【ARIA】 その、いろいろなお話しは……(連作)   作:一陣の風

7 / 19
六本目のお話を、お届けします。

このお話では、『あの人』に私の信条的な事を、語らせてしまいました。
ですから、ちゃんと口に出して言います。

「堪忍してつかぁーさい」(偽ハルナ鹿馬)

いろいろ、お怒りな点はあろうと思いますが、ほんの少しでも、みな様が共感していただけるなら、これにまさる幸せはありません。

それでは、しばらくの間、お付き合いください。



第六話

AQUAは不思議な星です。

 

それは、年末の時の、過去の星と不思議な女の子だったり。

それは、カーニバルの夜の、カサノバさんの行列だったり。

それは、冬の雪虫との再会だったり。

それは、レデントーレの時の、みんなとの出会いだったり。

それは、たくさんの鳥居の下で感じた、雨の匂いと、おきつね様だったり。

 

そのどれもが不思議で、素敵な思い出です。

 

そして今日お話するのも、そんなAQUAの不思議な思い出のひとつ。

 

 

その時、私は悩んでいました。

将来についてです。

 

 なんとなく、ウンディーネになりたい

ーとは、思いながら、

 

 まだ、他にもなりたいモノがあるんじゃないか?

ーという躊躇。

 

 自分は、ウンディーネに向いているのか?

ーという疑問。

 

 自分は、あの人に認めてもらえるのだろうか?

ーという不安。

 

私は目の前にいる人が、あまりにも身近過ぎて、かえって軽々しく、その事を口に出せないような気がしていました。

 

「用意はいい?」

 

その人は、笑顔で言ってくれました。

ARIA・カンパニーの、たった一人のウンディーネ。

「アクアマリン・遥かなる蒼」と呼ばれる、たった一人のウンディーネ。

 

だけど、一番、親友なウンディーネ。

だけど、一番、大切なウンディーネ。

だけど、一番、身近なウンディーネ。

 

そして、一番、尊敬するウンディーネ……

 

「はい。灯里さん」

「行きましょう。アイちゃん!」

「ぷいにゅう」

 

そう言うと、灯里さんとアリア社長は、元気よく歩き始めました。

ネオ・ヴェネツィアの素敵を探す、お散歩の始まりです。

 

 

 

  第六話 『l'anima di lingua』

 

私の名前は、アイ。

神宮司 藍(じんぐうじ あい)

私は今、春休みを利用して、大好きなAQUA。 

大好きなネオ・ヴェネツィア。

大好きなARIA・カンパニー。 そしてー

 

大好きな灯里さんの所へと、ホームスティに来ていました。

 

 

「いいお天気だねぇ」

「……はい」

「まるでAQUAが、アイちゃんのこと、歓迎してるようだねぇ」

「……はい」

「そういえば、アイちゃんは今年から、ミドルスクールの7年生になるんだね」

「……はい」

「早いなぁ。あっ、アイちゃん。ここ、昔のAQUAに会ったときの路地だよ」

「……はい」

 

「こっちは、カーニバルのときのカサノバさんの行列に出会った所だ。懐かしいね」

「……はい」

「こっちは、あの桜の木の丘」

「……はい」

「どうしたの?」

「……え?」

 

灯里さんは、私の顔を心配そうに、のぞき込みながら言いました。

「アイちゃん、なんだか元気ないぞう?」

 

 ーどきっ!

「あ、あのっ。灯里さん!」

 

その時、私は何か、自分の心の中を見透かされたような気がして、おもわず叫んでしまいました。

 

「は、はひ?」

「ぷいにゅ!」

その声の大きさに、灯里さんとアリア社長は、びっくしたような顔で、私を見ました。

 

「あの…あの……。灯里さんはどうして、ウンディーネになりたかったんですか?」

「私がウンディーネになりたかった理由?」

「はい」

「んと……」

灯里さんは考え込むように、頬に人差し指を当てると、少し上を向きました。

 

 

「私は、昔からファンタジーや、その土地を紹介する紀行文なんかを読むのが好きだったの」

「はい」

「そんな時、たまたまネオ・ヴェネツィアとウンディーネのことを書いた本があってね」

「はい」

「その本がとっても感動的で。それからずっと、AQUA……ウンディーネに憧れてたんだよ」

「……そうなんですか」

「うん。だから初めてAQUAに来た時は、大感動だったよぉ」

灯里さんは、少し恥ずかしそうに笑いました。

 

「でも、急にどうしたの?」

「いえ、別に……」

「なにか悩んでるの?」

「わ、分かるんですか?」

私は、驚いて訊ねました。

 

「もちろん」

 

灯里さんは、にっこりと微笑みながら言ってくれました。

「アイちゃんのことだもの。私でよかったら、話してみて。相談にのれるかもしれないから」

いえ、実は、まさにそれが問題なんですケド……

 

「あの…灯里さん。私……」

 

「おや。灯里ちゃんじゃないか」

不意に一人の、ウンディーネさんが横合のカッレ(小道)から現れて、声をかけてきました。

 

「いやあ。お久しぶり。元気してた?」

「あっ。お久しぶりです。元気ですよう。今日は、お休みですか?」

「ああ。今日のウチは、お嬢の代理で、ちょっとゴンドラ協会までね」

「そうなんですかぁ」

 

そのウンディーネさんは、親しげに灯里さんと、お話をし始めました。

おかげで私は、肝心の質問を聞くタイミングを、完全になくしてしまいました。

あ~あ……

 

「ところで、こちらのお嬢さんは?」

ウンディーネさんが訊ねます。

「この子は、アイちゃんです。マン・ホームから来て、今、ARIA・カンパニーにホームステイ中なんですよ」

「初めまして。アイです」

私は、あわてて頭をさげました。

 

「初めまして、アイちゃん。ウチは、あゆみ。見ての通り、姫屋のウンディーネさ」

「あゆみさん…… あっ。私、灯里さんから聞いたことがあります」

 

姫屋のあゆみさん。

確か灯里さんがまだシングルだった頃に、トラゲットと呼ばれる大運河(カナル・グランデ)の渡し舟のお仕事をした時、一緒にゴンドラを漕いだ、ウンディーネの人です。

 

「あゆみさんは、今でもトラゲットを……シングルさんなんですか?」

「アイちゃん?」

「ああ。もちろん」

あゆみさんは、もしかしたら、ものすごく失礼な私の質問に、笑顔で答えてくれました。

「ウチはずっとトラゲット専門。ずっとシングルさ」

 

「ご、ごめんなさい……」

「うん? 謝ることなんかないぞ?」

「え?」

 

「ウチはシングルに誇りを持ってるからね。いずれ君がウンディーネになって、シングルになったら、その時は一緒にトラゲットしようぜ」

あゆみさんは、私の頭をかいぐり、かいぐりしながら言ってくれました。

 

「あゆみさん。アイちゃんはまだ、ウンディーネになるって決まった訳じゃないんですよ」

灯里さんが、少し困ったように言いました。

「え、そうなの? ウチはてっきり……」

あゆみさんは、私の顔を正面から見ています。

 

「あ、あの……あゆみさん?」

「ーかぁっ……まぁ、いいか。でも言葉って大切だよ」

「え?」

「ところで、灯里ちゃん達は、こんな所でなにしてるんだい?」

なんでしょう。今の感じ。あゆみさんは全て分かってるみたいで……

 

「今、私達は、ネオ・ヴェネツィアの不思議探検ツアーの真っ最中なんです」

「へえぇ。そりゃいいね」

「そうだ。あゆみさんも一緒にどうですか?」

「う~ん。そうだなあ。お嬢の用事も終わったし、予定もないし……」

「それなら、一緒に行きましょう」

「そうだなぁ。たぶん一緒にいたほうがいいから……うん。行こうか!」

「はひ!」

 

後から考えると、やっぱりこの時すでに、あゆみさんは、全てを分かっていたのかもしれません。

 

 

 

 ****

 

私達は、街から少し離れた山の小道を歩いていました。

 

「ぷ、ぷいにゅううん」

アリア社長が私を見ます。

「アリア社長。お腹空いたんですね」

「ぷいにゅ」

アリア社長が、嬉しそうに飛び跳ねます。

 

「アイちゃんってば、アリア社長の言葉がわかるんだねぇ」

灯里さんも、嬉しそうに言いました。

もちろんです。

そうでなければ、ARIA・カンパニーには……

 

「じゃあ、あそこの公園で、お昼にしましょう」

「おっ、いいねえ。ちょうどウチも、お昼買ってきてたんだ」

そう言って広げた、あゆみさんのお弁当には美味しそうなおにぎりが。

 

「ここのおにぎりは絶品なんだぜ。米はもちろん、こしひかり。中身は、おかか、鮭、昆布にイクラ」

「わあ、ホントに美味しそうですね」

「ああ。ほら、アイちゃんもたくさん食べてくれよ」

「は、はい。ありがとうございます」

それからしばらくの間、私達は、お弁当を広げながら、他愛のないお話を、いっぱいしながら楽しく過ごしました。

 

「ぷいにゅ?」

最初に異変に気づいたのは、アリア社長でした。

「アリア社長。どうしたんですか?」

「ぷいにゅ、ぷいぷい」

「え? 雨?」

 

突然、大粒の雨が空から落ちてきました。

「はひい? あんなにいいお天気だったのにい」

私達は、あわてて広げたピクニックセットを片付けると、雨宿りができる場所を探して走りだしました。

けれど、山の中では、なかなか良い場所が見つかりません。

 

焦る私達の目の前に、突然、それは現われました。

 

「あ。灯里さん。あそこに何かあるよ」

 

それはツタが建物を覆うかのように絡みついた、古い、大きな洋館でした。

私は、その建物の扉が少し開いていることに気がつきました。

「扉開いてる」

「とりあえず、あそこで雨宿りさせてもらお?」

「はい」

 

 

「ごめんください……」

でも、誰の返事もありません。

私達が飛び込んだ扉の中は、まるで人の気配がありませんでした。

 

「何年か前に廃業したホテルみたいだな」

あゆみさんがポツリと言いました。

そこは、ホテルの玄関ロビーのような、高く広い空間でした。

正面には、二階に登る大きな階段が……ひっ?

 

「灯里さん!!」

私は悲鳴を上げると、灯里さんにしがみついてしまいました。

 

「ど、どうしたの。アイちゃん」

「あ、あの階段の上に、ひ、人がっ」

「はひいい?」

「大丈夫だよ」

あゆみさんが 『その人』 に近づきながら言いました。

「ほら、アイちゃん。よく見てごらん。ただの肖像画だよ」

 

言われて良く見てみれば、それは確かに初老の女性を描いた、等身大の絵でした。

ちょうど階段の踊り場の所に、飾ってあったんです。

 

「ほへえ……びっくりしました。 それにしても、キレイな絵ですね」

「うん。まるで生きてるような絵だね」

 

白い小猫を抱いた、その絵のおばあさんは、まるで本当に生きているかのように、私達を、じっと見下ろしています。

 

「確かに。これは残っちゃうかもなぁ」

あゆみさんがつぶやきます。

何のことでしょうか?

 

「はうう……なんだか眠くなってきちゃった……お弁当食べたからかな」

「灯里さん?」

「うにゅうふう……」

「灯里さん。急にどうしたんですか?」

灯里さんは、そのままソファに横になると、小さく寝息を立て始めました。

早っ!

 

「お~い。灯里ちゃん。寝てると置いていっちゃうぞぉ」

あゆみさんが、恐いこと言います。

外は、ますます雨脚が強くなっています。

おかげで、ロビーの中は、かなり薄暗くなってきました。

 

……なんだか恐い。

 

私は無意識のうちに、アリア社長にしがみついていました。

 

 

 

 ーどおおおおんっ!

 

突然、大きな音と共に、目の前が真っ白になりました。

 

「きゃああああっ」

「ぷいにゅうううううっ」

 

私は大きな悲鳴を上げ、アリア社長を強く抱きしめました。

 

「カミナリだ……いよいよ本格的だなぁ」

あゆみさんがつぶやきます。

 

「カミナリ……」

学校の授業で習ったことがあります。

確か、空と地上の間で起こる放電現象のことで……

 

 ーどおおおおおんっ!

 

再び、大きな音と共に、視界が白くはじけます。

 

「きゃあああああっ」

「ぷいにゅうふふう」

 

再び、私は悲鳴を上げ、アリア社長にしがみつきます。

 

「アイちゃん。大丈夫かい?」

「はうう……」

あゆみさんの問いに、私はちゃんと答えることもできません。

 

「アイちゃん。もしかして雷は初めて?」

「が、学校のライブラリィで見たことはあります。け、けど本物は初めてです」

「そっかあ。マン・ホームは気候は完全自動制御だもんな」

「ア、アクアは確か、半自動なんですよね」

「つか、手動って言った方が正確だね。火炎之番人(サラマンダー)さん達が、頑張ってくれてはいるんだけどね

 

 ーどおおおおおんっ!

 

三度。轟音と閃光が、部屋の空気を震わせます。

 

「きゃあああああっ。 暁さんのバカぁ! 意気地なし! へたれぇ!!」

「ぷ…ぷ……ぷううう」

「アイちゃん。アイちゃん。アリア社長、潰れてるよ」

「えええ?」

 

燃える火炎之番人さんに八つ当たりして、泣き叫ぶ私を、あゆみさんがあわてて止めます。

見れば、私の腕の中でアリア社長が悶絶しています。

 

「あ、あ。ごめんなさい。アリア社長」

「ぷいぷいにゅううう……」

「ふにゅ……暁さん…私はもみ子じゃありませんよう…ちゃんと灯里って呼んで……」

 

そんな騒動に気づきもせず、灯里さんは眠り続けてます。

う~ん……これは『大物』さんなんでしょうか?

それともやっぱり、単なる『天然』さんなんでしょうか?

 

 

「来るっ」

そう言って、あゆみさんが私の耳を両手で押さえました。

 

四度。部屋の中が、白と黒のストライプに切り取られます。

 

音は、あゆみさんが耳を押さえてくれたおかげで、そんなに大きく響きません。

それでもー

 

「きゃあああああああっ!」

「ぷぎにゅううううヴヴヴ」

 

私はまたも悲鳴を上げて、アリア社長を力いっぱい、抱きしめてしまいました。

私を驚かせたモノ。

私に悲鳴をあげさせたモノ。

それは雷の音でも、光りでもありません。

 

私は見てしまったのです。

閃光に切り取られた部屋の中で。

大階段。

その踊り場。

あの肖像画の絵が。

あの絵の女の人が、絵から抜け出してきたのを!

 

 

「ああああああああっ?」

 

「アイちゃん。落ち着いて。落ち着いて」

叫ぶ私を、あゆみさんが必死になだめます。

でも、口から悲鳴のようにこぼれる声を、どうしても止めることができません。

 

「あゆみさん。あゆみさん!あゆみさん!!」

「大丈夫。アイちゃん。大丈夫だって」

「で、で、でも」

 

「どなたですか」

絵の女性が言いました。

え?

 

「人の家に勝手に入り込んで。 あなた達はどなたですか?」

 

え、えと……

話してる?

 

「勝手に入ってしまって、すいません。私は姫屋のウンディーネで、あゆみ・K・ジャスミンと言います」

「姫屋のウンディーネさん……」

「はい。そしてこちらはARIA・カンパニーのアイちゃんとアリア社長です」

 

……うっ

正確には、私はまだARIA・カンパニーの人じゃないんですけど……

 

「急に雨に降られてしまって、ここで雨宿りさせてもらってます。入るときに声はかけたのですが

 返事がなかったもので……失礼しました。無作法は、お許しください」

 

あゆみさんは、ゆっくりと頭を下げます。

さすがは、シングルなのに、実力はトップ・プリマ。

と、言われる、ウンディーネさんです。

実に優雅で、礼節を持った振る舞いです。

 

「ああ。そうでしたか」

女性は、ゆっくりと階段を下りてきました。

あれ?

最初、絵の、おばあさんに似てると思ったのは、何かの見間違いだったのでしょうか。

改めて見れば、その女性は灯里さんと同い年くらいの、まだ若く、どことなく透明感のある女の人でした。

 

「私は、アポロジカ。このホテルの管理人です」

「アポロジカ…さん」

お化けじゃないんだ……

私はそっと、胸をなでおろしました。

 

「まだ、雨はひどいようですね。そういう事情なら、雨が止むまで、ここで過ごしていただいて結構です」

「ご好意に感謝します」

「では、お茶でも、お入れしましょうか」

「あ、いえ。お構いなく」

「遠慮はなさらなくて結構です。それに……」

「それに?」

「ここにお客様をお招きするのも、久しぶりですから」

アポロジカさんは、コロコロと透き通るような声で笑いました。

 

 

 アポロジカさんが入れてくれたお茶は、美味しいけど、とてもぬるいお茶でした。

 

 

「ここは二年前に閉めたんです」

アポロジカさんが、お茶を手に話し始めます。

「私の祖母にあたる人が経営していたんですが、亡くなってしまって……

 それ以来、ホテルとしての営業は止めたんです」

「そうなんですか」

 

「祖母の人柄がよかったんでしょうか。昔はそれなりに、お客様もたくさんいらしたんですよ。

 このホールも、それはもう人のざわめきで、いっぱいで」

アポロジカさんは、昔を懐かしむように、目を細めました。

 

 

 -瞬間

 

私は、すぐ横を通る人の温もりを、感じました。

人々のざわめき。

女性達があげる、どこか甲高い、楽しげな笑い声。

足早に動き回る、ボーイさん達が巻き起こす風。

楽しそうに談笑する、男の人達。

タバコの香り。

幾人もの人が出入りするたびに、軋み声をあげる扉。

室内に流れる、静かな、それでいて心落ち着かせてくれる音楽。

微笑みとともに、あの大階段を登っていく、幸せそうなカップル・・・

 

 

「祖母……あの肖像画の人ですか」

 

あゆみさんの声に、私は、ハッとしました。

今のは、いったい……白昼夢?

 

「ええ」

アポロジカさんは、少し見上げるように首をめぐらすと、言いました。

「そうです。まぁ、かなり美化して描かれていますが……うふふ」

「い、いえ。とてもキレイな絵ですね。まるで生きてるかのようです」

 

「ありがとう。お嬢さん。そう……あの絵は、生きているんです」

「え?」

 

「どういうことですか?」

あゆみさんが、静かに訊ねます。

 

「あの絵の中の祖母は、今でも私を見ています。今でもここにいて、私を捉えているんです」

「捉えて……いる」

「そうです。だから私はここから離れられない。出ていけない」

 

ぞくっ。

なんでしょうか、この感触。

背中を冷たいものが、はいずりあがって行く、そんな不快な感じ。

アポロジカさんは、ただニコニコと微笑んでいます。

また、雨脚が強くなったみたいです。

雷こそ鳴りませんが、ざあざあと雨の落ちる音が、激しくなってきました。

 

「あなたは、いったい誰なんですか?」

私はたまらず、叫んでしまいました。

「はい?」

けれど、アポロジカさんは、ただニコニコと微笑むだけで……

「私の名前は、アポロジカ。それ以上でも、それ以下でもないわ?」

「そんなっ」

やっぱり。 やっぱり、この人は……

 

「アイちゃん。大丈夫だよ。大丈夫だから」

「あゆみさん?」

 

けれど、あゆみさんは、まったく変わらぬ口調で言いました。

 

「大丈夫だから……アポロジカさん。それで?」

あゆみさんは、何事もなかったように、アポロジカさんに話の続きをうながしました。

 

「私は祖母を助けられなかった。祖母が逝くのを止められなかった。だから……」

「だから?」

 

「祖母は私を恨んでいるんです」

 

 -うっ。

不意にすべての音がなくなりました。

雨が地面に落ちる音も、風が窓を叩く音も、ティーカップが触れ合う音さえも。

なにも聞こえません。

なにも聞こえてきません。

 

 -な、なに?

驚く私をしりめに、再び、大広間が白く弾けます。

 

 -また雷?

 

と、私は思いました。

でも……

 

でも音はしません。

 

あの雷が放つ大音響は聞こえません。

ただ、世界が白く染まります。

ただ、私達が白く染まります。

 

それは、とても長い長い、一瞬の刹那……

 

 ーああっ

 

突然、私は窓という窓の、その全てに『影』が映っているのに気づきました。

真っ白な視界の中で、その『影』はどこまでも黒く、まるで鴉の漆黒の翼のように、ただ黒く、ただ暗く。

 

 

「私は死んだ祖母に何もしてあげられなかった。孤独な捨て子だった私を救ってくれた、やさしい祖母に……

 祖母は怒っているに違いない……」

 

白い光の中で、輪郭を失ったアポロジカさんが、語りかけます。

『影』が真っ紅な眼を開きました。

ゆらゆらと揺れながら、紅い瞳で私達を、私を睨んでいます。

これは、いったい……

 

「あ、あああ……」

「大丈夫。ウチがついてる」

泣き出しそうな私の肩を、あゆみさんが抱きかかえるように、しっかりとつかんでくれました。

 

「あ、あゆみさん」

「この子は、そんな子じゃない。ただ迷ってるだけなんだ」

 

あゆみさんは、いったい何を言っているのでしょう。

私はもう、恐怖のあまり、思考停止状態でした。

 

 

「私は謝りたい。ただ一言、伝えたい。祖母に、あの優しかった祖母に……」

 

白い影が話します。

とても後悔するように。

とても寂しがるように。

 

 

「ちゃんと伝えた?」

 

あゆみさんが静かに問いかけました。

 

「え?」

「君は、その気持ちを、想いを、ちゃんと口に出して伝えた?」

「………………」

「君は、自分のその気持ちを、ちゃんと、おばあさんに伝えたの?」

 

「でも、でも、おばあさんはもう……」

「うん。だけど、君は、そうは思っていない」

「………………」

「だから君は言った。

 

 私は捉われているんだ-と。

 

 『言霊(ことだま)』って知ってる? マン・ホームのニホンという地域で信じられている思想で、口からでた言葉には

 それ自体、強い力を持っているって考えなんだけど……」

 

「『言霊』……」

「うん。君に今、必要なのは、その『言霊』なんじゃないかな?」

 

…………………

…………………

音がもどってきました。

 

雨が地面に落ちる音も、風が窓ガラスを叩く音も聞こえます

少し小降りになったのでしょうか。雨音が小さくなっています。

部屋の中も、色彩を取り戻しました。 

ほんのりと明るさが増したようです。

アポロジカさんも、白い影ではなくなります。

 

「人の想いは、消えることはない。それは今も君のそばに居て、君を見ている」

あゆみさんは、語り続けます。

 

「けれど想いは、言葉は口に出さなければ、誰にも伝わらない」

「誰にも……」

「そう。君は、君のその想いを口に出して、ちゃんと伝えてあげなきゃ。大丈夫。きっと聞こえるサ」

 

「ほんとうに?」

「ああ。だから……」

 

あゆみさんは、諭すように、でも、きっぱりと言いました。

 

「ちゃんと、はっきりと口に出すんだ」

 

「おばあさんっ」

 

アポロジカさんは、不意に立ち上がると、涙をこぼしながら叫び始めました。

 

「ごめんなさい。私、あなたに何もしてあげられなかった。ごめんなさい。ごめんなさい。

 あの時、ただ、あなたを見ているだけで。私、何も……

 あなたは私を救ってくれた。

 捨てられて、ただ震えていた私を……

 

 ただ、雨にうたれて泣いているだけの私を。

 でも、私は何もしてあげられなかった。

 苦しむ、あなたに何も…… 

 なにも……なにもできなかった」

 

アポロジカさんは叫び続けます。

まるで、なにかからの呪縛が解けたように。

ただ、叫び続けます。

私はただ唖然と、そんな彼女を見ていました。

 

「でも。でも……

 おばあさん。

 私、私、あなたが大好きだったの。

 いつまでもずっと、あなたのそばで暮らしていたかったの。

 

 ずっと、ずっと、いつまでも…あなたと一緒に……

 

 ほんとうに。ほんとうに、あなたのことが、大好きで。

 大好きで。大好きで……」

 

絶叫し、泣き崩れ、激しく慟哭するアポロジカさん。

その髪を、いつの間にかアリア社長が、優しくなでていました。

これは、いったい……

 

 

「雨、やんだな」

 

あゆみさんが、ぽつりと言いました。

 

確かに、もう雨音は聞こえません。

それどころか、窓からうっすらと、光が差し込んできます。

ああ。もしかして……

 

「アポロジカさんの声が、届いたんだね」

「ああ。聞こえたんだよ。きっと」

私のひとり言に、あゆみさんは、ちゃんと答えてくれました。

 

「おばあさんは、アポロジカさんを許してくれたのかな?」

「もちろん」

あゆみさんは、少し強い声で言いました。

 

「でなければ、彼女は泣くこともできなかったはずさ。もっとも……」

「もっとも?」

「もっとも、おばあさんは、最初から彼女のことを恨んでなんかいなかったんだよ」

「あゆみさん……」

 

 

「でもね。いつまでも気にしてちゃいけない」

あゆみさんは、泣き続けているアポロジカさんの肩に手をかけ、やさしく言いました。

 

「いつまでも想いを残すと、その人もそれが気になって、いつまでたっても行けやしない」

「………………」

「君もそうだろう?」

「………………」

「君もいつまでたっても、行けないんだろ」

 

「ウンディーネさん……」

「迷わずにいけるかい?」

「…あの、実は私。すごい方向音痴で……」

「大丈夫だよ。きっと迎えにきてくれる」

「………………」

「君が口にだせば、ちゃんと呼べば、きっと来てくれる」

「……はい」

アポロジカさんは立ち上がると、ふらふらと大階段の方へ歩いて行きます。

 

「あわてる必要はない。ゆっくりといくんだよ」

「はい」

 

アポロジカさんは、振り返ると、私達に頭をさげました。

 

「ありがとう、ウンディーネさん。お嬢さん。ほんとうにありがとう」

 

大階段が、また白く輝き始めました。

 でも-

それは、あの雷の時のような、冷たくて恐い、鋭利な光ではありません。

それは、とても暖かで、優しくて、すべてを包み込んでくれるような、そんな輝きでした。

 

「ああ。それから」

あゆみさんは、そんな光り輝く大階段を、ゆっくりと上がっていく、アポロジカさんに言いました。

 

「その『アポロジカ』って名前は、もういらないよ。もうホントの名前で大丈夫」

 

アポロジカさんは、一瞬、びっくりしたような顔をして……それからまた、にっこりと微笑みました。

 

「あゆみさん?」

「『アポロジカ』……『アポロジィ』は、『謝罪』って意味なのさ。もう彼女には必要ないだろ?」

 

 -『謝罪』

 

うん。もういらない。

彼女には、そんな名前。そんな言葉。

もういらない。

彼女はもう、許されたんだから。

いえ、最初から、問われてもいなかったんだから……

 

 

「ぷいにゅ……」

アリア社長が声をあげます。

 

「あ……」

 

光の中で、アポロジカさん……『謝罪する人』だったモノが、小さな、ほんとうに小さな子猫に変わりました。

 

「ぷいぷいにゅ」

アリア社長がまるで「それでいいんだよ」とでも言いたげな声をあげました。

 

子猫は、小さく鳴きました。

何かを呼ぶように。

何かを探すように。

何かを求めるように。

 

光が増します。

「あれは……」

その光の中から、ひとりの、おばあさんが現れました。

 

あれは、肖像画の。

 

 -ああ……

  ちゃんと迎えにきてくれたんだ。

 

おばあさんは、子猫に近づくと、両手を差し伸べ、何言かを呟きました。

子猫は、そのおばあさんの声に答えるように、いちもくさんに、その手の中に飛び込んでいきます。

おばあさんが、つぶやいた言葉。

それはきっと、あの子の……あの子猫の、本当の名前だったのでしょう。

 

おばあさんは、そんな子猫を優しく抱きしめました。

とても、大切なものを取り戻したかのように。

とても、いとおしいものに、出会えたかのように。

 

やがて二人は、ゆっくりとまた階段を登っていきます。

二人とも、とても幸せそうな顔で。

 

最後に消えゆくそのとき、二人は私達の方を見てくれました。

おばあさんは、その優しい微笑で頭を下げ、何事かを言ってくれました。

子猫も、とても嬉しそうな顔で私たちに大きく口を開けました。

 

言葉は聞こえなかったけど

声は聞こえなかったけど

 

 私には-

 

私達には分かりました。

あの二人は……

 

 -ありがとう

 

そう言ってくれたのです。

それは、とても優しい『言霊』でした。

 

やがて光は消え、あたりはもとの大広間にもどりました。

窓からは太陽が差し込み、小鳥のさえずりが聞こえてきます。

そこはただ、いつも通りのAQUAでした。

 

 

「あの子もずっと、いけなかったんですね……」

「ああ……」

あゆみさんは、小さく答えてくれました。

「あの子は、それすらも気づかないほど、おばあさんのことを思っていたんだ」

 

私はしばらくの間、大階段を、あの二人が消えていった場所を見つめていました。

 

 

「あゆみさん。アリア社長」

「なんだい?」

「ぷいにゅ?」

 

「二人とも、最初から分かっていたんですか?」

「さあ、どうでしょう」

「ぷいにゅんにゅん」

 

私の問いかけに、あゆみさんとアリア社長は、微笑みながら答えました。

「ただの、AQUAの不思議ってヤツじゃない?」

「AQUAの不思議……」

「ぷいぷ~い」

「ああ。でもね」

「え?」

 

 

「誰にだって、魂だけになったとしても、もう一度会いたいって人はいるからサ」

 

 

「え?」

「いや。なんでもないよ。なんでも……アイちゃんには、まだ早いかな」

そう言うと、あゆみさんは今度は、照れたように大きな笑みを浮かべました。

 

 

「んんん……」

灯里さんが眼を醒ましました。

 

「あっ。今度は本物の灯里ちゃんだ。おかえり」

あゆみさんが優しく笑いかけます。

 

「何かあったんですかぁ?」

灯里さんは、起き上がると、大階段に座りなおしました。

 

「なにか懐かしくて、暖かいものに触れてた気がするんだけど……あれ?」

灯里さんは、自分の頬に流れているものに気づき、驚きました。

 

「あれ……あれれ? 私なんで泣いてるの?」

「灯里さん……」

「変だよ。アイちゃん。私、何も悲しくないのに、なんで涙があふれてくるの……?」

 

「ぷいぷにゅぅぅ」

 

アリア社長が『ご苦労様』とでもいうように、灯里さんの頭を、なでなでします。

 

「アイちゃん」

「はい?」

あゆみさんは、そんな灯里さんを横目で見ながら、私にささやきました。

 

「今日のことは内緒でね」

「え?」

「灯里ちゃんは、すぐ感情移入しちゃうから……ね?」

「は、はい」

「それと……」

 

あゆみさんはまるで、いたずらが見つかった子供のような顔をしました。

 

「君も伝えたいことは、ちゃんと口に出して伝えないとダメだぜ」

「あ……」

あゆみさんは、ポンっと背中を押しながら言ってくれました。

 

「がんばって」

 

素敵に微笑んでくれます。

 

 

 

「灯里さん」

私は、あゆみさんに背中を押してもらって、決心しました。

 

「あ。アイちゃん。ごめんね。なんか変だよね。私……」

灯里さんは、涙をぬぐいながら言います。

 

「ううん。灯里さんは、とっても素敵です」

「ええ?」

 

私は『なんでもないです』と、小さくかぶりを振ると、勇気をだして、その『想い』を……『言霊』を口にしました。

 

「あの、あの灯里さん。 私、お願いがあるんです」

「えっ? な、なにかなあ?」

 

 

「私、将来ウンディーネになりたいんです。だから、だからそのときは、私をARIA・カンパニ-に入れてくれますか?」

 

 

いっきに言いました。

 

私の言葉に、灯里さんは、一瞬、驚いたような顔をします。

 

 それから-

 

「もちろんだよ!」

 

いつもの、あの素敵な笑顔で答えてくれました。

 

「本当は私も、アイちゃんがそうなってくれたらいいなあ-って思ってたんだ。 ありがとう。嬉しいよ」

灯里さんが、不意に私を抱きしめます。

 

「灯里さん?」

「なんでだろう。私、今、すっごくアイちゃんを抱きしめたいよ。すっごく、すっごく」

「灯里さん……」

私も、しっかりと灯里さんを抱きしめました。

 

そう。

まるであの子猫と、おばあさんのように-

 

強く。強く。強く。

いつまでも、いつまでも、こうして……ずっと。

 

 

あゆみさんが、そんな私達を微笑みながら見ています。

灯里さんに抱きしめられながら、私は、あゆみさんの唇から、こんな言葉がもれるのを聞いた気がしました。

 

 

 -見てますか。また素敵が一つ加わりましたよ……

 

 

その時私は、微笑む、あゆみさんのすぐ横に、優しい眼をした、大きな黒い猫が立っているのを見たような気がしました。

 

 あれは………

 あれは………

 

でもそれは、ほんの、まばたきをする間、もう見えなくなっていました。

 

「灯里さん……」

「なにアイちゃん」

「私。AQUAに歓迎されてるのかな……」

 

灯里さんは、私をしっかりと抱きしめながら、言ってくれました。

 

「うん。きっとそうだよ」

 

 

それはとても素敵で、力強い『言霊』でした。

 

 

私は灯里さんを抱きしめながら、いつまでも、この時間が永遠に続くことを祈りました。

 

風もないのに、窓にかかったカーテンが優しげに揺れました。

どこか遠くで、とても楽しそうな笑い声が聞こえたような気がしました。

 

それは木漏れ陽が踊る、夏の日の出来事でした。

 

 

 

  ****

 

 

 -三年後。

 

「えへへ-っ 灯里さん。 ついに来ちゃった」

 

 

私はネオ・ヴェネツィアに立っていました。

もう、ホームスティでは、ありません。

時間がくれば、マン・ホームに帰る旅行者でもありません。

 

今日から私は、ここ、AQUAの住人になるんです。

 

「アリア社長っ」

迎えに来てくれた、アリア社長の元へと走りながら、私は考えていました。

 

 -灯里さんに、最初になんて言おう。

 -灯里さんに、なんて言葉で、最初に挨拶しよう。

 

 そして-

灯里さんは、なんて『言霊』で迎えてくれるんだろう。

 

 今日もAQUAは-

ネオ・ヴェネツィアは、まるで私を歓迎してくれるかのように

どこまでも優しい青空が広がっていました。

 

                                  

 

 -ようこそ! ARIA・カンパニーへ 

                     

 

 

 

                

 

           -l'anima di lingua(言霊)- la fine-

 

 




 あと書きのような、なにかー

 l'anima di lingua(言霊)
本編タイトル。私は「言霊」信仰者です(笑)

 アイ
正体不明の謎多き少女(笑)
『神宮司 藍』の名前は神作「【ARIA】その 次代の妖精は…」の設定から使わせていただきました。
作者であり、敬愛する、設定の鬼神さま。 
使用許可をありがとうございました。 改めて感謝とお礼を申し上げます(平伏)

 あゆみ
あゆみ・K・ジャスミン
姫屋のシングル・ウンディーネ。トラゲット三人組みのひとり。
私愚作の中ではコレ以降、不思議な力を持った少女として描かれる事に…ファンの方、すいません(涙)

 老女と子猫
ぬう…書くことがない。 まぁ、そのまんまの存在(鹿馬)

 ようこそ! ARIA・カンパニーへ 
実は初稿ではこの台詞はありませんでした。
でもどうにも座りが悪く…で、この言霊を入れてみたらアラフジギ。
なんとなく綺麗に収まりました。
うん。やっぱり言霊は偉大だ(大鹿馬)

急激に寒くなってまいりました。
みな様、お風邪など召さないように。事実私はちょっと風邪っぴきです(涙)
暖かな格好と、多めの睡眠を心掛けください。
よろしければ次回もどうか御贔屓のほどを。

 それではいずれ、春永にー
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。