仮面ライダー The present day after 作:タキ
楓さんこいかぜ実装おめでとうございます、恒常あっさり引けたしシンデレラガール楓さんとで2枚のSSRがいることに。楓さんは最高だなァ。
そんなこんなで始まります。
今日の夜の暗闇も深かった。
とある男が会社からの帰りで、薄暗い路地をやや早歩きで移動していた。
ここは一通りが少ない。人気がなく、襲われるのは厄介だ。身ぐるみ剥がされ、金品を取られるなど想像しただけでも恐ろしい。
それを考慮すれば、もっと明るい、ひとの多い場所を歩けばいいのだが、住んでいるアパートにはこの道を行くのが近道だ。
……明日も早い出勤だ。
とっとと自宅に帰ってゆっくり休みたい。
そう思えば、多少のリスクも仕方ないとするしかなかった。
「……!」
ふと、男はびくりとして立ち止まり、顔を上げた。
アパートの並ぶこの場所で、その上空で、なにか異質な音が聞こえた。
なにかが打ち合うような音が。
なにかが壊れる音が。
そして……。
月明かりに一瞬だけ照らされ、なにか、黒い影が夜空を過ぎった。
「……なんだ?」
男は数秒間立ち止まり、呆然と思考停止していたが、やがて我に返って、そそくさと帰路を急いだ。
なんであれ、関係はない。関わる必要などない。面倒に首を突っ込むことはしない。
自分の住むアパートはもうすくだ。
男はまだ聞こえてくる異音に無視を決め込み、小走りで帰った。
「……ち」
並び立つ様々な高さのアパート群の屋上を飛び渡り、駆け抜ける。
――〈仮面ライダー〉本郷猛は今夜もまた、〈ショッカー〉の生み出す改造人間との死闘を演じていた。
敵がまたもこちらに接近し、刃を振るった。
〈ライダー〉がそれを足刀で弾き返すと、敵はまた距離を取った。
そんなやり取りが何度続いているのだろうか。何回、何十回か。その度に建物の屋上から屋上へと渡り、敵の鋭い刃の攻撃と防御、〈ライダー〉の反撃と回避が繰り返される。
まさに千日手だ。これでは決着がつかない。
――仕方ない。
〈仮面ライダー〉は着地したアパートの上でついに止まった。
敵を待つ。真っ向勝負だ。必ず殺す。
「ほう」敵もまた同じ戦地に降り立った。「正々堂々の真剣勝負に臨む、というところかい? スポーツマンシップは嫌いじゃないよ」
はっきり言おう――こいつは、強敵だ。
今まで戦った〈ショッカー〉の改造人間とはまるで違う。
纏うオーラというのか、気迫というのか。隙があるようだが、それは誘うための演技のようでもあり、逆に隙がないと言えた。
そんな矛盾した佇まいで、この改造人間……〈蟷螂男〉は、無慈悲な狩人たる〈仮面ライダー〉を前にしても全く怯えることはなく、むしろ飄々としていた。
「……貴様、〈ショッカー〉の幹部か」
本郷猛は尋ねた。疑問ではない。確信があった。その上で正誤を判断するためにそう尋ねた。
「なるほど。ひとを見る目はいいらしい。本郷猛を名乗る割には大した腕前ではなかったが……慧眼だね。見直したよ」
〈蟷螂男〉はくつくつ笑い声を立てた。
柔らかい物腰の喋りで、邪気は感じられない敵。だが油断はできない。
「そうだ。僕は懲罰幹部の〈ジャッジメント〉。大幹部には及ばないが、それなりに高い地位にはいる。君にとっては、金星に当たる首級かな」
そう語った目前の敵。幹部。憎き〈ショッカー〉の幹部の一体。ただの〈蟷螂男〉でなく、コードネームを与えられた特別扱い。
本郷猛は身を震わせた。
簡単に……ぷつん、と。理性が弾け飛ぶ。
憎悪が膨らんだ。
頭の中に浮かぶ、あの光景。絶対に忘れられない、すべての始まりの光景。
「……殺す」
「うん?」
「殺すと言ったんだ。おまえを。殺す。殺してやる」
それはもはや、解き放たれた獣の声に近かった。人間の声ではない。憤怒に塗れた、唸り声であった。
「目つきが変わったね。仮面の下からでもわかるよ。君はいま、狂犬と変わらない。もっと理性的な男だと思っていたが、見込み違いだったかな」
「黙れ、外道」
吐き出す言葉も、鋭くギラギラとした凶悪な刃と化していた。否。彼は一振りのナイフそのものだった。
「……ふぅ。君が僕のなにを知ってそんなこと言うんだい?」
「なにを……いけしゃあしゃあと!」
事の始まりは単純だ。
この目前の怪物は、ひとを殺した。まだ若い少女を。
首を鮮やかに切断し、鮮血を体に浴びていたこの〈ショッカー〉の改造人間。
自分が駆けつけるのが少し早ければ、自分がこいつの悪事を察知するのがもう少し早ければ、少女は助かったかもしれない。
自分の無力を嘆く。同時に怒る。己に。そしてもちろん、ひとを殺し平然とするこの〈蟷螂男〉こと〈ジャッジメント〉に。
であれば。
こいつを許すわけにはいかない。
こいつを生かしておくわけにはいかない。
こいつを、必ず殺すのだ。
この敵こそが、自身が最も憎むべき〈ショッカー〉の悪意そのものだ!
その想いを胸に、〈仮面ライダー〉は決断的に踏み出した。力強く。アスファルトの床を陥没させて眼前の敵めがけ突進した。
勢いをつけつつ、敵の間合いに入るとすぐに滑り込ませるように拳を繰り出した。〈ジャッジメント〉はそれを僅かな動きでかわす。
それはいい。当てる気も当たるような期待もない。次の攻撃に移れ。足を振り回し、連続で回し蹴りを放つ。
だが、これもすべていなされた。まとわりつく虫を払い除けるかのように腕を振って繰り出した蹴りが防御された。
まだだ。〈仮面ライダー〉は再度腕を振るった。右の拳。左の拳。そしてまた右、左。何度も、何度も。
それはもはや嵐の如き攻撃だ。いまの〈ライダー〉に近づけば、それは嵐のただ中に取り込まれるのに等しい。瞬く間にずたずたにされるであろう。
しかし。
そのすべてが。
〈ジャッジメント〉には無力であった。
彼もまた、同じように腕を振るって迎撃した。腕には鋭利な長い剣が生えている。それが嵐の拳と切り結ぶ。
打ち合い、打ち合い、打ち合い。
どちらも一歩も譲らぬ。
だが、ただの拳と剣の打ち合いとなれば。
「ぐっ……!」
拳から、腕から、少しずつ血が流れ始めた。〈仮面ライダー〉の体に傷が増えていった。
勢いが衰え、〈ライダー〉は防戦に回った。回らざるを得なかった。
力量が違う。
――こいつには、敵わない。
斬撃の雨の中、攻撃の手を変えて〈ジャッジメント〉の蹴りが腹部に滑り込んだ。
〈仮面ライダー〉の意識が一瞬飛んだ。そこを狙い、〈ジャッジメント〉の剣が〈仮面ライダー〉の黒い装甲を袈裟斬りに切り裂いた。
それは装甲を容易に切断し、中の肉体にまで刃が達した。鮮血が迸った。
〈ライダー〉は両膝をついた。倒れなかったのは奇跡か、彼の執念か。
〈ジャッジメント〉は細い昆虫の目に僅かな優しさを滲ませた。この殺伐の戦場には不釣り合いの慈悲を持って〈仮面ライダー〉を見つめた。
「殺しはしないよ。そんな命令は受けていないし、僕の得にならないから。とっとと去るといい。僕には勝てないから」
〈仮面ライダー〉は頭を垂れたままだ。気絶しているのか、絶望に打ちひしがれているのか、それはわからない。
「……ふざけるな」
やがて、絞り出すような声が漏れた。
「ふざけるな!」
次に出たのは怒号だった。バネじかけのように起き上がると、〈仮面ライダー〉は渾身の力でアッパーを繰り出した。
「……っ!」
〈ジャッジメント〉は意表をつかれたが、なんとかそれを防いだ。だが、重かった。その一撃を防いだ腕に痺れが走った。
そこからは怒涛の勢いだ。
〈仮面ライダー〉は狂ったように、技も型もなしに攻撃するのみだ。
――いや。
「……なるほど」
〈ジャッジメント〉は感嘆した。狂ったように見える攻撃の嵐だが、それは違う。
こいつは才能の塊だ。
話に聞く〈仮面ライダー〉はこの目前の贋作の比ではないほどの実力だという。自分が戦えば、負けるのは必然だと理解している。
しかしこの〈仮面ライダー〉本郷猛を名乗る男は、弱い。
だが……才能ならば、勝るとも劣らないかもしれぬ。
自分の動きを把握し、そして柔軟に覚え、自分のものにする。
こいつは、ただならぬ盗人というわけだ。
名前にしろ、技術にしろ。
大したものだ。
この短時間に実力を向上させている。
〈仮面ライダー〉はひたすらに拳を打ち込む。だが狙いは正確だ。守りの手薄な箇所を狙い撃ちにするパンチ。
防がれれば、その時手薄となった場所へ拳が滑る。
訂正しよう。
こいつは、この〈仮面ライダー〉は決して弱くはない。
「だが」
「……!」
驚愕が〈仮面ライダー〉を襲った。いかなることか、彼の天地がひっくり返った。
「かはっ……」
受け身も取れず、背中から乾いた音を立てて倒れた。肺の空気がすべて吐き出された。鈍痛が体に駆け巡る。
「弱くはないが、やはり僕には届かない」
無様に倒れた〈ライダー〉を見下ろし、〈ジャッジメント〉は情けをかけるように言った。
「見込みはある。きっと強く成長できるだろう。だけど、なぁ。君には決定的に足りないものがある。いや? 足りなくはないのかな。〝咄嗟〟に捨てたのか」
意味深に彼は告げる。〈仮面ライダー〉は痛む体に鞭打って身を起こした。膝立ちになって〈ジャッジメント〉を睨みつける。
「……なにが言いたい」
「なに。助言だよ」
「……っ」
それがまた本郷猛の癇に障る。こいつはなんのつもりだ。
「さっきも言ったけど……僕は君を殺すつもりはないんだ。そんな命令されてないし、それは僕の役割ではないし。まぁだからといって殺してはいけない決まりはないんだけど……。そういう訳だから、すぐにここから立ち去るといい。見逃すからさ。いまのままでは君は僕を倒せないからね」
〈ジャッジメント〉の言葉に邪気も敵意もない。見下すようなこともなく、本当に忠告しているだけなのだ。こいつは。
それが……彼を煽る。
「だ、ま、れぇっ!!」
切れた。いまでも十分怒りを滾らせていたが、さらに理性がちぎれ飛んだ。
猛獣が飛び上がった。全身を武器にして躍りかかった。
〈ジャッジメント〉は……にわかに恐れを抱いた。
あれに触れれば、死ぬ、だろう、と。
拳が迫る。ストレートに。一直線。理性なくとも狙いは正確、迷いはなし。
渾身の拳撃は弾丸となった。否、それは砲弾の域だ。その速度、〈ジャッジメント〉にさえ視認はできなかった。
「……とはいえ」
だというのに。
「あ……が」
〈仮面ライダー〉はよろめき、たたらを踏んだ。
彼の胴体、その真正面に〈ジャッジメント〉がぴったりと張りついていた。
〈仮面ライダー〉の肉体のその裡に、衝撃が駆け巡った。内部で破裂するかのような撃墜。
体当たりだ。背中から、恐るべき勢いをつけてぶつかってきた。〈ジャッジメント〉の強靭な肉体そのものが武器と化して〈仮面ライダー〉を打った。
「確かに、見えない一撃だった。君の持つ力は凄まじい。だけど……見えないだけで動作は読める。ならば対処できるというものさ」
そう穏やかに語りかけながら、〈ジャッジメント〉は体を翻し、両腕の一対の剣が振るわれた。
独楽のように回り、踊りをするように優雅に、激しく、銀の閃光が〈仮面ライダー〉をずたずたに切り裂く。
血があちこちから吹き出し、こぼれ、黒い装甲を鮮やかに赤く彩る。返り血が〈ジャッジメント〉にこびり付く。
本郷猛が、立っているのは奇跡だった。敵の目から見てもそれは不思議だった。どこに足を立たせる力が働いているのか。
途端、独楽は回転をやめた。腕を高々と上げ、肘を曲げて振り下ろした。
脳天めがけ、落雷のように落ちてくる。
それを〈仮面ライダー〉は無意識のうちに防ごうとした。
両腕を頭上にかかげる。肘打ちが迫る。
しかし――。
「あぐ……っ! う、あ……!?」
〈仮面ライダー〉の意識はその激痛に一瞬呼び戻された。
驚愕した。刃が防御のために組んだ腕を貫通していた。
肘打ちは確かに腕で防いでいた。
だが問題は、〈ジャッジメント〉の肘の先にある。
先程まではなかったはずの刃が肘から伸びていた。それが腕を貫き、その下の腕をも貫いていた。
両腕が串刺しにされた。
――第三の剣。短剣。その刃が。〈仮面ライダー〉を敗北させた。
「く……う、がぁ……っ」
「ここまでだ。〈仮面ライダー〉を名乗る青年」
〈ジャッジメント〉の諭すような声は、本郷猛にはもはや届いてはいなかった。
……〈仮面ライダー〉の意識はそこで完全に落ちた。
****
――夢を見る。
見るのは僅かな救いの欠片を手にしたときのあの記憶。
女性が穏やかに自分の傍らに寄り添い、頬を撫で、涙を指で拭う。
そのときの自分がなにかを囁くように口を動かした。
あれはなにを言ったのだったか。よく覚えていない。
そもそも、いま見ている夢には音声はなかった。だから、女性の方がなにかを言ったとしてもそれは聞こえない。
そんな無音の世界の中で、女性は自分に口づけをした。
唇と唇が重なって、世界は静止した。静止したかのように感じられた。
そのとき、彼女の愛が流れ込んだ。同時に、自分が持ち合わせていた愛が彼女へ送られた。
どこまでも深い、海の底の底のようでありながら、滾るような情熱を持つ。しかしながら歪で、醜悪な、お互いを締め付け合う束縛のような狂気。
だが、そんな愛を彼は、己は受け止めた。それを求め、それをよしとした。なんてことはない話なのだ。
なぜなら、自身もまた狂気の中にあるのだから。長い時を経て、自分は壊れた。
壊れたから……同じ愛を抱いた。
狂人には狂人が釣り合うものだ。
自分は震える手で彼女を抱きしめた。強くきつく。彼女は喜びながら、痛みに僅かに呻いた。
当然だ。怪物の持つ馬鹿げた怪力で抱擁したのだ。苦しくないはずが無い。だのに、その痛みさえも彼女は喜んでいた。
なんて愛おしいんだろう。
なんて――。
憎たらしいんだろう、彼女は。
殺したい。殺してやりたい……。
彼女こそ、自分の至った結果の諸悪の根源にほかならないというのに。
どうして、こんなに狂おしいほどに好きになった?
どうして……。
どうして?
どうして!
どうしてどうしてどうして。
……あぁ。
どこまでも狂っている。
俺は。俺たちは。
口づけはさらに互いを求め合った。舌と舌が絡み合う。互いの唾液の味がどこまでも心地よく感じられた。
――なんと深く強い、愛憎だろうか。
自分は狂った末にこの感情を手に入れることが出来た。過去の自分なら、絶対に相容れぬ、どこまでも嫌悪するであろう、それを。
いや、待て。
過去……?
過去なんかないじゃないか。自分にあるのは、いつも……。
ああそうか。そうだった。
それも間違いだ。なにもかも、間違いだ。
間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い間違い――それでも。
彼女を持って繋ぎとめよう。
この狂いの末に、過去を。あるかももはやわからなくなった過去を、確かにあったことにするために。
――己が人間であったころのために。
――最後の最後で、人間として踏みとどまるためにも。
私は、必ず彼女を愛し続け、そしていつか殺してやろう。
「……っ」
夢の主は目は覚ました。
起きてすぐ吐き気に襲われた。頭痛もひどい。覚醒とともに、その不快感に苛まれる。
自分はなにをしていた?
ここは自室だ。その部屋のベッドの上。流した汗で湿ったシーツが彼の不快感を加速させる。
そうか。そうだ。寝ていたのだ。私は。
夢で見ていたのは自分のキオク、だ。それが脳内で浮上し、夢として見ていた。
――はて。キオク? 記憶? キオク? 本当に?
誰かの記憶を見せられていただけではないのか? その記憶の持ち主は本当におまえか? どうなのだ。
――〝名前のない男〟。
そんな人間が記憶という過去を持ちうるのか?
「……あら」
ぼうっと思案していると、女性の柔らかな声が聞こえた。
「目が覚めたんですね」
「……」
「今日は私の方が早起きでしたよ。といっても、十分ぐらい、なんですけど……うふふっ。可愛らしい寝顔を見せてもらいました」
そう愉快そうに言って、下着の上にネグリジェを着た女性が自分の隣にすとんと腰を下ろした。
彼女はいつもそうだ。こんなふうに、楽しそうに笑う。子供のように。
そんな彼女の顔を見て、安堵し、吐き気も頭痛も消え去った。そして同時に、憎悪がふつふつと込み上げた。
「いま、何時だ」
「朝の八時です。いつもよりは、お寝坊ですね。もう一睡しますか? あまり顔色がよくありませんし」
彼女はそう言いながら、男の頭を優しく撫でた。母が息子にそうするように。あるいは姉が弟にそうするように。
男は無関心そうな、暗く濁った瞳を向けた。彼女をじっと見つめる。
「……なんですか?」
「……」
「……もう」彼女は困った素振りを見せて顔を近づけた。「大丈夫です。今日もあなたは、生きていますよ、マスター?」
そう言って、彼女の桃色の唇が触れた。暖かさを伝え、離れる。
「……そうか」
男の方はそれだけ言うと、立ち上がって着替え始めた。
「十分に睡眠はとった。もう起きる。おまえと同衾するのはまた後でだ」
「そうですか。少し残念です」
彼女もまた着替える。着替えながら、他愛のない話をすることにした。
「なにか夢を見ていましたか?」
「ああ」
「どんな?」
興味深そうに、彼女は好奇心を向けて尋ねた。
「……別に。少し昔の想い出だ」
男の方はややうんざりとした様子で返す。しかし、そう見えるだけで、彼の内心にそんな感情などない。
ただ、彼女への対応がひどく冷めているにすぎない。
「そうなんですか。でも、あなたが想い出、なんて言えるなんて。少し嬉しいです」
彼女の方も、そんな彼の対応には慣れていた。それに、彼の本心などお見通しだ。だから気にすることはなかった。
彼は素直で純粋だから。わかりやすい男なのだ。
「……おまえのおかげだ」
男は赤いマントを羽織り、フードを目深に被る。口許は赤い布のマスクで覆って、顔は完全に隠された。
「まっすぐに言われると、少し照れてしまいますね」
くすりと笑いながら、彼女は黒いレディススーツに着替えた。
「今日はその衣装か」
「はい。どうですか?」
「ふん。まるでコスプレだな」
「まぁひどい。コスプレだなんて。ファッション、と言ってください。女心がわからないんですから。それに、私の本業を忘れたんですか? ……まぁ、あなたが望むのなら好きなようにコスプレをして差し上げてもいいのですよ?」
「……」
無言で返すマスターに、彼女は悪戯っぽく笑って、舌を出した。
「冗談です……なんて。ちょっとは本心ですけど、この話は置いておきましょうか。それよりも、すぐに出ますか? あの娘はもう飛び出してしまいましたし」
「なんだと」フードの下の瞳が僅かに見開かれたのを彼女は見逃さなかった。「また勝手に……」
「〈サイドキック〉が一緒にいるみたいですけどね」
「なら問題はないが……それでも心配だ。すぐに出る」
彼女はうなずく。「そうですね。あの男が、こちらを少しずつ察知してきているようですし」
「……そうらしいな。なるべく目立たないようにしなければならんな」
「そうですね。私も……あのひととは関わりたくないです。気に食いませんもの」
彼女は、そこで男の胸に手を置いた。細い指が触れる。
「……なんだ?」
「いえ。ただ……あなたの、マスターの到達するであろう未来を思ってしまうと、胸が締め付けられて」
「そうか」
男、彼女にマスターと呼ばれる彼は、彼女の手を取って、握り、指を絡めた。
そして、彼の方から口づけをした。そして、唇を離して見つめ合う。
「大丈夫だ。いつも言っているだろう? 私は……俺はおまえがいる限り生き続ける。逆に言えば、すべて終わればおまえを殺して俺は死ぬ。だからそのときが来るまでおまえは生き続けろ。おまえは俺が責任を持って殺す。俺が死ぬから、おまえも死ぬ。そういう約束だ。
だからちゃんと……そのときが来るまで俺の傍にいてくれ」
彼の抑揚のない言葉を聞いて、彼女は柔らかく微笑んだ。
「はい。もちろんです。私はあなたのものですから。ちゃんと添い遂げます。あなたという素晴らしい命の終焉を最期まで見届ける。それが、私の義務ですもの。あなたの……生きる、という意志に、私はいつまでも応えますから」
男はこくりと頷き、ひとこと、「安心した」と、そう言った。
「そろそろ行くぞ、コヨミ」
「はい、マスター」
――そうだ。行かなければならない。
私は……俺、は。
これですべてに終止符を打たなければならない。
あの日の後悔。
あの日の決意。
それがいまの俺を生かしている。
長かった。長すぎた。
ここに至るまで、どれだけの、どれだけの――。
もうすぐだ。あと少し、あと少し。
けじめをつけるときを迎えるのだ。
最後の、けじめ。
それを終えればすべて終わり。
自分は果たす。
あの燃え盛る館の中、〈仮面ライダー〉本郷猛を殺したとき、殺し損ねたときのように。もういちど……本郷猛と、ヤツらとの決着をつける。
それが、俺に残された、最後のけじめ。
本郷猛を名乗る若僧のことなど知らない。いつかのときと同じく、〝本郷猛〟を殺すのだ。
それが――きっと、きっと。
あの日の自分が正しかったという証明になるのだから。
****
清潔な白い部屋。
使われてはいないのだろうが、定期的に手入れの行き届いた一室。
窓から見える外の世界は明るく、今が昼間なのがわかる。青年はベッドに腰かけながら、その景色を窓ごしに拝んだ。
だが、そんな麗らかな景色に反して、この部屋に満ちているのはぴりぴりとした一触即発の不穏な空気だ。
その原因は、青年――本郷猛の目の前にいる存在のせいだ。
「やぁ、おはよう。気分はどうだい?」
和やかな物腰で、背広姿の男は青年に声をかけた。
声をかれられた猛の方はというと、仏頂面……いや、というよりは殺気を滲ませ、今か今かと牙を剥くタイミングを窺っているようだった。
「参ったな。せっかく手当もしてあげたのに、そんな顔をすることないじゃあないか」
「……なんのつもりだ」青年は低い声で尋ねた。「なにが狙いでこんなことをする? ……屈辱だ。おまえならば、あのまま殺すこともできたはずだ。それを……」
「言っただろう? 殺す気はないと。それとも、本当に死にたいのかい? そこまで言うのなら仕方がないが……君にはひとりで置いていけないひとがいるんじゃないかな?」
「……」
「図星かな。だから、ほら、生きてた方がいい。生きれるうちはね。僕の気が変わって君を殺す、なんてことにならないようには」
背広は諭しながら、彼の周りをうろうろとする。落ち着かない、というよりは舞台役者のように語り聞かせるのが楽しい、という様子だった。
「ここはどこだ。……〈ジャッジメント〉」
背広の男――〈ジャッジメント〉人懐こい笑顔を浮かべた。
「僕の家さ。なかなかいい一軒家だ。〈ショッカー〉のとある大幹部……僕の上司がおすすめしてくれてね。家族と暮らしてるよ」
「……家族、だと」
〈ジャッジメント〉が口にしたその単語に、猛は少し驚いたような声色で反応した。
「そう。家族だ。なにかおかしいかな? 憎むべき敵! 〈ショッカー〉に属する悪党! 瑕疵なき人間を殺す残虐非道の改造人間〈ジャッジメント〉……とはいえ、僕にも表の顔がある。和泉秀次――それが僕の名前だ。和泉秀次には組織から与えられる仕事をする傍ら、子供たちを養うという親の務めがある。妻には先立たれ、男一人でふたりの子供を育てる務めだ。それを……君は否定するかい?」
立ち止まり、猛を正面からまっすぐに見つめ、誇り高く語る。〈ジャッジメント〉=和泉秀次には、本郷猛と交戦したきっかけたる少女殺しの事実を薄れさせるほどに。
「……それは」
猛はたじろぐ。彼は間違いなく、自分が忌むべき〈ショッカー〉の悪。だが同時に……人間でもあった。
「それに……君が信じるか信じないかは勝手だが、僕が手にかけたあの少女は〈ショッカー〉の下っ端だ」
「な……」
「ルール違反を犯した愚か者さ。ヤツは欲望に呑まれ、殺人を犯しすぎた。我ら〈ショッカー〉にも取り決めはあるんだよ。節度、だね。それを無視し、殺しすぎた。力に溺れ、力を外に逃がし続けようと暴走した。それを僕は罰した。僕は〈ジャッジメント〉。懲罰する者だからね」
淡々と、感情のない声でそう語る。
それを信じるのか。信じられるのか。
こいつは〈ショッカー〉だ。倒すべき敵の一体なのだ。
言い聞かせる。惑わされてはいけない。
「ところで、本郷猛? 君はどうして、〝本郷猛〟なんだ?」
「……なにを言っている?」
唐突に、わけのわからないことを尋ねてきた。質問の意図がわからず、本郷猛はなんと答えればいいか悩み、固まった。
「知らないのか? 本郷猛とは、〈仮面ライダー〉とは過去……もう五十年前だったかな……に〈ショッカー〉を相手にして戦い続けた最強の改造人間、いや、それを超越した存在の名前だよ。だがヤツはとある事件で裏切りに遭って殺された。そんな男の名を語る。その真意はなんだい?」
「……」
それは。
それは――そんなこと知らない。
過去にいたという本郷猛のことなど知らない。
確かに、〈弐番〉が本郷猛という名前に妙に拘っていた。その名前に意味があるように。
そもそもこの名前は。
――猛。
姉さんの優しい声が浮かぶ。
俺は昔からそう呼ばれていた。俺は昔からその名前だった。
俺は間違いなく、本郷猛なんだ。
「……っ」
ふいに頭の中で、嫌な光景が過ぎった。
姉が、自分が、恐怖のただ中にいたあの忘れられない光景が。
知らずのうちに歯を噛み締めていた。
「まぁ、いいさ。では、〈仮面ライダー〉の名前は? それはどこで知って、なんで名乗った? どんな偶然が、もしくは必然があって〈仮面ライダー〉本郷猛となった?」
「……俺は」
本郷猛がその問いに答えようとしたとき、部屋のドアが勢いよく開いた。
「おとーさん、おなかすいた」
幼い女の子が、ぬいぐるみを抱きながらそう言った。
「あぁ、ごめんよ知佳」
和泉は苦笑しながら、振り返った。
「和人は? なにか作ってくれなかったのかい?」
「お兄ちゃんは……」
「作るもなにも、材料がないんだよ。なんもないし」
こんどは男の子が顔を見せた。中学生くらいだろうか。制服を着た、痩身の少年だ。
「そうか、それは悪かった。すぐに買い出しに行こう。いや、そうだな、せっかくだから外で食べようか」
「ほんと? わぁ、うれしい!」
父の和泉の提案に知佳は喜び、はしゃいだ。
和泉が本郷猛を振り返る。
「さて、君はもう帰った方がいい。手当てはしてやったのだし、もう動けるだろう」
「……なんだと? みのが……っ」
見逃すのか。
そう言いかけて、それを呑み込んだ。
いまの和泉は、二児の父の素顔だ。そんなことを言えば、愛する子供たちに怪訝に思われてしまうだろう。
「……そうか。君はそういう男なんだね」和泉は小声で囁く。「君の気遣いは嬉しいよ。ありがとう。僕も尊敬される父親でありたいからね」
嬉しそうに微笑む和泉に、本郷猛はなにも言葉を返せなかった。
自分は矛盾している。
目の前の男が憎い。許せない。殺さなければ、自分に、そして大切なものに背く。
だが、それを抑える自分がいる。この男はふたりの兄妹の父親で、一生懸命頼れる父親であろうとしている。
それを……殺すのか。
殺せば、この兄妹は……。
「……」
もはやなにも考えられなかった。それ以上考えれば、どうにかなりそうだった。
立ち上がって、和泉秀次こと〈ジャッジメント〉に無防備な背中を晒して部屋を出ようとする。
その前に目線だけを動かし、和泉の近くにいたふたりの兄妹の顔を一瞥した。
――兄妹の顔を焼きつけ、本郷猛は和泉邸を後にした。
……外に出れば、冷たい風が彼を迎えた。
まるで、他人のように冷たい風。突き放されたような孤独を感じる。
最後に見た光景。
あの兄妹の自分を見る目。
なにも知らないのはわかっている。〈ショッカー〉のことも。本郷猛と和泉秀次が殺し合った敵同士だということも。
だが、それでも。
あの兄妹は自分が、異物のように見えていたのだろう。
自分にとって、倒すべき、排除すべき悪が〈ショッカー〉であるように。
自分にとって、忌むべき怪物が〈ジャッジメント〉のような改造人間のように。
あの子たちにとって、自分こそが……悪であり、怪物だったのだ。
激しい吐き気がする。
この吐き気を紛らわそうと、懐から煙草を取り出して、それに火をつけた。
だが味がしなかった。なにも感じられない、なにも。
煙草を吸うのを諦め、それを握りつぶした。熱くはない。そんな熱では、痛みは感じない。
だがそれが、どうしょうもなく苛立ちを加速させた。
本郷猛は打ちのめされたように無気力な頭で歩いた。
自分は、どこへ行けばいいだろう――?
本郷猛本人を活躍させたいという気持ちがあるんですがね、それをするとなると……なにかしらクロスオーバーでしか成り立たない気がするのですよね。……というよりは私の頑なな拘りというかなんというか。譲れない原作への尊重というか。
この作品の主人公のひとりが本郷猛本人でないのはそういう意図です。