仮面ライダー The present day after 作:タキ
前話を一ヶ月近く後編と銘打って本当に申し訳ないです。
なかなか書く時間がなかったのはFGOとか楽しかったからです。出てくれてありがとうホームズ。
あと、なのはの劇場版観に行きました。
アミタお姉ちゃん最高でした。キリエも紫天一家も出る。これを僕はGoDの頃から待っていたのです。innocentでのポチポチが報われたのです。インダストリ! ワイルドアームズもよろしく!
「今日はとてもいい日でしたね」
遊び疲れた様子で椅子に座る子供たちを見回し、シスターアンジェはつぶやいた。
みんな、いつも以上に楽しく遊んだ。いつも以上に笑った。
しかし、こんな日はもう二度とはないだろう。
廃れてしまったこの教会はもうじきなくなってしまう。
だからこそ、こんな想い出を最後に作れたのは子供たちにとって、そして自分にとって幸いなことだった。
数時間前、日が暮れるころ、緑川スミレと本郷猛は帰っていった。
子供たちは別れを惜しんだが、またきっと会いに来る、と約束をしてくれた。
本当に優しい子だ。
アンジェは喜ばしく思う。そして同時に、彼女のこれからを案じる。
どうか、あの不幸な身の上のスミレが、必ず幸せを掴んで欲しい。
そう願わずにはいられない。
あの本郷猛という若き青年が、彼女を支えてくれれば……。
「アンジェさんっ」
そのとき、自分を呼ぶ声が耳に入った。振り返ると、教会の子供たちの中では最年長のマリが血相を変えて走ってきた。
「どうかしたんですか?」
彼女の様子を見て、自分でもわからないが、なにか妙な胸騒ぎを覚えた。
「タクが……タクが」
「タクさんが?」
続く言葉をうまく口から出せないのか、マリは何度も同じ言葉を繰り返した。
だが、やがてもつれた舌で、なんとか伝えたいことを口にする。
「タクが……神父様と会って……それで、いま一緒に……」
「……神父様が?」
まさか、そんな。
帰ってきたというのか。行方不明になっていたこの教会の主が。
「――やぁやぁみなさん」
陽気な声が静かな教会の中でよく通って聞こえた。
現れたのは、彼女のよく知っている人間だった。タクと手を繋いでこちらにゆっくりと歩いてくるのは、間違いなくこの教会の神父そのひとに他ならない。
「こんばんは。お久しぶりですね」
失踪のことなどなにもなかったかのような口ぶりで、昨日も一昨日も教会にいたかのような口ぶりで、神父は挨拶をした。
「生きて……いたのですか」
「ええ」
アンジェは神父が帰ってきたことを未だに信じられず、その声は震えた。
(それだけ? 信じられないと驚愕しているだけ?)
「神父様だ!」
「おかえり!」
「どこ行ってたんだよー!」
子供たちがわいわいと歓声を上げて迎える。神父はその光景に目を細めて穏和な顔をして笑んだ。
だがアンジェは……。
(おかしい。よくはわからないけれど……なにか……この方は本当にあの神父様なの?)
得体の知れぬ違和感に襲われていることを彼女は自覚した。
「心配をおかけしてすみませんでした。でももう大丈夫ですよ」
「神父様」アンジェは平静を装った。「今まで、どちらへ?」
「この教会を守るために、ここにいる子供たちを守るために、試練を受けてきたんですよ」
「……試練、ですか?」
アンジェは意識せずに体を強ばらせる。対して謎めいた雰囲気を醸す神父は、気にせずに和やかに微笑む。……アンジェの背筋は凍る。
「そうです」
子供たちに引っ張られ、じゃれつかれながら、神父は穏やかな声で答える。
「どんな逆境にあろうと……神を信じれば、必ず救いの手は差し伸べられるのです」
恍惚として、彼は言った。神父の顔に暗い影が射し込んだ。
アンジェはその様子を見た瞬間、反射的に体を動かしていた。自分でも信じられないほど迅速に。子供たちを神父から強引に引き離す。
「みんなも神を信じましょう。これからの未来が、希望溢れるものになるように」
――刹那。
神父の笑顔は笑顔のまま剥がれた。
神父の柔らかい笑顔の下から、おぞましい笑顔が現れた。
拡大された、蝙蝠の顔。
フィクションに出るような、吸血鬼の如く鋭く伸びた犬歯。
彼女のよく知る神父の顔はもはや消えていた。
アンジェは目の前で、恐るべき魔術を目にした。
「あなたは――」
ぼろぼろの教会を引き裂くような、恐怖に塗れた子供たちの絶叫が夜の闇の中に吸い込まれた。
****
時刻は午後十時。
ひとの寄りつかないお化けマンションの一室である603号室で、ふたりの男女がソファに隣合うって座っていた。
ソファにはところどころ破けたところはあるが、元々は高価なソファ故に、その座り心地は快適なままだ。
本郷猛と緑川スミレは、教会から帰ってから、夕食を食べ終え、風呂に入り、今はなにをするでもなくただ黙って座っていた。
部屋の中で唯一音を生み出すラジオからは、静かな歌声が流れていた。なんという曲でなんという歌手なのかもわからない。
「……スミレ」
口火を切ったのは猛の方だった。
「あっ……なんでしょうか?」
スミレは猛の方に顔を向けた。彼はこちらを見ず、依然として正面を向いたままだった。
「あの教会のシスターから君の話を聞いた」
「……はい」
スミレは彼の言う「話」がなんなのか察し、重くうなずいた。
「……私の、母は本当は優しいひとでした。私たち緑川の人間は、〈ショッカー〉から裏切り者とされていて……毎日が逃亡の日々でした。そんな過酷な生活の中でも、母は気丈に振舞っていました」
「……」
「美味しいご飯を作ってくれて。逃亡生活で、怖いとき、寂しいときは一緒にいてくれて。いつも……守ってくれました」
スミレは語り出した。己の身の上に起きたことを。悲痛な過去を話すのは自分を苦しめることだ。
だが、スミレは話すと決めた。そして、その想いを猛は理解し、口を出さず、ただ耳を傾ける。
「でも、あるときから豹変して……私に暴力を振るうようになって。私は……誰にも助けて貰えない日々を送りました」
震える声で、訥々と語る。猛はそんな彼女をじっと見つめた。
「私、妹がいたんです」
五つほど年の離れた妹が彼女にいたと言う。彼女はいつも妹と一緒だった。
「私が十歳のころ……〈ショッカー〉の激しい追跡のために逃げきれず、私たち家族はついに捕まりました。そのとき……妹が行方不明になったんです。死んだのかもしれません……必死に逃げているときに離れ離れになって……」
〈ショッカー〉に捕まったスミレと、両親。だが妹はいない。逃げきったのか。だが逃げきったとして、わずか五歳の子供がどう生き延びるのか。生存は絶望的だった。
「父は家族が生きるために、〈ショッカー〉に協力することを選んで、組織に連れていかれました。残された私と母は、〈ショッカー〉の監視下での生活を強いられました」
ある程度の自由は与えられた。だが、少しでも妙な動きがあれば、父の命はない。その逆もまた然り。
恐怖が家族を縛りつけた。そして、次女を、妹を失った喪失に家族は打ちのめされた。
「それがきっかけでした。母が私を虐待するようになったのは。あんなに優しく強かった母が、別人のようになって……」
スミレは服の袖やズボンの裾をまくってみせる。痛々しい痣や、火傷が露わになった。
「そんな日々が五年ぐらい続いて……母は病気に倒れて。父がそのときにようやく戻ってきて、私の状況を知ったんです。母が亡くなると、私は教会に預けられました」
彼女の頬に、静かに涙が伝い始めた。
「父は、そのときの私がひどく親に対して怯えていることを知って、教会に預けたんだと思います。そのおかげで、私はアンジェさんを始めとしたたくさんのひとたちと会えて、五年間の苦痛が和らいだのは確かです。でも……」
スミレは膝に乗せた手をぎゅっと握った。そして、気持ちを吐露した。溢れるように。
「本当は父と……お父さんと一緒にいたかった。遠ざけないで欲しかった。例え〈ショッカー〉の魔の手に近づくことになっても、家族へのわだかまりがあったとしても、私は……わがままだけどお父さんのそばにいたかった。妹はいなくなって、お母さんは変わり果てた末に亡くなって。だから……私は、ずっと、さみしかった……さみしかったんです……」
二時間後、夜の闇もいっそう深まり、静寂が505号室を包んでいた。
本郷猛は自室に戻ってきていた。
あのあと、スミレは静かに眠りについた。押し寄せる感情の波を一気に吐き出して、疲れたのだ。
「……」
本郷猛は椅子に腰掛け、呆然と虚空を見つめた。
スミレの家族。
豹変し、虐待をするようになった母親。
なんとしてでも、家族を守ろうとした父親。
行方不明になってしまった妹。
そして、当のスミレは……家族に愛を受けることを臨んだ。
しかし。
スミレの最後の家族だった父親、緑川博之は、自分のために、自分が守れなかったせいで死んだ。
スミレの臨んだものはなにひとつ手に入らなかったのだ。
自由も、平穏も。家族の愛も。
自分はなにができる。
本郷猛よ。
おまえにはなにができる。
自分の両親は幼いころに死んだ。
残された家族は親代わりとなった祖父と姉。
その祖父も姉も、もはやいない。
彼女と同じように、天涯孤独の身だ。
そんな彼女のために、自分はなにができる?
「……どうすればいい。姉さん」
彼はぽつりとつぶやいた。
本郷猛の脳裏に、亡き姉の言葉が浮上した。
――いい? ひとに優しくする。それは、すごく大事なことなんだよ。
――優しさを忘れちゃダメだからね。
――猛は、優しいね。その優しさが、きっといろんなひとを助けられるよ。
優しくあれ。
姉はいつもそう言っていた。
そして、自分のことを優しい人間だとも言っていた。
なにをすれば優しいのか。なにをしていたから、自分は優しかったのか。
それは未だにわからないままだ。
スミレに優しくすること。それはどういうことだろうか。
「……ん」
そのとき、デスクに置いていた携帯端末の液晶画面がぱっと明るく光を放った。
通知が来た。
なんの通知かは言うまでもない。本郷猛は携帯端末を手に取り、操作した。
そして、画面に表示された情報に目を通すと、すぐに身支度をした。
優しくする。それはどれほどのことをすればいいのか。
わからないが、することは、ひとつだ。この自分にできることは、ひとつだ。
彼は心の底で、姉の言葉を反芻させながら、外の深い闇の中へ躍り出た。
****
巨大なホールに、何人もの人間が集まっていた。
厳粛に、どっしりと、持った権力を隠すことなく主張して、各々椅子に座っていた。
この空間に張り詰めた空気、いつになっても慣れない。
じわりと滲む汗を拭うのは、外務大臣クロード黒原の秘書たる沢渡という男だ。
こんな重要な集会に、自分のような秘書を連れてくるのは彼ぐらいだ。
今日集まった幹部は七名。
他にもまだ数名の幹部がいる。
たった七名、されど七名。彼ら全員が最強かつ最悪の恐怖の存在である。
そんな集団の中に放り込まれてしまえば、無論生きた心地などしない。
「……」
自分のような下っ端がいることの場違いに息苦しさを覚え、沢渡はついつい身じろぎした。
そのとき、そんな彼の挙動を見ていた女性が小さく艶やかに笑った。沢渡は崩れてもいない襟元をただしネクタイを締めて誤魔化した。
いま笑った女性、彼女は〈シェイプシフター〉と呼ばれる大幹部だ。華奢な姿とは裏腹に、戦闘狂の実力者だ。
(失礼すれば有無を言わさず取って食われそうだ……早く帰りたい)
沢渡は自分の正面に座して微動だにしない男に視線を注いだ。
彼の抱く畏怖を知らず……知った上なのかもしれない……尊大なアトモスフィアを周囲に放つ大幹部〈ミニスター〉。
裏から世界の政治を思うがままに操る存在。それが彼、クロード黒原である。
「そろそろ始めようか」
クロードが厳かに言った。彼の声がこのホールに響くと集まった幹部たちは静かに姿勢を正した。
「それで、今回の定期集会の議題はなんだね」
仙人めいて髭を長く生やし、病的なほど痩せこけた男がにたにた笑う。
「〈プロフェッサー〉。資料を見ていないのか」
「生憎研究詰めでの。そんな紙切れ見てる暇はない。そんな時間の無駄をするよりも、ここで実際に聞いた方がよかろうて」
「ふん」
〈プロフェッサー〉の態度に顔をしかめるのは軍事を司る大幹部、〈フォートレス〉だ。周りの幹部と比べてもふたまわりほど大きい巨漢の男だ。
「最近、〈ショッカー〉の改造人間を殺してまわる狂人が現れた。それの対策会議だ」
「ほほほ」〈プロフェッサー〉が声を上げて笑った。「最近仕事の量がどかんと増えたのはそういうことか。とんだ迷惑な輩じゃな」
「そうだ」〈フォートレス〉が鷹揚にうなずいた。「迷惑な話だ」
「その狂人は狂気も狂気だ。自分のことを〈仮面ライダー〉と名乗っている。そればかりか……本郷猛とも名乗っているのだからね」
〈ミニスター〉が話を引き継ぎ不敵な笑みを浮かべて本郷猛の名前を口にした。
その名前に場はざわついた。本郷猛。〈ショッカー〉の敵。死んだはずの男。
「これがその本郷猛を名乗る男の映像」
特殊な眼鏡をかけたショートカットの中性的な容貌の〈ディスカバリー〉がトラックボールを動かしていくつかの写真をモニターに写した。
「過去に存在していた本郷猛の顔とは一致しない。整形か、別人かは写真からは判断出来ない。使用する強化服は〈サクラ〉の連中が緑川グループから盗んだもののどれとも該当しない。おそらくこの前の緑川博之教授の死亡の一件に関係あると推測できる」
彼(もしくは彼女か。それは他の大幹部も知らない)は情報収集において最高の力を持つ。全身を改造し、高性能なコンピュータを体内に埋め込み、インターネットを駆使してありとあらゆる検索を可能とする。
「それで、そいつは強いのかしら」
ころころと笑う〈シェイプシフター〉が頬杖をつきながら尋ねた。
「それは……」
「はっきり言おう」
〈ディスカバリー〉の回答を遮って、別な大幹部が口を開いた。
サングラスをかけた、シワ一つない黒いスーツを着込んだ、全身黒づくめの男。
〈ミニスター〉クロード黒原となにかと策謀を巡らすことが多い大幹部。コードネームは、〈アンバサダー〉。
「弱い。〝先代〟と比較して、だが」
意味ありげに、〈アンバサダー〉は言った。〝先代〟というワードを聞いて、〈ミニスター〉の口許が僅かに歪んだ。
「それと、〈ディスカバリー〉が判断できないとしたこと、この男が本郷猛かどうかについては私が答えを持っている。ヤツは別人だ。間違いなくな。完全な他人だ」
「あら、そうなの……残念」
「だが、面倒なのは変わらない。早急に対策をする……今回はそういう会議だ。脅威の度合いを計るものではない」
「それで、どんな手を打つのかな」
試すような、冷ややかな声を放つのは、〈パトロン〉と呼ばれる大幹部……世界の経済を牛耳る石神財閥の主。石神大造そのひとである。
圧倒的な財力を持つ、〈ショッカー〉の資金源。
彼は〈アンバサダー〉のことをあまり好ましく思っておらず、常に攻撃的な態度で彼に接する。
その態度を気にもとめず、〈アンバサダー〉はモニターに企画案を映した。
「〝彼〟を再起動させることに決めた。本郷猛もどきを潰すにはちょうどいい存在だ」
「〈アンバサダー〉が企画したこの案に、既に私は承認済みだ」
〈アンバサダー〉と〈ミニスター〉が顔を見合わせる。そして、ふたりは周りの大幹部たちを見渡す。
「あとは君たちの承認を貰いたい。どうかな?」
大幹部たちは不平不満を口にすることなく、承認する。……〈パトロン〉を除いて。
「〈パトロン〉。あなたはこの案に気に入らない点が?」
〈ミニスター〉の美しい碧眼が、〈パトロン〉を見つめた。
「……いや」彼はかぶりを振った。「〈ミニスター〉の認めた意見に、私は不満などない」
その返事を聞いて、〈ミニスター〉は嬉しそうに破顔した。屈託ない、純真な笑みを見せた。
「そうか。それはよかった」
「それでは〈プロフェッサー〉。早速彼の再起動に取りかかってくれ」
〈アンバサダー〉の依頼に、〈プロフェッサー〉は嫌な顔をした。しかし、彼の内心は愉悦に満ちていた。
「ほほほ、取り扱いの面倒なあの男をな。まったく、手綱を握るのがどれだけ大変か……ま、そこは〈アンバサダー〉がやってくれるんじゃろ、以前のように」
「無論だ」〈アンバサダー〉がうなずく。「私は彼の〝知己〟だからな」
「ま、うまくやりなさんな。それじゃ、わしはこれでお先に失礼するよ。ほほほ」
〈プロフェッサー〉は閉会を待たずホールを退室した。それを咎める者は誰もいない。
「……さて、これで今日の集会は終わりだ。多忙の中集まってくれてありがとう。それぞれ、仕事に戻ってくれたまえ」
次々にホールを退室する大幹部たちを見送る〈ミニスター〉。〈シェイプシフター〉も退室するため彼の横を通る。……しかし彼女は退室する前、ぴたりと足を止めて、彼の耳元で囁いた。
「あぁ、わかっているとも。今夜、いつもの店で……ね」
目を細めて、愛おしそうに〈ミニスター〉を見つめてから、〈シェイプシフター〉は退室した。
ホールには、〈ミニスター〉と彼の秘書、そして……〈パトロン〉が残った。
「どうかしたのかい」
「……いや」
彼は〈ミニスター〉に詰め寄った。
「たまにわからなくなる。あなたがなにを考えているのか。私はあなたのことを想っている。だが、あなたは? あなたは博愛の偉大な男だ。誰を愛そうとも気には止めない。私への愛もわかるからだ」
「……」
「あなたは、いま、なにを見ている?」
不安げに尋ねる〈パトロン〉の手をとって、〈ミニスター〉は優しく微笑んだ。
「君と同じさ」
「……」
「私は輝かしい未来を見ている。人間を救済し、私たちは英雄となる。そして、愛する君たちと共に生きる」
「……私たちは英雄となる。あなたと共に生きる」
「そうだとも」
碧眼が輝いて〈パトロン〉の、石神大造の瞳をまっすぐ見据える。
「それが、私と君の、〈ショッカー〉だろう?」
その甘く優しげな言葉に、石神は恍惚とした表情を浮かべた。
その様子に、クロードは暖かい朗らかな笑顔を見せ続けた。
――秘書たる沢渡は知っている。
この男の愛という名の圧倒的なカリスマを。
いちど彼に対して好感を抱けば、後は沼のように心を引きずり込まれる。
沢渡はふたりの大幹部から視線を逸らしながら、静かに身震いした。
****
暗い夜、降りしきる激しい雨の中、ふたりの影が駆け抜ける。
まだ幼い子供がふたり。男の子と、女の子。
まだ六つのタクと、その倍の年齢の姉である十二歳のマリ。
ふたりは無我夢中になって走っていた。
優しかった神父様が帰ってきた。
タクは神父様が大好きだった。泣き虫のタクをいつも励まして優しくしてくれた。
ある日突然神父様がいなくなり、シスターと、他の子供たちと、お姉ちゃんと、懸命に生きてきた。
だが、今日、神父様は帰ってきた。
嬉しかった。嬉しかった。だが……。
神父様はバケモノになってしまった。
幼い彼には、こんな現実離れした出来事にただ怯えるほかなかった。
だが……シスターが逃がしてくれた。自分と、姉を。
――逃げなさい。
あの光景が脳裏に焼きついて離れない。
みんなどうなってしまったのか。
バケモノになった神父様に、食べられてしまったのか。
「……タク、もうダメだよ」
姉の足が止まった。息を切らし、顔をあげる。涙かそれとも雨か。顔は濡れてぐちゃぐちゃになっていた。
「でも、逃げなきゃ……アンジェさんが、逃げなさいって」
恐ろしい追手が来てしまう。あの骸骨の……。
「逃げるって、どこへ」
「……それは」
タクは姉の弱々しい顔を初めて見た。
「もう行くところなんてないのよ、あたしたち」
いつも強かったお姉ちゃん。
「教会は怪物になった神父様がいる。きっとみんな……殺されるのよ」
泣き虫の自分をいつも守ってくれたお姉ちゃん。
「もう家族はいないのよ。頼れるひとはいない。逃げた先で、誰かが助けてくれるわけもないの」
たまに叱るけど、あとで優しくしてくれるお姉ちゃん。
「ねぇ、タク、わかる? あたしたち、もう助からないよ……」
お姉ちゃんが泣いている。泣き虫の僕が泣いたわけじゃない。いつもと逆だ。お姉ちゃんが泣いている。
足音がした。こちらに近づいてくる。
逃げないと。でもお姉ちゃんの言う通り、逃げる場所はない。助けてくれるひとはいない。
でも……。
「……泣いちゃダメだ」
タクは小さな手で、自分より大きな姉の手をぎゅっと握った。
「泣いちゃダメだ」
タクは繰り返した。強引に姉を引っ張って、また走り出した。
「タク……」
「泣いちゃダメだ」
「……」
タクも泣いていた。だが少年はそれでも繰り返す。
「泣いちゃ、ダメだ!」
冷たい雨が体中の熱を奪う。だが……この掌の熱は。姉と繋ぐ掌の熱は消えない。
姉の手も、この熱も、離さない。
タクはマリを連れて走った。スピードは出ない。だが走る。どこまででも走る。
追手が迫る。距離が縮まっていく。
「タク……」
「泣いちゃ……ダメ……泣いちゃ……!」
止まらない。止まるわけにはいかない!
姉を、助ける。
その想いを胸に。
しかし、果たして残酷にも追い詰められる姉弟。
逃げた先に行き止まりがあった。振り返れば、骸骨の不気味な連中がじりじりと迫る。
逃げ場はなくなった。
姉弟は絶望を前にした。
だが、タクはそれでも言った。
「泣いちゃ……ダメだ……!」
そして……マリも小さく声を漏らした。「泣いちゃ……ダメ」
姉弟は叫んだ。
――泣いちゃダメだ!
刹那。
風がふたりのもとに吹いた。
****
シスターは唇をぎゅっと噛んだ。
子供たちのわんわんと泣く声を聞きながら、目の前の怪物を睨んだ。
「そんな顔をすること、ないじゃないですか」
声は優しい神父のまま。だが顔は鬼のように恐ろしい。
「せっかく帰ってきたのに、邪険にされると、悲しくなります」
「あなたは……」
「はい?」
「子供たちになにをしようと言うのですか」
神父、否、〈蝙蝠男〉は祭壇に得体の知れない謎の液体の入ったガラスの筒を並べていた。
「決まってるじゃないですか。ここにいる子供たちの未来を明るいものにするための処置を施すのですよ。救済です。なんのために私が教会を出てあちこち駆け回ったと思ってるんですか?」
「……」
「信じてくださいよ、シスターアンジェ。あなたは教会を見捨てず、私を信じて最後までここに残ってくれた素晴らしいシスターだ。昔と同じように、私を信じてください。そして私がやっとの思いで見つけた神を信仰し……」
「それはできません」
アンジェはきっぱりと言った。恐怖を押し殺して。
「子供たちを恐怖に怯えさせ、あまつさえそんな異形となる。そんなことをする神様は私とこの子供たちを救う神様のはずがありません。まして……あなたはもはや私たちの神父様ではない。あなたを信じることなどできない!」
「……そうですか」
〈蝙蝠男〉は腕組みを解いた。爪が鈍い光を発した。
「残念です。あなたなら我が神に推薦して、改造してもらってもよかったのに」
アンジェはがたがたと震える子供たちの方を一瞥した。
「大丈夫。大丈夫です」
神様は、必ず、助けてくれます。
そう言おうとした。
それよりも速く、〈蝙蝠男〉が肉迫した。
……そのとき。
〈蝙蝠男〉の背後、ステンドグラスが割れた。なにかが、体当たりをして、突き破ったのだ。
「貴様は……!?」
ガラスのシャワーに混じって、黒い影が降り立った。
神様の救いか。それとも……。
アンジェはその正体を確認しようとした。そして、〈蝙蝠男〉も。
「……俺はおまえを殺しに来た」
鋭く冷徹な声だった。
「その子供たちに、シスターに、指一本触れさせない……泣かせはしない」
風車が唸った。雄々しい風を巻き起こしながら、漆黒の存在は〈蝙蝠男〉へと歩み寄る。
「ここは……想い出の場所だ。それを踏みにじる侵略は絶対に……許さない」
ああ。
シスターアンジェはその正体を悟った。
彼だ。スミレの隣にいたあの青年。
本郷猛。
「おまえをこの教会から排除する」
〈仮面ライダー〉が〈蝙蝠男〉に飛びかかった。拳を振るい、脚を振り回し、怒涛の攻撃を繰り出す。
「貴様!」
しかし〈蝙蝠男〉も負けじと応戦する。それらの攻撃をさばきながら、ナイフのような鋭い爪で切り裂きにかかる。
〈ライダー〉はそれをいなし、一瞬の隙をついて踏み込むと、肘を〈蝙蝠男〉の鳩尾に叩き込んだ。
その衝撃に〈蝙蝠男〉は吹き飛び、長椅子に背中からぶつかりそれを粉砕した。
〈仮面ライダー〉はその隙にアンジェと子供たちのもとに近づいた。
「あなたは」
「……タクとマリは無事だ。俺が助けて、いまは外でおまえたちの脱出を待っている」
アンジェの追求を遮って、彼は言った。
「すぐにここから離れろ。一時的な退避だ。この教会は守ってみせる。だが多少設備を破壊するだろう。しかし最小限に抑えるよう努力する」
「……わかりました」
アンジェは彼がいまの自分のことを問い質されるのを避けていることを察した。
だが、ひとつ尋ねた。
「なぜ、あなたは私たちを守ってくれるのですか?」
「……」
仮面の一対の複眼が子供たちの顔を映した。
「ここは最後に残された場所だ。彼女の……家族の愛を望んだまま、それが叶わなかったある女性の、最後の拠り所だ」
「……」
「おまえや、ここにいる子供たちは、彼女の最後の家族だ。だから守る。もう彼女から、これ以上失わせない。それが……それが俺に出来る唯一の……」
破壊された長椅子の瓦礫の山から〈蝙蝠男〉が勢いよく飛び上がり、恐るべきスピードで牙を突き立てて〈仮面ライダー〉に噛みつきにかかった。
〈仮面ライダー〉は咄嗟に振り向きそれを防御しようと試みた。鋭い牙が〈ライダー〉の腕に突き立てられた。
堅牢な強化外骨格さえも突き破り、中の肉体に牙が突き刺さる。鮮血が迸る。
「……行け!」
〈仮面ライダー〉は腕に噛みついて離さない〈蝙蝠男〉をそのまま強引に抑え込みながら、叫んだ。
アンジェはうなずき、未だ震える子供たちに促す。
「さぁみんな、ここを出ますよ!」
だが、子供たちは泣きじゃくって動けないでいた。
「みなさん……!」
しかし、そんな子供たちを励ます強い声が響いた。
「――泣くな!」
〈仮面ライダー〉だ。彼は〈蝙蝠男〉の顔面を掴み、牙を強引に引き抜くと、したたかに顎を蹴り上げた。蹴られた〈蝙蝠男〉は宙を舞った。
「泣くな! ……絶対に守る。おまえたちも、この教会も。だから、泣くな!」
子供たちは真っ赤に泣き腫らした目で〈仮面ライダー〉の大きな背中を見た。
「さぁ、みんな……!」
アンジェに連れられて、子供たちは脱出を急いだ。子供たちは見えなくなるまで、〈仮面ライダー〉を見続けた。
「貴様! なぜ邪魔をする。私はあの不幸な身の上の子供たちを救わねばならないのに!」
〈蝙蝠男〉は空中で体勢を整え、翼を広げて留まった。
「貴様はあの子たちの未来を奪おうというのか!」
「おまえに救ってもらう道理はない!」
〈仮面ライダー〉は跳躍し、拳を放つ。〈蝙蝠男〉はそれをひらりと避けて彼の背中へ回り込んだ。
「いいか! 神に背く愚者め! 貧しい親を持つ子供や、そもそも親のいない子供、そんな子供たちに待っている未来は残酷な世界なのだ!」
両腕からブレードを伸ばし、〈蝙蝠男〉は〈ライダー〉に切りかかる。
「そんな世界で生き抜くには金が必要だ! 賢くあるための教育も必要だ! それを与えてくれる神の導きを私は提供しようというのだ!」
ブレードによる激しい猛攻を空中で半身になって紙一重でかわし続ける〈ライダー〉。
「恵まれぬ子供たちには、偉大な神の愛を与えなければならない!」
しかし、遂に避けきれず、ブレードの切っ先が〈ライダー〉の肩を僅かに抉った。〈ライダー〉は痛みに耐えながら、ブレードを掴んだ。
両者は同時に着地する。「……それを誰が望んだ」
低い声が仮面の下から漏れ出た。
「金が欲しいとあの子供たちが言ったのか。賢くありたいと望んだのか。おまえの崇拝する神をあの子たちは信仰したのか」
〈仮面ライダー〉の手に力がこもる。異音を発して、掴まれていたブレードが砕け散った。
「う……!?」
その次の瞬間、〈ライダー〉の腕が唸った。鋭い右ストレートが〈蝙蝠男〉の顔面を陥没させるほどの衝撃を叩き込んだ。
「……あの子たちに必要なのはそんな押しつけられた救いじゃない」
〈蝙蝠男〉は激痛に苦しみながら、破壊されていない逆のブレードを振るった。
「あの子たちの未来を決めるのはおまえじゃない……あの子たちが自分の頭で考えて選び、決めていくことだ」
〈仮面ライダー〉は肘を真上から叩きつけ、迫り来るブレードを根本から叩き折った。
そして脚をバネにして前方へ跳ね上がり、目前の敵の腹部へと膝を叩き込んだ。〈蝙蝠男〉はくの字に曲がって吐瀉物を撒き散らした。
「き、さ……ま」
「そうして選んだ未来が、おまえの言うように残酷なものであっても……俺はおまえの行いを断じて認めない!」
前のめりに倒れ込んだ〈蝙蝠男〉を〈仮面ライダー〉は背中に担ぐ。そして、そのまま勢いをつけて投げ飛ばす。
〈蝙蝠男〉は祭壇に激突し、置かれていた薬品とその試験管ごと祭壇を破壊した。毒々しい薬品が床を汚した。
「おまえの行いは気に入らない!」
いま彼の脳裏に浮かぶのは、教会で暮らす子供たちの笑顔とシスターの慈愛に満ちた笑み。スミレの楽しげな表情と泣き顔。
そして……。
あの姉弟の姿がフラッシュバックする。恐怖に屈せず、絶望に立ち向かい、ふたりで支え合って走ったあの姉弟の姿。
それを強く焼きつけながら、彼は、〈仮面ライダー〉本郷猛は決断的に踏み込んだ。
そこからは一瞬だった。
〈蝙蝠男〉が自分の身に起きたことを理解したのは、胸に穴がぽっかりと空いてからだった。
胸に深々と〈仮面ライダー〉の放った拳……槍のように強烈な直突き……が貫通していた。
拳は肋骨を砕き肺を潰し、心臓を抉った。
「か……は」
血を吐き出し、泡を吹き、〈蝙蝠男〉は苦しみ悶えた。
それでもまだ息絶えないのは、改造人間の強靭な生命力によるものにほかならない。
〈仮面ライダー〉は腕を引き抜いた。〈蝙蝠男〉は力なく後ろに倒れる。
腕の先から改造人間の人工血液と体液が滴り落ちた。
「……後悔、する、ぞ」
〈蝙蝠男〉は途切れ途切れに言葉を紡いで、〈仮面ライダー〉を非難した。
「……おまえ、に、責任が取れるのか。あの子供たちが、道を……踏み外さ……ないと、自信を持って言えるのか……」
「……」
「どこかで、野垂れ死ぬ、かもしれない。誰かに虐められ、傷つけられ、深く……傷つくかもしれない。大人になって、路頭に迷うかもしれない。そんな可能性を回避させたかった……私は」
怪物の顔が小刻みに震え、瞳から涙が流れ始めた。
「……保証はできない」
〈仮面ライダー〉は、本郷猛は静かに答えた。
「だが、だが……それでは自由がない。未来はおまえにおまえたちによって選ばれるものではない。ひとが、己の意思で決めていくものだ」
「……」
「俺には……その先の未来までは守れないのは確かだ。それでも、俺は……」
――泣いちゃダメだ。
タクの叫びが脳内で再生される。
――泣いちゃダメだ。
マリの叫びが脳内で再生される。
「あの子たち自身の、生きようとする意思を……俺はおまえたちから奪わせない。絶対に……それだけは守ってみせる。そのための……」
本郷猛は、血に塗れた己の拳を見た。
「そのための、復讐だ。俺と同じような、奪われ続けた者たちの怒りも嘆きも痛みも苦痛も、すべて俺が肩代わりして……おまえたちを、〈ショッカー〉を殺し続ける」
目の前の怪物は既に息絶えていた。どこまで聞いていたのか、それは分からない。
だが、彼は話を続けた。
亡骸に聞かせるように。
自分に言い聞かせるように。
「それが、きっと……俺の唯一の……唯一の優しさだ」
****
激しい音を立てて、建物が形を少しずつ失っていく。
たくさんの想い出の生まれた場所。
たくさんの生活の跡。
教会が音を立てて、なくなっていく。
「……」
アンジェはただ静かに、立て壊される教会を見守る。
この教会がなくなり、彼女はもうシスターではない。
子供たちは住んでいた場所を失った。だが、それは想い出深い教会を失っただけ。
身寄りのない子供は、児童養護施設で暮らすことになった。
親のいる子供は家庭に戻った。きっと、仕事で忙しい親の帰りをひとりで待つ寂しい毎日を送っているのだろう。
元シスターのアンジェは、なんとか、児童養護施設に保母として新しく勤めることができた。
また多くの子供たちの面倒を見る、彼女にとって天職とも言える仕事をすることができるのだ。
喜ばしいことだ。
だが……。
「それでも、私は……ここのシスターでいたかった」
未練か。
彼女は自嘲的に笑った。
いまとなっては最早どうにも変えられない。覚悟していたとはいえ、いざ、こうなってしまえばなんとも物悲しいものだ。
それに、最後に再会した、豹変した神父。
あれはなんだったのだろう。
……知らない方がいいことだろう。
そう、後になって彼が忠告した。本郷猛という青年が。謎の仮面の戦士として現れた彼が。
関わる必要のないことに首を突っ込むことの危険は明らかだった。だから彼女も追求はしなかった。
しかし……。
「あんな怪物が、この世に蔓延っていて、子供たちの未来は……本当に大丈夫なのかしら」
不安に胸が締めつけられる。我がことのように。
どうか、子供たちが大人になる頃には、あんな……この世のものではないような怪物がいなくなっていればいいのだが。もしくは、それに関わることがないことを願いたい。
だが、薄幸の子……スミレは、もしかすれば……いや、きっと、あんな怪物と関わってしまっているのだろう。本郷猛と一緒にいるのだから。
無事を祈りたい。
ずっと、不幸な身の上にあった子だ。
せめて、強く生きて、幸せを掴んで欲しい。
また会いに来る、と言ってくれた彼女と会うとき、笑って再開できれば……。
「アンジェさんっ」
「あら……マリさん。タクさん」
振り返ると、マリとタクが手を繋いで小走りに駆け寄ってきた。
あの恐怖の一件以来、ふたりは逞しくなったように見える。僅かに、大人びたようにも。
特にタクは、以前よりも泣かなくなった。姉であるマリに頼りきるようなこともなくなった。
大きな成長を感じるふたりの姉弟だ。
ふたりを見ると、不安を忘れることかできた。
「また、ここに来てたんですね」
「ええ。ごめんなさい。こんなんじゃ、ダメですね」
「そんなことないよ。僕だって辛いもん。でも……」
「でも?」
タクはマリと繋いでいる手とは逆の手でアンジェの手を握った。
「またみんなと……アンジェさんと一緒だから、姉さんと一緒だから……へいき!」
「……ええ」アンジェの目頭が少し熱くなった。「私も、同じ気持ちですよ」
三人は手を握り合い、微笑んだ。
それぞれの暖かさが、繋いだ手を通じて伝わる。
この暖かさだけは、きっと失われない。きっと。
「それでは、帰りましょうか?」
ふたりは「はーい」と返事をした。アンジェが真ん中になって並んで歩き出した。
たとえ暗い世の中でも、いまここにいる三人は輝きを放っているように見える。眩しく、温かい輝きを。
「帰ったら、なにをしましょうか」
「隠れんぼがいいかなー」
「タク、隠れるの下手だけどね」
和やかな会話を交わしながら、帰路を歩く。そんなとき。
「こんにちは」
ふいに、声をかけてきた何者かがいた。
「ごめんなさい、楽しくお話なさっているときに、呼び止めてしまって」
女性だ。それも……とびきりの、美人だった。
なにかのパーティの帰りか、黒いドレスを着ていた。露わになっている肩は、光っているように白い。
ドレスの女性は柔らかに笑った。「初めまして、アンジェさん。タクさん。マリさん。私、アンジェさんにお尋ねしたいことがあって来たんです。お答えしていただけますか?」
「なに……を?」
「昔、あなたがシスターであったころ、面倒を見ていた少女がいたでしょう? 緑川スミレ、という名前の子を」
「……」
「彼女の父親の暮らしていた場所を、あなたはご存知ではなくて?」
「それは……」
知っている。いちど訪問したことがある。だが、それを話すのは……この得体の知れない女性を相手に……スミレを危険に晒してしまうのでは……。
彼女はその可能性をよく理解していた。故に教える気など毛頭ない。
だがアンジェは……。
「……ここが、スミレさんの父親の、緑川博之さんの邸宅です」
メモにペンを走らせて、書き記した住所を目の前の妖しい女性に手渡していた。
自分でもなぜそんなことをしたのかまるでわからない。だが、自然とそうしていた。
頭で違和感を覚えながらも、そうするのが当たり前のように。
「ありがとうございます」女性はにこやかに微笑んで、それを受け取った。「これで、マスターの依頼を果たせます」
「あなたは……」
アンジェの思考は混乱していた。この女は、なんなのだ。魔女か? それともこの前のような怪物の仲間か……。
「安心してくださいね、アンジェさん。私、あなたが危惧してるようなことはしませんから。スミレさんのことを襲うとか……そんなことはしませんから。本当ですよ?」
「……」
女性は踵を返した。「では、お時間をいただいて申し訳ありませんでした。もう会うことはないと思います。ごきげんよう」
ヒールが子気味良い音を立てて遠ざかっていく。
「待って!」アンジェは去っていく令嬢めいた女性を呼び止めた。「待ってください。あなたは、一体何者なんですか」
ようやく、それが口に出来た。
女性は振り返る。長く美しい栗毛の髪がさらさらと風に揺れた。そして女性は、妖艶な笑みを向ける。
「私は……そうですね、愛に生きる女性、とでもしておきましょうか」
「愛?」
「マスターを愛し、マスターのために尽くす。それがいまの私です。あなたに言っても、わからないでしょうけど」
「……」
「いろいろ名前はありますが、どれを名乗りましょうか……そうですね、では、名前をふたつほど教えて差し上げます」
薄く口紅が塗られた唇が彼女の名前を紡ぐ。
「私は〈ストレンジラブ〉。コヨミ、とも呼ばれています。覚えておかなくても、結構です。きっと、意味がないですから」
「コヨミさん……あなたの目的は」
〈ストレンジラブ〉=コヨミと名乗る女性はくすっと笑ってから、唇に人差し指を添える仕草をした。
「それは教えられません。だって、あなたとお話するのはこれが最後ですから。名前を教えてあげたのは、私のちょっとした気まぐれです」
コヨミは再び踵を返し、また歩き出した。
「こんどこそお別れです。タクさんとマリさんも、強く生きてくださいね。応援していますから。それでは、さようなら」
アンジェはタクとマリの手を繋いだまま、呆然と立ち尽くした。
まるで、白昼夢のように現実味のない出来事だった。
〈ストレンジラブ〉。
彼女はいったい何者なのか。
僅かなものだが、香水の甘い香りがその場に残された。
それが、アンジェにはまるであの魔女がその場に留まり続けているように感じられた。
だいぶキャラクターが揃って来ました。
コヨミ、なんて名前名乗ってますけど、希望の魔法使い=サンとはなんら関係はない。いいね?