全てはこの一言から始まった。
「提督ってさー。童貞なの?」
その一言は雷のような衝撃で、深夜の雨のような静寂をもたらした。事実。今は梅雨で外はこの時期特有のしとしととした静かな雨が降っている。そのため、よく言えば活発。悪くいえば暴れん坊組が暇を持て余して俺の部屋に入り浸っている。クレイジーバトルジャンキー夜戦忍者川内もその一人だった。
余りのことに動けないでいる俺の代わりに動いたのは同じく暇をしていた夕立とその姉妹艦の時雨だった。
「てーとくさん。どーていって何っぽい?」
「僕も気になるなぁ。ねえ、提督。提督は童貞なの?」
無邪気に聞いてくる夕立と瞳孔開いている時雨。正直怖い。
「提督。若葉さんと結婚してるんでしょ? なんでヤらないの?」
「川内。言い方を考えろ」
川内は以前の砂浜での一対一で若葉に敗けてから若葉を慕うようになった。今回の件も若葉の事を思っているが故の行動だろうが、如何せんタイミングが悪い。何故ならここに若葉はおらず、代わりにいるのは若葉の姉妹艦、初春、子日、そして初霜だ。三人とも若葉を溺愛しており、俺のことを認めてくれているが。……ほぼ姑だ。しかも三人も。時雨以上に視線が痛い。最早質量を持っているのかと疑うレベル。
とりあえずこの場を収めないと……。
「川内、いい加減にしろ。それは俺と若葉の問題だ。あんまり部外者には突っ込まないで欲しい」
俺がそう言って話を切り上げようとするが川内はまだ食い下がる。
「ねぇ、若葉さんの事ちゃんと考えてるの? 結婚だってまだカッコカリだけじゃん! 若葉さんもきっと本当の結婚したいって思ってるよ!」
若干盲信気味になっている。さて、どうしようかと思っていたら、思考を遮るノック音が響いた。
「提督。若葉、入るぞ」
幸か不幸か、そこに現れたのは話の中心にして俺の嫁の若葉だ。湿度が高いせいか、いつも以上にだらしない格好だ。俺が言葉を発するより早く川内が飛びついた。
「若葉さん! 提督とはなんでヤってないんですか?」
突然の質問に若葉は珍しく赤面する。俺が嫁の可愛い一面に見蕩れていたら照れ隠しのボディを川内にめり込ませていた。想像するだけで痛い。
咳き込みながら川内が若葉に説明するとようやく落ち着き、いつものキリリとした表情に戻った。
「なるほど……川内。お前が悪い」
「ええー!若葉さんまで!?」
「それはお前が首を突っ込む話ではない。私たち夫婦の問題だ」
若葉がそう言ってくれたおかげでこの場は収束した。
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深夜。俺達の部屋で俺と若葉の二人は部屋でメイメイに過ごしていた。若葉はソファーに座ってハードカバーの本を抱え、時折サイドテーブルに置いてあるコーヒーを舐めている。俺もお気に入りの椅子を窓際に置き適当な本を読んでいるが。内容が全く頭に入らない。
若葉は俺とそういうことをすることを望んでいるのか?もちろん俺は若葉のことを愛している。若葉もきっとそうだろう。でも、俺たちはまだカッコカリで、若葉は昔、本当の指輪は戦争が終わってからだと言ってくれた。しかし、それは建前で本当は結婚したいんじゃないのか?
多分、そんな事を考えていたから。こんなことを口走ってしまったのだろう。
「若葉には海に出て欲しくないな」
若葉に言ったつもりは無い。単に独りごちたつもりだった。次の瞬間からはあまり覚えていない。バチンと言う音と共に若葉の何かが叫ぶ声。そしてそこに残ったのは梅雨特有の雨音だけだった。
一人部屋に残された俺は呆然とするしかなかった。
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「提督ー? いるのー? 入るよー? ……って! うわ! どうしたの?」
「ああ……川内か。珍しいな、お前が朝から起きてるなんて」
「昨日は疲れたから珍しく……ってそんな事は良いの。どうしたの? ゾンビみたいだよ?」
「ああ……昨日。若葉を怒らせてしまってな」
「ああ。納得。すぐに謝りに行けばいいのに」
「行けたら苦労しねぇよ……」
「何言ったの?」
「……『若葉には海に出て欲しくないな』って」
それを聞いた川内は顔をしかめ、腕を組んで頷いた。
「あちゃーそれはダメだよ。艦娘に一番言っちゃいけない言葉だよ」
「若葉に言ったつもりは無いんだよ。ただ、ふと口から出たみたいな」
俺が弁解をするも、それはただの言い訳でしか無いことを他でもない俺自身が分かっていた。
「艦娘は海に出るべくして生まれた存在だからね。存在の否定に近いんだよ。勿論。人間モドキだから個性もあるし、戦いが嫌いな艦もいるよ? でも、若葉さんは違う。この前戦って分かった。あの人は戦うのが好きだよ。提督といつか平和な世界で過ごしたいのも本音だけど、それ以上に現状の戦いがある世界が好きなんだよ」
「そう……だったのか」
川内は部屋を出る時には笑いながらアドバイスしてくれた。
「こういう時はスっと謝って言いたい事お互い言った方が良いよ。まぁ、童貞の提督には難しいかもね? じゃあね!」
言いたい事だけ言い、去り際に俺を貶してご機嫌な様子で出ていきやがった。
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鎮守府の外れの、ほぼ俺しか利用しない喫煙所に小雨を受けながら向かう。ここなら誰もいないしゆっくりと考える事が出来るだろう。しかし、そこには先客がいた。
「やあ、提督。待っていたよ」
「……なんで喫煙者でもないのにここにいるんだ?時雨」
白露型駆逐艦二番艦時雨。黒い三つ編みをたらしメガネをかけて文庫本を読んでいた。
「提督を待っていたのさ。ちょっと話がしたくて」
「……悪いが、ちょっと一人になりたいんだ。だから……」
「若葉と喧嘩したんでしょ?」
その言葉にハッとする。
「青葉から聞いたよ。彼女の情報網は凄いね」
「……あいつに話した覚えは無いんだけどな」
「じゃあ誰かから聞いたんじゃない?」
「……川内……あいつ」
「あ、川内なんだ。良かった。カマをかけてみて」
俺が川内の顔を思い浮かべ、拳を握っていると、時雨がパァっと笑顔になる。どうやら青葉から聞いたのも嘘らしい。
「……で? 俺からカマをかけてまで何を聞きたいんだ? お説教なら勘弁だ。丁度川内に食らったばかりだからな」
「ううん。僕が言いたいのはそんな事じゃないよ」
「じゃあ何だ?愛の告白でもするつもりか?」
俺が半ばふざけて聞いたこの質問に、時雨はコクンと頷く。俺は慌てた。慌てたからタバコに火をつけて一息つく。
「冗談だろ?」
「今ここで僕が冗談を言ったりするように見える?」
「いや、見えないな。 じゃあ何だ?これを機に若葉から俺を奪うつもりか?」
再びの首肯。再び紫煙を吐き出す。
「……理由を聞こうか」
「理由? 簡単だよ。 僕が、提督を、好きだから」
突然の告白に困惑を隠せない。気がついたらもう一本目を吸い終わっている。二本目に手をかけながら時雨に聞く。
「なんで今なんだ?」
時雨は俺からマッチをひったくり、俺の咥えてるタバコも奪い答える。
「だって、提督は若葉の事だけを見て、僕らの事は見ていないじゃないか? だから、若葉以外を見ることが出来る今なんだよ。ね? だから、提督。あなたの全てを僕に頂戴?」
時雨は俺に体を預ける。女の子特有の甘い香りに柔らかい体。若葉より成長してる女性としての魅力。しかし、時雨の言う通り、俺は若葉以外は考えられないようだ。時雨の肩を持って引き剥がす。
「時雨……俺には若葉がいる。 俺はどうしても若葉以外考えられない。だからお前のものになる事は出来ない」
時雨の目を見てハッキリと言う。時雨も最後まで俺から目をそらさないでいてくれた。俺から奪ったタバコに火をつけ一口吸い、むせる。
「ごほっ! ごほっ! ……うう、提督はよくこんなの吸えるね」
「まぁ……な」
時雨はタバコを俺の口に押し込み、走り去って行った。
まだ、涙雨が降っていた。
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ようやく一人になり、タバコを惰性で吸いながら自分の考えをまとめる。一本。二本と吸いながら昔若葉に言われた言葉を思い出していた。 あれは俺達がケッコンカッコカリをするよりも前だった。
『提督。提督はタバコを吸いすぎじゃないのか?』
『なんかなぁ……一回吸ったら止まらないんだよ。チェーンスモーカーって奴』
『体に悪いぞ』
『止めるように努力するよ』
『……はぁ。提督は長生きしそうにないな』
『……お前らより一日長かったら、それで十分だよ』
思えばあの時から若葉の事は意識していた。若葉はどうだったのだろう?ここに若葉はいないし、考えをまとめる為と自分に言い訳をしながら三本目に火をつける。
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「……やはりここにいたのか」
「……『待ってた』って言うべきか『見つかった』って言うべきか?」
「提督が思うように言えばいい」
「じゃあなんも言わない。どっちも思ってないから。 ……『探したぞ』」
「探していたのは私の方だが?」
「いんや、俺が探してた。 若葉は探されていた」
「……そうか」
「で? そんな事を言うために探されていたんじゃないだろ?」
「……ていと」
「若葉、俺は謝らないぞ。謝ったらあの時の言葉は嘘になる。それだけは嫌だ。 若葉や、他の皆が傷ついて欲しくないのは本心だ。でも皆の気持ちを考えてなかったのも本当だ」
「それで? どうするつもりだ?」
「どうもしないさ。 今まで通りに指揮をする。皆はそれに従って全員無事に帰還する。 それだけさ」
「提督……」
「好きな人の無事を祈って何が悪い。 愛する人が傷つくのを見るのが嫌で何が悪い。 それがダメってんなら、俺はお前と心中でもしてやる」
「提督」
「ああ、つまりだ。 つまり俺達はケッコンカッコカリして、お互い好きだぜって言ったはずなのに、本音で話した事が一回も無かったんだ。 もっと溜め込まずに話そう。 多分その度に喧嘩する事になるけど良いじゃないか? 今まで何も言わずに溜め込んで来たからこんな致命的な事になったんだから」
「……提督。 それ、誰に吹き込まれたんだ?」
「いんや? 今回は完全に一人だぜ」
「……提督がそう言うなら。それでいいさ。 私も悪かったなつまらない意地を張った」
「ああ、俺もだ。これからはお互い溜め込まずに言い合おうぜ」
「……なら早速言いたいことがある」
「なんだ?……! ……ん……んう……はぁ……」
「……はぁ…………ふぅ……ん……」
「…………っはぁ!……これが言いたいこと?」
「伝わったか?」
「勿論」
「なら……続きを」
「仰せのままに」
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「失礼しまーって! ああ!提督と若葉さん! もう仲直りしたの?」
翌朝。俺と若葉が昨日丸々残した書類と格闘していたら川内が喧しく入ってきた。 朝とか夜とか関係なくうるさい。
「うるさいぞ、川内。 あとノックくらいはしろ」
「ああっ! すみません! って、そうじゃなくて! もう仲直りしたの? どうやって?」
「……川内。この事についてはあまり詮索しないでくれと言ったはずだが?」
グイグイと来る川内を一睨みで抑える。 川内は先日食らったボティの痛みを思い出したように脇腹を押さえて後ずさる。
「ふーん……。 じゃああたしはもう必要ないか。 それじゃあ失礼します」
案外素直に立ち去る。どうやら寝不足のようで目にクマが出来ている。ああ見えて気遣いは出来るらしい。
「あ、そーだ」
と立ち去り際に川内が振り向く。
「若葉さん……お赤飯。 いる?」
そう言われて顔を真っ赤にする若葉。 川内はイタズラが成功した子供のような笑みを浮かべ執務室から去っていった。
「……あいつ。気づいていたのか」
「……みたいだな」
若葉はいつもと違い乙女の表情を見せ、まだ扉を睨む。嫁の新たな表情を呆けたように見ていると、今度は俺に矛先が向いてきた。
「なんだ?私の顔になにかついているか?」
「あ……いや、そんな顔も出来るんだなって」
俺が思わずそう言うと、若葉は俺にしか見せない表情を浮かべ
「惚れ直したか?」
と言う。俺も少し照れくさかったが、真っ直ぐ若葉を見つめ返し言う。
「ああ、惚れ直したよ。 改めて、俺はいい嫁を持ったよ」
予想外の反撃に再び赤面してそっぽを向く。若葉が「ああ、少し暑いな。 換気でもしよう」と照れ隠しに可愛い行動をする。
窓を開けるとまだ外は梅雨特有の落ち着いた雨が降っている。
「……ジューンブライド、か」
「気になるのか?」
「……気にならないと言ったら嘘になる
「……するか。ケッコンカッコホンバン」
「……ああ、悪くないな」