凶狼に救いを授けるのは間違っているだろうか   作:ナイジェッル

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 この二傷はオラトリア8巻のストーリーをベートではなく、レナの視点で書いてみました。
 原作の原文をそのまま書くわけにはいかなかったので、所々、台詞を弄ったり、端折ったり、増やしたりしています。

 ですので多少、原作と会話内容が異なるものがあります。お許しください。


二傷:その雄を選んだ理由

 レナ・タリーはベート・ローガに恋をしている。

 

 自分でもどうしようもないくらい、胸を高鳴らせてしまうほどの熱い想い。

 自身を律することも定まらない、身を焦がすほどの感情を抱いている。

 彼と出会えば顔が赤くなり、有頂天になり、そしていつも以上にはっちゃけてしまう。

 ベートが露骨に嫌な顔をしても、構ってくれるだけでも幸せだと思えるほど、この気持ちは治まりがつかない。今は嫌われていても、最終的に己が夫にしてみせるというポジティブ思考になる。何故か、身を引くという発想がまるで無かった。

 

 誰も彼もが聞いてくる。

 特に元【イシュタル・ファミリア】の仲間達は呆れた仕草で聞いてくる。

 

 どうしてあんな男なんか好きになったのか……と。

 

 レナ。お前は見る目がない、まだ若いんだから自分を安売りするんじゃないと耳にタコができるほど忠告も受けている。

 

 皆は心配しているのだ。可愛い妹分をガサツで乱暴な、あの狂犬の元に向かうのが。

 

 確かにアマゾネスは強い男に惹かれるものだ。しかしそれにも限度がある。

 どれだけ強かろうと、どれだけ屈強だろうと、ベート・ローガはそれ以前の問題だ。

 あの男は人を簡単に傷つける。誰にだって牙を向ける狼だ。そんな男をついて行ったところで、幸福なんて待ってはいない。きっと後悔するだけだと皆は言う。

 

 それでもレナは止まらなかった。

 聞いたうえで、それでも好きになったのだと皆にいつも公言していた。

 

 

 これはレナ・タリーが一匹の雄に惚れ、深く、深く、更に好意を抱くようになった過去のお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レナは、ベート・ローガと初めて遭ったあの夜のことを忘れることができない。

 自分が所属する【イシュタル・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】の衝突。レナもベートも互いに敵同士だった。命を取り合う戦場の中で出会った。

 まだベートに惚れていなかったレナは、全力でベートに立ち向かった。自慢の曲刀で斬りかかった。レベル差などに怖気づく暇も無く、やらなければやられると思うがあまりの行動。

 

 そのなけなしの覚悟が篭った一撃を、ベートはあっさりへし折った。

 

 狼人(ウェアウルフ)の『獣化』が施されたベートは、もはや埒外の怪物と化していた。まるで歯が立たなかった。まさしく瞬殺の二文字が似合う、そんな決着だった

 

 情け容赦なく腹部に叩き込まれたベートの拳。貫通するかと思ったほど、身体の芯まで響いた男の一撃。意識が飛び、胃の中のモノが全て逆流するほどの衝撃が、レナを襲った。

 

 そして―――惚れた。

 

 圧倒的だった。感動的なほど、彼は強かった。

 打ち抜かれた腹部の痛みによって悶絶するなかで、レナの心の奥底から焔が燈った。

 理屈じゃない、本能が叫んでいた。この男こそ、私が求める強い男なのだと。

 

 ベートと出会うまで、このような想いは経験したことが無かった。

 勿論、これまでレナは多くの『自分より強い雄』と会ったことがある。そんな雄達に負けたのも一度や二度じゃない。それでも、心を燻る恋なるものは燈らなかった。悔しいとは思えど、好きになるほどの衝撃は生まれなかった。

 

 自分より強いだけではない。これまでレナが見てきた強い男の冒険者達にはない魅力が、ベート・ローガには合ったのだ。それが何なのかは、レナ本人でも分からない。

 やはり、つまるところ、レナの本能的なものなのだろう。

 『この男に抱かれたい』『この男の仔を授かりたい』『この男と添い遂げたい』という原初の本能が、そうさせる。

 

 あの日から、レナ・タリーは生まれ変わった。

 

 何にでも模範的だったアマゾネスは、一夜にして好いた男を狙う狩人(ハンター)になった。

 そしてその狙った獲物は、そこらの獣とは訳が違う。誰からも恐れられた【ロキ・ファミリア】の【凶狼(ヴァナルガンド)】。人生一世一代の片思い。相手にとって、不足などまるで無かった。

 

 幸いにも、彼の気を引くカードをレナは持っていた。

 【ロキ・ファミリア】が血眼になって探している『人口迷宮(クノックソス)』の『鍵』の手がかり。

 かつて【イシュタル・ファミリア】に所属していた頃、偶然見た『鍵』と思わしき物の在り処。

 運は我にあり、とレナは無邪気に歓喜したものだ。まさかこんな使える情報が手元にあるなんて、まるで運命が自分の恋路を応援している気さえした。

 

 レナ・タリーは嬉々として【凶狼(ヴァナルガンド)】と二度目の接触を試みた。

 

 彼はレナのことなど、これっぽっちも覚えていなかったが、それもそうだろうと残念がりはしなかった。何せ己は瞬殺された一介の戦闘員でしかなかったのだから、是非も無いことだと受け入れられた。

 肝心なのはこれからだ。ここから、ベートにとって唯一無二の女になってやる。そう、自分を鼓舞し続けた。弱気な女、奥手な女、相手の機嫌を見て動く器用なことなどレナにはできない。ただ我武者羅に、『好き』という感情を前面に出す。それが、レナ・タリーが持つ最大の武器なのだから。

 

 

 

 

 

 『鍵』の情報を対価に、レナはベートとデートすることに成功した。彼は見た目相応に単純だったこともあり、常にリードすることができた。

 『ダンジョン』に潜り、共に怪物達を屠る時間など、今思い返しても至福に満ちていただろう。楽しさのあまり、一分一秒が頗る早く感じた。甘い思い出だ。

 そして、そこでベート・ローガの『厳しさ』のうちに隠された『真意』を知ることになる。

 

 彼はいつも弱者のことを『雑魚』という。

 彼は常に弱者を嫌う。

 反感を自ら買って、煽って、嘲笑する。

 

 レナは早くも気づいてしまった。【ロキ・ファミリア】のなかでも、極少数しか知らない、【凶狼(ヴァナルガンド)】の罵倒の意味を。表面だけではない、内面に隠された彼の思いを。

 

 ベートの言う『雑魚』とは、単なる悪口ではない。

 きっとソレは、彼なりの応援だった。

 あまりに捻くれていて、あまりにも粗暴だからこそ、皆は彼の暴言を『慢心』『傲慢』と取ってしまうが、アマゾネスのレナは違った。

 また『雑魚』と口汚く吐くベート・ローガ本人すらも気づいていない。自分が何を想い、何にイラつき、何を求めて他者を蹴落とすような言葉を発するのか。

 

 「雑魚じゃあ、強者(おれ)には釣り合わねぇ」

 

 弱者で、『雑魚』であるレナに向かって突き放すような言葉を放ったベート。

 彼は気づいていない。その言葉はある種の釣竿の餌、ロバの人参の如き激励であると。

 弱者じゃ強者には釣り合わない。それは即ち、弱者から脱し、強者になれと良いということだ。

 

 『雑魚のままでいるな』『雑魚のままで強請るな』『雑魚のままで満足するな』。

 

 ああ、それはなんて不器用な想いなのだろうか。(いびつ)で、捻じ曲がっている、狼の罵倒。

 それがまた堪らなく、愛おしく感じた。より努力を積み重ねようと思えた。

 だから言ってやった。彼が望む『言葉』を。彼が望む『全て』を。

 

 「私は強くなる……絶対にLv.6になってみせる! ベート・ローガと並び立てる、強者のアマゾネスに! だからその時は、貴方の妻にしてください!!」

 

 そう言ったら彼は鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をした。

 ベートは彼女を切り離すつもりで暴言を吐きまくったのだろうが、もはや【凶狼(ヴァナルガンド)】の本質を見抜いてしまったアマゾネスには何にも効果も無い。むしろ逆効果だ。より熱く、より強く、ベート・ローガの妻になるべく奮起する。

 

 絶対逃がしてやるものか。ここまで『罵倒(応援)』されたら、彼の求める『強者』にならざるを得ない。弱いままでは、終われないのだと心に誓った。

 

 

 

 

 

 都合の良い幸運は更にレナに授けられる。

 

 ベートは【ロキ・ファミリア】と仲違いをしていて、寝る場所も定まらない状況だったのだ。これも神が与えた思し召しか、ありがたく利用させてもらった。

 ベートは野宿で構わないというが、そこはレナのごり押し交渉。なんとか宿を提供し、彼を廃れた高級娼館(隠れ家)に留めることに成功した。やればできる、為せば為るものだと、この時レナは心の内で微笑んだ。流れはキテいると。

 

 女と男が一つの屋根の下で寝る。

 これほどのチャンスがあるだろうか。いや、無い。断じて無い。

 

 レナは真夜中に、決断した。ここで「ベートを私の身体無しには生きられない男にする」と。

 早速彼女は勝負下着である黒の夜衣(ネグリジェ)を着込んだ。肌が丸々見えてしまう薄布(ヴェール)仕様。レナの火照った褐色肌も、胸も、尻も、全て見えてしまう大人風味の逸品。

 【凶狼(ヴァナルガンド)】がなんぼのもんじゃい。私の魅力で骨抜きにしてやんよ、と意気込んだものだ。

 

 「ねぇ、嫌なこと忘れて……良い夢見よう?」

 

 ダブルベッドの上で横になっていたベートに、レナは甘い声でそう言い寄った。

 裸も同然の下着、というか裸の方がまだ健全なエロティック下着を着用した状態でだ。

 蜜のような密度の香水を使用し、鍛え抜かれた雌の肢体を見せつけ、極めつけに『仔作り』をするという女の覚悟。本気で惚れて、本気で抱いて欲しいという意思の表れ。

 並みの男なら一撃だ。我を忘れ、貪り喰らうこと必至の誘惑。それをあのベート・ローガは―――

 

 「寄るな」

 

 あと一歩、あと少しで身体と身体が重なり合うというところで、彼はレナを蹴り飛ばした。

 

 「うそォー!? 普通、そこは寝るでしょ!?」

 「誰が寝るかマセガキなんぞと」

 「もしかして不能? 男の方が好きとか、そっち系?」

 「殺すぞ!?」

 

 かくして一夜目の夜這いは失敗に終わったのだった。

 流石は【凶狼(ヴァナルガンド)】と恐れられた男。並みの誘惑には屈しないと見える。

 というか狼なら襲わない? 獣ならまぐわらない? 孕まそうと思わない? と言い放つレナに、ベートは呆れながらにこう言い放った。

 

 「テメェに限った話じゃねぇが、俺は雑魚が嫌いだ。一度でも寝たら、弱さが移る」

 「でも、ベート・ローガより強い女なんてそういるわけないじゃん」

 「………」

 

 彼は、レナの言葉に少しだけ耳を傾け、沈黙した。

 

 「俺は、弱い女が………一番嫌いだ」

 

 ベートの『弱い女が一番嫌いだ』という言葉。その言葉は、彼の心象に深く残ったものによる言動だとレナは直感で気づいた。女の感というのは、なかなかどうしてバカにできない。

 きっと彼の言動一つ一つに、巧妙に隠された意味がある。【凶狼(ヴァナルガンド)】が歩んできた人生から来る、経験談的なものが。

 

 まぁそれはそれとして、夜這いが失敗したので今度は全裸で朝這いを決行し、実力行使に移行したのだが、結果は言わずもがな。まぐわう前にベートが眠りから起き、流れるように蹴りを叩き込まれた。やはり既成事実を無理矢理作るのは無理があったと悟ったのも、この時だった。

 

 

 

 

 

 ベート・ローガと出会って、夜を跨いだ二日目の朝。その日もレナは、【凶狼(ヴァナルガンド)】と共にデートに出かけた。肝心のベートには、これはデートではなくデート“ごっこ”と揶揄されたが、それでも構わない。人生はまだまだ長い。人の一生など、諦めなければ機会(チャンス)で埋め尽くされている。

 今はベートの言うように形だけのごっこ遊びだとしても、必ず本物にしてみせるという気概があった。恋に目覚めたアマゾネスに撤退はないのだと胸を張る。迷惑だと思われても、自己中心的だと言われても退かぬ、媚びぬ、手に入れるの精神だ。

 

 先日が『ダンジョン』でのアマゾネス式怪物狩りデートであるならば、二日目は普通の女の子らしくショッピング。言わば露天商街で共に店を練り歩き、色んなものを見て、買って、きゃっきゃうふふするオーソドックスなものでレナは攻めた。

 

 しかしこれでもベート・ローガは塩対応だった。

 

 これは似合うかな? あれ、美味しそうだね? 一緒にあんなものを見てみようと必至にアピールするレナを、ベートは冷たい言葉で返し続けた。悉く、似合わない、不味そうだ、くだらねぇと言うばかり。

 まったくこの男はどこまで頑丈な心の壁を作っているのだろうか。いくら嫌々でも、何か言うことくらいあるのではないだろうか。とはいっても、無理矢理連れまわしているレナにそんなことを言えた義理はないと自覚はしているので、仕方ないとも思っている。退きはしないが。

 

 「そんなに露天商巡りが嫌だった? 宝石とか、面白おかしいものも置いてて私は楽しかったんだけどなぁ……」

 「お前はいい加減、このデートごっこという名のオママゴトに付き合わされている俺の身にもなれ。いや、分かっていてやってるんだろうから尚のこと性質が悪いんだよ」

 「ひっどーい! 否定しないけど面を向かって言わないでよー」

 「否定しないのかよ。あと酷いのはどっちだよ。いい加減『鍵』の情報を寄越せ」

 

 ベートがレナの我が侭に付き合っているのは、全て『鍵』の情報の為だ。逆に言えば、その『鍵』の情報を教えれば、きっとベートはすぐにこの場から姿を消すだろう。そんなことも分からないレナではない。

 

 「嫌だよ。絶対『鍵』のこと教えたらどっか行っちゃうでしょ。ベート・ローガには今日一日付き合ってもらうんだからー!」

 「………分かった。もう催促はしねェ。だが、契約は護れよ」

 「私が約束を破る女に見える? 常識的に考えて大丈夫だから!」

 「マセタ下着で夜這い、全裸で朝這いするアマゾネスに常識を求められても困るんだがなァ」

 

 そんなことをいいながらも、ベートはあっちに行ったりこっちに行ったりするレナの後をついていく。手を引っ張られても、彼は無造作に振り解こうとしない。

 きっと、最初の頃なら『触るな』とか言って弾いていたであろう手を、握ってくれている。それだけでも嬉しかった。そんな小さなことでも、幸せだと感じることができた。

 

 「あ、お花屋さんだ!」

 

 そこで、レナは一番ベートと一緒に行きたかった店を見つけた。

 店内の内装も、花の手入れの行き届いた、この『迷宮都市(オラリオ)』のなかで最も繁盛している花屋だ。

 どの花も美しく、いい香りがする。

 レナはよりどりみどりの花達を目を輝かせながら眺めた。そして、その中で一際気になっていた小振りで薄青い色の花を見定めた。

 

 「ねぇベート・ローガ」

 「あァ?」

 「私の好きなもの、聞きたい? 聞きたい?」

 「聞きたくねェ」

 「聞きたいのなら仕方ないネ! 私、このミオソティスって花をプレゼントされたらすっごく喜ぶよ! もう有り得ないほど喜ぶ!」

 「自分で言ってんじゃねェか………」

 

 もはやベートは呆れた声も、呆れた表情も、すぐに出るようになっていた。

 

 「俺は買ってやら―――」

 「レナ……それに、アンタは【凶狼(ヴァナルガンド)】!!」

 

 ベートが言い終える前に、愕然とした声色で叫ぶ女の声があった。

 めんどくさそうにベートはその声がした場所に目を向ける。

 そこには成人のアマゾネスがいた。レナよりも背が高く、えらく敵意全開の視線を浴びせている……これはまた、面倒な奴に出くわしたとベートは心中で舌打ちした。

 彼女は、以前ベートが酒場で大喧嘩した相手だ。しかも元【イシュタル・ファミリア】の一員で、一方的にボコ殴りにした経緯がある。

 

 「アイシャ!?」

 

 しかもレナとの知り合いだった。

 これはいよいよもって、更に面倒くさくなりそうだ。

 

 「レナ! なんでそんな男と一緒にいる!?」

 「まって、アイシャ! 私、今ベート・ローガとデート中なの! 邪魔しないで、お願い!」

 

 レナは全力で姉貴分であるアイシャに頭を下げる。此処は見逃して欲しいと。せっかくのデートを台無しにされたくないと。

 

 「デートォ!? バッカ、あんた悪趣味にもほどがあるよ! もっとマシな雄を探しな! 【凶狼(ヴァナルガンド)】になんか花を強請るんじゃない!!』

 

 ベート・ローガ本人のいる前で、アイシャは容赦なく叱咤する。

 それに流石のレナも焦りを積もらせた。ここでベートに暴れられたら、本当にデートがおじゃんになってしまう。せっかく掴んだこのチャンス、失いたくは無い。できるだけ穏便に済ませなくてはならない。

 

 「お願いアイシャ! 二人の子供を産むまで待って!!」

 「まてコラ。ドサクサに紛れて何言ってんだお前は」

 

 ばれたか。流石に鋭い。ベートの突っ込みスキルもなかなかのものだ。

 気を取り直してレナは必至にアイシャに懇願した。

 アイシャはレナにとって大切な姉のような存在だ。自分のことを心配してくれているのは分かっている。ありがたいことだ。でも、今日は、今日だけは邪魔しないでほしい。好きな雄と、仮にもデートができる、今の時間を。

 

 「………チッ。本当に、なんで【凶狼(ヴァナルガンド)】を選んじまったんだい」

 

 アイシャはガシガシと頭を掻いて、大きな溜息を吐いた。

 これは根負けした時に彼女が行うクセの一つだ。

 どうやら、お許しが下ったらしい。

 

 「おい狼人(ウェアウルフ)。レナを連れ回していることには目を瞑ってやる。だがな、その子に何かあったら絶対に許しはしないからね」

 「連れ回してるんじゃねェ。連れ回されてるんだよ……」

 「ありがとうアイシャ! 後で何か奢るね!」

 「はいはい。レナ、男遊びも程々にしなよ」

 「誰も俺の話を聞きゃしねぇ……くそったれ」

 

 ベートはブツブツと恨み言を吐いているが、どうにか大きな騒乱なく収まったようだ。

 またアイシャは警備の仕事があるといって、この場を去っていった。

 レナは安堵した。まだ、この時間を続けることができると。

 

 「そろそろ行くぞ馬鹿ゾネス。ここは『ダンジョン』じゃなく地上だ。『迷宮都市(オラリオ)』だ。さっきのように知人と会えば、厄介な噂が立つかもしれねぇ」

 「だから人気(ひとけ)の少ないところに行くんだね? そして誰もいないところで」

 「何も起こらねぇよ」

 「ええー」

 

 残念だ、とレナが言おうとした時、ベートがぴたりと足を止めた。

 どうしたのだろうかと彼の顔を見てみると、今まで見たことの無い表情をしていた。しいて言えば、顔面蒼白。青ざめていると言ったらいいだろうか。かなり顔色が悪い。

 

 「ア……イズ………」

 「ベートさん…・・・何を、しているの?」

 

 彼が立ち止まった理由。彼が青ざめている理由。それは、単純明快だった。

 ベート・ローガの視線の先には、【剣姫】という二つ名を持つ、可憐な少女、アイズ・ヴァレンシュタインが立っていた。謂わばレナにとって恋敵なる存在である。

 なにせベートはアイズのことを気にかけているという噂があった。実際、ベートのこの反応を見れば嫌でも分かる。彼女こそレナが打倒しなければならない相手。ベートが嫌う弱い女。その例外、強い女こそアイズその人だ。

 

 だが、今回ばかりは譲れない。例え相手がかの【剣姫】であろうと、退くことはできない。

 今こそ女の見せ所。レナ・タリーこそが【凶狼(ヴァナルガンド)】の女であることを先制して宣言する時。

 

 「アイズ・ヴァレンシュタイン!」

 「え?」

 「初対面早々で悪いけど、先に言うね!」

 「おい、お前何を!?」

 

 何か嫌な予感を感知したのかベートはレナを静止しようとする。

 しかし、遅い。最速の男の行動は、どうしようもなく遅かった。

 エンジンのかかったアマゾネスはもう止まらない止まれない。

 

 「ベート・ローガの女は、私がなる予定だから! ほら、街中でも腕を組んでデート中! 丈夫な子供だって産む約束すらしているんだからー!!」

 「馬鹿よせ止めろォッ!!!」

 「ぴぎゃ!?」

 

 【凶狼(ヴァナルガンド)】は咆哮しながらレナの首に手刀を見舞って意識を刈り取った。

 だが、それも遅い。何もかもが遅いのだ、ベート・ローガ。

 レナの宣言は確実にアイズの耳に届いていた。聞き間違えも、聞き逃しもあるものか。

 

 「か、勘違いするんじゃねぇぞアイズ!?」

 

 もはや逃げの一手だった。ベートは錯乱するあまり、気絶したレナを小脇に抱えて逃走した。

 勘違いをするな、と言いながら逃げる。矛盾だ。言動の不一致だ。

 これはむしろより疑惑の念を強くする行動に他ならない。

 全ては獣の生存本能に従ってしまったからだ。あまりの窮地に、弁解より先に狼人(ウェアウルフ)は地面を蹴っていた。

 

 「まってベートさん! 早まっちゃいけない!!」

 

 他の【ファミリア】の女冒険者に手を出そうとする【ロキ・ファミリア】の幹部を止めようとアイズは追いかける。まさしく盛大に勘違いをしているが、これは仕方の無いことだ。明らかにベートが怪しい。どう考えてもベートのミスだ。

 

 「もしその子に手を出したら、きっと大変なことになる……!」

 

 他神の眷属同士での淫行はご法度だとアイズでも理解しているので、全力で追いかける。

 

 「誤解だ!!」

 「【目覚めよ(テンペスト)】!」

 「クソッタレがァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」

 

 

 狼は絶叫した。

 『迷宮都市(オラリオ)』屈指の俊敏性を、まさかこんな情けないことに使うとは思いもしなかった。何より、『風』を纏った状態のアイズに追いかけられるとなると、如何に【凶狼(ヴァナルガンド)】と言えど骨が折れる。

 

 ベート・ローガはひた走る。小娘を抱えて全力疾走。全ては後から迫る、【剣姫】の手から逃れる為に―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベートによって強制的に意識を狩られたレナは、無造作に地面に放り投げられ、地面にぶつかった強い衝撃でようやく目を覚ました。

 

 「いたた……あれ? ここは……私の、高級娼館(隠れ家)?」

 

 私はどうしてこんなところにいるのか。つい先程まで、露天商街にいた筈なのに。

 そして荒い息を吐く音がして、振り返ってみると、汗だくの【凶狼(ヴァナルガンド)】の姿があった。

 

 「ベート・ローガ……!」

 「あァ!?」

 「…………っ」

 

 凄まじい眼力で睨まれ、そして思い出す。

 レナが人目を憚らず、アイズに向けて放った言葉。

 それによりベートは混乱し、こうしてアイズから逃げてきたのだ。

 意識を失っていても、ある程度のことは予測できる。自身の身勝手な行動が、ベート・ローガに多大な損失を与えた。これまでの我が侭や迷惑加減とは、レベルが違う。

 もう、流石にこれは我が侭の度が超えていた……と、過去の己に恥じる。

 

 「クソが、辛気クセェ面を晒すな……今日はもう、疲れた。面倒だから今夜も此処で寝る。宿借りるぞ、バカゾネス」

 「え……?」

 

 思いがけない言葉に、レナは呆けた顔をした。もうデートは終わったのだ。ベートが『鍵』について聞いてきたら、約束通り話すつもりでいた。

 それで終わり。きっと『鍵』の情報を得たら、ベートは此処から立ち去る。そう覚悟していた。

 そんなレナに、ベートは言ったのだ。『今夜も此処で寝る』と。

 

 「また、泊まるの? 泊まってくれるの?」

 「………ああ」

 「一緒に、いてくれるの? ベート・ローガ……?」

 「だからそう言ってんだろ!?」

 「………ッ」

 

 まだ、ベート・ローガは一緒にいてくれる。ここにいてくれるのだと。

 それがどれだけ嬉しかったか。今まで邪険にされていた意中の雄に頼られるということが、どれほど幸福と思ったことか。

 

 「いいか、勘違いするなよ! 明日にはぜってぇ『鍵』探しに行くからな!!」

 「うん……うん!」

 「冒険者が簡単に泣くんじゃねェ!」

 

 感極まって泣くレナにベートは叱咤するが、レナの目からは涙が止まることはなかった。

 だって、仕方ないじゃないか。嬉しくて、嬉しくて、自分でもどうしようがない。

 こんなに胸が締め付けられる感情を、制御などできるはずがない。

 

 「ありがとう、ベート・ローガ! すぐ、晩御飯を用意するから、待ってて!!」

 

 レナは、溢れんばかりの想いを抱えて、厨房に駆けていった。

 少しでも優しき彼に報いろう。少しでも不器用な彼の疲れを癒そう。少しでも、この時間を意味のあるものにしようとする一心で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とはいえ、もう楽しいデートは終わった。三日目の朝からは、自分の我が侭を多く聞いてくれたベート・ローガに恩返しをする時間だ。きちんと契約通りに対価を払わなければ、女が廃るというもの。

 

 レナは自身の用いる情報を全てベートに打ち明けた。

 

 【イシュタル・ファミリア】の隠し部屋にあった『鍵』らしきアイテム。

 【イシュタル・ファミリア】の副団長、タンムズの詳細。

 

 闇派閥(イヴィルス)に関わっていたと思われる副団長についてはレナもよく知らないので深く答えられなかったが、【イシュタル・ファミリア】の隠し部屋のことなら詳しく答えることができた。

 

 「イシュタルの神室(隠し部屋)か、そのタンムズとかいう野郎の部屋にあるかもしれねぇってわけか」

 「うん。でも、本当にあるかどうかは分からないよ? あの後タンムズも行方を晦ましてるし、もしかしたら持ち出しているのかもしれない」

 「構わねぇ。なんにしても、調べる価値はある……まずはあの『女神の宮殿(ベーレト・バベリ)』を目指す」

 

 ベートはこの高級娼館からでも目視できる、歓楽街にそびえ立つ巨大な宮殿を見据える。

 やることが決まった狼の行動は迅速だ。すぐさま彼は高級娼館を出ようとする。

 

 「おい」

 「え?」

 

 『鍵』の情報も伝えたし、もうお役目御免だろうなぁと思っていたレナにベートは声をかけた。

 彼は此方に顔を向けず、背中を向けて、ぶっからぼうな言い方で。

 

 「何呆けてやがる。この歓楽街はテメェの庭みてェなもんだろうが」

 「………それってつまり……私に道案内を?」

 「それ以外に何がある。昨日はあんだけ俺に迷惑かけたんだ。情報寄越したくらいでチャラになると思ってんのか? お前は」

 

 ベートの台詞に、レナはまた溢れんばかりの笑顔で頷いた。

 その無邪気な子供のような反応に狼人(ウェアウルフ)はガシガシと頭を掻いて、寝食を共にした廃れた高級娼館(レナの隠れ家)を後にする。

 

 きっとこれは、ベート・ローガがほんの少し見せた不器用な優しさだった。

 傷つき、傷つけ、一匹狼を続けてきた男の心に無作法にも上がりこんだ一人の少女。

 鬱陶しいと思いながらも、完全に振り解けなかった男の甘さ。

 放置しておけば終わりだったのに、それをしなかった狼の矛盾。

 久方ぶりに受ける、人の好意。人の善意。人の良心。

 

 

 ベートの(きず)の疼きは、レナと共に行動するその時に限り、消えていた。

 

 

 




 幼馴染のレーネ、【ヴィーザル・ファミリア】の女性、そして【ロキ・ファミリア】のリーネ。
 立て続けにベートを想う人達が死んでいく辺り、良い女ほど彼の手から離れていく印象。
 大切な者がドミノ倒しの如く消え去っていく様は、もはやエゲツナイの一言。
 尤もそれらの体験が今のベート・ローガの人格形成や独自の哲学に繋がっているのでしょうが、あまりにも痛々しいものですね。

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