美城専務に良い兆候が表れていることが嬉しいらしい
「島村卯月には笑顔を取り戻してもらおうと考えています」
「それはそれは。ついに彼のことを認める、そういうことかい?」
346プロダクションの本社は城の様な建築様相を見せる高層ビルだ。その最上階近くに位置する重要な会議を行う時のみ使用される会議室の一角で、美城専務と今西部長は対面していた。
「勘違いしないでいただきたい。確かに彼の手腕は評価をせざるを得ない部分があることは認めましょう。もし笑顔だけでこの業界に君臨し続けることができるのならばそれも是としますが、しかしそうではない」
常務から専務へと昇格した美城は机の上で書類を正しながら言い捨てた。考慮に値する部分があったとして、片方面だけで物事の全てを理解した気になるのは愚の骨頂である、笑顔とやらに業績を上げる一因はあろう、逆に言えば一因でしかない。
シンデレラの舞踏会が終わった後、美城の口から何度も聞かされている言葉を今西は苦笑しながらも聞いていた。
「しかしね、君はお城の様なきらびやかさを求めてプロジェクトクローネを立ち上げた。業績も順調に上げている、なのに次のプロジェクトを発足するなんて、それもたった一人に笑顔を取り戻してもらうためにと聞けば、彼の影がちらつくのは当然だよ。これは認めていると言われても仕方がないんじゃないかな」
「故に島村卯月です」
「ふむ?」
今西は疑問を隠さない表情で美城へと説明を求める。十年来以上の付き合いがある二人だ、今西は理解が及ばないのではなく、その真意を問いただすための視線を向けている。
「笑顔こそがアイドルをアイドル足らしめ、346へと還元されるのであれば大いに結構なことですが、私が信用するのはそこに生まれる経済効果のみです」
「つまり笑顔がどれだけお金になるか、そういう事だね」
「対外的なイメージはプロジェクトクローネが一身に担っておりますので」
つまり美城は笑顔を取り入れたならばどれほど業績へと還元されるのか、それを島村卯月を使って調べようとしているに過ぎない。更なる思惑として成功すれば武内プロデューサーを見返すことができ、失敗しても笑顔なんてそんなものだったと確認ができる、島村卯月は試金石でしかない。
「島村卯月君か……君が彼女をスカウトしてきた時はびっくりしたものだがなるほど、君の思惑からすればぴったりの役者と言うわけかい」
「採用にあたり島村卯月の事は調べました。元774プロダクション所属のアイドルランクF――最底辺アイドル」
アイドルランクとは大手音楽レーベルが協賛し、ここ数年で築き上げた販促用ランキングだ。CDの売り上げを主な要因としてファンの数を調べ上げ、月一で更新されるアイドルの能力を測る指標である。FからAまでのランクがありBランクまで上がれば晴れてトップアイドルの仲間入りだが、並大抵の売り上げではCに辿りつく事すら難しい。
346プロダクションですら顔役であると言える高垣楓と城ヶ崎美嘉の二人のみがAランクであり、他一部のアイドルがBランクにたどり着いていると言う状況、Fランクだった島村卯月のファン数など推して知るべしである。
美城は手元の資料を今西へと渡しながらノートパソコンを操作しプロジェクターを起動させる。会議室前方の大スクリーンに映し出されたのは島村卯月の何回目かのライブ映像だ、木造のステージが軋みスポットライトは揺れている、客席には空席のパイプ椅子が立ち並びライブの質だけで言えば最低最悪だろう。
「それでも本当に楽しそうに踊っているね。一生懸命に笑顔を振りまいて、ライブを見てくれている人達も一緒に楽しんで貰おうという気概が見える。武内君が欲しがる人材だろう、だけど今は……」
「起業直後の零細プロダクションが一年持ったのならば快挙でしょう。半年過ぎた頃にユニットでリーダー格のアイドルがヘッドハンティングを受けて退社、その後は転げ落ちるように他のアイドル達も抜けていき、倒産直前に島村卯月がドラマのオーディションに落ちました。丁度リーダー格が抜けたあたりからのライブを順々に見ればわかりやすいでしょう」
ホワイトボードに映し出された卯月のライブ映像、満開だった笑顔には影が差し始め、愛想笑いへと移り変わり、終期には媚びる様な笑顔、最期は見る者が見れば取り繕った笑顔だと分かる酷い表情。卯月が練習と称して鏡の前で続けていた笑顔で手に入れたのは笑顔の仮面だけだった。
「そして今は笑う事すらなく俯くだけ」
「入社時に受けさせたストレステストでは自信喪失状態と診断されています。アイドルという存在に対して軽いPTSDの兆候も見受けられますね」
「……僕から見れば、彼女は少しだけボタンを掛け違えてしまっているだけの様にも見える」
弱みを見せないように頑張ることは一人で抱えることの裏返し、信じようとする正直な心は騙されやすいという弱さへと繋がり、謙虚さは自信のなさを押し上げてしまった。全ての物ごとに置いて負の側面を押し出させるに至った卯月のアイドルとしての活動に、今西は同情、憐憫の声色ながらもまだ未来は残されていると言う。
卯月にとってアイドルとは希望であった、しかし現実を知り、裏切られ、見捨てられ、シンデレラとして輝くはずだった時間は彼女を縛る鎖へと変貌している。
「島村卯月にかけられたのは魔法ではなく呪いでした。
「美城君、それはつまり卯月君にはプリンセスとしての素質があると考えているんだね」
「否定はしません。今西部長が仰られたようにボタンの掛け違いはあるでしょう、正してやれば素養は無くもない、そう考えています」
美城は笑顔の力とやらを知る前であれば、卯月など取るに足らぬ小娘として見向きすらしなかったであろう。今西はこうしてスカウトから採用まで至ったのは偏に武内プロデューサーの影響がある事を感じ取っていた。
「少し安心したよ、しっかりと目にかけてあげているんだね」
「無駄なことが嫌いであることに変わりはありません」
例えば今卯月が地下牢に押し込められていると感じている小さなレッスンルーム、そこは普段他のアイドルがレッスンする別館とは離れており、自信喪失状態にある卯月が他のアイドルと比べられない、接触を極力避けられるようにと美城の配慮であった。
「いずれは関わっていくことになるでしょうが、今は自分のことに集中させ少しでも早くアイドルとして確立してもらわない事には先に進みませんので」
「非効率を嫌うところは昔から相変わらず……これはトレーナーからの報告書かい」
今西は美城から渡されていた資料を捲っていると数枚の束ねられた報告書に目を付けた。名前欄に青木麗と書かれている事を目ざとく見つけ、それを手に取り視線を上下させる。島村卯月育成計画と銘打たれたその書類には半月ほどの卯月のレッスン状況が事細かに書かれていた。
「マスタークラスのトレーナーを島村君一人に付けるとは、非効率は嫌いだと思っていたのだけれど、思い違いだったかな?」
「……専任にする価値があるとの判断です。その報告書を読めば分かるかと」
今西のちょっとした皮肉に対して、美城は元々吊り上がっている目尻をさらに上げながらも毅然と答える。その事に意外そうな表情を隠さず書類へと視線を落とす今西。
「これは――記載ミスではないのかね?」
「マスタークラスのトレーナーがそんなミスをするわけもありません」
その書類に書かれていたのは長年俳優やアイドルを見続けて来た今西を持ってして驚愕を隠せない事実であった。
「フィジカル面でウチの事務所最高と呼ばれる日野茜君、トップアイドルの城ヶ崎美嘉君に匹敵するレッスン量だよ、これは」
「彼女はこなしてしまうのですよ、それが普通でなければいけないと言わんばかりに。最初のうちは346基準で平均レベルのレッスンでしたが」
美城は無駄を嫌う、故に体力が続く限りレッスンをさせるのではなく、ライブで踊り続ける時間である二時間と決められた時間を必ず踊らせるようにトレーナーに指示を出していたのだが、日を追うごとにその内容はオーバーワークと言ってギリギリ語弊がある濃い密度のレッスンへと昇華していた。
卯月自身は346プロのアイドルならば二時間程度のレッスンでバテてしまっては駄目なのだろうと勝手に考えていたが、そもそもが二時間でバテさせるようにレッスンを行うような指示がなされているのだから当たり前のことなのだ、その事実に卯月が気づけるはずもなかったが。
「普通とは何だったかね」
「私には分かりかねますが、島村卯月がレッスンを完璧にこなさなければいけないと強迫観念に捕らわれている節があることは報告書にも書いてありますね。反面マスタークラスのトレーナーにも大きな期待を与えるほどに動けていることからも方針は現状維持を取る予定です」
「ふむ……」
今西は美城の言葉を聞き思案する。なるほど確かに島村卯月と言う少女は、美城から期待を引き出すほどの能力――いわゆる輝きを持っているのだろう。現在はレッスン漬けで体力面での価値を見出されているのみではあるが、体力は実際のライブでも重要な要素だ。二時間から三時間のステージで全編を通して精彩を欠かないダンスを見せられるのならばそれだけで強みになりえるのだから、加えて体力があるということはそれだけレッスンの時間、質も幅が効く。
トレーナーの報告書に記載されている限りではダンス、ボーカル共に現状の技術力で基準値を持っていて、ヴィジュアルに関して卯月の個性足りえる笑顔が無くなってしまっている面を加味しても中の上はある。
「ベースがしっかりとあるのは良い事だね、フィジカル面に関しては文句なしと言える」
「仰りたいことは分かります」
美城は今西の手から数枚の紙を抜き対面している二人が共に見えるよう机の中央に置いた。
「問題はメンタル面。先ほど申し上げた通りカウンセラーの診断では自信喪失状態、PTSDの兆候、本人の気質から鬱状態への移行が見え隠れしている……端的に評して、人前に出れる状態ではないですね」
「うん、そんな状態の彼女をステージへ立たせようとするなら経営者としても、人としても失格の烙印を押されるだろう。だからフィジカル面をトレーナーに任せ、君はメンタル面でのバックアップを行う、それがプロデューサーとしての役割だ」
美城は島村卯月をスカウトするにあたり346プロ会長とアイドル部門長である今西へ一つ宣言をしていた。プロデューサーの統括を行うのみであるプロジェクトクローネとは違い、島村卯月は美城が担当プロデューサーとなる事をだ。それを聞いた美城会長及び今西部長の表情は何があったのかと昨晩の食事内容まで聞き出す始末であることからも、珍しいを通り越してありえない域の出来事だった。
美城専務からすればやりたいことは明白で、ただ武内と同じ土俵での勝負を内心で描いているだけである。自らの疑問を解決するのに必要であれば非効率ではないと思考した結果でしかない。
ただ問題であったのはエリートコースを歩いてきた美城専務はプロデューサーの統括を行ったことはあっても直接の営業を行った実績が無いことだ。
仕事を取ってくること自体は346の影響力や彼女のネームバリューを使えばいくらでも用意できるが、ことアイドルの育成やバックアップという面で見ればノウハウはゼロに等しかった。故に必然的にノウハウを得るのは今西部長からと言う事になる。いつもなら独断専行ともいえる企画の推し進め方をするが、今回に限り卯月の報告書を今西へと見せ相談を行っているのはそれが理由だ。
「出来る限りの事は尽くしましょう。そのために三週間仕事の引継ぎを行っていましたので大分時間が取れます」
「君の本気具合を見れて良かったよ。今の島村君を事務的にプロデュースさせたくはなかった……そう受け取っていいんだね?」
「ええ、私にとっても丁度いい機会です。実際の現場を目にすることは微々たるとはいえ私の成長にも繋がる部分があります。島村卯月のみならずプロジェクトクローネの面々とも接する時間が取れることはあなたからしても喜ばしい事なのでしょう」
美城専務はプロデューサー業を下のやる事だと見切りをつけていたわけではない。単純に下の仕事を完璧に把握している時間があるのなら、上に立つ者として必要な技能を磨く時間を取ると選択したまでであった。エリートとして一足跳びに出世が可能な環境があったが故に、プロデューサーとしての仕事を書類上で把握していたに過ぎない。
「では時間が惜しいので失礼します」
「うん、君がさらに成長する事を楽しみにしているよ、島村君と一緒にね」
今西は常に好々爺然とした笑顔を浮かべているが、今この時に限って言えば思春期の娘の思い付きに困ったような、それでいて成長を喜ぶような、何とも言えない笑顔を浮かべていた。
美城は卯月がいるレッスンルームに向かうため重役会議室を出て一階フロントロビーまで降りる。メインエレベーターにはセキュリティの問題で地下へと繋がるボタンはないので、ロビーを経由して裏口付近の関係者用エレベーターまで移動する必要があった。
凛とした歩調でロビーを歩くと美城に気づいた者達から声がかかる、そんな者達へご苦労とだけ声をかける美城はその者達の中にシンデレラプロジェクトのメンバーが混ざっているのを見つけた、勿論武内も一緒である。
わざわざ態度を変える必要もないと他の者達と同じよう一声かけて横を通り抜けたが、聞こえて来た言葉に一瞬足を止めた。
「うっへぇ……やっぱり怖いねぇ」
「ちょっと未央、聞こえちゃうから」
「友達感覚では纏められる部分も纏められませんから、美城専務の接し方は私も見習わなければいけない部分があります」
「えー……プロデューサーがあんなんになっちゃったらあたしやだなー。ほらほら、いつもみたいに敬語抜きでさ!」
「今は衆人の目もありますので……本田さんはもう少し声のトーンを落としてください」
幾分歩調を緩め思案するようなそぶりを見せ再び歩き始める美城専務。
「敬語……」
そっと吐きだされた彼女の呟きは懐疑的なものを含んでいた。
なお後日、美城の事を「あんなん」などと評したシンデレラプロジェクトの一員である本田未央は上からの意向により不細工な着ぐるみを着て街を歩く仕事が振られたのだが、今日の出来事が関係しているかは定かではなかった。
武内プロデューサーのウワサ
最近は敬語無しの会話も慣れてきているらしい