凶狼に救いを授けるのは間違っているだろうか   作:ナイジェッル

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八傷:かつての誓い

 その日も、ベートはレナに付きっ切りで対人訓練を叩き込んでいた。根性無き者は裸足で逃げ出し、プライドが高いだけのものはプライドを即座に放り投げ、外面ばかりを取り繕っていた阿呆はもはや閉じ篭るであろう、そんな地獄をレナに浴びせている。無論、怪物の殺し方だけではない。『人』の殺し方を、重点的に教えているのだ。遠くない未来で起こる、【ファミリア】同士のくそったれのような戦争の為に。今まで人を積極的に傷つけようなどと思わなかったであろう、無垢な少女にだ。

 

 ベートに罪悪感などない。元より、そのような心は当の昔に捨て置いた。今更拾うことも、得ることもない。ただ彼は自分に課せられた仕事を淡々とこなすだけだ。そこに情など挟み込む余地などなく、むしろ鞭の如き厳しさを与えている。これが大草原で育ってきた狼の教育だ。そもそも甘ったれた環境下では早期成長は望めないのは誰よりもレナ本人が一番理解している。逆に優しくしようものなら、逆効果になることは間違いない。なんやかんやでレナにはこの方式が適しているとも言える。

 

 しかし、故郷の鍛錬を課していると、嫌でも思い出してしまう。思い出すまいと封印しようとしてもできず、今も残り続けるあの頃の思い出を。あの頃の青春を。あの頃の弱さを。

 

 まだ世の理不尽を知らなかった男の過去。

 まだ世界の非情さを知ろうとしなかった道化の傷。

 まだ、ベート・ローガという男が、愛する女を護ろうと誓った、あの過ぎ去りし幻想を、夢として再現される。

 

 その夢は狼にとって忌々しい悪夢か。それとも、心の底では決して忘れてはならぬと刻み込まれた原初の咎か――――。

 

 

 

 

 

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 神々が当然のようにこの世界に現れ、その神が人に力を授け、『冒険者』という存在を生み出すことが当たり前になった地上。それが常識となった世の理。神々から【神の恩恵(ファルナ)】という加護を得た人間は、目に見えて強くなる。普通ではありえない成長を見せ、そして人の限界に迫ることができる、窮極の力。その尋常ならざる力を得た人間は、冒険者と名乗り、普通の人の身では到底太刀打ちできぬ怪物を屠る怪物となる。

 なるほど、確かに画期的な加護だ。人間の限界に近道できる権能。人生をかけて辿り着くべき領域に僅か数年で到達できる効率の良さ。全てにおいて、なにものにも勝る圧倒的な力だと信じられるに相応しい奇蹟。

 

 しかし、その奇蹟を頼らぬ例外が存在した。

 

 それが『草原の獣民』。

 彼らは【神の恩恵(ファルナ)】を得なかった。

 神々の愛する加護を真正面から殴り捨ててきたのだ。

 自分達の肉体は、人の身一つで極めることができるのだと信じて。

 

 そして彼らは実際にそれを『体現』してみせた。

 【神の恩恵(ファルナ)】を得ずに、怪物を殺す、正真正銘の怪物。

 純粋な戦闘技術、純度が極めて高い、不純物のない人の極みを知る者達。

 

 ベート・ローガはその『草原の獣民』の一員だった。元々獣人が持つ高い身体能力を最大限に利用し、人が持つ知恵をフルに使って、怪物を狩る一族の族長の誇り高き息子。いずれ父を超え、一族を纏め上げ、多くのものを道筋を導かんとする天性の志を持つ少年。それがベートという人間性だった。

 

 常に強くあれ。牙を研ぎ澄ませ。欲するものは力を示し勝ち取れ。

 

 生物の原典である食物連鎖。弱肉強食こそ『草原の獣民』の第一原則。ベートはその厳しくも当たり前と言える一族のシンプルな在り方を好ましく思った。そして己が弱者の立場であることを自覚し、一刻も早く脱する努力を惜しまなかった。

 この時からベートは口が悪かった。悪かったが、周囲は彼の努力を認めていた。それだけの向上心があった。誰にも負けない、誰も彼もがライバルだと言わんばかりの貪欲さを「流石、族長の息子だ!」と皆が笑って受け入れてくれた。たった一人のベートの妹も、そんな兄によく懐いていた。

 

 そしてベートには、絶対に守り抜くと誓った幼馴染の女がいた。その女こそ、ベートの初恋だったのだろう。

 その少女の名はレーネ。美しく長い金髪の髪を持っていた。獣人の一族では珍しい、体の弱い女だった。そしてその珍しい脆弱な在り方が、多くの男の庇護欲を加速させる魔性を持っていたのだ。自分が護らねばならない。男の持つ、そんな感情を湧き立たせる儚い美しさ。無論、彼女を狙う男もいた。自分のものにしてやるという名乗りを上げるものなど数知れず。その中にはベートと同年代でありながらも、ベートよりも強く逞しい獣人もいた。

 

 欲するものは力を示し勝ち取れ。一族の在り方の牙が、ベートに向けられた。ベートは、奮い立った。弱肉強食の理のなかで待つ過酷さを、小さなスケールながらも実感した。これが『奪われる』かもしれない恐怖。これが、大切なものを護らねばならないという現実。

 

 「上等だ。こいよ、レーネを奪おうって野郎は全員ノしてやるッ!!」

 

 若い狼は吠えた。恋敵を全員相手に喧嘩を売ったのだ。欲しけりゃ奪え、俺はテメェらに大切なモン奪われるほど弱くなど無いと。かかってこい、返り討ちにしてやると。

 

 「族長の息子だからって容赦しねぇぞベート!!」

 「ぶっ殺してやらァ!!」

 「誰が一番レーネちゃんの隣に相応しいか白黒つけてやるッ!」

 

 その挑発にレーネに恋をしていた男達は我こそは、我こそはと続々と名乗りを上げた。そして始まった少年達の死闘。ベートは死に物狂いで彼らと戦った。自分が一番だと証明する為に、有無を言わさぬ結果が欲しかった。必死に幼いベートは喰らいつき、戦って、戦って、戦い抜いた。奪われたくないという恐怖をその身一つで受け止め、拒み、抗った。

 

 人体の急所に幾つもの拳を貰った。歯など折れて当たり前だった。日々増えていくアザ。一夜を過ぎても休まることがなく、右腕が折れた時など絶好のチャンスとばかりに戦いの過激さが増した。しかしベートは泣き言を言わずに、拳を、脚を、持ちえる技術を全力で用いて応戦した。不思議と辛いという考えは生じなかった。ただ「護れている」という実感こそベートを満たしていた。

 

 長く続いた争奪戦は、最後の一人になるまで続いた。ベートは今までに無いほどの満身創痍。整った顔など殴られすぎて酷い有様だった。それでも眼光の鋭さが喪われることなく、立ち続けた。そして立ち向かってくるものを全て宣言通り叩き潰してみせた時、ベートはようやくベートは倒れ込んだ。誇らしげに、狩りを成し遂げた大人の戦士と相違ない顔をして。

 ここまでされては認めざるを得ない。ベートに倒されたライバル達は、参ったと言わんばかりにレーネから手を引いた。もはや、あの女を彼から奪うことなど不可能だと、清清しいと思わせるくらい証明したのだ。

 

 「ふふ。バカだね、ベート。こんなことしなくても私は貴方のものなのに」

 

 倒れ伏したベートの顔を覗き込んだレーネは意地悪そうな顔をしてそういった。

 

 「テメェの意思なんて関係ねぇよ。この世の中は奪い奪われる。どれだけレーネがそう言おうと、力の前じゃ無力だ。それは、大草原で生きるお前だって分かっているだろうが」

 「それでも、私の心はベートから離れない。絶対に」

 「なら俺のやったことは無意味か?」

 「ううん。そんなことないよ。また、私の心はベートを好きになっちゃった」

 

 レーネはそう微笑んで、ベートの唇に己の唇を重ねた。周囲からはヒューヒューと冷やかしの騒音が聞こえる。

 

 「俺はお前を護れたか」

 「うん、護ってくれた」

 「俺はお前から見て強かったか」

 「うん、誰よりも強かった」

 「なら……いい」

 

 ベートは満足した顔で、眠りに、否、気絶した。今までの疲労が、痛みが、緊張が切れて意識を手放したのだ。誰でもない、好きな女の隣で。

 

 「本当に、かっこよかったよ。私の愛おしい人」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 

 

 ベートにとって、レーネと妹は命を賭して護るべき存在だ。かけがえの無い人間だ。彼女達だけじゃない。一族そのものが、家族のようなもの。いつか己が一族の頂点となり、彼らを護る。そう、息巻いていた。

 

 「お前は笑うか? 俺にはできねェって」

 

 幼いベートは草原に背をつけて、寝転びながら隣に座っているレーネに聞いた。

 

 「仮に私ができないって言って笑ったらベートは諦めるの?」

 「……お前、遠回しにくだらねェこと聞いてくんなって言ってるよな」

 「もちろん」

 

 ベートの核心を短くも的確についてくる辛辣な返し。おまけに即答である。身体こそ弱いが、この女は意外と強気だ。もしも一族相応の身体能力を持っていればさぞ勇敢な戦士になっていただろうに。ベートはそう思わずにはいられない。

 

 「でも、一応言っておこうかな。ベートもその答えが欲しいんでしょ?」

 「………」

 「意外と甘えん坊ね、私に惚れた男は」

 

 ふふっと彼女は微笑んだ。ベートの好きな、女の笑みだった。

 

 「貴方は、きっと強くなれる。そして、いっぱい大切な人間を護り通す勇敢な守護獣になれるわ」

 

 レーネは強く断言した。ベートが欲しかった返答そのものだった。それが「おだて」でもなく「本音」で言っているのだということも分かる。だからこそ、ベートは嬉しかった。顔に出さず、ポーカーフェイスを決め込んでいるが、内心は踊りそうなくらい嬉しかった。彼女が、そう信じてくれているのだと改めて理解したから。その励ましはなにものにも勝る力になるのだから。

 

 「―――そうか」

 

 ベートは子供らしくテレを隠すように、そっけなく言った。それをレーネは愛おしいと思いながら、「恥ずかしがり屋さんめ」と心中で吐露した。きっとそんなことを口に出して言ったら彼は顔を真っ赤にして反論するに決まっているから。その姿も可愛らしくていいのだが、あまりからかいすぎると拗ねてしまうこともあるから自重するレーネだった。

 

 「護る。ああ、護るさ。お前も、妹も、一族も。俺は、目の前の大切なもんを全部背負って立てる大きな男になってやる」

 「お父さんと同じように?」

 「いいや、親父と同じようにじゃねェ。親父を超えてやるンだよ」

 

 それはどこまでも真っ直ぐな瞳だった。彼は本気で、この神々の目にも止まる部族の長を超えようとしている。ああ、それでこそ私が惚れた男だとレーネはまた惚れ直してしまった。本当にこのベート・ローガは良い雄であると。

 

 「なら、私もベートの前で誓おうかな」

 

 レーネはベートの瞳をじっと見つめて、透き通るような声で。

 

 「私は、あなたの伴侶になって、未来の族長を越える男の背中を支えます」

 

 まるで謳うように。

 

 「ベート・ローガという男が傷ついて、立ち止まって、倒れそうになった時、私はあなたの力になります」

 

 まるで妖精のように。

 

 「大切な人を護る男を、護れるような女になります」

 

 男は多くの人間を守り抜くという。なら、その強き男を誰が護ってやれる。多くの命を支えようとしている人間を、誰が助けてやれる。

 

 「私は弱くて、脆弱で、戦闘では何も役に立てないけど。それでも、私は私で何か役立てることを探して、ベート・ローガの力になる。そういう女に、なる」

 

 それは自分がどうしようもない弱者だと理解していながらも、地を這いずってでもベートの背中を追いかけようとする女の覚悟だった。

 

 「私はお荷物のままなんて嫌だからね、ベート」

 

 レーネはニカッと笑った。いつも優しく微笑む女のものではなく、一人の女として、ただひたすら万進していくベート・ローガに付いていくという女だてらに見上げた笑顔だった。

 ベートはその時、見惚れていた。あまり見続けると目が焼けそうなほど眩い彼女の笑顔(決意)に。

 ああ、この女は本当に良い雌だ。力の有無ではない、体の強弱ではない、その心が何よりも強く、熱く、高く、焦がれるほどの気高さがあった。惚れるのも道理だ。惚れない方がおかしい。

 

 「生意気言いやがって、馬鹿が」

 

 大地に寝転んでいた勢いよくベートは立ち上がり、彼女の雄雄しい宣言の返しをするように、レーネの唇に重ねた。

 

 彼女という存在を確かめるように、力強く、その幼馴染の体を抱き締めて。

 

 

 

 

 


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