笑顔が誰にだって出来るって本当ですか   作:コリブリ

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美城専務のウワサ
最近常務から専務になったらしい


第1話 煤塗れの手のひら

 埃ひとつ落ちていない灰色のカーペット、日本標準時を正確に刻むデジタル時計、ドレープすら描かずに閉じられた遮光カーテン。

 いっそ清々しいまでの機能美で装飾された部屋に響くのはキーボードのタイプ音。パソコンのディスプレイだけが薄暗く照らす部屋の一角で彼女は苛立っていた。

 

 部下からは畏怖を篭めて美城専務と呼ばれる彼女は、画面に映し出されるカーソルを恨めしく見つめる。普段なら手が止まるはずもない程度の事務仕事が今日に限って全く捗っていない。

 たった一つ新プロジェクトを発足させる程度に何を手間取っているのかと、無表情でありながら隠せない怒りを和らげようとコーヒーの入ったカップへと手を伸ばした。冷めきった泥水をすすりながら思いを巡らせるのは先日の出来事、シンデレラの舞踏会だ。

 彼女が手ずからプロデュースしているプロジェクトクローネも参加した自社の一大イベントであるシンデレラの舞踏会は大成功のうちに幕を閉じた。企業として見れば入場チケットの売り上げは驚くほどの成果を上げており、芸能プロダクションである346プロを業界内でもより一層高みへと押し上げたであろう事は想像に難くない。

 つい最近に発足したアイドル部門がここまでの成果を出している事に喜ばないはずもなく、故に彼女の中に影を落としているのは全く別の要因であった。

 

『武内』

 

 企画書の裏隅に小さく、わざと見逃すようにその場所へ書き込んでいるのではないかと勘ぐってしまうほどに目立たないその名こそが彼女の作業を止めている原因である。

 彼女が想像するアイドル象とは真逆を行くプロデュースをする武内プロデューサーは、上司である美城と対立しながらもシンデレラの舞踏会を成功させたのだ。

 彼と彼女が平行線の道を歩いたように、彼が担当するシンデレラプロジェクトもまた、プロジェクトクローネとは違う道を辿った。

 

 ナンバーワンとオンリーワン。

 

 目指す場所は近しくとも同じではない彼は、彼女に対してアイドル達の全く別の可能性を見せたのだ。

 

 彼が有能な人材であることは、既に彼女の中で証明されている。気にくわないとは思いつつもその手腕は見事であると認めざるを得ないものであると評価している、だからこそ解せない。

 魔法が解けたシンデレラにまで手を伸ばし、被った灰を払いのけようとする事がどれほどの労力が必要か理解できぬはずもないのだ。大企業に属する者としての責任を放棄している彼の姿に苛立ちを覚えるのも無理はない。理解不能とまで言うつもりはなくとも費用対効果の面で見ればコストが勝ちすぎているのは明白なのだから。

 だからこそ、そんな理想を掲げたままで上げた成果を純粋に喜べはしないのだ。

 

 彼女はカップをマウスの横に置き、指をキーボードのホームポジションへと乗せた。止まっていたカーソルはいつまでも動かないまま、企画書とタイトルが書かれた作成中の書類へ視線を走らせる。

 プロジェクトクローネとシンデレラプロジェクトの対比、グラフ化された数値に、ふざけているのではないかと白い目で見ていたパワーオブスマイルと銘打たれた指針に、個性、笑顔と言ったシンデレラプロジェクトを取り巻く単語を見てやはり解せぬとひとりごちる。

 売り上げという面で見れば発足したばかりのプロジェクトクローネが劣っているのは致し方ないが、今も伸び続けているシンデレラプロジェクトの売り上げは留まる様子を見せていない。

 大企業の責任と彼女自らが考えているのだから、評価せざるを得ない成果を上げている笑顔とやらをあえて取り入れる方向で話を進める案も浮かんではいたが、数枚の企画書を書いた時点でデータの藻屑へと消え去った。既に方向性が示されている彼のプロジェクトがある限り、中途半端に取り入れたところで二番煎じの薄まったものでしかない故に。

 彼女はその時の事を思いだし、ついに焼きが回ったかと眼がしらを軽く揉みながらカップへと視線をやれば数滴のコーヒーが残るばかり。アシスタントがコーヒーを淹れた時に豆を切らしたので買い足しておくと言っていた事を思い出した彼女はデジタル時計を見ると0がやたらと並んでおり既に日付が変わる時間であった。日中であればアシスタントを呼びつけるがこの時間では廊下を歩く者もおらず、使い走りを頼む事も難しいであろう。

 そもそも彼女が遅くまで仕事を残すことは稀であり、このような時間まで社内に残る事は初めての事で、それもこれも奴が悪いと全く関係のない所で罵倒される武内であった。

 全く噛み合わない彼の言動をいちいち取り合っていては気が持たぬと思考の隅に追いやっても、舞踏会の舞台裏で交わした言葉が居場所を取り上手くいかない。彼女は城を、彼は灰被りの夢を追い求めるが故の平行線、そしてアイドル達はそんな二人の平行線すらも超えて行く存在だと断言した彼の言葉が、彼女の胸中に居座ったままなのだ。

 

 何にせよ現在進めている新たなプロジェクトはどうしても二つのプロジェクトを比較した上で、新たな戦略を打ち立てなければいけない。

 プロジェクトクローネを蔑ろにするつもりは毛頭なく、複数のプロジェクトを同時に舵取る事は可能であると、彼女自身の能力を客観視した上での判断だ。ならばなぜ今新たにと部下に問われれば彼女はこう答えるであろう、教える必要はない、と。

 彼女は分かっていたからだ、新たにプロジェクトを発足させる理由がただ――悔しかったから、などと言うふざけた理由であることに。オブラートに包めば、成果を上げている戦略の要素を新たに取り込むためだとも言えるが、これは彼女自身で却下している案だ。

 アイドルの笑顔を前面に押し出すと言った彼の言葉を馬鹿馬鹿しいと切り捨てているのにも拘わらず意識して怒気を強めている彼女は幾つかの建前でその思考を囲った。

 自己矛盾を解消するためにまずは笑顔の力とやらを理解しなければ先に進めない、そう思い込むことである程度ならば溜飲を下げる事が可能であった。

 あるいは彼の戦略を上回る策を捻出し346プロをより強固な城へと育て上げるため――要はあてつけであるのだが――とにかく調子に乗らせたままなのは癪であると誰にも言えぬ本音を隠しながら嘆息を一つ吐きだす。

 

 

 彼女は初めて当日の予定を次の日に繰り越すと言う屈辱的な決定をし、愛用のノートパソコンをカバンの中へと押し込めオフィスを閉じた。エレベーターの中で送り迎えをさせている専属の運転手へ今日は歩くと連絡を入れ、正面受付は既に開かない時間であるため裏口から城の外へと出た。

 初めて尽くしの一日ではあったが感慨など浮かぶはずもなく、性格を表すように吊り上がった目をそのままにしてハイヒールの音を鳴らす。彼女はいっそコンビニ弁当でも買って帰ってやろうかと血迷った行動の為に足を向けそうになるがそのまま素通りした、未婚アラサーのビニ弁は流石に不味いと思いとどまれる程度の気力は残っていた様子である。その代わりではないが普段車窓から眺めるばかりの光景に自分が映り込むことで無駄に疲れた頭脳を少しでも癒そうと寄り道を決意した。

 彼女が完全に気まぐれで行動する事などこの先二度とは訪れないであろう。プライベートですらありはしないのだから、色々と不幸やらが重なった結果の偶然と表現した方が正しい。

 

 彼女がふらと立ち寄ったそこは絶景百選に選ばれているわけでもなければ、知る人ぞ知る玄人好みの場所でもない、ただそこに入り口を見つけたから寄っただけの、市街地にぽつりとある変哲の無い公園だ。しかしこれ以上何かを考えたくはない彼女にとっては丁度良い場所であった。

 背の低い植え込みで覆われた人気の全くない夜の公園は、学生の時分であれば見慣れぬ光景に言い知れぬ高揚感を覚える事もあるかもしれないが、女性にとっては恐怖を感じる場合の方が多いだろう。しかし彼女はそんな様子すら見せずにゆっくりと歩きながら軽く首を上げる。

 立ち並ぶ木々はソメイヨシノ、風が吹けばすぐに散らしてしまう、日本に住むならばどこででもみられる光景。たった今も強くない風で花弁が舞い、彼女が伸ばした手のひらには落ちることなく散っていく。所在が無くなった手のひらを握り、気にした様子もなく再び歩みを進める彼女。

 

 そろそろ反対側の入り口に差し掛かろうとするところまで来てしまうが、一ヵ所だけ奥まった場所にある街灯がベンチを照らしていた。サンディング加工され人工的な光が反射するそこに近づくと、微かな声が聞こえてくる。一人の声しか聞こえぬ故に、電話か、独り言か。

 

「うん……うん……もうちょっとだけ……頑張って、みたい、けど……」

 

 立ち聞きなど趣味ではない美城は踵を返そうかと考えるが続く言葉に足を止める。

 

「アイドルって、難しいよ」

 

 聞こえてしまった少女の声は、美城にとって随分と聞きなれた単語であった。346プロの近くであるこの場所での話題であるならば、少女は関係者であろうか。しかし聞こえてくる言葉を咀嚼するに、魔法が解けてしまった灰被りであろうことは簡単に想像できた。

 美城は武内の言葉をして灰の掃除を怠るとは思えなかったが、あるいは彼女が、彼の手のひらから零れ落ちてしまった存在であるならば、やはりこの程度かとなじる事が出来る理由が増えるのみである。であるならば所属部署くらい聞いておくかと一歩歩みを進め、再び止まった。

 

「ごめんなさい……うん、774プロ、倒産しちゃったから、所属してた所……まだ頑張りたいけど、どこで頑張ればいいんだろう? 私の取柄は笑顔だって、笑顔が素敵って、みんなは言ってたけど、もう、笑えないよ……笑うって、どうすればよかったんだっけ……?」

 

 それは美城が切り捨てて来た者達の叫びだった。ガラスの靴の持ち主を選別する過程で試された者達の、灰被りの真実は美城の耳に届いた。思う所がないわけではない彼女にとって薔薇の棘に触れてしまったが如く刺すものはあったが、しかし、その程度で揺らぐならあの大企業で専務という職務を受け持ってはいない。

 

 だからこれは美城にとって人生で一度あるかないかの気まぐれの延長に過ぎない。

 

「――笑顔が誰にでも出来るって、本当なの?」

「それは君次第と言えよう」

「っ!?」

 

 ソメイヨシノの影から躍り出た美城をまるで化かされたかのような表情で見つめる少女。泣きはらした目元を見ても動じることなく言葉を続けた。

 

「君も知っているであろうがこの桜はソメイヨシノと言う。自家不和合性という遺伝子を持っていて手折られた別の枝から育つ以外に花を咲かせることは出来ない」

「あの……?」

 

 いきなり現れ唐突に植物の特徴を喋り出す目の前の女性に何と答えればいいのか分からない少女は持っていた電話のスイッチを切る事無くただただ美城の話を聞いた。

 

「君は灰被り……ソメイヨシノと同じく、アイドルと言う枝から育ち、灰被りのまま育ってしまったシンデレラだ。巨木になることも出来ず散っていく、多数ある木々のうちの一つでしかない」

「……何が、言いたいんでしょうか」

 

 例え話は少女の胸を抉るには十分だった。夢破れ、どうすればいいかすら分からなくなっていたそんな時に、お前はその他大勢の一人にすぎないと言われれば激情を感じずにはいられない。しかし少女は困惑気味に、その意図を聞くだけであった。怒る事にすら疲れたと表すればいいのか、その目には薄暗い光が灯っていた。

 

「アイドルに興味はないか」

「…………はへ?」

 

 たっぷりと数十秒固まった少女は美城が放った言葉の意味を嚥下しきれず、小首をかしげながら素っ頓狂な声を上げた。

 

「私はこういうものだ、君をスカウトしよう」

 

 美城が懐から名刺を出し、少女へと手渡す。たった今アイドルをやめて来たばかりであった少女にとって怒涛の展開に思考は追いつかず、喉の上辺から思った事がそのまま出てくる。

 

「なんで……私……スカウトなんて」

「笑顔だ」

「はいぃ!?」

 

 美城にとって灰被りは切り捨てるべき対象でしかなかった、だが武内の言葉がリフレインする今だからこそ、立ち聞きしていた少女の言葉に感じ入る事が出来たのだ。

 美城にとってそれが同情であるか憐憫であるかは分かりはしなかったが、もし笑顔を失った少女を自分自らの手で取り戻させたのならば、それは武内に対しての意趣返しにもなりえると同時に、胸のうちに抱えるイラつきも解消するのではないかと、その程度の打算であった。

 武内が数十人もの灰被りに魔法をかける事が出来るのならば、一人くらい造作もない事であると自信過剰な面もあるにはあるが、この誘いは少女にとっては天より続く蜘蛛の糸だ。

 それでも、たった今までアイドルという存在に裏切られた気持ちであった少女にとってこの名刺を受け取るには万感以上の勇気が必要で、見つめ合う事数分だろうか、少女はぎゅっと目を閉じながら恐る恐る名刺を受け取った。強い力が込められていたその手によって名刺は軽く折り曲がる。

 

「受け取ったからには責任が発生する。私には担当としてプロデュースを行う義務が、君には346を背負うに足るアイドルになる義務が。さて、今更だが名を聞いておこうか」

「私は、島村卯月で――ええっ!? 346ってあの……えぇ?」

 

 少しでもアイドルを齧っているのなら346の名に恐れおののくのは当たり前の事であり、美城は当然であると気にした様子もなく続けた。

 

「そうだ、島村。業界で知らぬ者はいない老舗芸能プロダクション、346プロだ。背負う責は大きいが、手にする栄光もまた大きい。悪い話ではないだろう」

 

 少女の手にはくしゃくしゃの名刺が、美城の空いた手にはソメイヨシノの花弁が収まっていた。本来であれば切り捨てられる者と切り捨てる者であるはずの関係は、気まぐれによって変わることとなる。

 

「……なんで、今更になって」

 

 俯いた少女のつぶやきは、花弁と共に地面へと沈んでいった。

 

 

 




島村卯月のウワサ
初めて所属したプロダクションは零細企業だったらしい

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