――あ……。まっ……――
かすかにきこえたそのこえに振り返ることなく、僕は部屋を出た。
ドアの前で、ため息をつく。
「はぁ……。」
「……花京院さん」
するとそこには、珍しくしおらしい様子で少女が立っていた。
「アンちゃんか。
彼女、目を覚ましたよ。行ってあげるといい」
微笑みながらそういうと、躊躇いがちに、こう尋ねられる。
「喧嘩、したの……?」
どうやら聞かれてしまっていたようだ。苦笑いを浮かべる。
「……まったく、困ったひとだよ。
ちょっとはあのひとにもお灸をすえなきゃね。じゃ、また」
「……」
なにか言いたげな、複雑な表情を浮かべる少女にそれだけ言い残し、僕は長い廊下を歩きだした。
* * *
(あーあ、怒らせちゃった。しょうがないよね。私が馬鹿なんだから……)
彼が出て行ってしまったドアを、ぼんやりとみつめる。
はじめてだった。ほんとうに……怒っていた。
(……あとで謝っておけばいいよ。今まで誰かと衝突しかけたときみたいに。
それで、きっと支障はないし)
(……せっかく、少しだけ仲良くなれたのかなっておもったのにな。
また、同じ失敗して……そりゃあそうだよね)
(……友だちって……いってもらえたのに……)
「……」
(やっぱり、私……駄目なんだ……)
(そうだよ。無理なんだよ。
ひとと本当に、心から接するとか……私なんかには)
(……仕方ない、よ。諦めよう。
今までとおなじ。何も変わらない……、……だいじょ……)
「……。あ……、れ……?」
手の甲が、つめたい。
ぽたりぽたりと、こぼれ落ちてくる、雫のせいだった。
「……う……っ」
気づいてしまうと、もう止めることなどできなかった。とめどなくあふれて流れるそれを。
(……い、やだ! やだよ……! そんなの……)
(この旅では、違うって……! そんな自分変えたいって……!)
「っく……、う……」
(……でも、もう、遅いのかな……)
そのときだった。コンコンとノックの音が響く。
「は、はい!」
あわてて涙をぬぐいつつ返事をする。
ドアが開くと同時にノックの主は飛び込んできた。
「お姉さん!」
「アンちゃん!」
「……泣いてたの……?」
少女はこわごわ、尋ねる。
「う、ううん!」
「隠してもバレバレだよ……。花京院さんに怒られたんでしょ?」
「……」
どうやら聞かれていたようだ。恥ずかしく、そして彼に申し訳なく思いつつも、もう否定する気力がなかった。
「……あはは。私が馬鹿だから。とうとう、呆れられちゃった……」
事実なのに。口に出すのがこんなにつらいとは。
また浮かんできた涙を堪え、隠すようにうえをむきつつ、努めて明るくいう。
「はぁ……、なにいってるのさ……」
すると椅子に座りつつ、アンちゃんも、呆れたようにため息をつく。
「……お姉さんが崖からおちたあと、すごかったんだよ! 花京院さん」
「え……?」
「名前絶叫したかと思えば、自分も飛び降りていって崖の下からみつけてきてさぁ……。
かっこよかったよ! お姉さんにも、みせてあげたかった」
「そ、そう、なんだ……」
「それに……病院に着くまで、ずーっと壊れ物扱うみたいに抱きかかえてたし……。
……すっごく心配してた。
花京院さん、本当に大切なんだね……お姉さんのこと」
「……!」
胸が……ぎゅうっとしめつけられる。ざわめいて、とまらなかった。
「あーあ、うらやましいなぁ。あたしも好きなひとに、あんな風に想われてみたい」
「! い、いや、だから、そんなんじゃ……」
「はいはい。もう、いいかげん素直にみとめればいいのにさー」
「……」
うつむいている私に、アンちゃんは続ける。
「……あたしね、明日の便で香港に帰ることにしたの」
「え!? ……そっか」
顔を上げる。さみしいが……しかたがない。たしかにその方が、彼女のためだ。
「あたし、みんなに会えてよかった! またいつか、会えるよね?」
「もちろん! 日本にも遊びにきてね」
「うん! 楽しみにしてる!」
「私も……アンちゃんに会えてよかった」
「うん!」
立ち上がる少女と、握手を交わす。
永遠の別れなどではないはずだ……きっと。
「……あ、ケガしてるのにごめんね! ゆっくり休んでね」
「うん、大丈夫だよ。ありがとう」
「あ……」
そういうと、思い出したかのように、少女がいう。
「お姉さん、あの……」
「なに?」
「あのとき……あたしを庇ってくれて、……ありがとう!」
「……! うんっ!!」
その笑顔が、言葉が……とても、うれしかった。
「……ほんとだ。……すごい……」
すると、なぜだか驚いて呟く彼女。
「? なにが?」
「あのね、実は……病院に着いて、検査が終わったあとね……」
――「花京院さん。さっきは、ごめんなさい……」
「いや、僕こそ。ひどい言い方をしたね。すまない」
「ううん」
「……正直に言うよ。……少し、八つ当たりをした」
「ううん、ほんとのことだし。
それに、気持ち、わかるから……」
「……ありがとう」
「わたし、香港に帰るね。」
「ああ……」
「でも、もう少しだけ。お姉さんが目を覚ますまで、一緒にいてもいい……?
ちゃんと、謝りたいの」
「……。……『ありがとう』で」
「え……?」
「言うなら、『ごめんなさい』じゃあなくて、『ありがとう』のほう、言ってあげて。
このひと、そのほうが、きっと喜ぶから」
「! ……うん!!」――
「……っ!」
「なんでもわかっちゃうんだね。早く仲直りしなよ! じゃあね!!」
そういって、部屋を出ていく、少女。
「……うん……」
もう、抑えられなかった。
再び頬を、一筋の涙がつたっていった。
* * *
「はぁ……」
(なんなんだ……! あのひとは!)
自らを自らで蔑む言葉と行動の数々。いいかげん耐え切れなかった。
(まったく、自分は頬に擦り傷作っといてよく言うよ。傷痕が残ったらどうするつもりだ!
まぁ、僕は全く気にしな……)
「って、ちがうッ!」
なぜか浮かび上がってきた変な思考に、あわててかぶりを振る。
(……だ、だいたいだ! 何度も、あんなに言っているのに……。
そうだ! 僕は言ったはずだ。次に同じ事をしたら本気で怒る……と。くそ!)
ひとり、考えたくて、やってきた病院の屋上。
(どうして伝わらないんだろう? ……どうしたら、伝わるんだろう……)
彼方に臨む山稜も、日が傾いているためか、はたまた霧でもかっているのだろうか……ぼやけていてみえなかった。
(そもそも、なぜあのひとはあんなに他人のことばかりで、自分のことはなおざりなんだ?)
手すりにもたれ、おもいかえす。
(……「そうしなきゃ、私なんて」、か。何か、あるんだ……きっと。
そういえば、あのときも……。あのときも……か。なんだっていうんだ……いったい……)
「あ……」
はたと、気づく。
(知りたい……のか? 僕は……)
(そうだ、僕は……知りたいんだ。彼女のことを……もっと)
しかし考えても考えても、わからない……掴めない。
……まるであの雲のようだ……なんてありがちな表現が浮かんで、おもわず苦笑する。
(それにしても、この僕がこんなに人間関係で悩むことになるなんてな。
今までは、当たり障りのないことを言っているだけで、問題なくやってこれたからな。
というか、そもそも……)
「……」
(……しかし、ちょっと言い過ぎただろうか。
……泣きそうな……かおをしていた……)
ずきりと胸がえぐられる思いがした。
あんなかおなんて、させたくなかったのに。
(はっ! い、いや、少しは反省してもらわないと!)
必死に打ち消す。
(この先もっと危険が増える。というか、あんなんじゃあ僕の胃がもたん!
いいんだ! しばらくはほっとくんだ!)
つい、ほだされてしまいそうになる、自分をどうにか叱咤する。
そのときだった。
ふわり……と美しい鳥が僕の眼前に舞い降りる。
「……せ、セシリア!? どうした!? まさかあのひとの身になにか!?
……あ……」
あわてて、そう問いかけている自分に気づき、呆れてしまう。
「い、いやいや! ほっとくんじゃあないのかよ!! なんなんだよ!!」
頭をかかえる。本当になんだというのだ。
こんなに自分以外のだれかのことが気になってしょうがないなんて……
こんなに自分以外のだれかのことで頭がいっぱいになるなんて……
こんなこと……はじめてだ。
「……」
かおをあげる。
夕陽が眩しい。
「……あーもう! ほっとくとか、できるかッ!!」
振り返り、駆けだそうとした矢先だった。
「はっ!」
階段への出入り口。
その重い扉が、激しい音を立てて開かれていく。
「はぁ、はぁ……いた……」
そこには、この綺麗な鳥の主が、息も絶え絶え、立っていた。
* * *
「……。いかなきゃ……!」
(どうしよう……私、やっぱり馬鹿だ。全然、わかってなかった……)
「セシリア! ごめん、どこにいるのか探して!」
相棒を窓から放つ。
(もう、行っちゃったかな……? ……でも……!)
ベッドから降りる。
「いった……!」
接地した瞬間、右足に鋭い痛みが走る。
「っ! それどころじゃあ……ないって……!」
そんなこと気にしていられなかった。
さっきから別のところの方が、よっぽど痛い。
(もう、遅いかもしれないし……傷付く、かもしれない……)
ドアを開け、廊下に出る。
(けど……それでもいい……! このまま、なんていや!)
(……逢いたい!)
そのきもちに呼応するかのように、相棒が届けてくれる。
「……屋上だ!」
* * *
(ずっと……恐かった。ひとと深く関わるのが……)
おもうように、動かない足が、もどかしい。
ひきずりながら、手すりを頼りに、階段を上がる。
(わかってもらえる、はずなんてないと……思っていた)
おもうように、動けない、臆病な自分が、情けなかった。
……ずっと、大嫌いだった。
一度の失敗で、すべてを諦めていた。
ひとを、……そして、なによりも自分を……信じられない。
……そんな弱い自分が。
(でも……。それでも……、私は……!)
諦めたく、なかった。今度ばかりは。
そして、近付きたかった。少しでも。
乗り越えようと、取り戻そうと……
まっすぐで、強い……彼に。
たどりついた、屋上への扉を、開ける。
傾きかけた陽の光が一気に差し込んでくる。
まぶしさに、おもわず目をそらしそうになる。しかし、そのなかに、たしかに、みつける。
「はっ!」
「はぁ、はぁ……いた……」
「仁美さん……」
* * *
「花京院くん、あ、あの……」
「……どうしたんですか?
大人しくしてろって、言ったでしょう」
「う、……えっと、その……」
(ど、どうしよう……今まで、喧嘩したこと、ないから……
どうしたらいいのか、わからないよ……)
「……ご、めんなさい……私、私……!」
「……」
(わからない……けど、これだけはちゃんと、言わなきゃ……。
このひとには……私の、ほんとうの……!)
「私……。今までずっと、こんなだったから……。わからない……。わからなくて……」
「……」
「あんな風にしか、できなくて……ごめんなさい。私には、それしか、ない、から……。
でも……!」
「……心配かけて、ごめ……。
ううん……心配してくれて……ありがとう……。うれしかった……」
「……。」
「それだけ……です。じゃあ……」
(あぁ、上手く、言えない、よ……)
これでは結局、謝っているだけではないか。
ちがうのに。全然、それだけではないのに。
また、涙がにじんでくる。
俯きながら、振り返り歩き出そうとした。
「……まって!! まつんだ!! 」
瞬間、その言葉とともに、腕をぐっと掴まれる。
「あ……。」
驚き、振り返る。
「……どうして、ですか……?」
「え……?」
「なぜ、あなたはそこまで……。
自分を犠牲にしてまで、他人を護ろうと、するんですか……?」
「……」
「それに、なんですか?
……私にはそれしかない……って。
なにか、……あるんですか? 理由が……。」
「!?」
(り、ゆう……?)
あたまにうかぶ。
冷たい視線、蔑む視線、拒む視線……
(そんなの……
いいたく……ない……
きらわれたく……な……い……
こわい……いやだ……)
「……仁美さん?」
「はっ!」
我に返る。
いま、めのまえにあるのは……ちがった。
心配そうに、真剣にこちらを見据える……
あたたかくて、やさしい……ひとつのまなざし。
それだけ……いや、それが、あった。たしかに、あるのだ。……ここに。
深呼吸をする。
「……私……、護れなかったんだ……」
* * *
小学校の、五年生……セシリアが初めて出てきてくれて、三年くらい経ったある日のこと。
「おーい!」
「まってぇ!」
ひとり帰路に着く、私を呼ぶ声に振り返る。
「ああ、二人とも、どうしたの?」
クラスメイトだった。
しっかりもののA子ちゃんと、そのお友だちのおっとりしたB子ちゃん。
「一緒に帰ろーよ」
「もう! なんでいつもひとりで先に帰っちゃうのよ?」
「……ごめんごめん」
この仲良しコンビは、なぜか、ありがたいことに、私のことをいつもよく気にかけてくれていた。
「また蝶々追いかけてたらつい……。とかいうんでしょ?」
「あはは……バレた?」
「ほんと、わけわかんないんだから……。クラスでいちばん頭いいくせに……」
「まぁまぁ、そこがこの子のおもしろいところじゃない」
「まあねー。はぁ、あたしたちも大概かぁ……」
「……」
絶対に知られてはいけない……わかってもらえるわけのない、秘密。
それがある私には、彼女たちを友達だなんて思う資格はない。
しかたのないことなのだ。
そのぶん、自分にはかけがえのないものがあるのだから。
それでいいのだ。
そう、思っていた。
……はずだった。
でも、私は馬鹿だったんだ。
きっと、どこかで、思ってしまっていたんだ。
ふたりだったら……。いつか……
……わかってくれるんじゃあないかって。
「どうしたの?」
「……ううん」
「じゃ、行こー」
三人で歩き始めて、すぐだった。
「よっしゃー!」
「次、おれな! おれ!」
「あれは……。」
「うちのクラスの馬鹿男子どもじゃない。またあんなとこで……」
下校途中にある、踏切。
そこから線路に入り込んで、なにやら悪ふざけをしながら遊んでいるようだった。
「ちょっとひとこと注意してくる!」
そんなA子ちゃんのことを、B子ちゃんはなんでもおみとおし。
「……とかいっちゃって、あいつと話したいだけでしょー?」
「そ、そんなことないもん!」
「わかりやすいんだから……ふふ」
「ふふ……!」
(……いいなぁ)
好きな男子、とか、それをからかう親友、とか……。
そんなことを思いながら、羨ましく、微笑ましく二人のやり取りを見ていた。
……それが……あんなことになるなんて。
「ちょっと! こんなとこで遊ぶのやめなよ! 危ないよ!」
「なんだよ! いっつもうるせーな!」
「なによ!」
そんなふたりに飛びかう、野次。
「ひゅー! いっつも熱いな、おふたりさーん!」
「う、うるせぇな!」
「あっ!」
照れ隠しのためか、突き飛ばす。
よろけて、倒れる彼女。
「ふ、ふん……!」
「逃げろ!」
そのまま線路の外へ皆逃げていく男子たち。
「なにするの!?」
私とB子ちゃんはA子ちゃんの元に慌てて駆け寄る。
「だいじょうぶ?」
「いたた。うん、……大丈夫……。」
そのときだった。カンカンという音が鳴り響き、ゆっくりと遮断機が降り始める。
「あ、電車来ちゃう……早く出なきゃ。」
彼女の手を取り起こそうとした……が、大変な事態が発覚する。
「あれ……。あ、足が……抜けない!!」
「な!?」
(う、嘘!?)
「ど、どうしよう……! ちょっと、あんたたちも手伝ってよ!!」
B子ちゃんが男子たちに向け叫ぶ。
「え……?」
「お、おまえいけよ!」
「お、おまえだろ? 悪いのは!」
しかし、彼らは一様にこんな調子だった。
「……ちょっと、痛いかも……ごめん!」
「い、いたたたた!」
まずいことに彼女の足はがっちりとレールの切り替え部分のくぼみに填まってしまっていた。
思いきり引っ張るも痛がるばかりで、抜けそうもない。
(くっ!)
「……遮断機の横にあるボタン押して! 早く!」
「う、うん……!」
B子ちゃんに言いつつ、必死に考える。
(そうだ、靴を脱がせば……!)
「ふ、二人とも!!」
緊急停止ボタンを押し終えたB子ちゃんが叫ぶ。
「はっ!」
カーブの向こうから、列車の姿がみえた。
焦ると余計に思うようにいかない。
悪戦苦闘する私にたまらず、A子ちゃんがいう。
「も、もう、いいから……あんたも、逃げて!」
「……いや!」
「!」
「もう……すこし……! がんば……って!」
「ぬけ……! あ……」
でも、もう、……おそかった。
ブレーキが効ききらず、突っ込んでくる……。
目の前に迫る、列車。
「きゃー!!」
(いけないッ!)
咄嗟に、彼女を抱えるようにして、かばう。
「ッ!!」
……が、あまりの衝撃にふきとばされ、離れてしまう、私の手。
離してしまった……彼女の手。
「うわぁー!!」
「い、いやぁー!」
轟く、悲鳴。
しかし私の耳には入ってこなかった。
血まみれで、ぴくりともしないA子ちゃんの姿を映し出したあと、
私の眼は、急速に、闇に覆われていった――
* * *
「……私は、護れなかった」
「こんな力を授かったくせに、自分だけのうのうと……。
しかも、いろんな人が見ていたから……」
――なんであの子だけ無傷なの? しかも庇ってたって――
――おれ見たよ! あいつ化け物だ!――
――何かに憑りつかれてるんだって……近づかない方がいいよ――
「まぁ、……当然の、反応だよね。
で、転校する羽目になって……。
私は、自業自得だけど……家族にも、迷惑かけちゃった……。
最低だよ……」
「……その方は? そのあと……」
「一命は、とりとめた……らしいけど……。
詳しくは、だれもおしえてくれなかった……。
私も、きけなかった……」
「でも、転校する前に、どうしても、会いたかった。
たとえ自己満足でも……謝りたかった」
「だけど、会えなかったの……」
* * *
――病院の入り口で、躊躇っていた私。
「……あんた……!」
「……あ……」
そこへ、声をかけられる。
「……なにを、しにきたの?」
彼女の『親友』だった。
「どうしてよ! どうしてあんただけ無事なの!?
あの子だけあんな……どうして……」
「あ、あの……」
「ッ!! こ、こないで……!」
「……あ……」
振り払われる……私の手。
怯えきった……その娘の眼。
急に、理解した気がした。
護れない自分には、存在価値など、ないのだと。
そして、こんな自分を、わかってくれる他人(ひと)なんて……
……やはり存在しないのだ、と……―
* * *
「……そのまま、私は、逃げたの」
「……今も、ずっと」
「あのとき……セシリアにこんな能力もあるって……知っていたらなぁ……。
ううん、そうでなくても……」
「……ずっと、伝わってきたこの力を、私は……。
……護れなかったなんて……ご先祖様たちも、きっとがっかりしてるよ」
「せめて……罪滅ぼしにもならないけど……。
そのぶん、だれかを護らなきゃ。
私には、それしかない。できること、それくらいは……。
だから、私にとっては……、もう二度と……自分だけ、助かるなんてありえない……」
「……こわいの。こわくて、たまらない。
誰かが傷つくよりも……自分が傷つく方が、よっぽどいい」
「……」
「……ごめんね、こんな話、聞かされても困るよね……」
いたたまれなくなり、背を向ける。
「……まったく……黙ってきいていれば……」
すると、ずっと無言で聴いてくれていた彼のこえがふりそそいでくる。
春の、こもれびのように。
「ほんとうに……馬鹿なんだから……」
そして、うしろから、ふわりと、包み込まれる。
「……つらかったですね……」
「……あなたのことだ。
自分のことはともかく、セシリアが、……伝わってきた誇らしき力が……
そんな風に言われた方がこたえたはずだ」
「! っ……」
(な、なんで……? なんでわかるの……? どう……して……?)
またもこぼれはじめる雫たち。しかし、先程のそれとは……明らかにちがう種類のものだった。
「そもそも、どうしてあなたが悪いと思いこんでしまっているのか。
あなたは、最善の行動をした。気に病むことなどない。
あなたのせいなんかじゃあないのに……」
「! ち、ちがうよ……そんな……」
「あなたのせいじゃない。
自らを責める必要など全くない。
……もう、いいんですよ。もう、じゅうぶんです。」
「うっ、そんなことな……!」
「あーもう、頑固だなぁ。
まぁ、無理もないか。……じゃあ……」
そういいつつ、くるりと向きを直される。
「……?」
そして、私の瞳をじっとまっすぐにみつめながら、彼はいった。
「少なくとも……『僕は』、そうおもっています」
「あ……」
「それは、わかってくれましたか?」
「う、ん……」
「よし。ならばとりあえず、今はそれでよしとしましょう」
「わかるまで……いつでも、何度でも言ってあげますから。
ゆっくり、わかってくれればいい」
「っ! ……う、……っく……ひっく……うぁぁー……!」
そこで、私の涙腺は決壊してしまったようだ。
彼の胸で、まるでこどもみたいに、ひたすら、泣いた。
こんなに泣いたのはいつぶりだろう?
もしかしたら、はじめてかもしれない。
そのあいだ、彼は私のあたまを、ずっとやさしくなでてくれていた。
少し落ち着いたところで、そっと離され、代わりにハンカチを渡される。
「……まったく……。そこのところ、忘れないでくださいね」
「……ぐす……はい……」
「……そのうえで! ひとつ思い出してほしい!」
そして、高らかに言い放つ彼。
「……?」
きょとんとしている私に背をむけつつ、ぼそりと、いう。
「僕……まだ怒っているんですよ……?」
「はっ! そ、そうだった……」
それとこれとは話が別だ。当然だ。
「あ、あああ! ……あのっ!」
焦って必死に手をのばし、学生服の裾を掴みながら、おおきなその背中に、問いかける。
「そ……の、……どうしたら、ゆるしてくれる……?」
「……」
すると彼はこちらを振り返り、人差し指を立てながらいう。
「じゃあ……ひとつ、約束してください」
「……?」
「だれかを護るのは、自分のことを護ってからにしてください」
「そ、それは……」
「……と、ただこういっても、あなたはききゃあしない、ということはもう重々わかっている。
……だから、」
「……?」
「これは、あなたのためじゃない……僕……たち、のために」
「え……?」
首を傾げている私に彼はゆっくりと説明をしてくれる。
「あなたはいつも、敵の攻撃から僕たちを護ってくれますよね?
それはなぜですか?」
「……? なぜって……あたりまえじゃない……。
怪我とか、してほしくないもの……」
「怪我してほしくないのは? なんで?」
「え? だって……仲間でしょう? いやだよ……そんなの……」
「はい。じゃあ、わかりますよね?
……あのとき……僕……たちがどんな気持ちだったか。
「あ……」
「もう、二度と、御免だ……あんなの」
「じぶんのことも、もうすこしでもいい……だいじに、してあげてください。
あなただって、その、僕たちの、たいせつな……仲間、なのだから」
「……! ご、ごめん!ごめんなさい……」
……本当に、私は、馬鹿だ。
その表情に、ようやく、理解した気がした。
「わかりましたか?」
「は、はい……」
「ほんとうに、わかったのですか?」
「はい!」
「じゃあ……」
眼の前に差し出される、彼の右手。
瞬間……
……べちぃっ!!
……という音とともに、おでこに激痛が走る。
「い、いたっ……!」
「……これで手打ちにしてあげます」
「……ううう、……痛い……」
「そりゃあそうでしょうよ」
込み上げてくる。それを、もう、我慢できなかった。
「……ふふ、ふふふふふ……。いったーい!!あははははは!!」
「な、なに笑ってるんですか! ほんとうにちゃんとわかってるんでしょうね!?」
「……わかってるよ! ……でも、うれしいんだもん」
「……これ、……仲なおりの、デコピン……でしょ?」
「ぐっ!ぅ……」
「ふふ……仲なおりってこんなに、うれしいんだね」
こころがおどる。最高に素敵に、舞い上がって、そして……。
(それとも……)
この一撃は、私の頭と、こころの中を整頓する効果までもあったようだ。
頭のなかにかかっていた霧を吹き飛ばして……
こころをがんじがらめに縛っていた、鎖を壊してくれた。
晴れやかで、すごくすっきりした気分だった。
わかってしまえば、びっくりするくらい簡単で。いままで悩んでいたのが、嘘みたいに。
(……あぁ、きっと、そうだ。わかっちゃった……。
もう、誤魔化せないなぁ……)
「あーもう! しょうがないな!」
「ふふ……」
茜色の綺麗な空をみあげて、その色がぴったりの……そのひとがくれた言葉を思い出す。
あせらなくてもいい。今日、この日がいつかくる……と、そう諭してくれた……あの方の言葉を。
(……師匠、予言、当たりましたよ)
「まったく、あなたってひとは……!」
困ったようにそっぽを向いてそう呟く、目の前の彼の背中を、じっとみつめる。
そして、想う。
(……私、このひとのこと、……すきなんだ)
* * *
「ふふふふふ……!」
「ちょっと! いつまで笑ってるんですか!」
「だって……」
そういわれても、にやにやが止まらないのだから仕方がない。
だいたい責任の一端はあなたにもあるのだ、といいたい。……いえないけど。
「さ、いいかげんにしといてください。
ここけっこう寒いでしょう? そんな、格好じゃ……。
病室に帰りますよ」
「うん」
うなずく私にさしだされる左手。
「……はい」
「?」
「……つかまってください。さっき走ったから……足、痛いんでしょう?」
「あ……」
自分でも忘れていたが、じつはそうだった。
無理をさせてしまったせいか、右足はなにもせずとも、じわじわだが鈍い痛みを発するようになっていた。これこそ完全に自業自得なので、かまわないと思っていたが。
「! だ、だいじょうぶだよ……!」
「また……。無理したら、いつまでも治りませんよ」
「う……」
たしかに、治らなければ結局また迷惑をかけてしまう……と、そういう考えを諫められたばかりなのだった。
それもそうなのだが、それだけではなく……自分のことを、きちんといたわってあげなさい、と。
……それをゆるしてくれたのだ。このひとは。
「じゃ、あ、えっと……失礼します」
「……はい、どうぞ」
お言葉に甘えて、彼の左腕にそっと掴まる。
(こ、これは……)
ゆっくりと歩き出す。
(は、はずかしいッ!! し、心臓が! き、聞こえちゃったらどうしよう!
あぁぁー! お、おちついて! おちついてってば!! 私!
このひとにとってはただの……親切なんだから! 意識しちゃダメだって!!)
「?」
(……って、無理ぃぃい! ちかいー!!)
恋心を自覚してしまったばかりの自分には、いささか刺激の強い……地獄のような……いや、やっぱり天国のような……そんな時間が過ぎていく。
「……はい、着きましたよ」
「あ、り、がと……」
(こっちの方がよっぽど心臓に悪い気がする……)
ふらりふらりとベッドに座り込む。
そんな私をみて、深刻そうなかおで問う彼。
「だ、だいじょうぶですか?顔赤いですけど……。
はっ! もしや傷が化膿して熱が!?」
「たぶん、(いや、絶対……。)ちがうから。だいじょうぶ……」
一応つっこんでおく。ボケたつもりは本人には皆無だろうけれども。
とかおもっていたら、やっぱり本人はいたって大真面目だったらしい。
「ほんとうですか……?」
いいながら、すっ……とおでこに手を当てられる。
(ひゃぁあーーー!)
「はっ! ……た、たしかに、今のところだいじょうぶそうですね」
もうことばにならない。必死に何度も頷く。
「じ、じゃあ……僕はそろそろ戻りますね。
ジョースターさんたちに、あなたが起きたって報告もしたいですし」
(ああ……そっか)
「うん……よろしくおねがいします」
つい、浮かんでしまう。
(そうだよね……でも、ちょっと……さみしい……
って……あぁー! 何考えてるの……私……)
身勝手なじぶんを心で諫めていると、滲み出てしまっていたのか、こんなことをいわれる。
「……心細いなら、また、戻ってきますけど?」
「だ、大丈夫だよ!」
うれしいけれど、そんなわけにはいかない。このひとだって疲れているはずだ。
……疲れさせたのはお前だろうとかいわないでいただきたい。ごめんなさい。そのとおりです。
「また明日の朝、迎えにきますから。ゆっくり、休んで」
「うん……」
「あ、そうだ。ホテル、すぐ隣らしいので、何かあったら遠慮なく……
さっきみたいにセシリアを寄越してくれていいですからね」
「……うん」
「……じゃあ。」
立ち上がる彼に、呼びかける。
「……花京院くん……」
「はい?」
「その、いろいろ……ごめんね。……ほんとうに……ありがとう」
「いえ。……僕こそ……。……すみません」
「……もう、泣かせませんから」
(はぅぁーーッ!!)
おもわずベッドに倒れ臥す。
「ひ、仁美さん!? ちょ、ちょっと!どうしたんですか?!」
「ななな、なんでもない……です……」
(もう、やだ、このひと……)
「……やっぱり、僕ここにいましょうか?」
「だ、だいじょうぶ!! そっちこそ! 戻って、ゆっくり休んで! ねっ!!」
(そんなことされたら……心臓……もたない……)
「……はぁ、今日はほんとうに……いろいろあったなぁ……」
眠りにつく前、めをとじて、想う……。
(……不思議なひと。なんで、わかっちゃうのかな……。
……何度でも、か……うれしかった……。ほんとうに、うれしかった……。
こんなに、あたたかいきもち、はじめて……。
デコピン、痛かったなぁ……ふふふ……)
「……」
(……すき……なんだなぁ。私)
「わぁあああー!!」
(あぁーー! お、思い出したら、は、恥ずかしくなってきた……! 明日から、どうしよう……。
すきだからって、べ、別にどうもこうも……今までとなにも変わりないんだけどさ。
ば、ばれないようにしないと!
迷惑かけるわけにはいかない!し、気まずくなりたくないっ!)
(……ほんと、私、幸せ者だよね……
仲間ってだけで……あんなに、す、すきなひとに気にかけてもらえて……。
そうだよ! そのためにもっ! 今まで通り……今まで通り……頑張れ、私……)
* * *
普段とはなんだか異なる様子が気がかりではあったものの、確かに男がそばでうろうろしていてはゆっくり休むことができまい。
後ろ髪を引かれながらも、僕はホテルに戻ってきた。
「……よぉ。やっと帰ってきやがった」
エントランスのドアをくぐると、ロビーのソファにこの男が座っていた。
「承太郎。待っていてくれたのかい? すまない」
「いや。かまわん。大変だな、あいつのお守りも」
「……まぁね。」
「ふっ。これが、おまえの部屋の鍵だ。じじいから預かった」
「ああ、ありがとう」
そして、各々の部屋に向かおうと立ち上がる。
先程トレードマークが灰と化してしまったため、イメージの異なるその服装。どうしても違和感を覚えてしまう。
「どう? 学ランの代わり、みつかりそうかい?」
「ああ。注文中だ。明日には仕上がる」
「おお! よかったね。しかしパキスタンでよく仕立ててもらえたなぁ……」
「ふっ、ウール100%よ」
素材の問題ではないだろう。
そんなことを思っていると気づいているのかいないのか。エレベーターに乗り込みつつ、承太郎は続けた。
「……ところで、あいつ、どうだ?」
「あぁ。目を覚ましたし、だいじょうぶだ……おそらく」
「そうか」
そして、自分もずっと気になっていたことを尋ねられる。
「が、しかし……あのとき……あいつ、意識なかったよな?」
「ああ」
どのときか……なんて決まっていた。承太郎が炎につつまれた、あの瞬間。
「……にもかかわらず、セシリアが君を護った」
頷く。同時に僕の部屋のある階に到着。一歩踏み出す。
承太郎は、『開ける』のボタンを押しつつ、僕の背中に問う。
「覚えてんのか? そのへん、あいつは」
振り向きつつ、正直に答える。
「……それが、ききそびれた」
「はぁ?なにやってんだよ」
「こっちにも、いろいろあったんだよ……。いろい……ろ……」
「……うわぁあああー!!」
(い、いかん! お、思い出したら……また動悸が……!!
……だいたい、なんだ!あの表情……反則だッ!)
(……ほんとうに……なんだったのだろうか、今日は……)
(なんだかんだで、たくさんふれてしまったし……抱きしめて、しまった……)
(ち、ちがうんだ! あのとき……彼女のきもちが、痛いほどわかってしまって……
な、なんとか、なんとかしてあげたくて……つい!!)
(ずっと、長い間、じぶんを責めて……苦しみ続けていたんだな……。
……僕は、少しでも、楽にしてあげられたんだろうか……彼女の心を……)
(でも最後はわらってくれた……な。……うれしかった……)
さっきまであんなに泣いていたのに、若干笑いすぎだろう……とおもわなくもなかったが。
……いいのだ。やたらとうれしそうだったから。それで。
(そうだ! そんなわけで、やましい気持ちなどこれっぽっちもないッ!!
すごくやわらかかったなぁとか、いい匂いがしたとか……思ってないッ……!
……入院着が薄いのがまたいかんのだ……けしからん!
……おかげで……感触が……もう……こう、……ダイレクトに……ってぇ!?)
(ちがうんだ! うがぁー!!)
「……なんか……大変だな、ほんとうに……」
悶え苦しむ僕に承太郎はすべてを察したかのように言う。
「承太郎、……僕はもう、長くないかもしれん……」
度重なる頻脈……動悸、息切れ……熱発……
「……へんな病にでもかかってしまったのだったら、どうしよう……」
「ふーん。そりゃあ、医者でも草津の湯でも無理なやつだ。あきらめろ。……じゃあな」
苦悩する僕を尻目に、エレベーターの扉は無情に閉まる。
「……なんだよ、それ……。」
重症だ。
火照った身体にはそんな冷たい返答が、すこし心地よいくらいだった。
もうすぐこのお話も完結です……が、性懲りもなく次回作も本作品にちなんだものにする可能性が高いです。どんなのだったら、また読んでやってもいいぜ? と思って頂けるでしょうか?
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読んでほしいなら死ぬ気で全部書きやがれ!