凶狼に救いを授けるのは間違っているだろうか   作:ナイジェッル

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三傷:呪詛の凶刃

 レナを道案内役にするというベートの判断は、結果的に正しかった。

 元【イシュタル・ファミリア】の配下区域はとてつもなく広大だ。その上、様々な娼館が乱立しており、もはや迷路と言っても相違ない。尤もベート・ローガの獣の直感や嗅覚を駆使すればおのずと『女神の宮殿(ベーレト・バベリ)』に辿り着けるのだろうが、レナの土地勘はそれすらも凌ぐ。

 

 【ロキ・ファミリア】と並び、迷宮都市(オラリオ)最強と名高い【フレイヤ・ファミリア】はどういうわけか、【イシュタル・ファミリア】に全面戦争を起こし、この欲望渦巻く娯楽街を文字通り廃墟にした。なんでもフレイヤお気に入りの男をイシュタルが誘惑した怨みからよるものだ、とまことしやかに噂されている。

 冗談みたいな噂話だが、あの何事にも執着癖が凄まじい主神ならやりかねないと、神々の中では『なるほどなー……』など言って頷く者もいる。

 事実がなんであれ、【イシュタル・ファミリア】は力技で解体された。主神イシュタルも天界に強制送還されたことにより、もはやこの街は機能していない。今では【ガネーシャ・ファミリア】と呼ばれる大武闘派【ファミリア】と中立組織のギルドによって管理されている状態だ。なんとか【イシュタル・ファミリア】の跡地であるこの歓楽街を復興させようと努力しているらしい。

 

 無論、そんな跡地に【ロキ・ファミリア】の幹部クラスと元【イシュタル・ファミリア】のアマゾネスが共に嗅ぎ回っていると知られれば、面倒なことになるのは必至。できるだけ【ガネーシャ・ファミリア】の連中に気づかれずに行動しなければならないこともあり、人目の避けられる裏道などを活用する必要があった。

 その点では、レナ・タリーはよく働いている。恐らく【ガネーシャ・ファミリア】やギルドの人間では知らないであろうルートを事細かく把握しており、巧いこと隠密行動ができている。

 

 ベートはレナの征く道についていく。奥地に進めば進むほど、歓楽街の損傷具合が軒並み酷くなっていく。流石は天下の【フレイヤ・ファミリア】だ。敵とみなした者は、何物であろうと容赦しないこの過激さ。ベートをも関心させる徹底ぶり。

 見渡す限り、どの建築物の壁にも大穴が開き、石敷きの地面には無造作に武器が突き刺さっている。【イシュタル・ファミリア】の必死の抵抗も見て取れるが、この惨状からして勝負にすらならなかったのだろう。悉く破壊された街並みを見れば、どれだけ一方的な戦だったか……それを理解できない愚鈍はいまい。

 そもそも【フレイヤ・ファミリア】には迷宮都市(オラリオ)最強の男、Lv.7の【猛者(おうじゃ)】オッタルを始め、Lv.6のアレン・フローメル、ヘグ二、ヘディン、その他多数と『ダンジョン』にその名を刻んだ歴戦の冒険者達が在籍している。Lv.6はおろか、Lv.5の【男殺し(アンドロクトノス)】フリュネ・ジャミールが最高戦力の【イシュタル・ファミリア】に勝ち目など無い。

 

 “弱者は強者に何をされても文句は言えねぇ。強者は何をしても構わねェ……どこも同じだ”

 

 【イシュタル・ファミリア】の冒険者達は果敢にも武器を取り、【フレイヤ・ファミリア】に立ち向かったのだろう。最初から降参などせずに、絶望に喰らいつこうとしたのだろう。

 しかし結果はどうだ。彼らを一秒でも食い止められたか? 傷一つでもつけられたか?

 少なくともベートの耳には、【フレイヤ・ファミリア】陣営に被害が及んだという報告は届いていない。全くの無傷で鎮圧したという名声ばかりが聞こえてくる。

 

 この壊滅した歓楽街はベートの見てきたクソッタレな世界の縮図だった。

 圧倒的な力の前に、何もできず、何も為せず、捻り潰される残酷な(ことわり)だ。

 

 分かっている。この世界はいつもこうなのだと、理解している。

 今更、世の現実を見て感傷的になれるほどベートも暇ではない。

 【イシュタル・ファミリア】も所詮はその程度の器だったというだけの話なのだから。

 

 「こっちだよ、ベート・ローガ!」

 

 レナは呆れるほど元気な声を上げている。

 一応、【イシュタル・ファミリア】はレナの元【ファミリア】だろうに。

 自分はともかく、お前は少しくらい感傷的になれよとベートは心のうちでツッコんだ。

 

 「あんまり大声出すな。気づかれるだろうが」

 「えへへ、ごめんなさい」

 

 ベートの役に立てていると実感できるレナは、年相応にはしゃいでいる。

 何度目か分からない溜息を吐きながら、ベートは空を見上げた。

 空は薄汚れた灰色の雲によって覆われており、今にも一雨振りそうな気配だ。

 少し憂鬱な気分になりながらも、ベートは歩みを進める―――が、急に彼は足を止めた。

 

 「…………」

 「どうしたの、ベート・ローガ? もしかして【ガネーシャ・ファミリア】の連中が近くに?」

 

 突如として険しい顔をするベートを見たレナは周囲を見渡した。しかし【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者の姿も、ギルドの人間と思わしき気配も、まるでしない。

 

 「おい、バカゾネス。俺の傍に来い」

 

 硬い声色で近くに来いという指示に、レナは困惑しながらも従った。

 

 「妙な連中が俺らを見張ってやがる」

 「が、【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者?」

 「バカか。奴らなら、なんで気配を殺してまで俺らを視ている。普通、警告なり何なりしてくるだろうが……こいつァ、どう考えてもマトモな連中じゃねぇな」

 

 ベートの予想は的中していた。

 存在を知られた監視者達は、あるものは建物の影から、ある者は路地裏から姿を現した。

 その皆、全てが顔や身体を覆い隠す黒装束を身に纏っている。何より目だ。黒装束の人間達が此方に向ける目が、冒険者のする瞳ではない。冷え切った、人形のような冷たさを内包している。

 短い人生において、まるで経験したことのない薄気味悪い視線にレナは身を震えさせた。

 レナとてLv.2の冒険者。ある程度の修羅場は潜ってきた。獰猛な怪物達と戦い、そしてランクアップを果たしたアマゾネスだ。しかしこのような、殺意すら覆い隠すような連中との対峙は、今日で初めてだった。

 

 「……バカゾネス。さっさと武器を取れ」

 

 ベートの言葉に我に返ったレナは、急ぎ腰にぶら下げていた曲刀(シミター)を抜いた。

 しかしその獲物を握る手は、小刻みに震えてしまっている。

 

 「冒険者……いや、違う。こいつらァ………暗殺者(アサシン)か」

 

 彼らの装束を見たベートは吐き捨てるように言った。

 『ダンジョン』の怪物相手ではなく、対人専門の暗殺【ファミリア】の系統。

 道理で気配も何もないはずだ。彼らにとって、気配を殺すということは基本技術。スキルに頼らず、生まれながらの鍛錬において完成された特殊技能。狼人(ウェアウルフ)の鋭い嗅覚、視線に対する敏感さがなければ高ランクの冒険者でも気づくのは難しい。

 

 「おやァ? おやおやァ? 誰かと思えば【凶狼(ヴァナルガンド)】じゃねぇかぁ」

 

 朽ちた娼館の屋根の上に、ねっとりとした声色と共に現れた一人の女性。

 その女は黒い長外套(オーバーコート)を身につけ、皮の脚衣(レザー)を着用し、手には(いびつ)で禍々しい大剣を携えていた。殺意がおぞましいほど上がっているのも合わさって、明らかに真っ当な冒険者ではないとレナは確信する。

 

 「テメェは……ヴァレッタ・グレーデ………!」

 「【凶狼(ヴァナルガンド)】に名を覚えて貰えてるなんて光栄だねェ」

 

 ヴァレッタ・グレーデと呼ばれた女は、それこそ口が裂けるのではないかと思えるほど、邪悪な笑みを浮かべた。狂気に取り付かれた、狂人のする顔だ。

 レナは、ベートが叫んだ彼女の名を聞いたことがあった。

 確か、闇派閥(イヴィルス)の幹部にして【殺帝(アラクニア)】という二つ名が与えられた犯罪者。多くの犠牲者を生み出し、一時期迷宮都市(オラリオ)に『暗黒期』と呼ばれる災厄を招いた大悪党の一人。

 

 「ゲス女がなんでここにいやがる!」

 「それはこっちの台詞だぜ、【凶狼(ヴァナルガンド)】。まさかお前が歓楽街にいるなんてな。しかもアマゾネスの餓鬼と一緒たぁ……まさか、抱くつもりだったか? ヒヒッ」

 「ふざけるなよ、【殺帝(アラクニア)】ァ!!」

 「おいおい煽り耐性が無さすぎんだろこの狼」

 

 ヴァレッタは怒気を孕ませる大狼を見下ろしながら、溜息を吐いた。

 しかしその目は一向にベートとレナを捉えたまま離さない。

 

 「しかしとんだ偶然もあったもんだなァ。私はただ歓楽街を調べにきたってだけなのによォ……まさか、第一級冒険者と遭遇するなんて計算外だ」

 

 ブツブツと呟く【殺帝(アラクニア)】。

 彼女にとっても、ベートとの遭遇はイレギュラーだったようだ。

 しかし、だからと言って、大きな獲物を前にして見逃すという選択肢は、彼女にはなかった。

 

 「だが、ちょうどいい。ちょうどいいぜェ。ここらを徘徊していた【ガネーシャ・ファミリア】の塵共だけじゃ、殺し足りなかったところだ。ここで出会ったのも何かの縁。そこのアマゾネスのついでに【凶狼(ヴァナルガンド)】の首級を挙げるのも、一興ってなァ!!!」

 

 【殺帝(アラクニア)】が叫び、宣言すると同時にベートとレナに、暗殺者共は殺到した。

 やはり単なる様子見で終わるわけがないかとベートは大きく舌打ちした。

 

 「奴らは『呪道具(カースウェポン)』の短刀を持ってやがる! いいか、バカゾネス! あの凶器で一撃でも深手を負えば、助からないと思え!!」

 「は、はい………!!」

 「………これは契約だ。反故したら殺す。一度しか言わねぇ。拒否も許さねェ」

 

 四方八方から迫りくる狂人らを前に、ベートは頬に刻まれた刺青が大きく歪むほど、口を開き、声を上げた。

 

 「お前は、俺の傍から―――離れるんじゃねェぞ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、そうだ。いつも、いつもこうなのだ。弱者は常に己を苛み続ける。雑魚はいつも足を引っ張ってばかりだ。今回もその例に漏れず、レナという少女を護る為に【凶狼(ヴァナルガンド)】は苦悩する。

 

 雨が打ちつけるように降ってきた歓楽街で、数多の暗殺者を蹴り飛ばすベート。まるで歯牙にもかけない圧倒的な力。しかしそれを存分に扱えているかといえば、否だ。

 彼の背後にはレナ・タリーがいる。持ち前の機動力を活かそうにも、もし一度でも彼女から目を離せば、彼女が殺される。生まれたての雛と同じくらい、軽い命なのだ。この戦場において、弱者の生命なぞ。

 

 見捨てればいい。見限ればいい。そうすれば、こんな暗殺者共など敵ではない。その脚で、その拳で、制圧することなど容易い。そんなことはベート・ローガが一番分かってる。自分が如何に甘い考えを持っているか、吐き気がするほど理解している。

 

 だが、できない。ベート・ローガは弱者を見捨てることができない。それは【凶狼(ヴァナルガンド)】の致命的な弱点だった。冷徹無比と謳われた男が持つ、弁慶の泣き所。

 

 いつも護れない。いつも助けることができない。弱者は、いつも己の手から零れ落ちる。

 嫌いだ。弱者は、雑魚は、これだから嫌いだ。まるで過去の自分をみているようで腹が立つ。

 あいつらの傷つく姿が、あいつらが哭く姿が、この眼に写る瞬間は、何時になっても慣れやしない。

 

 「ルオォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

 

 【凶狼(ヴァナルガンド)】は吠える。

 迫りくる凶刃から、レナ・タリーを保護する。雨に濡れ、血が溢れ、呪いを受けながらも狼は一人の少女を護らんが為に拳を振るう。

 彼らの目的は、レナ・タリー。彼らの暗殺対象は、元【イシュタル・ファミリア】に所属していたこのアマゾネスなのだと、ベート・ローガも気づいていた。

 恐らくあの人口迷宮を突破する唯一アイテム、『鍵』の在り処を知っている可能性がある者の抹殺。口封じのためにレナを狙っている。ヴァレッタ・グレーデも言っていた。『そこのアマゾネスのついでに【凶狼(ヴァナルガンド)】の首級を挙げる』と。

 闇派閥(イヴィルス)の狙いは初めからレナだ。だから、暗殺者の攻撃はレナに集中している。だから、ベートは彼女から離れることも、離すこともできない。逃がすこともしてやれない。

 

 だが、それがどうした。護り切ればいいだけだろう。救えばいいだけだろう。

 今のベート・ローガは第一級の冒険者だ。Lv.6にまで上り詰めた大狼だ。一人の女くらい、護れずしてどうする。一人の餓鬼くらい、助けてやれずにどうする。

 

 “もう、誰も―――誰も、俺の前で―――――”

 

 ベートの脳裏に過ぎる、これまで救えなかった者達の顔。

 思い返すは『平原の主』と呼ばれる怪物に食い殺された幼馴染。

 弱さゆえに『ダンジョン』で命を落とした女。

 呪いの短剣により腹を突き刺され、絶命した仲間。

 

 『弱い女は、一番嫌いだ』

 

 己の無力さを思い知らされる。

 誰かが死んで、誰かが泣く。その姿に、ベートはかつての己の姿と重ねる。

 

 「………ガ……ァ……」

 「べ、ベート・ローガァ……!!」

 

 アマゾネスの少女に向かって投擲された一刀の『呪道具(カースウェポン)』の刃。それを見たベートは防ぐまでは間に合わないと判断。己の身を盾として、レナを庇った。

 呪詛の短刀はベートの右肩を容赦なく抉った。強烈な痛みがベートを襲うが、なんということはないと歯を食いしばる。

 

 この程度の痛み、呪いがなんだ。ふざけるな。こんなモノに、仲間がやられたのか。こんなクソッタレなモノに、リーネ達は殺されたのか。

 怒りはあらゆる痛みを忘れさせる。憎悪が深くなればなるほど、傷の痛覚が薄れていく。

 

 「うるせぇ……仮にも冒険者が……情けない声を、出すんじゃねぇ………」

 

 ベートは肩に突き刺さった呪いのナイフを忌々し気に引き抜き、地面に叩きつける。

 

 「はッ、ははははは! バカが、庇いやがった!!」

 

 膝をつくベートを嘲笑する【殺帝(アラクニア)】。あれほど勇名を轟かせた冒険者の憐れな姿に、笑わずにはいられないとばかりの大爆笑だ。

 

 「そのお荷物を捨てれば、生き残れるだろうに。そのアマゾネスを見殺しにすれば、自分は助かるだろうに。それどころか勝利することもできるだろう?」

 「黙れ……」

 「それをしないなんて、とんだあまちゃんだ。何がLv.6だ。何が【凶狼(ヴァナルガンド)】だ。聞いて呆れるぜ、一人の餓鬼も捨てられねェ愚図野郎がよォ!!」

 「黙れって言ってんだ……そのくせぇ口を閉じろ、ゲス女――――――!!」

 

 ベートは咆哮しながら、懐から『魔剣』を取り出し、第二等級特殊武器(スペリオルズ)である具足、フロスヴィルトにその刀身を宛がう。

 『魔剣』はその内包された『魔力』を全て喰われ、フロスヴィルトの魔石に装填された。

 怒りを籠めて、ベートは爆発的な『魔力』を蹴り放つ。

 

 周囲を囲んでいた暗殺者達の大半が、その『魔力』に肉体を吹き飛ばされる。斜線上にいなかったものでさえ、余波で四肢のどれかを失う大損害を被った。

 

 「逃げるぞ、バカゾネス!」

 

 ベートはレナの腕を引っ張りながら、この場を後にする。

 なけなしの『魔剣』を使っても、今はその場凌ぎ程度にしかならない。

 まだ、まだまだ暗殺者達の数は多い。たかがアマゾネスを狩る為だけに、中隊クラスの人数を揃えられている。今はとにかく、【ロキ・ファミリア】の連中にレナを保護してもらうことが先決だ。その後に、幾らでも奴らをぶち殺せる。

 

 「………くそが」

 

 しかし、そんな思惑など奴らも承知済み。

 またも暗殺者達がどこからともなく現れては包囲する。

 この歓楽街から、【ロキ・ファミリア】のアジトまでの距離が絶望的だ。

 加えてこれまでに多くの傷を負ったベートでは、レナを抱えて奴らを撒くことができない。

 八方塞りだ。なんとか突破口を開かなければ、レナどころかベート自身も『呪い』にやられる。『呪道具(カースウェポン)』に負わされた傷は、簡単に癒されることはなく、その傷口から溢れる出血により命を落とすのだから。

 

 「……私が……お荷物になってるんだよね?」

 

 レナは、震える声でそんなことを言い出した。

 レナも、気づいたのだ。自分が命を狙われ、自分が、ベート・ローガを巻き込んだのだと。

 その台詞に、【凶狼(ヴァナルガンド)】はとてつもなく嫌な予感がした。

 

 「おい……なに言ってやがる。これは俺に対して売られた喧嘩だ。テメェは、関係ねぇ!関係あるもんかよ!俺がお前を巻き込んだんだ、それすらもわからねぇか!?」

 

 やめろ、ヤメロ。

 何もするな。お前は、黙って俺の傍にいればいい。

 動くな、俺の傍から、絶対に離れるな。

 

 「ううん……私が、命を狙われて……ベート・ローガが巻き込まれてるんだよね?」

 「それ以上喋るな! そんな余裕、雑魚のお前にはないだろうがよ!!」

 

 『呪道具(カースウェポン)』を振り回す暗殺者を一人ひとり捌きながら、ベートは怒鳴る。

 何を勘違いしてやがる。何を責任がある風に言っている。雑魚は雑魚らしく、生きる為に必死になればいいんだ。背負い込むな。この戦場で泣き言なんて吐くんじゃねぇ。

 

 「私は、足を引っ張ってる」

 

 牙が疼く。

 ズキズキと、頬に刻まれた牙が痛む。

 

 「でも―――私がいなければ、ベート・ローガは強いもんね?」

 

 レナの言葉に、ベートの時が止まる。

 ベートは危険を承知で、敵を前にして背後を振り返ってみれば、そこには涙を流し、今にも自分の元から駆け出しそうな少女の姿があった。

 その姿に、狼は喉が張り裂けんばかりに叫んだ。絶対に、今 彼女の行おうとしていることを看過してはならぬと、全力で、吠えた。

 

 「俺は言ったよな、お前に! 俺の傍から離れるなと!! 俺の命令を反故しやがったら、殺すと言っただろうが!!」

 

 ベートは駆けた。今すぐ彼女の腕を掴もうと。

 ベートは手を伸ばした。愚かなことを決意した少女を繋ぎ止めようと。

 

 「血迷ったことを考えるんじゃねぇ! そこを動くなよ、レナァ!!」

 「……今、初めて、名前を呼んでくれた――えへへ、ありがとう。ベート・ローガ」

 

 アマゾネスの少女は、そんなベートの手を振り解き、走り出した。

 暗殺者もレナの逃げる方向に追従していく。

 その結果に、【凶狼(ヴァナルガンド)】は激昂した。

 

 「馬鹿タレがッ………大馬鹿アマゾネスがァ!!!」

 

 絶対に逃すものか。捕まえて、勝手な行動を取ったバカに蹴りを入れてやる。

 

 「おっと行かせね~ぜぇ? 【凶狼(ヴァナルガンド)】ォ」

 「そこをどけえェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!!!!」

 

 目の前に立ち塞がる女を、ベートは殺意の純度100%の蹴りを見舞おうとするも、回避に徹した【殺帝(アラクニア)】はギリギリそれを避ける。

 本来Lv.5のヴァレッタ・グレーデがLv.6のベートに敵うことなど有り得ない。

 しかし度重なる『呪道具(カースウェポン)』の傷を負い、血を流し続けている今のベート相手なら話は別だ。勝てないにしても、生き残るくらいは造作もない。

 

 「ったくなんつう蹴りを放ちやがるんだよ糞野郎が。直撃したら死ぬところだったぞ?」

 「そのままくたばれ!!」

 

 今は【殺帝(アラクニア)】の相手をするほど余裕などない。

 

 「はッ、必死じゃねぇか? なァ!!」

 「黙れ!!」

 「そこまであの娘が大事かァ!?」

 「黙れェェェ!!!」

 

 怒れるままに吠え続ける男に、ヴァレッタ・グレーデは愉快そうに頬を歪める。

 最高の見世物だと、高らかに嗤う。

 その仕草、その声、その表情全てがベート・ローガの癇に触った。

 

 「まぁ落ち着けよ、【凶狼(ヴァナルガンド)】。ちょいと話でもしようや」

 

 この期に及んでまだ喋り続けるその口は、ただひたすらベートの煮え滾る怒りを煽る。

 そしてあろうことか、ヴァレッタは恐れを知らぬ愚者の如き、ある事実を吐いた。

 

 「お前らが『人口迷宮(クノッソス)』にやってきた時よォ……そりゃもう、くそほど多くの仲間が死んじまったんだよなぁ?」

 

 ヴァレッタの言葉に、ベートは目を見開いた。

 まさか――まさか―――こいつァ―――この女が―――。

 

 「あれ、全部私がやったんだぜぇ? 泣き叫ぶ冒険者どもを、きっちり全員刺し殺してやった! 助かった奴ァいねぇだろ? そうだろ? ちゃんと刺し貫いてやったもんなぁ!!!」

 

 ヴァレッタはまるで悪戯が成功した悪餓鬼のように言う。

 そうだ。あの惨劇は、悪戯と同じ、その程度と同じ感覚で行ったのだ。

 軽い気持ちで、【ロキ・ファミリア】の仲間を多く殺した。

 

 「特にあの治療師(ヒーラー)は殺し甲斐があった!」

 

 何かが、ベートの心の奥底で燈った。

 これは、この感情は、どうしようもない悪鬼の類い。

 殺して、殺して、殺し尽くさなければ収まらない、殺意の焔。

 

 「弱ェくせに、最後まで仲間を護りやがってよォ!? 嗤っちまうだろう? 最高の笑い話だろ? な、お前も笑えよベート・ローガァ?」

 

 ベートは拳を強く握り締めるあまり、掌の皮膚が破け、血が滲む。

 こいつが、この女こそが、リーネ達を殺した張本人。【ファミリア】の仲間を惨殺した者。

 もはや怒りの天井など当に通り過ぎている。激情するどころか、一週回って冷静になれた。

 

 「どけ……何度も言うが、邪魔だ」

 「およ? んだよその反応。白けるなぁ、オイ。もちっと叫んだりしねぇのかよ」

 「お前は、殺す。必ず……だが、今はあのバカゾネスが最優先だ」

 

 今、目の前の女を八つ裂きにしたい気持ちは大いになる。憤激の赴くままに、殺したい渇望で身がはち切れそうだ。しかしそれは後でもできる。それよりも、新しく犠牲になろうとしている女を救う方が先決だ。

 

 「はッ! そうかよ。私もあんまりアンタみたいな怪物と対峙してたら命が幾らあっても足りやしねぇからね。いいぜ、行ってやりなよ。まぁ、もう間に合わねぇだろうがなぁ!!!」

 

 醜悪な女の嘲笑は、どこまでもベート・ローガの耳に残り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レナ・タリーは足掻いた。迫る暗殺者に、必死になって喰らいついた。

 怖い。怖いさ。誰だって、死の具現(アサシン)を前にして怖くならない人間などいない。

 だけど、この恐怖を超えて、更に一歩を踏み出せる者こそ、きっと英雄になれるのだろう。

 そう思いながらも、レナは曲刀を振るう。

 

 ベート・ローガのお荷物だった自分から開放されたレナの太刀筋は、澄んでいた。

 恐らくLv.1であろう、暗殺者の動きは、落ち着いてよく観察すれば幾らでも対処できる。

 もう、彼らの目には慣れた。この調子でいけば、もしかしたら生き残れるかもしれない。もしかしたら、ベート・ローガに褒めてもらえるかもしれない。そんな希望すら、見えてきた。

 

 「はぁ……はぁッ………へへ、私も、やれば、やれるもんだね」

 

 歓楽街の広場まで逃げおおせたレナは、一人笑みを浮かべる。

 残る暗殺者は一人。大丈夫、なんとかなる。そう己を鼓舞する。

 もう、ベート・ローガの足手まといにはなりたくない。だから、彼の元から飛び出した。後悔なんてないし、自分の判断に誤りは無いと信じている。

 つくづく我が侭な女だ、とレナは笑った。散々迷惑かけて、自分勝手な行動をして、そして自己完結して満足している。こんなアマゾネスは、世界が広いといっても自分くらいなものだろう。

 

 「なるほど。唯の腰抜けの冒険者かと思えば、そうでもなさそうだな」

 

 たった一人となった暗殺者は、地面に転がり、物言わぬ死体になった同胞を見て目を細めた。

 やはり腐ってもLv.2の冒険者。Lv.1程度の者を仕向けても、冷静に対処されればこの通り。

 小娘と侮り、物量で責めたことが仇となったと、暗殺者は口走る。

 

 「貴方が最後の一人……どうするの?」

 「無論、任務を完遂する。お前の命、ここで狩り受ける」

 「嫌だなぁ。なんでそこで、逃げてくれないのかなぁ」

 

 レナは改めて、武器を構え、柄を握り締める。

 気丈なアマゾネスを見た暗殺者は、もはや油断はしまいと短刀を向ける。

 

 「我はそこらの雑兵とは違う。頭目としての責務、果たさせてもらうぞ」

 

 暗殺者は、動いた。

 黒い軌跡を描きながら、暗殺者らしい素早い動きでレナに接近する。

 

 「頭目だろうとなんだろうと………!」

 

 レナもまた、暗殺者に向かって駆ける。

 アマゾネスという生まれながらにして強靭な肉体を兼ね備えるレナと、ヒューマンと思わしき暗殺者。そして恐らく、頭目クラスといえど、動きからしてLv.2程度。敵わない敵ではない。

 

 「ハァッ!」

 

 レナは曲刀を寸分違わず暗殺者の首に放つ。

 暗殺者は一対一の戦いにおいても、何をしてくるか分からない。

 できるだけ短期決着が望ましいが故の、致命傷狙い。

 

 「ふん、単純すぎる太刀筋だ」

 

 暗殺者は、首に(いざな)われる斬撃を短刀で受け止める。

 

 「初撃において即殺。フェイントもなく、ただ純粋に首を狙った。あまりにも予測しやすい、考え無しの直球的な一手だ。(つたな)いぞ、アマゾネス」

 

 こと対人において、そこらの冒険者よりも暗殺家業を生業とする暗殺者の方が優れている。

 怪物という異形の相手ならば、確かに冒険者は凄まじい活躍をするのだろう。

 しかし、しかしだ。人体を知り尽くし、人間自体を狙う暗殺者は、怪物を殺した数より圧倒的に人間の方が多い。替えの効く兵ならまだしも、頭目の位に立つ暗殺者である男が、同じLv.2の冒険者に遅れを取ることなど有り得ない。

 

 「人間は、知性無き怪物とは違う。思考する力がある。同じ人間を相手にする際は、それなりの考えを持って初撃を選べ」

 

 暗殺者は流暢に話しながら、レナの曲刀を弾き、短剣でその肢体を切り刻む。

 

 「痛ゥッ、この……!」

 「太刀筋を予測できまい? 力任せに、考え無しに膂力を振るう怪物とは違うのだよ」

 

 一瞬にして複数の斬撃を受けたレナは、苦痛に表情を歪ませる。

 人間を相手にしてきた経験の差。如何に殺しを行ってきたかの差。

 まだ子供のレナ・タリーにはないものを、暗殺者は用いている。単純な力量の差だけではない。

 

 「このまま刻み続ければ、その傷から溢れ出る出血だけでも死ぬだろう。しかし冒険者は何かと頑丈だ。念には念を入れて―――殺してやる」

 

 ずぶり……と、嫌な音がレナの耳に届いた。

 己の腹から押し寄せる火傷の如き熱さ。尋常ならざる痛み。

 目を下に向け、痛みの元凶を見れば、すぐに分かった。

 

 嗚呼。私は、刺されたのか。

 

 褐色の肌を突き破り、深々と突き刺さる『呪道具(カースウェポン)』の短刀。

 ベート・ローガが決して深手を負ってはいけないと念入りされた凶器。

 曰く、『呪道具(カースウェポン)』の傷は生半可なアイテムでは治らない。

 曰く、『呪道具(カースウェポン)』による致命傷は、死と同義である。

 この時レナは、己の死を自覚した。

 

 「どのような屈強な冒険者でも、『呪い』には勝てぬ。その傷ではもはや助かるまい」

 

 暗殺者は確かな手応えを得ていた。

 これまで幾度となく人間を死に追いやった確実な一撃だ。

 

 「任務は完了した。貴様は大人しく雨に打たれ、野たれ死ね」

 

 無慈悲に告げられた死刑宣告を告げ、暗殺者は去っていった。

 レナは血が溢れる腹を見ながら、ただ、己が弱さを実感し、自嘲して、斃れ伏した。

 歓楽街の大広間。かつての故郷、かつての家であったこの街で、一人のアマゾネスは、苦痛と共に、意識を失う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レナは、ある夢を見た。

 腹を刺され、今にも死のうとしている己を、ただただ見つめる男の姿を。

 

 しかし失血が酷いのか、目がぼやけ、意識がはっきりとしない。

 

 そこでようやくこれは夢ではなく、現実だと知った。

 

 血溜まりを作り、斃れ、弱っている女の前で、膝をついているベート・ローガ。

 その顔は、よく見えないけど、酷く、酷く、哀しい顔をしているように感じた。

 あれだけ迷惑をかけた己に、そんなに悲しまれるはずもないのに。

 

 彼はレナを呼んでいた。

 雨に打たれる音に負けそうなくらい、震えて、小さい、か弱い声で。

 傍若無人で知られるベート・ローガには似合わない。そんな声色だった。

 

 レナは最後の力を振り絞って、左手を持ち上げる。

 手にとってくれるだろうか。最後に、手を握ってくれるだろうか。

 そんな淡い少女の願いを、男は応えた。

 まるで繊細な宝物を掴むように、優しく、ぎゅっと握ってくれた。

 

 嬉しかった。

 彼の手から伝わる温もりが、この上なく尊く感じた。

 

 「ベート……ローガ………私……弱っちくて………ごめ…ん」

 

 結局自分は、彼が最も忌み嫌う弱者のままだった。

 弱者から脱却しようと意気込んだのに、このざまだ。

 こういう結末を見るのが嫌だから、雑魚を、弱者を、戦場から遠ざけようとする男の願いに反する結果を、今、レナ・タリーは見せている。

 

 「やくそく、無理、だった」

 

 必ず強者になると。ベートと並ぶ存在になるのだと約束したのに。

 あれほど、力強く宣言したのに。

 

 「あなたの……となりに………ならびたかった……な………」

 

 レナは、その言葉を最後に―――また、意識を手放した。

 もう二度と、起きることはないのだろうという、哀しみと共に。

 

 




 やっぱりあの『呪道具(カースウェポン)』はエグイ(確信)
 殺意が高いというか、生々しいというか、もはやそういう次元ではないと思う昨今
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