合流地点に辿り着いた僕は砂浜に腰を落として震える手と傷付いた艤装を交互に見つめる。
「人を……、撃ったんだよね」
鹿屋から離れる事ができて思考に余裕ができたのか、今になって自分の行為が恐ろしくなってきた。
「岳さん大丈夫かな……」
艦の姿だった時代に撃った相手に人が乗っていることを知らない訳では無い。それでも撃たなければ僕が沈むことになっていたし、それを覚悟している相手だと割り切る事ができていた。
「山城は大丈夫かな……」
岳さんや山城を心配している気持ちは嘘じゃない。でも頭の片隅で人を傷つけてしまった事から思考を逸らそうとしている事に気づいてしまっている自分が嫌になる。
「───時雨っ!」
遠くから聞きなれた声で僕を呼んでいる事に気づいて顔を上げて声の聞こえた方向へと走り出す。
「山城っ! 無事だったんだね!」
「えぇ、ちょっと色々あったけれど……」
何処か気まずそうに視線を逸らす山城を見て気が抜けてしまったのか、急に視界が上下に揺れて山城の胸の辺りに顔をうずめる。
「ちょ、ちょっと! 大丈夫なの!?」
「あれ? 足に力が入らないかな……?」
「安心して腰でも抜けたのかしら? 全く、佐世保の時雨さんにもかわいらしい所があるのね」
僕は山城に支えて貰いながらその場に座らせてもらうと恥ずかしさを隠すように笑みを浮かべる。
「山城って暖かいね」
「あんたが冷えてるだけよ。 もう夏だけど海の上はまだ寒いのかしら」
それから立ち上がって歩こうとしてみたけど、足取りがおぼつかなかったので半ば引きずられるようにして山城に運ばれる事になってしまった。
「ふむ、落ち着いた声だとまだまだお子様だな」
「ちょっと、見てないで手伝いなさいよ」
「あまりに感動的な光景だったから水を差すのも悪いと思ってな」
声から察するにこの人が岳さんが信頼できると言った相手なのだろうか。わざとらしく涙を拭う振りをしていたりとなんだか少し胡散臭く感じる。
「ほら、これを車に運んでちょうだい」
「適正がある訳でも無い男の俺がそれを運べると思うか?」
山城は僕から外した艤装を手渡そうとしたけれど、男の人はそれを慌てて断った。
「まったく、頼りないわね」
「相変わらず嫌味が多いな……」
「や、山城……?」
助けてもらっている立場の僕たちのはずだけど、妙に強気な山城に少し驚いてしまう。
「良いのよ。 この人とは知らない仲じゃ無いもの」
「佐世保に居た君はもう少し慎ましかったと思うのだけどね」
「うるさいわね!」
「おー、怖い怖い」
話を聞いても山城は教えてくれなかったけれど、2人は佐世保に居た頃に知り合った事だけはなんとなく分かる。それから少し歩くと車の中から僕たちに手を振っている岳さんが見えて少しだけ安心した。
「足……、痛むよね」
「今は麻酔も効いているし、大丈夫だよ」
「良かったな、1ヵ月か2ヵ月くらいは休暇がもらえるんじゃないか」
「どうせ撃たれるならあなたが撃たれた方が良かったんじゃないの?」
岳さんを撃った事に対しての罪悪感もすごいけれど、この人たちに僕たちの手助けをさせてしまったという事実が今になって圧し掛かる。この人たちは軍人だから命令違反や虚偽の報告をしてしまえばどうなるかが容易に想像できてしまう。
「それと……、時雨ちゃんって呼んでいいかな? あんまりそいつに優しくしない方が良いぞ」
「先輩っ!?」
「優しくするも何も僕が撃った訳だし……」
自分の身体や将来までも犠牲にして協力してくれている相手にどうしたら恩を返すことができるのかを考えている僕は突然の言葉に理解が追い付かない。
「そいつ時雨ちゃんと合流するまで何をお願いするかニヤニヤしてたし、きっとやらしい事お願いされるかもしれんぞ」
「えっ!? いやっ!? そんな事考えて無いですよ!?」
「……岳さんには失望したよ」
「時雨も変態に助けられるなんて不幸ね」
この3人のやり取りが僕の気を紛らわせようとしてくれている優しさだということは理解できた。だからこそ僕は無理にでも笑って見せる。
「1つ聞かせて欲しいんだけど、湊ってどんな人間だと思う?」
「変態よ」
「君には聞いてないな。 俺は時雨ちゃんに聞いてるんだよ」
「僕にとって湊教官がどんな人か……?」
「先輩?」
質問の意図が分からず返事に悩んでいるとそれに気づいたのか先輩さんルームミラー越しに僕を見るとゆっくりと話し始めた。
「俺は湊よりも岳を信用しているからこの作戦に乗ったんだ。 まぁ、こいつが居るとは思わなかったけど女の子2人が命をかけてまで行動する男がどんな人間なのかなってのは気になってさ」
「でも先輩も何度か湊さんの事件には関わってますよね?」
「少し若い頃の思春期真っ最中って湊は知っていたんだが、大湊で会った時の変わりように驚いてな」
この人も湊教官を知っているみたいだった。若い頃の湊教官も気になるけど、僕は今の湊教官しか知らない。
「頼りになる人だって思う、いつだって必死で僕たちを守ろうとしてくれる。 そんな人かな?」
「変態だけど」
「おい、山城。 真面目に話をしてるんだから茶化すなよ」
「先輩も不思議な事を聞きますね、大湊の後も何度か話したじゃないですか」
こんな時じゃ無ければどんな話をしたのかが聞いてみたいような気もする。
「逆に先輩にとって湊さんってどういう風に見えるんですか?」
「ん? 俺か?」
「僕も気になるかな」
「私も気になるわね」
僕たち艦娘以外からあの人はどういう風に思われているのだろうか、岳さんは随分と信頼しているようだけど先輩さんからは何処と無く棘を感じるような気がする。
「見た目どうこうじゃなく、少し怖いな。 あまりにも先を見て無さ過ぎて見ていて不安になる」
「どういう意味かな?」
「先って、湊さんって結構頭は切れる方だと思うんですけど」
僕も岳さんも先輩さんの言葉の意味が良く分からず首をかしげていたけれど、山城だけは言葉の意味が理解できたのか納得しているようだった。
「俺もこういう職業を長くやってると色々な人間に会うし綺麗な所も汚い所も多く見ることになる。 その経験からなんだが、湊って男はかなりまずいな」
「……どういう意味かな?」
侮辱されている訳では無いのは理解できる、でも僕たちを救ってくれた湊教官をまずいと表現するのは気に入らなかった。
「もう少し言葉を選びなさいよ」
「俺としては結構気を遣ったつもりなんだが……」
「時雨も別に悪口を言ってる訳じゃないんだから、ピリピリするのはやめなさい?」
「うん、分かってるよ」
少しおかしくなった車内の空気を山城が整えてくれる。
「質問に質問を返すようで申し訳無いんだが、時雨ちゃんは湊の事を信用しているんだよな?」
僕はその質問に対して無言で頷く。
「逆になんだが、湊は時雨ちゃんの事を信用していたのかなって事だな」
「信用してくれている……、と思う」
先輩さんは一体何を言いたいのだろうか。
「俺の経験則なんだが、『してない』だな。 一応誤解を生まないように言っておくけど時雨ちゃんだけじゃなく岳だってそうだし、山城だってそうだ」
「どういう意味か教えてもらえるかな」
「湊は仲間や部下を決して見捨てないってのはどの調書を見ても一致する内容だったが、やりすぎなんだよ。 はっきり言って普通じゃない、仲間のために命をかけるって言葉は良く聞くがあれは自分の士気を高めるための言うなればはったりだ」
「そ、それは人に寄るんじゃないですか?」
「相手が長年連れ添った相手だったら岳の言い分も分かる、でも湊はそうじゃないだろ。 部隊の仲間を侮辱され上官を殴ったのだって着任して間近だったし、呉鹿屋の輸送作戦や大湊で無茶をしたのだってどれくらいの月日があったよ」
「……失礼しました」
先輩さんの言葉に口を挟んだ岳さんが謝る。
「俺は岳が入隊してからの付き合いだし、拳銃を向けられれば庇いに入るかもしれない。 だけど今時雨ちゃんに拳銃が向けられても俺は自分の命を優先する。 これが普通なんだよ」
少しずつ先輩さんが何を言いたいのかが理解できてきた。
「だけど湊は目の前の相手が部下や仲間っていう立場になった瞬間からそれをやる。 どう考えても普通じゃないだろ」
「あの人の性格って事じゃ……」
岳さんの言いたい事も理解できる。でも先輩さんが言葉にした事で薄々気付いていたその異常性に少しだけひっかかりを覚える。
「そりゃ部下や仲間からしたら尊敬できるし頼りになるし心強いだろうが、時雨ちゃんの提督になろうって将来を見ている人間がそう軽々と命を投げ捨てられるか?」
「大湊の一件も一歩間違えればその道は無かったって事ですよね……」
「こっから呉までまだ時間はあるから、時雨ちゃんはゆっくり考えてみると良い。 本当に自分の命をかけられる相手なのか、この先色々な事があると思うが決して湊を疑わずに居られるのか」
僕は湊教官の事を信頼しているし疑ってなんていない。でも、もし本当にそうならどうしてあの時にはっきりとそんな事は無いと言い返せなかったのだろうか。
「ついでに聞きたいんだけど、君から見たあいつはどう見えるんだ?」
「変態かしら」
「茶化すなよ」
「そうね……」
山城はどう答えるべきか悩んでいるのか窓から外の景色を見ながらゆっくりと口を開く。
「佐世保の頃の私の事はあなたも知ってるわよね」
「あぁ、調査で何度か足を運ばせてもらったからな」
「あの頃は正直に言ってしまえば私たちが命を賭けて守ったこの国はもうダメだと思っていたわよ」
佐世保で見た光景を思い出して僕は唇を噛み締める。
「こんな事なら冷たい海の底で眠ったままでいたかったって毎日思っていたもの」
「山城……」
「艦の姿だった頃から欠陥戦艦扱いをされて、生まれ変わってもガラクタ扱い」
表情は見えないけれど山城の声が少し震えているような気がする。
「でもね、あの人は私に期待していると言ってくれたの。 もう誰にも欠陥戦艦だって呼ばせないって言ってくれた、もしかしたらお酒の勢いだったかもしれないけれどね」
「惚れたのか?」
「あなたこそ茶化さないで。 でも私はもう欠陥戦艦にすらなれそうにない、だけど前を見て頑張って行こうって言葉は私にも私の中に居るこの子にも間違いなく届いたわよ」
山城が話しているのは呉と鹿屋の輸送作戦の後の事だと思う。僕は仲良くしている2人を見て慌てていたと思うけど、山城がそんな事を考えていたと思うと恥ずかしくなってきた。
「だから私は艦娘じゃなくなっても私のできる事をしていこうと思ってる。 それはあの人が何を考えているかなんて関係なくて、私が決めた事だから」
「山城は強いね……」
「強くなんて無いわよ。 いつまでも私の中でグチグチ言ってる子がいるから私が弱音を吐けないだけじゃないかしら」
「そっか」
山城が自分で考えて決めた事、その言葉を聞いて僕は今自分が何をしたいのかを考えてみる。湊教官に提督になって欲しいと思うのはきっとあの人に甘えている、きっとそれじゃダメなんだと思う。
「言葉にしてはっきり分かった。 どうしてこの子が引き籠っちゃったのか」
「どういう事?」
「お姉さんが居なくて寂しくて辛くて苦しくて逃げだしたくて。 そんな自分に期待してるって言ってくれたあの人の期待に応えたくても欠陥戦艦だって言われていた自分に自信が無くて隠れちゃったのよ」
「山城は……。 山城は欠陥戦艦なんかじゃないよ」
目を閉じればあの光景を思い出すことができる。敵弾を受けて炎上しながらも、僕たちの盾になるようにして前に進み続けたその姿を。
「そうね、私もそう思ってるわよ。 だけどきっとこの先はこの子の問題なんだと思う」
「艦娘も色々大変なんだな」
「素直な時雨と違ってこの子は随分とひねくれちゃってるもの」
「そのひねくれ者に適正があった君もそういう事なんじゃないか?」
湿っぽくなった空気を換えようと冗談を言った先輩さんの肩を山城が小突き車が揺れる。
「危ないな、運転中だからそういうのはやめてくれ」
「あんたが余計な事を言わなければ良いだけじゃないかしら?」
「2人ってなんだか仲が良いですね……」
「うん。 僕もそう思ったかな」
一体佐世保で2人に何があったのだろうか。
「落ち着いたら湊も誘って5人で酒でも飲むとするか。 君たちがここまで言った相手がどんな人間なのかもっと知りたくなってきたよ」
「「やめたほうが良いわね」かな」
「きゅ、急に2人してどうしたんですか……?」
「み、湊教官ってお酒に強い方じゃないから……」
「そうね、すぐに寝てしまうから面倒なだけじゃないかしら」
山城も同じことを考えていたのかそれとなくお酒の誘いを断るように誘導をする、先輩さんは納得していないようだったけど僕たちにとっては死活問題だった。
「そういえば湊さんがお酒飲んだ所って見たことな……、イタタタタタッ!!」
「ご、ごめんなさい! 包帯が緩んでいたから直そうとしたんだけど……!」
この話をこれ以上引っ張る訳にはいかず岳さんに申し訳ない事をしてしまう。
「うん、決めた」
「どうした?」
「先輩さんの言いたいこともなんとなく理解できたけど、まずは湊教官の話を聞いてから決める事にするよ」
「そうか。 それなら何があっても呉まで逃げて湊の所にいかないとな」
湊教官には沢山聞きたいことがある。それは鹿屋以外の鎮守府で起きた出来事もそうだし、鹿屋に来る前の事もそう。これから先の湊教官がどんな提督になりたいかとか数えればきりがない程だった───。