なんだか私まで楽しくなってきた。
妹達も見慣れぬ商品を見てとても楽しそうにしている。
やはりお姉さまはあの人の事を本気で……?
いえ、そんな事は認めません!
私は両拳を握りしめて気合を入れなおす。
あの人には恋も戦いも負けません!
いや、別にあの人の事を嫌いな訳でも無いのですが。
もしかして、本当にもしかしてですが、あの人とお姉さまがご結婚なさると私は妹に……?
どうして自分がそんな考えになってしまったのかは分からないが、遠くからお姉さま達が私を呼ぶ声が聞こえる。
ひえー! 置いていかないでくださいよー!
「……大丈夫?」
「あぁ……」
俺は途中で車を止めて車外に出ると、ガードレールに腰かけて煙草の煙を吸い込む。流石に睡眠不足で長距離運転を行うというのは肉体的にも精神的にも厳しい物がある。そんな俺の事を時雨は心配してくれているようだったが、副流煙を吸わせたくないから外に出た事くらい察して欲しい。
「湊教官の煙草ってすごく甘い匂いがするね」
「あぁ……」
「どこかで嗅いだ事があると思うのですが、どうにも思い出せませんね」
俺が視線を向けると、妙高が車から降りてきたようだった。彼女は俺の近くまで歩み寄ると、深々と頭を下げてきた。
「……なんだ?」
「羽黒の事でお礼を申し上げておいた方が良いと思いまして。 あの子の手紙にはいつも辛いと弱音が書かれていましたが、あのような元気な姿で居られるのはあなたのおかげなのでしょう」
以前は艦娘同士の手紙のやり取りは認められていたそうだが、佐世保の提督があの男に代わってから機密漏洩の観点から外部との連絡は禁止になったらしい。どうにか羽黒にその事を伝えようと努力はしてみたらしいのだが、上手くは行かず姉妹3人はずっと妹の事を心配していたそうだ。
「礼を言われるような事はしていない、俺はただ俺がやりたい事をやってるだけだからな」
「面白い方ですね、この先どうなるかは分かりませんが妙高型はあなたの元で共に戦うと約束します」
どうもこの手の真面目なタイプは苦手だった。嫌いと言う訳じゃないが、単純にどう接して良いのか悩んでしまう。
「こちらこそよろしく頼むよ。 休憩もできたしそろそろ出発しようか」
俺は煙草の火を消すと携帯灰皿に吸い殻を押し込んで車に乗り込む。今が丁度半分くらいだと思うし、後2時間もあれば基地に戻れるだろうか。戻ったらまずは今日の事をまとめて爺に報告しないとな───。
「も、もうダメっぽい……、最後にもう1度カレーが食べたかったっぽいぃ……」
「もうレディーだなんて我儘言わないから許して……下さい……」
「電、あなたと一緒に戦えて幸せだったわ……」
「雷ちゃん、死んじゃだめなのです……」
「不死鳥も……ここまでのようだね」
那珂さんの散歩は最終的には緩急をつけながら走ったり歩いたりとかなり厳しい物になってしまっていた。すっかり陽も沈んでしまい、昼からずっと訓練をし続けている駆逐艦の子達は完全にダウンしてしまっている。
「もぉー! アイドルは体力が命なんだからね! こんな事でくじけちゃ立派なアイドルになれないよー!」
「あたし的にはこの子達はアイドルを目指してる訳じゃ無いかなぁって……」
艤装をつけていない私でもかなり身体がだるく感じてしまっているのだが、この子達と同じく艤装を背負った那珂さんはまだまだいけるとでも言うかのように座り込んだ駆逐艦の子達の周りをグルグルと回っていた。
(二水戦も四水戦も厳しかったんだなぁ……)
私が艦として所属していた一水戦は彼女達程目立った出撃は無かったし、出撃というよりは周りの士気を上げるために戦場に居るという事が多かった。しかし、神通さんや那珂さんの所属していた二水戦、四水戦は完全なる実働部隊だった。
(世界最強の水雷戦隊かぁ……)
そして次の訓練を行うのは数々の夜戦を繰り広げた三水戦の川内さんだ、流石にこれ以上厳しい訓練を行うようであれば、止めに入った方が良いと思う。
「あらら、神通と那珂に絞られちゃったみたいだね」
そんな事を考えていると、噂の川内さんが叢雲ちゃんを担いで帰ってきたようだった。担がれた少女は暁ちゃん達と同じく完全にダウンしてしまっているようで、スカートがめくれ上がっているのも気にせずただ息を荒くしていた。
「あ、阿武隈さんこれ以上は無理っぽい……、助けて欲しいっぽい……」
夕立ちゃんがの発言に、他の子も私に期待の眼差しをぶつけてくる。なんだかほんの少しだけ普段は馬鹿にされているような気もしているけど、今こそ旗艦としてこの子達に良い恰好を見せて置いた方が良いのだろうか。
「ちょっと叢雲を入渠させてくるから戻ってきたら次の訓練を始めよっか。 全員桟橋に移動しておいて」
「あの……、これ以上の訓練は流石にNGかなぁって……」
この子達にこれ以上無理をさせないようにと進言したつもりなのだが、川内さんは笑顔で私の肩を叩くと「大丈夫だから」と言って叢雲ちゃんを担いだまま入渠施設へと歩いて行ってしまった。
「……みんな、ごめんね」
私はやるべきことはやったのだ、だからみんなも諦めて。そんな事を胸の中で考えながら私も神通さんや那珂さんと並んで桟橋へと移動する。
「やっぱり夜は良いね……」
戻ってきた川内さんは駆逐艦の子達を並んで座らせると、真っ暗な海を眺めながらつぶやいた。一体これからどのような過酷な訓練が行われるのかと見ている私が緊張してくる。
「それじゃあ、私の訓練は『今日の訓練の感想を言い合う』にしようと思う」
「そ、そんな事で良いの……?」
「てっきり夜の海に突き落とされると思ったのです!」
「きっと腕立てとかしながら言わされるっぽい!」
軽くトラウマになってしまっているのか、反省会をしようという川内さんの言葉をこの子達は一切信用していないようだった。
「本当は私も神通や那珂みたいに指導してあげられると良いんだけど、実は艦の頃の記憶があんまり無くてね、どんな事をしていたか思い出せないんだ」
川内さんの言葉に全員が複雑そうな表情をしている、私達は艦娘になった事でそれまでの私達の事をよく覚えていない。しかし、艦としての莫大な記憶がそれを補ってくれている事でなんとか日常生活を送ることができている。
「心配しなくても良いよ、私はそんなに気にしてないからね。 それじゃあ暁から順番に行こうか」
「辛かったって一言じゃダメなのよね、なんというかレディーとして情けないと思った。 神通さんにボコボコにされて、那珂さんに良いようにされて……」
暁ちゃんは膝を抱えたまま素直な感想を話し始めた。私も川内さんも、周りの駆逐艦の子達も黙ってその言葉を受け止める。
「私は響や雷、電のお姉さんなのに、何度も支えてもらって励まされたもの……。 本当なら私が妹達をちゃんと引っ張ってあげないとって思ってるのに……」
話している途中で暁ちゃんの瞳から涙が零れるのが見えた。訓練が辛かった事よりも、妹達に情けない姿を見せたことが苦しかったらしい。
「次は響の番だよ」
「私は周りよりも上手く動けるって自信があったんだ、阿武隈さんとの訓練でも暁達より速く航行できるって思っていたし、体力もこの中だとある方だと自覚していた」
響ちゃんはどこか寂しそうな表情のまま海を眺めて話している。確かに今までの訓練を見る限り、他の子達よりも才能はある事は分かっていた。
「でもそれはただ自分勝手で良い気になって居ただけなんだね。 神通さんや那珂さんを見て自分はまだまだだって思い知らされたよ」
上には上が居る、この事を理解する事はとても大切だと思う。だからこそ目標ができるし、どんな自分になりたいか考える事ができるんだと思う。
「次は雷ね」
「私も悔しいと思ったわね。 私に頼ってなんていい気になってたって反省してるわよ」
確かに雷ちゃんは普段から暁型のみんなを引っ張ろうとしている所がある、そのたびに暁ちゃんと喧嘩になっているのは何度か見たことがある。
「そう思った理由なんだけど、暁を見てたらすごいって思った。 神通さんの訓練で1番最後まで頑張ってたのは暁だったものね……。 いつも頼りないって思ってたけど、すごくかっこいいって思った」
神通さんの訓練で暁ちゃんは『もう1度』と言って何度か連続で彼女に挑んでいたのは私から見てもすごいと思った、その結果情けない姿となってしまっていたが暁ちゃんが他の子と比べて1番疲労してしまっているのはそのせいだろう。
「電の番だよ」
「私は自分が恥ずかしかったのです……」
一言だけ呟いて泣き出してしまった電ちゃんを暁ちゃんと雷ちゃんが寄り添って頭を撫でていた。
「今もそうなのです、みんな辛いはずなのに私に優しくしてくれてるのです……。 訓練の時も何度も助けてくれて、もっと強くなりたいのです……」
なんだか私の涙腺まで緩んでしまいそうな光景に、私は夜空を見上げて我慢する。私にも姉妹は居るのだけどこんな風に支えあっている姉妹を見ると羨ましくなってきた。
「最後は夕立かな」
「私はもっと周りの子を見てあげられたらって思ったっぽい……」
夕立ちゃんの言葉に私は驚いてしまう。どちらかと言うと周りをかき乱している事の方が多いイメージがあったのだが、そんな子が周りを見てあげられたらという言葉を口にしたのだ。
「夕立は暁たちより少しお姉さんっぽい、なのに自分が辛いからって自分の事しか考えて無かったっぽい……」
川内さんは全員の話を聞き終えると、ゆっくりと私達水雷戦隊に所属していた艦にとって懐かしい言葉をつぶやき始めた。
一、
一、
一、
一、
一、
「真心に反して無かったか、言行不一致は無かったか、精神力は十分だったか、十分に努力をしたか、最後まで取り組むことができたか。 私の数少ない記憶だけどすごく良い言葉だと思ってる」
「おっと、そろそろ教官も帰ってきたみたいだね。 私達は入渠を済ませて部屋に戻るから迎えに行ってあげなよ」
微かにだが車の走る音が耳に入ってきた。耳を澄ませてようやく聞き取れるほどの音量だったが、やはり川内さんも三水戦をまとめ上げていた艦だったという事を改めて実感させられる。
「みなさん、今日はお疲れ様でした……。 かなり厳しい訓練でしたが、最後まで頑張った自分を褒めてあげる事を忘れないでくださいね」
「さぁ、訓練も終わったしみんな笑顔、笑顔ー! アイドルは笑顔が命なんだよー?」
私達は川内さん達を見送ると、私達は艤装を外して走って正門へと向かう、実際には訓練で疲弊してしまった身体では歩いているよりも少し早い速度なのだがこの子達は少しでも成長した姿を教官に見せたかったのだろう───。
「着いたぞ、部屋は余っていると思うが、足りない場合は各自姉妹艦の部屋を使ってくれ。 寝具なんかは食堂の裏の倉庫にあったはずだ」
俺はエンジンを切ると、大きく伸びをしてシートにもたれかかる。途中何度か眠りそうになってしまったが、そのたびに山城が俺の耳を引っ張って起こしてくれていた。
「まったく、ただ移動してただけなのにすごく疲れた。 不幸だわ……」
「その『不幸だ』って口癖なのかい?」
時雨は相変わらず山城に付きまとっているが、彼女と会えた事がそれほどまでに嬉しかったという事なのだろう。俺は全員が降りたことを確認してから車を降りる。
「今日は姉妹の再会を祝って飲もうじゃないか」
「……この基地に酒の類は一切無いからな?」
今夜ばかりは飲ませてもらおうと騒いでいる那智と足柄だったが、俺の言葉に一気にテンションが下がってしまったようだった。
「どなたかこちらに向かって来ているようですが……?」
妙高の指差す方向を見てみると、どうやら阿武隈達が迎えに来てくれているようだった。妙にボロボロな気もするが、何かあったのだろうか?
「迎えありがとう、今戻った……うおっ!?」
暁姉妹に夕立の5人に突如タックルでもされたかのように抱き着かれてそのまま地面へと倒されてしまう。
「おか……、おかえ゛……り゛なざい……」
「ぎょう゛がん゛ざぁ~ん……!」
タックルされた事にも驚いてしまっていたが、俺の上で急に泣き出してしまった少女達に俺は完全に困惑してしまう。
「お、おい阿武隈! これはどういう状況だ!」
「みんな教官の顔を見て緊張の糸が切れてしまったんじゃないかなぁって……」
俺はまったく理解できなかったが、何か思う所があるのであれば今は好きにしてやろうと思った。しかし、人前で少女達に抱き着かれて泣かれているという状況が異常に恥ずかしく感じる。
「……お前ら、抱き着くのは良いが風呂に入ってこい。 なんだか磯臭い」
俺の一言に全員の非難の視線が集まる。なんだか前にも似たような経験をしたが、その時よりもはるかに空気が凍り付いたような気がした。先ほどまで泣いていた暁達も俺から離れると必死で互いの匂いを確認している。
「アンタ、最低ね……」
止めを刺したのは山城の一言だった。時雨と羽黒はどうにかフォローをしてくれようと頑張っているみたいだったが、佐世保組からの俺の信用は海の深くまで落ちてしまった事を確信した。
「と、ところで金剛達はどうした? 一緒に訓練してたんじゃないのか?」
「さぁ……? 何やら4人で執務室に向かっているのは見ましたけど……」
何やらあまり良い予感はしないが、早く執務室に戻った方が良いと俺の直感が告げる。
「佐世保組から1人ついてきて欲しいのだけど、誰かお願いできるかな?」
「それならば私がご一緒しましょう、今後の方針について話しておきたい事もありますので」
俺の問いかけに露骨に嫌そうな顔をした戦艦も居るが、妙高が快く引き受けてくれた、と思う。それから俺と妙高は執務室へと向かった。
「なんだこれは……」
「他人の趣味に口を出さないほうが良いとは思うのですが、これはあまり良い趣味とは言えませんね……」
執務室の扉をあけると、視界にはピンク色が広がっていた。絨毯やカーテンは元々青だったと記憶する、ソファに関しても黒だった、何より異質な空気を醸し出しているのは来客用のテーブルの上に置かれたケーキスタンドと呼ばれる金属製の三段式の物体だった。
「ヘーイ! 約束通りティータイムの準備をしておきマシタ!」
「榛名、頑張りました!」
「流石はお姉様です、見事な模様替えです!」
「経費はこの基地宛てで処理しておきましたので、ご安心を」
勝手な事をするなと怒鳴ってやろうかと思ったが、それよりも呆れて言葉が出てこない。金剛姉妹は理解できないとは思っていたが、ここまで俺の予想を超えてくるとは驚かされた。
「そ、そうか……。 何と言うか……」
必死で上手い言い回しを考えようとしたが、俺の視界はピンク色から真っ暗な世界へと切り替わる。足に上手く力が入らず俺はそのまま重力に身を任せた、真っ暗な視界の中、聞こえてきたのは金剛の叫び声だった───。
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