笑顔が誰にだって出来るって本当ですか   作:コリブリ

9 / 13
日野茜のウワサ
友人が悩みを抱えているようだと城ヶ崎美嘉に相談したらしい


第9話 太陽と月の道しるべ

「いきますよー!」

 

 早朝の公園にてポニーテールに結んだ髪の毛を振りながらラグビーボールを構える快活な少女は、声をかけた相手に向かってボールを放る。

 放物線を描きながら落ちてくるボールをキャッチしたこれまたポニーテールの少女は危なげなくキャッチし、ともすれば不機嫌にも取れそうな微笑を浮かべながら投げ返す。

 

 キャッチボールを繰り返す茜と卯月の姿がそこにはあった。

 

 少女二人が野球のボールやゴムボールで身体を動かしているのならば微笑ましさもあっただろう、しかしラグビーボールを投げあっている絵面では微笑ましさどころか雄々しさすら感じよう。ただ一見すると少女たちには不釣り合いかと思われるボールでも、堂に入った構えとブレずに放られるボールをあわせて視界に入れれば感嘆を漏らしてしまう者もいるのではないだろうかと、それほどに手慣れた様子でキャッチボールは続く。

 

「せいっ!」

「っとと……ハッ!」

 

 放られるボールにあわせ掛け声はあれど会話はない。わざわざ会話をするような距離ではないだけなのだが、卯月の無表情は――微笑を浮かべているのだが――仲が悪いのではないかと勘繰らせるものであった。

 卯月を知らない者たちからすれば威圧感や不快感を覚えるそれもクールですね、クールに燃えているのですねなどと言ってのける茜の心中は中々に図太い。

 しかし茜の感覚は真正面から卯月を見た結果であり、ズレるどころか正当な評価とすらいえた、なぜなら今の卯月は楽しさを感じているのだから。

 

 その楽しさを感じられるようになるまで何があったのか。

 

 卯月にとって茜とのファーストコンタクトは勝手に内側に入りこんでくんじゃねぇと淑女にあるまじき口調になってしまいかねないものであったものの、次の日から始まった二人での走り込みや運動は悪くないと感じていた。あくまで悪くないだけで歓迎まではできていなかったのだが、一週間、二週間と続いていけば人は慣れる生き物であるがゆえ、段々と気にならなくなってくるものだ。

 また、茜と過ごす早朝の時間が非常に有意義な時間であったことも加味しなければならない。ラグビー部のマネージャーをやっていた経歴は伊達ではなく、何事にも全力前進猪突猛進な茜の運動に対する造詣はとても深かった。走る際に息が長く続く呼吸法、長時間の運動では使う筋肉を替えること、怪我の応急処置などなど、実にためになることを教えられたのだ。卯月が普段のレッスンにすら取り入れてみればその効果は一目瞭然であった。

 ただ卯月とてプロテインの効率的な摂取方法の話までされてしまえば渋い顔を隠せず、その際、茜に向かって体力づくりではなくて筋力づくりではないかと突っ込むとラグビー部男性用のメニューですねと返ってきたので無言で頬をむにゅむにゅとしたのは、つい先日の出来事であった。

 紆余曲折というほど何かあったわけではないが、何かあったわけではないからこそ、卯月は無駄に心を尖らせることもなく、出会った当初と変わらない関係――茜が一歩を踏み出し卯月が二歩下がれば茜が三歩進んで通り過ぎる、そんな関係を築けていた。

 そんな茜を見る卯月は意外だと思う。当初のイメージからして一歩を踏み出してくるどころか最初から全力トライを決め込んでくるような存在のはず、だった。だが三週間毎日顔をあわせて短いながらも会話を交わせば茜の気質も掴めてくる。

 

 本当に意外ではあるが、茜は大事な部分にまでは踏み込んでこないのだ。

 

 卯月は茜と出会ってから自分の部署すら紹介しておらず、同じ事務所であるのに通常のフロアやレッスンルームで出会うこともなく、公園だけで完結する関係でしかない。家はどこ、何歳か、趣味は――茜は何も聞こうとはしなかった。

 接しやすいその距離感を崩してしまうのが、嫉妬や劣等感という汚い感情を彼女に対して抱いてしまうのが、どうしようもないほど嫌だと感じてしまった。それから卯月は極力自らを語るのを避けるようになり、茜とともに行う運動においては何を憂慮するでもなく純粋に身体を動かす楽しみだけを感じられていた。

 そんな行き詰った関係でいいと前に進むことをやめた卯月は、ボールを投げ返す。それを受け取った茜は何かを確かめるようにボールをぺたぺたと触り、ふと卯月をみつめた。

 

「楽しいですか?」

「……? はい。身体を動かすのは好きですよ。ラグビーボールなんてこんな機会でもなければ触れませんしね」

「そうですか! 私も好きです!」

 

 茜からボールとともに投げられた質問の意図を掴み切れなかった卯月は、素直に思っていることをボールとともに投げ返した。

 

「何かいいことがあったんですか?」

「えっと、特には?」

「そうですか! 私はいいことありましたよ!」

 

 卯月はいつもと違うやり取りに違和感を感じる。普段はこの程度の会話であっても交わすことはなく、黙々とキャッチボールを続けるのみであったから。

 そんな違和感のせいか、卯月が投げたボールはすっぽ抜け茜の頭上を通り過ぎる軌道を描くが、少しだけかがみ膝に力を溜めた茜が大ジャンプで見事にキャッチする。

 

「とうっ!」

 

 茜は片手にボールを持ちながら広げた両腕でY字を作り着地し、軽く肩をまわすと、ぽんぽんとボールをもてあそびながら卯月へと喋りかける。

 

「こうしてお喋りするのは、本当は好きではないのでしょうか」

「えっ……と?」

「卯月ちゃんはお喋りが好きな子だと思っていました。ですが私がこうして喋りかけたとたんボールに迷いが生まれてすっぽ抜けてしまいました」

 

 卯月はその言葉の意味を咀嚼する。卯月がその問いに対して正直に答えるならお喋りが好きだ、それこそ一時間でも世間話をしていられるほどに。だがそれはアイドルと関係がない部分での話。

 卯月が放ったボールは今までにはなかった茜からのコンタクトに動揺してボールがあらぬ方向に飛んで行ったが、それを迷いと断じた彼女は何をもってそういっているのか。

 

「嫌いじゃ、ないですけど……それとボールに何の関係が?」

「キャッチボールは心と心の会話です!」

 

 卯月はええ、と小さく呟き怪訝な目を茜へと向ける。彼女からすれば何かを考えないために運動をしているのに、そこに会話が生まれるはずがなく、そもそも心の会話とはなんぞやと思い切り顔に出ていた。

 

「全部勘ですが!」

「あはは……」

 

 勢いだけしかない会話に少し引き気味に構える卯月はこういう子だからと最近は慣れ始めているが、ぐいぐい押し込んでくる部分は今でも少しだけ苦手意識があった。それはいつか心の内側に入り込まれてしまうのではないかと無意識のうちに遠ざけようとしているだけなのだが。

 

「……きっと卯月ちゃんは私にはわからない悩みを抱えていているのだと思います」

 

 茜には珍しく間を置いた語り出しだった、だからなのか、卯月はその先を聞きたくないと脳が警鐘を鳴らす。

 

 次にくる言葉はきっと今の卯月にとって望まぬ言葉。

 

 このままでいいじゃないか、今のままで、楽しく思えている今のままで立ち止まっていれば。

 

 境界線を越えて踏み込んでくるような、心の壁を削り取るような、今までならば越えなかった一線をなぜ今になってと思わずにはいられない卯月。やめてくれ、と声にならない叫びが喉元までせりあがり――もしかしたら彼女ならば、と水泡のような期待が押しとどめた。

 

 その瞬間、卯月は自らの叫びを止めた言い知れぬ感情を抱いていることに気づく。

 

 戸惑いは全身に伝播して声帯は固まり、叫びが出る前に茜の言葉が続いた。

 

「私は……目玉焼きには醤油なんです……」

「は?」

 

 コイツは何を言っているんだと、卯月は叫びを押しとどめるまでもなく絶句して声に出せなかった。

 

「言わなくても分かります! 卯月ちゃんはきっとケチャップとかそういうのでしょう……他人には分かってもらえない悩みですね……」

「普通に醤油ですよ!?」

 

 卯月の強張った全身から力が抜けていく、何が飛び出してくるかと思えばこんなことで、茜相手に身構えた自分が馬鹿らしくなってしまっていた。

 

「なんですと!? 読みが外れるなんて! ではお風呂で最初に洗う場所に悩んでいるとか?」

 

 茜はボールをわきに抱えたまま顎に手をやり真剣に考えているようであった。卯月の悩みが本当にそれらだと思っているのだろう。

 

「くすっ」

 

 とても小さな音であった。集中していなければ聞き取れないほど小さなそれが卯月の口から自然とこぼれでた。

 卯月は本気で悩む茜を見て、心を凍らせている自分が馬鹿らしくなって、一種の開き直りのような状態になっている。彼女相手に構えるほうが疲れてしまうから、適度に受けつつ、適度に受け流すくらいがちょうどいいのだろうと。

 それはここ半年の卯月にとっていつになく自然な態度であることには気づいていない。

 

「おお! 声に出して笑ってくれましたね」

「ええ……まぁ、茜ちゃんが面白かったので」

 

 どこか卑屈さがあった笑顔ではなく、何かをいつくしむような笑顔を茜に向ける卯月。本人に言えることではないが、大型犬がじゃれついてきたような感覚を抱き癒されていた。

 

「卯月ちゃんはもっと声を出して笑うといいですよ! いつもは声を出すのを我慢しているようだったのでそれでは気持ちよく笑えません!」

「……茜ちゃんの前で笑ったことなんてありましたっけ」

「いつも笑っているじゃないですか! 走り終わった後とか私よりシャトルランの回数が多い時とか身体を動かすのが好きなんだなーって思ってました!」

「…………」

「卯月ちゃん?」

 

 それは卯月をして驚愕に値することだ、茜に対して嫉妬や劣等感を感じていた心とは裏腹に運動をして疲れ切った身体は自然と笑みを作っていたのだろうか。

 

(ああ……)

 

 卯月は気づいた。

 自分は今でも誰かと一緒に何かをすることが好きなのだと。一人は寂しくて嫌だったのだと。だけれども、心はそれらを頑なに拒否する。好きなものがアレルギーで食べられなくなってしまった時、果たしてどうすればいいのか、卯月は解を持ちえない。

 

(私は……)

 

 どこまでも斜に構えてしまっていた自らを恥じいることしかできず、ふらふらとおぼつかない足取りで茜の元まで歩きだす卯月。

 あんなにもまっすぐに見てくれていた彼女に対して目をそらし続けていた卯月は何を言えばいいのかわからない。だからこそここから始めるのだと、一歩を踏み出せた。

 

「茜ちゃん……私は、島村卯月です。普段は346プロの地下レッスンルームで練習していて、プロジェクトには参加してないですし、アイドルランクもFで候補生のようなものですが……あと目玉焼きには醤油派です」

 

 出会ってから三週間、今までまともに自己紹介すらせずに付き合えていたのは豪放磊落ともとれる茜の気質からか、卯月の言葉を聞いた彼女は抱えたボールを地面へと置き、卯月と視線を交わす。

 

「私は日野茜です。アイドルランクはBですよ! 好きな食べ物はほかほかご飯! 好きな飲み物はお茶! 目玉焼きには同じく醤油っ! お風呂では胸から洗います! あと卯月ちゃんの友達ですっ!」

 

 茜は満面の笑顔で、卯月はわかりにくい笑顔で、笑いあう。卯月の表情がどれほど尊いものか理解はしていない茜であるが、だからこそ本来ありえないはずの笑顔を引き出せたのだろう。

 

「あとで、電話番号とかLINEとか……」

「いいですよっ!」

 

 卯月は自ら踏み出した。アイドルとしての格がどうとかそんな前提を無視して付き合える、友人といえる存在を得るために。

 

(眩しいなぁ……)

 

 ふとみた茜の笑顔は太陽の笑顔だった。

 先ほどやめてくれと叫ぶのを押しとどめた卯月が感じた感情は茜に対しての憧れだったのだろう。

 絶対に挫けないと思わせてくれる満面の笑みはまるで指標だ、迷い道にさしこむ一筋の光で、そんな彼女と大声で笑いあえたのなら、それはきっと凄い楽しくて、素敵なことなんじゃないかと卯月に思わせる。

 茜の笑顔は、卯月の凍った心を溶かす。それがたとえ氷山の一角だったとしても確かに溶かしてみせたのだ。

 

「そろそろ午前のレッスンが始まっちゃいますね」

「もうそんな時間ですか」

 

 二人は休憩と称してベンチに座り話していたが、気づけば早朝と呼べる時間は過ぎていた。

 

「……茜ちゃん、よければなんですけど――」

 

 卯月がいつも一人で辿るはずのお城へ向かう道には、二つの影があった。

 

 

 卯月が少しばかり晴れやかな気持ちで過ごせた次の日、そんなものはなかったと言わんばかりに無表情が極まっていた。

 隣には美城、その逆には今西、目の前にはクローネの面々、ここは別館のレッスンルーム。

 

(美城さん……これはちょっとハードル高いですって……!)

 

 美城が次のステージと称したのはダンスレッスンではなくこのレッスン見学であった。

 卯月も部屋に入って最初の内は見るくらいならばと高を括っていたが、こうしてレッスンが始まるとお腹の奥底にぐるぐるした何かが渦巻いていた。いわゆる乙女的リバースだけは避けねばとより一層表情がなくなる。

 

「調子が悪そうだねぇ。本当に駄目だったら言うんだよ?」

「いえ、これもお仕事ですので」

「そうかい……強い子だ」

 

 話しかけてきたのは今西部長。卯月にとっては美城と同じく雲の上の存在であることに変わりはないがその口調は優しいものであり今の気遣いも本心からの言葉であることが伺える。

 しかしだ、左右を上司に囲まれながら、ではお言葉に甘えてなどと部屋を出ていく勇気が卯月にあるわけもない。

 

「彼女たちももうすぐ休憩だと思うけど、ここまでの感想はどうかな。正直な感想が聞きたい、忌憚のないね」

 

 卯月は今西の問いに言葉を詰まらせる。流石346プロのアイドルたちですと褒めればよいのか、しかし忌憚のない意見が欲しいと望まれてあからさまな賛辞を呈するのもまた失礼だろうと考えを巡らせ、結局は本心を語ることにした。

 

「皆さん他人の持ち曲とは思えないほど動けていますね……ただ随分とゆったりしたレッスンだと思いました。長く続けることを目的としたレッスン、なのでしょうか……この調子だとあと四時間ほどダンスレッスンをして、ボイストレーニングで……と、大分身体に負担をかけてしまうのではないかと」

「…………参考までに、どうしてゆったりとしたレッスンだと思ったのか聞いてもいいかい」

「えっ……数曲踊ってからまとめて指示を出さずに、大きな指摘ではない部分で曲が止まりますし、時間をかけて一つ一つ矯正していくゆったりしたレッスンでは……?」

 

 卯月の答えを聞いた今西は一つ息を吐くと美城へと視線をやる。

 

「これがひと月の成果であり、今の島村卯月です。マスタークラスのトレーナーによる指導で二時間でバテさせるようなレッスンが標準になれば通常のレッスンは物足りなく感じるでしょう」

「クローネたちが行う今日のレッスンは追い込みだと聞いていたからハードなもののはずなんだけどねえ」

 

 卯月は上司二人の会話からこれが標準よりもハードなレッスンだと知る。美城から卯月が行っているレッスンは専用のメニューでありそれだけで誇れる内容だと聞いてはいたが、本当にその通りだとは考えていなかったのだ。

 というのも、卯月は先日電話番号を交換した茜と夜に長電話をしていたのだが、その折に茜や、茜と仲がよいアイドル(城ヶ崎美嘉)は卯月とそう変わらないレッスン量であることを聞いていたからだ。なお、比べる相手がおかしいということには気づけていない。

 

「ふう……すみません……」

「文香さん、大丈夫ですか」

「少し休憩にするか」

 

 卯月は休憩に入ったアイドルたちに気づかれないよう視線を向けた。鷺沢文香、橘ありす、両名のダンスを見ていて気になった部分は多々あれど、それを指摘するような立場ではないため静かに目線をそらす。ただ目ざとくそれを見つけた美城によってあらぬ方向へ話が進んだ。

 

「君も含め、我々は視察にきているんだ、気になったのなら指摘しにいきたまえ」

「無理です」

「胃腸薬はいるか?」

「なんで指摘しに行く方向で進んでるんですかね」

「……半年ほど前から手放せなくてな」

「その情報は知りたくなかったです……」

 

 卯月は行くしかないようだと美城との会話を諦め、休憩中の文香とありすへと近寄っていく。

 一歩を踏み出すたびに鉄球を一つずつ飲み込むような感覚を受けつつも止まらずに進み続けた卯月。もし茜との交友関係を持てていなければ、踏み込む勇気を茜から分けて貰えていなければ絶対に出来なかったことだ。ひと月とちょっと前、見るだけでも嘔吐感を催していたことに鑑みれば進歩どころか進化の域だろう。

 そっと二人へ歩み寄るが何と声をかければいいのか準備をしていなかった卯月は無表情で文香の後ろに立つ。文香とありすが目立った活動を始めたのはクローネ入りしてからのためここ半年ほどの話だ。自らの一年と彼女たちの半年は時間にすればその程度、されど埋めるには深すぎる溝がある。

 卯月はここにきて底辺にいた自分が頂点すら目指せそうな位置にいるクローネのメンバーたちに指摘をするなどおこがましいことではないのかと固めたはずの決意が崩れそうになるが、その時文香がぽそりとつぶやいた。

 

「一歩一歩、歩みは遅くても……歩き続ければたどり着ける、歩き続けなければ見れない景色がある……」

 

 文香がどうしてその言葉を放ったのか卯月は知るよしもない。しかし、そのたった一節の言葉は卯月の内側へと入り込んでいく。一歩進むだけで一年もかかった、だがそれでも進んだのだ。もし立ち止まっていれば美城のちょっと面白い面を知れはしなかっただろう、茜と友人にはなれなかっただろう、今卯月が立っている場所は前へ進んだ証拠なのだ。

 

(……進もう、前へ)

 

 卯月は今更怖がって何になると、握った手のひらが熱を持つ。ただそこまでは気概にあふれていたものの、文香とありすへ勢いでまくしたてた内容は憶えておらず、気づけば激しい動悸を抱えて美城と今西の間に収まっていた。

 

「うん……頑張ったね」

「ベテランクラスのトレーナーが正さないということは問題のない指摘だったようだな」

 

 一歩どころか半歩進めたかも怪しい内容だったが、卯月自らの意思で今をときめくクローネの面々へ話しかけあまつさえ指導すらできたのは、内面がいい方向へ変化してきている証左だ。

 

「私、文香ちゃんとありすちゃんに指導なんてしてしまったんですね……」

「私がプロデュースするクローネへの貢献だ、ひいては346のためになる。そうかしこまることはない」

 

 美城は表情を変えずにクローネを見据えるが、意識は確実に卯月へと向けている。言葉ではクローネのほうを重視しているように聞こえるが、よくよく噛み砕けば卯月すらも褒めている内容なのだ。

 そんな遠回しの褒め方しかしない美城であるが、意図はしっかりと卯月へ届いている。

 

(美城さん……ありがとうございます。私は、あなたのおかげで頑張れています)

 

 卯月にとって美城とは月である。目立ちはしないが薄暗い夜道を切り裂くよう、照らしてくれる。静かにそこにあり、明確な指標とはならずとも、確実に助けてくれる存在。

 ひと月前の卯月が見る世界はまっくらだった。一筋の光すらない道を歩かされ、いつ崖下へ落ちてもおかしくはない状況。

 卯月はそれを、もう違うと力強く否定できる。

 まっくらな世界に色の違う光を灯してくれた人たち……太陽と月が導く先は違えど、もう前はみえる。

 

「ふーん、随分と仲がいいみたいだね?」

「凛さん、とてもやさしい表情をしています」

「あとで何喋ってたか聞かせてくれよなー」

 

 それでも卯月にとって羨むものはある。

 もし774プロで上手くいっていたのなら……と、卯月は目の前で繰り広げられる同年代の少女たちによる仲睦まじい姿を自らへと重ねた。全てを失った彼女には眩しすぎる宝石だ。自分には不釣り合い、それでもみすぼらしい自らを着飾れるような、手を伸ばしたくなるもの。

 

(なんて、贅沢にもほどがあるかな……)

 

 羨む瞳はクローネたちを捉えたが、美城と茜の存在を思い出し、深く息を吐きながら天井を見上げる卯月。レッスンは終わり、美城と今西に連れられて部屋を後にした。

 346プロに所属するアイドルにとって卯月が行ったことは取るに足らないことかもしれない、しかし彼女にとっては大きな大きな一歩なのだ。何日も準備をして、震える手を無理やり抑えてできること。理解はされないだろう、卯月だけがわかっていればいい――茜にだけは報告しようと、夜の予定を一つ埋めたのだった。

 

 

 遠く遠くの舞踏会、太陽と月が照らす部屋の中、見遣るばかりのいばら姫、その呪いを解くものは。

 

 

 




美城専務のウワサ
卯月のボイストレーニングの相方探しに難儀しているらしい

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。