを誰よりも発見し、進路が妨害されるのを未然に防いでいる。
あとで聞いてみれば、それは熟練したオペレーターでも見つけるのに苦労するサイズの物であり、この2人の非凡な才能を証明していた。
「それでラル大尉、例の件なのですが…」
とブライトは声を潜め、耳打ちする様にラルに例の事を相談しようとした。
ブライトが越えのトーンを落と、内証話をしようとしたので、オスカーやマーカーを始めとしたブリッジクルーは仕事に専念しているフリをして、耳に神経を集中し側耳を立てた。
だがしかし…。
「指揮官は部下の前では背筋を伸ばさんか!士官たるもの常に堂々として胸を張れ」
とラルはブライトの背中を強く叩いて喝を入れた。
「えほごほえほ」
ブライトは背中を叩かれた衝撃で、一瞬肺の中の空気が全て外に出てしまい、咳き込む。
「ラ、ラル大尉⁉︎そうおっしゃるのなら、もう少しこの船の艦長に対する敬意と言うものを…⁉︎」
「何をまだまだ艦長は嘴の黄色いヒヨッコですよ。艦長が今少し頼り甲斐のある男に成長したら考えますがな」
と笑いながらブリッジを後にした。
ブライトは後になった話を誤魔化されたと気付き、ほぞを噛んだ。
ブリッジから出たランバ・ラルは、ブライトが切り出そうとした話について考えていた。
(ガーベイめ、厄介事を押し付けてくれたな)
彼等は出港する直前、ガーベイ氏から極秘の回線でとある要請を受けていた。
その内容はアラビア半島に侵入した木馬の排除であり、当然それは彼等の領分を遥か超えた範囲の問題であった、しかし…。
(司令部も司令部だ、こんな要請を承認するなど戦場を政治のオモチャか何かと勘違いしてやいないか?)
ガーベイは裏から手を回し、地上軍司令部と既に話をつけていたのだ、その為ラルは内心怒り心頭であるのだ。
彼はザンジバルの通路を格納庫の方へ向け歩きながら、どうやってヒヨッコ共を守るかに知恵を絞らせていた。
さて自分達が政治的な生贄にされそうになっている事を知らないアークエンジェルでは、エンジンの修理を終え試運転が行われていた。
「回路接続完了、エネルギー供給30%で安定」
「どう?行けそう」
マリュー・ラミアス艦長は祈るような気持ちでいたが、機関室からの返事はあまり要領を得たものでは無かった。
「正直分かりません、本来ならばドック入りの所を何とかしたに過ぎませんからテストしないと何とも…」
「良いわ、やって頂戴」
マリューの指示でテストが始まり、アークエンジェルのエンジンが始動し始め、大気を震わせる轟音が鳴り響く。
エンジンを動かしている機関長はその音から、まだ本調子で無い事を見て取ったが、しかし現状出来うる限りの手は尽くしていた。
その為、後は運を天に任せるのみなのだが、生憎とここコズミック・イラの宗教は失墜して久しく、彼等を助けてくれる様な神の存在はあまり期待出来なかった。
アークエンジェルが修理したエンジンを動かそうと四苦八苦している最中、等々アークエンジェルを発見してしまったザンジバルからランバ・ラル大尉率いるMSが出撃しようとしていた。
ザンジバルのMSハンガーで、ランバ・ラルはブリッジのブライトキャプテンと通信を繋いだ。
「ブライトキャプテン、分かっているな?」
「はい、あくまで我々は木馬をここから追い出すだけで良いんですね。それ以上は流石にガーベイも追及できませんし、司令部への言い訳も立ちます」
ブライトがほぼ満点の回答をした事で、ラルはこの若い士官の将来が楽しみです堪らなかった。
その若い芽が芽吹くまでの間、彼の様な古参が守ってやらねばならなかったのだ。
「行けるなアコース、コズン!」
「了解であります、ラル大尉」
「再び大尉の下で戦えて光栄です」
ハイザックに乗った古くからの部下達が、そう心強い返事を返す。
現在ザンジバルにはラル隊の3機しかMSが存在せず、彼等だけでアークエンジェルとそのMS及び支援機を相手取らなければならなかった。
「さて、この機体で何処までやれるかものか…」
「良し、ランバ・ラル隊出るぞ!」
ザンジバルの艦底部ハッチが開き、眼下に高速で移動する砂漠が広がる。
そこから勢いよく、ラル隊は飛び出した。
一方ブリッジでもラル隊の出撃を確認し、ブライトは彼等を支援するドダイの出撃を命じた。
「ラル隊の出撃を確認、現在降下中です」
「よし、ドダイ射出。MS隊を援護するぞ」
オスカーとマーカー、2人の優秀なオペレーターにより、降下するランバ・ラル隊の速度と高度を計算してドダイが合流地点に向け、射出される。
レーダーには、降下する3つの機体に向け、射出されたドダイを示す3つの光点が向かい、それが重なり合った瞬間ブリッジは緊張に包まれた。
何故なら降下の最中でドダイと合流するのは至難の技であり、これに失敗すればラル隊のMSは砂漠に叩きつけられてしまう。
だが歴戦の勇士達であるラル隊には、この程度のこと造作も無かった。
地表に向け、前傾姿勢で降下するMSの速度を調整し、同じく急降下してくるドダイがMSを追い抜こうとする一瞬を狙い、機体に設置されたグリップを握りドダイに乗る。
こうする事によって、全く降下速度を落とさずに且つ高速での侵入を可能とする技法であり、ラル隊の練度の高さの証明であった。
ブリッジはドダイとのドッキング成功に一安心した空気が流れたが、当のラル隊はここからが本番であった。
直上から迫り来る3機のMSに、この時漸く気が付いたアークエンジェルでは警報が鳴らされ、総員に第一種戦闘配置が出された。
「直上から接近してくる機影を発見!MSです」
オペレーターからの報告に、良い加減驚いてられなくなったマリュー艦長は、強い口調で総員に命令を出した。
「総員直ちに第一種戦闘配置!機関室、エンジンはまだ動かせないの?」
アークエンジェルが戦闘配置に入る中、マリューは機関室と通信を繋ぎ彼等を急かした。
「まだ本調子じゃありません。動かすにはもう一度バラさないと」
「そんな時間はありません、直ぐにでも機関を始動しここから離れます。その間今出来ることでなるべく対処なさい」
「ああもう、無茶苦茶だ!」
と機関長から悲鳴が上がるが、ここで無理をしなければ今度こそ本当にアークエンジェルは沈められてしまうだろう。
ここまで来て、アークエンジェルにとって最大の脅威が迫ってきていた。
「ゴットフリート、バリアント、砲身仰角最大まで上げ。ウォンバットは敵MSが乗っている支援機に照準合わせ!」
ナタル・バジルール中尉も此処が正念場と考え、必死に応戦準備を整えるがそれに応えるクルーの反応が遅い。
(くっ!矢張り疲労と緊張で士気が落ちている、このままでは…)
アークエンジェルは此処までの行程で、ザフトのみならず共和国と交互に交戦を重ねて来ており、一瞬たりとも気が休まる時が無かった。
アフリカで砂漠の虎を降したは良いものの、その勝利の余韻がまだ残る中での襲撃と被弾、そして夜を徹しての修理作業と周囲への警戒。
これでどうにかならない人間はおかしいとさえ言える状況に、今のクルーは追いやられているのだ。
そんな状況で撃ち上げられる対空砲火は当然精彩を欠き、その隙に急降下するラル隊。
「よし頃合いだ、コズン、アコース『目眩し』発射!」
アークエンジェルまでの距離が狭まり、ラルは部下達に『目眩し』発射の指示を出す。
ドダイ正面のミサイル発射口から次々とロケットが飛び出し、アークエンジェルのイーゲルシュテルンがそれを迎撃しようと弾幕をはる。
イーゲルシュテルンに迎撃されたロケットが炸裂し、周囲に強烈な光を放つ。
「な、何この光は?」
「閃光弾だと、なんて原始的な⁉︎」
まるでフラッシュアウトにあったかのように、視界が眩しさで塞がれたマリューとナタルは同時にそう叫ぶ。
「光学、熱源、レーダー共に全て機能停止。チャフも同時にばら撒かれた模様!」
「NJ濃度も急速に上昇!チャフの霧のせいで視界ロスト!」
アークエンジェルの視界は完全に奪われ、狙いを定められないイーゲルシュテルンが空く対空砲火を上げていた。
そして安全に効果するラル達は、ブライト達のさり気ない支援に舌を巻いていた。
「ほお、こちらが仕掛けたと同時にNJを散布したか。なかなかどうして、あの若造ヤルではないか」
そう言いながらも、このままアークエンジェルに取り付くかに見えた時、チャフの霧の中から1発のビームが飛び、ラルの機体を掠める。
そして霧の中から同時に2つの機影、キラ・ヤマトのストライクとフラガのスカイグラスパーが飛び出す。
「ふふ、これこそ戦場よ。予定通り儂がMSを頂く、お前達は他の敵を抑えるんだ!」
「「了解!」」
ラルはドダイから降りてストライクのほうへと向かい、コズンとアコースはドダイに乗ったままスカイグラスパーへと向かった。
こうして、砂漠を部隊にアークエンジェルと共和国との戦いの第二幕が切って落とされたのである。