笑顔が誰にだって出来るって本当ですか   作:コリブリ

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美城専務のウワサ
スカウトしたアイドルが予想以上の逸材で実はびっくりしていたらしい


第4話 地下牢の真実

「口調は友人と話す場合のものでいい」

「は?」

「その調子だ、タメ口での会話で問題無い」

 

 卯月は汗でぐっしょりと萎れたタオルを肩にかけたままぽかんとした顔で美城を見上げた。無理もない、所属する事務所の上司及ばず二足飛んで実質的なトップからいきなりタメ口で話せなど言われて素直に従える者がどれほどの数いようか。

 反射的に出た疑問の声を好意的に捉えた美城はどことなく上機嫌に見えるが気のせいにしたい卯月は両手を前に出しぶんぶんと振った。

 

「いえいえいえ!? 専務にタメ口なんて無理ですよっ」

「私が重役であるからとの理由であればいらぬ遠慮だ、今はプロデューサーとしての君の前に立っているのだから問題は無い。専務として接する場で弁えさえすればな」

 

 そも卯月からすればこの小さなレッスンルームに美城が出向くこと自体驚愕に値した。レッスンが始まってから三週間、最初の一日覗いたきり顔を見せることが無かったのだから何をしに来たのかとの思いもありつつ、ようやく諸々が終わるのかと考えた。用事を聞くため余所余所しい様子で立ち上がろうとした所に静止をかけられ飛び出て来たのが先の発言である、驚愕を通り越して理解不能であった。

 

「では段階的に慣らせばいい。まずは……そうだな、美城と呼び捨てにするところからか」

「無理です」

 

 お役所仕事よろしくきっぱりとした口調で断る卯月。

 段階的にも何もあるわけがない。アイドルと所属事務所のトップ、何があろうと埋められぬ溝がそこにはあるのだから。卯月が元所属していた774プロであれば物理的な距離の近さも相まってある程度フレンドリーに接することはできたであろう、それでもタメ口などきけるはずもなかった。そしてここは天下の346プロ、何が発端となりクビを切られるか分からないまま短絡的な行動に出れるほどの胆力は持ち合わせていない。

 

「では美城さんと呼べ、これ以上の譲歩は無い」

「……美城さん」

「ああ」

 

 卯月は気づかないがこれも美城の手の上だ。美城は最初から呼び捨ては無理である事など把握しているがタメ口から呼び捨て、最終的な落としどころとして名前で呼ばせることを想定していた。譲歩と言葉にすることで相手に負い目を感じさせる、無理やりであるし一歩引いた目線で見れば何を勝手なと言われてもおかしくはないやり方だ。負い目の塊である卯月相手だからこそ取れる強硬手段であった。

 美城も上手いやり方ではない事を理解しつつも余所余所しいまま壁を作られ心の距離が離れていくことだけは避けたかったのだ。パーソナリティとはかすりもしていないことも承知しているがそれが逆に今後の心理的な壁を壊すのに一役買う、最初にこのような劇薬を投与されれば並大抵のことならば動じなくなるだろう。美城は心理学を専攻しているわけではないがヒトを扱う上で学んできた人心掌握術の一つであった。

 

「さて、本題はそこではない」

「もう十分以上にとんでもないお話を聞かされた気がするんですけど……?」

「今のはただの思い付きだ」

「私は思い付きで上司にタメ口を強要されかけたんですか!?」

 

 卯月の心底疲れた顔を見て美城は内心しめしめと言った所であろうか、立場が圧倒的に上である美城に突っ込みを入れられる時点で壁は大分薄くなったと見ている。事実卯月も数言交わしただけであった美城への警戒心を大分和らげていた。要は踏み込んでいい領域を示してやればいいのだ、扱いとしては警戒心の強い猫に対するそれであった。

 

「今日は今後の予定を伝えに来た」

「今後の予定……私の、アイドルとしての活動予定、ですよね」

 

 コミカルな雰囲気は美城の一言で吹き飛ぶ。卯月は自分の進退がこの場で決まるのだと黙して沙汰を待つがその表情はかんばしいものではない。レッスンすら満足にこなせず三週間で成長を示せていない状況で今後の予定と言われれば更に隅に追いやられるのか程度の想像は難くない。全くそんな事実はないのだが心が弱っている卯月はいつかのオーディションで監督に冷めた視線で見つめられた時と同じ感覚を抱いた。

 

「予定は今のところ一つだけだな」

「……はい」

 

 このまま使い物になるまでレッスンしていろとでも言い渡されるのは大穴、退社用の書類を書けと言われるのが本命であろうと卯月の思考は最悪を想定して動き出す。身構えをより一層固くして肩を抱いた腕に力が入り震えながら俯いた。

 

「とりあえず歓迎会でもしようと考えている」

「は?」

 

 本日二度目のため口であった。

 

「CDデビューもステージも全て企画検討中だ、もうしばらくはレッスンになるが、まぁ君であれば心配はしていない」

「えっ……あの、私、デビューしてもいいんですか……それに、心配はしてないって」

 

 今後の予定として括ればレッスンを続行しろとのお達しであるが、美城の口からCDデビューやステージの予定は検討していると出た瞬間、一瞬ではあったが期待に満ちた瞳を見せた卯月。

 それを見た美城はやはりまだ芽は残っていると確信した。完全に心が折れているわけではない、アイドルという存在にまだ希望を見出せるだけの余裕が残っているのならばやりようはあると思考の片隅で今後の予定を組み立てる。

 

「分かってはいたが随分と卑屈なことだ、それも含めて歓迎会で話そうと考えていたが少しだけ説明しよう。心配していないと言ったのも言葉通り、三週間のレッスンであれほどの成果を出した君には期待している」

「だって私は、二時間程度のレッスンもまともにこなせていなくて」

 

 自己評価が著しく低い卯月を見て、美城は仕方がないと腰に手を当てながら呆れた様子を見せた。

 

「レッスン内容で気づくとも考えていたがトレーナーの報告でそのような素振りは見られなかったのでな、説明も兼ねて歓迎会、話し合いの場を設けることにした」

 

 美城は言葉少なく状況を淡々と説明した。そもそも二時間でバテさせる様なレッスン内容を指示していたこと、それについてこれるフィジカルの強さを持っていること、この三週間顔を見せなかったのは担当プロデューサーとして動くために仕事の引継ぎを行うためであったこと。

 

「謙遜は過ぎれば嫌味だ。過剰な自信を持つことは身を亡ぼすこともあろうが、適度な自信は行動に火を灯す、憶えておくと良い」

「や、え、だって、私は……ずっと、レッスンだけしてて、四年も前から、ずっとそれだけ」

 

 卯月は眼頭が熱くなるのを止められなかった。レッスンとは卯月が自らを語る上で避けては通れないものである。アイドルを目指し始めて最初の三年間は養成所でひたすら基礎を学び続けた、その甲斐があったと前プロダクションへスカウトされた最後の一年であってもアイドルとしての活動なんて小指の先程度で、一週間まるまるレッスンの時間などザラであった。ファンに笑ってもらうために、自らが目指す場所の為に、光の当たらない場所でただひたすら踊り、歌い続けて歩んだ道だった。

 

 たった五分のライブの為に一週間のレッスンをする日々であっても辛くはないと当時の卯月は言うだろう。だが心は全く満ち足りていなかったのだ、ファンを笑顔にすることが第一であった卯月にとってそれを表に出すことは恥ずべきことだと無意識に捉え、考えすらしていなかったが全力を出し切ってなお有り余る体力は不満となって心の奥へと沈殿していた。

 

 そのようなフィジカルを持っていて萌芽することなく埋もれてしまったのは偏にライブの時間であろう。零細プロダクションが取ってこれる仕事など長くても十五分程度のものであり、長きにわたるレッスン生活でついた体力を活かしきる場が用意されたことが無かった。

 346プロに比べれば養成所も774プロもレッスン資材が整っているとは言えなかったが、それでも体力と言う面に限定すれば努力は裏切らない。歌や踊りのレッスンに限らず筋肉質にならない程度の筋トレ、休日の走り込みは確かな物を卯月にもたらしていたのだから。アイドルとして活動を始めた一年はより一層レッスンに意味を持たせ、合わせて四年という歳月は少女を昇華させるのに十分すぎる期間であった。

 

「ありがとう……ございますっ……!」

「…………正当な評価を下したまでだ」

 

 今にも泣きだしそうな勢いで感謝の言葉を述べる卯月だが、そんな彼女を正面から見た美城は一瞬言葉に詰まった。本来の彼女ならば満面の笑みであったのだろう、だがそこにあるのは笑顔であっても素顔とは言えない取り繕った表情だ。フィジカルを得る代わりに失った物は大きい、美城は感極まった場面ですら媚びた笑顔をするようになってしまった卯月から目をそらすようにレッスンルームの蛍光灯を仰ぎ一呼吸を置いて告げる。

 

「逆に言えば評価は正当に下す。346プロダクション所属のアイドルとして、デビュー前のアイドルを基準にするならば君のフィジカルは驚愕に値するが、ダンスもボーカルも並みだ。現状の評価に甘えて成長が見られなければ私は容易く切り捨てる用意がある」

 

 締めるところは締める、増長して貰っても困るのだ。しかし切り捨てるとは言うがアイドル部門に限れば卯月を受け入れる先はある。美城にとって必要でなくとも、武内にシンデレラとして輝きを取り戻させるプランをそっと思考の片隅に置く。

 美城にとって彼に頼る事は癪ではあるが少なくとも切り捨てた所で益があるわけでもない、かけた費用分の回収くらいはさせなければいけないのだから使えないからといってすぐさま捨てられるはずもない。

 安全弁の存在を知るが故に弛むことは良しとしないため、わざわざ説明はしないが――

 

「……むしろ私の手腕が試されるか」

 

 美城の手によって笑顔を取り戻した卯月が武内がなした以上の成果を上げる事で当てつけとするのが目的なのだ。企業として利益を上げ、プロデューサーとしての腕も上となれば彼も暫くはおとなしくなるだろうとの考えは、それもこれも卯月の成長に掛かっていた。

 殆ど書類上でしかアイドルを見ない美城にとって彼女のメンタルを支えるという経験は樹海の道を行くが如く手探りな部分が大きい。前途は多難であるが、そんなことは今の地位にたどり着くまでに何度もあった。

 

「島村卯月、頑張りますっ」

 

 前向きな言葉ではあるが、何も考えていない思考停止にも捉える事が出来る卯月のその言葉を聞いて、美城は道の険しさを思う。

 あるいは彼ならば、こんな状態である卯月ですらも笑顔に出来ると言うのであろうか。

 

 

 




島村卯月のウワサ
最近はレッスンにより一層力が入っているらしい

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