僕には友人がいない。
『できない』わけでも、『作らない』わけでもない。
それは存在しえないものなのだ。僕にとって。
毎日毎日、繰り返される退屈な高校生活。楽しくも…かといって、辛くもない。勉強も、運動も。大概のことは、器用になんでもできた。人間関係も、当たり障りのないことを言って、笑顔を張り付けていれば事足りる。
周囲を見て、いつも思う。
くだらないことでいちいち一喜一憂。泣いたり笑ったり、忙しい連中だ。
友情や恋愛。そんな実体もないようなものに振り回されて。
そんな風に感情を動かすほど、強く何かに執着する気持ちなど、正直ちっともわからなかった。
そこまでたいせつなものなど、とくにない。できるはずがないのだ。僕には。
だから、わからない。当然の事象、といえよう。
なぜかって?
僕は『ふつう』ではないから。
かといって、勘違いしないでいただきたいが、別に自らを卑下しているわけではない。しかたのないことなのだ。
そう。これからもきっと僕の人生はこんなものなのだ。
就職の為にそれなりの大学に進学して、食っていく為にそれなりの会社に就職して、社会的な体裁の為にそれなりの女性と結婚して家庭をもち……
そうやって生きていくのだ。
それでいいのだ。希望なんてない。ずっとこの空虚で色褪せた日々を、『それなり』に送っていくのだ……そう思っていた。
……あの日までは……。
1988年、初夏。
梅雨も明けた、一学期終業目前のある休日の昼下がり。僕はケーキと珈琲を囲み、両親と談笑をしていた。
時は数時間前に遡る。
全国統一模試なる、一般的には聞くだけでアンニュイな気分をもたらす……そんなものを他校でサラリと終え、帰路に着いていた。
その道中のことだ。
憂い顔で天を仰ぐ、一人の御婦人の姿が目に留まる。
外国の方だろうか? 綺麗な金色の髪と翠の目が印象的だった。
「……どうかされましたか? 」
なぜか素通りすることができず、気がつけば声をかけていた。
「帽子が、風に飛ばされてしまって……」
見上げると、街路樹に引っかかったそれを視認できた。
「娘がくれた帽子なんだけど。……母の日に、初めてのお給料で」
困ったように、微笑む。
たいせつなもの、らしい。
「それはいけませんね。
……僕がとってみましょう。少しお待ちください」
背伸びをし、上に手を伸ばす……ふりをする。
「……」
すると、僅かに届かなかった帽子はふわりと舞い上がり、僕の手元におさまった……ようにみえただろう。この方には。
「……どうぞ。
風とは気まぐれなもの……
時に悪戯をすることもあれば、その逆もあるようだ」
「……。ふふ、そうね。そのようね。
ありがとう」
「では、僕はこれで」
「あ! 待って。……お礼をするわ」
「ただいま。はい、これ。」
帰宅後、頂いたものを母に渡す。
―「そんな。お礼だなんて。……僕はなにもしていないので」
「娘がアルバイトをしている店が近くにあるの。
その売り上げに貢献してあげると思って。ね? 」―
そして御婦人は、顔に似合わぬ押しの強さで僕に箱を押しつけ、それこそ風のように去って行ってしまった。
「あら! じゃあ、お茶にしましょう! 」
と、これが、このティータイムに至るまでの経緯、というわけだ。
見た目にも綺麗な皿の上のそれを、フォークでひとさじすくって、口に運ぶ。
(……美味い)
―「気にいったら、御贔屓にしてあげてね」―
なるほど。たしかに、押す勢いと比例するかの如く、大変美味であった。
ちなみに御婦人の目論見通り、これを機に、しょっちゅう母はこの店を訪れるようになった。
「典明、すきでしょ? ここのケーキ」……と、毎回なぜか、そういいながら。
まぁ、……まちがいではないわけだが。
「しかし、休日にも模試とは学生も大変だな。夏休みも忙しいのかい? 」
「まぁね。流石、高二ともなると模試や課外授業が多くて嫌になるよ」
「あら、そんなに根を詰めなくてもいいのよ?
やりたいことができる、行きたい大学に行けばいいわ」
こんな僕だったが、両親との仲は決して悪くはない。むしろ、(他家の事情など知るべくもないため推測に過ぎないが……)思春期の高校生男子にしては、良好な方なのではないかと思う。
そして、先程、ああはいったが……無論、この、やさしい両親のことは、感謝とともに、それなりにちゃんと……深くおもっている。
同時に、もうひとつ、例外をおもいだしたが……それを語るのはまたにしよう。
「勉強ばかりじゃあ疲れちゃうわ。
たまには息抜きもしなきゃ! ねぇ、あなた? 」
「そうだな。おまえの誕生日もあるし、家族で旅行でもしようか。
どこか行ってみたいところはあるか?」
* * *
8月某日。エジプト、カイロ市街。
「……はぁ、はぁ……こ、ここまで、くれば……」
何度も何度も後ろを振り返る。全力疾走によるものだけでは決してない、冷やかな汗が全身をぐっしょりと濡らす。
「なんだ……!? 『あれ』は……! なんだったんだ……」
直感的に…本能で、察知した。
『あれ』は…やばい、と。
父の公約通り、僕の17歳の誕生日祝いを兼ねた家族旅行は実現した。
行先は、エジプト。
幼少の頃から、職業柄海外への出張が多かった、かつ旅行好きな両親のおかげで大概の国には訪れた経験があった。ゆえに、どうせなら今まで行ったことがない国にしょう……理由などそんな些細なものだ。
クフ王のピラミッド、ギザ台地、古代博物館といった観光地はあらかた巡り、遥か悠久の流れを汲む、神秘的な文明や歴史に触れ……奇妙な畏怖が隙間なく僕を取り囲んだ。
そうして、忘れもしない。その、夜のことだった。
「……」
何度も寝返りをうつ。
枕が変わったからだろうか。壁に掛かった時計の秒針が時を刻む音がやけに耳についた。
「はぁ……」
諦めたように、溜息まじりにベッドからゆっくりと身を起こす。
そして、すでに寝息を立てている両親を起こさぬよう、ホテルをそっと抜け出した。
深夜。さすがにこの時刻になると、人っ子一人いない。
……狙い通りだった。
しんと静まり返る煉瓦造りの道をあてもなくぶらつき、日本でいうなれば歩道橋のような、眼下に広がる街を一望できる、小高くちょうどいい場所をみつける。
おいおい、治安は?
夜の外国で独り歩きをするなんて……と思われる方もいるかもしれない。
御心配、御忠告には感謝する。が、言っただろう?
僕は、『ふつう』ではない、と。
「……出ろ」
『相棒』を呼び出す。
きらきらひかる、みどりいろ。
やはりこの漆黒の空に、よく映える。
そんなことをおもいながら、ぼんやりと闇夜に浮かぶ彼を眺めていた。
先程言いかけた、例外。
それは、こいつだ。
物心ついた時からそばにいる、僕の、分身。……半身。
僕にしか、みえない。
僕にとって唯一の……『友だち』
なにをするでもない。
いうなれば、そのように、ただ、異国の夜風に当たって、ひとり……いや、ふたりで物思いにふけりたい気分だった。そんなところだろうか。
……それが、すべての間違いだった。
「はぁ……はぁ……」
「ひどいじゃあないか……顔をみるなり、逃げ出すなんて」
「ハッ!? 」
驚き、顔をあげると、信じられないものが己の目に飛び込んでくる。
そこには確かに振り切ってきたはずの……先程声をかけてきた怪しい雰囲気を纏った男が不敵な笑みを浮かべ佇んでいた。
長くウェーブのかかった金髪に、暗闇に浮かび上がる陶磁器のように白い肌。その男はギリシャ神話に出てくる彫像のように、気味が悪いくらい整った外見をしていた。
その完璧さが逆に『人でない』ことをありありと示しているようで、背中におもわず寒いものが走った。
闇夜に光る、真っ赤な二つの目が、値踏みするように僕を見ていた。
かと思いきや、奴は気づけばいつのまにか、なにかを手にしていた。それをパラパラと捲りながら、言う。
「花京院典明君……と、いうんだね」
「なッ!? 」
(それは僕のパスポート!? ど、どうやって…?)
肩から下げていた貴重品を入れた鞄。それがいつのまにか消えていた。
カツリカツリ、ゆっくりと尖った靴先を鳴らしながら、奴はこちらに近づいてきた。
「え……! あ……! く、来るな! 来ないでくれ……! 」
生命の危機を感じると、交感神経の働きによって、心拍数、呼吸数の上昇、毛細血管の収縮……いわゆる鳥肌、といった具合に人体には様々な変化が生じる。……と、いつぞや生物の授業で習った。
まさか、体感するはめになるなんて。
今すぐ、再び逃げ出したかった。しかし、それはかなわなかった。
全身がなにか、みえないちからによって圧迫固定されているかのように動けなかった。
「ば、化けも……う、……ぐっ……」
胸が焼け付く不快な感覚。
こみあげてくるものを抑えきれずに地面にぶちまける。
同時に苦味、酸味……毒や腐敗したものを見分けるために発達したといわれている……危険を身体に教える味覚が口腔内いっぱいに広がる。
「おやおや、ゲロを吐くほどこわがらなくてもいいじゃあないか……」
こんな醜態を晒したのは…生まれて初めてだった。
「安心しろ。安心しろよ、花京院」
そんな僕に、本物より本物らしい……厚塗りの優しい声が届く。
「……恐れることはないんだよ。『友達』になろう」
口の端をニヤリとあげ、いう。
駄目だ。うなずいては駄目だ。
逃げろ。いますぐに、ここから逃げろ。
理性と本能。両方からの警鐘が頭に鳴り響きっぱなしだった。
「あ……、……ああ……」
しかし、『死にたくない』
今の僕にとって、他に、それに勝る感情などなかった。
小刻みに震える顎を叱咤し、どうにか縦に動かす。
すると、それを心底楽しそうに見下ろすと、男は言った。
「くくく、よかった。
じゃあ、これは、友情の証……だよ。
受け取ってくれたまえ。」
奴の指先には、鋭い棘をもつ、節足動物風の、『なにか』……
「!? 」
それをゆっくりと僕の額に突きつける。
「……うわぁああ!!なにをする気だッ!!」
うねうねと蠢く、気色の悪いものが、眼前に迫る。
「……や、やめろ…ッ! たのむ……! やめてくれッ……!! 」
「どうした?
それが『友だち』からのプレゼントを受け取る時の態度かな?
くく……くくくくく……! 」
「……うぐぁああああ!! 」
「……これで、『安心』……できただろう? 花京院」
「……」
「ゆっくり、眠りたまえ……
あとでちゃんと、おこしてやるよ。」
「『そのとき』が来たら、な……
……くく、くくく! ふははははは!! 」
気がついたら、ホテルの両親のいる部屋だった。
ぼんやりとしか、記憶がなかった。
あれはきっと、わるいゆめでも見ていたのだ。
そう思った。
……いや、思い込もうとしていた。
僕の自尊心が、必死にあの記憶に蓋をしている……そうだったのかもしれない。
事実、それからしばらくは、なんの変哲もない『日常』を過ごした。
しかし、夏が過ぎ、秋も深まってきたある日のこと。
その日、は突然訪れた。
―めざめろ……―
―時が来た……―
―行け……―
―……殺せ……!! ―
「……わかりました。かならず……」
(あ……!? え……!? )
「く、くく、くくくくく……! 」
奴の『言葉』が、頭の中に響いて以降、『僕』の身体は乗っ取られたようにその自由を失った。
「……おはよう、父さん、母さん」
「おはよう、典明」
「おはよう。朝ごはんできてるわよ」
「ああ、……いただきます」
ちがう……。ちがうんだ。
『それ』は僕では、ないんだ……。
「おはよう。花京院」
「……おはよう」
「英語の予習やってきた? オレ今日当たるんだよなー」
「花京院君、おはよう」
「……おはようございます」
気づいて……くれ…
どうして……だれも気づいてくれない……?
しかし、気づくものなど、だれひとり、いなかった。
僕の、『異変』に……。
両親、学校の人間……だれも。
……報いなのだろうか……
みえないにんげんと、心をかよわせられるはずなどない。
諦めていた、その……。
「転校? 」
「え? こんな時期にか? 同じ都内なのに……」
「どうして? 今の学校もいい学校じゃない」
「……必要なカリキュラムが、充実しているんだ。
駄目なんだ。どうしても……」
『自分』は両親に訴える。ある『目的』のために……
「……あの学校でないと」
「典明がそんなに強く希望を言うなんて、めずらしいわね……」
「そんなにいうなら、もちろん、かまわないが……」
「ありがとう、父さん、母さん……」
着々と計画通りに事が運ぶ中、『自分』は
「くくく……」
頭の中に、その声がざりざりと不快な振動となって響く。
「これでターゲットの高校に侵入する準備は万端だ」
「……悔しいか? 」
「おまえの身体は、すっかりわたしの支配下だ。
だれも気づくことなど、ない……だれも、な」
「通常は、元の意識など、欠片ほども残さないそうだがな……
今回は特別らしいぞ。よかったな」
「あのお方の命令だ。
お前にとくと、みせてやれ……とのこと」
「……大切な『友だち』の雄姿をな! ククククク……!! 」
「すべてはおまえが悪いのだ……
脆弱な
「せいぜい呪うがいい……己の弱さを!! 」
もうすぐこのお話も完結です……が、性懲りもなく次回作も本作品にちなんだものにする可能性が高いです。どんなのだったら、また読んでやってもいいぜ? と思って頂けるでしょうか?
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読んでほしいなら死ぬ気で全部書きやがれ!