「湊だ、入るぞ」
俺は数度扉を叩いてからゆっくりと扉を開ける。部屋の中に入るとベッドに腰かけた少女の姿が視界に入ったが、返事は無く壁をじっと見つめているようだった。
「返事くらいしろよ」
俺は少女に近づくと顔の前で軽く手を振ってみる、今日の訓練の様子を見ていて少し落ち込んでいるとは思っていたがいつもより酷いのかもしれない。
「良い勝負だったじゃないか」
加賀と少女の訓練の終わりはいつも2人の勝負で終わるのが決まりになっているようだったが、最初に比べれば接戦と言っても良い程度にはなってきている。
「……ダメか」
俺は固く握られた少女の手をゆっくりと開くと両の手で挟み込むようにしてやる。冷たくなった手が徐々に温かみを帯び始めた頃にゆっくりと少女の口が動く。
「……翔鶴姉、なに? ……って、提督さんじゃん?! 何やってんの!?」
「落ち込んでると思って様子を見に来た」
「えっ、あ、うん。 ありがと」
姉と離れた寂しさからなのか、瑞鶴は時折こうして俺の事を自身の姉と間違える事がある。瑞鶴程では無いのだが大湊に居る艦娘全員に似た兆候は見られている。もしかしたら俺が知らないだけで鹿屋に居た子達にも似た兆候はあったのだろうか。
「今日は惜しかったな」
「……うん」
「初めて加賀と勝負した時に比べれば随分上達してるよな」
「でもまだ勝てない……」
俯いたまま床を見ている瑞鶴の頭に手を乗せる。最初は首を振って振り払おうとしてきたが、少し撫でていると無理だと諦めたのか大人しくなった。
「私って役に立てるのかな?」
「北海道を取り戻すための作戦が近い、その時には主力として活躍してもらう事になるだろうな」
「そっか……」
俺なりに気付いた事なのだが、瑞鶴がこうして不安定になっている時はこうして手を握ったり頭を撫でてやったりと触れてやる事が重要だと分かった。赤城達にも調査に協力してもらったが、全員がなんとなく落ち着く気がすると言っていた。
「落ち着いたか?」
「もうちょっとだけお願い」
色々と考えて1つの結論を出したのだが、恐らくは彼女達の艦としての記憶が強く作用しているのだと思う。彼女達は本能的に『繋がる』という行為に安心感を得ているようだった、作戦が終わり鎮守府に帰投してきた艦が港に係留されるように、何かと繋がっている事に安心感を得ているのだろう。
「綺麗な髪だよな」
「翔鶴姉の方がもっと綺麗なんだよ、すっごくサラサラで雪みたいに真っ白で」
「いつか会ってみたいな」
帰りたくても帰る事のできなかった彼女達の事を考えると、こんな事で安心感を得るというのはとても悲しいと思った。
「そろそろ布団に入れ、明日は海に出るんだろ?」
「うん……。 ちゃんと帰って来れるよね……?」
「もし迷子になったら迎えに行ってやるよ」
「分かった、約束だからね」
それから俺は瑞鶴が眠るまで雑談をしていた、途中から瑞鶴の言葉が途切れ途切れとなり何を言っているのかよく分からなくなっていたが、握られた手が緩やかに離された事で俺は音を立てないように部屋から出て行った───。
「そういえば、湊さんって瑞鶴ちゃんと妙に仲が良いよね」
「んぐっ!」
「うおっ、汚ねぇな!」
瑞鶴の初出撃という事もあり朝食は全員で食べようと言われて食堂でテーブルを囲んでいるのだが、飛龍の唐突な発言で俺は危うく瑞鶴の吹き出した味噌汁を被りそうになってしまった。
「……飛龍さん、詳しく教えて貰って良いでしょうか?」
「お、おい。 赤城……?」
横に座っている赤城が異様に冷たい視線を俺に向けてくる、大抵何か食べている間は無心で箸を進めている赤城だがこうして箸を止め睨みつけてくるという事に妙な怖さを感じる。
「昨日の夜も瑞鶴ちゃんの部屋に行ってたみたいだし?」
「ほぉ、それはえらいこっちゃなぁ。 うちとしては不祥事だけは勘弁してほしいかなぁ」
こういう場面で龍驤は必ずと言って良い程火に油を注ぐような発言をしてくる、本人は悪ふざけのつもりなのだろうがやられる側にとっては溜まったものでは無い。
「べ、別に何もしてないわよ!」
「あはは、瑞鶴ちゃん顔真っ赤にしちゃって可愛いなぁ」
「早く食べないと出撃の時間に遅れるわよ」
この鎮守府ではこの手のやり取りが毎日と言って良い頻度で行われている、飛龍と蒼龍が瑞鶴をからかい龍驤が油を注ぐ、それを見て呆れた赤城か加賀の2人が最終的に場を治める。
「いやぁ、朝から瑞鶴ちゃん緊張してるみたいだったし気を紛らわしてあげようかなって」
「うんうん。 加賀さんが居るから大丈夫だとは思ってるけど、私達まで護衛に付けるなんて何処かの誰かさんも過保護だよねぇ?」
「提督から聞いている話だと2人で近隣海域の索敵だと聞いていましたが?」
赤城の視線が痛い。当初の予定だと赤城の言う通り加賀と瑞鶴のペアで索敵を主として行い、戦闘というよりも航行の訓練をかねているのだが、なんとなく不安になって無理を言って蒼龍や飛龍を護衛につけてもらった。
「それでは私は準備をしてきます」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 私も行く!」
空になった食器を持って立ち上がった加賀を見て瑞鶴は慌てて食事を口に含んでいる。
「早飯は基本だが良く噛んで食えよ」
「ふぁはっへるはよ!」
「口に物を入れたまま喋るな。 食器は片付けておいてやるからさっさと行け」
先程と比べれば緊張している様子は無いし、本当に瑞鶴の事を考えての発言だったのなら蒼龍と飛龍には感謝した方が良いだろう。
「それじゃあ行ってくるね!」
「あぁ、頑張れよ」
「うん、五航戦の本当の力見せてあげるんだから!」
そう言って瑞鶴は笑顔で手を振りながら食堂から走って行く、俺も手を振ってやりたかったが隣に座っている赤城の視線に気付いて苦笑いを浮かべる事しかできなかった。
「私達も準備しに行こっか!」
「索敵任務だし偵察機多めの方が良いかなぁ」
真面目な話をしながら蒼龍と飛龍は席を立つと足早にその場を去ろうとする、正直不機嫌になった赤城を俺に押し付けようしているのが見え見えなのだが引き留めようにも俺が無理を言って護衛につけた以上どうにもできない。
「う、うちもそろそろ行こうかなぁ」
「龍驤さんは残ってくださいね」
「あぁー、何や……その……」
「余計な事言うから……」
俺は龍驤と視線を合わせてどちらが犠牲になるかの打ち合わせをしようと思ったが、赤城の言葉で中断される。
「明日ですよね」
「……誰から聞いた?」
「う、うちじゃないで!?」
龍驤が喋った訳じゃないなら提督だろうか。明日は次の鎮守府から迎えが来ると連絡を受けて居たが、その事は俺の他には提督と龍驤くらいしか知らない情報だった。
「どうして黙っていたんですか?」
「任務に集中して欲しかったからな」
「うちは提督から黙っておくように言われてたしなぁ……」
初めて海に出る瑞鶴に余計な事を考えさせないようにと考えていたのは嘘では無いのだが、湿っぽい空気を作りたく無かったというのが俺にとっての1番の理由だった。
「湊さんは此処に残るつもりは無いんですか?」
「気持ちは嬉しいが、待たせてる奴が居るからな」
「ほっほう、さては女やな?」
「この前の作戦前に電話していた方ですか……?」
龍驤の発言を聞いて拳骨の1つでも食らわせてやろうと思ったが、電話しているのを見られていたのかと思うと気恥ずかしく感じて止める。その時の相手は金剛だったし龍驤の言っている事も間違いでは無い以上は変に取り繕う必要も無いだろう。
「まぁ、そうだな」
「ふぇえ……、冗談のつもりやったのに本当に女とは……」
「女ってより俺から見ると女の子って感じだけどな」
金剛や妙高なんかは赤城達とそんなに歳は変わらないとは思うのだが、時雨や暁達を考えればまだまだ子供だろう。
「お、おいくつなのでしょうか……?」
「歳は聞いた事無いが、結構色んな子が居るな」
「1人じゃ無いんか!?」
「20人くらいは居るんじゃないかな」
鹿屋には佐世保や呉の艦娘も集まっているし大湊と比べればかなり大所帯になっているような気がする。俺が頭の中で人数を数えていると赤城と龍驤が口を開けたまま固まってしまっている事に気付いた。
「どうした?」
「うっ……ぐすっ……。 湊さんはそういう人じゃないと信じてたのに……」
「何だ!? な、泣くような事を言ったか!?」
「キミ、最低やな……」
結局2人の考えている事が誤解だという事を説明するのにかなりの時間を費やした。その間周囲から向けられる視線は冷たく何かの罰ゲームなのでは無いかと本気で辛かった。
「恥ずかしい所をお見せしてしまいました……」
「うちも悪ふざけし過ぎたわ……」
「しかし、泣くほどの事だったのか?」
ありえない事だが、仮に俺が何十人という数の女と付き合っていたとしても赤城が涙を流す理由は無い気がする。
「しっかしキミも鈍いなぁ。 戦略も良いけど女心の方……も!?」
「りゅ、龍驤さんは何かご用事があったんでしたよね!?」
赤城は席から立ち上がると龍驤の口を塞ぐようにして食堂の入口へと引っ張って行ってしまった。龍驤が女心どうこう言っていたが、やはり上官がそういった関係にだらしないと言うのは女性の立場からしたら傷つくものなのだろう。
「す、少し散歩でもしませんか?」
「おう……」
連れ去られた龍驤がどうなってしまったのかも気になるが、息を切らせながら戻って来た赤城の提案で食後の散歩に出掛ける事になった。本来の予定ならば執務室で加賀と瑞鶴との無線を聞いているつもりだったのだが、ここは赤城に従っておいた方が良いだろう。
「久しぶりにあの家に行ってみませんか?」
「何か忘れ物でもしたのか?」
赤城は俺の質問に首を横に振ると、見せたい物があると言う曖昧な言葉が返って来た。
「こうして2人で並んで歩くのも久しぶりですね」
「そうだったか?」
「ええ、最近は瑞鶴さんや蒼龍さん達とも随分仲が良いみたい一緒に居る事が多かったので」
今日の赤城は何処かおかしいような気がする、笑顔になったり膨れっ面になったりと普段は割と自分の事を自制しているタイプだとは思っていたが感情の起伏が激しいような気がする。
「この前の戦闘で道路も荒れてるし気を付けろよ」
「大丈夫ですよ、海の上に比べれば全然です!」
「そうか」
確かに普段波のある海の上を航行する彼女達にとっては少しくらいの道の起伏であれば問題無いのだろう。俺の狙いとは別の方向に会話が進んでしまいどうしようかと頭を抱えてしまう。
「……っ! そうですね、こうも道が凸凹していると危ないかもしれませんね?」
「妙な所に気を遣うな、こっちが恥ずかしくなる」
赤城は俺が差し出した手を申し訳なさそうな表情で握る。触れた手は冷たく、暑い気温の中では心地よかったが少しだけ胸が苦しくなる。
「蒼龍さん達の読んでいた本に手の暖かさと心の温かさは反比例すると書いていましたけど、湊さんは知っていました?」
「子供の頃に聞いたことあるが、どういう理屈なんだろうな」
「湊さんの手はとても暖かいです。 それと、加賀さんの手もとても暖かいんですよ?」
「俺も加賀も心は冷たいって事か?」
自分の事は良く分からないが加賀は割と面倒見の良い方だと思う。瑞鶴の件でもそれは分かっていたが、本に書かれた事が単にデマなのでは無いかとしか思えない。
「いえ、私は本に書かれていた事が間違いなんじゃないかなと思います」
「俺も同じことを考えてた」
そんな事を話しながら短い間世話になった場所に辿り着いた、しばらくの間来ていなかったはずだが前に住んでいた時よりも外観が奇麗になっているような気がする。
「実は暇を見て掃除していたんですよ?」
「余程気に入ったんだな」
「そして驚かないでくださいね!」
家の中に入ると赤城は俺の背中を押してくる、何処に向かうのかと思ったが目的地が浴室だと分かり慌てて扉を掴むと背中を押す力に抗う。
「ど、どうした急に!」
「良いから見てくださいって!」
「見るって何を!?」
慌てている俺を他所に赤城は綺麗になった浴室に入ると赤いマークのついたバルブを捻った。
「なんと、お湯が出るようになりました!」
「……は?」
確かに以前暮らしていた時にはお湯どころか水すら出なかったのだが、突然の事すぎて理解が追いつかない。
「提督に聞いてみたらここは提督が借りている家らしいんですよ、借りているだけで滅多なことが無い限りはこちらには来ないそうですが……」
「鎮守府に居れば衣食住は困らないしな。 それよりも、態々浴室じゃなくても台所とかでも良かったんじゃないか……?」
「……そうですね!」
どちらが先だったかは分からないがなんとなく2人で笑ってしまった、それでも時折見せる悲しげな表情は俺が明日居なくなる事をどうにかして止められないかと考えているのだろう。
「ごめんな」
「謝らないで下さい、湊さんにはとてもお世話になりましたので」
直接言葉にはしたく無かったが、俺は彼女達のこういう表情を見たく無かった。だからこそ明日出発する事は黙っていたし、それは俺の我儘だと謝罪するべきだと思った。
「……っと、お湯を止めないと勿体ないですね」
「そうだな」
「あの、良ければまた一緒に入ってみませんか?」
「できれば断りたいが、断って赤城が不貞腐れても困るしな」
俺の我儘を押し付けようとした以上は彼女達の頼みくらいは聞いた方が良いだろう。それから俺達は前と同じように俺が先に浴槽に入っておくというやり取りを決めてから2人でお湯に浸かる。
「悪いが俺は飲まないぞ」
「そうですか、それでは申し訳ありませんが私だけ頂きますね」
赤城が入って来た時に両手にいつか見た日本酒を持っていたのだが、俺はあの時に2度と同じ過ちを繰り返さないと固く誓っている。それから赤城は黙って黙々とグラスに注がれた日本酒を飲み干していく。
「少しペースが速いんじゃないか?」
「……ぐすっ」
背中合わせで入っているのだが赤城の鼻を啜る音が聞こえてきた事でそれ以上の言葉をかける事ができなかった。
「湊さんが誰かと電話しているのを見て私はとても辛かったんです……」
「さっきも説明したがあれは恋人とかじゃなくて、鹿屋の艦娘だからな」
「きっと私は嫉妬していたんだと思います、艦娘の私はきっと湊さんの隣に立つことはできないんだなって……」
龍驤には鈍いと言われてしまったが、流石に俺でも赤城の気持ちはなんとなく察している。それでも鎮守府や海しか知らない彼女達にとって俺への気持ちは憧れや好奇心の延長線上だと思うようにしている。
「こんなに辛い思いをするのなら私は兵器でも良いと思いました、でもそれは湊さんが命をかけてまで成し遂げようとしている道からは逸れてしまうんですよね……?」
「あぁ、赤城は兵器なんかじゃない。 楽しい事は楽しい、悲しい事は悲しいって思う兵器なんて無い」
そこだけは何があっても譲れない、赤城だけじゃなく艦娘全員に言える事であり、俺が彼女達のために提督になると決めた大きな理由だったから。
「鹿屋に居る子達ってどんな子なんですか?」
「うーん、どんなって言われると答え辛いな」
誰の事から話すべきか少し悩んだが、真っ先に思い浮かんだ事をそのまま話す事にした。
「提督になって鹿屋に戻ったらお茶会を開いてくれるって言ってくれた子が居るんだ、頭は良いんだがどこか不器用で騒がしくて見ていて飽きない奴だよ」
「お茶会ですか、素敵ですね」
「他にも走ってろって言ったら雨が降ってるのに半日以上走り続けるような馬鹿な奴も居る、悪い事もしてないのに謝ってばかりの子とか仲良し4姉妹とか」
「鹿屋は随分と個性的な子達が居るんですね」
他に誰の事を話そうか、前髪をいじると怒るくせにいじって欲しいオーラを出してる子や、夜に徘徊しているやる気があるのか無いのか分からない子も居る。こうして思い返せば昨日の事のような気もするが、1ヶ月以上経っているんだなと実感した。
「もし私がその子達の立場だったらやっぱり帰らないとって思ってくれますか?」
「さぁどうだろうな」
「私じゃダメですか……?」
再び鼻を啜り始めた赤城の方に向きなおすと先ほどから泣き続けて目を腫らした顔が視界に入った。
「食堂で見た時に思ったんだが、赤城って泣き顔ぶっさいくだからな」
「ひ、酷いです……」
「俺は泣き顔よりも笑顔の赤城が好きだな、だから笑顔で居てくれるなら俺はまた会いに来るよ」
「……ふふっ。 なんですかそれ」
それから笑っているような泣いているような複雑な表情をした赤城と再び他愛も無い話で盛り上がった、終わってしまえばこの1ヵ月はとても早く感じたと思う。それでも大湊では彼女達のために提督になろうとより一層決意を固める事ができた───。