ヒミツ
まんまるな毛玉が道路の真ん中にころがっている。
そう思った。はじめは。でもよく見たら、ちがっていた。
動いている。
……生きている。
考えるよりも前に身体が勝手に動いていた。けたたましいクラクションが私の耳をつんざく。不思議なことにみえる景色はなにもかもがスローモーションで、ゆっくりゆっくり、でも確実に近づいてくるトラックのヘッドライトと目が合った。まるで昨日図書室で読んだ本に出てきた怪物『メデューサ』に睨まれたみたいだと思った。だって、早く、早く、動いて。にげなきゃ。そう命令するのに足は全然いうことをきかなくて、アスファルトの一部になったみたいに固まってしまっていた。
ああ、やっちゃった。身体からさーっと血の気がひいていって、すくいあげて腕の中に閉じ込めた、もこもこの毛玉……子猫のぬくもりだけがやけに生あたたかかった。
私、死んじゃうのかな。父さん、母さん、ごめんなさい。兄さんにまた怒られちゃうな。やだな……そんな私の考えごとは泣き叫ぶみたいに響き渡るブレーキの音にかき消された。同時に私の身体は宙を舞って、世界が一回転する。背中から着地。でもぜんぜん痛くない。なんでだろう? 痛みを感じる頭の回路のどこかがおかしくなってしまったのかな?
そんなふうに目を瞬かせる私の瞼に映ったのは、薄桃色にきらめく、淡くやさしい光の羽だった。
セシリアが、はじめて私を助けてくれた日。
母に教えられて、私は、嬉しかった。自分に与えられた、護る力。だれにもいえない、私の秘密。自分に流れるこの血を……誇らしく、思った。
でも、あの日。クラスメイトを護れなかった、あの日。周りの人達は口々にこういった。
『信じられない』
『なにが起きたの?』
『なぜケガ一つしていないの?』
『幽霊に憑りつかれてるんだって』
『あの子に近づいたら不幸になる』
『化け物だ』
『気持ち悪い……』
申し訳なかった。あの娘、家族、今までこの力を受け継ぎ、伝えてくれたひとたちに。
そして、哀しかった。
ただただ、哀しかった。
わかってもらえるわけなんてない。そんなのわかっていたことなのに。
そっか。家族以外の、他人と、心を通わすなんて、私には、もう一生無理なんだ。
そう、悟った。
転校して、誰もが『それなり』に仲良くしてくれたけれど、深く関わろうとはとても思えなかった。心配をかけないよう『それなり』に優等生を貫いた。もっとも家族にはおみとおしだっただろうけど。
独りは苦にならなかった。むしろ気楽。それよりも嫌だった。自分のこの力を侮辱されるのは、もう二度と。
嫌だった。恐かった。もう信じて傷つくのは。しょうがない、別に構わない、諦めていた。そのほうが、楽だった。
でも、たぶん、ほんとうは、憧れていた。
両親のように。祖父母のように。
もともとは他人でも、信頼しあえる……愛し合えると。
そんな相手が、いつか自分にも現れるんじゃあないか……淡い期待を、抱いていた。
そして、この旅でみんなにであった。
ひとと心の底から、深く関わること。
それは時に苦しくても、つらくても、そのぶん……どんなに素敵で、幸せなことか、わかった。
……あのひとが、おしえてくれた。
みんなは不思議。
私にとって、特別で、本当に大切な仲間。
ずっと、考えていた。
自分が、この力を授かった、意味を。
それが、今、やっとわかった気がする。
きっと、この瞬間のため。みんなを……彼を……救う、そのために。
だれも、死なせない。
奪わせない。終わりになど、させない。
あなたたちの、命も……未来も。
必ず護る。
……たとえ、なにと引き換えにしたとしても。
「……さん?」
「……仁美さん?」
呼びかけにハッと我に返ると、目の前をひらひらと横切っていく大きなてのひらに焦点が合う。そしてその隙間から心配そうにこちらを覗き込む彼の顔がみえた。
「花京院くん……」
「顔色、悪いですよ。だいじょうぶですか?」
「……そう? ……緊張してるからかな。いよいよだもんね」
せいいっぱい、笑顔を創る。一世一代の、演技を。
(仮面をかぶるのよ、か……)
そんなこともあったな、なんてつい先日のことを懐かしくおもいだしてしまう。
「だいじょうぶだよ! ごめんね。ありがと」
「でも……」
「おーい、道は? どっちじゃー?」
「あ、すみません、こっちです!」
なにかを言いたげな彼から、飛んできたジョースターさんの声を口実に慌てて背をむける。
やはり、だめだ。これ以上話していると……彼のかおをみていると、すべてぶちまけて、頼ってしまいそうになる。いや、そうじゃあなくても、気づかれる。このひとは、気づいてしまう。
(だめだ……ぜったいに、だめ。私は、あなたを……)
時は巻き戻る。
昨夜のことだ。夜更け。皆が寝静まった頃、私はなにかに引っ張られる感覚で目を覚ました。
「イギー先輩……?」
「ワン……(起きろ、後輩。ついてきな……)」
「え!? ま、まってください!」
先輩を追いかける。ホテルを出ると、闇のヴェールに包まれ町全体も眠りについているかのようだった。昼の活気と打って変わって静まり返っている繁華街。静寂に神秘性を感じる余裕もなく、どことなく背中に寒気を覚えながら裏路地を駆け抜けるとある場所にたどり着いた。
「こ、ここは……!!」
それはまさに連日、私たちが穴が開いてしまうほど凝視し続けた写真の建物……全員が探し求めていた『終着駅』だった。
「ガル……(わかったか? 長居は危険だ。戻るぜ)」
「……はい」
部屋に戻り、どうするべきか、悩みつつ腕時計に目を落とす。文字盤では長針と短針が丁度、垂直を成そうとするところだった。午前3時。この時分では報告したくとも皆確実に眠っているだろう。
それになにより、夜は吸血鬼……DIOの時間。
首を振り、翌朝一番で報告することに決める。
そしてきっと『決戦の日』となるのだろう。
気が高ぶっており到底眠れる気などしないが寝ておくべきだ。ベッドに横になる。
すると不思議なことに、私の意識はすぐに、深い深い夢の中へといざなわれていった。
「…………マスター…………」
どこからともなく、呼ぶ声が聴こえる。
「マスター、起きてください。わたしのマスター……」
それが私を『覚醒』させる。
眼を開けると、そこにはひとりの『おんなのこ』が立っていた。
薄桃色の羽をもつ、まるでファンタジーやRPGに出てくる花の妖精のような……
「え? あ、あなたは……?」
「わたしは、セシリア。あなたのスタンド、です。マスター」
「せ、セシリア!?」
「時間がない……伝えなければいけないことが、あります」
「え……?」
「これを、みてください。あなたには、とても、つらい現実かもしれないけれど……どうか、目をそらさないで……」
彼女がそういうと、あたまの中に映像が流れ込んでくる。
凄惨な光景が、次々と……。
蝋燭が照らす薄明かりの中、男は闇に呑まれ消えた。その両の腕のみを残したまま。
(え!? し、ししょ、う……!? な、なにが、起こったの……?)
砂埃とともに、おびただしい鮮血をまといながら、その小さな身体を横たえる一匹の獣。
(い、イギーせんぱい……? う、うそ……)
赤く光る満月と星々に見守られながら、冷たい水にその半身を浸しゆっくりと瞳を伏せる青年。
(か……!? あ、……あ……! い、いや! いやぁああああ──ッッッ!!!)
「ハッ!」
「これが、彼等の未来。……そのままの、未来……」
「……い、やだ! そんなの、いや!
こんなの……私は……、たえられないッ……!」
信じられない。信じたくなんてない。全身が小刻みに震え、心臓が早鐘を打つ。
かぶりをふり、おもわずその場にへたり込む私に至極冷静に彼女は伝える。
「おちついてください。まだ、きまったわけでは、ないのです」
「え……?」
「これは、あくまで……あなたが、『いない』未来。あなたがいれば、変えられる、変わる……かもしれない……未来。そのために、わたしがいるのです。マスター」
「どういう……こと?」
「わたしの存在意義は、マスター、あなたを護ること。
ですがこれが実際に起これば、あなたの心はきっと……死んでしまう。
だから、えらんで、もらいにきました。
どうしますか? あなたは……どうしたいですか?」
思考を挟み込む間などあるわけがない。すぐさま答える。
「そんなの……、そんなの決まってる! 変えたい! 変えて、みせる!!」
「そうですか。あなたという存在は、小さい。
しかし、その存在は確実に周りに影響を及ぼす。
落ちた小さな石が、泉全体に波紋を起こすように……
だからそのまま、あなたはあなたが最善だと思うことを、すればいい。
そうすれば、きっと……『なにか』が、かわる」
「セシリア……」
「だけど、忘れないで下さい。加えた力はひずみを生み、何処かへ解放を求める。
……何かを得る為には、何かしらの代償が、必要だということを」
背筋に一本、棒を射し入れられたかのようだった。自分が息をのむ音が脳内に響く。
「わかりますよね? 代わりになにが起こるか、わからない。わたしには、変えられる、かもしれない……ということしか、わからない」
渦巻く様々な感情を押し込みたくてひとつ空嚥下をすると、もはやからからになってしまった喉を叱咤しどうにか訊ね返す。
「……ひとつ、きいてもいい?」
「なんでしょう?」
「他のひとに影響は? その、たとえば……師匠を助けたことによって、ポルナレフ兄さんが、とか」
「完全に、ではないですが、おそらくそれはない。意志を持って運命を変えようとした者に、代償は求められるもの。あなたがこのことを口外したりすれば別ですが」
「そっか……」
「あなたの行動で『未来』は未知のものに確実に分岐する。しかしトリガーであるあなたの身に、なにが起こるのか……わたしにもわからないのです」
彼女はすこし俯いたあと、こちらをまっすぐに見据える。
「はっきりいいます。要は、もしも三人を『死』から救うことができたとしても、代償として、最悪、あなたが、代わりに……。それでも、やりますか?」
「もちろん! 最悪なんかじゃないよ。そんなの。それぐらいで済むなら……御の字、だよ……」
あのひとは、きっと……すごく怒るだろうけど。ふっと浮かんだそれは彼女の言葉に制される。
「……駄目です」
「え?」
「そんなつもりでいくのなら、わたしが、いかせません。このまま、あなたを闘いが終わるまで目覚めさせない……そんなことだって、わたしにはできるんですよ?」
「そ、そんな! いやだ! やめて!」
「言ったでしょう? 最善を尽くせ、と。あなたも含めて『全員を護る』そのつもりで。そうでなければ、いかせません」
そうして彼女は初めて美しい微笑を浮かべる。そのまなざしに冷え切ってしまった体に少しだけ熱が灯る心地がした。
「そっか……ごめん、セシリア。
わかった。私は負けない。あきらめない。ちゃんと、みんなで、帰れるように……」
「わかりました。ならば、あなたのために、わたしも最期まで、力を尽くしましょう……」
「ハッ!! ……夢……じゃ、ない。よね……」
覚束ない足取りで窓際に立ちカーテンを開け放つ。まだ、夜明け前だった。
「……やっぱり、か」
自分には、わかっていた。このときがくると、わかっていた。
母さんからきいていた、『護る一族』の魂の宿命。
この血の
あなたのちからは、いつか出逢う『だれか』を護る、そのためにある。
そして……
あなたのいのちは、いつか出逢う『だれか』を護る、そのために……
……散る運命にあるかもしれない、と。
セシリアは、来たるべき時に『夢』で、教えてくれる……と。
たいせつなひとの命の危機を。
そして選ばせて、くれる。
己が護るべきもの……護りたいもの……を。
……たいせつなひとか……自分か……。
心の死か……それとも肉体の……。
そんなの、考えるまでもない。
母は、こうもいっていた。
あきらめてはいけない。
抗いなさい。
闘いなさい。
勝ち取りなさい、と。
『覚悟』はとうに決めていた。
「あ、れ……? ……っ!!」
……はずだった。
しかし、そうはいっても、こわい。こわくて、たまらなかった。意志と裏腹に震えがとまらない。
もしも失敗してしまったら、三人が……
たとえ、成功したとしても、もしかしたら、じぶんは……
「……だから、駄目だってッ!」
とめどなく訪れる、しつこく脳内に巣食う『ネガティブな悪魔』を払うべく自分の両手でおもいきり頬を張る。
今日だけは。今日だけでいい。私は『自信』をもたなくてはいけないのだ。
ぜったいに負けるわけにはいかないのだから。
必死に、己を奮い立たせる。
「……」
しかし、どうしても、不安は拭えなかった。すぐにでもこの部屋をとび出して、あのひとのところにいって……抱きしめて、もらいたかった。
でも、それは、かなわない。
これは、私が、『ひとり』でなんとかしなければいけないのだ。さっきセシリアもいっていたが、それ以前に本能でわかっていた。
だれかに悟られてしまったら、終わりだと。
でも、これだけは。どうしても、万一のときのため、伝えたい、伝えなければいけないことがあった。まっさらな便せんとペンを取り出し、文字を綴る。
「……っく……」
なみだが、こぼれる。
たった二文字だけ書いたっきり、止まってしまったそれを勢いよく破り屑籠の奥底に押し込む。
できなかった。
だめだ、とおもった。
どうにか『手紙』が完成する頃には夜が明けていた。
決戦のときが、きたのだ。
机の真ん中にそれをそっと置き、部屋をあとにする。
こっちも、破り捨てる。必ず。
そう心に誓いながら。
「……しょうがない。貴方がたもお入りください」
「あっ!」
「ジョースターさん!」
「承太郎!」
「花京院くん!」
三人が敵の創り出した『穴』に引きずりこまれてしまう。
落ちながらもジョースターさんが懸命に叫ぶ。
「アヴドゥルーーー! 10分経ってもわしらからなんの合図もなければ……館に火を放てッ! わかったなー……!」
「ジョースターさーん!!」
「……くっ!」
(しまった……花京院くんと離れちゃうなんて。
い、いや、まだだ! あの映像では、まだ……昼の間は……)
思い出したくもないが、必死にあの映像を、美しく残忍な夜の光景を思い出す。
(……。むしろ、師匠と先輩。ふたりといっしょで、よかった。
師匠はわからないけど、たぶん先輩は昼のあいだに……。
あれが順番どおりだとしたら、先に、師匠が……?)
「……いよいよってときなのに、あいつと離れちまったな。だいじょうぶか?」
館の前で待機する中、声をかけてくれるひとがいた。
「ポルナレフ兄さん……」
『あいつ』。だれのことを言っているかなんてわかりきっていた。そのかおをおもいうかべながら、答える。
「はい。だいじょうぶですよ。……信じていますから」
「へっ、惚気んなよ! ところで、ちゃんといったか?」
「なにをですか?」
「そりゃあ、おまえ……決戦の前だぞ。愛の告白に決まってんだろ?」
「……」
あいかわらず、このひとは意外と肝心なところでは的確に痛いところを突いてくれる。チャリオッツの主だからだろうか。
「はぁ? そんなわけないじゃないですか。いえませんよ、そんなの」
「なんで?」
「……なんでも」
(いえるわけない……そんなの。もしも……)
「自信がないのか? なんでだよ。あいつが、おまえのことどれだけ想ってるか、いいかげんおまえもわかってんだろ?」
「……そんなことないですよ。それは、彼が、やさしいからで……」
「あーもー、馬鹿だな。しらねーぞー、後悔しても」
「……後悔、なんて……」
胸が、いたい。
「……いっとけ。いいから。っつーか、男の方から言えってんだよな……。
ほんと、なにやってんだ、あい……」
「……いえない……!」
(最低だ、そんな……!!)
「むしろ、もしも、もしもそうだったら、なおさら……。いえない。ぜったいに……」
「え……?」
「はっ……!」
「保乃……? おまえ、どうした?」
(し、しまった! つい……!)
「う、ううん! なんでもないです。ごめんなさい……」
「……いいか? よく聞け……」
「……」
「独りでなにか、しようとするな。
今はあいつはいねーが、オレやアヴドゥルがいる。イギーも。
ちゃんと、頼れよ?
オレたちはおまえの兄さんと師匠と先輩なんだからな」
「……! はい、……ありがとう。……兄さん……」
普段はおちゃらけていることが多いけれど……なんだかんだ、やっぱり、このひとは『お兄ちゃん』なのだ。
瞳の中にある、喪う哀しみを知り……それでもなお深い愛情を抱くことのできる……つよく、やさしい光。
(……あたたかい、なぁ)
「よし、道もわかりやすくあっさりしたな」
先輩が、館の迷路の原因である柱の裏に潜んでいた敵スタンド使いをあっさりやっつけた。
そのあとのことだ。
本来の姿を現した周囲を見渡し、私はすぐに『あること』に気づく。
「! はっ! こ、ここはッ……!?」
(こ、ここだ! あの映像! 師匠が……ここで!?)
「んー? どうした?」
懸命に精神を研ぎ澄ます。どんどん、どんどん、膨らんでくる、迫ってくる。どす黒く渦巻く、悪意、殺気、負の感情。その中心。
(ま、まがまがしい……気配! くるッ!!)
「? 『このラクガキを……』?」
「……ッ! ダメ! あぶないっ!」
セシリアで三人を突き飛ばす。すると三人のいた空間に、なんと、穴があいた。削りとられた、と表現した方が正しいかもしれない。
「て、敵!?」
「な、なぜだ! わたしの探知機にも、イギーの鼻にも……なんの反応もなかったのに!」
「わ、わかりません! さ、殺気が……。恐ろしいほどの殺意の波動だけが……!」
虚を突かれざわつく私たちの耳に、どこからともなくおぞましい波長を纏った低音が響く。
「女……そのスタンド、めざわりだな……」
「ま、また来る! せ、セシリア!」
追撃に備えるべくスタンドを戻そうとした、その刹那だった。
「つっ!! うっ、くっ、あぁーっ!!」
セシリアが黒い球体に、呑み込まれ消えた。
……私の左腕とともに。
「くっ……う……っ」
(し、しまっ……た……)
「や、保乃!」
「う、うでが……」
(あ、あつい……、腕が……もえるように……!
……あ、……ぐ……、い、しき……が……)
「出口……」
「保乃がこんな状態では……一度……」
(はっ……だ、ダメ……!!)
再びまっくろな殺意の波動を感じ、朦朧としていた意識をなんとか繋ぎ止める。
「だめ……、今、あそこに……いる……」
「な! 保乃……!?」
「はぁ、はぁ……だ、めです……あそこ、に行ったら、みんな……」
「くっ! 上だー!」
(! あ、ぁ……! ……こ、この場所は……せ、先輩の!?)
担ぎ込まれた館の二階。網膜にうつろに映る天井、壁、柱……それは夢でふたつめに視たそれと確かに同一のものだった。
そして同時に決意を秘めた声が私の鼓膜を震わせる。
「……ここは、イギーと、オレでなんとかする。
アヴドゥルはさがってくれ。保乃を、頼む……」
(兄さん……せ、先輩……!)
どうにかしたかったが、なにもできなかった。
身体が、うごかない。
血が、ながれていく。
(……さ、むい……ねむ、い……)
「……はぁ、はぁ……」
(……やっぱり、そんなにかんたんにはいかない、か……)
「……保乃、しっか……、……気を……!」
師匠の声が、ぼんやりとしか、きこえない。
目もかすんで、もう、あまりみえない。
(……わたし、ここで……しぬのかな……)
すべてがフェードアウトしていく。瞳を閉じ、諦めて意識を手放そうとした刹那、弱い私をこの世にどうにか繋ぎ止めるかのようにあのひとの言葉が響く。
──約束してください──
「はっ!」
(い、やだ……、だ、だめ……。まだ……死ねない!
ここで私が死んだら、先輩が……。そして……)
おもいうかべる。
だいすきな、なによりもたいせつな、ひと。
(生き、なきゃ。どんなことを、しても……。あのひとの、運命を変えるまで……)
(……私は、死ねない……ッ!!)
瞬間、上着のポケットからなにかが零れ落ち、きらりと光る様がみえた。
吸い寄せられるようにして右手でどうにかそれにふれると、温かなぬくもりを感じるとともに懐かしく優しい声が私の頭の中で囁く。
──いいか、仁美。痛くて、辛くて、苦しい……
そんなふうになっちまったときはな、こうするんだ──
(……おじいちゃん……)
ゆっくりと静かに深く、呼吸を整える。幼き頃、祖父が教えてくれた、そのままに。
(……あ……)
すこしだけ、でも確かに体が楽になる。そうして鮮明になった意識は今自分がどうするべきなのかを教えてくれた。
「し、師匠……」
「!? き、気がついたのか!? あ、あまりしゃべるんじゃあないッ!」
「す、すみませ……、ひと……だけ、御願いが、あって……」
「……な、なんだ!?」
「……私の、腕の、切り口を、や、灼いて……ください。師匠の、炎で。そしたら、血はとまる……」
「な!? そ、そんなことをしたら、もう元に……。それに、どれだけの……! 痛みで死んでしまうぞ!」
「だ、だいじょうぶ。どうせ、腕、くっつけたくても、もう、呑み込まれて、なくなっちゃったし……。いたいのなんて……そんなの、へっちゃら、です、から」
「ハッ!」
そのとき上階から、ガラガラとなにかが崩れるような一際大きな轟音が鳴り響く。
「ポルナレフ! イギー!」
「は、やく、行かなきゃ、ふたりが……先輩が……!」
「し、しかし……」
「お願い、します……私は……まだ、死ぬわけにはいかない」
「くっ……!」
ぼんやりと、すごくつらそうな師匠の顔がみえた。当たり前だ。仲間を灼く……そんなの誰だって御免だ。実直で、誰よりも仲間想いなこのひとのことだ。なおさらだろう。
「……すみません……こんな……いやな、こと、頼んで……」
しかし、自分には確信があった。それを、伝える。
「でも、私は……。
だいじょうぶです。……ぜったい、まけません。
……師匠、いつも、いっているでしょう……?」
ふたたび想いうかべる、彼のかおを。
「……恋する女は……つよい、って」
「……ぐっ!!」
「……」
「……マジシャンズレッドォーッ!!」
逡巡のあと、相棒を呼ぶ、こえ。
きっと、汲んでくれたのだろう。
「……ありがとう、ございます、師匠……」
貴方が師匠で、よかった。
本当に手のかかる、不出来な弟子で、ごめんなさい。
この旅で、ほんのひとかけらでもいい。
貴方の弟子にふさわしい、炎のように輝く、立派な魂を持つひとに……
(私は、近づけたのかなぁ……)
「蹴り殺してやるッ! このド畜生がァーッ!!」
「イギーっ! や、やめろぉー!!」
(ま、まに、あった……)
先輩のからだをセシリアで包み込む。
「な、なにぃィッ!?」
「こ、これは!?」
「ぐ……!」
左のほうを動かしてしまうと激痛が走る。
そして、片腕がないとバランスがとれないのか、ひとりで立てず、師匠に支えてもらっている。
(……あたまが……フラフラする……
きもち……わるい……いたい……
でも……まけられ、ない……!)
「や、保乃!?」
「ガウゥ……(こ、後輩……。てめぇ……)」
「させない……」
「な、なぜだ、きさまのスタンドは、暗黒空間に呑み込んだ……はずだッ!?」
力を振り絞り、叫ぶ。
「……セシリアは、私の、精神のかたち……そのもの。
……私の心はまだ、死んではいないッ!
だからセシリアは甦る、何度でもッ!」
「くそ、邪魔ばかりしおって! この、死に損ないがぁっ!!」
「……チャリオーッツ!!」
「ぐはっ! な、に……?! ポルナレフの、チャリオッツが、こんなに速く、遠くを、攻撃できる、はずが……!?」
「させねーよ。妹がここまでやってんだ……負けてられねーよな。兄ちゃんがなぁっ!!」
(……あぁ……!)
「くっ、めざわりな……暗黒空間に戻り、まとめて消してやる!」
「ぐぅぅ……(出しゃばってんじゃねーよ、てめぇ、後輩……)」
小さな体から漏れる、威厳に満ちた咆哮。
「ガァウ!!(後輩は後輩らしく、だまって先輩の背中みてな!!)」
(せんぱ、い……!)
「な、なにィィ!」
「……この娘は、耐えたぞ。わたしの炎に焼かれる苦しみに……。
おまえはおなじことが、できるのか……?」
「我がマジシャンズレッドの……業火の鉄槌を受けるがいい!
くらえッ! ……クロスファイヤーハリケーン・スペシャルーッ!」
「ふん! こんな炎ごとき……まるごと……」
うねりをあげて襲う炎の渦……それが全て吞み込まれてしまう。
「くくく……!」
しかし……
「くく……ん? ぐ、あ……な、な……なにィィッ!!
や、焼ける!
……喉がッ……肺が……ッッ!!
ぐあああああーーーッ!!」
「……吞み込めるほど生温いものだと……おもうのか?
生憎だが……いつもとはくらべものにならんくらい……
今のわたしの炎は……熱い……!」
「……へっ! ……おれのチャリオッツも……素早いぜ……!」
「「……貴様への怒りでグツグツ煮えたぎっているからな……!!」」
「「うおおおおおーーーッ!!」」
(し、師匠……! ポルナレフ兄さん……!)
また目が霞む。
でも、それは今度は、ちがう理由のせいだった。
「イギー、無事か?」
「ガウゥ……(ふん! んな、やわじゃねーよ)!」
「うむ、怪我はしているようだが、大丈夫のようだな」
「ぐぅ……。(……ばかやろう。おれなんかより……)」
「ポルナレフ、おまえも足が……。保乃と街に戻り、病院に行け」
「ああ? アヴドゥル。おまえのほうがこの街に詳しいだろ。おまえが行け」
「はぁ? おまえが怪我人だろう!」
「おまえが行く方が合理的だ!!」
押し問答を繰り返す、そんなふたりにいう
「ふたりとも、なに言い争っているんですか? 私もこのまま進みますよ。いっしょに。もちろん」
「「はぁ?!」」
息ぴったりだ。
(やっぱり。ほんと仲良しなんだから……)
いつもそうだ。このふたりは、喧嘩するほど……のお手本みたいだ。そんな場合ではないのに、つい、笑みがもれそうになってしまう。
「おまえこそ、なにをいっている!」
「まったくだぜ! そんな青っ白いかおしやがって。あとはオレたちにまかせて、おまえは戻れ!」
「もう血は止めてもらったし、問題ないです。ちょっと時間が経てばすぐ治りますって。私、こう見えて結構、丈夫なんですよ」
彼にもそういえば似たようなことを言った気がする。そう、私は意外とほんとに怪我には強いのだ。昔から。
『おじいちゃんの教え』のおかげで。
(……実は波紋戦士なの、私だったりして)
「そんなわけないだろ!」
「戦力を迂闊に分散するほうが危険ですよ。私は本当に大丈夫ですから。とりあえず、ジョースターさんたちを早くみつけましょう。あっちももしかしたら、苦戦しているかもしれない」
「しかし……」
「……私は、ひとりでは帰りません。絶対に」
そう。ひとりで帰るわけには……いかない。
「はぁ……言うことをききそうもないな、この頑固者め」
「やばそうだったらすぐ連れて帰るからな!」
「しかたがない。進もう。上の階に。DIOのところへ。
ジョースターさんたちもきっとそこへむかっている。おのずと合流できるだろう」
「様子をうかがってくる。保乃はここで少し休め。イギー、頼むぞ」
ポルナレフ兄さんと師匠、ふたりが力強く階段へ足を踏み出し上階に向かうのを見送ったあと、壁にもたれてへたりこむ。
「はぁ、はぁ……」
(や、やっぱり、まだ……ちょっと、きつい……かな……。
けど、私だけ帰されちゃうわけにはいかない……)
「ウー……(なにやってんだよ、後輩……)」
するとあきれ果てたような唸り声が聞こえた。
「イギー先輩……」
「……クゥ……(……馬鹿だな、やっぱり、おまえ)」
「……そうかも、しれませんね」
「……グゥ(また、説教くらっちまうな。あいつに)」
「……そうですね……」
「キュウ……(あんま女が男に心配かけさすもんじゃねーよ。
あいつ、死んじまうんじゃねえか? おまえになんかあったら)」
「……。そんなこと……ないですよ。
彼は……ちゃんと、……つよいから。だいじょうぶ」
そう。ちゃんと、もういちどたちあがれるひとだから。
「……ワン(ったく。しゃあねぇ、じゃあ……ちょっとだけ、優しくしてやるよ)」
先輩は、そういって頬をなめてくれた。
「ふふ、ありがとうございます……」
「ぐぁう……(馬鹿だな。本当に、馬鹿だ……)」
「……はい」
噂をしていたら、ほどなく本人が階段を降りてこちらにやってきた。
「仁美さん! イギー!」
「あ! みんな! 合流できたんですね。よかった……はっ……!」
三人が無事だったことにほっとする。が、同時に焦る。
「(ぽ、ポルナレフ兄さん、隠して! みつかったら怒られちゃう!)」
「(はぁ!? 馬鹿か、おまえは! ばれないわけねーだろ!)」
「? 仁美さん……? なにをこそこそと……」
「え? なんでもないよ?」
「なんかさっきよりさらに顔色が……? あっ!」
(……ばれ、ちゃった。そりゃ、そうだよね……)
でも、それでも、彼にはなるべく知られたくなかった。
「う、うで……? え……?」
「なにっ?!」
「えっ!? あっ!」
「……だから、なんでもないっていっているのに……」
「そ、そんな……」
「……ゆ、る、さ……ん! どこのどいつだ!? 誰がやった!?」
「!」
(は、はじめて……みた……)
こんなに怒っている彼を。つい、場違いな感情が生まれてしまう。
すこしだけ、うれしい、と。
「お、おちつけ、花京院! もういない! ヤツはもう倒したから!」
「そうだ! ひ、仁美の護りのおかげで全員の力を合わせてなんとか倒せたんだ!」
「……じゃあ、DIOだ! そもそもの元凶! 今すぐヤツをッ!!」
「ま、待てッ」
「か、花京院!」
「離せッ! 止めてくれるな! ……許せるか! こんな……ッ!」
(で、でも、とめなきゃ!)
ほんとうに今すぐ独りでもDIOのところへいってしまいそうな剣幕だった。必死に叫ぶ。
「おちついてって、いってるでしょうッ!!」
「ハッ!」
「そんなのじゃ、勝てるものも勝てないよ……。
おねがいだから、おちついて……」
「……、くそっ!!」
「……すまん」
「われわれがついていたにもかかわらず、すまない……」
「そんな! 私がただ単にドジっちゃっただけです!
すみません……。でも、大丈夫ですから」
そんなふうに言ってくれる兄さんと師匠にたまらず返す。が、そんな私にすぐさま彼の言葉がぴしゃりとおちる。
「……大丈夫なわけ、ないだろう!」
「う……」
「早く病院に! なんでまだこんなとこにいるんだよ!」
「だから……大丈夫だよ。師匠に手当てしてもらったから。もう病院なんて行く必要ないし」
それを聞いた彼は目を見開いたかと思うと、その顔色がみるみるうちに蒼白になっていく。
(ハッ! しまった! 口がすべっ……)
余計なことを言ってしまったことに気づき、すぐに誤魔化そうとしたが無駄だった。
「そ、そんな……う、うそだろう……?」
(……なんであれで、わかっちゃうのかな……)
察しがよすぎて困ってしまう。その洞察力が今だけは恨めしかった。
「あ、アヴドゥルさんも! ポルナレフも! どうして帰さなかったんですか!?」
「違う! ふたりは帰れっていってくれた! なのに私が帰らないってわがまま言ったの!」
「……そういうことだ」
「ああ……」
彼の詰問に対する私の反論に二人が言葉少なに頷く。重くなってしまったその雰囲気を払拭すべく私は大きな声でいう。
「もう、大袈裟だよ。これくらいで。無事全員合流できたんだから、早く先に……」
しかし、それは優しく肩を掴まれる感触と静かな彼の声に遮られる。
「……仁美さん、行きますよ、病院に」
「……だから、いやだって」
「わからないんですか?
そんな怪我人がいたら……、足手まといだと。
むしろ却って、邪魔です」
「!?」
(あしで……まとい……?)
瞬間、叫んでいた。
「……いや! いやだ! 足手まといなんかじゃない!
腕なんかなくたって関係ないもの! セシリアも使えるし!
……私はみんなといる!」
「なっ……!」
「……私には、まだ……やらなければならないことがある! ぜったいにひかない!」
「くっ……」
わかっていた。
私にでもわかる。
そのことばが……心にもない、ことなんて。
いつもとおんなじ。心配からくるものだなんて。
でも、ひくわけにはいかない。
やらなければならないこと。
あなたの……命がかかっているのだ。
ひけるわけがない。
俯いたまま、彼がいう。
「……わかりました」
「よかった。じゃあ、行こう!」
「ええ……」
「……」
「うっ!」
ほっとして歩き出した。
その瞬間、首筋に衝撃が走る。
一瞬、なにがおこったのか、わからなかった。
「……え……?」
ふりむくと、なきそうなかおをした、彼がいた。
「……どう、して……?」
「い、や……! わ、たし、は……」
(……あな、たを……)
急速にうすれていくいしきのなか……かれのこえだけがひびいていた。
「……ごめん」
目を開ける。
「……」
とびこんでくるのは、まっしろい天井だけ。
だれも、いない。
「……っ」
しかし、右手にはたしかにのこっていた。
あたたかい、ぬくもりが。
やさしい、感触が。
「……ばか……」
ほかにことばになんてできなかった。
ひとしずくの涙だけが、ただしずかに頬をつたってながれておちていった。
もうすぐこのお話も完結です……が、性懲りもなく次回作も本作品にちなんだものにする可能性が高いです。どんなのだったら、また読んでやってもいいぜ? と思って頂けるでしょうか?
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読んでほしいなら死ぬ気で全部書きやがれ!