届け言の葉、君の音   作:姪谷凌作

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そうしてさらに数日。葵は帰りの新幹線に乗っていた。

 

茜の具合はいいらしく、切った傷が治るまで離乳食みたいなのを食べるのが楽しくないとか、声を出さないと口調を忘れそうだとか、そういったことを度々メールしてきている。

 

そして今日、病院周辺くらいなら外出してもいいと許可が下りたらしい。もちろんまだ安静が必要なので声は出せないし、固形の食べ物や刺激物系の飲み物も禁止なのだが。それでも茜は嬉しそうだったし、葵も嬉しかった。

 

「待っててね、お姉ちゃん」

 

葵は誰に言うでもなくそう呟き、動き始める座席に身を預けた。

 

 

 

 

 

『お姉ちゃん、後五分くらいでそっちにいけるよ』

『おっ、それなら病院の前で待ってるで。久しぶりのシャバやって言うとなんか刑務所みたいやな』

 

葵はビルの隙間に病院が見えてきたところでメールした。数十秒と待たずに返信が来たので、茜もメールが来るのを待ち受けていたのだろう。葵は心が躍った。

 

家に一度も帰らずに来たので、スーツケースを持ってきたままだ。葵は見えている病院が大きくなるにつれ、それを放って駆け出したくなった。

 

そして、最後の角を曲がったところで、葵はそれに気づいた。

 

病院の前で、そわそわとあたりを見回す自分そっくりの女の子。紛れもなく姉だった。

 

「お姉ちゃん!!」

 

堪らず手を振って駆け出す。茜も気づいたようだった。

 

「葵!!」

 

茜の声が、耳に届く。

 

―――あれ、お姉ちゃん。なんで大声出しているんだろう。声を出しちゃいけないはずなのに。

 

そんな疑問が頭をもたげ、自然と足が止まる。

 

その刹那、鼻先をトラックが通り過ぎる。遮られた視界が再び元に戻り、次の瞬間には膝から崩れ落ちた姉の姿が映った。

 

「気ぃつけろ!!」そう怒鳴る運転手の声を無視して、姉のもとに駆け寄る。

 

茜は口元を抑えて、激しくせき込んでいた。その指の隙間からは、血が滴っていた。

 

思考は止まらなかった。足を止めずに病院に駆け込み、助けを求める。担架で茜が運ばれ、緊急手術が始まるまで、葵はほとんど無意識だった。

 

 

 

 

 

プツリ、と手術中のランプが消えてしばらくして、麻酔で眠った茜がベッドに乗せられて運ばれてきた。

 

医者に呼ばれて、葵は診察室に入った。

 

「どうでしたか」葵は待ちきれずに尋ねた。パソコンに写真が映し出された。

 

「術後の傷が開いてしまったようです。縫うことでこれ以上傷が広がることは抑えましたが、傷が深いのでどうなるのかは明言できません」

 

喉の紅い傷が、葵にはやけに空虚な、それでいて痛々しいものに見えた。

 

「ただし」

 

「これだけ声帯に深い傷を負ってしまったので、もし声が出せるように回復したとしても、元の声とはズレが生じてしまう事が考えられますし、喉への負荷的にも声優業を続けることは不可能と思われます」

 

 

―――――え?

 

 

時が止まる。動悸だけが際限なく高まる。線がぼやけてぐにゃりとひしゃげ、医者の顔が歪む。

 

葵は無言のまま意識を失った。

 

 

 

 

 

 

混濁した意識。その中で葵が見ていたのは、唯一無二の存在である双子の姉、茜だった。

 

幼少期、"あの頃"。そして時間は大きく飛んで、二人が一緒に仕事を始めた頃。それをゆっくり、ぼんやりと眺めていた。

 

茜の声が突然でなくなったあの日まで、姉との鮮明な記憶をたどっていく。

 

そして、今日がやってくる代わりに、記憶のスライドショーは最初に戻っていく。

 

もう何度目だろうか。同じものを繰り返し見ていた。それでも飽きたなんて思わないのは、ひとえに姉のおかげだろうか。

 

否、先を見るのが怖いだけだ。私たちの"結末"を辿るのを拒否し続けるが為に、何度でも巻き戻される。

 

葵はこれが一種の走馬灯なのかと、ある意味では悟っていた。

 

ここから先に待つ結末、それは私の密かな夢、いや、私たちの密かな夢を破壊し尽くすには、十分すぎるのだろう。

 

そして多分、やっと見つけたその夢に幕を引いたのは私、葵自身なのだ。

 

事実はくっきりと頭の隅に焼き付いている。しかし、聞くことと理解ること、そして受け入れる事は違う。

 

まだその結末を見たくない、先延ばしにしたい。その一心でこの走馬灯にしがみついている。

 

ああ、嫌だな。

 

漠然とした嫌悪から抜け出せないまま、葵の意識は体へと引き戻された。

 

 

 

 

 

薬品の臭いが染みついた、あまりふかふかとは言えないベッド。葵はそこで目を覚ました。

 

どうやら寝かされていたらしい。隣には茜が寝ている。記憶の混濁は無かった。

 

窓の外を見ると、もう夕日がビルに隠れようとしていた。

 

葵はひとまずベッドから出て、近くにいた看護師に話しかけた。あの医者は今は別の患者を診ているそうなので、しばらく待ってから話を聞いた。

 

葵は内心、自分が思った以上に冷静であることに驚いていた。頭も体も、あんなことを受け入れたつもりなんてないのに、はっきりと冴えている。

 

「今日の夜ごろには麻酔が切れると思いますので、待っていかれますか」

「はい。そうします。これからの話もありますし」

 

すらすらと即答して、葵は病室へ戻った。

 

医者は夜ごろと言っていたが、茜はもう目を覚ましていた。まだ幾分かぼんやりとしているが、起き上がってこちらをみている。

 

「お姉ちゃん・・・・・」

 

姉と目が合うと同時に、今まで冷静に押し殺していたはずの涙が、堰を切ったようにあふれ出す。

 

そのまま胸に顔を埋めて泣きたかったが、強い衝撃はよくないのかもしれない、と遠慮がちに寄り添うだけしかできなかった。

 

姉の暖かい左手を握り、泣きじゃくる。茜は何を理解したのか、右手でずっと葵の頭をなで続けていた。

 

そうしてしばらくして、茜からノートが渡された。葵との会話用の、茜色のノートだ。

 

『ウチの怪我、どないやってん?』

 

予想されていたその質問に、葵はひどく恐怖した。それを告げてしまうことで茜がどのような反応をし、どのように傷つけてしまうのか、まるで見当もつかないからだった。

 

それでも、葵をじっと見つめる茜に、嘘をつくことはできなかった。嘘をついたところですぐに見抜かれてしまうことも分かっていた。

 

「もう、お仕事はできないって」

 

そう言うと同時に、また涙があふれてくる。茜は取り乱さなかった。

 

『そか。ま、なんとなくわかっとったわ。まー、葵が無事やっただけでウチは満足や』

 

『ウチもちゃっちゃと怪我直して退院できるよう頑張るから、葵もそう落ち込まんと』

 

『退院して最初の食事は葵に作って欲しいけんな。エビフライがええな』

 

いつにも増して饒舌、いや、饒筆に喋る茜が落胆と困惑を隠そうとしているのは、葵でなくてもわかるだろう。茜はそれくらい嘘や隠し事が苦手なのだ。

 

「うん、そうだね。お姉ちゃんの分も、私が頑張ってみるよ――――お大事に。お姉ちゃんも頑張ってね。ありがとう」

 

それでも、騙されるのも妹の仕事だと必死に言い聞かせて、葵は部屋を後にした。

 

暗く青白い廊下は、二人の未来を示しているかのようだった。

 

 

 

 

憂い。

 

寝ても覚めても、状況も気分も変わらない。普段通りに六時に目覚ましは鳴ったはずだが、十時を回った今でも一度も起き上がる気にはならなかった。

 

深呼吸しても気は晴れない。空気がよどんでいるせいだろうか。窓を開ける気にもならないけど。

 

今日一日をこんなテンションのまま過ごしてしまうことになるだろう。そう思った瞬間に、

 

ピンポーン、とドアホンが鳴った。

 

まるでそれが正解だと言われたようなタイミングだ。葵は若干やっかみ気味にドアを開けた。

 

待っていたのは宅配便でも新聞勧誘でもなく、背の低い、小さな女の子だった。葵も背が低いほうだが、それよりも頭一つくらい低くて、そのくせハリウッドスターみたいな大きなサングラスをかけている。

 

「ど、どちらさまですか?」

 

サングラスを外すと、そこにはくりっとした目。葵が気づくと同時に、柔らかな声で名乗る。

 

「こんにちわ、つくよみアイだよ」

 

アイは葵の先輩にあたるわけだが・・・・身長や声、格好も相まって年齢不詳だ。ベテランであるはずのゆかりさんも年齢は知らないのだから恐ろしい。

 

「こーはいのふちょうときいて、おうえんしにきたよ」

「あ、そうだったんですか。お姉ちゃんは今――――」

「そうじゃないよ」

 

格好つけて、ちっちっと指を振る。けど、続く言葉は全く関係のないものだった。

 

「のどがかわいちゃった。なにかちょうだい」

「いいですけど・・・・あっちょっと待ってください!」

 

昨日帰り着いてからそのまま寝てしまったことを思い出し、部屋に上がり込もうとするアイを引き留め、慌てて部屋の片づけをしに戻るのだった。

 

 

 

 

「ぷはー。やっぱりオレンジジュースはおいしいのだ」

 

アイはオレンジジュースを飲み干してご満悦だ。かと思うと唐突に話を切り出した。

 

「さっきあかねちゃんのところにいってきたのだ。はなしはすべてきかせてもらったのだ」

「・・・・・そうですか」

 

葵が目に見えて困っているのを見て、アイは「じゃあ~ん」とポケットから一枚の手紙を取り出して、葵に手渡した。

 

「あかねちゃんが、あおいはどうせおちこんでるやろから、これをわたしといてっていってたのだ」

「あ、ありがとうございます。後でゆっくり読みますね」

「いますぐよむのだ」

 

また泣いてしまいそうな気がしたので一人で読むつもりだったのに、アイにはっきりとそう決められる。何か理由があるようだった。

 

手紙を開いて、最初の文に目をやる。

 

「ちゃんとおんどくするのだ。しごととおなじようにほんきでやるのだ」

「だけど・・・・」

「せんぱいのまえでじつりょくをみせてほしいのだ」

「はい・・・・では、いきます」

 

葵は呼吸を整え、仕事をするときのように意識をとがらせた。

 

「葵へ。ウチはどうにも葵の前やとカッコつけてまうから、こうやって手紙を書いた。読み辛いかもしれへんけど、どうか堪忍してくれや」

 

葵は冒頭だけで涙が出そうになったけど、必死にそれを押さえつけて続きを読んだ。

 

「ウチはな、声が出ーへんくなったことが、正直、ものすごく辛い。けどな、ウチはそれより、ウチの声が出ーへんくなったせいで葵が目標を失くしてしまうことの方が怖い。ウチと葵は双子で一心同体、夢も目標も一緒に頑張ってきたわけやけど、ウチがそれに到達できひんからって、葵がそれを諦める理由にはならん。むしろウチの分まで葵が頑張ってくれな困る。ウチは葵が大好きや。ずっと前から誰よりも、何よりも好きや。愛しとる。だから、お姉ちゃんに頑張ってる姿を見せてほしい。頑張ってな。茜」

 

「追伸。泣きたいなら泣いてもええけど、ウチの前で泣いてや。お姉ちゃんが慰めたるで」

 

・・・・不思議と、涙は出なかった。代わりに、心が暖かいもので満たされた。

 

「じょうずにできましたなのだ。あおいちゃんはやっぱりどこにだしてもはずかしくないこーはいだよ」

 

アイがその小さな手でぱちぱちと拍手をする。いつの間にかテーブルの上のオレンジジュースのペットボトルは空になっていた。半分くらい残っていたはずなのに。

 

「アイはそろそろおいとまなのだ。またこーはいがおちこんでたらはげましにくるのだ」

「え?」

「アイがはげましたかったのはあおいちゃんのほうだよ。アイはあおいちゃんのきもちなんておみとおしだから、きっとおちこんでいるとおもったのだ」

 

来た時と同じように、ちっちっと指を振る。どうやらそれがお気に入りの仕草のようだ。

 

今度はぶどうジュースが欲しいのだ、と言ってサングラスをかけなおし、とことこと出て行ってしまった。葵は今度仕事で一緒になったらぶどうジュースを差し入れにしよう、と思った。

 

「うぅ・・・・」

 

アイが居なくなって、今更のように顔が熱くなる。葵の気持ちなんてお見通しってことは、葵が今までの茜の登場シーンをすべて保存していること、朝時々すぐには起こさずに茜の寝顔を堪能していること、茜が出張の時はこっそりパジャマを拝借していることを知っていたりするのだろうか・・・・

 

と、手紙の内容そっちのけで一人悶える葵に、また、ピンポンとドアホンが鳴った。

 

今度は誰だろうかと、極力平常心を装いながらドアを開ける。

 

そこには、黒のスーツをまとった長身痩躯の男性が立っていた。銀縁の眼鏡をのっけた童顔は、柔らかな表情でこっちを見ている。

 

「あ、こんにちは、キヨテルさん」

 

近くの学校で先生をしている、氷山キヨテルさんだった。同じ事務所の歌愛ユキという子の担任をしていて、一緒にいるのを時々見かける。休日にはバンドをやっているらしく、このあたりでは結構評判になっている。

 

「や、葵君。久しぶり。たまたまアイ君と会って少し寄ったんだ。事情は聞いたよ」

「そうですか。さっきまで落ち込んでいる私を慰めるって言って来てくれていたんです」

「そうかい、大変だね。何か手伝えることがあったら言ってくれ。ってのと、これは差し入れだ。病室で使っていいものかはわからないが・・・・」

 

葵は、エビフライのお香というなんだかよく解らないけど茜は喜びそうな差し入れを受け取った。裏面を見る限り喉にはいいらしいのだが・・・・どこで見つけてきたのかは気にしないことにした。

 

 

「それじゃあ私はそろそろライブの練習があるんでね。茜君にお大事にと言っておいてくれ」

「あっ、ありがとうございました」

 

ところでアイ先輩とはどんな関係があったんだろう・・・? と疑問に思いながらキヨテルさんを見送った。まぁ、思ったより世界というのは狭いものだ。

 

「・・・さて、そろそろ荷物をまとめなきゃ」

 

朝より幾分か上がったモチベーションで、葵は身支度を始めた。

 

 

 

 

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