笑顔が誰にだって出来るって本当ですか   作:コリブリ

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日野茜のウワサ
346プロでの思い出を卯月に教えるのが最近の日課らしい


第11話 いばらに覆われて

「よっ、専務!」

「何だ日野茜、馴れ馴れしいぞ。新人でもあるまいに立場くらい弁えろ」

「はい、専務様……」

 

 心なししょんぼりした様子で卯月の元へ戻ってくる茜。最初の一言を放つことができた時点で永劫語り継がれてもおかしくはない快挙であった。

 卯月は午前のレッスンが終わったあとに話があると美城に呼ばれていたため敷地内にあるカフェへ向かっていたが、途中でたまたま茜と出会い同行していたのだ。

 テラス席の奥まった場所に座った美城を発見した二人だったが、茜が鼻息を荒くしてずんずんと彼女へ近づき先の言葉を放つ。昨夜に卯月がため口で話しかけていいと言われた話を茜にしていたからだろうが、それを実行に移せるのはきっと彼女だけであろう。

 

「もしや会話ができたことに驚くべきなのでは!」

「あの、美城さんって所属のアイドルたちからどう思われてるんですか」

 

 美城は少し離れた二人へ声をかけるつもりはないようで、一瞥だけしてトールサイズのコーヒーへと手を付ける。

 卯月が普段接する限りでは、美城は確かにキツめの性格ではあろうが、それは重役としての責務から態度を崩さないだけとのイメージが強い。いや、強かった、だろうか。以前プロジェクトクローネの反応を見ていた卯月はちょっと気難しい上司どころかお互いに接しづらい雰囲気だったことを思い出す。

 

「専務は半年ほど前に346プロのイメージにそぐわないという理由で現存プロジェクトの全てを解体にしようとしていましたね」

「……ええっ!?」

 

 美城が行おうとしたことは社内改善を通り越して改革だった。美城グループの対外的なイメージの確立が目的であり、その対外的なイメージとは美城本人が思い描くものでしかない。346プロ所属のアイドルたちは自らが持つ個性でもってファンを獲得していたのだが、それら全てを斬り捨てると言ってのけた。

 

「シンデレラプロジェクトの武内プロデューサーが一番に専務のやり方へ声を上げたんですよ」

 

 茜の話は直接的にシンデレラプロジェクトへ関わっていないがゆえ客観的なものであった。

 武内は表立って対美城専務への派閥を作ったりはしなかったが、それでも彼を応援するものは多数おり部門を越えてアイドルユニットを組むきっかけにもなったのだ。自分たちが築き上げた成果や努力を評価しないと言われたに等しいプロデューサーたちにとって、武内は自らの言葉を代弁してくれる存在。

 

「では、武内プロデューサーはもう……?」

「いえいえ元気にプロデューサーをしていますよ! 大きな成果を上げて専務に認めさせたから解体の話は半分お流れでむしろ色んなユニットを組めるようになって楽しい環境になったとも言われてますね!」

 

 武内の言葉に同調するものもいれば美城のやり方に付き従うものもいる。プロジェクトクローネに始まり美城グループのイメージを象徴しようとするプロジェクトも少ないながらも存在していて、逆に言えばそれら以外のプロジェクトはアイドル自身が持つ個性を伸ばす方針を取っているのが現状だ。プロダクションにアイドル部門が設立されてからかつてないほど横の繋がりが強い時期である。

 

「私もHappyPrincessのほかにポジティブパッションというユニットを組めてよりアイドルが楽しくなりました!」

 

 美城と武内の静かな戦いは結果的に346プロにとって大きな成長の一助となった。売り上げで見ればシンデレラの舞踏会以降上がり続けている。

 かといって美城が武内を憎々しく思う気持ちが薄れるわけではない、ないのだが。

 

(確かに美城さんからは武内プロデューサーに一泡吹かせるために私をプロデュースすると言われたっけ、でもあれ以来は特にそういった話を聞かないけどなぁ……)

 

 卯月は見えない部分で何かをやっているのだろうと対立に関しては気にする様子もなく茜の話を聞く。

 武内との話以外にもお堅い言動や強引な推し進め方など、中々に怖い話が続き褒められるような話が出てこないものだから今更ながらに畏怖を抱く卯月。ただ卯月と接している時は面白いおばさんなのだが、そういった姿はほかで一切見られないらしい。

 

「あとは最近だと武内プロデューサーと同じくらい対立していた楓さんと仲が良くなったとか……おおっと! もう午後のレッスンが始まってしまいますので私は行きますね! また夜に!」

「えっ、あ、また夜にー……」

 

 卯月はすでに後ろ姿が見えなくなった茜にすぼんだ声を投げかけながら、聞いた話を反芻する。シンデレラプロジェクトに直接関わっていなかった茜からあれだけ怪談話かと思うほどすくみ上る話が出てくるのだ、当事者だったものたちがどれほど恐怖に怯えていたのかは想像すらできないだろう。だが卯月にとっての美城は怖い人には分類されない。

 今後もし解雇の話を持ち出されたとして、感謝こそすれ恨みはおろか恐怖の対象にはなりえない。拾ってくれた恩もあるが、何より卯月は自分をよく見てくれていると感じているからだ。レッスンも今の彼女が自身では気づけない足りないものを補うように組まれ、時折話すことも進む道を教えてくれるような助言ばかりである。プロデューサーとして当たり前のことなのだろうが卯月という個人をしっかり把握して、それこそ専念しなければ分からないであろう機微すらフォローしてくれる存在。

 そんな美城からアイドルには向いていないと言われるのであれば、それは変えようのない事実で、いっそ諦めることに悔いは残らないだろうと思う卯月。

 

(なら、みんなは美城さんの優しい部分を知らないのかな……)

 

 346プロに所属しているアイドルやプロデューサーが美城に対して苦手意識を持つのは茜の話からして当然のことではあるだろうが、彼女の別の一面を知っているものは殆どいないのだろうと、卯月は少し悲しい気持ちに包まれる。

 

「いつものことだが、今日はいっそう暗い顔をしてどうした?」

 

 卯月が気落ちした様子で美城が座っているテラス席までくると気遣いの声がかけられる。やっぱりみんなが思っているほど怖い人じゃないんですと説明したくてたまらない卯月であるが、そんな話をできるような友達は現在事務所には茜以外はいなかった。

 

「少し誰かに優しくしたい気分なんです」

 

 美城の対面に座った卯月は店員を声で呼び、抹茶フラペチーノを頼む。

 

「ならその優しさは自分用に取っておくといい、君にとっては多少ショッキングな話題になる。あと悪ふざけができるほど日野と仲が良いのはよろしいことだが、私を対象にするのは今後禁止とする」

 

 悪ふざけではなく茜の暴走なのだがそれを説明したところで長電話の話題に美城を使ったことを言及される可能性もあったため大人しく頭を下げる卯月。茜の行動を思い出すだけで思考がそちらへ傾いてしまうほど衝撃的な行動力だが、それ以上に卯月にとって聞き流せない言葉を美城は発していた。

 

「ショッキング、ですか?」

「三点ほど連絡がある。君にとっては悪い話だと思われるが一般的には良い話と、普通に良い話と、とても良い話だ」

「私にとって悪い話からお願いします……」

 

 いつもならスパッと連絡事項を言い渡す美城だが、硬い話をする時は卯月にとって話しやすい、ちょっとしたカフェやファーストフード店に集合するようにしてくれているらしいことを卯月は知っている。

 だがわざわざカフェへ呼び出して前置きが長いことに卯月は多少不安を覚えた。呼び出された状況で言い渡される卯月にとってのみ都合が悪いことは想像に難くない、今度はクローネ全体のレッスン見学か、あるいはステップアップしてミニライブの見学とかだろうと構える卯月だが、そんな彼女に対して美城は今までにないほど優しい声色で話し出す。

 

「そんなにかしこまることはない。普段のボイストレーニングに追加事項があるだけだ」

 

 普段とは違う場所に呼び出した割には変哲のない連絡、それならそれで追加事項とやらが曲者なのかもしれないが、卯月にとってレッスンを厳しくされることは苦ではなく、むしろ喜ばしいことだ。

 美城の言った通りかしこまることはなく、安堵し一つ息を吐く卯月。

 

「はぁ……よかったです。今までよりボイストレーニングが厳しくなるとかそういうの――」

「高垣楓が君のボイストレーニングに参加する。では二点目だが」

「ちょっと、まって、ください」

 

 さらりと流して次に行こうとする美城に向かって両の手を向けてストップさせる卯月。聞き流そうにも投下された爆弾があまりに大きすぎてとぼけることすら難しい。

 

「た、高垣楓さんと言えば今のアイドル業界を代表するようなアイドルですよ!?」

「ああ、そして346プロ所属のアイドル、君と同じ事務所の先輩だ、後進を見ることに何の不都合がある」

 

 卯月は今更ながらに346プロのネームバリューに足がすくみ始める。高垣楓はアイドルに興味がない人でも名前くらいは聞いたことがあるほどに国民的なアイドルの一人。

 卯月が養成所に入ってから何度彼女の姿をテレビで見ただろうか、何度彼女の曲をカラオケで歌っただろうか、何度彼女が踊るダンスの振り付けをトレースしただろうか、アイドルを目指す女の子にとってそれほどまでに憧れであり目標となる存在だ。

 それがどこをどうとち狂ったら同じレッスンルームでボイストレーニングをする状況になるのか、混乱する頭をかかえる卯月。

 

「島村、君はまだ他のアイドルを目標と仰ぎ立ち止まるのか?」

「それは、ずるい言い方ですよ……」

 

 卯月にとってアイドルとは目標地点ではなくなった。

 他のアイドルがどうあれ関係ないと、自分自身のアイドルとしての道を歩むと美城に叩きつけたあの日から今なお原動力となり続けている言葉。それがあるからこそ苦手とする売れっ子アイドルたちのレッスン見学だって震える足を抑えつけられた、厳しいレッスンだって自ら進んでできる。

 

「アイドルとして高みを目指すのなら、高垣楓すらも飛び越えて自分なりの笑顔をファンに届ける覚悟を持つことだな」

「……私にできる、でしょうか」

「君も知っているとは思うが彼女の歌唱力は抜きんでている。天性のものはあろうが、そこに努力がなかったわけもない。努力は君の領分だろう?」

 

 美城の言葉にとりあえずといった様子であるが承諾する卯月。乗り気でないのは俯いた顔の角度から誰もが察するが彼女にとっては乗り越えなければいけない壁でもある。美城にはレッスン当日に楓を直接連れてくる案もあったが、今の卯月をして事前に連絡を行って正解だっただろう。

 茜とのふれあいやクローネメンバーのレッスン見学を経て鳴りを潜めていた卯月の本質である待つことが再び表面化しようとしている。今でなくてもいい、このままレッスンを続けていればアイドルとしてある程度のものになる――美城はそんな思いを再び卯月に抱かせるわけにはいかないからこそキツい言葉だとは分かっていて発破をかける。

 楓とのレッスンは刺激的というには生ぬるいだろうが、必ず通らなければならない道だ。

 卯月とて理解はしているだろう、それでも未だに奪われた笑顔の傷は塞がらない、呪いは解けない。

 

「君にならできる、などと無責任なことは言わない。辛くても進まなければ始まらない……が、もし無理だと後退するくらいなら別の道を用意する準備はある」

 

 美城が逃げ道があることを卯月へ伝えるのはこれが始めてだ。逃げ道を用意することは彼女にとってなんの益もないことである、だが今回ばかりはメンタル面を優先し伝えざるを得なかった。

 

「戸惑いの方が大きい……とは言えないんです。怖い……楓さんすらも、私を利用するだけの存在なんじゃないかって……ありえないはず、なんですけどね」

 

 卯月にとってのトラウマは、裏切られるのが怖い、ただその一点に集約する。

 楽しいからアイドルをやっているはずなのに、アイドルという存在は他者を踏み台にして利用する……そんなアイドルへの不信感が卯月を縛り付けている。そんな不信感の中核が奪われた笑顔であった。

 

「……高垣楓には経緯をある程度伝えてある。もし音を上げるなら彼女でも、トレーナーでも、私でも伝えればいい」

「はい……」

 

 静まったテラスにお待たせしましたと間延びした声が響く。卯月が頼んでいた抹茶フラペチーノが届き、弱々しい様子でストローへと口をつける。幸いなことに空気をかえるにはちょうどよかった。

 

「では二点目、普通に良い話だが、君の曲が完成している」

「私の曲、私だけの曲……ついに346プロからデビュー、ですか」

 

 卯月の声は小さかったがどこか喜色を含み、しみじみとつぶやかれた。アイドルとして活動するならば外せないCDデビューの話は単純に嬉しいものだ。特にデビュー曲など、本人を象徴する曲として今後のアイドル活動において常に付きまとうこととなる。卯月は774プロにおいて予算の関係でユニット曲のみであったため個人のために作られた曲を持つのは初めてであることも嬉しそうな声に関係しているだろう。

 

「二曲用意してあるが、君と楓のレッスン如何で採用する曲を決める予定だ」

「にきょく……」

 

 美城は椅子の横に置いてある鞄から封筒を取り出し、卯月の前へ角度をきっちりと揃えて置く。その封筒の片隅には淡い青色でロゴがおされていた。

 

「これってクローネのロゴじゃないですよね」

 

 プロジェクトクローネのロゴは中央に宝石とその周りは百合の紋章に似た装飾が描かれている。しかし今美城が取り出した封筒にあるロゴは意匠が違う。

 中央に宝石があしらわれているのは同じだが宝石を締め付けるように茨が覆っており、宝石の右上にはその茨から花が咲いていた。

 

「目ざといな、それは君が参加する予定のプロジェクトロゴになる」

「……これ、346プロでは見たことがないロゴです」

 

 346プロのアイドル部門にあるプロジェクトではそれぞれ象徴するロゴを持っている。それはメンバー全体を表すためのものであるがゆえ非常に大きな意味を持つのだが、卯月は差し出された封筒に描かれたロゴを346プロ内では見たことがなかった。

 

「島村、君が参加する部門はクローネと同じになるが、プロジェクトとしては別。そのロゴは新設プロジェクトの象徴となり、そのプロジェクトへの参加メンバーは君と、高垣楓だ」

 

 卯月は言葉を発せなかった。

 

 クローネのレッスンを見学した時から卯月はクローネへ参加するものだと思い込んでいたのだ。慣らしの意味も込めて今後も定期的に関わっていくのだと勝手に覚悟していたが、ここにきて全く別方向へのアプローチ、それも高垣楓とたった二人のプロジェクト。

 デビューができる期待よりも、どうなってしまうのかという不安が卯月の胸へ棘のように突き刺さる。

 

「先に話してしまったが三点目のとても良い話とはこのプロジェクト発足についてになる。その封筒の中にはサンプル曲と歌詞が入っているから目を通しておくように……ただ、片方は仮の曲となる」

「…………仮ですか?」

 

 卯月は次々と伝えられた事実を上手く飲み込めておらず、声量も段々と小さくなり気落ちしている様子が見て取れた。

 デビューが近づけば卯月の中のアイドルは現実味を増していく。レッスンを行っているだけの日々では感じ取れないリアルがすぐそばにまで近寄ってきたのだ、ただただアイドルを夢見ていたころであれば緊張こそすれ楽しい毎日を思い浮かべ幸せそうな表情を浮かべていただろう。

 卯月が振り返れば、待ち続け、逃げ続けた道が広がっている。散々な道のりだ、だがそれすらもアイドルの業界からすればよくあることなのかもしれない。夢破れかけたどこにでもいるような女の子、それが卯月が自身に下す評価であり事実である。

 そんな卯月がトップアイドルを象徴する高垣楓と同じレッスンを受け、同じステージに立ち、同じように笑うなど、あまりにリアリティがなさ過ぎて、まるでおとぎ話の中に迷い込んでしまったような感覚すら抱いてしまう。

 

「君の成果次第では歌詞が変わる可能性がある」

「まだ未完成の曲なんですね」

 

 卯月は封筒を大事そうに抱きしめる、たったそれだけが今の卯月を支えているとでも言いたげに。

 

「連絡は以上だ。……最後に一つ、これは私個人の言葉だが――」

 

 美城はそこで言葉を止め一瞬だけ何かに悩む素振りを見せると、手帳を取り出し素早く書き込み丁寧に切り取った。

 

「登録しておくように。個人端末のものだから他人に漏らすのは避けろ」

「へ……あ、はい」

 

 卯月は美城から手帳の一ページを受け取り視線を落とす、そこに書かれていたのはLINEのIDだった。普段の連絡は社用の端末で電話番号によるメッセージのみを利用していたのだが、いったいどういうことか。

 最後の言葉はどこへ行ったのかと突っ込めるわけもなく唐突に渡された個人情報に困惑しつつ美城を見る。

 

「明日はレッスンが休みだったな。一日で覚悟を決めろとは言わないが、ひと月も待ってやる余裕はないぞ」

 

 そう言い残し卯月が頼んだ伝票もあわせて持っていく美城。

 一人残された卯月は椅子に深くもたれかかりながら両手で抹茶フラペチーノの容器を包み口をつけた。甘いはずのそれは卯月へ苦みを感じさせる。

 卯月にとってこれはチャンスなのだろう。美城にスカウトされたことも自ら動いて得たわけではないものだが、アイドルを目指すものが聞けばこれ以上ないほどに羨まれる状況に置かれている。

 いつか美城が言っていたように、卯月の本質は待つことだ。

 この状況すら自分から動いて掴んだ機会ではない。何千、何万というアイドル候補生が喉から手が出るほどに欲しいものを何もせず掴んだ卯月に不満を漏らすことは許されない。卯月にとっては、だから頑張ると、決意する理由にはなりえないが結局美城の言った通りになっていることに心へ靄がかかる。

 このままでいいのか、今の自分には何ができているのか、卯月の頭の中ではそんな思考が渦巻いては流れていく。

 渇く喉を潤すためだけにストローへ口をつけ、ふと美城から貰ったIDを登録しておこうと携帯を取り出し無心で友人登録のアイコンをタッチし操作を進める。

 

「ひゃうっ」

 

 卯月が友人登録を済ませプロフィール画像すら載せていない美城へよろしくお願いしますとトークを打ち込み終わると、片手で持っていた抹茶フラペチーノの容器が揺られた衝撃で、結露していた水滴が膝の上に落ち突然の出来事に声が漏れて出てしまう。

 

「随分と可愛い声出すんだね」

 

「っ……」

 

 卯月は後ろからかけられた声で今の一幕を見られたことに気づき羞恥に染まるが、それとは違う理由で心臓が跳ねる。一度は生で聞いた透き通った声、それが誰であるのかを一瞬で理解してしまった。

 

「……渋谷凛ちゃん、ですよね」

 

 卯月は確認するまでもないと振り向かずに告げるが、単純に振り向く勇気がなかっただけだ。

 凛は先ほどまで美城が座っていた席の後ろまでくると、背もたれへ手をかけ申し訳なさそうな表情で改めて卯月へと話しかけた。

 

「ここ、いいかな?」

「――はい」

 

 卯月は断ることもできたが凛の同席を許可した。この程度で音を上げていたら楓とのレッスンなどできるはずもないと考えたからだ。しかし同席することと話をすることは全くの別問題である。なんて間の悪い時にと思わずにはいられない卯月。美城から言い渡されたレッスンやデビューのことで頭がパンクしそうになっている今、凛と言葉を交わす余裕はなかった。

 卯月は座った凛の胸元に輝くシルバーアクセだけを見て視線を合わせない。弱々しい表情はなくなり能面のような表情で軽く目をつぶる。凛は凛で座ったまま何をするでもなくチョコレートがまぶされたカフェモカを飲むだけ。

 

 沈黙が続き気づけば五分ほどお互いちびちびとストローへ口をつけるだけの時間が流れた。そんな静寂を破ったのは凛だ。

 

「……あのさ、秘書じゃなくてアイドル、なんだね。悪いとは思ったんだけど、そこの窓から途切れ途切れ聞こえちゃって」

 

 二人が座るテラス席のすぐ横には開け放たれた窓があった、凜は丁度死角になっているシートに座っていたらしい。

 五分間でなんとか呼吸を整えた卯月は努めて冷静に受け答えができるように冷たく言葉を放つ。

 

「できれば、他の人には」

「うん、もちろん……専務も隠してるみたいだし、何か理由があるんだよね」

 

 美城がデビューまで自身の存在を社内で隠そうとしているのを卯月は知っていたが、本人は別に隠そうとは思っていない、わざわざ挨拶にまわることもしないが。

 

「――ごめん、実は聞こえたからってだけじゃなくて、ずっと調べてたんだ」

 

 再び黙り込む二人であったがその空気を続けさせまいと凛は逡巡するそぶりを見せたあとすぐに話しかけた。その表情は眉を下げ困ったような面持ちで卯月を見つめている。

 

「私の事をですか?」

「よくないことなのは分かってた、でもどうしても気になることがあって…………元774プロの、島村卯月、さん?」

 

 

 ずしりと、卯月の心臓が重くなる。

 

 

「どうして……」

「やっぱり、そうなんだ」

 

 卯月はまずいと思ったがもう遅い。半信半疑で話しかけていた凛は卯月の答えでもって既に確信へと至った。自らの失策を悟る卯月だが、凛の言葉は止まらない。

 

「ちょっとしたことだったんだ、レッスンであなたのことを見て自分がアイドルになったきっかけを思い出してさ……当時の会場とかネットで検索したらね、ほんの少しだけライブの映像とかがあって……その、そこにいたのは」

 

 まだ卯月がアイドルを信じ切っていたころ、笑顔が奪われる前、なりたかったアイドルだった時、凛が見たのはそんな卯月の映像だけだった。それも仕方がないことなのだ、ネットに残っているのは卯月が笑顔でいられたとき熱心なファンがいた当時の映像だけだから。

 

「……専務のさ、アイドルの売り方にまでは口出しできないけど、あなたには笑っていてほしいって、私は勝手に思ってる。私がアイドルを目指せたきっかけはあなたの笑顔だったから」

「っ……ぁ……」

 

 卯月は言葉を発せない。

 

 凛がもし、卯月が774プロで活動する後期の映像を見れていたのなら、こんな悲劇にも似た勘違いは起こらなかっただろう。

 

 卯月が無表情のクールキャラとして売り出そうとしているなどと、卯月の心を抉るような勘違いを起こしはしなかっただろう。

 

 卯月は思い切り歯を食いしばり口元は横一文字になる、それが余計に無表情を強調した。

 

「これ、よかったら見に来てほしいな」

 

 照れ臭そうに話す凛から差し出されたのは一枚のチケット、日付は明日でプロジェクトクローネのミニライブのものだった。以前に卯月が見学を行ったレッスンの成果を披露するライブだろう。

 

「あなたの笑顔で私はアイドルを始められた、だから今までの私の成果を……アイドルとして成長した姿と、笑顔を、卯月に見て欲しいんだ」

 

 笑顔で語る凛には一切の悪気などあろうはずもない。ただただ純粋に、自らの成長を、笑顔でもって卯月に伝えたかった一心なのだ。

 だが、その真っ白な、屈託のない心は、濁ったフィルターを通せばたちまち汚れてしまう。

 

 

「――あなたも、私から奪ったんですか」

 

 

 卯月がもし、凛に話しかけられる前に美城からの話ではなく茜と単純にお喋りをしているだけであったら、多少は受け入れられる余地があったのかもしれない。あははと困りながらもどこか嬉しそうな声を上げられたのかもしれない。そんな未来は既に訪れない。

 

「……え、な、何?」

 

 凛にはその言葉が聞こえたのだろうか、戸惑いが強く見られた。

 

「いえ、受け取るだけ、受け取っておきます」

「そ、そうだよね、急すぎたかな……明日もレッスン?」

 

 卯月が感情をうつさない声色で答えたにもかかわらずどこか安堵した様子で聞き返してくる凛。そんな彼女へのさらなる返答はなく、卯月は受け取ったチケットへぼうと視線を落とすだけだ。

 

「休憩してるとこ押しかけてごめん。もし、時間が空いたらでいいから」

 

 そう言い残して凛は椅子から立ち上がる。どこか名残惜しそうな表情で卯月の横を通り過ぎる際、一瞥だけして何も言わずに去っていった。

 

(…………なんで)

 

 それから三十分ほどだろうか、卯月は動けずにいた。

 

 卯月は分かっているのだ、凛がそんな薄汚い子ではないことを、楓もだが自分から何かを奪うような人たちではないことを分かっているのに、心は痛みを発し続ける。本当に汚いのは、他人を、他のアイドルを疑う事しかできない自分自身だと、内罰的なことだけを考えて落ち着けようとした。

 

(わかってる、わかってるよ……でもっ)

 

 凛に対して言い放ってしまった言葉はどうしても抑えられなかった感情の爆発だ。たった一言、それだけに今までの薄暗い感情を乗せて吐き出された恨み言。理解されるはずもない、卯月だけが感じてきた枷の重さがそこには込められていた。

 

(綺麗な場所だけを見続けてきた人たちにっ、私のこれまでを語られたくなんかないっ……!)

 

 卯月は滅多にしない貧乏ゆすりが止まらなかった。

 手に持ったままのチケットには輝く宝石のロゴがあしらわれている。凛はきっとライブでこの宝石のようにきらきらと輝くのだろう。卯月はそう考えた瞬間、自らが参加するプロジェクトのロゴの意味を理解した。あの茨は、自分に絡みつくこの黒い感情だと。花の意味こそ理解できなかったが、なんと醜いことかと渇いた笑いが漏れ出てくる。

 いっそのことチケットを破り捨ててしまおうかという衝動に駆られるが、その瞬間テーブルに置いた卯月の携帯がバイブレーションする。画面に表示されたLINEの通知バナーを見ればそこには美城の名前があった。

 卯月はよれよれとした動作でアプリを起動させ、そこに表示される文章を読む。

 

 

『先ほど言いかけた私個人の言葉だが、君には期待していることを伝えたかった』

 

 

 それを見た瞬間、自らの胸に手を置き拳を握りしめた。矢継ぎ早に送られてくるメッセージに次々と既読の文字がつき、流れ落ちそうになった涙をこらえる。

 

 

『島村の歓迎会で私に対して見せた覚悟、放った言葉、嘘ではないことを証明したまえ』

「っ……ぁ……」

 

 

 改めて覚悟ができたら連絡をしなさいと、そこで締めくくられた美城のメッセージ。携帯を胸へと抱き込み背もたれへだらんと身体を投げ出して見えるテラスの天井。

 

(……どうせこの人は、直接言うのはキャラじゃないからとか、思ってるんでしょうね)

 

 このタイミングで送ってきてくれたことに卯月は感謝をするしかなかった。消えかけていた彼女の心に再び火が灯る。

 待つだけだった自分をどうにかしたいと、凛に出会う前まで考えていたことを思い出した卯月。このチケットこそ、まさしくそのチャンスだろう。

 

(私がこのライブを見に行けばきっとまた、ひどいことを考える。それでも……この機会で動けなきゃ、同じことを繰り返しつづけちゃうんだ……そんなことをつづけるくらいなら……)

 

 

 卯月の、休日の予定が埋まった。

 

 

 




美城専務のウワサ
最近クローネの大槻唯にLINEの使い方を教わったらしい

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