【凍結】麻賀禮(まがれ) 作:あらやだ
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「━━━というわけで、交渉は成功しました」
夕刻。わたしは帰るなり玄霧先生にすべてを伝えた。一度実家に帰りたいということも。うん。報連相は大事。
出だしのアクシデントを伝えても、予想していました。ええ。予想していましたとも、と言っていたので平気だと思う。たぶん。眼鏡の奥が濁って見えたのは気のせいだと信じたい。
「浅神君のご両親は東京に住まわれているのでしたね。でしたら勉強会はしばらくお休みにしますので明日にでも母親に会いにいってはどうでしょう」
「えっ」
意外だ。玄霧先生のことだから勉強会優先でノルマを達成すれば許可してくれるものだと思っていた。勉強会がなくなるというのは予想外だった。
「幼少期から祖父母のもとで育てられていた浅神君にはあまり思い出もないのかもしれませんが、やはり子どものことを心配しない親なんていないのですよ」
「あ」
机の上に置かれた一枚の紙。藤乃の捜索依頼だ。
祖父母の家に引き取られる前に二人で撮った最後の写真。書かれている文字は間違いなく母親のもので紙には電話番号と住所が記してある。だが何よりも目に留まったのは最後の一文。
───愛する我が子を探しています。
(莫迦かわたしは!)
わたしは本物ではない贋作だと。あの人に申し訳なくて、後ろめたくて、どうしようもなくて。そして逃げ出してしまった。自分があそこにいるのがこわかったからだ。
親子なのに親子じゃない。母親なのに母親じゃない。娘なのに娘じゃない。
わたしという遺物が混入していることに堪えられないから。
そんなわがままを思ってしまったのだ。
生き残るため修行のためというのは体裁を取り繕った言い訳に過ぎず、ほんとうは、ほんとうのところは母親という存在から逃げたかっただけなのだ。
いまのいままで思い出しすらしなかった。記憶に鍵をかけてしまいこんでいた。
橙子さんから話を聞くまではすっかり忘れていた。
なのに、だというのに───
「浅神君。少し落ち着いてください」
「え?」
ふと両手を見やると力強く握りしめたためか爪が皮膚に食い込んで痕が残っていた。玄霧先生が言ってくれなければ皮膚を破り血が滴っていただろう。
「そう自分を責めるものではありません。忘却とは、個人が個人を守るために必要な手段です。覚えていては危うい記憶を、精神を破壊しうる記憶を忘れることで自分を保っている。それが人間という獣です」
だから気にすることはありません。
────────────────────。
人間は過去を忘れることで生きている。そういう生き物だから仕方がないのだと玄霧先生は言った。
なんて都合のいい言い訳だろう。だけど、その子どもじみた言い訳はとても心強かった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして……ああ。荒耶には私から伝えておくのでご安心を。それと交通費は私が出しましょう」
「なにからなにまですいません。あ。わたしがいない間のごはんはどうなさるんですか?」
「ご心配には及びません。ある程度の自炊はできます。浅神君の料理の方が美味しいので披露することはありませんでしたが」
とは言っても逃亡生活で身に付けた雑なものですが、と玄霧先生はつけ足した。
世界各地を転々としていたということはその国の美味しい料理の数々も識っているということ。ポーランドのビゴスやハンガリーのグヤーシュなど味わったことのない郷土料理を食べたことがあるのでは?
呼吸が落ち着いていつもの調子を取り戻した藤乃。
(落ち着いたら先生の料理を食べてみたいな)
さっそく部屋に戻って遠出の支度をする。着替え一式と日用品。
……………………………………………………。
支度が済んでしまった。思いの外に荷物がない。
「───明日に備えて早めに寝ようっと」
おやすみなさい。
☆
「それでは行ってきます」
「忘れ物はありませんか? ハンカチとティッシュは持ちましたか? トイレは済ませましたか?」
「もう先生ったら。わたしそこまで子どもじゃないんですから」
「いいえ。浅神君は自分が思っているよりずっと子どもですよ。思い立ったが吉日とばかりに行動されるので荒耶への報告に悩まされていますので」
「うふふ」
「笑って誤魔化そうとしないでください。とりあえず期日は設けませんのでこちらに帰ってくる際には一報いれてください」
「わかりました。あ。お土産は何がありますか?」
「そうですね……。たしかどら焼きが有名ですね。長年続く老舗もあるようです」
「どら焼きですか。楽しみです」
「……浅神君。本来の目的を忘れないようにしてくださいね」
「ぐぅ。はい」
「やれやれ───ああ、そういえば浅神君」
「はい?」
「その尼僧服で出かけるのですか?」
「……あ」
☆
私服に着替えた藤乃は電車に乗って母・麻雪の家に向かっていた。途中下車をしてどら焼きをお土産に持ちながら。
最寄り駅で降り、玄霧先生の描いてくれた地図を頼りに歩くこと二十分余り。目的地に着いた。
ビルが建ち並ぶ街とは裏腹にレトロながらモダンが漂う近代洋風建築。念のため標札を確認してみるとクラシックな金属板にローマ字表記で浅上と書かれている。ここで間違いないようだ。
原作では浅上家の描写なんてなかったのでてっきり浅神家と似たような日本家屋を想像していたので戸惑う藤乃。
かたん。
物音がしたのでそちらに視線を向けた。
「藤、乃?」
菫色のワンピースの上から同じ色のボレロを着た、長髪をかんざしでまとめた綺麗な女性───母・麻雪だ
両儀式の母親もだが、経産婦とは思えないほど若々しくて美人だ。
よくみると麻雪は花壇の手入れをしていたのか麦わら帽子を被っていて園芸手袋をつけていた。先ほどの物音は如雨露を落とした音だったようだ。
麻雪は信じられないといった顔で門扉を開けるとおそるおそる藤乃に近づいた。近くでみると本当に藤乃に瓜二つの顔だ。藤乃がこのまま大人になったら麻雪とそっくりの顔になるだろう。
「藤乃なの?」
「お母、さん……」
「っ!」
「わぷっ」
いきなり麻雪に抱き着かれて驚いたが鍛えていたため仰け反ることなく受け止める藤乃。
力いっぱい抱きしめられているのにも関わらずまったく痛くない。
だけども。
なぜか胸がじんと熱くなって息苦しいほど胸がいっぱいになる。
───強く、優しく、温かい。
───この世界にきてはじめてのことを思い出した。
───あのときも麻雪は藤乃のことをこうして抱きしめていた。
だから藤乃もあのときのように母の腕の中で泣いたのは仕方のないことだった。
☆
「実は、お義母様とお義父様がお亡くなりになられたと聞いたのは二年前なのです」
リビングに案内されてしばらく待っていると麻雪が紅茶とお茶菓子を持って現れた。
何を話したらよいのか判らず、紅茶を飲み干してしまってしばらく、麻雪から話を切りだした。
「上京してしばらくは忙しかったのだけど、数か月もしたら落ち着いてね。連絡を取ろうにもお義父様のところには電話機はないし、行こうにも康蔵さんが頑なに許してくれなかった」
義父とは会話という会話はなかった。おはようございますやおやすみなさいなどといった挨拶は欠かさなかったが、あからさまに距離を置かれていることは気づいていた。まあ、本編で殺害も視野にいれて依頼をしているしわたしの存在は邪魔なのだろう。
「康蔵さんに藤乃の様子が知りたいといってもはぐらかされ、秘書の方に訊ねても答えてくれない。でも、ある日。お義父様の住んでいる地域がダム開発で立ち退きになるという話を耳にしました」
初耳だ。育ち故郷にはもう行くことはないだろうと思っていたが、こういう形で行けなくなるとは思わなかった。少し悲しいが大丈夫だ。お祖父さんとお祖母さんとの思い出はきちんと胸の中にあるから。
麻雪は続ける。
「これを機に此方に移ってもらおうと康蔵さんを説得しました。ですが、村長さんのところに連絡をいれるとお義父様とお義母様は既にお亡くなりになられたと言われました」
「熊に襲われてしまったと。それを聞いて狼狽しました。藤乃は無事なのか……と。しかし、不思議なことに村の人は誰も藤乃のことを覚えていませんでした。いいえ、知らなかったのです」
「藤乃はたしかに存在する。記録や写真にはきちんと藤乃がいたことを証明していました。ではなぜ、誰もが藤乃のことを知らなかったのか。私はそれが羽舟さんがよく口にしていた〝異能の力〟のせいだと思い当たりました」
「詳しいことは知りませんが浅神は超能力者が産まれやすい血統のようで、藤乃も異能の力を持って産まれてきた。それが原因でよくないものを呼び寄せてしまったのではないか」
───どうやらお母さんは独自にこちら側のことを調べたらしい。異能の力という大雑把な括りで魔術のことまでは踏み込んでいないようだ。
(というか荒耶さん。事後処理が杜撰過ぎますって! たぶん暗示をかけて意識を逸らしていたのでしょうけど、あれは強制力がそこまでないから気づく人には気づかれてしまうんじゃ……いまのいままで気にも留めなかったわたしが言えたことではないけれど)
詰めが甘い自分を恥じる。義父が藤乃に関心を持っていたり村の暗示が解けていたら大事に至っただろう。それこそ世間を騒がす誘拐事件として。考えただけでゾッとする。
───とりあえず誤解を解こう。
───あることないこと織り混ぜて。
藤乃は俯いて語りはじめた。
「たしかにわたしは異能の力を使うことができます。でもそれが原因でいなくなったのではありません。わたしが望んだことです」
「あなたが?」
「実はお祖父さんとお祖母さんが熊に殺されて、ひとりで敵討ちに行ったんです」
「っ」
「異能の力が使えるからなんとかなるだろうと思って考えなしに飛び出して行きました。でもそんなに上手くいくはずもなく殺されかけて、ある人に助けていただきました」
「……その人と一緒にいるの?」
「はい。その人も異能の力を持っていました。その人は熊を倒してわたしを村に返してくれました。だけどわたしは村に残るのではなくその人に着いていこうと思いました」
「どうして?」
「異能の力を磨くためです。いまのままでは日常生活でも支障をきたしてしまう。そこで異能の力を熟達しているその人のもとで鍛えれば力を制御できると思ったからです。おかげで異能の力をコントロールできるようになりました」
空のカップを手の平に乗せ回転の技術で回す。それをゆっくり机の上に乗せると回転を止めることなく円を描きはじめた。
麻雪は口元に手をあてて驚きを隠せずにいる。実際に自分の目で見たことにより異能の力が存在することを確信したに違いない。そっと手を当ててカップの回転を止める。
「昔は木を丸々一本捻ったこともあるんです。ひとつ間違えれば簡単に人を殺してしまう危険な力です」
「……藤乃が異能の力をコントロールできていることは分かりました。なら、また一緒に暮らすこともできるのよね?」
異端への恐怖でも物珍しいものへの興味でもない。我が子と一緒に暮らしたいという麻雪の心意に言葉がつまる藤乃。
いまさらなんの面目があって母親と暮らすことができるのか。
自分のことしか見えていなかったわたしが。
なんて虫のいい話だ。片腹痛いにも程度がある。
「……ごめんなさい。それはできません」
「どうして!」
悲痛な叫びに顔をあげる。麻雪は顔を歪め涙を浮かべていた。
見たことのない母親の表情に戸惑う。
「やっと……」
肩が震えている。
「やっと会えたというのに……」
床に水滴が落ちる。
「どうして……」
呼吸が荒くなる。
「どうしてまたいなくなるの……!?」
違うんです。
あなたのそんな顔が見たかったんじゃないんです。
わたしはただお母さんに会いたくて。
元気な姿を見せてあげたくて。
それだけだったんです。
もういちど笑ってほしかったんです。
☆
「───それで逃げるように帰ってきた、というわけですか」
「───はい」
お母さんを泣かせてしまったわたしはただ謝ることしかできなくて。いたたまれなくなって家を飛び出してしまった。
マンションに戻るなりソファーにダイブして突っ伏した。ただいまも言わずに帰って来たことにいろいろと察した先生はわたしを励ましながら話を聞いてくれたのだ。
「それで浅神君はどうしたいのですか?」
「どう、とは」
「母親との溝をそのままにしておくのか、それとももう一度納得するまでお話をするか」
「わたしはべつに」
「浅神君。私のようにはならないでください」
「ぁ」
そうだ。
玄霧先生は幼少の頃に妖精にさらわれて二度と家に帰れなかったのだった。
正しくは少し異なるが、結果として先生は両親のもとへ帰ることができなかった。
後悔。その二文字に尽きるのだろう。
おまけに再認ができないという強力な呪いも付いて。
「荒耶や私のことを免罪符にはしないでください。浅神君が本当にやりたいことをやればよいのです」
「わたしがやりたいこと」
頭の中で何度も反響する。
後悔しない選択を、納得のいく結末を。
ここまで後押しをされたら次の行動はわかりきっていた。
「……先生」
「ええ。いってらっしゃい」
「っ!」
ソファーから勢いよく立ち上がり再び母親のところへ向かう藤乃。
その瞳には迷いなんて微塵もなかった。
☆
───藤乃を困らせてしまった。
───あの子の事情を考えずに。
ひとり取り残された麻雪は自責の念に駆られていた。
ただ自分の思いだけを吐き出して娘の気持ちを思いやれなかったことに。
「母親失格ね」
自虐をこぼす。現に娘はまたいなくなってしまったのだから。
家にいても自己嫌悪に陥いるだけなので気分を換えるため買い物に出かけることにした。
しかしそれは逆効果だった。
スーパーマーケットでは仲睦まじめな親子に目がいってしまい、羨ましげに見てしまった。
自分と藤乃をぼんやりと重ねて。
帰路に着いてからもどことなくぼうっとしていたせいか、道中買い物袋を落としてしまう。
「っいけない」
あわてて荷物を拾い集めると、横合いから手伝ってくれる手がみえた。
「ああ、すいませ……?!」
───いま一番会いたかったあの子がいた。
☆
「はい。荷物をお持ちします」
わたしは固まっているお母さんから買い物袋を受け取る。
「どうして……帰ったんじゃ……」
「やっぱり。ちゃんとお話をしておきたいと思ったので」
「あのね藤乃───」
「ごめんなさい!」
二の句を告げる前に謝る藤乃。
「わたし、どうしてもやりたいことがあるんです。まだ浅上の家には行けません。やりとげたら必ずお母さんのもとに帰ってきます。だからもう少し待っていてください。お願いします!」
「……………………………………………………」
「自分勝手なことだと思います。だけど、またお母さんに会いに来てもいいですか?」
「……………………………………………………」
こわい。
怒られてしまうのがこわいのではなく、嫌われてしまうのがこわい。
お母さんに拒絶されることがこわくてたまらない。
でも、そんな恐怖はお母さんの抱擁によって消し飛んだ。
拾い集めた荷物が再び散らばる。
だけどお母さんはそんなことは気にも留めていなかった。
「お母さん?」
「まったく………困った子ね」
ぽんぽんと頭を撫でられる。
正面から抱きしめられているためお母さんの表情は見ることができないが、どことなく呆れたような言い方に心がきゅっと絞まった。
「そういうところまで似てしまうなんて。やっぱり私たちは親子ね」
「っ」
ゆっくりとお母さんが離れる。
お母さんは涙ぐみながら笑っていた。
「当たり前じゃない。家族だもの」
「ぁ」
今度はわたしからお母さんを抱きしめた。
慎重に、丁寧に、丹念に。細心の注意を払って。
☆
時は夕暮れ。
どこからか童謡が聞こえてくる。
お手々繋いで皆帰ろう。烏と一緒に帰りましょう。
オレンジ色の世界の中で、抱擁はしばらく続いていた。
お読みいただき有難うございます。