69話「家族」
コンペイトウ攻略部隊の撤退準備を進めていたマシュタイン達だが、その一方で敵陣奥深くに侵攻したパールス艦隊と連絡が取れない状態が続いていた。
マシュタインは何度も呼び掛けたが、その都度返事はなく彼等の焦燥感を煽った。
「一体パールスはどこにいるのだ?」
とマシュタインが疑問を口にしたとき、通信担当のオペレーターが自分達に向けて送られたメッセージの受信に成功した。
暗号化されていないそれをオペレーターは直ちに出力し、紙面でそれをマシュタインに渡した。
如何に文明が進歩しようとも、何かしら物理的な方法で情報を残すことの重要性は、旧世紀から何らかわりはない。
寧ろNJによる致命的なデータ破壊によって、益々その重要性は増していると言えよう。
マシュタインは渡された紙面を読み進めていく内に、段々とその表情が険しくなる。
そして最後まで読み終えた彼は、それを手の中でクシャクシャにして握りつぶした。
その態度に、ブリッジにいたクルーは皆一様に驚いた。
普段の彼は部下達から非公式ながら「ホト爺」と呼ばれ、滅多に怒らないことで有名であった。
彼を古くから良く知る者は、彼がこうまだ感情を露にした姿を見たことがない。
紙面の内容はこの普段穏やかだがしかし威厳のある宿老を怒らせる程の、何かが書かれていた事になる。
「発信元はキャッチ出来たか」
マシュタインがそう言ったときには、彼はいつもの普段通りの様子に戻ったかに見えた。
「はい、場所の特定は出来ましたが...」
「ならば艦をそこに向け移動させる」
その命令に、誰もが一瞬聞き間違いかと思った。
しかしマシュタインの様子からそれが彼等の聞き間違いで無いことも、またそれが誤って出されたもので無いことを証明していた。
(普段のマシュタイン隊長ならこんな無茶な命令は出さない筈なのに...!?一体パールスはどんな内容を送ったんだ?)
彼らはここにいないパールスを恨みつつ、マシュタインの部下らしく素早くしかし確実な動作で命令を忠実にこなした。
後世、この行動によってマシュタインは長らく批判される事となる。
一軍の指揮官が、部下を置いて独断専行してしまったことについては、近代から連面と続く軍秩序の中にいるものからすれば、これはあり得ない事であった。
結果として、マシュタインのこの行動は最悪の結末を迎える事となる。
昭明を落とされただデスクの明かりだけが部屋の中を照らす中、とある命令書の前に焦燥したパールスが椅子にもたれ掛かるように座っていた。
彼の顔は、この1ヶ月あまりの戦闘で様変わりしていた。
目元には熊が浮かび、目は寝不足の為充血し頬は疲労とストレスの為痩せこけていた。
だらしなく開かれた襟には汗と垢で汚れ、もう何日もクリーニングや服を替えた様子がない。
部屋の中は汚れていたが、しかしアルコール類が転がっていないのが唯一の救いと言えた。
彼がこうまで追い詰められている理由には、目の前に置かれた命令書が関係する。
それはプラント本国から増援が送られると決定されたと同時に、パールスに届けられたものだ。
その内容は『増援艦隊と共にコンペイトウを攻略せよ、不可能ならば可能な限り徹底した破壊を行うべし』と要約すればそう書かれていた。
開戦以来殆ど負けなしのザフトにあって、敗北や後退はあり得ない事とされた。
かつて月で起きたグリマルディ戦役においても、連合軍のサイクロプスにより甚大な被害を受け侵攻できなくなったザフトは、撤退と言う言葉を使わずに『転進』の二文字を使った。
そして敗北の事実を隠すため、当時の指揮官達は皆過酷な最前線に送られるか、或いは本国から遠く離れたアステロイドベルトの監視任務につけられた。
事実を口にするもの、或いはリークしようとするものには、内部から徹底的に粛清され、グリマルディ戦役の事を口にする事じたいタブーとされたのだ。
当時自らも粛清の輪に加わり、自己の立場を守ったパールスは、同僚達の苛烈さや徹底的な追及の厳しさを他の誰よりも知っていた。
更に悪いことに命令書には最高評議会のサインと、国防委員長パトリック・ザラの名前が連名で書かれており、つまりはこの命令に背くことはプラントとザフトを裏切る事となる。
失敗すれば自身の更迭だけにすまず、自分とその家族さえ生命の危機に晒される可能性もあった。
ふとパールスは乱雑なデスクの上で、唯一つきれいにされている写真たてに目を向けた。
そこには、生まれたばかりの赤ん坊の写真が飾られていた。
婚姻統制前の第一世代であるパールスとその妻との間には、中々子供が生まれずそのどうしょうもない不満を彼は自己のキャリアを積み上げる事で発散していた。
だが開戦前にして、漸く待望の子供を授かりパールス自身内面に大きな変化があったのだ。
『我が子により良い未来を』
そのために彼は前にも増してザフト内の地位を確固たるものとし、職務に邁進してきた。
同僚を蹴落とし、ひたすら組織の忠実な犬であり続けたその背景には、全ては子供の為と言う親ならば誰でも抱く当たり前の願いと感情があったのだ。
だからこそ、今ここで全てを失う訳にはいかなかったのだ。
例え何を犠牲にしようとも、パールスはやり遂げなくては未来はなかったのだから。