【凍結】麻賀禮(まがれ)   作:あらやだ

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三捻り

   

 薄暮、観布子市、巫条ビルXXX号室。

 

 2DKの間取り、ふじのんと書かれたドアプレートが掛けられている部屋───つまりは藤乃の自室で彼女は以前の倍に増えた問題集を解きおわり、机に突っ伏していた。かれこれ二時間もぶっ通しで勉強していて、集中力も途切れ途切れだったが完遂した。

 

 いくら礼園に合格するためとはいえ、百点満点を出さなければ終わらないというのは無理ゲーもいいとこだった。

 

 まあ、発破だからよかったもののもし本当だったら年甲斐もなくのたうち回って駄々をこねる覚悟があった。本当である。

 

 採点がおわったようなので、顔だけ玄霧先生に向く。

 

「……。英語97点、数学91点、国語100点、理科93点、社会95点。よくできました。どれも最初の頃より上がっています。実力は着実に伸びてきているようですね」

 

「はい」

 

「今日はここまでにしましょう。間違えた問題は訂正して復習しておいてください。お疲れ様でした」

 

「ありがとうございました」

 

 くれぐれも夜更かしはしないように、と釘を刺して玄霧先生は部屋から出ていった。

 

「んくっ、ふわあ~」

 

 藤乃は椅子に座ったまま手を組んで上に伸ばし、右に倒したり左に倒したりして凝り固まった体をほぐす。大きな欠伸をして一段落をつける。

 

(なんだか前世より勉強してる気がします。まあ学力も前世より比べ物にならないくらいつきましたしいいですけど。修業もしたいんですよね)

 

 この二ヶ月間、一切の修業は禁止されていた。ここが高層マンションの一室であまり五月蝿くできないということも理由ではあるが、外出の際にのめり込みすぎて時間を忘れてしまい授業をすっぽかしたからという理由の方が大きい。

 

 鉄球の回転だけはなんとか許してもらったので、現在も手のひらの上でくるくると弄んでいる。

 

(体がうずうずする。体を動かしたくてたまらない。試してみたい技とかまだたくさんあるのになあ)

 

 逆回転をかけた鉄球がピタリと止まり、それを机の引き出しにしまう。間違えた箇所を直したら今日はさっさと寝てしまおう。

 

─だけど悲しいかな。集中力はとっくに切れており、妄想に耽ってしまうのは仕方のないことだと思う。

 

(そういえば高層マンションに住むなんて思いもよらなかったですね。前世ではアパート暮らしだった気がしますし、家賃はどのくらいなんでしょう? 結構なお値段だと思いますが)

 

(全面ガラス張りで、玄関はカードチェック式ですし、相場は分かりませんが五十万はくだらないでしょう)

 

 キッチンや水回りも充実していたのできっとそうだ、と英語数学理科を直し終え、社会に取りかかりながら思っていた。

 

(あー。南蛮貿易の南蛮人ってポルトガル人とスペイン人なんですか。ちなみに紅毛人はオランダ人とイギリス人なんですね。1549年にフランシスコ・ザビエルがキリスト教を日本に伝えた、と)

 

 ザビエル…。ふと月の勝利者を思い出す。あのイケ魂もとい鋼の精神は見倣う点がある。

 

(礼園女学院はキリスト教主義の学校ですから、聖書の方も勉強しておかないとですかね。型月世界の神父や修道女ってクセの強い人しかいないのでアレですけど……)

 

(HFの言峰さんは燃えたなあ。ああ、そういえばあの詠唱も聖書が由来だったっけ。そうだそうだ。たしかキリエ・エレイソン……。ん? きりえ?)

 

 ──────────!

 

 ドタン、と椅子が倒れる。勢いよく立ち上がったからだ。

 

 

「───巫条、霧絵」

 

 

 『俯瞰風景』の登場人物であり、荒耶宗蓮が用意した一人目の駒。退魔四家が一角、巫浄の血統。といっても巫浄の傍流で分家や本家がどうなっているかは不明である。

 

 女子高生連続飛び降り自殺事件の元凶であり、友だちになりたい自分に気づいてほしいという思いで少女たちの魂に干渉してしまい、七人もの少女を死に誘ってしまった。

 

 その最期は俯瞰からの墜落死。

 

 今まで蔑ろにしてきた生命であった全てのために、あらんかぎりの死をぶつけて生の喜びを感じるために。

 

「……………………………………………………」

 

 手を差し伸べなければならない人が見つかった。

 

 ───これは偽善だ。

 

 ───救わなくても物語に差し支えはない。

 

 ───自分が救う義理なんてない。

 

 だけど。

 

 手を伸ばさなかったら死ぬほど後悔する。

 

 そうと分かれば行動は早かった。

 

 

              ☆  

  

   

 その日の夜も、女性は窓の外の夜空を見続けていた。

 

 いつもと何も変わらない、代わり映えのしない病室のベッドの上で、女性は枯れ木のような腕で景色に手を伸ばす。

 

 その行動に意味はない。だがその行動はもはや習慣となっていた。

 

 何度も願った。

 

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

 

 せめて一度だけでいいから外に出たい。

 

 ただそれだけでいいのにこの願いは叶わない。

 

 病室の窓から退院している人を見ては羨み憧れていた。自分はずっと出られない。いつしか感情が憎みと恐れに転じていた。手を伸ばしても届かない世界を呪った。

 

 ───もしも。空を自由に飛べたなら。

 

 ───自分の嫌いじゃない世界があるのかな。

 

 

 カチャリ、とドアが開く音がした。

 

   

「こんばんは」

 

 入ってきたのは少女だった。尼僧服を着ていて清潔感のある。幼い表情をしていて穏健で優しそうだ。

 

 既に面会時間は過ぎており、病院には職員と患者しかいないはず。この少女は一体何者なんだろう。少女はあっと思い出したように手を打つとベッド脇まで近づいた。

 

「わたしは浅神藤乃といいます。巫条霧絵さん」

 

「浅神、藤乃」

 

 聞いたことのない名前。でも彼女はわたしのことを知っているようだ。父の友人の娘さんかなと思ったが、その人はお坊さんみたいな難しい名前なので違う。

 

「いえ、合っていますよ」

 

「……?」

 

「荒耶宗蓮はわたしの義理の父親です。今日はお父さんに内緒で巫条さんに会いにきました」

 

「それはどうして?」

 

「わたしが巫条さんとお話がしたかったからです」

 

「……っ」

 

 嬉しかった。両親と弟と死に別れて親戚なんかもいない自分を訪ねてきてくれる人なんていままで現れなかったから。目頭が熱くなる。嬉し涙がこぼれる。

 

 少女は懐からハンカチを取り出すと優しく下瞼にあてた。ゆっくり背中をさすり大丈夫ですかと心配してくれた。

 その手のあたたかさで、これは夢ではなく現実なんだと改めて思った。

 

「ごめんなさい。取り乱してしまって」

 

「わたしの方こそ驚かせてしまってごめんなさい。こんな夜更けじゃなくてお昼に来たかったのですが、家庭教師が厳しくて……」

 

「まあ。それでお家を抜け出して?」

 

「そうなんです。山ほど課題を出されて毎日勉強漬けでして、もう頭が痛くなってしまって」

 

「そんなに勉強するのね。偏差値の高い学校に行くのかしら?」

 

「再来年に礼園女学院に編入するんです。わたしは小中学校に通っていなくて、礼園がはじめての学校なんです」

 

「まあ! 礼園といえばとても頭のいい学校じゃない。あの修道服みたいなかわいい制服の学校よね? その尼僧服も似合ってるから制服も浅神さんに似合ってると思うわ」

 

「ふふ。ありがとうございます。実はこの尼僧服はお父さんが仕立ててくれたんです。誕生日プレゼントで頂いて、でもお父さん採寸を間違えてしまって服がピチピチだったんですよ」

 

「うふふ。うっかりさんだったのね」

 

 ───ああ。なんて楽しいのだろう。

 

 ───笑顔なんて久しく忘れていたのに。

 

 ───わたしはまだ笑えたんだ。

 

 お喋りは一時間も続いた。他愛ない話。窓から見える世界しか知らない霧絵にとって藤乃が話す内容は何もかもが新鮮だった。

 

 社会、政治、芸能、スポーツ、料理、花、雑学、流行、映画など。病室にはテレビや新聞といった世間を知るものがないため、藤乃の話す内容に聞き入っていた。

 

 途中から藤乃の話に相づちを打つだけになってしまったが、外の世界の話は霧絵にとってはそれほどまでに魅力的な内容だったのだ。

 

 

 しかし、そんな夢のような時間も終わりが来る。

 

 

 ピピピピ、藤乃の胸から電子音が鳴った。

 

「───あ」

 

 藤乃はしまったという表情を見せる。霧絵は夢の終わりが来たのだと悟ると胸が苦しくなった。

 

「お別れ、ですか?」

 

 霧絵は一縷の望みをかけて藤乃に訊ねた。

 

「……そうです」

 

「────────────────────」

 

 先ほどの時間が心惜しくて我が儘を言いたくなった。

 

 だけど、わたしの方がお姉さんなんだからとそれを堪える。

 

「巫条さん」

 

「っ何かしら?」

 

「もしも、病を治せるとしたらどうします?」

 

「……。それはどういう意味かしら?」

 

「病を治せるかもしれない人がいるんです」

 

「────────────────────」

 

 絶句。霧絵の病は肺癌の末期。腫瘍は全身に転移していて体の殆どが病魔に蝕まれている。数えるのを止めてしまったが、もう十年ばかり入院しているのではないだろうか。

 

 そんな死に体の自分を治せるのなら奇跡だろう。たちの悪い冗談を言っているのかと思ったが、彼女の真剣な目はとてもじゃないが嘘を吐いているようには見えない。

 

 ついさっき出会ったばかりの短い付き合いだが彼女の様子は真摯で、わたしの答えをじっと待っているようだった。

 

「……治してほしい。一筋でも望みがあるのならわたしはそれに賭けたい」

 

「───分かりました。流石にすぐにとは言えませんが、話を付けておきます。あの人なら新しい体を用意できると思います」

 

「新しい体?」

 

「はい。今の体がぼろぼろなら新しい体にすればいいんです」

 

「……」

 

 頭のなかにみんなの夢を守る菓子パンの妖精がよぎった。確実に違うだろうが、先の会話から想像できたのはそれぐらいのものだった。

 

「手術ではなく。魔術というのですが、自分そっくりの人形に魂を入れ換えるという方法です」

 

「魔術?」

 

「なんと、わたしもお父さんも魔術師なんです」

 

 自称魔術師は発育のよい胸を張ってそう言った。

   

   

               ☆   

   

   

「───ということがありまして、ハイ」

 

 現在、藤乃は家を抜け出したことが玄霧先生にばれて正座をさせられている。いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのようにといった業務報告のような説明でだ。

 

 玄関の扉を開けると玄霧先生が待ち構えていて縮地で逃げようとしたのだが、統一言語で【あなた」「には」「にげられない】と言われてしまいお縄になってしまった。

 

 統一言語を使われるとは思っていなかったため、なおのこと出遅れてしまい【ここ」「では」「にげられない】のとどめにより大人しく捕まったのである。

 

「なるほど。浅神君の言い分はわかりました。ですが、なぜキミは見ず知らずの巫条霧絵さんの素性を識っていたのですか?」

 

「そ、れは」

 

「それだけではありません。新しい体を用意できるあて、つまりは人形師───蒼崎橙子の存在をどこで知り得たのですか?」

 

「ぁ」

 

「浅神君、キミは一体、何者なんですか?」

 

 これは、終わったかもしれない……。

   




   
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