71話「バックハンドブロウ」
コンペイトウへと突撃するパールス艦隊の背を、マシュタイン達は唯呆然と見ているしかなかった。
指揮官を解任されたマシュタインだが、ナイブズは一部の純血コーディネイターのみの部隊を引き抜き、それ以外のマシュタイン生え抜きの部隊には全く手をつけなかった。
と言うのも、ハーフ及び低能力コーディネイターの存在をナイブズは認めておらず、彼にとって全くいない存在として扱われたのだ。
だがナイブズのこの差別主義が一面では功をそうした面もある、それは引き続きマシュタインが彼等の隊長として以前と何ら代わりなく部隊を率いたからだ。
マシュタインは「私は増援艦隊と作戦の指揮官を解任されたのであって、この部隊の隊長職までも解任された訳ではない」と嘯いた。
確かにナイブズは最高評議会の命令でマシュタインの指揮権を剥奪したかも知れないが、今回マシュタインはわざとその命令を曲解し、自分の都合のいいように事実をねじ曲げたのだ。
ザフトの独断専行気質も、この様な場合には有効に働いた。
さて引き続き部隊を率いるマシュタインだが、彼はあくまで作戦に関わらない範囲で自らが出来ることをやろうとした。
月をスイングバイして後方を突いたワッケインと前方のエイノー艦隊に挟まれ、マウゼル艦隊は全滅したがしかしまだ生き残りは多数残っていた。
マシュタインはまず始めに、その彼らを収容する事にした。
味方を救助すると共に、指揮官亡き敗残兵を取り込むことで、次の為の布石としたかったのだ。
「この戦いは負けかもしれない、しかし我々は生きねばならないのだ」
さてこの時共和国軍から見ると、最早戦闘の趨勢は決したと見られていた。
後方からマシュタイン艦隊が到着したことは、既に知られていたがしかしそれよりも早くワッケインの包囲とマウゼル艦隊の崩壊の方が早かった。
軍事の常識として、後方に敵が表れた場合戦力に余裕があれば新たな戦線を構築するか、もしくは更に後方にに下がるかの2つである。
1ヶ月に渡る戦闘によってザフト側の物質及び兵力は欠乏し、新たな戦線を構築する余裕はなく、ワッケイン艦隊が表れた時点でザフトは全軍撤退に及ぶしか無いように思われた。
そしてコンペイトウ要塞司令部は、反撃と戦果拡大のため追撃を決定。
コンペイトウ要塞の指揮下にないワッケイン艦隊も、エイノー艦隊の動きに同調し一気に包囲の輪を狭めようとした。
この敵の反撃を全く想定していない計画は、歴戦の老将軍たるマシュタインに付け入る隙を多く与えた。
隠れていたデブリから追いやられ、必死に逃げようとするマウゼル艦隊の残党を、掃討すべくエイノー艦隊とワッケイン艦隊が功を競う様に激しい追撃を行った。
サラミスがアレキサンドリアがムサイからビーム砲が放たれる度、誰かが背中を撃たれ宇宙を短い花火で照らす。
「逃げろ、とにかくマシュタイン艦隊のところまで逃げるんだ!」
誰もが隣のものを気にかける余裕もなく、唯ひたすらに己の命を守ろうと必死にあがき、それを嘲笑うがごとく無情なビームが襲う。
最早このまま全滅するかに思えたその時...!
「今だ、主砲斉射!」
マシュタインの号令と共に、回りこんだザフト艦隊が側面からワッケイン、エイノー両艦隊の先鋒を撃ち抜く。
鼻先に強烈な一撃を食らい、混乱を建て直そうとするその隙に敗残艦隊を逃すことに成功したマシュタイン艦隊は、戦果に固執することなくあっさりとその場を後にする。
ワッケイン、エイノーの艦隊が混乱から立ち直ったときには、マシュタインは彼等に背を向け遠くに去っていた。
しかしこの程度で追撃を諦める様な共和国軍ではなかった。
側面からの奇襲によって確かに先鋒は混乱こそすれ、所詮奇襲は奇襲。
ワッケイン、エイノー両艦隊に対したダメージを負わせることは出来なかったのだ。
だが敗北から多くを学びとる共和国軍は、先ほどと同じ轍を踏むことの無いように互いの側面を守るように艦隊を慎重に進ませ始めた。
索敵機を周囲に放ち、さっきと同じ手を使ってくるてきを先に見つけようとしたのだ。
ザフトとのこれまでの戦訓から、同じ手を何度も繰り返す事を学びとった共和国軍は今度は逆に相手を罠に嵌めようとしたのだが、彼等が今相手にしている男はそんな単純な指揮官ではなかった。
「流石に対応が早いな、しかし私達は既にそこにはいないのだよ」
マシュタインは敗残兵を収容すると、そこで大胆にも今まで確保していた宙域をあっさりと放棄したのだ。
そうと知らない共和国軍は、敵を見つけようと躍起になって部隊を四方に放ち、当然のことながらそうする度戦線は薄くならざるを得ない。
そして敵が疑問に思い始め部隊を戻そうとするタイミング、つまり最も戦線が薄くなった時を見計らってマシュタインは一ヶ所に戦力を敵に叩きつけた。
「前方より高熱源多数!」
「何ぃ!」
エイノー提督は、この時驚きのあまり思わずブリッジの席から立ち上がってしまった。
そして次の瞬間轟音と振動が旗艦を襲い、思わず席から投げ出されるエイノー提督。
ビームが掠めた衝撃によって、強かに床に身体を叩きつけられたエイノー提督は、部下に助け起こされながらも状況を把握しようとした。
「何が起きた!」
「敵です!我が方の前方に敵艦隊が出現しました」
「何故誰も気づかなかった!?」
エイノー提督が怒りを滲ませながらそう思うのも無理はない、先の轍を踏まぬよう広範囲に索敵部隊を出したと言うのに、誰一人として敵を見つけることが叶わなかったのだ。
「いや違う!部隊を広く配置し過ぎたか」
エイノー提督は直ぐに自らの過ちに気が付いた、彼は敵の艦隊をワッケインよりも先に見つけようと躍起になり、広い範囲に部隊を配置した。
しかしそれだけ広いと、どうしても部隊間の隙間と言うものが生じてしまう。
本来それを補うように配置するのが理想的なのだが、しかし功をあせる余りエイノーはそこを疎かにしてしまったのだ。
「敵は此方の部隊の隙間を縫ってきたと言うのですか!?」
常識から考えれば、以下に隙間が広くなろうとも艦隊規模の浸透を許すとは到底考えられなかったのだしかし...。
「奴等は基本少数精鋭だ。艦隊や分艦隊規模ではなく、2~3隻程度の小艦隊でなら此方が仕掛けた網を掻い潜ることくらい出来る」
しかも本隊が進む先は既に索敵済み、つまり安全だと言う思い込みが生じどうしても監視の目が緩んでしまう。
エイノーはこの戦法に見覚えがあった、それは士官学校で習う戦史の講義の中にあった古い地球での戦い。
当日欧州大陸を席巻した軍隊が使った分侵合撃戦術、それを浸透戦術風にアレンジするその手法はこれまでのザフト指揮官にはない特徴であった。
「敵は恐ろしく頭が回るキツネの様に小賢しい奴だ。ワッケイン艦隊に注意しろと伝えろ!」
さてエイノー提督に「キツネ」と称されたマシュタインだが、彼も余裕があるわけではなかった。
敵の目を掻い潜って合流に成功したのは全軍の半分であり、それ以外は失敗するかそもそも浸透を断念していた。
ぶっつけ本番と言う事もあり、非常に高い練度を要求される浸透戦術を使いこなせる部隊は、いかにマシュタインの部隊とは言えそう多くはないのだ。
しかも敵本隊の撃破に時間を掛ければ、異変を察した部隊が反転して戻り此方の背後を突き逆包囲される危険性がある。
そうなる前に、マシュタインは早期に決着をつける必要があったのだ。
「雑魚には目をくれるな、敵旗艦に攻撃を集中!」
無数のビームやミサイルが漆黒の宇宙を彩り、ビームを回避しようとするスラスターノズルからの噴射炎やミサイルを迎撃しようとする対空砲火の曳光弾が照らす戦場。
両軍のMSはまるでワルツを踊るかの様に、相手の背後を取ろうとドックファイトを繰り広げる。
「気を付けろ!こいつら組織戦に馴れてやがる」
「今までのザフトとは違うぞ!」
マシュタイン隊のMSはザフトの他の部隊とは違い、複数の機体で1つのチームを組み相互に支援しあっていた。
エースが単独で突っ込んだくる今までのザフトとは、全く毛色が違っていた。
「事前のミーティングの通りだ。1機が引き付け2機が背後から狙う」
「3機が役割を交代して負担を分散するのも忘れるな」
古軍史に詳しい者が見れば、それは一表二裏と呼ばれる戦法に良く似ていた。
MSを航空機や戦車の延長線上と考え、それに準じた運用をする事が多い中、
マシュタインはさらにそこから一歩進んで歩兵戦術的な運用を模索していたのだ。
共和国軍MS隊は、今までにないMS同士の組織戦と言う物の前に勝手が上手く行かず苦戦を強いられ、逆に初めから組織戦を想定していたマシュタイン隊は、一部で共和国軍を圧倒していた。
そしてMS隊が抑えられてしまったことで、当然無防備になるエイノー艦隊は敵の激しい集中砲火に晒された。
次々と旗艦やその周辺の艦に被弾がかさみ、遂に一隻のサラミスが多数の被弾により轟沈する。
このままでは旗艦が墜とされるのも時間の問題かに思えた時、旗艦の正面にまるで盾になるようにアレキサンドリア級が割り込んだ。
「エイノー提督をヤらせる訳にはいかん、総員命を捨てろ!」
アレキサンドリア級の艦長がそう命令するなか、誰一人として逃げだそうしない。
全員が覚悟決め、ここに残っているのだ。
「あの船はどこのだれだ!誰の許可を得てあんな勝手な真似をする!」
「あの船、盾になると言うのか...。共和国軍兵士は命が惜しくないのか」
アレキサンドリア級の行動に、それぞれの指揮官が思い思いの言葉を述べるが、そうしている間にも割り込んだアレキサンドリアも次々と被弾を重ねて船体の至る所が穴だらけとなり、装甲が融解しドロドロに溶け落ちていく。
如何に重装甲に優れ耐久力に秀でたアレキサンドリア級と言えども、限界と言うものはそんざいする。
そしてその時は訪れた...。
「エンジン出力20%まで低下!間もなく本艦は全動力を喪失します」
既に各ブロックとの連絡も取れず、船内の空気残量がゼロであるため、ブリッジクルー以外全滅していた。
最早矢尽き弾折れ、満身創痍の中この船は沈もうとしていた。
「私の我が儘に最後まで付き合わせて悪かったな」
多くの部下を道連れにすることに、艦長は申し訳なさそうな顔をした。
「いいえ、艦長と戦えて光栄でした」
しかし部下達は恨み言一つもなく、船と共に運命を共にする覚悟を決めていたのだ。
ナスカ級から放たれMSハンガーデッキに飛び込んだレールガンは、貫通せずにそのまま内部を蹂躙し残ったMS用の燃料や弾薬に引火した。
そして一瞬の内に内部で膨張し、格納庫直上のブリッジに向け火柱が立ち昇る。
それは火葬に似て、ブリッジクルーを跡形もなく焼失させ後に残るのは焼け爛れ原型をとどめなくなったブリッジだけであった。
この時マシュタインはこの勇敢な敵艦の最期を、軍人としてその姿を脳裏に焼きとどめ、エイノー提督も自らの愚かさと後悔と共に記憶する事となる。
アレキサンドリア級が沈んでも戦闘は今だ止む気配を見せなかった、何故ならアレキサンドリア級が我が身を盾にして守った旗艦は健在であり、更に言えばアレキサンドリア級の最期に触発された他の艦も次々と盾となって散っていったからだ。
エイノー提督はこの時激昂し、部下達の行動を止めようとしたが、しかし誰一人としてその命令に従うことはなかった。
そして共和国軍のこの我が身を省みない行動は、さしものマシュタイン艦隊にも焦りを与えた。
数で戦術で、敵を圧倒しているにも関わらず敵が倒れる処かその抵抗は増すばかり。
有利な筈のザフトが、逆に気迫で圧倒されていたのだ。
流石にマシュタインも自分達の被害がバカにならない数になってきたとき、ブリッジにオペレーターの悲鳴を挙げるような声が響いた。
「11時の方向より敵が接近、艦隊規模です!」
「早いな、反転してくる部隊よりも先に着くとは...」
マシュタインはこの時点で勝機を逸した事を感じた。
元々無理がある計画で、これ以上の犠牲は自分達にとって望むところではなかった。
「引き上げだ、全軍に撤退信号を出せ」
攻めも鮮やかなマシュタイン艦隊は、去り際も実に見事であった。
追撃しようにも、ワッケイン艦隊に全く付け入る隙と言うものを全く与えなかったのだ。
しかもこの時ワッケインは甚大な被害を受けたエイノー艦隊を保護しなければ為らなかった。
ザフトが撤退を開始したとき、エイノー艦隊は旗艦を含め僅か3隻まで討ち減らされていたのだ。
それを見越して悠々と撤退していくザフト艦隊の背を、共和国軍は唯指を咥えて見ている事しか出来なかった。
この日たった一人で共和国軍の2つの艦隊を手玉にとって見せたマシュタインの名は、共和国軍に要注意人物として鳴り響く事となる。