緋弾のアリアドス ver7.0   作:くものこ

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泡沫のアリア
1ターン目


 マッハスピードの自転車。風を切り、汗が弾け飛ぶ。これだけ伝えれば爽やかな構図かもしれないが、実は命の危険が迫っていたりする。

「ちくしょう、なんだか今日は災難ばっかりだな!」

 全力で自転車のペダルを回しながら、ガラス張りのビルに映るものを見る。臙脂色の制服を着て、自転車に乗る武偵高の生徒。要するに俺。そしてその背後を赤いバイクで追走する、虎のマスクを被った覆面レスラー風の男。二人は風を切りながらひとけのない路上を駆け抜ける。

 控えめに言ってカオス。

「止まりやがれ!」

 後方から、バイクの駆動音に混じって飛んで来る怒号。振り返る余裕はないので、大声で叫ぶ。

「誰が!」

 追いつかれそうになるたびに急カーブで狭い路地へと入り込む。おかげでなんとか逃げ続けているものの、そろそろ足が限界に近い。十分以上もの間自転車を全力で漕ぎ続けた足はパンパン。少しでも気を抜けば、足が止まってしまいそうである。

 しかしあの男はいったい誰なんだ。武偵という立場上、人様の恨みを買うことは多い。が、あんな男は知らない。というより、あのインパクトは知っていたら忘れない。

 路地を抜け、直線道に出る。このまま行けば東京武偵高校のグラウンドに出る。そうなればもう、曲がる道などない。

 後ろを振り向けば猛スピードで距離を詰めるバイク。このままだとすぐに追いつかれる。だったら——!

 グラウンド脇に出た瞬間、右手を上着の内側に突っ込む。拳銃のグリップを握る。ベレッタM92、知人にオススメされて購入したそれを取り出すと、急ブレーキをかけながら自転車をUターンさせる。男と向かい合う。奴の目には驚きの色が見て取れる。

 冷静に、バイクのタイヤを撃ち抜く。

「なわっ!?」

 盛大に転倒するレスラー風の男。バイクはコンクリートの上を回転しながら滑り、体育倉庫の壁に激突する。奴のバイクが防弾仕様でなかったことに、内心安堵する。

「何しやがるっ!」

「それはこっちのセリフだ!」

 キレる覆面レスラー。真っ赤なレスラー服に身を包んだそいつは、服の上からでもわかるほどの筋肉隆々の体つきだ。こちらの構える拳銃に臆することなく、真正面から睨んでくる。

「ったく、頭にきたぜ。これでもくらいやがれ!」

 男は駆け出す。しかし困った。武偵は武偵法に従わなければならないのだが、その9条で殺人をしてはならないと定められている。つまり、がむしゃらに撃てないのだ。

 それを知ってか知らずか、男は突貫してくる。結局引き金を引けず、全心全力のラリアットが叩き込まれる。

 反射的に後ろ受け身をとる。そのまま首を傾けて後ろへ一回転し、起き上がる。途端、目の前に覆面が現れる。

 振り上げられた右拳。真っ赤に燃え上がるその拳を見て、背筋を悪寒が走る。炎を纏ったパンチ、だと!?

「おらぁ!」

「ぐっ……!?」

 殴られると同時に後ろに飛ぶことで衝撃を和らげようと試みるも、間に合わない。まるで焼印を押されたかのような高熱の拳を腹に受け、後方へと吹っ飛ばされる。

 焼けるような痛みが腹を襲う。おそらく火傷したのだろう。耐熱性にも優れる武偵高の防弾制服の上からでもこの威力。直に食らったとなると……。

 首筋を嫌な汗が流れる。

 ゆっくりとこちらに向かいながら、男は道の真ん中に放棄されている俺の自転車を持ち上げ——グシャリ。捻り潰した。

 そうかい、そうかい。腕力も強力な超能力(ステルス)もあるってのかよ。つくづく世の中は不公平だな、おい。

「近づくなよ。それ以上近づいたら、撃つからな?」

 とりあえず、ハッタリの警告をする。だが、男はニヤニヤと笑いながら歩みを進める。なめられたものだ。

 拳銃の狙いを奴の膝に。これでも射撃訓練は受けているのだ。たかだか十数メートルのこの距離、外さない——!

「させっか!」

 引き金を引こうとした瞬間、奴が動いた。右手に現れる赤い火の玉。男はそれを投擲する。

「ちっ」

 射撃をやめ、横に飛ぶ。くるりと一回転をし、身を起こしたその時。

「遅い!」

 顔認識よりも早く、振り下ろされる手刀。見事俺の右手首にヒットし、拳銃が手の中から滑り落ちる。

 拳銃が地面に落ちる音が耳に届く。しかし、目届けている暇なんてない。

 すでに背中に手を伸ばしていた左手を前へ。握られているのは鞘に入った状態の小刀。抜きかけの鞘を男の顔めがけて飛ばす。

 紙一重。首をわずかに曲げることで、男はその攻撃を躱す。だが本命は次、銀色に輝くこの小刀による一閃——!

 風を切る音。はらりと舞う、虎のマスクの一片。露出した男の日焼けした顔に、紅い線が一本走る。頰から鼻の付け根を通り、またもう一方の頬へ、まるで猫の髭のように。

「テメェ……!」

 みるみる男の表情が変わる。余裕から驚愕、そして憤怒。だがこいつの三面相なんて気にしている場合ではない。

 斬りつけた勢いそのままに、男の左手に回り込む。さっきからこいつの攻撃は右手が中心。つまり、そちらが利き手だと判断したのだ。

 右足を伸ばし、男の左足のアキレス腱に引っ掛ける。それで体勢を崩し、今右手で背中から新たに抜き取ったもう一本の小刀で追撃を与える、そのために。

 しかし。

「な——!?」

 ぐらりと揺れる視界。横倒しに映る男と背景。平衡感覚が異常を知らせる。

 体勢を崩したのは俺だった。力で押し負けたのだ。そんなバカな。

 右半身を下にし、地面を横滑りする。右頬、右肩、右肘、右手、右膝に擦れる痛み。同時に、左手首を何者かに掴まれる。横向きになった男の不気味な笑みが視界に入る。顔を垂れる血はホラーさながら。

「灰になっちまえよ」

「ぐああああっ!?」

 熱い。熱い。熱い。まるで火に手を突っ込んだような(いや、実際そんなことをしたことはないのだが)そんな激しい痛みが左手首を襲う。とにかく熱く、今にも自分の手が燃えてしまうのではないかという苦痛。取り落とした小刀が地面に落ち、物寂しい音を立てる。

「苦しいか?」

「て、めえ……!」

 力が足りなかった。速度も負けていた。不意打ちの一撃しか与えられず、それも決定打にならず。そして今、蹂躙されている。こんなふざけた格好の男に。

 とにかく状況を打開せねば。その一心で、小刀を握った右拳によるパンチを男の顔めがけて放つ。それを男は避けようともせず、額で受け止める。指先に痺れが走る。

「っ!?」

 ダメージが入らない。男は平然と立ち続け、かわりに痛むのは俺の手だ。途端、冷や汗が止まらなくなる。

 男はニヤつく。

「ばーか。火傷状態のお前に、物理技は、ブハッ!?」

 刹那、男が横に吹っ飛んだ。何が起きたのかわからないが、体に若干の水しぶきがかかったような気もする。あの男の唾でないことを祈る。

 男も何が起きたのかわからない様子で、あからさまに顔を怒りで歪めて立ち上がる。

「誰だ!」

「動かないで」

 まるで南国の海のように透き通った声。歌うような、そんな綺麗な女声。声に振り向くと、そこには武偵高の制服を着た女子生徒が一人。

 腰まで届く長さの緑がかった青い髪を纏める白いシュシュ。ヒトデの髪飾り。背もそこそこ高く、スタイルも悪くない。制服にはあちこちに水色のフリルが増設されているものの、彼女自身の放つ雰囲気は可愛さというより美しさ。水のような冷たさがひしひしと感じられるのだ。

 なにより異様なのはそのポーズ。右手で銃の形を作り、それを覆面レスラー風の男に向けている。

 目では男を牽制しながら、彼女は先ほどよりも柔らかな声で俺に話しかける。

「無事だったかしら、糸丸君」

「あ……ああ」

 な、なんだ。なんだなんだ。どうやら彼女は俺のことを知っているらしい。が、残念ながら俺は向こうのことは知らない。どうなってんの、これ。

「ガオガエン。退くの、退かないの」

 女子生徒が男——ガオガエンというらしい——に問いかける。人としては変わった名前である。

 一方、ガオガエンは血で汚れた顔でしかめっ面をすると、首を振った。

「相性が悪い。今日のところは帰らさせてもらう」

 男は立ち上がると、バイクの元まで走る。そしてそれに乗り、そのまま走り去っていく。女子生徒は追う気配もなく、ただ溜息をついた。

「なあ、逃していいのか?」

「そうね。近くに彼の味方がいるでしょうし」

「知り合いなのか? 名前、知ってたみたいだけど」

 冷めた目でこちらを見る女子生徒。よくわからないが、非難されている。そんな気はする。

「そのうちわかるでしょ。それより火傷なんだけど、応急処置はしておいたから」

「え!?」

 言われて腹、掴まれていた左手首を見る。たしかに、焼け爛れた跡も何もない。痛みすら消えている。い、いつのまに……。

「でも、念のため救護科棟に行くことをオススメしておくわ。連絡はわたしから入れておく」

 踵を返し、立ち去ろうとする女子生徒。かるくウェーブのかかった髪がふわりと揺れる。

「ま、待ってくれ!」

 立ち止まった背中に尋ねる。せめてこれだけでも、聞いておかなければ。

「君は……君は誰なんだ?」

 彼女は振り向いた。口元に手を当てながらくすりと笑う姿に思わず見惚れてしまう。見返り美人なんて言葉が思い浮かぶ。

「わたしは押谷真里。武偵高の新二年生。あなたと同じでね」

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