刻の流れ
ヒマラヤ山脈、そこは地球アジアにあって世界最高峰たるエベレストを擁し古来から文明の十字路としてまた様々な民族宗教の霊山としてその威容を人々に示してきた。
信仰が衰退して著しい昨今においても尚、山中に数多く築かれた寺院に巡礼する信徒や修行僧の列は絶えず、その中にあるとある古い寺院に南洋同盟の総本山がある。
今や赤道連合を超えて地球各地に教徒を伸ばしつつある南洋同盟その指導者であるレヴァン・フウ僧正は、坐禅を組み1人瞑想に耽っていた。
白檀の香が立ちこめる中、静謐の中意識を集中し肉体から精神を解き放ち遥か宇宙にまでその思考を広げる。
不可思議な光の輝きが広がる空間の中、様々な過去の出来事やまだ起きていない未来の姿が光の帯となって次々と頭の中に流れ込んだ。
人間の意識と刻の狭間その光の一筋を手で掬い上げる、すると彼の目の前に炎上する水上都市リグの姿が幻視される。
白い艦とそれを追う無数のMSとの戦闘に巻き込まれた戦禍に焼ける都市、人々は逃げ惑い幼子は泣き叫び炎から逃げるべく海へ次々と身を投げる信徒達、海面を必死に泳ぐ無数の顔と頭上から崩壊した都市の残骸が火と共に降り注ぐ。
血と破壊に彩られた都市の残骸は夥しい亡骸の墓標と化し、一夜にして全てが灰燼にきす様子をまざまざと彼の脳裏に映し出されたのだ。
この時既に水上都市リグの顛末についてはハリク住職から報告されており、また共和国地上軍総司令部ジャブローからも依頼達成の通信が中立国を経由して届いていた。
結果としてリグは救われ当面の間南洋同盟とその信徒達は安全を確保し、共和国地上軍も協力の見返りとしてニューギニアに拠点を得ることになる。
レヴァン・フウ僧正は手に持った光の筋に力をこめ、泡となって消えたそれは再び“刻“の流れへと溶け込む。
彼の要請でリグは救われた、しかしその結果多くの血が流れたのもまた確かである。
それに果たして彼が幻視したそれは本当の出来事だったのか、はたまた似た別時空で起きた事だったのかは今はもう判然としない。
唯一つ言えるのは若くして教団を立ち上げ今や地球で無視できないまでに信徒とその影響力を急速に広げられた秘密は、まさに彼のこの未来を見る事が出来る能力にある。
嘗て共和国の国父である故ジオン・ズム・ダイクンが提唱した「ニュータイプ論」において、宇宙環境に適応した人間はより広い視野と認識を広げ誤解なく人と分かりあう事ができる新人類へと進化すると説いた。
ダイクンが提唱したこの理論は当時地球列強に圧迫されていたスペースノイド達に受け入れられ、寄る辺なき彼らの確かな精神的支柱として史上初の宇宙国家建設という偉業を成し遂げる原動力ともなったのである。
以来共和国ではニュータイプ研究は国家的プロジェクトとなり、長年議論されてきた宇宙移民者達の環境の影響を受けることで生ずる肉体精神面の変化に対する研究が急速に進むこととなった。
そしてその中に、当時ニュータイプ研究所の一員であったモニカ・ハンフリーに才能を見出されたレヴァン・フウの姿もあり、彼は幼くしてニュータイプ研究所に引き取られ以後長い月日をそこで過ごすことになる。
しかしながらまだニュータイプというものがどういったものなのか誰にも分からなかった時代、徒に認識機能の拡張と精神感能力を引きだす実験と訓練を施された結果、レヴァン・フウ本人の脳はニュータイプの覚醒をする前に深刻な損傷を負い、腫瘍が発覚した時には既に手の施しようが無い状態であった。
研究所に居られなくなった彼は終末治療を拒否し、余命も短い中後どもなく彷徨いそして地球にたどり着いたのである。
だが皮肉にも研究所を出てコロニーを離れ遠く地球での放浪の日々の結果、彼は自身の生命と世界との深い洞察を得て覚醒への萌芽が芽生えたのだ。
そしてそれは決して1人で成したのではなく、ある運命的な出会いによってもたらされたのである。
「何を見ておいでなのです?僧正様」
瞑想をやめ“刻“が流れる空間から現実世界へと戻ったレヴァン・フウ僧正は瞼を持ち上げた、そしてそこには1人の少女が佇んでいた。
黒褐色の肌に流れるような黒い髪は丸く2つに纏められて首の後ろに下げ、黄色の僧衣を身に纏いレヴァン僧正とはまた違った神秘的なオーラを発し碧色の双眸はここでは無い何処か遠くの事を見ているかの様に深く透き通っている。
今彼の目の前にいる少女は自身と同じ能力を生まれながらにして持ち、“刻“を見る深さにおいては自身のそれとは比較にならない。
嘗て共和国の研究所から放逐され地球を彷徨っていた時に偶然出会った“本物“のニュータイプ。
『ララァ...ララァ・スン』
ララァとの出会いを切っ掛けにレヴァン・フウは能力の覚醒に目覚め、遂には自身の余命さえ克服し彼女と同等の能力“刻“を見る力を得たのだ。
「余りお力を使いすぎると、体に障りますよ僧正様」
『心配には及ばないララァ尼僧。君の力のおかげで私の命はこうして保たれているのだから』
レヴァン・フウ僧正は言葉ではなく、脳波によってララァの心に直接語りかける。
彼は既に言葉を失っていた、しかしララァのニュータイプ能力の応用によって余命を宣告された筈のレヴァン・フウは死を克服し、脳腫瘍の進行も抑える事に成功していた。
「それでも皆、僧正様を頼りにしています。私のような女を拾い上げて下さったことだけで無く今も多くの信徒達に救いの御手を差し伸べて下さっています」
『なればこそ、この力はより良く使わなければならない。君が私を導いてくれたのと同様.....』
ララァとの出会いは彼女本人がいう通り決して幸せなものではなかった、貧しい環境で育ち持って生まれた能力ゆえ周囲から浮いて蔑まれ、また邪な者達によってその力と体を常に利用されてきた。
幼き少女の身で生きるには余りにその境遇は過酷であった、しかし放浪中のレヴァン・フウは偶然出会った彼女によって尽き掛けつつあった命を救われることとなる。
結果としてララァの能力が本物だという事が証明されレヴァンは彼女を悪人達の元から連れ出し、以後2人で修行と追手から逃れる日々を送ることとなった。
旅の日々の中で、レヴァンはララァが知らない宇宙やコロニーの話を聞かせララァもまた自分の生まれ故郷のことや幼いながらも深い洞察に満ちた会話を通し、2人は互いの瞳を通して宇宙と地球というそれぞれ異なる世界の事を我が事とすることが出来たのである。
互いが互いの事を深く誤解なく理解し合える2人の姿は正にダイクンが提唱した新人類そのものであり、その能力を発現し最初に覚醒したのはスペースノイドではなくアースノイドの少女であったと言うのは歴史の皮肉であろう。
世界を巡る旅で2人が目にした光景は、人と人が互いに分かりあうことが出来ず罵り合い傷つけあい遺伝子の都合で振り回され混乱する日々に救いを求める先が無い人々であった。
既存の宗教が支持を失い倫理や道徳観念の衰退が著しい中で、ナチュラルとコーディネイター、宇宙に住む者と地球に住む者達との対立は深くその溝は地球とコロニーの距離よりも広がり続けている。
混迷し明日を失いかけている世界で、旅を通してナチュラル、コーディネイター、アースノイド、スペースノイドの別なく多くの人々と心を交わした2人の下に、迷える衆生が集まりやがて教団を立ち上げるに至ったのは必然であったのだろう。
だがその目的は単に人々の救済を目的としたものでは無い事は、教団が今も着々と整えている軍事力が証明していた。
『今こうしている間にも、遠く冷たい暗黒の世界でアレは蠢いている。刻の流れを全て飲み込む存在を私達は決して許容するべきでは無いのだ』
レヴァン・フウとララァ・スン2人の覚醒者が共に見る“刻“は常に異なっていた、しかしある時から2人が見る刻の流れが全く同じ未来を覗かせ始める。
たった1人のその存在によって全ての刻の流れが断ち切られ握られ操られ、人類の可能性の全てが閉じてしまう未来を、2人とも幻視したのだ。
南洋同盟が自衛というには些か過剰な軍事力を蓄えているのも、全ては来るべきその時に備えての事である。
その為にレヴァンは赤道連合を内部から蚕食し信徒達からの寄進と共和国からの援助を軍事力に代え、自らの命を削ってでもより良き未来を手繰り寄せようとしていたのだ。
「仮にそれが人の運命だったとしてもですか?」
レヴァン・フウよりも遥かに優れた力を持つララァは、それを見た時からその存在には決して自身では及びもつかない事を悟っていた。
にも関わらず自身の力で保っている命を削ってまで抗おうとするレヴァンに、その意味を聞かずにはいられなかったのである。
『例え神が定めた運命でも、人が抗わない理由にはならない』
人によってこの世の地獄を見、人の光によって救われた彼は人間の可能性を信じるに足る理由があったのだ。
人間の心の温かさを守る為、例え救われた命を失う事となったとしても彼が歩みを止めることは決してなかったのである。
ガンダム書くならNTは避けても通れない話題、でも今後いっさい本編には出てこない模様。
因みに決して書かないこの作品のラスボスはフルサイコフレーム&サイコシャード完備常時サイコフィールド維持キュベレイ搭乗ハマーン・カーン様。