ガラクタと呼ばれた少女達   作:湊音

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書き直した物語
ガラクタ


 訓練で流した汗の分だけ戦場で血を流す量が減っていく。

 ただ何も考えずにグラウンドを走るよりも、明確に目的を持って走るだけで同じ訓練でも大きく差が出る事がある。

 

「どうした、もうバテたのか?」

 

 自身の後ろに誰も居なくなってしまった事に気付いた男がグラウンドを逆走すると地面に座り込んでしまった男達に声をかける。

 

「もうって、一体何時間走れば良いんですか……」

 

 地面に座り込んだ男達は不平不満の声を上げているが、それを聞いた男は「誰かが俺を追い抜くまで」と一言告げて再びグランドを走り始めた。

 今日は陽射しは暑く感じるが、風は冷たく走るには最適な天候となっている。最適であれば走らないのは逆に勿体ないと座学を中断してランニングを行うと言い出したのは依然走り続けている男だった。

 

「湊さーん、中将さんがお呼びですよー!」

 

 湊と呼ばれた男が走っているグラウンドの反対側で、眼鏡をかけた女性が手を振りながら声をあげている。

 

「すぐに向かいますー!」

 

 湊はノロノロと走り出した自分の部下達に柔軟を行ったら座学室へ戻って座学の続きを行うようにと指示を出して自身を呼ぶ女性の元へ走って行った。

 

「中将が俺に何の用なんです?」

 

「残念ながらそこまでは聞かされていません、ただ昨晩から機嫌が悪いようでしたので覚悟だけはされておいた方が良いかと」

 

 湊は女性に自分に何の用なのかと尋ねたが、内容が分からない所か下手すると叱責される可能性があると思考を巡らせる。

 実際に湊の最近の行動を思い返してみると「消灯後の外出」や「銀蠅」等の心当たりが数多くあった。

 

「失礼します」

 

 無駄に豪華な扉を数度ノックした後、部屋の中から「入れ」という返事が返ってきた事を確認して湊は扉を開けた。

 

「本日はどのような内容でしょうか!」

 

「別に貴様を叱責しようと呼びつけた訳では無い、楽にしても構わない」

 

 叱責される前に下手なケチを付けられると面倒だと考えた湊は新米の訓練生が行うが如く大げさに敬礼をしたのだが、予想が外れた事に内心安堵しているようだった。

 

「喜べ、貴様は本日を以て大尉から臨時少佐へと昇格する事となった」

 

「ありがとうございます、しかし随分と急ですね」

 

 最近の行動を考える限り評価されるような点が無いはずだ、と湊は昇格を告げられた意味を考えているようだが、何度考えても心当たりは無いようだった。

 

「貴様の昇格には条件があってな、明日付けで鹿屋基地への異動も決まっている」

 

「そうですか、それでは俺の昇格の件は無しという事でお願いします」

 

 湊の言葉に中将は眉間に皺を寄せ睨みつけるようにして口を開いた。

 階級が絶対とでも言える軍隊の中で湊の態度は決して許される物では無い、本来であれば昇格も異動も個人でどうにかできる問題では無かった。

 

「貴様も相変わらず変わらないな、もう少し大人になれと何度も言っているはずだが?」

 

「逆に質問させてもらいますが、鹿屋基地は海軍の航空隊を主とした基地だったと記憶しています、どうして陸軍の俺がそのような場所に異動する事になったのでしょうか?」

 

「貴様は海軍の所属になってもらう、それが昇格の条件だ」

 

「もう1度言わせてもらいます、俺の昇格は無しで構いません。 この基地にはまだ教育中の部下も居ますし、俺に海は合いません」

 

 湊には先ほど情けなく地面に座り込んでいた部下達を一人前の兵士になるまで面倒を見てやるという約束があった。しかしそれ以上に海軍の所属になるという事が堪らなく嫌だと考えていた。

 

「陸軍と海軍が不仲だという事は儂も重々承知しておる、先日貴様を寄こせと上を通して連絡が来た時には何度も断ろうとしたのだ」

 

「分かっているなら尚更です、どうして俺があんな腰抜け共と仲良くしなければならないのですか?」

 

「貴様は海がまずい事になっているのは知っているな?」

 

「はい、南の島へのバカンスは今でも良い思い出ですよ」

 

 以前海の問題に関して海軍との共同作戦を行った事があった、国内の人手不足もあって湊は訓練の途中であったにも関わらず最前線での作戦の参加を強制されていた。

 

「陸軍でも海軍でも人材不足は共通の問題だ、実戦経験があり人材育成に長けた者を寄こせと言うのが向こうの要求だ」

 

「それなら毎日兵舎で時計を見ながら珈琲を飲む仕事をしている中尉なんてどうでしょう? 彼もバカンスには参加しています」

 

「貴様は儂に恥をかけと言うのか? アレが向こうでどのような問題を起こしたのかは知らぬはずが無いだろう」

 

 便宜上彼の事を珈琲中尉と呼ぶことにする、彼はブルネイでの作戦に参加した時には珈琲大尉だった、そして間抜けにも他国の女性スパイに唆され国内の情報を流した。

 ブルネイでのゴタゴタのおかげでどうにか除隊にこそならなかったがその事が発覚してすぐに降格処分として珈琲中尉となってしまった経歴がある。

 

「もう決定された事だ、本日中に荷物をまとめて鹿屋基地に向かってもらう。 せめてもの手向けは海軍から迎えのヘリが来るという事くらいだな」

 

 湊にとって中将は数少ない軍に入る前からの知り合いだった、長い付き合いだからこそこれ以上この男に異論を申し立てた所で意味が無い事ということを理解していた。

 

「それでは自分は荷物を纏めてきますので、失礼します」

 

 せめて納得していないという事を中将に伝えてやるんだという意味を込めて湊は扉を叩きつけるようにして閉めた。

 軍という組織に属している以上は仕方が無い事だとは理解しているが、それでも物に八つ当たりしてしまう程度には苛立っている。

 

「あの、大丈夫でしたか……?」

 

「何でも無いよ、それよりも淀川さんって空いてるかな?」

 

 律儀に扉の前で湊の事を待っていた女性は自身のスケジュールを確認して、夕方までの予定が入っていない事を確認した。

 

「大丈夫です、1800から中将さんと会議に同席する事になって居ますが、本日は他に予定はありません」

 

「秘書官も大変だねぇ、爺の御守りなんて俺には絶対に無理だって言い切れるよ」

 

「流石に上官に爺は怒られてしまいますよ、それで何か私に用事があったのでは?」

 

 淀川と呼ばれている女性も湊とは古い付き合いだが、彼女は兵士というよりは中将の代わりに雑務を行ったり会議等の補佐を行う秘書官としてこの基地に在籍していた。

 

「少佐に昇格したって話までは良かったけど、明日から鹿屋に異動が決まったらしい、それでさっさと荷物をまとめる必要があるから手伝って欲しいと思ってさ」

 

「そうですか、この基地もこれで静かになりそうですね」

 

「俺ってそんなに煩いかな?」

 

 湊と淀川は他愛もないやり取りを繰り返しながら、湊の部屋へと移動する。

 基本的に基地内の宿舎は相部屋なのだが、教官に任命されてから湊は念願の一人部屋を手に入れる事ができた。

 

「せっかくの一人部屋だったんだけどな」

 

「私はずっと一人部屋でしたので、逆に相部屋ってなんだか憧れますよ」

 

「いろいろと不便しか無いけどなぁ」

 

 実際にその不便は相部屋を経験した人間にしか分からないだろう。何をするにしても他人の目があるというのは色々と行動に制限がかかってしまう。

 

「これって持っていきますか?」

 

「飯盒と簡易テントか、鹿屋って天井あると思う?」

 

「必要無さそうですね」

 

 元々室内に湊の私物はほとんど無く、野営のための備品や任務で使用する小道具といった物しか無かった。

 どうにか最低限の荷物を鞄に押し込んだ所で、淀川の携帯が着信を知らせる音色を奏で始めた。

 

「こちら淀川です。 はい、分かりました。 すぐに連れて行きます」

 

「呼び出し?」

 

「いえ、迎えのヘリが到着したみたいですよ」

 

 湊は大きな溜息をついて膨らんだ鞄を背負うとゆっくりと立ち上がった。その気怠そうな動きが面白かったのか淀川が口元を隠して笑っていた。

 2人はヘリポートへと移動すると、そこには海軍の象徴である錨のマークが描かれたヘリが止まっていた。

 

「本当にここから離れ無ければならないんですね」

 

「そうですね、少しだけ本音を言わせてもらえば寂しくなってしまいますが、『湊少佐』なら向こうに行っても上手くやって行けますよ」

 

 大尉ではなく少佐と呼ばれた湊は照れくさそうに頭を掻いて誤魔化すと、頭をぶつけないように気を付けながらヘリへと乗り込む。

 

「それじゃあ行ってきます」

 

「はい、寂しくなっても泣いちゃダメですよ?」

 

 湊は淀川の言葉を鼻で笑うと、ヘリのドアを閉めた。

 ヘリの中には肩に錨のマークを付けた男が2人居たため、簡単な挨拶を済ませて座席に座りシートベルトを装着する。

 

「鹿屋ってどんな所なんですかね?」

 

「戦闘機の殆どは呉や横須賀なんかに移したって聞いたことあるな」

 

「噂だと空いた敷地で新兵の訓練を行ってるってのも俺は聞いたことがあるぜ?」

 

 他愛も無い雑談をしながら窓から下を眺めていると、ヘリは大きな音を立てながら徐々に空へと上がっていく。

 その光景を見て湊は本当にこの基地から出て行ってしまうのだと少しだけ感傷的になってしまった。

 

「まぁ、そう凹みなさんなって、短い時間だが快適な空の旅を満喫したほうが何倍も有意義だ」

 

「そうは言っても海沿いは飛ぶなって指示が出てるし、下を見ても山ばっかだけどな」

 

 湊は励ましてくれている男達の言葉に適当に相槌を打ちながらも頭の中ではこれから自分が何をする事になるのか、そんな事ばかりを考えていた───。

 

 

 

 

「ここから真直ぐ進めば基地があるから、悪いが少しだけ歩いてくれ」

 

「気にすんなよ、最後の陸地だと思って一歩一歩噛み締めながら歩かせてもらうよ」

 

「基地の正門の前に迎えが居るはずだから、詳しい事はそいつにでも聞いてくれ」

 

 2時間程度の空の旅だったが、意外と気の合う連中だったと湊は思う。これから向かう鹿屋でも気さくな連中が多ければ良いなと少しだけ期待しても良いかなとも考えていた。

 

「それじゃあ気をつけてな」

 

「あぁ、そっちもな」

 

 湊は再び空へと上がっていくヘリを見上げながら両手を振って別れの挨拶を行う。

 ヘリが豆粒ほどの大きさになったのを確認して湊は教えてもらった邦楽へと歩き始めた。

 

「妙に静かだな……」

 

 少し歩いた所で、田畑が広がる場所に出たが農作物は育てられておらず完全に静まり返っていた。ヘリに乗っていた連中も海の近くは飛ぶことができないと言っていたし、この辺りにも避難勧告でも出ているのだろうか。

 

「あれが鹿屋基地か?」

 

 1つ山を越えた辺りで赤い煉瓦と有刺鉄線により区切られた建物が湊の視界に入ってきた。

 真直ぐに進めば正門と思われる場所に辿り着くのだが、見張り小屋に誰かが居るような様子は無かった。

 

「迎えが居るって聞いてたんだけどな……」

 

 もしかして場所を間違えたのかと不安になってしまったが、門の横に『鹿屋基地』と書かれたプレートが立てかけられているのを確認して間違いでない事を確認する。

 

「ちょっと、あんた誰よ」

 

 急に後ろから話しかけられた事で咄嗟に身構えそうになってしまったが、振り向いた先には誰も居ない。

 

「あんた、私を馬鹿にしてるの?」

 

 湊は視線を下げてみると、頭の上に奇妙な機械を浮かべた少女がそこには立っていた。

 

「ん、子供がこんな所に居たら危ないだろ。 早く親の所に帰りな」

 

「誰が子供よ!」

 

 少女は思いっきり足を振り上げると、湊の脛目掛けて振り下ろした。鈍い音と共に衝撃が湊を襲う。

 

「ってぇ……! 子供だからって流石に怒るぞ?」

 

「私は特型駆逐艦、5番艦の『叢雲』よ!」

 

「と、とくがたくちくかん……?」

 

 今の子供達の間ではこういった遊びが流行っているのだろうか、湊自身も幼いころはテレビで見たヒーローなりきって遊んでいた時期があるため似たような物かと判断したようだった。

 

「悪いが最近はニュースくらいしか見て無くてな、なんてタイトルの番組なんだ?」

 

「あぁもう、じれったいわね! 名前と階級を名乗りなさい!」

 

 湊は何か間違ってしまったのだろうかと首をかしげてしまっているが、少女が顔を真っ赤にして怒っているのを見て大人しく従った方が良いと自身の名前を階級を名乗った。

 

「本日付けで鹿屋に異動となりました湊です、階級は臨時少佐であります!」

 

 湊にとっては陸軍の広告ポスターをイメージしたかのような爽やかな笑顔を作ったつもりだったが、その様子をみた少女は顔を引きつらせていた。

 

「もう良いだろ、早く親の所に帰りな?」

 

 爽やかな笑顔を維持したまま、湊は少女に親の元へ帰る様に促す。しかし帰ってきた返答は2度目の脛への衝撃だった。

 

「いい加減にしないとマジで怒るぞ?」

 

「いい加減にするのはそっちじゃない!? 私は『艦娘』なのよ、さっきの説明でそれくらい分かりなさいよ!」

 

「かんむす……?」

 

 聞きなれない単語に湊は首をかしげる。

 少女はというと顔を真っ青にして残念そうな目で湊を見ていた。

 

「あ、あんた。 まさか艦娘を知らないのにここに来たの?」

 

「すまん、正直に言えば何も知らない」

 

 湊と少女の間に微妙な空気が流れる。

 湊にとっては何も聞かされていない以上は落ち度は無いはずだ、少女にとっても自分達の教育を行う教官が来るとしか聞かされていない。

 

「明日の挨拶までに最低限の知識は教えて置いた方が良さそうね……」

 

「お、お願いします」

 

 少女は足早に建物へと歩き始めると、湊もそれに続く。基地の中は所々年季の入った部分はあったが小まめに掃除されているのか綺麗な状態だった。

 

「そこに座りなさい」

 

 執務室と書かれたプレートがかけられている扉を開けると、目の前には埃が被った机と椅子が用意されていた。

 

「この部屋は随分と汚れているんだな」

 

 湊は椅子と机の埃を手で払うと少女の指示に従って椅子に座る。

 先ほどまでは綺麗に片付けられていたようだったのに、この部屋だけが妙に汚れているのに違和感を感じているようだった。

 

「これ、明日までに全部読んでおきなさい」

 

「全部って、朝までかかるぞ……?」

 

 少女は自身の背丈の半分ほどはありそうな程のファイルや資料を机の上に積み重ねると、呆れた表情のまま資料を追加していった。

 

「あら? 朝までに読めるなら挨拶までに間に合うじゃない、何か問題があるの?」

 

「お前な、こっちはいつまでも遊びに付き合ってる程暇じゃ無いんだ。 さっさとお偉いさんを呼んで来てくれ」

 

「居ないわよ、この基地には私達艦娘とあんただけ、前に居た人は逃げ出しちゃったもの」

 

『逃げ出した』という少女の言葉に湊は違和感を感じているようだった。しかし少女の真剣な表情を見る限り嘘や冗談を言っているような気配は無かった。

 

「少しだけ待っててくれ」

 

 湊は適当なファイルを取ると、ペラペラとページを捲りながら気になった単語を見つけたページを開いて机に広げる。

 

「いくつか質問に答えてくれ」

 

「何よ、変な事聞いてきたら酸素魚雷食らわせるんだからね」

 

「艦娘ってのは兵器なのか? 俺には君が普通の女の子にしか見えない」

 

 目の前にある全ての資料に目を通していたら確実に朝までかかってしまう。量と自分の読むペースを考えた湊は適当にページを捲って気になった単語を少女に質問していく事で時間短縮を図る事にした。

 

「兵器って呼ばれるのはなんだか不満だけど、合ってるわよ。 過去に沈んだ艦の魂が宿った艤装、それを扱う事ができるのが艦娘と呼ばれる私達ね」

 

「その艤装ってのは何だ?」

 

「分かりやすく言えば砲撃を行うための主砲や副砲、海上を進むための推進力を生みだす主機、その2つを動かすための動力を生み出す缶の3つの総称ね」

 

 湊は少女の説明した内容が長ったらしく書き記された項目を見つけたが、何百何千という文字を読むよりも少女の話の方が分かりやすいと思った。

 

「適正検査を実施、艤装との相性の確認、艦娘として登録。 海に現れた化物に対抗できる唯一の手段か」

 

 ファイルに書かれている内容は漫画やアニメの世界の出来事じゃないかと疑ってしまう内容ばかりだった。

 

「それで、俺は一体お前達をどうしたらいいんだ?」

 

「そうね、まずはお前って言うのやめてもらえるかしら? 私には叢雲って名前があるんだから」

 

 出会ったすぐに少女は自分の事を叢雲と名乗った、今覚えた内容と共に考えてみればそれが少女に与えられた艦の名前だという事が想像できる。

 

「それで『叢雲さん』に聞くが、俺は一体何をしたら良い?」

 

「あんたは教官としてこの基地にやってきたの、私はそう聞いているし呉からの手紙にもそうあった」

 

 湊は叢雲から手紙を受け取ると内容を確認する。

 手紙には確かに湊の名前を階級、そして簡潔に艦娘の管理運用、教育を実施と書かれてあった。

 

「そうか、まぁどうでもいい。 次の質問だが俺は叢雲に何を教えれば良い、俺が教えられることなんて君達に必要な事だとは思えない」

 

 湊にとって海上戦は分野違いであり、彼が教えられることと言えば陸軍で学んできた事に限られる。戦場も違えば兵装の違う叢雲に教えられることは無いと言い切っても良い。

 

「恥ずかしいけど、全部よ。 戦い方もそうだし、生きて行く事も含めて全部」

 

 叢雲の言葉の意味を考えながらも湊はファイルのページを捲り続ける。

 数ページ先に先ほどの言葉に関係すると思われる項目を見つけた。

 

「艤装との接続を行った被験体は艦との記憶の混在が確認された、個体差はあれど人としての記憶が艦の記憶に書き換えられた」

 

「そういう事、でも勘違いしないで、私は私の意志で艦娘になったんだから」

 

 湊は考えていた事が叢雲に読まれてしまったのかと一瞬焦ってしまったが、自身の眉間に皺が寄ってしまっていた事に気付いて大きく深呼吸をした。

 本に記されていた内容は要約してしまえばただの人体実験なのだ、新しく開発した兵器を使用するために一般人を改造して戦場へと送り込むただそれだけだった。

 

「艦娘についてはだいたい分かった、次はこの基地について教えてくれ」

 

 ページを捲っていくと『失敗』『欠陥兵器』と書かれた内容を見つけた湊はファイルを閉じるとできる限り表情を取り繕って叢雲を正面から見つめる。

 その行為は短い時間だが湊が叢雲がどのような人間なのかを観察した結果だった、湊から見た叢雲は初対面こそ気の強そうなイメージがあったが、こうして俺の表情から考えを予想したり律儀に質問に答えてくれる所を考えれば少なからず他人の考えに対して敏感な一面を持っているのだろう。

 

「ここは元々海軍の航空基地として運用されていたの、でもそれだけじゃ奴等に対抗する事ができなかった。 だから軍はここの兵器や資材を他の鎮守府へと移動させた」

 

 叢雲は積み上げられた資料の真ん中から器用に一冊のファイルを引き抜くと、湊へと手渡した。

 湊がファイルを捲っていくと確かに先ほど叢雲が話した通りの内容がそこには書かれていた。

 

「なるほど、それでも基地や施設を遊ばせておく程の余裕は無いと判断して、艦娘の教育、出撃の拠点として再利用か」

 

「机の引き出しの中に前に居た人の残したレポートが入っているわ、そっちにも目を通しておくと良いわよ。 私は疲れたから自室で休んでる事にするわね」

 

 そう言い残して叢雲は執務室から出て行った。若干足取りが不安定だと思った湊だったが、叢雲の指示に従って机の引き出しの中身を確認した。

 

「これは中々大変な場所に来たようだな」

 

『命令に従わない』『運用に難有り』そんな言葉が延々と書きなぐられている資料を見た湊は顔をしかめる。何よりも気分を悪くしたのは乱暴に書きなぐられた文字だった。

 

「こんなガラクタを運用する必要性は無いか……」

 

 湊は胸ポケットから煙草を取り出すと、口に咥える。

 しかし執務室には灰皿が存在しない事に気付いて気怠そうに窓際へと移動した。窓を開けてみれば目の前には一面の海が広がっており、とても未知の生物と戦争をしているなんて考えられないほど平穏だった───。

 

 

 

 風が窓から吹き込む音で湊は目を覚ました。執務室の中は冷たい海風によって冷やされ、その寒さを紛らわせるように両手を擦り合わせているようだった。

 

「少し冷えるな……」

 

 机の上に並べられた資料は風によってパラパラと音を立てながらまだ読んでいないページを開き続ける。朝までに読み終えるようにと言われた湊だが、冷えた身体を温めるために何か飲み物を探すために立ち上がった。

 

「しかし、何処に何があるかも分からないな……」

 

 叢雲に案内されたのが執務室への道のりだけだった湊は頭を抱えてしまう、基地内なのだから食堂の1つくらいは在っても良いはずなのだが肝心の場所を知らされていない。

 

 それでもいつまでも執務室に篭っていても仕方が無いと考えた湊はまずは適当に歩き回ってみようと結論を出したようだった。

 

「ここは誰かの寝室か……?」

 

 殆どの扉に鍵がかけられていたが、唯一開いた部屋の中はベッドに小さな机だけが置かれた殺風景な部屋だった。

 

「前任の部屋か?」

 

 この際珈琲では無く紅茶でも良いと期待して軽く部屋の中を漁った湊だったが、机の引き出しからは使い込まれた手帳と鍵の束しか出てこなかった。

 

「他の部屋の鍵……って訳じゃ無いよな」

 

 見つけた鍵にはピッキング対策の細かい形状は無く、2本の突起があるだけのシンプルな形状だった。これに似た鍵を過去に何度か見た記憶のある湊はそっと鍵を元の位置に戻すと少し複雑な気持ちで引き出しを閉めた。

 

 これ以上この部屋を漁っても仕方が無いと判断した湊はそっと扉を閉じて次の場所を散策しようとしたが、後ろから「動くな」と声をかけられた事で身体の動きを止めた。

 

「何をしてんだ、執務室から出るなって言われなかったか?」

 

 左目に眼帯を付けた少女が湊に日本刀を模した得物を突き付けたまま質問を投げかける、しかし湊は何も答えなかった。

 

「怖くて声も出ねぇかァ? お前も前の奴と同じ腰抜けみたいだな」

 

「……食堂の場所を知らないか?」

 

「はぁ? お前今の状況が分かってるのかよ」

 

 湊の回答が不満だったのか、少女は刀の背で湊の肩を軽く叩く。銃の類でも突き付けられているのでは無いかと様子を伺っていた湊だったが、少女の得物を確認してどう対処するべきなのかを考えていた。

 

「悪いな、今日着任したばかりで迷子なんだ。 食堂まで案内してもらえると助かるんだが」

 

「誰がするかよ、さっさと執務室に戻れ」

 

 再び刀が肩を叩こうとしたタイミングで湊は身体を捩じりながら後方へと振り向く。咄嗟の事に驚いた少女は刀を捻り刃の部分を向けようとするが湊に手首を掴まれ思うように身体を動かせないようだった。

 

 本来であれば刀を奪い床へと組み伏せる予定だったのだが、相手が予想以上に華奢な少女だと言う事に気付いた湊は手首を掴んだまま少女の様子を伺う。

 

「悪いな、この基地が夜間出歩き禁止だとは知らなくてな」

 

「余計な事を喋るんじゃねぇ、さっさと戻れって言ってるだろうが!」

 

 この少女も艦娘なのだろうかと余計な事を考えて居た湊だったが、少女にしては驚くほど強い力で振りほどかれてしまう。

 

「罰則にしては厳しすぎないか?」

 

「うるせぇ、余計な事は喋んなって言ってるだろ!」

 

 先ほど振り払われた時には少し焦ってしまった湊だったが、身のこなしを考えると少女がこういった事に関して素人だという事は分かる。現に刀を握る手は震えており、先ほどの湊の行動に動揺しているのは容易に見て取れる。

 

「寒いなら一緒に珈琲でも飲むか?」

 

「これは武者震いだ、あんま調子に乗ってるとマジで切るぞ!」

 

 湊は自身に突き付けられた刀にゆっくりと手を伸ばす、その動きを見た少女が「動くな」と警戒しているがその言葉を無視して刀に触れた。

 

 自分から刀に触れようとするという行為が理解できない少女は咄嗟に刀を引く、その行為によって湊の右手からは赤い滴が落ちる。

 

「コイツは玩具じゃねぇんだぞ!」

 

 少女は本当に相手を傷つけるつもりは無かったのか、徐々に床を汚していく赤い滴を見て声を震わせていた。

 

「おい、なんか言えよ……」

 

 後ずさりを開始した少女を見て湊は一気に間合いを詰める。少女の腋の下に左手を差し込むと背中を掴み身体を翻すようにして一気に前方へと投げる。

 

「っ!?」

 

 急に視界が反転した少女は声にならない悲鳴を上げると床に叩きつけられる衝撃に備えて身体を強張らせる、しかし背中が床に叩きつけられる寸前で湊が右手で少女の襟を掴んで引いた事により少女が想像していたよりも衝撃は少ない。

 

「痛ってぇな、なんで食堂に案内しろって言っただけで怪我しなきゃなんねぇんだよ」

 

 床に落ちた刀を拾い上げた湊は傷口を月明かりで照らして確認していた、あまり深くは切れていないのか出血の割には軽傷のようだった。

 

「てめぇ、返せよ!」

 

「先に名前を教えろよ」

 

 少女は床に手を付きながら起き上がると、湊に得物を返せと怒鳴りつける。しかし湊はそんな威勢を無視して少女に名前を尋ねた。

 

「オレの名は天龍。 フフフ、怖いか?」

 

 天龍と名乗った少女にとって精一杯の強がりだったのか、声は威勢が良いのだが、膝から下はガクガクと震えている。

 

「そうか、じゃあ食堂に行くぞ。 さっさと案内しろ」

 

 湊は刀を持ったままゆっくりと歩き始める、後ろから天龍が「約束が違う」と騒いでいたがそんな約束をした覚えの無い湊にとってはどうでも良い事だった。

 

「いつになったら返してくれるんだよ!」

 

「珈琲を淹れたら返してやるよ、さっさと働け」

 

 水道で傷口を洗い流している湊の後ろで天龍が必死で棚の中を漁っていた。その姿に先ほどまでの威勢の良さは無くどこか子供のような幼さが感じ取れる。

 

「珈琲ってこれか……?」

 

 天龍は焦げ茶色の粉末の入った瓶を湊へと差し出す。

 

「俺に粉のまま飲めって言うのか、さっさと淹れろ」

 

「ど、どうすりゃ良いのか分かんねぇんだよ……」

 

 珈琲の淹れ方も知らないのかと驚いてしまった湊だったが、叢雲との会話を思い出した。少女は生きて行く事も含めて全部教えて欲しいと湊に言った、目の前で暗い表情をしている天龍を見てその意味がはっきりと理解できたようだった。

 

「ラベルに淹れ方が書いてあるだろ、まずは書かれた量だけマグカップに粉を入れろ」

 

「お、おう……」

 

 天龍は湊に言われた通りラベルに書かれた手順を確認すると、慎重に瓶からマグカップへと粉を移していく。

 

「次は湯を沸かせ、それくらいはできるよな?」

 

「当たり前だろ!」

 

 当たり前だと天龍が言い切った以上は湊は黙ってその行動を見守る、天龍がヤカンいっぱいに水を入れて火にかけ始めたタイミングで少し意地悪な質問を投げかけた。

 

「何人分作るつもりなんだ?」

 

「……うるせぇな、お湯は多い方が美味いんだよ!」

 

 顔を真っ赤にした天龍と湊はじっとヤカンを見守る、無言が気まずいのか天龍はチラチラと湊の表情を伺っているようだった。

 

「ほら、返してやるよ」

 

 湊は近くにあった手拭いで刀についた血を拭き取ると天龍へと刀を差しだした。

 

「まだ珈琲を淹れ終わってない、それは受け取れないな」

 

 自信満々に言い切った天龍に湊は度肝を抜かれてしまう、この状況でどうしてそこまで強気で居られるのかまったく理解できていないようだった。

 

 仕方なく湊は天龍がマグカップにお湯を注ぐのを見届けて、改めて刀を手渡した。

 

「それじゃあ俺は執務室に帰るよ、夜更かしはほどほどにな」

 

「待て、どうせ何か企んでんだろ!」

 

 朝までに資料を読み終えたい湊は天龍の言葉を無視して執務室へと戻ろうとしたが、後ろをついてくる天龍に苛立ちを覚えた。

 

「いい加減にしてくれ、俺は忙しいんだ」

 

「じゃあ、ちゃっちゃと行こうぜ」

 

 天龍はそう言うと湊を置いて先に歩いて行ってしまった、本格的に天龍の行動が理解できない湊はただ茫然とするしかできなかった。

 

 執務室に戻ると湊は椅子に腰かけて珈琲を口に含む、少し味の薄い珈琲だったが冷えた身体を温めるには十分だった。落ち着いた所で資料の続きに目を通そうとしたが天龍の怒鳴り声によって中断させられてしまう。

 

「何だよこれ、苦すぎるだろ!?」

 

 何やら騒いでいる天龍を残念そうな目で見ていた湊だったが、少し観察してめんどくさいと判断したのか再び資料に視線を移す。

 

「なぁ、珈琲ってこんな不味いもんなのか?」

 

 開かれた資料には『艦娘の反抗』や『命令違反』と言った銀蠅等の些細な事から暴力沙汰まで様々な問題が書かれている。湊は先ほど切られた右手と資料の内容を見比べて大きく溜め息をついた。

 

「おい、無視すんなよ」

 

 艦娘と呼ばれる少女達に出会ってから蹴られる、切られると言った暴力沙汰しか経験していない湊にとってはもっと早くにこの情報を知りたかったようだった。

 

「おーい、聞こえてんのかー?」

 

「めんどくせぇな! 俺に何の用があるんだよ!」

 

「いや、よくこんな不味い物飲めるなって思ってさ」

 

 ブラックで飲めないのであれば砂糖やミルクを入れれば良かっただけなのだが、もう1度食堂まで行って天龍に説明するという行為を考えれば間違いなく面倒だろう。

 

「ほら、これでも入れてみろよ」

 

 湊は机を漁った際に見つけたチョコレートの箱を天龍へと投げ渡した、指示に従いたくないと反抗して見せた天龍だったが明らかに不機嫌な表情をした湊を見て大人しくマグカップの中にチョコレートを数個入れた。

 

「なかなかいけるじゃ……。 わ、悪くないな」

 

 甘さを増した珈琲に満足したのか、天龍は少しずつチョコレートの量を増やして自分好みの味に調整しているようだった。

 

「なぁ、いい加減帰れよ」

 

「その前にオレの質問に答えろ、お前は何なんだ?」

 

「元陸軍、階級は臨時少佐。 答えたからさっさと帰れ」

 

 望んでいた答えと違う回答が返ってきたのか、子供のように地団駄を踏んだ天龍を他所に湊は資料を読み進める。

 

「その、新しい提督なのか?」

 

「違う、俺はお前達の管理運用、教育を命令されている。 どちらかと言えば指導官や教官に近い立場だろうな」

 

 先ほどのやり取りを考えれば軍人としての教育よりも、子供に様々な事を教えるような教師としての立ち振る舞いも求められているのかもしれない。

 

「その傷の事について責めないのかよ」

 

「責めたらどうにかなるのか?」

 

 恐らくは天龍は初めて人を傷つけたのだろう、資料に書かれていた内容を定常的に繰り返していたのであればこの程度の傷でいちいち処罰を求めるような真似をするとは思えなかった。

 

「どうにも……ならないけどよ」

 

 この気まずい空気を湊は何度か経験していた、いたずらが見つかった子供や明らかに自分に非があると分かっているのに相手にされない女性が取る手段。

 

「叱って欲しいなら叱ってやる、俺はさっきの行動はお前なりに理由があっての行動だと思っている。 だから詳しくは聞かないし傷の事を恨んでも居ない」

 

「なんだよそれ……」

 

 そしてその手段は第二段階へと進む、天龍は少し俯き気味になり黙ってしまう。本人にそのつもりは無いのかもしれないが、その沈黙は湊に罪悪感を与えるには十分過ぎる行動だった。

 

「……天龍ってどんな艦だったんだ?」

 

「オレの事が知りたいのか? そりゃあ世界水準を軽く超えてたからなぁ~!」

 

 仕方が無く話題を変更した湊の質問に、天龍は自信に満ち溢れた表情で自分の事を語り始めた。湊は話半分に聞きながらも資料の中から『軽巡洋艦 天龍』と書かれたページを探す。

 

「駆逐艦を束ねて、水雷戦隊として敵陣に殴りこんでやったんだ。 相棒の龍田もそりゃあ良い艦で……」

 

「小型かつ高密度な設計ゆえに改装の余地がほとんどなく、後続の軽巡洋艦の開発により、時代遅れになってしまった。 天龍の話とは随分違うみたいだな」

 

 資料に書かれた内容を読み上げた湊に腹を立てたのか、天龍は顔を真っ赤にしながら刀を抜く。

 

「次の質問だ、天龍は艦娘になる前の事を覚えているか?」

 

「どういう意味だ……?」

 

 珈琲の淹れ方さえ分からない程に人としての記憶が欠落している、確かに読んだ資料の中に記憶の欠落についての内容はあったがここまで人としての自分が失われてしまうのかと湊は内心腹を立てているようだった。

 

「悪い、今の質問は無かった事にしてくれ。 天龍は明日の式には参加するのか?」

 

「オレとしては新参者の挨拶なんてめんどくさい行事に参加するつもりは無かったけど、コレに免じて出てやらない事は無いな」

 

 天龍は珈琲の入ったマグカップを指差すと、何故か自信ありげな表情で答える。

 

「強制参加とかじゃ無いのか?」

 

「日時は聞かされているけど、絶対に参加しろとは言われて無いぜ」

 

 本来この手の行事は嫌々でも参加させられる物だが、この基地ではその常識は通用しないらしい。

 

「駆逐艦を束ねて戦った天龍さんは明日も駆逐艦を束ねてくれるんだよな? 隊長が寝坊なんてしたら部下に悪影響を与えるぞ」

 

「ね、寝坊なんてしねぇよ!」

 

「そうか、0900まで後6時間しか無いが大丈夫か?」

 

 湊が時計を指差して天龍に時刻を告げると、天龍はマグカップの中身を一気に飲み干し執務室から出て行った。

 

「俺ももう少し資料を読んだら寝るか……」

 

 湊は持ってきた荷物から予備の上着を取り出すと、上から羽織る様にして机にだらしなく上半身を伸ばした。せめて天龍に寝る場所を教えてもらえば良かったと後悔するのは数分後の出来事であった───。


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