67話「愚者」
プラント本国からの増援艦隊を率いるハインツ・ホト・マシュタインは、御年60半ばを越えザフトでも珍しい老年の指揮官であった。
彼はコーディネイターではなくナチュラルであり、しかも元ユーラシア連邦の軍人であったと言う大変珍しい経歴の持ち主である。
其の彼が何故ザフトに参加しているかと言う問いに対してはここでは述べないが、しかし唯一つ言えることはこの老人はが極めて優秀な指揮官であると言う事だ。
マシュタインは戦場に到着するまでの間、本国から与えられた戦況情報だけに満足せずに様々な手段と方法で独自の情報を集めていた。
彼は他の誰よりも情報を制する者が戦場を制する事を知っていた、その為増援艦隊が戦場に到達した時彼は誰よりも早く決断していた。
「マシュタイン隊長、このまま撤退するとはどう言う事ですか!!」
増援艦隊旗艦アドラー号のブリッジに荒々しく足を踏み入れた青年は、マシュタインに掴みかからんばかりの剣幕でそう叫んだ。
「ナイブズくん、私は君よりも3倍以上長く生きている。その私から言わせれば人生にはそう大声を出すようなことはそうそうないと思えるがね?」
「では申し上げます、何故今すぐ敵と戦い続けている味方の戦列に加わらないのですか?しかもあまつさえじぶんたちだけ逃げ支度を始めるなど、プラントに対する裏切り行為ではありませんか!」
ナイブズがそう叫ぶたび、彼の顔はひきつり目元はピクピクと激しく痙攣していた。
一方のマシュタインは至って静かな表情をし、まるで聞き分けの悪い生徒に教え諭すような口調で言った。
「何故戦闘に加わらないのか?簡単だよナイブズくん、我々は既に負けているからだ」
ナイブズはマシュタインが「負ける」と口にした時、今までで一番顔をひきつらせた。
「私はここに来てまず真っ先にマウゼル隊長とパールス隊長の部隊と接触した。そして彼らの様子を具に観察するに、最早我々は勝機を逸している。だから撤退するのだ」
マシュタインはまるで大学で教授が学生に講義するように、理路整然とその理由をあげた。
前線の長期間の戦闘により戦力が欠乏ぎみであり、戦線を維持できていないこと。
万全の補給を約束したはずのボアズ要塞では、物資が不足しなんら補給があてにできないこと。
二分された指揮系統によって全体の統一した作戦指揮が行えず、無駄に戦力を浪費してしまっていること。
今更戦闘に参加しても、単に戦力を消耗するだけで何の成果も得られないこと。
それよりも、今撤退し体勢を建て直し少しでも余力を残すことこそが現状取りうるベターな選択であること。
そして最後にナイブズに対し、「ここまでは分かるかね?」と言った。
しかし...。
「!?話になりませんな、この事は本国に報告させていただく」
そう吐き捨てナイブズは来た時と同様に、荒々しくブリッジを後にした。
ナイブズが出ていった事で、ブリッジ内にはホッとした空気が漏れた。
そのクルーの誰も彼もが、厄介者がいなくなった事に清々したといった様子であった。
ここまでの航海の途中でも、マシュタイン隊長とナイブズは度々ぶつかる事があり、そうしたさい必ずといっていいほどナイブズはマシュタインに対して無礼な態度をとるのだ。
尊敬する上官を侮辱され、その為ナイブズは旗艦のクルーはおろか、マシュタイン貴下の部下達全員から嫌われていた。
最も当の本人はそれに気付いているのか分からないが、非常に彼らのストレスになっていることは確かだ。
プラント本国いや今やザフトの支配者として君臨し、近い将来最高評議会議長となるであろうパトリック・ザラ。
そのザラ派からオブザーバーと言う名目で送り込まれたナイブズは、言わば獅子身中の虫である。
お目付け役として、逐一マシュタインやその部下の様子や態度、言動の一つに至るまで報告し非常に目障りなことこの上なかったのだ。
「マウゼルとパールスとは連絡は取れたのか?」
ナイブズが居たときとはうってかわって、プロの軍人としての表情に切り替わったマシュタインは、早速オペレーターにそう聞いた。
「はい、マウゼル隊長とは連絡は取れました。向こうでも準備を進めるそうです、ですが...」
と途中でいい淀むオペレーター、その様子に不審に思ったマシュタインは続きを促した。
「ですがパールス隊長とは連絡こそ取れたものの、なんら返答はありませんでした」
「何?」
この時、マシュタインの頭のなかでは嫌な予想がたっていた。
彼は出来ればそれが外れてほしいと願いつつも、オペレーターの次の言葉でそれが打ち砕かれる事となる。
「こちらの再三に渡る通信には一向に答えようとしません、しかし向こうからは一方的な作戦の参加要求だけが出る始末で...」
つまりこんな状況になってもまだパールスは戦い続けようと言うのだ。
「バカな自殺行為だ!パールスは現状を正しく認識出来ていないのか!?」
マシュタインはこの時パールスの嫌な噂を思い出していた、パールスは決まりごとや規則などは執拗に守り、それらを部下に強制させる非常に杓子定規な人物であった。
つまりパールスの中ではいまだに本国から出された命令は続行中であり、状況の変化にたいし何ら手を打っていないのだ。
現状時間がたてばたつほど自分達の不利になっていき、一刻も早く戦場から離脱せねばならなかった。
「今すぐパールスと直接話す必要があるな、奴との通信を急いで繋ぐんだ!」
だがこの時マシュタインが想像だにしていなかった方向から、事態は急変する。
ルナツーのワッケイン司令率いる艦隊は、慌ただしく出港準備を整えていた。
サラミスやアレキサンドリアのエンジンに外付け式のロケットブースターが取り付け作業が進められるなか、ワッケインは旗艦レナウンから要塞のティアンム提督に出撃前の最後の通信を繋いでいた。
「提督、有り難うございます。提督が本国まで直訴して頂いたお陰で、こうして出撃出来る機会を得ました」
「ワッケイン司令、感謝を述べるのは全てが終わってからだ。これから我々は新生共和国艦隊初の任務を迎える。この正否によって共和国の運命は変わるのだ」
「は、承知しております。吉報をお待ちください」
そうしてルナツーとの通信を終え、艦隊が次々とルナツーを離れる。
その様子をティアンム提督以下大勢の将兵が見送るなか、共和国の命運をかけた作戦が始まろうとしていた。
艦隊は直接コンペイトウに向かうのではなく、その逆の方向である月へと進路を取った。
より正確に言うならば、月の重力圏を掠める形でワッケインは艦隊を進めた。
月の重力圏に侵入したワッケイン艦隊は、当然の事ながらプトレマイオス基地の地球連合軍にもその存在を知られる事となる。
連合軍は当初これを単なる示威行為として見ていた。
何故なら月からでもコンペイトウの戦いの様子は観測でき、共和国が苦戦しているのが分かっていたからだ。
その為、月の裏側で共和国の勢力が減衰することをみこし、連合軍は色々な方法でグラナダの共和国軍を刺激していた。
それに対して、過敏に反応した共和国がわざわざ穴蔵から艦隊を繰り出してきたのだから、これ幸いとばかりに敵のデータ収集でもするかと呑気に構えていたのだ。
その油断こそ、ワッケインが浸けこむ隙となる。
ワッケインは古くから伝わる宇宙間航法を利用し、月の重力圏内を使ってのスイングバイを慣行した。
宇宙戦艦が自由に宇宙を行き来する現代、まさか誰もこんな方法で月を通過するなどとは思っても見なかったのだ。
月の裏側から表側へと重力の加速に従い、一気に連合軍が支配する月の表側へと侵入するワッケイン艦隊。
その進路上には、当然の事ながら連合軍プトレマイオス基地が存在した。
これに慌てふためいた連合軍は、虎の子の艦隊を出撃させて侵入を阻止しようと試みたが、しかしタイミングを見計らったワッケインは全艦に外部ブースターの点火を命じる。
ルナツーでつけられたそれは、この時の為だけに用意されたものであり、連合軍が艦隊を展開し終える前にワッケイン艦隊はブースターの加速によって一気に駆け抜けた。
そして悠々と、プトレマイオス基地と連合軍の真上を通過したワッケイン艦隊は、月の重力圏を離れ再び虚空へと姿を消す。
ここまで虚仮にされて、一部連合艦隊が追撃しようとしたが、ワッケインはそれさえも見越し、途中で外部ブースターをパージさせ連合軍の追撃を妨害。
再び行方を眩ます事に成功したのだ。
それから2日の間、ワッケイン艦隊はその所在を誰にも知られることなく密かにマウゼル艦隊の後方に展開を完了。
それは、マシュタインが直接パールスの所に乗り込んで直談判を始めようとした時の事であった。